雅信が飛び掛ってきた。その動きは、人間の領域を超えた凄まじさだ。
「下がってろ!」
博巳は美恵を後ろに突き飛ばした。
「博巳さん!」
「さっさと逃げろ!こいつ普通じゃない!!」
美恵は、博巳を置いて逃げることに一瞬躊躇した。
だが、「さっさとしろ、邪魔だ!」と怒鳴られ、慌てて駆け出した。


「逃すか!」
雅信の足なら、美恵との間の距離はすぐに縮まる。
それを阻止すべく博巳が雅信の前に立ちはだかった。
「貴様……!」
「やめろ。嫌がっている」
「……殺す!」
雅信は博巳の左胸目掛けて足を蹴り上げた。心臓へのダメージを狙ったのだ。
だが博巳は雅信の蹴りを止めた。一瞬雅信は驚いたが、すぐにカッとなった。

「……そんなに俺に殺されたいのか?」




鎮魂歌―62―




桐山が立ち止まった。冬樹は何事かと思ったが、すぐに理由を察した。
二人は今岩陰から様子を伺っている。検問に突き当たったからだ。
強行突破を考えたが、兵士達の中に一人威圧感のある男がいる。
「……あの男、他の兵士とは格が違う」
「確かにオーラが違うなあ」
冬樹は懐から小型望遠鏡を取り出し覗いて見た。


「あ、あいつは……第四期特撰兵士の薬師丸涼じゃねえか!」


「知っているのか?」
「俺を誰だと思ってるんだ?季秋家の王子様だぞ。将来国の主軸になる人間はマークしてんだよ」
「強いのか?」
「特撰兵士だぜ。それも四期生筆頭だ、弱くはねえだろ。
高尾晃司と堀川秀明が国内にいない今、特撰兵士最強は、あいつだと思って間違いないぜ」
「どのくらい強いのかな?」
「そうだなあ。兄貴が言うには……」
冬樹は、兄・夏樹が、かつて言っていた言葉を思い出した。


『薬師丸涼は手強い。本気出しても、俺でも勝てるかどうか断定できないぜえ。
だから冬樹、あの男には滅多な気持ちで手を出すなよ。火傷どころじゃすまなくなる』



「……と、言ってたな。俺の兄貴でも勝つ自信がない相手だ。つまり」
「つまり?」

「あーはははっ!」

冬樹は上着を颯爽と脱ぎ捨てながら、岩陰から飛び出し、岩の上に降り立った。


「世界最強の、この超絶天才色男・冬樹様なら一瞬で終わらせてやれるということだ!」


冬樹の大声は当然のことながら、薬師丸や兵士達に聞え、彼らは一斉に此方を見た。
「どうするつもりなのかな?」
桐山が小声で質問すると、冬樹は「まあ見てな」と返答し、検問に向かって疾走した。


「薬師丸涼!俺から見りゃあ小者だが相手してやるぜ!!
おまえを片付ければ特撰兵士どもは俺には逆らえないって理解するだろうぜ!!」


「な、何だ、あの馬鹿は?薬師丸中佐に対して無礼な!」
「中佐、俺達が片付けます!」
一般兵士達が一斉に冬樹に襲い掛かった。
「馬鹿め、虫けらが神に勝てるか!」
冬樹は瞬く間に兵士達を蹴散らし、薬師丸の至近距離に踏み込んだ。
ここまでは冬樹の予定通り、後は薬師丸の顔面に一発お見舞いして気絶させる。
薬師丸は最強の特撰兵士、軍の裏の裏まで知っているはず。きっと役に立つだろう。

「天才の拳をくらえ!……は?」

だが、冬樹のシナリオに初めて狂いが生じた。
鉄拳一撃でふっ飛ぶはずだった薬師丸の姿が一瞬で消えた。
「後ろだ」
背後からの声、冬樹は慌てて体を反転させた。
ところが、薬師丸の姿を確認する前に、背中に衝撃が走り地面に滑り込んでいた。
即座に顔を上げると、薬師丸が自分を見下ろしている。


