「いいこと?この先、何があっても克巳にだけは惚れないで」
早苗の忠告に美恵は半ば呆気に取られた。
「言われるまでもなく、私は、あの人苦手ですから……」
「私も最初はそう思っていたわ。でも今は、あいつの女よ」
早苗は自嘲気味に笑みを浮かべた。その表情は哀しそうでもあった。

「克巳は目をつけた女は絶対に逃がさない性格よ。特に自分を嫌っている女はね。
つかまってモノにされたら最後、あいつからは離れられなくなるわ」


「大久保、そのくらいでいいだろう?もう行かないと」
博巳に促されて、早苗は「そうね」と言った。
「水島君、あなたも大変ね。あなたの性格上、この娘のこと見捨てられないのでしょうけど。
でも係わるのは、これきりにすることね。あなたの為にも、この娘の為にも」
「ああ、わかっている……俺は疫病神だ、二度と係わるつもりはない」
「それを聞いて安心したわ。はい、これ」
早苗は博巳にチップを手渡した。
「この辺一体に配置された国防省の人員の位置と人数がこれでわかるわ」
「悪いな、恩に着る」
博巳は美恵を連れ、その場を立ち去った。


――この時の早苗の忠告を博巳が忠実に守っていれば、後の悲劇は起こらなかったかもしれない。




鎮魂歌―60―




「……意味がよくわからないな」
桐山は小首をかしげた。冬樹はじれったそうに舌打ちする。
「バッカじゃねえの?こんなシンプルな計算もできないのかよ。
俺は、美恵とカップリングする。けど、おまえが哀れだから情けかけてやってるんじゃねえか。
俺の姉だけあって、こいつも絶世の美女だろ。上手くいけば莫大な持参金もついてくるぞ。
こんな最高の条件だしてやる俺の寛大さを天のように仰げよ。わかったか一般庶民!」
桐山は顎に親指を添えて考えたが数秒後に、冬樹に問うた。


「つまり、おまえは鈴原と付き合う交換条件として、俺に、この女と付き合えといいたいのか?」
「ああ、そうだ」
「なぜ勝手に決める事ができる?おまえの姉の意志はどうでもいいのかな?」
「当たり前だろ。姉だからこそ弟の役に立つのは当然!よって感謝もしないし詫びもいれない」
桐山は、また少し考えた。そして、こう言った。
「だが俺の意志はどうなる?俺には、そんなつもりはない。わかっているのか?」
「何だと?」
冬樹はあからさまに不愉快な表情になった。


「俺は鈴原と、おまえの姉を交換するつもりはない。理解してくれるかな?」
「ふざけるな、おまえ、うちの姉に不満があるってのか?」
「いや、ふざけてはいない」
桐山は真面目だったが、その返答は冬樹にはしゃくに障ったようだ。
「うるさい、とにかく、おまえは美恵から手を引け!」
冬樹は写真を投げつけた。桐山が避けたので写真はひらひらと地面に落ちた。
「時間が惜しいから俺は行く。早く鈴原を助けてやりたい」
歩き出した桐山を冬樹は慌てて追った。
「何、抜け駆けしてんだ。俺も行くぞ、あいつは俺の女だからな!」














「きゃぁぁー!!」
「な、何だ……うわぁ天井がふってくる!」

地震のような激しい揺れ、そして天井や壁の瓦解。生徒達は当然のようにパニックになった。
戸川の部下たちが銃で威嚇しなければ、とっくに廊下に飛び出しクモの子を散らすように逃げ惑っていただろう。
だが、銃で押さえつけるのも限界だった。
すごい音がして廊下の天井が爆風で粉々に砕け散った瞬間、生徒達は最後の理性を失った。
生徒も、そして戸川の部下達も、反射的に身を翻す。
一瞬視界が遮られ、次に炎がふってきた。
幸か不幸か、その一連の惨劇が戸川の部下と生徒達を引き離した。
生徒たちは、いっせいに廊下に飛び出し走り出した。
だが非常口の場所などわからない。ただ、闇雲に廊下を走っているだけなのだ。

