「……良恵が科学省にいるだって?」
徹は自分の耳を疑った。
「……科学省か」
晶が呟くように言った。そして強い口調で言った。
「おい、隼人……そのDNA鑑定、本当に全部調べつくしたのか?」
晶が言わんとすることを隼人は悟った。

「……科学省、か」
「そうだ。科学省の裏DNAデータだ」

科学省は軍務省の権力が及ばない。
隼人の要請で行方不明とされている科学省兵士のデータは提出してきた。
だが科学省には表に出せない人間が大勢入る。
(季秋家に捕らえられていたナンバーゼロのような人間だ)
他省に存在がばれていない兵士のデータは隠しているだろう。


「そうだ!やつらには、ばれたら困る人間がいる、あいつらが実験動物にしていた連中のデータだ!」
攻介が興奮気味に叫んだ。
「落ち着けよ攻介。怒鳴ったって何にもならないぜ。科学省が丸秘資料出すわけがねえよ」


「だったら違法手段に訴えてやるまでさ」


徹は愛銃を手に歩き出した。
「お、おい徹、何をするつもりだ!?」
「感情に従って行動するまでさ」
徹は本気だ。普段、物静かな優等生を装っている分、切れると何をするかわからない迫力があった。
「……やめろ徹」
「黙ってなよ隼人、海軍の力は科学省には及ばない。だったら個人的に動くしかないんだ」
「俺が何とか別のルートから要請してみる」


「別のルートだって?」
「薬師丸さんに頼んでみる」




鎮魂歌―69―




「……はあ」
「貴子、はい紅茶」
窓辺で溜息をついていた貴子に美恵はティーカップを差し出した。
「ありがとう」
「杉村君のことが心配?」
「別に。大丈夫よ、きっと……あいつ普段は駄目だけど、いざとなったら性根座っているから」
「そうね。杉村君、芯は強いひとだもの」
「あんたこそ桐山のこと心配でしょう?」
「桐山君は私が心配するような弱いひとじゃないもの」
確かに桐山は強い。それだけは貴子も認めざるを得なかった。
その桐山がついているのだ。暗い未来に一筋の光が見えたような気がして貴子は微笑んだ。


「この紅茶美味しいわね」
「ハーブティーなの。春海さんが育てているんですって。
ガーデニングが趣味だからってハーブや花、それにサボテンも」
「ふーん。本当に宗方達の兄弟とは思えないわね」
夏生が手配してくれた新しい住居は、美恵達にとって快適な場所だった。
夏生の姉の春香は親切で温厚な性格だったし、春海はそれにも増して優しい人柄だった。
占いやガーデニングが趣味だなんて、女性以上に大人しい性格なのだ。
春香は「弟は死んだ母に似たのよ。世間知らずのお嬢様で夢ばかりみてる童話作家だったもの」と言っていた。
確かに大きな本棚があって、二人の母(春香と春海は同母)の遺作がずらりと並んでいる。
過激な性格の持ち主が多い季秋家の兄弟の中で春海だけが大人しい。
それは穏やかな環境によるところが大きいようだ。


しかし春香は、「母は料理研究家でもあったのに、弟はそっちのほうの才能はからきしね」とも言っていた。
唯一の欠点は料理が下手なこと。一度、春海が手料理をごちそうしてくれた。
見かけは一流コックのような素晴らしい出来だったのに味は殺人的だった。
「味音痴以外は完璧ね」
「そうね。優しいひとで良かった、でも私達だけ、こんなに贅沢な暮らしさせてもらって桐山君達に悪いわ」
「あーら、何いってるの?」
綺麗なドレスを身にまとった光子は微笑みながらクルッと回って見せた。
「あたしたちに出来ることは祈ることだけよ。ね?」
光子は、この生活に満足しているようだ。




トントン、ドアをノックする音。
「はい、どうぞ」
「ちょっと、いいかな?」
春海が便箋とペンを手に立っていた。
「夏生のことが心配だから、明日様子を見てこようと思っているんだ。
君達も友達のことが心配だろ?夏生との約束で連れて行ってはやれないから手紙でもと思って」
「春海さん、ありがとうございます」
笑顔で便箋を受け取る美恵を見て貴子と光子は心から春海に感心した。


