「……よせ杉村。体力を消耗するだけだぞ」
鉄格子を両手で掴み必死に訴える杉村に川田が警告した。
「大人しくしろ。下手に連中を刺激したら、監禁どころじゃすまなくなる」
「皆、ごめん!」
七原が、その場に土下座した。
「俺がつまらない正義感振りかざして他人の痴話喧嘩に口出ししたせいで……!」
彼らは今、日の光が一切はいらない地下牢に投獄されていた。
季秋春樹と七原の因縁が分かった途端に、彼らに対する季秋家の態度が一変したのだ。
鎮魂歌―64―
「沙耶加、俺はいったん国防省に戻るよ。お仕事しないといけないからね。
でも、すぐに戻ってくる。だから、安静にして早く元気になってくれよ」
水島は見事なまでに、お優しい彼氏になりきっていた。
(天瀬良恵の行方も気になる。監視カメラの映像を全てチェックしないとな)
国防省はテロ攻撃によって、短期間のうちに重度のダメージを何度もくらった。
もっとも、自己の管轄外の出来事ゆえか、水島は平然としている。
自分の責任問題でない事なら、水島はどんな悲惨な事件事故が起きようと平気な人間なのだ。
それどころか、この件で左遷する人間がいるのは自分にとってはラッキーとさえ思っている。
病院の玄関までくると見知った顔があった。
「おや、立花君じゃないか。例の反乱分子の制圧は完了したのかい?」
「順調ですよ。後、半日もすれば全て片がつきます」
「ふーん、何だ、まだ終わってなかったのかい。菊池君は何をしているのやら」
「知らなかったんですか?また早紀子さんが拉致されたんですよ。
長官は彼女を助ける為にテロリストの要求に応じたんですよ」
これには水島も大いに呆れた。
(あの小娘、こんな短期間で二度も誘拐されるなんて。世間知らず通り越して馬鹿なんじゃないのか?
いくら長官の孫でも、あんな色気のない頭脳からっぽな小娘相手じゃ俺の食指も動かないよ)
「直人はテロリストには屈しないって主義ですからね。独断で事を進めた長官に抗議すると息巻いてました。
もっとも長官は一応入院中の怪我人ですから、長時間面会もできないでしょう」
薫の言うとおり、長官は「気分が悪いから話はまた今度……」と、5分もしないうちに面会時間を切り上げていた。
直人としては納得できないが、医者も長官の味方をして制止をかけてきた以上、引き下がる他はない。
「ところで君はどうしてここに?」
「……美鈴が爆発騒ぎで怪我をしましてね。軽傷で済んだのですが、様子くらいは見てやろうと思いまして」
「ふーん、士官ともあろう人間が、そんな私情で戦場から舞い戻ったのかい?呆れたねえ」」
「はあ……僕は仕事より愛を取ってしまう罪な男なんですよ」
「ふーん」
完全に軽蔑の眼差しで見詰めてくる水島。薫は内心、「あなたも同類でしょ」と苦笑いしていた。
「ああ、直人」
そこに直人が苦虫を潰したような表情で階段を降りてきた。
「やあ長官はお元気だったかな?」
「知るか。気になるなら見舞いに行け」
その時、屋外の方からざわめきが聞えてきた。同時に、凄い殺気が満ちてきたではないか。
「何だ?」
玄関の自動ドアが開ききらないうちに人影が飛び込んできた。
体当たりされた自動ドアは粉砕され、辺りにガラスが散らばった。
「ま、雅信!?」
出現したのは鳴海雅信だった。そう異様な殺気の持ち主は彼だったのだ。
殺気も異様だが、外見も異常だ。雅信の姿に捜査員や職員達は、皆一様にぎょっとなった。
全身ところどころ焼け焦げ、その上、ずぶ濡れ。
何よりも、その目は狂気で血走っており、地獄から這い出てきた悪鬼のようだ。
「どうした雅信、何があった?」
まるで地雷原のように、触れたら爆発しかねない雰囲気の雅信。
直人は嫌な予感がし、雅信に近付きなだめようとした。
とにかく、静かな別室に連れて行こうとしたが、雅信は直人の手をぴしゃっと払いのけた。
「……水島……克巳……!」
