『兄貴、兄貴、俺だ』
「何だ、輪也。国防省に動きでもあったのか?」

晶は携帯電話を手に今だ海老原と桐山が一戦構えた現場にいた。

(あの小僧、姿を隠した直後に気配を消した。素人じゃこうはいかない。
だが、確実にまだ、この辺りにいる。移動中まで気配を完全に消すのは至難の業。
他の人間なら、いくらでもごまかせるだろうが、俺はそうはいかない)


晶の読み通り、桐山は、まだ、そこにいた。
海老原は立ち去ったが、周囲に大勢の兵士がいるため、動きを取れなかったというのもある。
だが何よりも、ただの兵士とは違う気配をいくつか感じたのが理由だった。
普通の兵士ならば、いくら多勢に無勢とはいえ桐山の力量ならば、いくらでも撃破できた。
しかし、普通じゃない奴がいる。そいつと、まともにやりあえば、ただではすまない。
桐山にそこまで思わせているのは、もちろん晶だった。
晶が桐山を只者ではないと察したように、桐山もまた晶を普通では無いと感じたのだ。
今は様子を見ながら、少しずつ移動するしか桐山には選択肢がなかった。

(兵士どもをけしかけて奴をあぶりだしてやるか)

生来、晶は短気な性格だ。忍耐強く我慢していたが、これ以上は限界だった。


『実は兄貴、国防省の様子が変なんだ。菊地直人をリーダーにした精鋭部隊をつくって派兵するんだ』
「直人が?こんな時に直人を動かすなんて、何かあったな」
『それに妙なんだ、水島の姿が見えないんだ』
「水島が?」

その時、晶は気配を感じ反射的に、気配の方角を射抜くように睨みつけた。




鎮魂歌―58―




「夏樹兄ちゃん!何、ぐずぐずしてんだよ、さっさと光子を助けに行こうぜ!」
「……うるさいな夏生、そのうっとおしい顔を俺に近づけるなよ。
俺にそんなマネできるのは美女だけなんだぜえ」
「知るかよ、こうしている間にも光子の身が、あの獣どもに……うぎゃぁぁー!!」
夏生は勝手に妙な想像をして、勝手に盛り上がっていた。
「おい焦るなよ、夏生」
「これが焦らずにいられるかよ!兄ちゃんも知ってるだろ?
特撰兵士は無節操で助平でえげつの無い女好きの集まりなんだぞ!!」
「だから、今、おまえの光子がどこに監禁されているか調査させてるんじゃないか」
タイミングよく、ドアをノックする音。夏樹はすぐに「入れ」と言った。
「よ、宗方!」
ドアの向こう側から岩崎が笑顔で手を振っていた。夏樹の命令で偵察に行っていたのだ。


「おい、光子の行方はわかったんだろうな?」
「……それがさあ。どうしよう、これ?」
岩崎はずるずると何か引きずって入室してきた。全員の視線がそれに集中する。
岩崎の腕の先には後ろ襟首をつかまれるという乱暴な扱いにもかかわらず、すやすや眠っている女の子。
部屋中に気まずい空気が流れた。数十秒の静寂の後、夏樹は言った。
「岩崎、てめえロリコンだったのか?」
「バカいってんじゃねえよ!この状況で、何で、そういうことになるんだよ!?」
「この状況だから、そう思うんじゃないか。違うっていうんなら、納得のいく説明しろ」
「えーと、つまりだな。国防省に行ったら、菊地直人が部隊連れて出発しててさ。
で、こいつが泣きながら菊地を追いかけてたんだ」
再び気まずい空気が流れた。


「作り話するなら、もっとマシなストーリーを作れ。正直に宗旨変えしましたって言えよ。
安心しろ、季秋家の血筋にも、そういう変わり者が一人くらいいてもいいじゃねえか」
「だから違うって言ってんだろ!畜生、あー、ムカつく!ちゃんと話聞けよ!!」
これ以上からかうのもかわいそうなので、夏樹は真剣な眼差しで岩崎と向き合った。
「で、どういう経過で、このガキをどこで拾ってきた?」
自分がさらわれてきたというのに、呑気に眠っている少女。
夏樹は一応、少女の顔を覗き込んだが、やはりタイプではないようで溜息をついた。
だが、何か思い出したのか、もう一度少女の顔をじっくり見つめた。
「……どこかで見た顔だと思ったら、国防省長官の孫娘じゃないか」
「そ、だから役に立つかなーと思ってさあ」
「何があった?」
「それがさあ、国防省の正門の辺り見張っていたら……」