「まずい、駄目だ。そっちは行き止まりだぞ!」

良樹の声も彼らの耳には届かない。恐怖で完全にパニック状態になっている。
「三村、七原!あいつらを連れ戻すんだ、あっちは逆方向だ。
外に逃げないと建物ごと押しつぶされるぞ!」
クラスで最速クラスの七原が猛スピードで、生徒達の前に走り出た。
両腕を広げて、「止まれ!こっちは逆方向だ、反対方向に逃げるんだ!」と制止を試みる。
「う、うるせえ!そこをどけ、どいてくれよ!!」
ところが先頭を走っていた旗上は止まるどころか七原を殴ってきた。
七原が倒れこむ。その横を走り抜けて抜く一団。


「七原君、大丈夫?」
だが七原の必死の行動は無駄ではなかった。
幸枝や友美子など一部の女生徒が立ち止まり、心配そうに七原に駆け寄ってきた。
「俺は大丈夫。それより、あいつらを……!」
七原は必死になって、「そっちに行くな!」と叫んだが効果はなかった。
「駄目だ、あいつら俺の話なんて聞きゃしないんだ!」
七原は悔しそうに床を殴った。その直後銃声が空気を引き裂いた。
七原も、そしてパニックに陥っていた生徒達も、いっせいに背後に振り向いた。
良樹が銃口を真上に向けに発砲したのだ。


「そっちじゃない、こっちだ。早くしろ!」


生徒達は混乱しているようで、立ち止まったものの、良樹の指示にも素直に従わず、ただ途惑っている。
そうしている間にも、徐々に煙と炎が充満してきた。


「こんな所で死にたいのか!さっさとしろ、でないと、おまえ達を撃つぞ!!」


それは警告と言うより脅迫に近いものだった。しかし効果はてきめんだ。
生徒達は慌てて体の向きを変えると、良樹の指示に従いだした。
理性を無くした烏合の衆をまとめたのは銃による恐怖だった。
銃を嫌っている良樹にとっては皮肉極まりない結果になった。

「やったな雨宮、とにかく、今はすぐにこの危険地帯から逃げようぜ」
「あ、ああ、わかってるよ三村」














「兄貴、仕掛けた爆弾が全て爆破したようだぜ。支柱をぶっ壊したから、建物も2、30分で半壊する」
「ご苦労。さあて、敵さんは、どうでるかな?」
夏樹は高台から国防省の基地を見つめ、次の情報を待っていた。
「兄貴、本当に、あいつらを見捨てるのか?」
冬也が言う、あいつらとは良樹達の事だ。
夏樹は、「見捨てるどころか、俺は十分にチャンスをくれてやった」と笑みを浮かべている。


「逃げるチャンスをやったんだ。これ以上、何をしてやるっていうんだ。
このチャンスを生かすも殺すも連中次第。死ねば、それだけの運命だったと言う事だ。
生き残ったら連中を認めてやってもいい。
とりあえず、俺が助けてやりたいと思っているのは、あいつらじゃないしなあ」


「宗方、わかったぜ!」
佐竹が駆け寄ってきた。
「千草貴子は戸川に連れられて、今、あそこにいやがる」
夏樹の表情が険しくなった。
「……ちっ、厄介だな。しょうがねえ、俺が直接、行ってくるか」
夏樹は、いざという時の為に用意させていた国防省の身分証明書と捜査員用の制服を取り出した。
「おい兄貴、何も直接助けに行く必要はねえだろ?佐竹か乃木に行かせろよ」
「そうは行くか。気に入った女を守る役は他の男には回さない。それが色男の条件だろ冬也?」
夏樹は妙な美学を淡々と語ると、「おまえ達は夏生と冬樹のお姫様を救出する手助けをしてやれよ」と指示を出した。