(ここまで気遣いしてくれるなんて。本当に完璧ね)
(世間知らずみたいだから、夏生さんより簡単にたぶらかせるかもしれないけど。
……こんな純真無垢なのは、いくらあたしでも、その気になれないわね)


「総統杯は危険なトーナメントだよ。僕も間近に見たことあるからわかるんだ」
「間近で?」
「うん、僕も一応選手だったからね。もっとも、ただの人数合わせさ。
最低5人は必要だからって兄さんたちに強制されてね。
『俺達が三勝するから、おまえは棄権して不戦敗でいい。座っているだけだから』って。
でも見てるだけで怖かったよ。死人だって出たしね」
死人という言葉に美恵は敏感に反応して不安そうに硬直した。


「……あ、ごめん」
「いいんです……大会のことは知りたいと思っていたので」
「そう。僕が知ってることなら何でも教えてあげるから。
そうだ、お守り代わりに四葉のクローバーでも探さない?
庭の隅にクローバーが繁殖してるんだ。僕も捜してあげるよ」
春海は美恵の手を引いた。中庭は手入れが行き届き、その庭の片隅にクローバーがささやかに生えている。
春海は片膝をついて四つ葉を探し出した。
美恵さんは四葉がなぜ幸運か知ってる?」
頭を左右にふる美恵に微笑みながら語り出した。
「四葉には、それぞれ意味があるんだよ。
一枚は信頼出来る友人、一枚は報われる努力、一枚は勝利の栄光、最後の一枚は……あれ?」
春海は美恵がつったたまま四葉を捜さないことを不思議に思った。


「四葉のお守りは信じない方?女の子は、こういうの好きだと思ったんだけど」
「いいえ、ロマンティックだし素敵だと思います……でも」
美恵は春海の足元の三つ葉のクローバーに視線を移動させた。
「四葉を捜そうとすれば三つ葉を踏み潰してしまいますから」
春海はちょっとびっくりした。今まで、そんな事をいう女の子は見た事がなかったのだ。


「四葉を捜す為に三つ葉を踏みたくないんです。幸せはそんなふうに捜すものではないと思うので」


春海は立ち上がってズボンについた土を払った。
「ごめんなさい春海さん。せっかくのお気遣いを」
温厚な春海もさすがに気を悪くしただろうと美恵は思った。
しかし春海はニッコリ笑って、「そうだね。僕の気配りが足りなかったよ」と言ってくれた。
美恵さんは優しいひとなんだね」
「いえ、そんなんじゃ……」
「優しいひとだよ。すごく、すごくね」
春海は、またニッコリ笑って懐から四葉のクローバーを押し花にした栞を出した。


「僕のお古で良かったら、これ。ああ、そうだ、最後の一枚はね『素敵な恋人』って意味があるんだよ。
美恵さんにも、きっと素敵な恋人ができるよ。多分近いうちに。僕の勘はよく当たるんだ」














「満夫には時期特撰兵士筆頭となってもらう。総統杯は、その前披露だ」

宇佐美はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた。
総統杯は特撰兵士は出場不可。逆を返せば、特撰兵士以外の強者がこぞって出場する。
その為、特撰兵士確実とされる上級兵士の前披露の場所ともなっている。
かつて氷室隼人や周藤晶も、特撰兵士になる前に、この総統杯を舞台に華々しい雄姿を見せたことがある。
四期生最強の薬師丸涼も同じだった。
そして今度は緒方満夫に出場させて優勝させ科学省の株をまた上げようという魂胆なのだ。


「メンバーは5人でいい。最低人数で優勝する方が箔が付く」
薬師丸は、そのメンバーを選抜する相談の為に宇佐美に呼び出されていた。
「満夫の為にベストメンバーをそろえてやりたい」
「難しいな」
「難しい?科学省には優秀な兵士が揃っているだろう」
「科学省が力を入れているのはⅩシリーズやF5ばかりだったことを忘れたか?
奴らは強すぎる上に表沙汰にできない存在だったから出場なんかできなかった。
あいつら以外で優秀な奴が科学省には少なすぎる」
「な、なんだと!?おまえは生みの親である科学省を侮辱するつもりか?」
「侮辱ではなく真実を告げているだけだ。強いだけの兵士なら大勢いるが……」