「ふ、ふふ……思ったより出来るじゃないか。ちょっと油断しすぎたぜ」
冬樹はすぐに立ち上がると、薬師丸をびしっと指差した。
「だがなあ格下!俺は、そんなに甘い男じゃないぜ。もうハンデは、な・し・だ・ぞ」
「ごたくはいい。かかって来い」
薬師丸は気の乗らない返事をした。
「ふふふ、さあて、そろそろ終わらせ……ん?」
冬樹は薬師丸が両手をズボンのポケットに入れていることに気づいた。


「……おい、格下。俺を相手にするのに、両手が塞がっているとは、どういうことだ?」
「これでいい。俺を本気にさせたかったら、実力でやって見せろ」
「……つまり、俺を相手に本気だす必要はないってことか?」
「そうは聞こえなかったのか?」
「……貴様」
冬樹は俯いた。これほどの屈辱の言葉は初めての経験だろう。
「くっくっく……なるほどなあ、そういうことかよ」
冬樹は自信満々の表情で顔を上げた。


「つまり、どうあがいても俺に勝つ自信がないから、最初から白旗上げようって意思表示だな!
だから全力で戦う必要はないってことか。だよな、勝負の決まった戦いにパワー全開なんて無駄なだけだ」
薬師丸は溜息をついた。
「痛い思いはしたくないか。いいぜ、最初の宣言通り、一瞬で終わらせてやる!!」
冬樹の飛び蹴り。予告通り、一瞬で終わらせるべく薬師丸の脳天に一撃いれるはずだった。
が、冬樹の蹴りは炸裂される前に停止していた。薬師丸の長い脚が冬樹の蹴りを止めていたのだ。
「ち、この期に及んで往生際が悪いぜ!」
冬樹はくるりと回転。その勢いを利して、薬師丸にきつい蹴りをお見舞いするつもりだった。
だが、きつい蹴りが襲ったのは薬師丸ではなく、冬樹だった。
冬樹は頭部に強い衝撃を感じ、一瞬で頭が真っ白になった。
霞みの向こうからガンガンという音だけが聞えてくる。
直後、地面にキスしていた。冬樹は何が起きたのかわからず、ふらふらと立ち上がった。


「……ま、まさか」
冬樹は自分に起きた出来事を推理した。
「美人薄命というが……まさか美形薄命で、俺は不治の病に?」
「そんなわけないだろう。俺の蹴りがはいっただけだ」
「……何だと?ふざけるな、格下なんかに俺に見えない蹴りなんか繰り出せるものか!」
冬樹、渾身の一撃。薬師丸は、それをいとも容易く紙一重でよけた。
「……な!?」
これには冬樹も驚いた。しかし超ポジティブな冬樹は、即座にまぐれだと判断、素早く次の攻撃を仕掛けた。
派手好きな冬樹にふさわしく、大変華麗な回し蹴りだった。
カンフーアクションのような大技。しかし、大技というものは、動きが大きく相手に読まれやすい。
薬師丸は簡単に冬樹の蹴りを避けた上に反撃してきた。
冬樹はかろうじて、その攻撃を避けたが、かすっただけで頬に血の線が生じた。
薬師丸の攻撃第二弾、冬樹はボディへの攻撃と察してすぐに防御の体勢をとった。
だが、そこで冬樹は四期生筆頭の肩書きが、どんなものか身をもって知ることになる。
薬師丸が仕掛けたスピードなら防御できるはずだった。だが、そのスピードが急激に加速したのだ。

(バカな、早すぎる。見えない!)

格段にスピードが上がった蹴りは防御をすり抜け、冬樹の腹部に確実にヒットした。
胃液が逆流するほどの打撃。冬樹はガクッと地面に両膝をついた。

「茶番はそろそろ終わりにさせてもらうぞ」

薬師丸は容赦ない攻撃を間髪いれずに入れてきた。
冬樹の目に、その動きはスローモーションのように、ゆっくりに見えた。
それなのに不思議なことに体が動かない。ただ、ゆっくりと攻撃を見つめることしかできない。
「く……!」
冬樹は真横に蹴り飛ばされていた。だが大したダメージはない。
なぜなら、冬樹が受けた蹴りは薬師丸が繰り出したものではなかったからだ。
「お、おまえ、何しやがる!」
冬樹は激怒して立ち上がった。その指差した先には桐山が立っている。
桐山が蹴り飛ばしてくれたおかげで薬師丸の攻撃を避けられたわけだが冬樹は到底納得いかない。