皆、驚いていたが、名指しされた水島が一番驚いたに違いない。
「水島克巳ー!!」
しかも雅信は猛然と水島に襲い掛かったのだ。
「雅信!」
こんな公の場所で特撰兵士同士の衝突などあってはならない。
直人は即座に雅信を押さえつけた。雅信は完全に怒り狂っており、直人の制止など振り切りそうだ。
「薫、何してる!?おまえも手を貸せ!!」
「あ、ああ」
二人掛かりで雅信を床に押さえつけた。雅信は、まだ暴れている。
「何なんだい、この子は!」
雅信の目は明らかに水島への怒り……いや恨みに燃えていた。
「俺は君に攻撃される覚えは無いよ」
「殺す!八つ裂きにしてやる、水島克巳!!」
雅信は狂犬病にかかった猛犬のようだった。猛犬どころか猛獣だ。
「よくも俺の女を!!返せ、俺の女を返せ水島ああ!!」
「……は?」
水島はきょとんとなったが、この光景を見つけていたギャラリーは納得した。
「水島さんが鳴海さんの彼女を寝取ったのか?」
「ああ、あのひとならやりかねないな。そういうことの常習犯だし」
水島の一睨みで、ゴシップを囁く声は止まった。
しかし、すでに周囲の野次馬達は、水島が雅信の女を横取りした――と思い込んでいる。
「殺す、ミンチにしてやる!離せ菊地直人!あいつを血だるまにしてやる!!」
「麻酔だ、誰か麻酔をもってこい!!」
突然の出来事に呆気に取られていたギャラリーだったが、ハッとして麻酔を持って来た。
直人は素早く雅信に注射針を突きたてた。それでも雅信は、まだ暴れている。
通常の人間なら、即座に意識を失う量だったにもかかわらずだ。
しかし、やはり雅信も生身の人間。やがて徐々にだが動きを鈍らせていった。
そこに直人の手刀が後ろ首に入り、ようやく大人しくなった。
「何て醜態だ雅信……こんな時に国防省の特撰兵士同士で揉め事を起こすなんて」
直人は苦々しそうに言葉を吐くと、「連れて行け!」と怒号交じりの指令を出した。
捜査官が数名飛び出し、雅信を運び出した。
「……水島先輩、これはどういう事だ?雅信は懲罰ものだが、あんたも責任は免れないぞ」
「冗談じゃない!」
水島は直人の戒告を一蹴した。
「俺には全く身に覚えは無いよ。鳴海君の恋人なんて聞いたことすらない」
すると薫が、「雅信の女と知らずに手を出したんじゃないんですか?」と口を出してきた。
「俺が、素性の知れない女に手を出すような節操なしとでもいいたいのかい?」
水島は身の潔白を豪語したものの、実際には身に覚えがありすぎて見当がつかない。
ともかく、この件で雅信は国防省の最も地下深い水牢につながれることになった。
博巳を水島と誤解し、その恨みを体内に蓄積させることになるのだった。
「じゃあ七原と雨宮が街中でやりあった変な男って季秋春樹だったのか」
雨宮と七原から話を聞いた三村は半分呆れ半分気落ちした。
争った理由そのものはくだらないにしても、今、自分達の生死を左右している事となれば重大だ。
「……そうか、あの時の小僧か。発砲までしてきたから、どんな御大層な喧嘩をしたのかと思った。
まさか、フィギュアを壊されただけだったとはな」
川田は煙草を取り出すも、ライターを取り上げられたことを思い出し溜息をつきながら、それをしまった。
「嘘だろ七原。いくらなんでもフィギュア壊されたくらいで銃なんか持ち出す人間がいるものか」
常識派の杉村は、「他にあいつを怒らせた理由があるんだろう?」と追求してくる。
「本当に何もないよ杉村」
「七原の言うとおりだ。俺も、現場にいたが、それ以外に何もしてないんだ」
杉村は訝しげな目で二人を見詰めた。
「あの人が怒るのも無理ないよ。大好きなキャラクターの超レアフィギュアは恋人も同然なんだよ」
突然、会話に参加したのは滝口だった。
「俺が、その立場でも切れるよ。そりゃ暴力はさすがに使わないけどね」
