あそこまで、あいつを怒らせたのは、おまえが初めてだぞ」
「夏生さん、俺は怒らせようとしたわけじゃない。あんたの弟が勝手に怒ったんだ」
「まずいことしてくれたよなあ。ただでさえ頭にきてる春樹に童話持ち出すなんて」
「だから、何で童話なんかで怒るんだよ」
黙って二人の会話を聞いていた川田が「トラウマだな」と呟いた。
「俺は医者の息子だ、心の病にかかった患者も大勢見てきた。
もっとも精神科は親父の専門外だったがな」
「ああ、そうだ。弟は心に深い傷を負ってるんだ」
「一体何が原因だ?」
「さあ、さっぱりだ。ちい兄ちゃんが心配して高名な心理学者呼んで治そうとしたことがあった。
催眠療法で原因を探ろうとしたんだが、弟がショック状態になって結局謎のままだ。
学者がいうには春樹が物心つく前に本人が記憶失うくらい恐ろしい目にあったんだろうとさ。
今となっちゃ、何があったかなんて不明だ。とにかく弟に童話や昔話の類は禁句なんだ。
弟のフィギュア壊した上に禁句を口にしたんだ。弟の怒りは、おまえの血によってしか鎮まらない」
「そんなバカな!」
七原は心の底から叫んだ。
「と、思ったが、どういうわけか弟の気が変わった」
「え?」
「光子だ」
「そ、相馬?」
「そう、光子が弟の頼み聞いてくれたら、おまえらを許すチャンスをやってもいいとさ」
「な、何だよ、その頼みってのは!?」
夏生は困惑しながら赤い服を取り出した。
「光子に葛城ミサトのコスプレして『サービス、サービスぅ』とほざいて欲しとさ」
鎮魂歌―65―
「脱走を図った連中は全員捕らえたのか?」
「はい、大尉」
隼人は捕獲者リストと囚人リストを照合し、すぐに違和感を感じた。
「足りない。人数が合わないぞ」
「爆発や建物崩壊に巻き込まれて死亡したとのことです」
「死亡しただと、本当か?」
「はい、遺体も数に入れて下さい。ぴったり合うはずです」
確かに数の上では完全にイコールになる。だが隼人は、すっきりしなかった。
(K-11が動かなかった。こんなチャンスにもかかわらず)
K-11は超過激派、国防省など恐れない。目的の為なら己の命さえ顧みない危険な連中。
囚人の中に確かにK-11と繋がりのある人物がいる。
晶の話では、K-11の一人は、その人物を守る為に、何の躊躇いもなく舌を噛み切ろうとしたではないか。
(奴等が守ろうとしている人間は生きて逃げ切った可能性がある。だが遺体の数がそれを否定している)
隼人は考え込んだ。そして一つの結論をだし、それを実証する為の命令を出した。
「損傷が激しい遺体はいくつあった?顔の判別のできないものもあっただろう?」
「は、はい、確かにあります」
「その遺体を全てDNA鑑定にかけろ。国防省のデータ全てと照合するんだ。
犯罪者、行方不明者、あらゆるDNAデータ全部だ」
「そうか。おまえを倒さなくてはならないようだな」
「そういうことだ。断っておくが、俺に勝つのは容易くないぞ」
薬師丸は猛ダッシュした。一瞬で桐山の間合いに入った。
桐山は反射的にとんぼをきっていた。しかし着地する前に、薬師丸の蹴りが入る。
咄嗟に腕でボディへの直撃だけは避けたがダメージがゼロだったわけではない。
(こいつには隙がないのか?)
