「本気で怒るわよ、離しなさいよ!!」
「おい、いいじゃないか。ツンデレもそのくらいにして三人でデートでもしようぜ」
嫌がる美恵と貴子の腰に腕を回し抱き寄せる冬樹。もはや両手に華状態だった。
(ちっ、うまいことやりやがって)
夏生は内心羨ましかった。光子の手前、こんな大それたことは出来ない。
(浮気なんかしたら光子に愛想をつかされるもんなあ。でも美恵ちゃんや貴子ちゃんとも仲良くしたい)
夏生の脳内に天秤が現れた。
(二人を選べば光子と終わりだ。単純計算すれば二人>一人……しかし光子の胸はでかい)
夏生の心の天秤は微妙な形で揺れ出した。
「と、なると……やっぱ全員と仲良くしたい!」
「桐山君を止めないといけないのよ!」
(あ、そうだ。今はそれどころじゃなかった)
夏生は大切なことを思い出した。
(冬兄は俺と違って人間が出来てないからな。下手したら桐山を死体に変えるかもしれない)
「美恵の言うとおりよ。今は、あんたに付き合ってる暇なんてないのよ!
空気読みなさいよ、この節操なし男!!」
冬樹は溜息をついた。
「……しょうがねえなあ。わかったよ、俺が冬也兄貴を止めてやるよ」
「……え?あ、あの冬樹君、本当に?」
「ああ、まかせておきな。その代わりに後でデートしろよ」
鎮魂歌―68―
「どこからでもかかってきていいぜ」
「そうか、ではそうさせてもらおう」
桐山は相手の出方も伺わず攻撃を仕掛けた。その動きは百戦錬磨の冬也でも予想外の早さだった。
だが、桐山の攻撃は冬也のボディに到達する前に止められた。
桐山は即座に蹴りに転じたが、それも紙一重で避けられた。
(背後をとるか)
桐山は一気にジャンプ。冬也の背後に降り立った。
死角からの攻撃ならばと思ったが、攻撃を仕掛ける前に冬也は半回転して回し蹴り。
隙をついたと思った桐山の方が攻撃をくらってしまった。
「いいぞ兄貴、かっこいい!!」
春樹が手を振って大音量で声援を送る。
「春樹!」
冬也は当然と言わんばかりの表情で、「声が小せえ」と尊大に言ってのけた。
「兄貴、最高ー!!」
春樹のボリュームもさらに高くなる。
「見たか青二才め!所詮、おまえ程度が兄貴の相手しようってのが間違いだったんだよ!
土下座して謝るか?それともビルの屋上からノーロープバンジージャンプでもするか?!」
桐山はすくっと立ち上がり口の端から滲んでいる血を拭った。
(このガキ、まだやる気か)
力の差を見せ付けてやれば、馬鹿じゃなければすぐに侘びをいれると冬也は思っていた。
だが桐山にやめるつもりはなさそうだ。一直線に向かってきた。
「馬鹿め、何度やろうが――」
桐山のスピードが上がった。冬也は少しだけ眉を寄せた。
さらに桐山は飛んだ。そのまま踵落しだ。
冬也は左腕一本でそれを受け止めた。ギシギシと腕が痛む。
外見は中背の桐山からは想像もつかないほどの重たい攻撃だった。
すかさず桐山は背面飛びで一回転して着地。隙ができた冬也のボディ狙って蹴りを炸裂させた。
だが冬也は重心をずらし紙一重でそれを避ける。
桐山の攻撃は変幻自在でスピードも切れもあったが、なかなか当たらない。
どれだけ素晴らしい攻撃でもダメージを与えることができなければ無駄な労働でしかない。
しかし、これだけ攻撃がかわされているのに桐山には焦りの色もなければ汗もかいてないのだ。