「あいつらは俺達と違って、まだまだヒヨッコだ。お調子者だから、変な所で失敗するしなあ。
その分、兄貴のおまえ達が補ってやれよ。あんな馬鹿でも、一応弟だ」
「気が向いたら、そうしてやるぜ」
冬也は実に素っ気無い返事をした。夏樹は、「やれやれ」と溜息をついた。
「おまえのそういう所が心配なんだよ。ま、子供までは、そうならないように愛想のいい女選べよ」
夏樹は国防省捜査官の制服にびしっと着替えると、「似合うか?」と、ポーズをとって見せた。
「よく似合うぜ。最悪だ」
「そりゃ、どうも。じゃあ、俺は愛しのハニーを迎えに行って来る」
「さっさとそうしてくれ」と、冷たく突き放す冬也に、夏樹は、もう一言いった。

「コンピュータルームは無事だ。あいつが無事がどうか調べておけよ」

「あいつ?」
天瀬良恵だ。雨宮達の仲間のクソガキにさらわれた後どうなったのか安否が知りたいと思ってな」
冬也は神妙な顔つきになった。


「本気か夏樹?本気で、あいつに惚れているのか?」


夏樹は残念そうに、「そうなってもいいと思った事もあったけどな」と笑った。

良恵は、いい女だ。俺の自慢の弟が惚れるだけの価値がある。
その可愛い弟の大事な女じゃ、さすがの俺も諦めるしかねえだろう。
だからこそ、兄貴として、しっかり彼女は繋ぎとめておいて欲しいと思ってるんだぜえ。
特撰兵士だか何だか知らねえが、佐伯徹なんかにくれてやるために、俺は身を引いたわけじゃないんだ」

夏樹はくるりとターンして右手を高々と上げると、「じゃ、行って来るぜ」と走っていった。

「……ふん、おまえも十分バカな男だぜ」

冬也は面白くなさそうに舌打ちした。














(……やはり気のせいでは無い)
桐山はくるりと横に視線を向けると、自分と平行して歩いている冬樹に言った。
「いつまで俺についてくるのかな?」
「俺がついていくんじゃないだろ。おまえだよ、おまえ。何で俺の後についてくる?」
桐山は少し考えた。
「俺が、おまえの後をついている?それは違うんじゃないか?」
お互い相容れない存在のはずなのに、考えている事は同じらしい。
それゆえ同じ道を行く羽目になっている。当人同士としては面白くない結果だった。


「おまえは、なんで、この道を選択した?」
冬樹は気まぐれで質問してみた。
「配置されている兵士が少ないからだ」
「なぜ、わかる?」
「奴らは気配を消せない。嫌でもわかる」
「おまえ、わかるのか?」
「ああ、わかる。おまえはわからないのか?」
冬樹は、フンとそっぽを向いた。当然わかるから冬樹も、このルートを選んだのだ。
しばらく歩いてゆくと、眩しい光が近付いてくるのが見えた。
軍用車が数台走るのが見える。どうやら、桐山達が向かっている方角に走るようだ。
桐山は闇に紛れて走り出した。


「おい、待てよ!」
冬樹も同じことを考えたのだろう。桐山に遅れを取るものかとばかりに駆け出した。
そして二人揃って、最後尾を走っていた車のバックに飛びついた。
「時速70キロか。予定より早く目的地に着きそうだ」
20分ほどすると、前方から車が走ってくるのが見えた。
桐山も冬樹も、見付からないように気配を消し、ジッと車の陰に身を潜めた。
高級そうな車とすれ違った。その瞬間、桐山は運転席に見知った顔を見た。


「……あいつ」
「何だ?」
「……いや、気のせいだろう。あの男のわけがない」
桐山はスポーツカーの運転席の男の顔をほんの一瞬だが見たのだ。
(水島克巳に似ていたような気がした。そんなはずはないだろう)
軍用ヘリで飛び去った水島が、今度は民間の車に乗ってドライブなんてありえない構図だ。
車との距離はぐんぐん離れ、桐山は多少気になりはしたが忘れる事にした。