「おまえの才能と資質は申し分ない。だが、それだけでは俺には勝てんぞ」
薬師丸は猛攻撃を仕掛けてきた。桐山は紙一重で避ける、避けることはできるが反撃のチャンスがない。
「もって生まれた才能だけなら、どっちが上とは言えないが、経験値が桁違いだ」
二人の様子を見物していた深水は、勝負の行方を容易に予測し退屈そうに前髪をかきあげた。
「薬師丸涼は百戦錬磨。戦士として完璧といっても、いいくらいだ。分が悪い。
奇跡でも起きない限り桐山に奴に勝つのは無理だな」
(桐山は、まだ完成されてない。あいつが経験さえ積めば結果はわからなかった。
いや、まだ未完成だからこそ面白い。この先、どれだけ伸びるか考えるだけでぞくぞくする)
「薬師丸、おまえと桐山の勝負は先延ばしにしてもらうぞ」
「あくまで抵抗するのなら、しばらく体の自由がきかない目に合わせるしかないな」
薬師丸の目つきが変わった。非情で険しい目だった。
その時、薬師丸の携帯電話が震動した。薬師丸は携帯を耳に当てた。
「そうか、わかった」
薬師丸は短い一言だけで通話を切った。
「おまえが戦う理由がなくなったぞ」
「どういうことかな?」
「おまえが助けようとしている人間達は爆発事件で死んだそうだ」
桐山が硬直した。
「遺体も発見された。もう、終わったんだ」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。おまえが守ろうとしているものは、もう消滅したんだ」
「嘘だ!」
桐山は猛然と薬師丸に襲い掛かった。それ以上、美恵の死を口にするのは許さないとばかりに。
(スピードが上がった……!)
桐山は一瞬で薬師丸の間合いに入り拳を繰り出した。薬師丸は掌でそれを受けた。
だが桐山の力が凄まじく、受け止めきれない。
薬師丸は高く飛んだ。木の枝を片手で掴み、そのまま大車輪で一回転。
遠心力を利して遠くに移動。しかし、桐山も薬師丸の動きに敏感に反応し即座に攻めた。
(こいつ……運動量が段違いに上がった)
感情の起伏は時として人間に通常以上のパワーを与える。
桐山は感情が希薄な男だった。今、自分を支配している感情が何なのかさえわからない。
ただ、美恵の死を口にした薬師丸が許せない。それだけだった。
(憤怒や憎悪は人間に凄まじい力を与える。だが)
薬師丸は冷静だった。まるで観察するかのように、桐山の猛攻撃の隙間を縫って、左胸に蹴りを入れた。
桐山の眉間が苦しそうに歪む。しかも、苦痛はそれだけでは終わらなかった。
薬師丸は連続して、胸部と腹部に二度蹴りを繰り出したのだ。
心臓、肺臓、そして腹、その全てに打撃を与えられ、桐山は地面に沈んだ。
「感情はパワーとスピードは上げるが冷静さを奪い隙だらけになる。
隙さえつけば簡単だ。おまえは俺から見れば未熟な青二才だから教えておいてやる」
薬師丸は桐山の肩をつかみ強引に起こした。
「感情は支配されるものではなく支配するものだ。
おまえは俺に負けたんじゃない。自分自身に負けたんだ」
桐山は薬師丸を見詰めた。目は戦意を失ってない、しかし体がいうことをきかない。
「反撃は無理だぞ。嫌味じゃないが、意識を失ってないことに俺は驚いているくらいだ。
おまえには、それだけの攻撃をした。並の一流戦士なら胃液を盛大に吐いて数日目覚めない」
薬師丸は、まともに動くことすら出来ない桐山の身柄を確保しようとした。
「……!」
だが薬師丸は第三者の気配を感じ動きを止めた。しかし次の瞬間、その気配が消えた。
(気のせいか?)
気のせいではなかった。突然の発煙、その煙の向うから殺意を感じ薬師丸は背後に飛びのいた。
煙が完全に周囲の景色を包み込み、完全に視界を覆い尽くした。
(……なんだ?)