(大した度胸と精神力だな。薬師丸涼とやりあったというだけのことはある)
「兄貴、いつまで遊んでるんだよ。さっさと泣かしてやれよ!!」
ギャラリーのはずの春樹が一番熱くなっていた。反して七原は青ざめている。
「あの桐山と互角にやりあえるなんて……やっぱり強い」
「七原……冷静になって見ろよ」
「雨宮?」
「あいつ、さっきから右手はポケットに突っ込んだままだ。桐山を舐めている。
本気だしてないんだ。あの桐山相手に遊び半分で勝つ気でいる」
良樹の言うとおり、冬也は利き腕の右を封印している。
これは素人相手に片手間で十分という冬也のプライドがそうさせていた。
桐山の身体能力に多少驚きもしたが、自分からみれば、まだまだヒヨッコ。
そんな相手に本気を出すことなどないという冬也の自信がそうさせていた。
「俺様もこんなお遊びに付き合っていられるほど暇じゃないんだ。そろそろ終わらせてやるぜ」
それまで防御に徹していた冬也が攻撃に転じた。
「は、早い!」
拳法大会で熟練した達人たちの動きを見ていた杉村が驚嘆の声を上げた。
あまりの速さに、目の動きが追いつかない。
冬也は、桐山の背後にまわると桐山の腕を掴み捻り上げながら、肩の付け根を蹴りこんだ。
瞬間、ボキっと鈍い音がして良樹達は顔面蒼白になった。
「……お、おい今の音」
尋常な音ではなかった。その証拠に桐山は地面に崩れ落ち左腕が妙な形で曲がっている。
「う、嘘だろ?あ、あいつ……腕の骨を折りやがった!!」
良樹は走っていた。これはもう練習試合でもトレーニングでもなんでもない。
「何てことするんだ。ここまですることないだろう!川田、桐山を!」
良樹が要請するまでもなく川田も走っていた。
正規の医者ではない川田に骨折の治療など無理だが応急手当くらいはできる。
とんでもないことになったと川田は心の中で苦しい叫びを上げていた。
桐山がいなければ大会(春樹曰く天下一武闘会)で上位入賞どころか予選突破もできるかどうか。
桐山は命綱どころか生命線といってもいい重要な戦力。
「静かにしてくれないか?」
駆け寄ってきたクラスメイトたちを桐山は拒絶するように掌を突き出して「来るな」と制した。
立ち上がると肩を自ら掴み力を入れた。僅かだが苦悶の表情を浮かべている。
そして、再びボキッと嫌な音がした。桐山はゆっくりと左腕を一回転させた。
「問題ない」
「き、桐山……骨が折れたんじゃなかったのか?」
「ただの脱臼だ。もう治った」
桐山はサラッと言ってのけた。
(脱臼だと?俺は折るつもりで攻撃したぞ)
冬也は不可解な表情を浮かべた。
(攻撃が浅かったのか?)
疑問は残るが、一つだけはっきりしていることがある。
(このガキの左腕はもう使えない)
桐山は強引に自分で腕を治したようにみえるが完全ではない。
本人は涼しい表情をしているが、あの腕ではまともに戦うどころか普通に動かすことすら困難だろう。
「兄貴、兄貴!何、やってんだよ!!」
「黙ってろ春樹、後はもう時間の問題だ」
冬也は猛攻を仕掛けた。
「待てよ、桐山の体はもう……!」
良樹は慌てて桐山を庇うように二人の間に割って入った。
「邪魔だ、どいてくれるかな?」
「え?」
ところが良樹は、こともあろうに庇ったはずの相手である桐山に突き飛ばされていた。
(左腕を狙ってくるか?)
