「貴子、貴子!」
「止めないでよ美恵!あたしの胸さわった上に弘樹が怪我までしたのよ!!
それもこれも、こいつの采配が甘かったせいよ!ちょっと、何避けてるの。調子に乗るんじゃないわよ!」
「七原君が負けたのよ!」
貴子は夏生への攻撃の手を止めた。
すっかり気落ちした七原が、すごすごと壇上から降りていく。
「貴子、雨宮君が負けたら自動的に一回戦敗退よ。夏生さん殴っているどころじゃないわ」
「た、確かにそうね……全く、どうなってるのよ、弘樹といい七原といい!!
ちょっと宗方!あんた、ちゃんと特訓してやってたの?!」
貴子は夏生の両頬をつまむと左右に強引に引っ張った。
「いててて!俺はちゃんとやったんだぜ!!」
「だったら、あの様は何なのよ!!あっと言う間に二連敗じゃない!!」
「そ、それは!あ、あいつら自身に素質がなかっただけで……!」
「何ですって!あんた自分の性癖は棚に上げて、よくも弘樹をデクの棒呼ばわりしてくれたわね!!」
「そ、そこまで言ってないぞー!!」
もはや誰もヒートアップする貴子を止められない――と、思われた。
「やれやれ、どんな調子か思って様子見にきてやったのに散々だなあ」
突然の第三者の声に美恵と貴子が同時に振り向くと、いつの間にいたのか秋利がニヤニヤしながら立っていた。
「まあまあ貴子ちゃん、あんまり怒ると、その可愛い顔にシワが固定してしまうよ」
「何ですって!?」
「夏生を半殺しにするのは次の試合を見てからでも遅くないだろ?」
鎮魂歌―72―
「じゃあ3人目壇上にあがりなさい」
審判に促されて良樹は、颯爽と壇上に飛び上がった。相手は斯波樹、夏生曰く腕力だけはあるという男。
なるほど確かに図体は大柄で筋肉質。見た目は頑丈そうだ。
ぼさぼさ髪や無造作に生やしまくったもみ上げのせいか熊にも見える。
「雨宮君、わかってるわよね。あなたが負けたら、そこで終わりよ」
光子が「頑張ってね」と笑顔で手を振っている。
斯波は「おお、可愛いねーちゃんだな」とイヤらしい笑みを浮かべていたが、良樹には小悪魔のそれに見えた。
「雨宮、頑張れ!」
「おまえなら大丈夫だぞ!!」
杉村と七原が必死に応援する横で光子は「あーら、あなた達がそれ言うわけ?」と冷笑さえ浮かべている。
その冷笑さえ相手チームの思春期の男子から見たらエンジェルスマイルに見えるらしい。
「両者前へ」
近付くと良樹と斯波の体格の違いがさらに歴然とした。まるで大人と子供だ。
体格だけで勝負が決まるなら、審判が試合開始を告げる前に勝敗は決しているだろう。
「……あいつ杉村より背が高くないか?」
プログラム優勝者ということは自分達と同じ中学三年生のはず。
しかし、どう見てもそうは見えない。高校生どころか大学生顔負けだ。
「身長はわからないが体重は俺よりずっとある。雨宮は中背だ、体格差がありすぎる」
元々無差別級の試合だったとはいえ、さすがにこれはきついと二人は心配になってきた。
「おいおい俺の相手はこの小僧か。やりにくいなあ」
斯波はボサボサ髪をかきだした。完全に良樹を舐めているようだ。
「雨宮君、大丈夫かしら……やっぱり桐山君に代わってもらった方がいいんじゃないかしら?」
「美恵ちゃん、それは無理だよ。ルール上、壇上に上がったら交替は無理なんだ。
それに、体格だけで、あいつを過大評価しすぎだ。七原達も観客も。秋兄、あんたなら何秒で片付ける?」
「さあなあ、それより夏生ちょーっと話あるけどいいか?」
