「相変わらず優雅じゃないねえ」
特別席の水島は退屈そうに欠伸をした。
同じ国防省の人間とはいえ美しくない女は応援する気にならないらしい。
小島は相撲取りのような体格で、しかも分厚い唇に細い目というアンバランスな顔立ち。
さらに、女らしさの欠片もない性格や物腰など全てが水島の鼻についた。
二年前、小島はどこで間違えたのか水島がふっくらした女性がタイプと聞き告白してきた事がある。
その時の水島の心情は言葉では言い表せなかった。
水島にとっては女ですらない小島が自分にいかがわしい感情を抱いている、そう感じたのだ。
「……鏡見て出直せよ」
基本的にフェミニストを気取っていた水島だったが、この時ばかりは強烈な拒絶に出た。
「おまえなんかが俺に告白!?この水島克巳様に!?こんな恥辱はないね!!
俺は豊満な肉体美の女は好きだけど、脂肪の塊は嫌悪の対象でしかない!!
ぞっとするよ、身の程知らずめ!行こう真知子、こんな侮辱にはこれ以上耐えられない!」
真知子は「かわいそうな克巳」と水島の頭を撫で抱きしめた。
「図々しいのよ、おまえは。私が克巳の女でいる為に、どれだけ努力してると思って?
この我侭で贅沢な男を繋ぎとめるには、生まれ持った美貌だけじゃ全然足りない。
それなのに体重の自己管理もできない女がこんなマネするなんて今度やったら私が殺すわよ」
女は自分をふった男よりも、その恋人を憎むという。小島も例外ではない。
小島は、その日から水島の女全般を激しく憎悪するようになった。
鎮魂歌―73―
両腕で相手を捕らえ、首の骨が折れるまで締め付けるのが小島の常勝パターンだった。
男でも、その地獄の絞殺スタイルから逃れられない。
今回は美緒が水島と過去のある女だということもありパワーは増大していた。
「全身の骨を砕いてくれる!!」
「ふん」
美緒は僅かに体の向きを変え、脚を伸ばした。
その脚にひっかかり小島は盛大に体勢を崩す。美緒はすかさず小島の襟を掴むと腹部を蹴り上げた。
「豚の相手を長時間するつもりはないのよ」
「ぬおっ!に、二度も豚と言ったなぁ!!」
小島の巨体が大きく宙に浮かび、その顔は驚愕し一瞬で蒼白になった。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
「自分の体重で潰されなさいな!」
美緒は小島を頭から地面に叩き付けた。
「豚を豚といって何が悪いのよ。と、言っても、もう聞えないかしら」
小島の頭は地面にのめり込んで見えなくなっていた。胴体部分は開脚し逆直立したまま動かない。
会場はシーンと静まり返っていた。
誰が見てもカウントの必要はなかった。今は勝敗よりも生死の有無の問題だ。
青ざめる観客とは反対に満夫はぐっすり寝てしまい、那智と定道はトランプでババ抜きをしている。
美緒は国防省の残りのメンバーを睨みつけると吐き捨てるように言った。
「次!」
「……な、何て女だよ……モデルみたいな体型なのに……自分の倍はある人間を投げたぞ」
七原は先ほどの一回戦突破の喜びを一瞬で忘れてしまった。
「……倍以上あるぞ。どうやら次の相手も女だからって甘く見る必要はないようだな」
川田は煙草の煙を吐きながら難しい表情をした。
(……あの女とは次に当たる。まずいな、女だからと手加減できるレベルじゃない)
美緒は腰に両手をおくと、「さっさと上がりなさいよ」と相手チームを挑発した。