「怪我した腕をかばいすぎて右ががら空きだぜ」
「!」
桐山は顔には出さなかったが、内心しまったと思った。
無意識のうちに使えない左腕を庇っていることを悟られている。
「光栄に思え、俺様に叩きのめされるんだ」
冬也の拳が桐山の頭部目掛けて一直線に伸びてきた。
だが、その拳は桐山に到達することなく空中で止められた。
「……どういうつもりだ、てめえは?」
「悪いなあ兄貴、俺の可愛い女達が俺を頼って頼りまくってお願いしてきたんだ」
冬也の攻撃を受け止めたのは冬樹だった。突然の第三者の乱入に皆ぎょっとなった。
「美恵
、貴子ー!これでいいのか?」
冬樹は笑顔で手を振っている。それが冬也の癇に障った。
「さっさとどけ冬樹、今なら許してやる」
「兄貴が許しても俺が許すか!冬樹、てめえ!!」
冬樹の出現に春樹の血は一気に逆流した。
「殺してやる!おまえなんか、全身蜂の巣にしてしてやるぜ!」
春樹はトレーニングルームを飛び出すと、数十秒後にマシンガンを手に戻ってきた。
その尋常でない武装ぶりに、滝口や豊は悲鳴を上げた。
春樹は本気だ。本気で仮にも実の弟の冬樹を殺そうとしている。
「春樹、落ち着け。これは冬ちゃんのお遊びだ、おまえでも手出ししたらいかんだろ?」
「秋利兄貴、冬樹だけは俺にやらせてくれ!!」
秋利は溜息をつきながら春樹の頭に手をおき、にっこり笑った。
「春樹はイイコだけど時々我侭いうなあ。なあ春樹――」
「兄ちゃんの言う事聞けん悪い子にはおしおきするぞ」
春樹はビクッと反応した。
「兄ちゃんの命令きくか?」
「……わかったよ」
「そうか。やっぱり春樹は可愛いなあ」
春樹は酷く落ち込み冬樹を睨みつけた。兄の命令で大人しく引き下がったものの納得はしてないのだ。
(桐山の奴、冬樹とつるんでいやがったのか!)
そして妙な誤解までしてしまった。坊主憎けりゃ袈裟も憎い、春樹は桐山に対して怒りすら覚えた。
一方、冬也と冬樹は今だにらみ合っている。
「……冬樹、俺に逆らうのか?」
「兄貴こそ、俺に逆らうのかよ?」
「俺は季秋家の嫡男だ!その俺にたてつくなんて許されると思ってんのか!?」
「…………」
冬也は激怒することなく、無言のまま冬樹をにらみ付けていた。
激怒したのは冬也ではなく春樹だった。
「ふ……ふざけるな!兄貴に対して戯言ほざくんじゃねえよ!!
てめえなんか兄弟の中で一番下っ端のくせに、わかってんのか!?」
「今時年功序列で兄弟の順位決められてたまるか!実力がものをいうんだぜ、覚えとけ春樹!」
春樹は完全に頭にきた。元々冬樹とは犬猿の仲、嫌悪感が憎悪に進化するのはあっと言う間だ。
「てめえの言い分はよくわかった冬樹」
冬也は脱ぎ捨てた上着を手にとると、「話がある」と言いだした。
「桐山、おまえとの勝負は中止だ。こいつの躾が優先だからな」
「待て、俺は負けてないぞ。勝負がつくまで続行すべきだ」
「おまえの目的は大会のレベルをはかることだろう。
安心しな、おまえは十分通用するぜ。俺とまともにやりあえる奴はそうはいない。
おまえは問題ない。問題なのは、おまえのお仲間だ。
総統杯はチーム制、勝ち抜き戦でもない限り、てめえらに勝ちはないぜ」
「DNAが一致しなかっただと?」
期待とは正反対の報告に隼人は納得できないとばかりに語尾を強めた。
「はい、行方不明者、逃亡中の指名手配犯、遺体が身発見の戦死者……。
大尉のご命令通り、あらゆる部署から生死不明者のDNAデータを提出させましたが一致しませんでした」
「……そうか」
完全に当てが外れた。隼人は拳を握り締めた。
爆発事件の現場から発見された認識不可能な損傷の酷い遺体は脱獄者のものではないという推測。
その仮説を裏付けるには、遺体は全く別の人間のものだというDNAレベルで証明するしかない。
それが、完全に逆の結果を出したのだ。
隼人から事の次第を聞いた晶や徹達にとっても面白くない結果だった。
「……死体が別の人間だと証明できれば、連中の後ろについている人間を特定することもできた」
あの事件の最中、国防省の基地で死体をばら撒くなんて、弱小組織にできるわけがない。
かなりでかい、そして国に対して力を持っている巨大な存在が動いていることが証明できたはずだった。
そして、そんな組織はそういくつもあるものじゃない。
特定は容易だろう。特定されれば良恵の行方もつかめただろうに。
「隼人、他に手掛かりはなかったのか?天瀬瞬、あいつが絡んでいるのは間違いないんだ」
瞬が良恵を連れ去った映像は冬也に持ち出され、すでに破棄されていた。
それでも特撰兵士の勘なのか、瞬が良恵が行方不明に関与していることだけは誰もが確信している。
「どっちにしても科学省が黙っていないだろう。良恵が蒸発したことが科学省に伝達されるのは時間の問題だ」
良恵は科学省の秘蔵娘。それが反逆者に連れ去られたとあっては科学省の面目がたたない。
それこそ躍起になって調べるはずだ。
「……科学省なんかにまかせられるか。良恵が消えて何時間たっていると思っている?