「一瞬で終わらせるのではなかったのかな?」
「な、何だと?」
「おまえの一瞬は随分長いな」

桐山は視線を冬樹から薬師丸に移行した。


「今度は貴様が相手……と、いうことでいいのか?」
「ああ、そう思ってくれて結構だ」














「さあ、大人しくしなさい。ここは崩れるわ、ひとまず出るのよ」
泪は杉村に銃口を突きつけた。
「弘樹!」

(俺はどうなってもいい。貴子だけは逃がさないと……けど、どうしたらいいんだ?)

いい考えなんか浮ばない。それどころか銃口に睨まれ、自由に動くことすらままならない。


「おい、その女をさっさと解放しろ。でないと実力行使に出させてもらうぜ?」


突然の第三者の乱入。全員が、その声の主に視線を向けた。
「国防省の人間……ではないわね」
国防省の制服を着用しているが、政府側の人間には無い臭いのようなものを泪は敏感に感じた。

「当たり前だろ。さあ、俺の大事な女を返してもらおうか」

大事な女呼ばわりされて貴子は「はあ?」と、半ばあんぐり。杉村は「はぁ!」とギョッとなった。
「……その声は、まさか宗――」
夏樹は掌を突き出すようなポーズをとった。
「おっと、名前は出すなよ。出されると後が厄介だ。わかるだろぉ?」
確かに季秋財閥の御曹司が、こんな反政府的活動をするなんて公になったら色々とまずい。


「さあ、貴子を渡してもらおうか」
「黙るのよ。反乱者は全員逮捕よ!」
泪は銃口を夏樹に向けた。その瞬間、夏樹が動いた。
(早い……!)
反射的に泪は発砲した。が、銃弾の先に夏樹の姿は、すでに無い。
(消えた?!)
驚愕したと同時に泪の右手から銃の重みが消えた。泪は再度愕然とした。
「綺麗な女が持つようなものじゃないぜえ」
夏樹が泪の真横で壁に背をもたれながら、銃をかかげブラブラと揺らしていた。
泪は顔面蒼白になるほど驚いた。夏樹の動きは普通では無い、特撰兵士クラスといっても良かった。
だが泪も戸川が手塩にかけて育てた兵士、すぐにショックから立ち直り反撃した。


「貴様!」
泪は右拳を夏樹の顔面目掛けてはなった。
が、鍛え抜かれた女性兵士も夏樹から見れば、ただの女。
簡単に止められ、逆に後ろ手に手首をつかまれ自由を奪われてしまった。
「よせよ。俺は女を取り返しに来ただけだ。敵とは言え美人を痛めることは本意じゃないんだ」
「く……離せ!」
泪はもがいたが、夏樹の腕力は女の細腕では、とても振りほどけない。
「寿、何してんのよ。さっさとやっつけなさいよ!」
「よ、よし!今度は俺が相手だ!断っておくが俺は科学省では将来有望な優等生なんだぞ!
どこの誰だか知らないが、俺の鉄拳で沈めてやるぜ。覚悟し――」
夏樹の蹴りが寿の顔面に見事にヒット。
寿の意識は明後日の方向に飛んでしまい、肉体はそのまま床に沈んだ。
「寿、この役立たず!」




「これでわかったろ?おまえ達じゃ、どうあがいても俺には勝てないぜえ?
さあ、貴子を引き渡してもらおうか。もっともNOだと言っても連れて行くけどなあ」
「だ、誰が、おまえなんかの言いなりになるものですか!
この女の事は戸川大尉から命令されているのよ。決して渡さないわ!!」
「戸川~?ああ、あれか。よせよせ、俺の方が十倍いい男だ。だから俺のいう事きけよ」
「おまえのようなゴミが大尉を侮辱するなど許さない!!」
泪は激怒したが、感情とは裏腹に、とても逆転できそうも無い。


「今度はあたしが相手よ。よくも、馬鹿寿を!」
まどかが飛び掛ってきた。脳天踵落としの体勢。思いっきり足を振り上げたせいで、パンツ丸見え。
もっとも、まどかは、そんな事を気にするような奥ゆかしい女の子ではない。
「苺か。俺の好みじゃないなあ」
夏樹は失笑すると泪を突き飛ばし、まどかより、はるか高く飛び上がった。
「え……ええ!?」
目標の夏樹が真下から忽然と消え、まどかは大いに焦った。
なぜなら、まどかの踵落としの先には、もう一人いたのだ。床で伸びている寿が!