国防省の二番手は男。今度は巨体でもなければ筋肉質でもない。
均整の取れた体格ではあるが中背。いや、だからこそ返って謎めいた恐ろしさを感じないでもなかった。
「……この馬鹿女は猪突猛進タイプだ。だが俺は違う、俺は国防省一のインテリ水島大尉の直属の部下。
残念だが、もうおまえの勝ちは無い。今度はおまえが沈む番だ」
「だったら証明してみなさいよ」
「当然だ、偉大なる水島大尉の名誉にかけて、これ以上おまえの好きにはさせない」
随分とご立派な言葉を吐いているが、男の視線は美緒の開きすぎている襟元に集中していた。
「なるほど、あいつの直属の部下だけあるわ。犬は飼い主に似るって本当ね」
「な……!」
図星をつかれ男は真っ赤になって激怒した。
「あんたじゃ役者不足ね。全然負ける気しないわ、もし負けたら寝てやってもいいわよ」
「…………」
男は急に無言になった。その背後からはチームメイトたちが野次を飛ばしている。
「大塚、おまえずるいぞ!」
「俺と代われ!!」
ちなみに、全員、水島直属の部下だった。
「俺はそんな気は全くないが、おまえがそのつもりなら受けてやってもいいぞ」
「……目がいやらしいのよ」
「あの野郎、上手いことやりやがってー!!」
観客席ではなぜか夏生が理不尽な怒りに燃えていた。
「負かしてやる!」
鼻息も荒く大塚は美緒に襲い掛かる。もはや真っ当な試合ではなく美女と野獣の図であった。
美緒は先ほどと同じ様に一直線に向かってくる大塚を紙一重で避けた。
相手の突進力を利用して、テコの原理で攻撃力に変える。
男よりパワーでは劣る女にとって、それは当然ともいえる戦法だった。
大塚の後ろ襟首を掴んだ。このまま床に押し付け、袖口に忍ばせている鋭利な刃物で後ろ首を一突き。
それで終わりだ。大塚は即死するだろうが、この大会は殺人も合法。
美緒は何の躊躇もなく大塚の死で勝利をものにするつもりでいた。
だが、予定通り美緒が後ろ襟を掴んだ瞬間、裏拳が飛んで来た。
顔面にまともに拳が入りそうになり、慌てて美緒は襟を離し顔をガードした。
「もらったぁ!」
その一瞬の隙をついて大塚は素早く回転すると逆に美緒の襟を掴み強引に引き寄せた。
そして、美緒の首に自らの腕を巻きつけた。
「これで終わりだな。さあ、どう料理してやろうか?首の骨をへし折られたくなかったら大人しくするんだな」
大塚が優位に立った途端、観客が一斉に騒ぎ出した。
「てめえ、何羨ましいことしてやがるんだ!」
「寝技に持ち込む気だろ、このスケベ野郎!!」
「脱がせ、脱がせー!!」
「観客のリクエストに応えてやろうか?」
大塚はナイフを取り出し美緒の胸元に刃先を向けた。
「そうだ、そのまま一気に引き裂け!!」
観客のボルテージはさらに上昇した。
「……何よ、これ。いくら観客が男ばかりだからって」
「……酷い」
美恵と貴子は不快そうに眉を歪ませた。
「本当に世の中、腐った男が多いな。嘆かわしい」
言葉とは裏腹に期待をこめた眼差しで闘場を見詰める夏生は説得力ゼロであった。
「……あんたが一番馬鹿な男じゃない」
「貴子ちゃん、冗談きついよ」
「うっ……!」
大塚が苦悶の表情で美緒を突き飛ばした。その腕には畳針のようなものが貫通している。
「スケベ心起こして油断するから間抜けな目に合うのよ」
「き、貴様……!」