なのに、あいつらは、まるで動く気配がないじゃないか」
徹は我慢の限界とばかりに携帯電話を取り出した。
「徹、何をするつもりだ?」
「決まっているだろ。くだらない研究に無駄金使うしか脳がない長官に直談判してやるのさ!
すぐに科学省の兵士を総動員させて良恵を捜索させてやる!」
俊彦と攻介は、なぜ徹が科学省長官の携帯番号を知っていることに疑問符を浮かべていた。
「簡単だ。徹は良恵 に関与するあらゆることを違法手段使ってでも調べつくしてあるからな」
直人がさらりといった一言に、二人は「……ある意味、恋に落ちてる男の鏡だな」と感服した。
「宇佐美長官ですね。海軍の佐伯徹です」
『な、なぜ君が私の個人用携帯電話の番号を?』
「愛の女神の悪戯とでも思って下さい。それよりも、随分と呑気なものですね。
あなた方、科学省にとってⅩシリーズは至宝のはず。
それなのにⅩシリーズの血を引く良恵をさらわれておいて行方を捜そうともしないなんて!」
『はあ?』
電話の向こうの宇佐美は素っ頓狂な声を上げた。
『何を言っているんだね君は。良恵は科学省の地方の施設で静養しているよ』
徹の瞳が大きく拡大した。特撰兵士の徹が驚愕するなど滅多にないことだ。
「……何を……言って」
『良恵は無事だ。行方不明などと、突然電話をしてきて変なことを言わないでくれ。失礼する』
「ま、待て!」
徹の制止も聞かずに宇佐美は一方的に通話を切った。
呆然と携帯電話を握り締める徹。
「……良恵が科学省にいるだって?」
川田は桐山の腕に包帯を巻きながら、「全く、おまえさんほど無茶な男はいないよ」と呆れながら呟いた。
「けどさ、桐山は薬師丸って特撰兵士とやりあって疲労してたんだろ?
だったら苦戦したのも無理ないぜ。桐山の調子が万全なら怖いものなしだ、そうだろ?」
七原は期待のこもった質問を投げかけた。
桐山が、「ああ、そうだ」と頼もしい返答をしてくれるのを待っていたが、返ってきたのは全く逆の答えだった。
「あいつは本気を出していなかった。俺の体力低下は敗因にならない」
「おい、桐山!」
七原は非難めいた声を上げたが、三村まで「ああ、あいつは最後まで利き腕使わなかったしな」と言い出す始末。
「三村、おまえまで!」
「慌てるなよ。あいつは優勝者なんだろ?それも圧倒的強さだったっていうじゃないか。
つまり大会の平均的レベルは、あいつより下だと思って間違いないぜ。
あいつを基準に考えるな。俺達の相手はあいつじゃない、大会に出てくる敵なんだ」
三村の言い分は最もだった。敵は冬也ではないのだ。
「じゃあ、俺達に勝機は十分あるってことだよな。桐山がいるんだから」
「そいつはどうかな?」
「雨宮?」
「冬也さんの台詞忘れたのか?これはチーム制なんだぜ。
俺達全員が桐山のレベルに近付かなきゃあ意味がないんだ。
桐山がどんな圧勝劇演じようが、一勝あげただけじゃ勝ちじゃない。三勝しなきゃ駄目なんだ」
確かに勝ち抜き戦でない限り、桐山個人の力で勝ちあがるのは不可能だ。
「……でも杉村だって拳法すごいんだぜ。それに三村だって喧嘩強いし」
「甘いぜ七原。杉村は試合でしか拳法使ったことないんだろ。
今度のは試合じゃなくて実戦だと思ってやったほうがいい。
相手は軍とかプロの格闘家とかがでるわけだろ?ルールだってほとんど無用だしさ」
「そういうことだ。ほら、さっさと着替えろ」
突然、袋がいくつもとんできた。中にはトレーニングウエアが入っていた。
「ほら、さっさとしろ。俺がばっちり訓練してやる」
すでにトレーニングウエアに着替えた夏生が部屋の入り口にたっていた。