秋利は夏生を人気のない廊下に連れ出した。
「冬樹が脱走したぞ」
「……はぁ?」
冬樹は冬也を怒らせた罪により季秋家の最下層の地下独房に閉じ込められていた。
「全力で捜索しているけど一向につかまらんよ。で、つかまらんならあいつの行き先を推理することにした。
あいつの性格からして一ヶ月間監禁された後、最初にとる行動はなんだと思う?」
「女漁り」
秋利は溜息をついたが、夏生の意見はあながち間違ってもないとも思った。
人一倍女好きの冬樹が一ヶ月もの間、禁欲生活を強いられていたのだ。
「それもあるだろうなあ。けど冬樹の気性考えると、もう一つ絶対にすることあるだろ?」
「冬兄に対する復讐かよ……はぁ、まいった。同母とはいえ、あいつとは正直かかわりたくないぜ」
「そういうわけだから、おまえも周囲に気を配れよ。いつ冬樹が現れるかわかったもんじゃないからな。
ああ、それから国防省に侵入させているスパイから新情報がきた。
国防省の独房に繋がれていた鳴海雅信が脱走したらしい」
「……あのキチガイが」
「どういうわけか、あのプッツンちゃん水島克巳の命を狙っているらしい。
そのうち、ここに来るんじゃないのか?危険だから、ちゃんと女の子達を守ってやれよ」
「では試合開始!」
斯波は拳を振り上げて向かってきた。良樹は紙一重で避けた。
パワーは見た目以上にあるようで、風圧だけでも威力がある。
(……こいつ!)
良樹は床に右手をつくと、そのままクルッと回転して斯波の間合いから距離を取った。
「ちょろちょろ逃げ回る作戦か?いつまでももたねえぞ!」
斯波は猛然と襲い掛かってきた。大振りの拳は、岩の塊のようにさえ見えた。
だが良樹は自分でも驚くほど精神は落ち着いていた。
(こいつ……のろい!)
斯波がパワーに頼った攻撃で動きに無駄があることを除いても良樹の目には止まって見えた。
だから最低限の動き避ける事ができた、どんな強力な攻撃も受けなければダメージは負わない。
「がははははっ。悪いな、俺の勝ちだ!」
斯波は完全に優勢にたっていると勘違いして無防備に突っ込んできた。
(ボディががら空きだ!)
『攻撃は急所に的確に叩き込め。一撃で勝負を決められる』
特訓中何度も耳にした夏生の言葉が聞えてきた。
同時に良樹は背を低くして斯波の懐にタックルするかのような勢いで飛び込んだ。
どん!と鈍い音がして斯波の形相が一変し、見る間に蒼白くなってゆく。
良樹の肘打ちが見事に斯波の腹部にのめり込んでいたのだ。
そのまま床に崩れ落ち、審判がカウントを取り始めても腹を押さえ苦しむばかりで立ち上がる気配はない。
やがて審判は良樹を指差し、「勝者!」と叫んだ。
「……勝った」
良樹は自分でも信じられなかった。後ろを振り向くと七原や杉村達も同様にぽかんとしている。
それは観客席で観戦していた美恵と貴子も同じだった。
「すごい……雨宮君、こんなに強いひとだったんだ」
隣席では夏生が自慢げにほくそ笑んでいた。
「す、すごいぞ雨宮!やったな、あんな強そうな男相手に!」
大喜びの七原。その顔を見ていると良樹はようやく勝利の実感が込みだしてきた。
「俺もびっくりだ。あいつパワーはあるけど動きが大きくて隙だらけだったろ。スピードも大してなかったし」
七原と杉村はお互いの顔を見合わせた。
「そう言われてみればそうだよな……何でだろう?」
七原の疑問に、杉村があっと声を上げた。
「……宗方さんの動きと比較したからじゃないのか?