大塚の目は赤く燃え上がっていた。もはや下心は微塵もない、怒りが色欲を越えた。
強引に腕に刺さった針を引き抜くと、鮮血が一気に噴出した。
「殺してやる!!」
怒りのまま美緒に襲い掛かる、その姿は、まさに悪鬼そのものだった。
大塚は懐からピアノ線を取り出し美緒の首に巻きつけた。一気に引けば美緒の胴と首が離れる。
「これで終わりだ!」
「終わりはあんたよ」
美緒は点火させたライターを投げつけた。大塚の負傷した腕が一気に燃え上がる。
「うわぁ!!」
「腕の痛みに気をとられて発火剤を仕込まれたことに気づかないなんて水島も大した教育したものね」
美緒は先ほどのお返しとばかりに大塚からピアノ線を奪うと、その首に巻きつけた。
「ま、まさか……!」
大塚は顔色を失い慌ててピアノ線を外そうともがいた。
そんな必死の大塚をあざ笑うかのように美緒は糸の端を持って左右に一気に引いた。
「や、やめろー!!」
自らの首が落ちると恐怖した大塚は狂気に取り付かれたように美緒の腕を掴んだ。
「離しなさいよ!」
「だ、誰が離すか!」
腕を離したら最後、美緒は渾身の力を込めて糸を精一杯引くだろう。
そうなれば、もはや明日の朝日は拝めなくなる。
「引かせるものか!……ぅ!」
大塚の動きがピタッと止まった。全身の力が入らない。
ゆっくりと目線を下げると、腹にナイフが突き刺さっているのが見えた。
「……き、貴様」
白い服が腹部を中心に、見る間に赤く染まっていった。
「……残念だったわね。命惜しさに冷静さを失うから悪いのよ、隙だらけだったわ」
大塚はガクッと床に両膝をついた。ぼたぼたと血が足元を染め出した。
「棄権するか!?」
審判が駆け寄って大塚に尋ねた。
「……き、棄権?」
「そうだ。敗北を認めるなら、すぐに医者を呼ぼう」
大塚は、ゆっくりを顔を上げた。その視線の先には特別席の水島がいた。
(大尉の前で……棄権だと?)
『十分理解してると思うけど、おまえ達の恥はそのまま俺に直結するよ』
『はい、大尉!』
『もしも、ふざけた負け方したら、わかってるよねえ?俺は男の部下には容赦しない』
大塚はギクっとなった。水島が立ち上がるのが見えたのだ。
たった、それだけの動作だが、大塚にとっては十分すぎるほどの脅しだった。
『わかってるよねえ?』
「……ど、道具」
大塚は仲間に向かって腕を伸ばした。
「道具をよこせー!!」
規定ギリギリの刀身の剣が放り投げられた。大塚は、それを受け取ると美緒を強引に捕まえた。
「離しなさいよ!!」
だが大塚は密着したまま決して離さない。しかし防御など何もない無防備な攻撃でもあった。
「……この!」
美緒は大塚の腹部に刺さっているナイフの柄をさらに押し込んだ。
さらなる激痛が大塚を襲っているはずなのに、それでも大塚は美緒を解放しない。
痛みすら越える水島への恐怖が大塚を命知らずの狂戦士に変えていたのだ。
「ただでは死にません。大尉、これでお許しを!!」
大塚は剣を振り上げた。自分ごと美緒を剣で貫くつもりだ。
水島はニヤッと笑みを浮かべた。
「それでいいんだよ」
「冗談じゃないわ!」
今度は美緒が顔面蒼白になった。必死に大塚の腹部に攻撃を加える。
流血の量が倍増するが、それでも大塚は美緒を離さない。剣が振り下ろされた。
ガチッ……鈍い音。美緒のベルトのバックルが破壊され、その破片が四方に飛んだ。
(……外した!)