「そういう連中は科学省のドーピングで一時的な強さを持っているだけだ。
総統杯では、薬物中毒の実験動物は出場禁止。それは長官も知っているだろう?」


「……ぐ」
薬師丸の言い分は最もだった。
「満夫クラスの男は俺が見たところ今の科学省には二人しかいない。
春日那智(かすが・なち)と日野定道(ひの・さだみち)だけだ」
「残り二名はどうする?」
「女の方がまだましだ」
宇佐美は渋い顔をした。
「……では菜穂やまどかで?」
「あの二人ではAクラスの兵士の相手にならない。満夫達で三勝すればいいが保険は必要だろ?」
「では誰を?」
薬師丸は、「美緒を帰国させてくれ」と重苦しい口調で言った。


「美緒?あいつはしばらく使い物にならないから海外で鍛えなおせといったのはおまえだろう?」
「経験値だけなら、あいつは緒方や諸星より、ずっと上だ。
すぐに呼び戻してくれ。俺が直接鍛えなおしてやる」
「そうか。だが最後の一人はどうする?」
「もう一人いるだろう」
宇佐美は薬師丸の言葉の意味が理解できず考え込んだ。

「あんたのお気に入りだ」

その言葉で、宇佐美はやっと薬師丸の意図を悟り焦り出した。
「ま、まさか!」
宇佐美は思わず立ち上がってデスクを叩いた。
「彼女も俺が鍛えてやる。すぐに民間から連れ戻してくれ」
薬師丸は、それだけ言うと立ち上がってドアに向かった。
「ま、まて涼!私は、まだ決定をくだしてはいないぞ!!」
薬師丸はドアを開けると吐き捨てるように言った。


「満夫を敗者にしたいのなら勝手にしてくれ」














「……はぁ……はぁ」
良樹は地面に倒れこみ起き上がれないでいた。
まるで滝のように流れる汗。息は途切れ途切れで、その表情は苦痛に歪んでいた。
しかも倒れいているのは良樹だけではない。
七原も三村も杉村も、そして川田でさえ倒れていた。
ただ一人桐山だけは平然とした表情で岩にちょこんと腰掛けている。
だが、その風貌は乱れており、腕を通さずにマントのように羽織っている学ランは所々泥にまみれている。
(ちなみに、その学ランは春樹が強引にプレゼントしたものだった)


「……三村?……七原、どこにいる?」
良樹は周囲を見渡したが、仲間の呻き声は聞えるものの目はかすみ姿は見えない。
「……み、水」
精も根も尽き果てた。もう体力はおろか気力もない。
「……み」
必死になって手を伸ばした時だった。突然、顔が水に叩きつけられた。


「誰が休んでいいといった。さあ立て!」


「……ぅ」
頭を数回左右に動かし、かかった水を拭いながら見上げるとバケツを持った夏生が鬼の形相で立っていた。
「……夏生さん、もう動けない」
「最初に俺は言ったぞ。死ぬ気でやれと」
「……でも、もう動けない」
「じゃあ死ねよ」
夏生は銃を取り出した。朦朧としていた良樹の意識がショックで覚醒した。
銃声が鳴り響くのと同時に良樹は必死に回転していた。
「何だ。まだ動けるじゃないか」
地面に空いた穴を見ながら良樹は顔面蒼白になりながらも夏生を怒鳴りつけた。


「何するんだ、あんた!俺を殺すつもりかよ!!」
「今のおまえらじゃ総統杯に出場したら死ぬぞ」
良樹はグッと唇を噛んだ。悔しいが夏生は正しい。
「さあ、さっさと水汲んで来い!」
夏生は良樹にバケツを投げつけた。
「夏生さん、勘弁してやってくれよ。雨宮は、もう一歩も歩けないんだ」
七原が庇うと、「じゃあ昼飯抜きにするぞ」と非情な言葉が返ってきた。
「そんな……!」
七原が良樹を庇って、さらに夏生に反論しようとすると良樹は七原に掌を突き出し「もういい」とジェスチャーで伝えた。
「……行って来る」
良樹はフラフラと倒れそうな足取りで川に向かって歩き出した。
川まで往復三キロ。疲れ切った体には大変な距離だった。