あの人と比べたらスピードもパワーも動きも全然大したことない」
その一言で謎が解けた。この一ヶ月間というもの、ひたすら夏生のしごきに耐えるだけの日々だった。
模擬試合も何度もやったが、いつも夏生にあっさり打ちのめされ続けてきた。
強くなるどころか、自信を無くすだけの日々が続いていたと思っていた。
だが現実には自分達はいつの間にか強くなっていたのだ。夏生に比べたら斯波は子供も同然。
つまり、後は精神的な問題だけだったということだったのだ。
「やれやれ、やっと本領発揮かよ。心配させてくれるぜ」
夏生は頬杖をついて、ようやくほっと一息ついた。
「ねえ貴子ちゃん、ご褒美に胸を少々……」
「……触ったら目を潰すわよ」
「……はい」
「クビが繋がったな。おまえらは実力あるのに、それに伴う経験がないから自信をもてなかったんだろう?
だが、これでわかったと思うがおまえ達は強い。これは事実なんだ」
川田は静かに、だか力強く語った。
「いいか、もう一度言うぞ。おまえ達は強い、だから自信を持て」
川田の言葉は決して多くない。だが一言一言に重みを感じる真実味があった。
「もう迷うな、いいな?」
良樹達は素直に頷いた。
「よし。三村、次はおまえだ。二勝目をあげてこい」
「ああ!」
(ようやく、まともな戦いになってきたじぇねえか)
貴賓席から、つまらなそうに試合を眺めていた冬也は、椅子に座りなおした。
(あのまま、あっさり敗退しやがったら指導力の欠片もない夏生をしばいてやるところだったぜ)
特別席が少々騒がしくなった。真っ青な顔をしたスーツの男がやってきて水島にこっそり耳打ちしたのだ。
「何だって鳴海君が!」
「大尉、これは内密に!」
水島は慌てて口をつぐみ、今度は小声で話し出した。
(あいつら何を話してやがる。水島のスケコマシ野郎、随分と苦虫潰したような面になってるじゃねえか。
鳴海……って言ってやがったな。プッツンキチガイの鳴海雅信のことか。
何があったかしらねえが、水島の慌てふためく面ってのは下手なコントより笑えるぜ)
「それで、あの子の行方は?」
「全力で捜索してますが影も形も……あ、いえ一度だけ発見されましたが、その……。
中尉を止めようとした捜査員を殺して再び姿をくらましたんです」
「……だろうねえ。あの子は大人しくつかまるような可愛い子じゃないよ。
あんな凶暴な子を野放しにしたままじゃ国防省は面子丸つぶれだよ。
どんな手段を使ってでも生け捕りにするんだよ。いいね?」
「はい。くれぐれも大尉もお気をつけて。鳴海中尉の目的は――」
「俺の命だっていいたいのかい?
俺が死んだら後追いする女性が後を絶たないから、彼女達のためにも俺はしなないよ」
「……はあ。とにかくお気をつけて。それから鹿島さんから伝言があります」
「真知子から?」
「はい――『克巳、気をつけて。愛してるわ、今夜、来てちょうだい』だ、そうです」
「そうか……だったら伝えてくれ。『俺の心はいつも君と共にある』と」
「……はあ、わかりました」
(……何が『俺の心は……』だ。つまり、今夜は先約があるから行かないってことかよ。
回りくどい言い方しやがって。相変わらず、嫌な野郎だぜ。
鳴海は確か水島に危害を加えようとして懲罰処分を受けていたな。
懲罰といえば、うちの愚弟も、地下に閉じ込めて、そろそろ一ヶ月になる。
あいつのことだから反省も後悔もしてねえだろうが……どうしてやがるかな?)
千寿のパンチがうねりながら三村を襲う。三村は、それらを全て紙一重で避けていた。
「ちっ、なかなかやるじゃねえの」
「おまえも結構いいパンチもってるぜ。でも、相手が悪かったな」
三村はニッと、独特の自信に満ちた笑みを浮かべて見せた。
(雨宮が勝った理由がよくわかるぜ。こいつら宗方さんよりずっと遅いし非力だ。
あのひとのスピードやパワーに比べたら、ガキと戦ってるようなもんだぜ!)