大塚の精神はそこで終わった。渾身の力を込めた最後の反撃が、ブランドのベルトなどに阻まれたのだ。
もはや意識はかすれ力など残ってない。
美緒の肘打ち一発で呆気なく突き離され、そのまま大の字になって仰向けの体勢になり動かなくなった。
審判が大塚の手首に触れ、頭を左右にふった。
もはやカウントの必要も無い。美緒の二連勝だった。
「戦いはどうなってるんだい?」
「科学省の女が勝った。相手の男は死亡したらしい」
「ふーん、やるじゃないか。次に彼らと当たるのは科学省の人間ってわけかい?」
「だろうね」
「今から潰しておく?」
「まだ手を出すな。目立つ行動は後々やりにくくなる」
「そう、わかったよ」
「どこに行く?」
「彼女に会って来る、顔くらい見ておきたいからね」
「……う」
鼻につく血の臭い。結衣は吐き気を覚えた。
美緒は痛みで顔を歪ませている。致命傷ではないにしろダメージがなかったわけではない。
死人まで出たというのに、相変わらず満夫は昼寝に没頭し、春日と日野はトランプにふけっていた。
「あたしは休ませてもらうわよ」
美緒は腹を押さえながら闘場から降りた。
「残り三人、今度はあんた達が倒すのね」
あんた達と言われ結衣は慌てて三人の男子達に振り向いた。
「……あ、あの次は」
相手チームはすでに闘場にあがっている。仲間が死んだせいか、かなり形相が怖い。
「あの、次の戦いだけど……」
「那智、ババを抜けよ!」
「嫌だ!」
完全に無視された。結衣は慌てて満夫を揺り動かした。
「緒方君、審判が呼んでるわよ」
「……ん~?」
満夫がようやく瞼を開いた。
「早くしないと失格になっちゃう」
「……だったら折笠が出てよ」
「そんな……!」
「大丈夫だって。危なくなったらタオル投げてあげる……か、ら……」
頼みの綱の満夫まで全く頼りにならないではないか。結衣は顔面蒼白になった。
美緒が結衣の背後に立ち、その腕を掴んで強引に立ち上がらせた。
「何をぐずぐずしてるのよ。あんたがやるのよ」
「だ、だって私は……」
「いいから行きなさいよ!」
美緒は結衣を闘場に向かって突き飛ばした。
「……う」
まともに床に激突して立ち上がろうとすると、冷たい目をした男が自分を見下ろしてた。
結衣は声も出ないほど恐怖に支配された。そんな結衣の気持ちを無視して審判は盛大に叫んだ。
「試合開始!」
デスクの上に何百枚という膨大な書類が散乱していた。
それらの書類に目を通しているのは早乙女瞬――本名天瀬――だった。
「わ、私が手に入れられる情報はこれが限界です。お、お願いします、妻と娘を返してください!」
科学省地方局の幹部・鳩山は必死に懇願した。
しかし、その途端に腕が伸びてきて首を強い圧迫感が襲う。
「俺の目的はまだ果たしてない」
瞬は地図を取り出した。科学省の施設が記載してある丸秘地図だ。
全ての資料と照合した結果浮かび上がった施設を赤ペンで丸く囲んだ。
「……この秘密研究所に侵入したい。おまえが手引きしろ」
「え、ここに……ですか?」
鳩山は訝しげに言った。秘密研究所とはいえ科学省の施設の中では小規模で地味な存在だったからだ。
「ただし俺が用があるのは地下だ」
「危険ですよ」
その施設はウイルス研究所。地階に下がっていく度に危険レベルが強くなってゆく。
もちろんウイルスは厳重に管理されてはいる。
そもそも、科学省のお尋ね者である瞬がそこに一体何の用があるというのだろうか?