同じ漫画オタク。滝口には春樹の怒りがわかるらしい。
もっとも、その怒りのレベルは滝口から見てもかなり常識外なものではあったが。
「素直に謝って許してもらおうよ」
優しい性分の滝口は性善説の持論者らしく楽観的に考えていた。
実にピュアで、そして世間知らずの甘い考えだろう。
「滝口、最初に言っておくが、あまり期待しない方がいいぞ」
川田はその場に寝転んだ。
「どうしてなの川田さん?」
「理由はどうあれ、相手さんは銃を持ち出した。
おまえさんが近衛や片桐の立場だったら、弟と殺し合いをした連中に好意もてると思うか?」
滝口は、「……あ」と小さく声を上げた。
「ちょっと待てよ川田!あいつは銃を持ち出したが俺達は逃げただけで応戦してない」
良樹は即座に否定した。嘘は言ってない。
しかし川田は渋い表情で、「事実なんて主観でいくらでも見方が変わるものだ」と溜息交じりで言い放った。
「あの坊や、かなり興奮していただろう。俺は、あいつが『僕が一方的に攻撃しました』と言うとは思えない。
その証拠に、あの兄貴達は俺達の言い分は一切聞かず、こんな牢獄に閉じ込めたきりだ。
俺の予測では、今頃、俺達の処分の相談をしている。期待できない結果が出る可能性が高いぞ」
「思ったより元気そうじゃないか」
聞きなれた声に良樹達は一斉に鉄格子に視線を集中させた。
「佐竹さん!」
良樹は、鉄格子に飛びついた。
「どうなってるんだ!あいつら、俺達の言い分を何一つ聞いてくれなかった!!」
佐竹は険しい目つきで良樹を睨みつけた。その冷たい眼光に良樹は僅かにひるんだ。
「まさか、うちの若と街中で殺し合った相手だったとはな。
知らなかったとはいえ、敵を懐に入れて保護してやっていたわけだ、俺達は。
よくも今まで騙してくれたな。こんなバカにされたのは生まれて初めてだぜ」
「ちょっと待ってくれよ!あいつが、季秋家の息子だったなんて俺達だって知らなかったんだ!
それに殺し合いなんて大袈裟なこと言わないでくれ。
あんなもの普通なら他愛のない喧嘩で終わった事なんだ。
それなのに切れて銃を持ち出したのは、あいつの方なんだぜ!!
近衛さんと片桐さんに会わせてくれ。何があったのか説明くらいする権利くらいあるはずだ!!」
「自分達の立場がわかってないらしいな。権利ってのは対等の立場にたって初めて行使できるんだぜ。
近衛と片桐は可愛い弟をコケにされたと思って、かなりご立腹だ。
説明する前に、おまえらの顔みたら瞬殺しかねない様子なんだぜ。
元々、あいつら、おまえらに、いい感情持ってなかったからな。
弟の敵だと分かった以上、もう、おまえらを保護する理由もないってさ」
クラスメイトの救出を頼むどころか、今は自分達の命が風前の灯と化していた。
「だったら俺だけを好きにすればいいだろう!あいつとやりあったのは俺だ!
こいつらは何の関係もない。すぐに、ここから出してやってくれ!!」
七原も鉄格子に飛びついて叫んでいた。
「頼む、頼むよ。お願いだ!」
七原はがくっと崩れ、その場に両膝をついた。
その悲壮感漂う姿に、元々、情に厚い佐竹は心を動かされたが、だからといって味方をするわけにもいかない。
「小椋の機嫌が直らない限り、おまえらの言い分をきいてもらうのは不可能だ。諦めろ」
「佐竹さん、あんた、あの人たちの又従兄弟なんだろ!?説得してくれよ!!」
「今のあいつらには無理だ。俺の説得なんか聞きゃしないぜ。
同情はするが、俺も正直言って、あいつらの機嫌損ねるほど、おまえらの味方する気にはなれない」
「だったら俺が話を聞いてやるぜ」
第三者が現れた。お調子者の夏生だった。
「夏生さん!本当に俺達の言い分聞いてくれるのか!?」
期待をこめた眼差しに夏生は笑顔で答えた。良かった、話のわかる人間がいた。
「あたし達に感謝しないさよ。このスケベ説得するのは骨が折れたんだから」