軍用車が遠ざかると博巳は美恵に声をかけた。
「隠れる必要は無い。あいつらは末端の兵士の集団だ」
博巳に言われ、美恵は後部座席から身を起こした。
「仮に見付かったとしても、歩兵なんかに俺の車を調べる権限はない」
「それなら良いけど……」
バックミラーに小さく映る軍用車を見て、天瀬は安堵したが同時に何か大切なものと離れたような気がした。














「こっちは駄目だ」
良樹は廊下の角から様子を伺った。捜査官や兵士や大慌てで右往左往している。
その間にも、建物は崩壊の一途を辿っていた。
「まずいな。こんな大人数じゃ人目につきやすい……」
「分かれたほうがいい。二手……いや三方に分かれて逃げよう」
良樹と三村が早急に出した案をクラスメイト達に打ち明ける間もなく生徒たちは散り散りになって走り出した。
「貴様ら、こんな所にまで逃げて来たのか!」
それと言うのも、銃を構えた反町が廊下の先から走ってきたからだ。
「きゃぁー!」
「うわー、殺される!」
「おい、皆、落ち着けよ!」
七原の言葉に生徒達は耳を貸さない。恐怖の前では七原の言葉など聞えないのだ。














「ど、どうしよう、まどか!ただ事じゃないぜ、絶対にテロリストに攻撃されてんだよ!」
「落ち着きなさいよ、この馬鹿!あんた、男のくせに、か弱いあたしを守ろうって気概ないわけ?
ほんと、信じられない。馬鹿、この大馬鹿、ヘタレ!!」
まどかは寿の胸元をつかむと往復ビンタを三発もお見舞いした。
そこに、「離しなさいよ!」「黙れ!」と言い争う声が聞えてきた。
パッと振り向くと貴子の腕を掴んで足早に此方に向かってくる戸川が視界に入った。
「と、戸川大尉、一体これは……!」
唐突な爆破騒ぎに国防省の職員や警備兵はおろか、捜査官や工作員まで驚愕している。
それなのに、こんな事態だというのに、士官クラスの精鋭達は直人を筆頭に、ほとんど出払っているのだ。
当然のように部外者の寿とまどかも慌てふためていた。
そこに通りかかった戸川が救世主に見えたほどだ。


「科学省の連中か。こんな所で何をしている?」
「何してるって……命令系統がおかしくなってるらしくて避難の誘導すらしてくれないんですよ。
大尉、どうしたらいいんでしょうか?俺達、ここの人間じゃないから避難ルートすらわからないんです」

(国防省の面倒に巻き込まれるのはごめんだが、俺が指揮を取るしかないな)

戸川は、寿に貴子を押し付け、「見張ってろ」と命令すると司令室に走っていった。
「ああ、大尉!俺達はどこに行けば……」
「東館に行け。破壊しているのは西側の建物だけだだろ、そのくらい判断しろ!」
戸川は猛スピードで走り去り、あっと言う間に見えなくなってしまった。


「ああ、行っちゃった……どうする、まどか?」
「知らないわよ。とにかく、西館に急ぐのよ!」
「この人はどうする?」
寿は貴子を指さして言った。
「どうするって……あたし、嫌よ。こんな女の面倒見るのは!」
「でも大尉の命令だぞ?」
「あんたが見張るのよ。わかった!?」
「わかったよ……じゃあ」
寿が貴子の手を縛ろうとした瞬間、貴子が膝を高く突き上げ寿の腹部にお見舞いした。


「……げほっ」
油断していた寿はまともにダメージをくらい、ガクッと前のめりになった。
貴子は、おまけとばかりに、今度は蹴りをくらわした。
「ひ、寿!」
寿が倒れた。貴子は、この隙にとばかりにクルリと踵を翻すと猛ダッシュしていた。
もう何ヶ月も部活動とは無縁の生活をしていたとは思えない動きだ。
短距離エースの名に相応しい美しいフォームは全く変わってない。
「あ、に、逃げるわ。あの女!寿、いつまで倒れているのよ、さっさと起きなさいよ!!」
何とか痛みを堪えて立ち上がった寿は、まどかと共に貴子を猛然と追いかけた。