やっと辿り着いた時には太陽は完全に真上。お昼時間は過ぎている。
「……やばいな、また夏生さんにどやされる」
今まで夏生が見せてきた顔は、スケベでどうしようもないけど憎めないおにいさんだった。
だが、この山奥に来てからというもの、夏生は非情で厳格な教官に変化した。
今では冗談一つ言わない、怖い男になっていたのだ。

「……このままじゃ試合に出る前に、俺達殺されるかも、な」

水面に映る姿は酷くやつれており、数日前夏生から受けた鉄拳で出来た腫れは、まだひいていない。
正直、夏生を見くびっていた。夏生の強さは想像以上に凄まじい。
でも、どんなに辛くても今はやり遂げるしかない。

「……畜生、負けてたまるかよ」

良樹は水面に顔を近づけると、無我夢中になってバシャバシャと顔を洗った。
「はい」
タオルを差し出され良樹は、「ありがとう」と受け取り顔を拭いた。
そしてハッとした。こんな山奥に一体誰が?!
驚愕して振り向くと春海がニコニコ笑って立っていた。
その後ろでは春樹が苦虫潰したような顔で此方を睨んでいる。




「夏生に随分しごかれたようだね雨宮君」
「……あ、いや、これは」
春海のエンジェルスマイルの前に、良樹は自分の腫れた顔が急に恥ずかしくなって俯いた。
「あの子も手加減しない子だから……悪かったね」
「そんな、夏生さんは俺達のためにやってくれてるんです。感謝してます!」
「そう。そう言ってもらえると嬉しいよ、はいこれ」
春海は鞄の中から手紙を取り出し、良樹に差し出した。
「……これは」
美恵さん達からの手紙だよ。桐山君や三村君宛のものも預かってある」
「皆から?!」
それは何よりのプレゼントだった。良樹は久しぶりに笑みを浮かべた。


「頑張ってるみたいだから俺からもいいものをやるぜ」
今度は春樹はカードを一枚差し出してきた。愛らしい動物キャラクターが描かれている。
「……何これ?」
「何ってポケモンカードに決まってるだろ?ふふ」
「……で、これが何だっていうんだ?」
良樹の言葉に、春樹の怒りの導火線は一気に燃え尽きた。
「ふざけるな!」
春樹は物凄い勢いでポケモンカードを奪い取った。
「やっぱり、おまえら、どうしようもない馬鹿だな!」
そして、捨て台詞を残して去ってしまったのだ。
「行っちゃったよ。相変わらず短気な子だな」
春海はクスクスと笑っていた。彼にとっては春樹の癇癪すら微笑ましい光景のようだ。


「ごめんね良樹君、びっくりしただろ?」
「……いえ、弟さんとは出会った時から、あんな感じでしたから」
「あの子は漫画関係のことになると、つい熱くなってしまう癖があるんだ」
春海は近くにあった岩に座った。
「根は悪い子じゃないんだよ」
まさか兄の春海の前で、「とても、そうは思えません」などと言えない。
「は、はい……わかっています」
良樹は口元を僅かに引き攣らせながら、そう言った。
「そう、良かった」
春海はニッコリ微笑んだ。まるで春の陽だまりのような笑みだった。


「春樹は本当は優しい子なのに誤解されやすくて……兄として本当に心配してるんだよ」


春海は今までの笑顔とは違うシリアスな表情を見せた。
「あの子が同じくらいの年齢の友達を家に連れて来たことないんだ。
女の子にはもてるから、たまに彼女を連れてはくるけど、それも長続きしない。
漫画しか友達がいないなんて、本当に心配だよ」
春海は真剣に春樹の事を思っているようだ。

「……羨ましいな」

「え、何か言った?」
「あ、いや独り言で……その」
良樹は頭をかいて、苦笑いしながら春海に、あることを打ち明けた。
「俺にも兄弟いるんですよ。俺は7人兄弟の末っ子なんです」
「そうなんだ。うちほどじゃないけど大家族だね」
「春海さんと春樹君と同じように、俺は兄達とは腹違いなんです。俺は後妻の子だから」
「そうだったんだ。でも末っ子ならお兄さん達に可愛がってもらったのかな?」
良樹は頭を左右に振った。
「春海さん達とは違いますよ。家族なんて意識もったことないんです。
一緒に育ったわけじゃないし、兄弟っていうより遠い親戚みたいな感じでした。
覚えていることといったら、たまに会った時に、いがみ合った思い出しかなくて……。
悲しいって思ったことすらなかったです。それが普通で当たり前だと思ってましたから。
でもお兄さん達に愛されている春樹君見てたら、違ったんだな……って思ったんです」
春海は静かに良樹の話を聞いていた。