「三村君、七原君。良かった、皆、無事だったのね」
夏生の背後には美人が二人。美恵と光子だ。
夏生が良樹達の話を聞く気になったのは人道的な理由ではなく、単なる下心だったらしい。
それでも、これは千載一遇のチャンスだ。良樹達は必死になって春樹とのいざこざを説明した。
桐山は必死に地下道を走っていた。今はとにかく距離を取る事が最優先だ。
(あの男は強い。倒すのは厄介だろう、それに時間がかかる)
背後から足音が聞えてきた。もう追ってきたようだ。
桐山は梯子を見つけると素早く昇った。マンホールの蓋を突き飛ばすように開け地上に戻る。
蓋をマンホールにセットし、その場を離れた。猛ダッシュだ。
100メートル11秒の速さで桐山は走りぬけた。チラッと肩越しに背後を見た、薬師丸はまだ地上に出ていない。
振り切ったかと桐山が安堵した、まさに、その時だ。
桐山の前方、20メートルの位置にあるマンホールの蓋が突き上げられ影が飛び出した。
薬師丸涼だ。桐山が逃げる方向を推理し先回りしていたのだ。
「俺から逃げられると思うな」
桐山は無言のまま薬師丸をじっと見詰めた。睨んでいるというより、ただ静かに見ているだけだ。
「俺に勝てる人間は、この国では5人もいないと自負している。大人しく逮捕されろ」
「断る。そう言えばいいのかな?」
「そうか、おまえの意志はよくわかった」
薬師丸は戦闘態勢をとった。
「『俺に勝てる人間は、この国では5人もいない』……か」
桐山と薬師丸の戦いを高見の見物にしている人間が一人いた。
双眼鏡を通して二人を見ている。唇の動きで何を話しているのかもわかっているようだ。
「四期生最強の薬師丸涼。おまえが勝つ自信のない人間は4人いる、そうだな?」
腰まである長髪。サングラスをしているが、顔立ちだけで、かなりの美形だとわかる男だ。
「うち、二人は高尾晃司と堀川秀明だろう。残り二人はどこの誰だ?」
男は彰人の側近・深水だった。
「桐山和雄か、あいつも随分楽しませてくれそうな素材じゃないか」
「こんな所で終わらせるのは勿体無い。せいぜい俺を楽しませろよ」
「兄貴!何で、あいつらを、さっさと処分しないんだ!?」
春樹は両手で机を激しく叩いた。
「あいつらは俺に喧嘩売ったチンピラだぞ!と、いうことは季秋の敵だ!!
第一、話を聞けば、あいつら政府のお尋ね者ってことじゃないか。
そんな厄介な人間と繋がり持っていたなんてばれたら季秋家がやばい。
さっさと片付けて存在自体闇に葬るのが最善の方法だろう!」
春樹は雄弁に良樹達の処分を強行に主張した。
「まさか、兄貴達は俺を殺そうとした連中を助けてやろうなんて考えているのか?」
秋利は溜息をつくと春樹の頭に手を置いた。
「そう焦るな春樹、兄ちゃん達が、おまえの敵の肩持ったことがあったか?」
「……ない」
「そうだろ?安心しろ、可愛いおまえをコケにしてくれた連中には、それなりの礼をしてあげるから」
「本当か兄貴?だったら話は早い。あいつら、さっさと処刑してくれるんだな?」
「おい、やめろよ。さっさと部屋に戻れよ!」
「うるさいわよ。あんたなんかに用は無いわよ、さっさとどきなさいよ!」
廊下から岩崎の声が聞えてくる。女の声もだ。
盛大に扉が開き、美しい顔を怒りで歪ませた貴子が現れた。
「どういう事よ!」
「何を怒ってる?綺麗な顔が台無しだぞ」
秋利は笑顔で淡々と言ったが、貴子の怒りは納まるどころか増大している。
「弘樹を地下牢に閉じ込めるなんてどういうつもりよ!」
「ふん、決まってるだろ。あれだけ政府を騒がした連中だ、どうせ捕まったら消させる。
そんな連中が季秋家とかかわり持ってたなんてばれたら迷惑なんだよ。
だから、その前に口封じさせてもらうぜ。当然の処置だ」
貴子の問いに、春樹は最も残酷な答えを吐いた。
「季秋に助けてもらえるなんて思っていた方が間違いなんだ」