三村は身構えると、床を蹴って猛ダッシュした。
「今度はこっちから行くぜ!」
三村の盛大な飛び蹴り。千寿は慌てて体を沈めた。
この一撃で決める予定だった三村は僅かに驚いた。
「三村!自信を持てとは言ったが、誰が調子に乗れと言った!」
途端に川田の激が飛ぶ。千寿が下から手を伸ばし三村の襟を掴んだ。
「捕らえたぜ!このまま地の果てまでいっちまいな!!」
千寿は盛大に三村を投げた。三村は頭から地面に落下してゆく。
「おっと!」
しかし、さすがは城岩中学の天才サードマン。咄嗟に回転して無事に着地。
「ふう、危なかったぜ。まいったな、川田の言うとおり、ちょっと調子に乗りすぎてたぜ」
三村は客席の美恵を見詰めた。
(守る存在があるのは杉村だけじゃないんだ)
三村は、じっと千寿を睨みつけた。威嚇ではない、隙を見つけるための観察だ。
(相手を決して見くびるな。自分より格下でも油断せず全力で潰せ。
今後は、そういう戦い方をしなけりゃいけないんだ。そうだろ叔父さん?)
三村にあらゆるものを与えてくれた叔父。ハッキング技術、サバイバル技術、そして戦闘テクニック。
だが、その中で最も大切なものは人生の教訓だった。
(叔父さん、あんた言っていたよな?
『おまえに、この国を変えろとは言わない。だが大切な人を守れるくらいの強さだけは身に付けろ』って。
それが今なんだ。俺は、まだあんたから見れば、頼りないガキかもしれない。
けど、あんたのピアスの彼女への愛情に負けないくらい、あいつを想っている!)
千寿がナイフを取り出した。以前の三村なら、多少なりとも刃物に脅威を感じていたかもしれない。
しかし、今は自分でも驚くくらい落ち着いていた。
「いいぜ、来いよ」
三村は人差し指をクイクイと自分の方に動かして挑発した。
「やるんなら、きっちりここを狙えよ。でないと俺が逆におまえの急所を攻撃するぜ」
三村は自らの心臓を指でさした。
「……随分と自分に自信があるんだな。カチンとくるボーイだぜ」
千寿は、もう一本ナイフを取り出した。
「殺しなんて野蛮なマネはしたくなかったんだが、おまえの挑発が悪いぜ。
俺は誘惑されると断れないタチなんだ。頼むから化けて出てくれるなよ」
千寿は一気に間合いをつめてきた。ナイフが三村の心臓と喉目掛けて伸びてくる。
「これを待ってたぜ!」
三村は体勢を沈めると、ナイフを真下から一気に蹴り上げた。
「……なっ!」
千寿は自分のボディががら空きな事に気づいた。慌ててバク転して三村から逃げようと試みた。
「悪かったな」
だが着地した時には、すでに三村が背後に立っていた。動きを読まれていたのだ。
「勝たせてもらうぜ!」
三村の回し蹴りが千寿の後ろ首にまともにはいった。
そのまま千寿は白目をむいて倒れた。テンカウントなど必要なかった。
「気絶している……勝者、三村!」
審判が勝利を宣言すると、三村は高々とガッツポーズを決めた。
バスケの試合では何度も繰り返された光景だ。舞台は変わってもサードマンの強さは変わらない。
これで二勝二敗、ついにリーチだ。
「それでは大将戦。最後の選手、前に出なさい」
桐山が無機質な表情で立ち上がった。川田はホッとして椅子に座り込んだ。
(……色々あったが、もう安心だ。この若様が負ける要素なんて一つもない。
むしろ相手――確か刀原勲とか言ったな。あのツッパリ坊主に同情するぜ)
相手の刀原は見るからに凶暴そうな男だった。触れただけで噛み付きそうな顔をしている。
それもそのはずだ。刀原は地元では有名な札付きの不良で、何度も警察の厄介になっている。
不良という立場は桐山も同じではあるが、実際の桐山は超エリートにして財閥の御曹司。
気まぐれで不良をしているだけに過ぎない。
一年以上同じクラスにいた七原達ですら、今でも桐山が不良のリーダーという事実に首をかしげているくらいだ。
まして初対面の人間は、桐山を不良などと思う者はいないだろう。
刀原もそうだ。不良どころか自分のようなはみだし者を蔑む階級の人間だろうとすら感じていた。
「……気に入らねえな」
桐山は立っているだけで気品がある。上流階級の人間だと一見してわかる。
人間の屑として周囲から侮蔑や恐怖の対象としかならなかった刀原には、それが面白くなかった。
自分達、はみだし者を最も忌み嫌い優越感の道具にすらするハイソサエティの人間。
(金と家柄があるってだけで威張り散らして、俺のような貧民の不良は人間とすら認めねえ連中だ!