良樹君は苦労したんだね。だから、ひとに優しくできるんだ」
「そんな、優しいだなんて」
良樹は赤面した。天使みたいな風貌と精神を持つ人間に、優しいなどと褒められると必要以上に照れてしまう。
「僕なんかとは大違いだ」
「やめて下さい。春海さんが言うと社交辞令にもなりませんよ」
「本当だよ。良樹君は優しいよ。だからお願いがあるんだ。 「春樹と友達になってやってくれないかな?」
「え”?」
嫌とは言えない雰囲気に良樹は冷や汗を流した。














「涼!待ちなさい涼!!」
背後から聞える宇佐美の声。それは薬師丸が歩く速度を早めると瞬く間に小さくなった。
「薬師丸さん」
廊下を曲がると、そこには馴染みの顔があった。

「氷室……珍しいな、おまえが科学省に顔を出すなんて」
「話がある。付き合ってくれないか?」

隼人の顔は真剣そのものだった。
「何の用だ?」
背後に人の気配。薬師丸は振り向きはしなかったが、目つきを鋭くさせた。

「それはここでは話せませんよ薬師丸先輩。黙ってついて来てもらいましょうか?」

薬師丸の後ろに立っていたのは徹だった。随分と威圧的な目で薬師丸を睨んでいる。
「おい徹!薬師丸さんに対して、その態度はないだろ!」
「そうだぞ。おまえ目上の人間に対する礼儀なさすぎだぞ」
徹とは反対に俊彦と攻介は申し訳なさそうな表情すら浮かべている。
「いいだろう。おまえ達の納得のいくようにしてやる。
俺は、もうすぐ自由に動けなくなるから今しか話もできないからな」




科学省の人間に聞かれたらまずい話なので、5人は人気のない海辺にやって来た。
「それで話は何だ?」
「科学省関係の行方不明者のDNAデータを頂きたい」
「表沙汰にできない人間のデータか?」
「そうです」
薬師丸は即座に「不可能なことを言うな」と言った。


「では質問を変えます。良恵はどこにいるんです?それさえわかれば今の言葉は忘れてくれて結構」
「……どういうことだ?」


「宇佐美長官は良恵は科学省の地方施設にいると言った。しかし、その場所を明かさない。
良恵は爆発事件直後に姿を消した。一体どうなっているんです?」
「詳しいことは知らないが、国防省に派遣されていた科学省研究員に保護されたらしい。
精神的ショックが酷かったので、そのまま地方で静養させることになったと聞いている」
「では薬師丸さんは良恵の居場所を知らないんですか?」
「俺も聞いてない。ただ中国地方らしい」
薬師丸の返答に納得できない徹の表情が徐々に険しくなっていった。
生来短気で我侭な上に、今は良恵の事で苛立っているのだ。
このままでは薬師丸に突っかからないとも限らない雰囲気だった。


「……薬師丸先輩、自分で言うのもなんですが俺は我慢強い方ですよ。
でも、良恵の安否がかかわっている以上、いつまでも大人しくしてられませんよ」
徹と薬師丸の間に一触即発の空気が流れた。二人の視線の間に火花が散っている。
「何といわれようが科学省の丸秘データは渡せない。だが一つだけ教えてやろう。
俺が捕獲した季秋家の息子・季秋冬樹は桐山和雄とつるんでいた」
「桐山和雄!?」
「京極家のとりなしで季秋冬樹は釈放され、この件に関しても口をつぐまされた」
「……京極家が」
京極家は季秋家と並ぶ地方自治省の名門中の名門。
表立ったことをすれば季秋家のみならず京極家まで敵に回すことになる。

「誤解のないように言っておくが、この件に関して一番納得してないのは俺だ。
調べたら季秋本家には、息子の『友達』らしい複数の人間が滞在していたということだ」

隼人達の顔色が変わった。考えていたことはおそらく同じだろう。
「おまけに総統杯に無名のチームが登録されたらしいが、その金を出したのは季秋の息子だそうだ」
薬師丸は、「喋りすぎた」と自嘲気味に言った。