「げほげほ……っ」
爆煙と爆風、そして飛び散る瓦礫から身をかわし、杉村は無我夢中で走った。
「……皆は……七原、三村……雨宮?」
周囲には見知った顔はない。逃げ惑う人々は、国防省の人間であって、仲間などではないのだ。
「俺だけ、皆と離ればなれになったのか?」
爆発は、どうやら納まったようだが、今度は炎が猛り狂って人々を襲っている。
このままでは焼死するか、煙で中毒死してしまうだろう。
一刻も早く屋外に脱出しなければいけない状況に何ら変わりは無い。
(……貴子)
杉村は走り出した。


「貴子!どこにいる貴子!!」


自分の置かれている立場が大変危険な状況にもかかわらず、杉村が最優先したのは貴子を救出することだった。
貴子がどこに連れて行かれたかなんて、杉村にはわからない。
それどころか、今、自分が建物内のどこにいるのかすら把握していない。
しかし、杉村は貴子を探し走りまわった。
大声を張り上げて貴子の名前を呼ぶことしかできないが、それでも必死に貴子を探した。

(どこにいるんだ貴子!俺の声が少しでも聞えたら返事をしてくれ……お願いだ貴子!)

杉村が再び貴子の名前を呼ぼうと口を開いた瞬間、廊下の先から「た、助けて!!」と悲鳴が聞えた。
(女の声?)
誰の声なのかわからない。ただ貴子でないことはわかった。
「や、やめてくれ……!誰か助け……助けてくれ!」
今度は男の声だ。さらに、また女の声、今度は複数の声が重なって聞えてくる。
どうやら5、6人いるようだ。杉村は助けるべきかどうか一瞬迷ったが、声のする方にそっと近付いた。




(……あれは野田!)
煙の向こうに最初に見えたのは優等生の野田聡美だった。
(それに琴弾に旗上、山本に清水まで)
杉村が見たのは、三人の兵士達(見た感じ下っ端のようだ)に捕まって必死に抵抗している仲間の姿だった。
「うるせえぞ、男までピーピー泣き喚きやがって!さっさと来い、こんな時に手間かけさせるんじゃねえよ!!」
このままでは、聡美達は脱走するチャンスを失ってしまう。
杉村は拳法の達人だが、相手は三人。今、飛び出せば杉村まで捕まってしまう可能性もある。
途惑ったが、やはりクラスメイトを見捨てることはできなかった。
幸い三人は杉村の存在には全く気づいておらず隙だらけだ。


(今だ!)
杉村は、一気に飛び出した。
「せいやあ!」
跳び蹴りでまず一人。完全に油断していたのだろう、一撃で床に沈んだ。
他の二人は突然の敵襲に驚き、慌てて戦闘態勢に入ろうとしたが杉村の動きの方が早かった。
杉村は二人目の顔面目掛けて拳を突き出した。兵士が壁に向かって飛ばされた。
「この野郎!」
次は最後の一人だ。さすがに三人目となると一撃でお寝んねとはいかない。
攻撃を避けられ、銃口を突きつけられた。杉村は咄嗟に床に伏せた。
その素早い動きに驚き、兵士が一瞬動きを鈍らせた隙をついて足元に蹴りを入れた。
兵士が床に盛大に転倒。連続して杉村の拳が腹部にのめり込んでいた。
小さくうめき兵士は動かなくなった。死んではいないが、しばらく目を覚ますこともないだろう。


「大丈夫か、皆?」
杉村は震えているクラスメイトに声をかけた。
「あ、ああ……良かった、おまえが来てくれなかったら、俺達、どうなっていたことか」
旗上は、ほっと胸を撫で下ろした。
雨宮や三村達は?」
「知らねえよ。逃げるのに必死で、他の連中がどこに行ったのかなんてさっぱりだ」
当然といえば当然な回答だった。ともかく仲間が少しでも見付かったことに杉村は素直に喜んだ。
だからといって、感傷に流されている場合でもない。
「よし、すぐに建物から出よう。ここは危ない、このままじゃ俺達焼け死ぬ」
こうして旗上達は杉村を先頭に非常口を求め走り出した。