「冗談じゃないわ!今さら無責任な事言わないで、捨て猫だって一度拾ったら最後まで面倒見るものよ!」
「あいつらは俺を殺そうとしたんだぞ。季秋本家の息子である、この俺をな」
貴子は、さすがに驚いたようだが、すぐに反論した。
「あいつらが、あんたを殺そうとしたですって?そんなはずないわ、甘い奴等なのよ。
敵でもない奴を襲うなんて考えられない。考えられるとしたら、あんたが何かしたんじゃないの?」
今度は春樹がムッとした。
「まるで俺に非があるような言い草だな。一方的にいちゃもんつけてきたのは、おまえの仲間の方だぜ」
「だったら、あいつらをすぐにここに呼びなさいよ!両方の言い分きいて公平に判断するべきでしょ!」
「そんな必要あるか!俺の宝を破壊した連中に温情なんか無用だ!!」
貴子の意見は正論だったが春樹は聞く耳持たずだった。
それ以上、逆らうようなら、例え女でも容赦しない雰囲気すらあった。
「春樹、いい加減にしろ。女相手に見苦しいマネするな」
しかし冬也が一言かけただけで春樹は借りてきた猫のように大人しくなった。
貴子に詰め寄るのをやめ、ソファに深々と座り込んだのだ。
「千草貴子。俺達は何も女のおまえ達まで排除しようなんて考えてないぜ。
野郎同士のいがみ合いに女巻き込むつもりはねえ。春樹、おまえもそれでいいな?」
「……まあ、女は関係ないからな。俺もそこまで狭量な人間じゃないぜ」
「と、言うわけだ。おまえの安全は保障してやるから部屋に戻ってろ」
「ふざけないで、そう言えば、あたしが大人しく引き下がると思ってたの?
弘樹の安全を保障するまで、あたしはここを動くつもりは無いわよ」
貴子は、あくまで杉村と運命を共にする考えを変えるつもりはなかった。
自身の命の保障さえすれば満足するだろうと考えていた春樹は驚いたようだ。
「弘樹は無事なんでしょうね?あいつに危害加えたら承知しないわよ」
貴子の本気に、この様子を静観していた秋利も僅かに心を動かされたらしい。
「そんなに気になるなら様子みるか?」
手元のリモコンのスイッチを押す。すると天井から100型モニターが降りてきた。
「地下牢の様子がわかる。泣きわめいてなけりゃあいいけどなあ」
パッと映像が浮んだ。鉄格子を境に良樹達と夏生が話し合っているのが見えた。
「夏生兄貴?!」
「あいつ、何、勝手なことしてるのかな?」
音声スイッチをON。すぐに会話が聞えてきた。
『つまり、要約すると、こういうことだな。七原、おまえは春樹が女捨てる現場に出くわした。
で、頭にきて春樹と言い争い始めて、その最中、なりゆきで春樹のフィギュアぶっ壊した。
頭に血が昇った春樹が発砲してきたので、慌てて逃げた。以上でいいか?』
『ああ、そうだ。俺達、あんたの弟と殺し合いなんかしてない!
一方的に殺されそうになっただけなんだ。信じてくれ!!』
モニターの中の夏生は溜息をつきながら髪の毛をかき始めた。
『……まあ、それが事実だろうなあ。春樹は漫画関係のことになるとカッとなる性格だから』
『ありがとう夏生さん、わかってくれて。じゃあ、俺達をここから出してくれるのか?』
『そうしてやりたいのは山々だが、秋兄と冬兄が何ていうか……一応話してやるけど』
夏生は、さも哀れむような口調で続けた。
『何しろ、おまえらは春樹と街中で銃撃戦までしたってことになってるからな』
春樹が一方的に発砲した事は、双方による銃持ち込み戦闘にまで話が飛躍していた。
『……何で、そんな事に』
『だから言っただろ。春樹は漫画関係のことになると頭に血が昇る性質なんだ。
兄ちゃん達に嘘ついたわけじゃなく、本気でおまえらと銃撃戦まで発展したと思い込んでるんだ。
厄介だなあ……よりにもよって春樹が熱愛してるエヴァのフィギュア壊すなんて』
『……そんな』
「あいつら、何、ほざいてやがるんだ。人のいい夏生兄貴を言いくるめやがって!