「ひ、寿ー!?」
「は、はい、まどか!」

まどかの大声に条件反射で寿は目を覚まし立ち上がった。そこに、まどかの踵落としが炸裂!
寿が悲鳴をあげ再び気を失ったのは言うまでもない。
「ちょ、ちょっと寿!」
寿の脳天からは血が流れ、その顔色は白くなっている。
「よくも寿を殺したわね!」
「おい、それはないだろぉ?言いがかりも、いいところだぜ」
ちなみに寿は、まだ死んでいない。
「うるさいわね!」
まどかは凄まじい猛攻を仕掛けた。
変則的なの三段蹴り、高尾のフィアンセの肩書きは伊達では無いと言わんばかりの素晴らしいものだった。
が、夏樹は口笛を吹きながら、あっさりかわしてしまう。


「驚いた。おまえ、そこらの士官より、よっぽど強いぜ。でも、相手が悪かったなあ。もう寝ろよ」
夏樹の手刀がまどかの後ろ首にはいった。まどかの意識はそこで中断した。
「さあ貴子、俺と愛の逃避行と行こうぜ」
夏樹のキザな言葉に貴子は半ばぽかんとしたが、今は呆れている場合ではない。
「え、ええ……さあ弘樹!」
貴子は杉村の腕を自分の肩に回し立ち上がった。
「ねえ、あんたも手を貸して。弘樹を運ぶのよ」
「俺は男に肩を貸してやる趣味はないぜえ」
「ちょっと!」
「……たく、しょうがねえなあ」
夏樹は杉村の腕を手に取った。その時、泪が猛然と襲ってきた。
ガチャンと音がして夏樹の手首に手錠がかかった。泪はすかさず、手錠の片側を自分の手首にかける。


「おい何のマネだ?」
「確かにおまえは強い。私では到底勝てないわ。でも、これなら私を倒そうと簡単には逃げられないわよ。
私をかかえたまま、ここからは逃げられないでしょう?それとも、今すぐ私を殺して手首を切る?
どっちにしても時間がかかる。その間に必ず大尉が戻ってきてくださるわ」


「それまでの時間稼ぎさえ出来ればいい」
「その為なら死んでもいいってことか?」


「そうよ、大尉のお役に立てるなら、私の命なんて安いものだわ」
「おいおい、よせよせ。戸川なんか、おまえみたいな美人が命かけるほど価値があるのか?」
泪の目の色が変わった。
「黙れ、おまえなんかが大尉を侮辱するなんて許さない!」
泪は鉄拳を繰り出したが。もちろん夏樹に当たるわけがない。
「そんなに、あいつの悪口言われるのは嫌なのかよ。俺が見る限り、あいつは冷血人間だぜえ。
おまえみたいに熱い血の通った女が忠誠誓ったところで、その思いに応えてくれるような心は持ってねえよ」
夏樹は、ニヤッと笑って泪の耳元に囁いた。

「おまえ、あいつに惚れてるんだろ?」

途端に泪は耳まで赤くなった。
「図星かよ。だったら尚更やめとけ、あいつは女の愛に応えるような熱いハートなんか全然ねえ」
「だ、黙れ!ふざけたことを言うな!私は大尉の部下、下種な考えなど持っていない!
私は、ただ、大尉のためなら……大尉の命令を実行さえできれば……!」
「おまえが自分の命令の為に死んでも涙一つ流してくれないような男なのに健気なことだなあ。
今からでも遅くない。あいつの部下なんか、やめちまえ。俺がいくらでも身の振り方紹介してやるぜ」
「黙れと言ったはずよ!おまえなんかに、小次郎様の何がわかる!?
あの方は、私のような女を救って下さった!あの方がいなければ、私は人間ですらなかった!
おまえのような下種がわかったような口をきくな!!」
「やれやれ、聞く耳もたずかよ。だったら、これ以上は無駄だ。おやすみ」
夏樹は、まどかにしたように泪も気絶させてしまった。