「もともと、おまえらと係わったのは俺だ。腐れ縁だから最後まで面倒みてやるぜ」
「あ、ありがとう夏生さん。あんた、本当はいい人なんだな」
「当然だろう」
(あいつらが勝てば美恵ちゃんや貴子ちゃんとも仲良くできる。ぐふふふふ)
桐山と川田以外全員夏生に心から感謝していた。
人生経験豊な川田だけが夏生の本心に気づき、心の中で溜息をついていた。
「……まあ、理由はどうあれ感謝はすべきなんだろうな」
「……川田、おまえ何か言ったか?」
「いや、別に」
全員着替え終わると、夏生は「一時間後には出掛けるから支度しろよ」と付け加えた。
「出掛けるってどこに?」
夏生は、「ただの山奥だ」とだけ言った。
「おまえらをこのまま季秋の邸宅におくわけにもいかないんだよ。秋澄兄ちゃんにばれたら、また揉める」
秋澄にとって良樹達は厄介な人間でしかない。確かにばれたらまずいだろう。
「それに、おまえらだって春樹の近くってのは気まずくてたまんねえだろ?」
確かに、この先、春樹にいちいち嫌味を言われるのは精神的ストレスがたまる。
「だから、さっさとここを出るぞ。俺が直接指導して一ヵ月後には使えるようにしてやるから覚悟しろ」
「わかった」
「そうと決まれば、ほら、これ持てよ」
「これ?」
廊下にずらっと荷物が並んでいた。何かの機材だろうか?
「大事なものだから落したりしないでくれよ」
「大事なものとはヌード写真集やAVなのかな?」
勝手にチャックを開けて中を見てしまった桐山。
「おい、見るなよ。それは俺の大事なコレクションなんだからよ」
良樹や七原は半ば青くなった。本当に夏生についていって大丈夫なんだろうか?
「ところで鈴原も一緒に行くのかな?」
「そうしてやりたいのは山々だが、女の子をを人里離れた山奥に連れて行くのはかわいそうだろ。
電気もない風呂もない。蛇や虫がわんさかいる。彼女達にはきついぜ、熊だって出るからな」
「鈴原が行かないのなら俺も残りたいのだが」
「馬鹿いうなよ。おまえは主力なんだから来い」
「おまえの弟」
「弟?春樹と冬樹のことか?」
「後者の方だ。あいつは鈴原に手を出すと宣言していた。鈴原を残してはおけない」
桐山の危惧に同調するように杉村も声を上げた。
「そうだ。貴子に聞いたぞ、あんたの弟は貴子にも手を出したって。
そんな危険な男と同じ屋根の下に貴子をおいて出て行くなんてできるか!」
確かに桐山と杉村の言い分はもっともだった。
なにしろ冬樹はとことん惚れた女のためなら、政府の軍事施設にすら夜這いをかける男。
襲って下さいと言っているようなものだ。
冬樹は冬也と別室に赴いてから姿を見せてないが、いつ何時犯罪を実行するかわからない。
「安心しろよ。俺だって、ちゃんと手は打ってあるんだ。
女の子達にはしばらく季秋家の別邸に住んでもらうことにした」
「別邸?」
「ああ、そうだ。お嬢様大学に通っている姉貴が使っている家だよ。
冬樹には内緒だ。姉には、もう話はついている。快く引き受けてくれるってさ」
「そ、そうか……お姉さんなら安心だ」
杉村はホッと胸を撫で下ろした。季秋家の人間が女癖悪いといっても同性なら心配無用。
「一時間後には姉貴が迎えに来てくれる」
夏生は思ったより気が利く人間だったようで良樹は安心した。
「おい、おまえら」
すでに聞きなれた声に良樹達は(桐山以外)、「……出た」と心の中で苦々しくつぶやいた。
「俺との賭けに恐れをなして今から逃げようって魂胆か?」
「春樹、逃げるんじゃなくて特訓に行くんだ」
「で、そのまま、とんずらしようって腹じゃないだろうな?