兄貴、構うことない。さっさと、あいつら処分してくれ!!」
「黙ってろ春樹」
『……だったら』
七原は夏生に土下座した。
『だったら俺だけを処分してくれ!あいつと争ったのは俺だけだ。三村や杉村達は関係ない!』
七原は自分はどうなっても構わないから、仲間は助けて欲しいと訴えた。
『俺も同じだ。あの時、俺も七原と一緒にいた』
すかさず良樹が自分の同罪だと名乗り出た。七原一人に全てを背負わせるつもりはない。
『俺と七原が責任をとる。他の奴らは関係ない、あいつに会った事すらないんだ』
「今の話は本当か春樹?」
「……確かに、あの二人以外は見覚えねえな」
『だから無関係の三村たちは助けてやってくれ!』
その言葉を最後に秋利は電源スイッチをオフにした。
「ちょっと、どうして切るのよ」
「少し状況が変わった。おめでとさん千草、おまえの大事な杉村は無罪放免だよ」
貴子は少しホッとしたが、すぐに「他の奴らはどうするのよ?」と問うた。
「地下牢からは出してやる。けど監禁はさせてもらうよ、仲間殺された後、俺達に牙向くかもしれんからなあ」
「あんた達、雨宮と七原を殺すつもり!?」
「だから、それも含めて再検討する必要ある」
秋利は、冬也に「どうする?」と尋ねた。
「無関係とは言っても、あの二人を始末したら、あいつら黙ってないだろうな」
話の流れからして、良樹と七原は相変わらず崖っぷち状態らしい。
「あんた達、あいつらの会話聞いてなかったの?つまらない喧嘩じゃない。
そんな事で、あいつらの人生奪うつもりなの!?」
「つまらないだと!?俺の綾波を破壊しておいて、つまらない!?」
春樹は全く違う次元で腹を立てていた。
「あの様子じゃ夏生は、あいつらに随分と同情していたようだしなあ」
「クソ!夏生兄貴め……もし、兄貴があいつらの味方するっていうなら俺にも考えがある」
「どんな考えがあるんだ?」
「渚カヲルのコスプレして山の手線に乗り込んでやるぜ!兄貴に大恥かかせてやる!!」
「恥かくのは夏生じゃなくておまえだよ。春樹、おまえは黙ってろ」
その後、秋利と冬也は怪しい相談を開始した。
「殺すのは避けたほうがいいんじゃないか?夏樹兄さんに義理もたたんからなあ」
「国交のない外国に捨てるのが最善だろ?東南アジアや南米に出る船がちょうど来月ある」
「おお、グッドタイミングだな」
(こ、こいつら、何、笑顔でふざけた談合してるのよ。下手したら殺すより残酷じゃない)
貴子はぞっとした。秋利と冬也は本気なのだ。
このままでは、死か、死を超える悲劇的人生しか、彼らには待っていない。
電話の着信音が鳴り響き、貴子はびくっと反応した。
こんな時だ。悪い知らせでも入ったと思ったのだろう。
しかし結果は逆だった。
受話器をとった秋利はにんまり笑って、「これで一応片はついたな」と言った。
「いいニュースだ。おまえ達、しばらくは追われないぞ」
「どういう事?」
「今回の事件で身元不明の死体が数体発見された。外見からは判別不可能な死体だ。
脱走を仕組んだ、おまえらの死体の一部だろうということで処理が進んでいる。
死亡が確認されていない人間は、相馬光子と今だ行方不明の桐山和雄。この二人だけだ。
これで政府の追っ手はかなり緩むだろう。捜索が打ち切られるのも時間の問題だ」
「身元不明の死体の一部……って」
秋利がにっこり笑うのを見て、貴子はそれ以上追及するのはやめた。
(……きっと、例の島で死んだ囚人達の遺体ね。こいつら、それをばら撒いたんだわ。
気に入らないやり方だけど、綺麗事は言ってられない。感謝するべきよね)
ともかく問題が一つ片付いたのだ。ほっと一息つく間もなく春樹がだるそうに立ち上がった。
「あんた、どこに行くのよ」
「夏生兄貴がバカな考え起こさないように釘刺してくる」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
貴子は慌てて春樹の後を追った。
「わかった。そこまで頼まれちゃしょうがない、俺が何とかしてやるよ」
夏生の頼もしい言葉に良樹はホッとした。
「夏生さん、お願い、七原君と雨宮君も助けてあげて」
「ええ~、そう言われてもなあ」
美恵のお願いに夏生は難しい表情をした。
「春樹があんなに怒ったのを見たのは久しぶりなんだよ。