桐山にとっても突然の出来事だった。立ち上がるも、骨が痛む。
薬師丸の攻撃はかなり重かった。少し動くだけで胃液が逆流しそうだ。
不幸中の幸いは、頭部を攻撃されなかったこと。頭だけは、はっきりしている。
そして、理解したことがある。これは、この場から姿を消すチャンスだ、千載一遇の。
桐山のボディは悲鳴を上げていたが、痛みに構っている暇はなかった。
桐山は痛みを押し殺し走った。だが薬師丸は、すぐに桐山が逃げる気配を悟ってしまった。
「待て!」
相手は怪我人だ、当然のことながら逃げられるつもりはなかった。
「見逃せ」
「!」
だが、薬師丸は動きを止めた。背後に第三者が立っている。
薬師丸は振り向こうとしたが、同時に凄まじい殺気を感じた。
桁違いの凄まじさは、「振り向くな」という警告でもあった。
「そう、それでいいんだ」
声色から男だということだけはわかった。冷徹な声だ。
「……おまえは誰だ。なぜ、桐山和雄を助ける?」
「助けたわけじゃないさ」
「もう一つの質問に答えてないぞ」
男の顔は見えないが、不敵な笑みを浮かべている様子が容易に想像できた。
薬師丸は質問を変えてみた。
「おまえは俺が知っている人間か?」
「さあ、それはどうかな?」
薬師丸の肩に男が手を置いた。同時に殺気が消滅する。
桐山の気配は、すでに遠ざかっている。
「一つだけヒントをやろう」
男は薬師丸の耳元に顔を近づけ囁いた。
「水島克巳の女を調べてみろ。科学省が欲しがってる答えの糸口になるぞ」
薬師丸は立ち上がった。辺りに立ち込めた煙は消え、すがすがしい朝の景色が再び姿を現した。
「桐山は逃げたか……」
『水島克巳の女を調べてみろ』
「克巳の女だと……いったい何人いると思っているんだ」
いや何人どころか何十人かもしれない。
過去の女や、表沙汰になってない相手を含めたら、さらに膨大な人数になる可能性だってある。
『科学省が欲しがってる答えの糸口になるぞ』
「…………」
薬師丸の中で、男が残した言葉が何回もエコーした。
(科学省……か)
科学省に謎の男の存在と残された言葉を報告すれば、すぐに手掛かりは掴めるかも知れない。
水島の女は人数も多いが、調査するには容易ではない立場にいる人間が多い。
組織で調査しなければ厄介だ。だが薬師丸は科学省に報告する気にはならなかった。
「……個人でやるには時間と労力がいるな」
「追って来ないようだな」
桐山は何度も振り返った。追っ手の姿も見えなければ気配も感じない。
完全に逃げ切ったようだ。肉体はまだ痛むが、それよりも美恵優先だった。
薬師丸は美恵は死んだと言った。しかし桐山には信じられない。いや信じたくない。
(あいつの嘘だ。鈴原は生きている)
桐山は国防省の基地に向かった。美恵は生きて捕らえられていると信じて。
歩いていると足元に何かが飛んで来て地面に突き刺さった。ナイフだ。
新たな敵かと思い身構えた桐山だったが、ナイフの柄に紙が縛り付けてあるのが目に入った。
(……メモ?)
桐山は、その紙を手に取り広げた。そこには桐山が欲しがっていた情報があった。
桐山は走り出していた。メモには美恵の生存と、現在位置が記載されていた。
「奴にお目当ての女の居所を伝えたか?」
「ふん、つまらない仕事させやがって。どういうつもりだ?俺にガキのおつかいさせるなんて」
「さあて、どういうつもりかな」
二人の男がいた。一口に言えば全く正反対の男達だった。
「なぜ、あいつのことをばらしやがった?科学省に俺達の生存を教えてやろうっていうのか」
「心配するな」
爽快な笑い声だった。
「薬師丸涼は上には報告しないさ」
「ふん、薬師丸は科学省の犬だぞ」
「おまえは人間の心理をもう少し考えた方がいい。奴の忠誠心の裏に隠された憎悪と憤怒に気づけ。
万が一、科学省が、あの女に辿り着いたとしても俺達にはデメリットはない。
あの女は俺達の生死すらつかんでいない。あいつからは俺達の情報はひきだせないんだ」
「三村、すまない!」
「俺も謝る。俺達のために……ごめん!」
七原と良樹は必死になって三村に頭を下げていた。
「……おまえらが謝ることないだろ。……っ、相馬の奴、思いっきり引っ叩きやがって」
三村は赤く染まった頬に手を添え、ほんの数分前に起きた出来事を回想した。
春樹から出された妙な取引に、川田は呆れ滝口は内心ドキドキし豊は意味がわからずきょとんとした。
杉村はニュアンスで怪しい事だと察したのか黙り込んでしまった。
一方、当事者の良樹と七原は激しいジレンマに陥った。
こんなバカバカしい事に手を染めるなんて……かと言って拒否は死を意味する。
命がかかっているのだ、恥も外聞もない。二人は夏生に頼み光子を呼び出してもらった。
しかし、いざ本人を目の前にすると、恥ずかしくて、とても用件を言い出せない。
そこに、「……たく、仕方ないな。おまえらみたいな純な連中には無理だ」と名乗りを上げたのが三村だった。
三村は春樹との取引を光子に打ち明け、コスプレしてくれと頼んだ。
仲間の命がかかっているのだ。きっと光子も快く引き受けてくれるだろうと三村は考えた。