研究対象のウイルスはあくまで病原菌であり、生物兵器用のウイルスではないというのに。
「い、一体何を考えているんですか?」
「余計な詮索をするな。おまえも俺にとっては仇の一人だという事を忘れるな」
その言葉に鳩山は全身凍りついた。
瞬は、かつて科学省に失敗物の烙印を押され廃棄処分されかかった。
その時の関係者の一人が鳩山だったのだ。
瞬にとっては人質として拉致した妻子ともども始末してもかまわない相手。
それをしないのは、良恵がいるからに他ならない。彼女は生臭いことには全力で反対するだろうから。
(今、政府の目は総統杯に釘付けになっている。やるなら今だ)
「大丈夫か?」
夏生は心配そうに美恵と貴子にペットボトルを渡した。
ずっと最前列の観客席にいた三人だったが今は屋内の廊下に備え付けられた長椅子に座っている。
(やっぱり女の子にアレはきつかったな)
最前列だからこそ、二人は血まみれになって死んだ大塚をまともに見てしまった。
(俺の配慮が足りなかった。あんな試合みせるんじゃなかったぜ。
それもこれも、あの来須ってねえちゃんの胸がでかいから悪いんだ)
美緒を激写することに夢中になっていた夏生は、二人に気遣いしてやる余裕がなかったのだ。
「もう帰るか?」
夏生は帰宅を提案した。これ以上血生臭い殺し合いを見せたくなかった。
「あたしは残るわ。弘樹の命運がかかっているんだもの。美恵だけ連れて……」
「いいえ」
美恵は力強く拒否した。
「……私も残るわ。ごめんなさい夏生さん迷惑かけて」
「本当にいいのかよ?」
二人は黙って頷いた。
「そうか。でも俺の判断でやばいと思ったら、もう観戦は中止な」
夏生は、「冬兄に来賓用の控え室を貸してもらってくるから。待っててくれ」と二人を残して立ち去った。
桐山達の試合以外は、もう見せない方がいいと判断したのだ。
冬也は特別な客として豪華な控え室を提供されているので、二人には、そこにいてもらおうと考えたのだ。
「美恵、本当に大丈夫なの?」
貴子は心配そうに美恵の顔を覗き込んだ。気の強い貴子でさえ、ぞっとするようなシーンだったのだ。
まして優しい気性の美恵には刺激が強すぎる。
「ごめんなさい貴子……でも、今、私達がおかれている状況は一歩間違えたら、あの人と同じだもの」
貴子は言葉を詰まらせた。
夏生の庇護の元、穏やかな暮らしをしてはいるが、いつ政府の追っ手につかまるとも限らない立場。
そうなれば、どんな目に合わされるかわからない。
「……そうね。覚悟しないといけないわね。これからも、あんなシーンを何度も見るかもしれないもの」
「よお、綺麗な姉ちゃん」
重苦しい雰囲気とは不似合いな軽薄そうな声がした。振り向くと、これまた軽薄な顔がそこにあった。
「……どこかで見た顔だと思ったら三村にぶっ飛ばされた奴じゃない」
「確か千寿昴……君だったわよね?」
「俺のこと知ってるの~?嬉しいなあ」
千寿は星条旗模様のジャケットに短パンという出で立ちだった。
敗退を喫し帰り支度を済ませて廊下を歩いていたら、綺麗な女の子がいたので声をかけてきたというわけだ。
「俺とお茶しようぜ。フレンドリーにいこうじゃないか」
「ナンパなら他をあたりなさいよ。あたし達にその気はないわ」
「NO~。つれないこと言うなよ、ここで出会ったのは運命じゃないか」
「私達は、あなたと戦ったチームの仲間なのよ」
美恵の言葉に、千寿は大袈裟に驚いてみせた。
「そうかあ~。そりゃ、ちょっとやばいな。敵同士ってことじゃないか」
「そういうこと。わかったら、さっさと消えなさいよ」
「昨日の敵は今日の友。まずは俺達から歩み寄ろうぜ~」
美恵と貴子は呆気に取られた。どうやら言葉では、この男のナンパを止めることは出来ないらしい。
その上、馴れ馴れしく美恵の方に腕を回した。その態度に貴子が切れた。
「いい加減にしてよ!あんたみたいな軽い男およびじゃないの、消えなさいよ。失礼だわ!」
「俺の地元じゃ美人に声かけない方がずっと失礼だぜ」
「そのくらいにしたらどう?見苦しい。やめないと殺すよ」
少年が立っていた。帽子とサングラスで顔はわからない。