あいつは彼女が手を滑らせてジュースを漫画にこぼしただけで激怒して、その場で別れる変態なんだぜ。
我が弟ながら理解に苦しむ。俺ならカワイコちゃんのミスくらい笑って許してやるのにさあ」
「だったら弟さんに会わせて!」
「美恵ちゃん?」
「私に弟さんを説得させて」
「俺を説得する?誰が綾波をぶっ壊してくれた悪党を許すかよ」
美恵達は、春樹が来ていることに気づいてなかった。
ちょうど廊下の角から、此方の様子を伺っている。
美恵の健気の様子もしっかり見たが、それでも心を動かすようすは全くない。
「お願いだから弟さんと話をさせて下さい」
「やめとけよ美恵ちゃん、さっきも言ったとおり春樹は現実の美女より二次元の女の方がいいっていう変態なんだ。
いくら美恵ちゃんでも、あいつは落せないって……でも色仕掛けなら、さすがのあいつも落ちるかな?」
七原の顔色が変わった。
「駄目だ、ダメダメダメ!そんなこと美恵さんにさせられない!」
「そうだ、そんなふざけたことは相馬の専売特許だろう!!」
「ちょっと三村君、それ、どういう意味よ」
「もう、いいよ。美恵さんに、そんなマネさせてまで生き延びようとは思わない。
ただ……心残りがあるとすれば、慶時のことだ。何とか助けてやりたかった」
七原は俯いた。もしかしたら泣いているのかもしれない。
「……それに安野先生にも恩返ししたかった。俺にとっては母親同然の人だから。
ほんの子供の頃、母さんに死なれてから、母親って呼べるのは先生だけだったんだ。
急に姿消して心配かけさせて、連絡もとれないまま死ぬんだ。申し訳ない」
「……あいつもガキの頃に母親を亡くしたのか」
貴子は春樹の言葉のトーンが落ちていることを敏感に悟った。
七原達を見る目が、先ほどまでの敵意に満ちたものと違う。
(あいつも……って、ことは、こいつも幼い頃に母親を失ったのね。
自己中で冷たいだけの人間かと思ったけど……考え改めてくれるかもしれない)
貴子は期待した。春樹は明らかに七原に感情移入しだしている。
「三村、もし安野先生に会うことができたら、俺の代わりに感謝の言葉伝えて欲しいんだ。
俺は先生のこと大好きだったって。毎晩、先生が読み聞かせてくれた童話や昔話今でも覚えている。
楽しかったよ。子供心にシンデレラや桃太郎にわくわくしてさ。いい思い出だったって」
「……何だって?」
(……え?)
貴子はぎょっとした。春樹の表情がガラッと変化したのだ。
先ほどまでは明らかに七原に情が湧いてきていたのに、今度は違う。
元の敵意に満ちた、いや、それ以上に殺意に満ちたものだった。
「俺は親戚にも見放された孤児だったから、いつか童話の主人公みたいになりたかったんだ。
ギターで歌手なり、いつかシンデレラボーイになって、成功するのが俺の夢――」
「シンデレラボーイだと!ふざけるな!!」
突然の怒号、しんみりした雰囲気だっただけに全員が一斉にぎょっとなった。
春樹は牢獄に向かって猛ダッシュすると鉄格子の間から腕を伸ばし七原の襟首を掴み一気に引き寄せた。
七原は鉄格子に激突、だが春樹は手を離さない。
それどころか、さらに引っ張り、七原は首を絞められているも同然の状態になった。
「シンデレラだぁ!?貴様、俺をどこまでバカにすれば気が済むんだ!!」
呆気に取られた夏生と佐竹だったが、はっとして慌てて春樹を止めにかかった。
「よせ春樹!こいつに悪気はなかったんだ!!」
「そうだ、離してやれ若!本気で殺す気か!?」
「ああ、そうだ。ぶっ殺してやる!俺の前で呪いの言葉吐きやがって!!」
「の、呪い……の言葉?」
「俺はシンデレラなんか大嫌いだ!聞いただけで反吐が出るんだ!!
やっぱり……やっぱり、このガキ、殺すしかないんだぁ!!」
「いい加減にしなさいよ!」
叫んだのは、この状況を半ば面白そうに傍観していた光子だった。
しかし、さすがに、うざくなってきたので怒鳴りつけたのだ。
「何だとお!?俺に逆らったら女だろうが兄貴達に言いつけて――」
怒りの形相で光子を睨みつける春樹。が、光子を見た瞬間硬直した。
懐からアニメの生写真を取り出し、それと光子の顔を交互に見詰め、そして呟くように言った。
「……ミ、ミサト?」
【B組:残り45人】
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