ところが光子は、「いくら出す?」とビジネスの話をしだしたじゃないか。
「おい冗談言うなよ」と焦る三村に、光子は「あら変態プレイはお高いのよ」と、けらけら笑った。
背に腹は代えられない。三村は「いくらだ?」と問う。すると光子は、こう言った。
「30万くらいでいいわ」
三村は噴出しそうになった。30万どころか、今は3万も持ってないのだ。
途端に三村と光子の間で壮絶な大喧嘩が始まり、カチンときた光子は三村を引っ叩いた。
と、まあ以上が今までの簡単なあらすじだ。
「……ねえ、そろそろ、あの人が来る時間だよ。どうするの?」
豊が心配そうに尋ねた。腕時計を見ると、春樹が来ると予告した時間ではないか。
さらに階段を降りてくる複数の足音が聞えてきた。
やがて足音の主は良樹達の前に姿を現した。
気の毒そうに良樹達を見詰める夏生。
逆に光子は先ほどのやり取りを根に持っているのか「ざーまろ」と言わんばかりの顔で三村を見詰めていた。
そして彼らの先頭に立っていたのは殺気を充満させ腕を組んでいる春樹だった。
「交渉は決裂だな。覚悟しろよ、せいぜい泣かしてやるからな」
春樹の表情には哀れみの色など微塵もない。殺す気満々だ。
「おい春樹、もう十分だろ。そろそろ許してやれよ」
夏生が助け舟を出してくれたが、春樹は「兄貴は黙ってろよ!」と取り付く島もない。
「さっきも説明したとおり、おまえの宝を壊したのも、童話を口にしたのも偶然なんだ。
おまえを侮辱したわけじゃないんだぜ。わかってやれよ」
「じゃあ聞くが、兄貴は放火されてコレクション3万点を燃やされても、へらへら笑ってられるのかよ?」
夏生のコレクションとは、もちろんスケベ系の写真やビデオ、ポスター等である。
「そんなのぶっ殺すに決まってるだろ!」
「だろ?」
「ああ、しまった!弟の口車に乗せられてしまったぁ!!」
もはや夏生に期待するのは無理だと良樹は悟った。春樹は良樹と七原を憎憎しげに見詰めながら宣告した。
「判決を言い渡すぜ。おまえら二人は季秋家御曹司に対する殺人未遂と不敬罪で処刑。
他の連中は国外追放、女は温情をもって身の振り方を用意してやる。感謝しろよ」
途端に三村が「ふざけるな!」と鉄格子を掴み春樹に詰め寄った。
「勝手に他人の人生をどうこうできると思っているのか!おまえ何様だよ!」
「うるさい!」
春樹は三村の襟首を掴むと思いっきり引き寄せた。
「俺に口答えできる立場だと思っているのか!?俺を怒らせたら、どうなるかわかったんだろうな!
その二人と一緒におまえも断頭台の露になってもらうぞ!!」
三村は悔しそうに春樹を睨みつけた。
(今、こいつを怒らせたら状況は、ますます悪化する。どうしたらいい?)
「やめて!」
廊下の角から美恵が飛び出してきた。
「美恵ちゃん!君は部屋で待ってろって言ったじゃないか」
美恵に仲間の残酷な結末を知らせたくなかった夏生は焦った。
「お願い、皆を助けてあげて下さい。私、何でもします。だから!」
美恵は必死に春樹に懇願した。その健気な様子に普通の男なら例外なく憐憫の情が湧くだろう。
しかし悲しいかな、春樹は普通の男ではない。
「おい女、俺を怒らせるなよ。でないと女だからって容赦しないぜ」
春樹は鋭い目つきで美恵を睨みつけた。引かなかったら、おそらく美恵にまで危害を加えるだろう。
そんな雰囲気をひしひしと感じながらも美恵は尚も食い下がった。
「皆、本当に優しいいいひと達なの。大事な仲間なの、お願い、助けて!」
「おい、俺の警告聞えなかったかのかよ!」
春樹の口調がきつくなった。明らかに不快になっている。
「お願いです。もう一度考え直して」
春樹の表情が不愉快モードから徐々に激怒モードに変化している。
このままではやばい。良樹は美恵を巻き込んでしまうことは避けなければならないと決意した。
「美恵さん、もういい!そいつに逆らうな」
七原も良樹に続き、「そうだ、逆らっちゃいけない」と叫んでいた。
「でも、でも七原君……!」
「……おい、いい加減にしろよ。さっきからうざいこと言いやがって」
「やだあ、そんなに怒らないの」
この場には不似合いなおきゃんな声。それは光子が発したものだった。
「ねえ春樹君、この子はね、あたしの親友なの」
光子は「だから勘弁してあげて。ね?」とウインクして見せた。
その大胆な行動に三村は青ざめ、杉村は、二度と会えないかもしれない貴子の顔を思い浮かべた。
「相手は女の子じゃない、大目に見てあげてよ。ほらサービス、サービス」
春樹は三村から手を離した。三村はバランスを崩し、床に尻餅をついた。
今度は光子がやばくなる。誰もが、そう思った。だが――。
「そうだな」
だが全員(夏生は除く)の予想を覆し、春樹は笑顔であっさり光子の頼みをきいてしまった。
「ミサ……いや、光子が、そう言うなら」
「そう、良かった。春樹君が話のわかるひとで本当に嬉しいわ」
その微笑ましい様子を目の当たりにした良樹達は全てを悟った。
――こ、この女……手懐けてやがるー!!