「なんだいボーイ?邪魔しないでくれ、俺は異性との親善を……」
「もう一度言うから、その腐った耳でしっかり聞け。やめないと殺すよ」
それは決して脅しではない。少年には外見とは不釣合いな迫力があった。
美恵と貴子は只者ではないと気づき固唾を飲んだが、千寿は全く気づいてない。
「ボーイ、何度も言わせないでくれ。俺は――」
千寿は少年の頭に腕を伸ばした。その途端、少年の手伸びてきて千寿の腕と激突した。
「触るな」
冷たく言い放つ少年。対する千寿は悲鳴を上げて腕を押さえ、その場に崩れた。
「う、腕の……!腕の骨が……!!」
「今度は窓から捨てるよ」
少年の目は冷たい眼光を放っている。千寿はようやく少年の恐ろしさに気づき走り出した。
「へ、へいボーイ!今日のところは大目に見てやるぜ」
腕を押さえ半ば嗚咽しながら走り去る姿はお世辞にもかっこいいとは言い難いものだった。
「あ、あの、ありが……」
美恵がお礼を言おうとすると少年はキョロキョロと辺りを見渡し、水道を発見すると近付き一気に蛇口を捻った。
そして、千寿に触れた手を洗い出した。
「助けてくれてありがとう」
美恵がそばに立ち感謝の言葉を口にしても、少年はまだ手を洗っている。
「あの……」
「いいよ、あなたの口から礼をきくためにしたことじゃない」
それが返事だった。随分とクールな台詞だ。
やっと少年が蛇口を閉めると、美恵は横からハンカチを差し出した。少年はチラッと横目でそれを見る。
どうも受け取る気配は無い。先ほどの行動といい随分と潔癖な性格のようだ。
「汚くないですから、どうぞ」
美恵のハンカチは清潔で、おまけに微かに花の匂いまで施してある。
それでも、潔癖症の人間から見ると他人のハンカチは汚いのだろうか?
親切も相手が喜ばなければお節介でしかない。
美恵は余計な事をしてしまったのかと申し訳ない気持ちになりハンカチを引っ込めようとした。
その途端、まるで強奪されるように少年がハンカチを取った。
良かった、どうやら気持ちを受け取ってもらえたようだ。
にっこりと笑みを浮かべる美恵、貴子もそばに来て「助かったわ、ありがとう」と言葉をかけた。
「何度もいうけど、あなた達に礼を言わせるつもりはないよ」
「……助けてもらってなんだけど、あんたって可愛げないってよく言われない?」
「昨日も無愛想で感情を表せない人間だと悪態つかれたばかりだ」
「ふーん、やっぱり言われるんだ。でも、そこまで言う人間も性格いいとはいえないわね」
「あなたに似てるよ」
途端に貴子はムスッとした。
「すごく似てる。本当にあなたにそっくりだ」
「美恵ちゃん、貴子ちゃん!」
夏生が手を振りながら廊下の先から走ってくる。すると少年は即座に背を向け走り去った。
「……何よ、あれ。まるで逃げるみたいに」
「変わった人よね。悪いひとじゃないと思うけど……」
「直弥」
呼びかけられて少年は立ち止まった。
「気配を消して近付かないでくれる?虫唾が走るんだよ、今度やったら殺すよ」
「彼女に会ってきたのかい。感想は?」
「北斗、君にそんなこと報告する義務は無いよ」
「つれないね」
結衣を見下ろす男の目はまるで鮫のように感情の色がなかった。
そして怯える結衣に向かって何の躊躇もなく腕を伸ばし、その頭を鷲掴みにし持ち上げた。
少女に対する容赦ない仕打ちに、残酷なことには慣れているはずの観客も表情を歪ませる。
「俺は国防省一の美男子・水島様の直属の部下、田沼だ」
結衣のボディに拳が喰い込んだ。胃液が逆流しそうな衝撃が彼女の全身を走る。
二発、三発とそれは続く。もはや試合というより一方的な暴行だ。
小島、大塚と二連敗を喫し、後が無いことが田沼を必要以上に冷酷にさせていたのだ。
誰が見ても力の差は歴然。それでも満夫はまだ起きず、春日も日野もトランプに夢中。
四度目の凄まじいパンチに殴り飛ばされ、結衣はそのまま地面に落下した。
(……殺される)
田沼は本気だ。相手が年端もゆかない少女だろうが勝利の為ならば命すらとる。
結衣がふらつきながら上半身を起こすと、地面に赤い点がいくつもついた。
(……殺される、このままだと私は)
――殺される!