念のために女は人質にと思ったんだが、置いて行くって聞いて安心したぜ」
夏生は訝しげな顔をした。春樹には何も話してないのに、全てを知っているようだ。
「春樹、おまえ誰から聞いた?」
「誰からって春海兄貴だよ。さっき電話があったんだ」
『よう兄貴、久しぶりだな。元気だったか?ヨーロッパは楽しかったか?』
『うん、すごくね。しばらくは姉さんの家で暮らすよ。その前に本家に行くんだ。
夏生に頼まれて居候の女の子を引き取りに行くことになってね』
「話をきいたときは驚いたぜ。俺に内緒で事を運ぶつもりだったんだな」
「……春兄が帰国?聞いてないぞ、短気留学が修了するのは半月も先だっただろ」
「聞いてないのかよ。兄貴の留学先の学園で生徒が銃を持ち込んで乱射事件起こしたんだ。
あそこは貴族や金持ち専門の名門校だから目撃者が少ないのをいいことに口封じしたって。
その目撃者が兄貴でさ、緊急帰国することにしたって。兄貴は血なまぐさい事が苦手だからな」
「あの兄ちゃんが……帰国」
「おい、ちょっと待てよ!それじゃあ話が違うじゃないか!」
兄弟の会話に突然乱入したのは三村だった。
「夏生さんの兄貴ってことは、そいつも病的な女好きだろ!?そんなのと鈴原を同居させられるか!!」
姉だというから安心して夏生の同居案に賛成したのだ。当然、良樹や杉村も三村と同じ意見だった。
「三村の言うとおりだ!第一、こう言ったらなんだけど夏生さんの兄さんは……」
良樹は今まで登場した夏生の兄を順に思い浮かべた。
夏樹といい秋利といい冬也といい、はっきりいってお世辞にも性格がいいとは言えない人間性の持ち主。
遺伝学的にいっても突然変異でも起こってない限り、その春海とやらも性格が複雑骨折しているに決まっている。
狼の名前が冬樹から春海に変わるだけで、これでは何も状況は変わらないでは無いか!
「鈴原をプレイボーイの餌食にしてたまるか!」
三村は自分の過去を棚に上げて口調を荒げて怒鳴りつけるように言った。
「そうだそうだ!貴子をおいて山なんかに行ったら俺は一生後悔する!」
杉村など、もはや犯罪が起きること前提で叫んでいた。
「いい加減にしろ、この俗物な野蛮人!」
「さっきから黙って聞いていればふざけた暴言吐きやがって!
春海兄貴は世界一優しい男なんだ。おまえらの薄汚い想像で兄貴を侮辱するな!!」
「……優しい?」
「……世界一?」
良樹も七原、三村や杉村も全員が疑りの目で春樹を射抜くように見詰めた。
「兄貴は物静かな優等生で、いつも担任に褒められまくるし、近所の評判も最高にいいんだ。
休日は海岸でゴミ拾いしたり、孤児院でガキと遊んでやったりとボランティアに勤しんでる。
そんな尊い人間性の兄貴を穢すような事いうんじゃねえよ!」
「……ボランティア?」
「……尊い人間性?」
良樹達は、よりいっそう疑心暗鬼の目で春樹をにらみ付ける。
「いいか、春海兄貴に対して失礼なことしたら、おまえらにくれてやったチャンスは白紙だ!」
春樹は吐き捨てるように釘を刺すと、さっさと姿を消してしまった。
「夏生さん、本当なのかよ?」
「そんなに心配なら一度兄ちゃんに会って頼めよ。
『くれぐれも彼女達に手を出さないで下さい』ってな」
「美恵、支度できた?」
「うん。支度っていっても、自分の荷物はほとんどないものね」
あるとしたら夏生が用意してくれた着替えくらい(スケスケの下着は丁重にお返しした)
「……桐山君たち大丈夫かしら?」
夏生がついているから心配はないと思うが……それでも美恵は気になった。
「あたしだって心配よ。でも、こうなったら信じて待つしかないじゃない」
「貴子は強いのね」
貴子だけじゃない。光子など、さっきから、まるで旅行気分で荷物をまとめている。
幸枝と友美子は気丈にふるまっているが、七原の事が心配らしく口数は少ない。
ちなみに滝口と豊も美恵達と一緒に、しばらく夏生の姉のお世話になることになっていた。
夏生曰く、「戦力にならない奴は邪魔になるだけだ」との事だ。
「おーい用意できたか?」
夏生が呼びに来た。どうやらお迎えが到着したらしい。
玄関に向かうと、そこには桐山や良樹達の姿もあった。
これから一ヶ月、会えない……美恵は不安で胸がいっぱいだった。
「鈴原、そばにいてやれないが……」
「私達のことなら大丈夫よ。心配しないで」
「そうか。鈴原が、そう言うのなら、そうしよう」
美恵の笑顔とは裏腹に、七原はまだ不安が拭いきれなかった。
(俺はやっぱり夏生さんの兄貴なんて信じられない。もし冬也さんや秋利さん以上に非情な性格だったら?