光子、恐るべし。誰もが、どんな状況下でも、光子なら、したたかに生き抜くだろうと確信した。
夏生が複雑そうな表情で二人のやり取りを眺めている。
「おい宗方、いいのか?おまえさん、相馬に惚れていたんだろう?」
川田が、こっそり夏生に話しかけた。
「……俺だって実の弟と恋敵や、ましてR的な兄弟になるのはごめんだ。
ただ、春樹の場合は普通の恋愛とは違う。
あいつは光子自身じゃなく、光子に似てるアニメキャラの面影を愛してるんだ。
俺には理解しがたい奇妙な愛情だが、同時に純粋だから光子に手は出さないだろ。
プラトニックなものまで禁止するほど俺は心の狭い兄貴じゃないんだ」
「おまえさんの弟は随分と相馬に心を許しているな。相馬なら上手く説得できるんじゃないのか?」
「期待しない方がいいぞ。春樹はケジメはしっかりつける子だ。
相馬への憧れと、おまえ達に対する憎しみは別。そういう人間だ、弟は」
「……そうか。上手くいかないもんだな」
川田は溜息をついた。
「春樹君、そろそろ昼食の時間でしょ。よろしかったらご馳走してくださらない?」
「ああ、いいぞ。じゃ、用も済んだし行こうか」
「おい待てよ、話はまだ済んでないぞ!」
再び三村が叫んだ。
「やめろ三村、もう俺達のことは気にするな!」
良樹は慌てて三村を制止しようとしたが、三村は止まらない。
「ほっとけるか!おまえも七原も大事なダチなんだ、殺されるってのに黙ってろって言うのか!」
三村の怒鳴り声に、上々だった春樹のご機嫌は再び悪くなった。
「……うざいんだよ」
春樹はカードキーを取り出すと牢屋を開けた。
「おい春樹、何するつもりだ」
「決まっているだろ、この野蛮人を今ここで片付けてやる」
「春樹!兄貴達の許可もとらずに勝手なことをするんじゃない!」
「いくら兄貴の命令でも引き下がれるか!こいつら俺の高尚な趣味を理解できない野蛮人どもだ!
俺のコレクションはぶっ壊す!呪いの言葉は吐く!最後くらい潔く幕を閉じようという品性や誇りすらない!