幸いにも、すぐに階段が見付かった。とにかく上だ、自分達は地下にいる、だから向かうは階上だった。
階段を駆け上がっていた時だった。廊下の先から女の声が聞えたのは。

「離して、離しなさいよ!!」

その声に杉村の全身が、細胞の全てが反応した。
「あの声は……貴子!」
貴子の声だ、間違いない。幼い頃から慣れ親しんだ貴子の声、聞き間違えるはずがなかった。
「貴子だ、助けないと!!」
猛ダッシュしかけた杉村。だが杉村の腕を旗上が掴んでいた。


「旗上?」
「お、おい、何しに行くつもりなんだよ!」
「何って、決まってるだろ。貴子がいるんだぞ、助けに行くんだ」
「お、おまえ……馬鹿じゃねえのか!」
旗上が非難がましい声を上げ、杉村の眉間が不快そうに歪んだ。
「見ろよ、兵士がいるんだぞ。見付かっちまうだろうが!」
確かに不用意に飛び出せば簡単に見付かってしまう。
だからと言って貴子を取り戻すチャンスを諦めるわけにはいかない。
「こんな時だ、あいつらも身を守ることで頭がいっぱいだ。隙をつけば倒せる」
杉村は先ほどの再現をしようと言うのだ。今度は一人じゃない、仲間も大勢いる。

「皆も協力してくれるんだろう?」

杉村は仲間の快い返事を期待した。期待というより楽観的に考えていた。
きっと皆、協力してくれるだろうと確信すらしていたのだ。
だが、杉村は残酷な現実を知ることになる。
「……皆、どうしたんだ?」
杉村の協力要請に、誰一人として快諾の声を上げるものはいなかった。




「……せっかく、ここまで逃げてきたんだ。もうすぐ外に出れるんだ」
「そ、そうだよ。俺達、助かるかもしれないんだぞ」
「旗上……山本、おまえ達……おまえ達、何言ってるんだ?」
杉村は信じられないと言わんばかりに表情でクラスメイト達を見た。

「まさか……まさか、おまえ達、貴子を見捨てるのかよ!」

杉村は旗上と山本の胸元を掴み上げて怒声を上げた。
「お、落ち着けよ杉村……だって、おまえには大事な女でも俺達は、ただの同級生なんだぞ。
複数の声が聞えてくるし、絶対、千草の周りには大勢兵士がいるぞ。お、俺はごめんだ!」
「そ、そうだよ。それに千草さん、俺が、さくらを慰めようと花束買ったとき平手打ちしてきたんだぞ。
『この金は弘樹が夜中まで汗水流して稼いだ大事な生活費なのよ、この馬鹿!』って……。
千草さん理不尽だけど怖くて……俺、逆らえずに震えるしかなかったんだぞ」
旗上と山本に同調するように比呂乃も叫んでいた。
「そいつらの言うとおりだ!あ、あたしはごめんだよ。下手なことして見付かったら、どうしてくれるんだよ!」
旗上達の言い分は一理あるかもしれない。
杉村にとって貴子は自らの命をかけてでも守りたい存在でも、彼らにとってはそうではない。


「……わかった。もう、おまえ達には頼まない。俺、一人で貴子を助ける」
杉村は決意した。その気もない連中を説得する時間もない。
こうなったら多少危険だが、一人で特攻を仕掛けるしかないだろう。
「待って、杉村君、あたし達を見捨てる気なの!?」
だが加代子が杉村の前方に飛び出して両腕を広げて止めてきた。
「そうよ。杉村君がいなくなったら、誰が、あたし達を守ってくれるの?他に戦える人間はいないのよ。
忘れたの?貴子を連れて行ったのは、雑兵じゃない。あ、あの怖そうな人がいるかもしれない」
聡美は戸川の冷たい眼光を思い出し身震いした。