「宗方、その手錠、どうするのよ?その女かかえて脱出する?」
「よしてくれ。俺は赤い糸以外には繋がれないポリシーなんだ」
夏樹は手錠の鎖を握り締めると、両腕を左右に一気に開いた。
ガチッと鈍い音がして、鎖の中央部分は勘単に引きちぎらた。

「……あ、あんたって顔に似合わず怪力なのね」
「さあ、行くぜ。愛の逃避行だ、大まけで男も連れて行ってやるぜ、感謝しな」














「基地が爆破されただと!?」
直人は愕然とした。やはり嫌な予感が的中した、反乱は基地から目をそらす為の囮だったのだ。
『指令を出せる士官が不在の為、現場は混乱しています。どうしたら、よろしいのですか!?』
おろおろする職員に、直人は、「貴様も国防省の人間なら取り乱すんじゃない!」と一喝。
「すぐに戻る!」と怒鳴りつけると即座に携帯電話を切ろうとした。
『ま、待って下さい!それだけじゃないんです!!』
「まだ何かあるのか?」
『実は早紀子さんが、また誘拐されたんです』
直人は怒りで声も出なかった。


(あ、あの女……性懲りも無く、また誘拐されたのか?こんな時に……クソ、殴ってやりたい)


怒りを抑え、直人は質問した。
「で、犯人の要求は?」
『相馬光子という女を釈放することです』
「例の連中の一人だな。そんなこと、もちろん承知できるか。テロリストには屈しない」
『……はあ、それが、その~』
歯切れの悪い口調に、直人はピンときた。
「まさか、もう!」
『は、はい……長官のご命令で、すでに相馬光子を連れ指定された場所に向かっています』
直人は怒りのあまり携帯電話を地面に叩きつけていた。
その頃、夏生と光子が感動の再会を果たしていたのは言うまでもない。














「夏生さん!」
「光子!」
夏生は感極まって走ってきた光子を思いっきり抱きしめた。
その温かい体温に、これが夢でないことを実感し嬉し涙さえ流れてくる。
「もう遅いじゃない。てっきり夏生さんが、あたしのこと見捨てたのかと……」
「バカだなあ、俺が光子ちゃんを見捨てるわけないじゃないか」
「まあ本当?光子嬉しい!」
光子は夏生を抱きしめた。満面の笑顔の夏生、光子が、こっそり含み笑いしていることにも気づかずに。
「ねえ夏生さん、光子のお願い聞いてくれる?」
「もちろん」
「早く美恵を捜して保護してちょうだい。あたしの、たった一人の親友よ、失いたくないわ」
「それは俺だって同じだよ。大丈夫、手下を大勢使って今捜索してるから、すぐに見付かるよ」
「まあ、嬉しいわ」
光子は思った。
(ふふ、思ったより気が利く男ね。これからも、よろしく夏生さん)














「あ、あれは……杉村!それに貴子さん!!」
良樹は駆け寄った。良かった、二人とも無事だったのだ!
「貴子さん、杉村、本当に良かった。それにしても……夏樹さんが助けに来てくれるなんて意外だったな」
良樹は信じられないという目を露骨に見せた。
「勘違いするな。俺は貴子を助けにきただけだ」
「……はは、やっぱり」
「すぐに出るぞ。運がよければ、おまえのお仲間の川田達とも合流できる」
良樹を心配して駆けつけた七原、その七原を追いかけてきた幸枝と友美子とも合流した。


「すぐに建物の外に出るぞ」
「ま、待ってくれよ夏樹さん、まだ何人か仲間がいるんだ!」
七原が慌てて夏樹を止めた。その仲間とは旗上達のことだろう。
杉村と貴子を見捨てたとはいえ、やはり七原にクラスメイトを見捨てることは出来ない。
「知るか、引き返す余裕なんてねえよ。今すぐ別の非常口から外に出る」
「そ、そんな!すぐに連れて来るから少し待って――」
夏樹は七原の襟首を掴むとグイッと引っ張って耳元で囁いた。


「俺が何も知らないと思っているのか?あいつらが貴子を見殺しにしょうとしたことはばれてんだよ。
どうしてもというなら連れて来てもいいが、俺に皆殺しにされる覚悟で連れて来いよ」