野蛮人をこれ以上生かすのは空気の無駄遣いだ。今すぐ息の根止めてやる!」
春樹は拳を握り締めると三村に殴りかかった。凄い音がした。三村も、殴った春樹も驚いていた。
床に倒れこんだのは三村ではない。三村をかばって咄嗟に二人の間に割って入った滝口だったのだ。
「……い、いてて。三村君、大丈夫?」
「おまえ、何てバカなことしたんだ」
「確かにバカだね……痛いよ」
滝口の頬は赤くはれ上がり、滝口は頬に手をあて涙ながらに呟いた。
「親父にもぶたれたことないのに」
「……おまえ、今、何て言った?」
春樹は片膝をつき、滝口を覗き込むように見た。
「な、何って……」
滝口の額から汗が流れた。
「す、すみません。悪気はなかったんです!つい、うっかりアムロの台詞をぉ!」
「おまえ、ガンダム知ってるのか?!」
「し、知ってるもなにも物心ついた時からのファンなんです!」
「冬也、少しくらい休んだらどうだ?」
秋利はコーヒーを手渡しながら休憩を勧めた。
「……そうはいくか。時間が惜しい」
冬也は国防省のコンピュータルームから盗んだカメラの全映像データを調査していた。
「防犯カメラ、隠しカメラ、その全てをチェックする。他人には任せられない」
「……冬也」
「これだけは絶対に他人はまかせられない。俺が片付ける」
やがて1枚の映像が冬也の目を釘付けにした。
二人の女が争っている。そして一人は気を失ったようだ。
勝ち誇る、もう一人の女。そこに男が現れ女を倒し、意識を失っている方を抱きかかえ去っていった。
そこで映像が途切れた。
「他のカメラには?」
「駄目だ。多分、この男が破壊したんだろう」
冬也は、その映像を何度も再生した。さらに映像を、より高画質にする処理も施した。
男の姿が鮮明になった。抱きかかえられている女も。
「間違いない。天瀬良恵だ」
秋利が言うまでもなく、冬也も彼女だと確信していた。
「男は誰かな?」
「……決まってるだろ、天瀬瞬だ」
冬也は忌々しそうに言葉を吐き出した。
「……サングラスと帽子で顔隠してるから結論だすには早くないか?」
「いや、あいつだ。間違いない」
冬也は立ち上がりながら叫んだ。
「だから危険をおかして姿を現した。この女がいたからだ!」
デスクに置かれている冬也の拳が震えていた。
「……俺は最初、K-11と繋がりがあるのは、この男だと思っていた。
こいつはF5を、あの化け物を解放してまで科学省を潰そうとした野郎だ。
K-11とつるんでいたとしても不思議は無い。科学省を崩壊させる為なら何でもする男だ」
「けど夏樹兄さんの推理じゃK-11がつるんでいるのは女だろ?」
「ああ、そうだ。夏樹の推理は間違いない。だが、この男が大人しく諦めると思うか?」
政府がひた隠しにしているF5事件。間違いなく第二、第三の、それが起きるはず。
「こいつは必ず何かやる。F5事件に匹敵するようなことを」
「それはやばいな」
秋利は、抱きかかえられ眠っている良恵を見詰めながらコーヒーを一口だけふくんだ。
「この男のいるところ必ず血なまぐさい事件が起きる。その、そばに彼女はいる……か。
冬也、もう、これ以上は無駄だ。映像からは奴の足取りは追えない」
冬也はコーヒーカップを手にすると、モニターに叩きつけた。
「俺はやっぱりファーストが好きで。周りのアニメファンは女の子ばかりだからWGばかり人気あったけど。
でも俺はガンダムはファーストが一番だと思っているんです。初恋はセイラさんでしたから」
「おまえ、わかってるじゃないか」
意外な展開だった。一番頼りにならないと思われていた滝口が何と春樹と意気投合してしまったのだ。
「おい雨宮、おまえ、あの二人の会話わかるか?」
「いや全然。赤ザクって何の専門用語だよ?」
やがて二人の会話が一段落した。滝口が必死に何かを訴えているようだ。
春樹は渋い表情で考えこんでいた。しばらくすると滝口が笑顔で何度も頭を下げ出した。
そして、二人揃って近付いてきた。
「皆、聞いて。助かるかもしれないよ、七原君や雨宮君も」
誰もが信じられない顔で春樹を見詰めた。
「おまえら野蛮人の中にも、こんな有識者がいるとは思わなかったぜ。
こいつの話だと、おまえらも初心者ながら、俺と同じ高尚な趣味の持ち主だそうじゃないか」
「……え?」
全員、呆気に取られた。春樹の背後では滝口が必死に『口裏合わせて』とジェスチャーしている。
「まあな」
その渋い声に全員振り返った。声の主は川田だった。
「もっとも俺は石森章太郎や松本零二みたいな古い漫画しか知らないが」
それは川田のハッタリだったが、春樹には効果覿面だった。
「そうか。おまえ達は、ただの野蛮人じゃないってことはよくわかった。
かといって俺に対する度重なる罪を無条件に帳消しにするわけにもいかない」
「だから、ここはジャンプ的に解決してやる」
良樹は頭に疑問符を浮かべた。春樹の言っている意味がわからない。
「少年ジャンプでは白黒つけるのはバトルだと相場が決まっているからな」
バトル……それは嫌な響きだった。
「おまえらが俺の出した試練に勝ち抜けば今までの事は水に流してやる」
【B組:残り45人】
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