「俺が知っているのはそれだけだ。新しい仕事ができたから、もう行く」














バス停のベンチに一人の少女が座っていた。やや俯き溜息をついている。
「遅いなあ。もう時間は過ぎてるのに……」
腕時計の短針は予定時間を20分ほど過ぎている。そこに黒いスポーツカーが滑るに走りこんできた。
少女の前で急停止し、助手席のドアが開いた。
「……薬師丸……さん」
「久しぶりだな。乗れ」
「あの……長官が私に何の用なんですか?」
「直接聞けばいい」
薬師丸は戸惑っている少女を強引に乗車させると科学省本部に向かった。


(……薬師丸さんって相変わらず無口だな。悪いひとじゃないけど、やっぱり苦手)


科学省本部に到着した。少女にとっては二年ぶり。
しかし懐かしいなどという情緒溢れる想いはまるでない。
連れて来られた場所は長官執務室だった。少女は唇を噛み締めながら俯いた。
扉が自動的に開く。執務室の中央に位置するデスクの後ろに宇佐美はいた。

「久しぶりだな結衣」

少女は顔を背けた。結衣、それが少女の名前だ。
「久々の任務だ。おまえには満夫の補佐として総統杯に出場してもらう」
総統杯という単語に結衣はビクッと反応した。


「……そ、総統杯……嘘でしょう?特撰兵士の登竜門って言われている……あ、あの総統杯に……」


「嘘ではない。出場して戦え」
「……どうして私なの?私に死ねっていうの!?」
「おまえでなければ無理だから呼んだまでだ。嫌なら尻尾を巻いて逃げ出せ。
その代わりに、おまえより力のない者が出るだけだ。死亡の確率が上がるぞ」
結衣は俯きながら愕然とした。
「……卑怯だよ、そんな言い方……本気なの長官?本気で私を……」
結衣は気を失いかねないのではないかと思わせるほど蒼白くなっていた。
「くだらない事を聞くな。その気でなければ、最初からおまえを呼んだりせん」

「……普通の民間人として暮らせって言ったのは長官じゃない。それなのに……今さら勝手過ぎるわよ!」

二年間、幸福かと問われれば微妙だったとはいえ平穏な日常を過ごしてきた。
予告も無しに修羅の世界に戻って来いという命令に結衣は納得できずにいた。
「私はおまえを手離したわけではない。忘れるな、おまえは科学省の人間だ。
後のことは涼に全て任せてある。涼に従い命令を遂行しろ」


「それが嫌なら、おまえに存在価値はないと思え」
「……わかったわよ」














――そして、ついに、その日がやって来た。


会場の外は、すでに大勢の人間で溢れて入場開始を今か今かと待っていた。
美恵は心配そうに、そわそわしていた。
「大丈夫よ美恵、変装してるんだから万が一にもばれやしないわよ」
「貴子、そうじゃなくて……」
「ああ、弘樹達のことね。一ヶ月間会ってないけど少しは逞しくなったかしら?
宗方の話だと予選を勝ち抜けるのは16チームだってことらしいわ。
予選はバトルじゃないから大丈夫よ。確か、パンチングマシンの得点の順位で決まるとか――」


「うわぁー!!」
「す、すげえ、何者だ、あいつ!?」


突然、会場内からざわめきが起きた。
「何が起きたのかしら?」
「……さあ」




ざわめきは今だ納まっていない。
その騒然とした空気の中心にいたのはマシンの前に立っている桐山だった。
「……お、おい、あの男200点越えたぞ」
「冗談だろ?そんな点数、今まで出したのは特撰兵士や季秋の御曹司くらいだぞ」
「完全にノーマークの男だろ?な、なんで、あんな奴が無名なんだ?」
驚いているのは他の選手だけではない。審判も点数が表示される蛍光電気板を見詰め呆然としている。

「俺は合格かな?」

「……は?」
「聞えなかったかな?俺は合格かと質問しているんだ。それとも、この点数では足りないのかな?」
「と、とんでもない。十分だ!」


「そうか。それなら良しとしよう」




【B組:残り45人】




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