「貴子って、怖い人に縁があるかも……とにかく、今、杉村君が下手な行動したら、あたし達まで……。
た、貴子なら大丈夫よ。貴子は強いもの、それに美人だから、きっと簡単には殺されないわ」
「加代子の言う通りだよ。貴子くらい顔がよかったら、いくらだって切り抜けられるさ。
あたし達はあたし達で、さっさとずらかろう。皆も、そう思ってんだろ?」
比呂乃の言葉に全員が頷いた。杉村の中で何かが壊れた。
状況が状況とはいえ、貴子を切り捨てることは杉村にとっては許しがたいことだったのだ。


「……おまえ達の気持ちは、よくわかった。勝手にしろ、俺は貴子を助けに行く!」


杉村は全力で駆け出した。呼び止める声が聞えたが、振り返りもしなかった。
杉村は人間のエゴを最悪な形で思い知ったのだ。














「何だ、これは!炎の海じゃねえか!!」
海老原は軍用ヘリから森を見下ろしていた。
水島が自分が捕らえるはずだった桐山を狩りに行ったと聞き、激怒して駆けつけてみれば、この状態だ。
「敦!克巳は、もう、あの小僧をつかまえたのか!?」
「そんな情報は入ってないけど、克巳のことだから、どうだかわかんねえよ」
「この役立たずが!どこでもいい、とりあえずヘリを着陸させろ!」
ヘリは川辺に降り立った。やはり誰もいない、兵どもが夢の跡だ。
「猫の子一匹いやがらねえ……克巳が捕まえたが、それとも逃げやがったか」
どっちにしても海老原の手柄にはならない。その事実に苛立ち、海老原は川原の小石に八つ当たりした。
銃を取り出すと発砲、銃弾に弾かれた小石は小さな欠片となりはじけ飛んだ。
「……ん?」
小石のそばに紙のようなものが見えた。


「何だ?」
近付くと写真が落ちている。拾い上げて見ると和服姿の女が写っていた。
「ヒュウッ」
思わず口笛を吹いてしまうほどの美人に海老原は先ほどまでの癇癪が嘘のような笑みを浮かべる。
「どこの誰だ。もしかして克巳の女か?」
何気なく裏を見てみると、女の名前らしいものが記載されている。
名前だけではない。住所や電話番号までご丁寧に記されているではないか。
「季秋茉冬?……どこかで聞いたような名前だな。おい敦、てめえ記憶にないか?」
「季秋っていやあ東海自治省の権門もかねてる大財閥じゃないか?
そういや、以前、克巳があそこの娘と見合いしたことあったよな。
何があったか知らねえが、どうやら破談になったらしいが」
「そうかよ……待てよ。確か季秋の息子が今回の件に係わってるって話だったよな?」
「あ、ああ、間違いないぜ。俺は見たんだ。
物的証拠はつかめなかったが、確かに、あれは季秋の息子だった。
あそこの息子は女癖悪いから、大方、たまたま目をつけただけなんじゃねえの?」
「だとしても、手掛かりといやあ季秋しかねえな」


海老原は下卑た笑みを浮かべた。佐々木は内心困惑した。
海老原がこういう表情を見せるときは、100%の確率で、ろくな事を考えていないからだ。

「季秋をつついても、どうせ白状するわけがねえ。だったら逆に脅迫して差し出させてやるぜ」
「おい竜也、相手は季秋大財閥だぞ。総統陛下だって、容易には手を出せねえ相手なんだ。
滅多なことはしない方がいいぜ。下手なことしたら特撰兵士の称号剥奪どころじゃすまねえ」
「ふん、初めに噛み付いてきたのは向こうの方だぜ。俺は舐められるのは一番嫌いなんだ」


「俺を侮ったら、どうなるか、たっぷり教えてやるぜ」




【B組:残り45人】




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