こいつは、そういう奴らの仲間だ。血祭りにあげてやるぜ!!)
刀原は殺気をナイフにこめた。最初から殺す気満々、もはや試合などどうでもよかった。
生まれも育ちも最悪、周囲から白眼視された挙句プログラムに放り込まれた呪われた人生。
その私怨を何の関係もない金持ちのお坊ちゃんにぶつけたいだけなのだ。
逆恨みにすぎないが、刀原にとっては冷たい世間や運命に対するささやかな復讐でもあった。
「では試合開……」
「ぶっ殺してやる!!」
審判を無視して刀原は桐山を襲い掛かった。刀原は不良は不良でも、ただのチンピラではない。
地元ではヤクザも道を避けて歩くほど、筋金入りのワル。
当然ながら修羅場の経験も多く、喧嘩にもめっぽう強い。
それを証明するかのようなスピードだった。
だが、またしても運命は刀原に不運をプレゼントしていた。
相手が桐山和雄だったことだ。
「……え?」
審判が目を丸くしていた。審判だけではない、七原達も、相手チームも、そして観客も。
刀原が床に倒れている。ぴくりとも動かない。
刀原が桐山に飛び掛ったシーンまでは誰もが覚えている。
しかし、その次の瞬間、刀原は倒れていた。まるで編集で途中のシーンをカットされたかのような現象だった。
「お、おい……あいつ何で倒れているんだ?」
「何でって……そりゃ、あの男が返り討ちにしたんじゃないのか?」
「でも、あいつが攻撃したの、おまえ見たのか?」
「見てねえよ。気がついたら、あいつが倒れていたじゃないか」
会場がざわめきで包まれた。そんな中、桐山がりんとした口調で言った。
「俺は勝ちなのかな?こいつは、しばらく動かないぞ」
「……え?あ、それは」
審判は困惑していたが、起きる気配のない刀原を見て、やがて桐山を指差し大声で言った。
「しょ、勝者!」
桐山はくるりと向きを変えると、すぐに壇上から降り立った。
「……や、やったな桐山!」
一瞬戸惑ったが、すぐに良樹が熱っぽく叫んだ。何が起きたのかわからないが桐山が勝ったのは事実。
つまり三勝二敗で二回戦進出なのだ。
「そ、そうだ。俺達勝ったんだよな。でも、すごいな桐山、おまえ何をしたんだよ?」
七原には桐山の動きが見えなかったらしい。
いや、この会場にいる、ほとんどの者が何があったのか知らずにいる。
桐山は「一撃入れた。それだけだ」と淡々と言ってのけた。
その桐山の動きをはっきりと見切っていた人間も僅かだが存在していた。
「……見たか晶?」
「一瞬で背後に回り首に手刀……切れのいい動きだった。何者だ、あいつは?」
特撰兵士達はさすがというべきか、遠目でも桐山の動きは見えていた。
だが、それは桐山に対する警戒心を生み出してもいた。
(……ただの手刀じゃない。力を半減していた、余計な体力は使いたくないってことか?
それともチンピラ相手ならお遊びで事が済むと最初から舐めきっていたのか?)