結衣の中で何かが壊れた。
「止めをさしてやる!」
田沼はナイフを取り出すと猛進してきた。結衣はゆっくりと立ち上がると自らも田沼目掛けて走り出した。
「死ね!!」
ナイフが高々と振り上げられ、結衣の胸元目掛け急降下。
観客は結衣の心臓に凶刃がつき立てられる光景を想像して悲鳴を発した。
「……な、何だとっ?!」
だがナイフは結衣の心臓に到達することはなかった。
彼女の体に触れることなく、田沼の手から叩き落され回転しながら床を滑っていた。
予想外の反撃に田沼はたじろぎ、慌てて体勢を立て直そうと体をそらした。
しかし間髪いれずに結衣が盛大な飛び蹴り。その威力は、男の田沼を何メートルも飛ばすほど強烈だった。
「勝ったな」
特別席に着座していた薬師丸は淡々と呟いた。
反して部下の勝利を確信していた水島は動揺を隠せず、思わず立ち上がっていた。
田沼はすぐに立ち上がろうとしたが、その目には跳躍する結衣の姿が映った。
直後、田沼の腹部に落下速度が加わった強烈な膝蹴りが喰い込んだ。
今度は田沼が激しい腹痛に顔を歪ませた。
それでも結衣の猛攻は止まらない。田沼の顔面目掛けて拳が強烈に連発された。
田沼の顔面は瞬く間に赤く染まり、鈍い音は闘場の上で途絶える事はない。
「ス、ストップ!やめたまえ!!」
審判が慌てて制止をかけたが、それでも結衣は止まらない。
「満夫、審判が困ってるぞ」
「……ん~?」
ここにきて、ようやく満夫が目を覚まし大きく欠伸をしながら起き上がった。
「……まだ終わってないの?あいつ、命の残量そろそろやばいよね」
満夫は、しょうがないなあ、と呟きながら、傍にあったペットボトルを手にすると蓋を取って放り投げた。
バシャっと音がして、結衣の上半身がずぶ濡れになった。
同時にやっと冷静さを取り戻したのか、攻撃の手を止める。
血まみれの田沼を見て、慌てて離れガクガクと震え出した。田沼は虫の息だった。
審判がカウントをとる必要も無い。もはや勝敗は決したのだ。
「――そうだ、それでいい。本気さえ出せば、今のおまえに勝てる女は科学省にいない」
薬師丸は静かに言った。
そして、その言葉の通り結衣は残りの二人も倒し結果的に科学省チームのストレート勝ちで終わったのだ。
「……強い」
良樹は呆然と控え室備え付けモニターを見詰めた。
「勝ち抜き戦をたった二人で終わらせるなんて……」
しかも女二人でだ。後に控えていた三人の少年は彼女達より上だと思った方がいいだろう。
「……俺達が戦った相手とはレベルが違いすぎる。どうすればいいんだ?」
とてもじゃないが、あんな連中相手に三勝は無理だ。良樹は、見えない勝利に頭を抱えた。
杉村は怪我人、女の光子に参戦などさせられない。桐山がどれだけ強くても一人では限界がある。
「勝つ方法ならある」
だが苦悩する良樹に、桐山はあっさり勝利宣言をした。
「何を言うんだ桐山。見たろ、あいつらの強さを。今度は素人じゃなくてプロなんだぞ」
「俺は負けない」
「だから、おまえ一人がいくら強くても……」
「あいつらは勝ち抜き戦だった。俺達も、その形式でやればいい」
良樹は言葉を失った。桐山の考えがわかったのだ。
「……き、桐山、おまえ……まさか」
良樹だけではない。川田と三村も桐山の意図に気づき表情を強張らせた。
「勝ち抜き戦なら勝機はある」
「俺があいつら全員倒せばいい。そうだろう?」
【B組:残り45人】
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