七原は固唾を飲み、二度と夏樹に反論しなかった。
「わかったようだな。それでいい、物分りの良さは長生きする秘訣だぜ」
夏樹は、「じゃあ行くぞ」と指示を出した。
「七原?」
足元が諤々と震えている七原の肩に良樹は両手を置いた。
「どうした、早く行くぞ。夏樹さんの言う通りだ、引き返す時間はなさそうだ。ここは崩れる。
あいつらは、もう入り口付近まで逃げていたし大丈夫さ。信じて今は自分達の事を考えよう」
「……あ、ああ」
七原は良樹に促されて走り出したが、まだ震えは止まらなかった。


『俺に皆殺しにされる覚悟で連れて来いよ』


(何を怯えているんだ?あんなのは、きっときつい冗談だ。冗談に決まってる。
けど、夏樹さんの目は嘘を言っているような目じゃなかった……まさか、まさか本当に?)

七原は答えの出ない恐怖は忘れる事にした。














ポタポタ……赤い雫が地面に吸い込まれていく。
この光景を見た人間は地獄の修羅道に迷い込んだ錯覚に陥るほどの凄惨さ。
血みどろの雅信と博巳が、その光景の中心に立っていた。
「……まだ邪魔するのか?」

(こいつ強い……さすがに特撰兵士の称号はダテじゃないってわけか)

博巳は特撰兵士ではない。特撰兵士を目指したこともあったが、さる事情で断念した。
その後も、自分に厳しい訓練を課してきたこともあり、特撰兵士に劣ってない自信はある。
だが自分になくて特撰兵士にあるものが一つある。決定的といってもいいほどのものが。
それは特撰兵士ゆえの過酷な実戦の経験値だ。
特に雅信は殺し専門の秘密工員。人殺しに何の躊躇もない。
まして貪欲なまでに求めた女との邪魔をする博巳に対して今は殺意以上の感情を抱いている。


「殺す!」
(早い!だが攻撃は単純だ、避けられる)


博巳は、右に重心をそらした。雅信の拳が博巳の顔の真横をすり抜ける。
「殺す!」
だが雅信の執念は運動量を倍増していた。雅信は、そのまま腕を左に振りぬいた。
(顔面に……当たる!)
博巳は咄嗟に背後に飛んだが、雅信も飛んでいた。執念深さと言う名のしつこさ。
鈴原は、どこまで逃げた?)
美恵の気配はかなり遠のいている。しかし博巳は、まだ距離が足りないと判断した。
(今、俺が退却したら、こいつはすぐに彼女を追いかける。特撰兵士の足なら一分もかからない)
流血による体力の低下も雅信には問題ではない。
それどころか自分の血を見て興奮してパワー増大しているくらいだ。

(俺が囮になって、こいつを引き離す……ダメだ、こいつの彼女に対する執着は異常すぎる。
間違いなく俺ではなく彼女を追いかける。何なんだ、こいつは?!)














桐山が地を蹴った。その勢いを利して、一瞬で薬師丸の間合いに入った。
そして間髪いれずに薬師丸の首筋に狙いを定め、横一直線に手刀を放つ。
だが桐山の手刀が決まるどころか、その直後、桐山は何メートルも飛ばされていた。
途中、木々に激突するも、その木がバキバキとなぎ倒されるほどだった。
桐山の体は茂みの中に沈んだ。普通の人間ならば、全身骨折で自力では起き上がれないだろう。
だが桐山は、唇から流れた血を手の甲で拭いながら、すくっと立ち上がった。
対する薬師丸は僅かに眉を動かした程度で、全く動じていない。


桐山は猛然とダッシュした。薬師丸目掛けて一直線。
薬師丸は防御の体勢もとらず桐山の動きを静かに直視しているだけ。
薬師丸の間合いに入る瞬間、桐山は突然、右に移動。
その素早い方向転換、常人の動体視力では追いかけることすら困難だっただろう。
さらに桐山は高くジャンプした。
空中で一回転、そのまま薬師丸の頭部に落下速度が加わった強烈な蹴りをお見舞いするはずだった。
ところが薬師丸は桐山の攻撃を視覚で確認もせず、ただ腕を真上に上げた。
桐山の渾身の蹴りは、薬師丸に簡単に止められた。