薬師丸は見ていた。桐山の手刀に力はほとんど込められていなかったのを。
もしも勢いをつけて手を振り下ろしていたら刀原は首の骨を折って即死だっただろう。
(……満夫と二回戦であたるのは奴だ。優勝の雲行きが怪しくなってきた)
休憩を挟んで、科学省チームの試合がまわってくる。相手は国防省の連中だ。
水島が席を立つのを見て、薬師丸も立ち上がった。
あの男を野放しにしておくと、何をするかわからない。
真の敵はリングの上よりも場外にいるかもしれないということを薬師丸は知っていた。
「何よ、これ。出てこないじゃない」
女がヒステリックを起こして自動販売機を蹴っていた。
「冗談じゃないわよ。あたしから金をただ取りしようっての!」
女は美女には違いなかったが、可愛げのある人相の持ち主ではない。
しかし豊満な体を持ち、露出度の高い服が相乗効果となりヴィーナスの肉体をイメージさせた。
「よお、キレイなねえちゃん」
そこに、いかにもガラの悪そうな男が三人、彼女を囲むように近付いてきた。
予選落ちした選手達だった。一般人ではあるが、かなり名の知れたボクシングジムに所属している。
三人とも短く切り上げた髪の毛を派手に染めており、丸太のような腕には刺青。
一見して、たちの悪い男達だとわかる。
周囲に人間がいないこともあいまって、そのニヤついた顔つきは何が目的なのか雄弁に語っていた。
「あたしに何の用?」
「俺達と今から遊びにいかねえか?いい車持ってんだぜ」
リーダー格らしい男が嫌らしい顔を近づけてきた。
「あんた達みたいなチンピラの車ですって?ふん、BMWに乗ってない男になんか興味ないわ」
蔑んだ口調。しかも女の目は道端に転がっている犬の糞を見るかのようなものだった。
単細胞な男達は、それだけでカッとなったが、女は火に油を注ぐかのように男の顔に唾を吐いた。
「て、てめえ何しやがる!」
「汚い面近づけないで。息が臭いわ」
「こ、この女!優しくしてやってりゃつけあがりやがって!!」
男は丸太ような腕を女の首に伸ばした。
「絞め殺してやるぜ!……うっ」
しかし怒りの形相だった男の顔は、一瞬で苦悶の表情へと変化し、同時に恐ろしい悲鳴を上げた。
アイスピックのような鋭角な刃物が男の両手首に貫通している。
「ひ、ひぃ!いてえ、いてえよ!!」
男は泣き叫びながら床を転がった。
「こ、こいつ!」
仲間の悲惨な姿に他の二人は身構えた。だが、それも一秒も持たなかった。
二人とも次の瞬間脚を抱えてのたうちまわり出したのだ。どちらも脚から派手に出血しており銃痕が生生しい。
女はと言うと男達に生き地獄を味あわせておきながら、平然と冷めた目で見下ろしているだけだ。
そして、サイレンサー付き銃をミニスカートの下のホルスターにしまうと再び自動販売機を叩き出した。
「ふざけるんじゃないわよ、返しなさいよ、あたしのお金!」
「品切れの商品じゃボタンをいくら押してもでないよ。ほら」
お目当ての缶を差し出され振り向くと、水島が「久しぶりだねえ」とニッコリ笑って立っていた。
「ほら、これが欲しかったんだろう?君の好みが変わってなければいいけど」
「…………」
「そんなに警戒しなくてもいいよ。俺の驕りだ」
女は胡散臭そうな目で水島を見た。
「あんたが驕りですって?後で十倍にして返せっていうんじゃないでしょうね?」
「まさか、俺はそんなセコイ男じゃないよ。いらないのかい?」
「ふん」
女は水島から缶を取り上げると、ごくごくと飲みだした。
だが半分も飲まないうちに横から缶を取り上げられた。
「ちょっと何するのよ!」
「……試合前に何を飲んでいる美緒?」
相手の顔を見た途端、女は今までの凶悪さが嘘のように青ざめ硬直した。
「……涼」
「俺は自重しろと言っておいたはずだぞ。忘れたのか?」
薬師丸は缶を逆さまにした。残っていたビールがニュートンの法則に従っていく。
「克巳、毒入りビールなんてオチじゃないだろうな?」
水島は、「まさか」と笑った。
「俺は情をかけた女性に危害は加えないよ。ふふ」
実際、毒は入ってなかったが、試合前にアルコールをやろうという行為自体が薬師丸は面白くなかった。
「試合前だ、美緒に近付くのは大会が終わった後にしてくれ」
「へえ、だったら大会の後でなら俺達の関係は公認してくれるっていうのかい?