俺達がいない間に美恵さんや委員長達を追い出すかもしれないじゃないか)
ふと気づくと周囲が慌しくなって使用人達が集まってきた。そして執事が恭しく玄関の前に立った。
「……どうやら兄ちゃんが到着したみたいだな」
使用人たちは扉の前に左右二列に並びお出迎え態勢に入っている。
まるで何百年も昔にタイムスリップしたような光景だ。
執事が合図を送ると黒服を着た男が扉を開いた。
「春海様、お帰りなさいませ!無事のご帰国お待ちしておりました!!」
執事をはじめ数十人の使用人たちが一斉に頭を下げた。
(鬼が出るか、蛇が出るか……)
七原は無神論者でありながら心の中で十字を切った。
「ただいま。はは、相変わらず大袈裟だね。僕なんかに無駄な時間使わなくていいのに」
(……え?何か、随分と温厚そうな口調だな)
逆光で顔は良く見えないが、背はそれほど高くない。むしろ華奢な体型に見える。
「兄貴ー!!」
春樹が階段の踊り場から一直線に走ってきて春海に飛びついた。
「ただいな春樹、久しぶりだね。元気にしてた?」
春樹が、まるで小犬のように春海に抱きついて甘えている。
春海も、そんな弟を撫でてやっていた。
「夏生も元気だった?」
「ああ、春兄も元気そうだな」
「その子達なの、しばらく預かって欲しいってのは?」
その時、やっと春海の顔が見えた。
美形だけど尊大で非情そうな顔をしている人間だろうと予想していた良樹達は驚愕した。
(……う、嘘だろ?)
春海は今まで見てきた夏生の兄弟とは、とても同じ遺伝子を持っているとは思えない優男だった。
優男どころか女の子といっても通るくらい綺麗な顔立ちで雰囲気も随分と柔らかい。
(……すごく上品で優しそうなひとじゃないか)
「紹介するよ春兄、左から桐山に川田、雨宮、七原、杉村、三村。
それから、この子達が預かってもらう女の子たちとチビ助たちだ」
「そうなんだ」
春海は良樹達に近付くと手を差し出してニッコリ微笑んだ。
「季秋春海(きしゅう・はるみ)っていうんだ。よろしく」
春海は、丁寧に挨拶をし握手まで求めてきた。
「あ、え……と。こちらこそ宜しくお願いします」
春物腰といい態度といい、いかにも上品で優しそう。神聖なオーラすら感じる。
(……どこから見ても完璧じゃないか。なんて綺麗で清らかそうなひとなんだ。
まるで安野先生みたいだ……こんな優しそうなひとをイメージ先行で悪く思っていたなんて)
七原は心の底から反省した。兄弟だからって鬼畜ばかり生まれないと悟ったのだ。
(こんな天使みたいなひとなら美恵さんを安心してまかせられる。よかった、思い残すことは何もない)
美恵達のことは心配ない。これで特訓に専念できる。
良樹達は、安心して季秋家を後にした――。
――総統杯まで残り一ヶ月
【B組:残り45人】
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