しかし桐山の攻撃は止まらない、薬師丸の肩を掴むと両脚を空中高く振り上げた。
倒立の体勢となり、薬師丸の首をつかむ。
足を回転させ、その遠心力で彼の首の骨を折ろうというのだ。
が、薬師丸は、まるで銅像のように微動だにしなかった。
それどころか桐山の腕を掴むと、先程よりもはるか遠くに投げ飛ばした。
桐山の体は今度は木ではなく岩に向かって飛んでいた。
激突したら怪我だけでは済まないであろう。
桐山は空中で体を反転させて方向転換を試みた。
しかし薬師丸の蹴りが追加、方向転換どころか加速した。
哀れ、桐山の肉体は岩との衝突により、血みどろの肉塊と化すところだった。
だが桐山がぶつかったのは岩ではなく、岩と桐山の間に割り込んできた冬樹だったのだ。




「……たく、俺が美女以外の人間なんかを受け止めるなんて」
「おまえ、俺を助けてくれたのかな?」
「……そんなんじゃねえよ」
冬樹は忌々しそうに薬師丸を睨みつけた。
「俺は、たった今、気づいたんだ」
「何をかな?」
「俺は今日は調子が悪い。それも、かなりだ」
桐山は目をぱちくりさせた。
「つまり、通常の三割程度の力しか発揮できないようなんだ」
「なぜ、そう言いきれる?」
「なぜだって?そうでなければ――」
冬樹はびしっと薬師丸を指差した。


「あんな格下相手に、無様な醜態さらすはずがないからだ!」


薬師丸は冬樹を挑発するかのように欠伸をした。
冬樹のこめかみに青筋がはいった。かなり頭にきたらしい。
「こうなったら、ひっじょーに不本意だが、おまえと共闘してやってもいいぜ。
例え三割でも、俺は元が強すぎるから、あいつとは今でもほぼ互角のはず。
つまり、微力とはいえ、おまえが俺に加勢すれば、今度こそ一瞬で終わる」
冬樹は、「くくっ」と笑いを浮かべた。
「おまでもわかる単純な計算だろう?」
「なるほど、確かに簡単な計算だ。しかし、先ほどの戦闘を見る限り互角に見えなかった」
「そうか、おまえの目には、俺の方がやや上に見えたわけだ」
「…………」
「いいか、俺が攻撃を仕掛けるから、おまえは俺の援護をしろ。いいな?」
桐山は、まだ納得は出来なかったようだが、優先すべきは勝利だということは理解していた。
その為には、今は、この妙な男との共闘は最もいい手段だろう。

「いいだろう。おまえに協力してやる」
「勘違いするな。させてやるんだ」














「ごめんなさい博巳さん」
美恵は森を抜けた。後ろを振り向いたが、雅信が追いかけてくる気配は無い。
博巳は、あの水島の兄だ。簡単にやられるとは思えないが、雅信が負けるとも思えない。
「どうしたらいいの?」
博巳に促されるまま全力疾走で逃げたものの、やはり博巳の事が気になる。
何とか博巳を助けないと。かといって自分には何の力もない。今は頼れる人もいない。
そこに、一台の車が猛スピードで走行してくるのが見えた。
もしかして雅信の仲間かもしれない。美恵は、慌てて木の陰に身を隠した。
車は停車し、中から少年が二人出てきた。年上?同年?とにかく、あまり同じ年頃なのは確かだ。


「この辺りだよな。国防省の猟奇野郎が女を襲ったってのは?」
「ええ、そうです。ああ、すみません。道を一本間違えました。この森の向こうですよ」
「何だよ。じゃあ、すぐに道を戻って……あれ?」
木の陰から、こっそり見ていた美恵に少年達は気づいてしまった。

「……あ」
「あ!」

しまった!美恵は慌てて走った。「待てよ!」と大声が肩越しに聞えてくる。
(待てるものですか。早く、早く逃げないと!)
美恵はギクっとした。少年の一人が美恵を飛び越え、くるくるっと二回転して前方に着地したからだ。


「見つけたぜ。さあ、俺達ときてもらおうか」




【B組:残り45人】




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