美緒、君の婚約者は浮気には寛大だねえ。俺なら恋人の裏切りは決して許さないよ」
「科学省チームは俺の部下達だ。長官からも優勝を狙えと厳命されている。
美緒、二度とくだらないことで問題を起こすな。俺にも我慢の限界があるぞ」
今なお泣き叫ぶ三人を見て薬師丸は冷淡に言い放った。
「……うるさいわね。わかったわよ」
「だったら来い。試合が始まる」
大人しく薬師丸についていく美緒の後姿を眺めながら水島は残念そうに右手を見詰めた。
握り締めていたのは錠剤。集中力を奪う為に用いる、ちょっとした興奮剤だった。
「油断させて飲ませてやろうと思ったのに。俺は随分と涼から信用されてないんだなあ、まいったね」
「では第四試合を開始します。先鋒前へ」
国防省チームの先鋒は女だった。女といっても柔道の国際大会重量級に出るような迫力のある体格だ。
「科学省チームの先鋒前へ」
「美緒さん、飲んでるの?審判、呼んでるよ。さっさと行かないと失格になるよ」
満夫の忠告に美緒は面白く無さそうに顔をそらした。
「……ふん、やってられないわよ」
美緒の右頬は僅かに赤くなっている。先ほど口にしたビールのせいではない。
『チンピラ相手にプロが本気になってどうする。二度と問題を起こすな』
そう言って平手をお見舞いしてくれた薬師丸は表情こそ淡々としていたが本気で怒っていた。
(……あたしが、あの屑たちを痛めつけたことや酒飲んだことは怒っても、水島との事はどうでもいいわけね)
美緒は今最高に立腹していた。だが、この怒りを薬師丸本人にぶつけられる可能性はゼロ。
美緒は壇上で仁王立ちして此方を睨んでいる女を蔑視した。
「……まるでメス豚ね」
相手の小島という女も気性の激しい性格だったので、一気に頭に血が上ったようだ。
「さっさとあがってきな!その男癖の悪そうな顔をぐちゃぐちゃにしてやるよ!」
「……やれるものなら、やってみなさいよ」
美緒が壇上にあがると男の観客達がいっせいに「おおっ!」と視線を釘付けにしてきた。
夏生など望遠カメラで、美緒の豊満な胸元を激写しまくっている。
「見れば見るほど醜い女ね。あんた本当は男なんじゃないの?」
「何ですって!」
試合前から、すでに低レベルな口論がヒートアップしていた。
「知ってるよ、おまえ、うちの水島大尉に遊ばれたんだろう?」
美緒の目つきが変化した。水島とのことは公にはなっていない。
知っている人間には限りがあった。
関係者か、諜報部の人間か、あるいは水島に個人的な想いを抱いている人間か。
この小島は関係者ではない、諜報部というガラでもない。消去法で理由がわかった。
「ふーん、あんた、あいつに惚れてるんだ。でも、あいつの女じゃないわね。一目でわかったわ」
小島の顔が恐ろしいほど歪んだ。
「あいつは美食家だもの。どんなに空腹でも不味い料理には手を出さない男よ。
特に、あんたみたいな脂ぎった女なんか、金出して相手してもらえないわよねえ」
壇上の二人の声は審判にしか聞えなかった。その審判はリアル昼メロに怯え出している。
「それでわかったわ。あたしを見る目が異常なわけが。
あいつに相手にされなかった恨みを、あたしで晴らそうっていうわけ?」
「な、何だって!?」
「あたしは戦場で屈強な男相手に実戦で自分を鍛えてきたわ。
その、あたしを腹いせの道具にしようなんて、小さい小さすぎるわね!」
「こ、この売女!その首へしおってやるー!!」
小島は怒りの形相で美緒に飛び掛ってきた。
Aリーグ一回戦、最後の試合が開始した。
【B組:残り45人】
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