一時間前――

「菊地さん、勝利祈ってます!」
「テロリストどもに報復を!国防省が受けた屈辱を奴らの血であがなって下さい!」
爆発事件直後の特撰兵士の出陣に、復讐心に燃える国防省の人間達は色めき立っていた。
(ほんと、バカばっかだな。仕返ししたかったら、てめえ自身でやれってーの)
人ごみの中から、帽子とサングラスで目立たない扮装で岩崎は冷めた目でみてた。
「なあ佐竹、このバカ達に、一連の騒ぎが宗方の罠だとばらしてやったら面白いだろうな」
「ちっ、滅多なこというんじゃねえよ。おまえだって十分バカだろ」
「だって考えても見ろよ。今、反乱起している連中は国防省爆破事件とは無関係なんだぜ。
それを仇呼ばわりして、八つ当たりもいいとこだってーの」
「無理もねえだろ。国防省は、ここ一連のゴタゴタで熱くなってやがるんだ。
どこかで怒りを吐きださねえ限り、納まるわけがねえだろ。ん、なんだ?」
佐竹と岩崎、そして大勢のギャラリーの前で一人の少女が飛び出した。


「直人さん!」
その瞬間、直人の表情が最悪なものに、周りを囲んでいるギャラリーは笑顔になった。

「あ、早紀子ちゃんだ。早紀ちゃーん!!」
笑顔どころか遠くから手を振っている男すらいる。
「寿、あんた、あんな女のファンだったの!!このバカっ!!」
「ぎゃー!!」
ギャラリーの中から悲鳴が起きていたが、群集の視線は精鋭部隊に集中されたままだった。

「直人さん、どこに行くの?」
直人は生理的に早紀子が苦手だった。
世間知らずの温室育ちは、直人の性格上、別世界の人格で決して相容れない存在なのだ。
この状況を見れば戦場に赴くのは理解できるはずというのが直人にとって当然の感覚だ。
「直人さん、おじい様が大変な時なのよ。どこにも行かないで」
その無邪気な声に国防省の少年兵士には頬を赤く染めている者も大勢いた。
だが、直人にとっては音痴なヘビメタよりも耳障りのするものだった。
「……どいて下さい早紀子さん。俺達は任務で戦場に行く、邪魔をしないで頂きたい」
「え、戦場?」
早紀子はきょとんと首をかしげた。愛らしい仕草ではあったが、直人には癇に障った。


「どうして直人さんが戦いに行くの?」
「特撰兵士が任務で戦場に行く理由はたった一つ、戦闘だ」
「何があったの?どうしても直人さんが行かなければならないの?
直人さんがいなくなったら、誰がおじい様や私達を守ってくださるの?」
「失礼だが民間人に、これ以上説明する義務は無い。急いでいるので、どいて下さい」
直人は早紀子の肩を押し、邪魔だと言わんばかりに道をあけるよう促した。
「直人さん、どうしても行ってしまわれるの?だって、だって……あんな爆発騒ぎがあったばかりなのに」
早紀子は泣き出してしまった。民間人の女の子には無理からぬ反応だっただろう。
一般人とはいえ早紀子は長官の孫娘、遠縁とはいえ総統の一族にも連なる立場だ。
それこそテロリストの標的になりかねない人間。実際に拉致も経験している。
直人からしたら、こんな屋外に出ず、護衛官に囲まれ大人しくして欲しいというのが本音だった。
だが薫は鼻で笑っていた。彼から見れば、女心のわからない直人に全面的に非があるらしい。




「早紀子さん、直人に代わって謝るよ。どうか笑顔で僕達を送り出してくれないかな?
でないと直人も心置きなく戦えなくなる。愛する女性の支えなくして男は戦場では輝けやしない」
「え、愛?」
「……な、薫、貴様!」
直人は薫の襟を掴み上げ詰め寄った。薫は小声で囁いた
「いいじゃないか、どうせ君達は婚約するんだろう?」
「ふざけるな、その件は親父が全力で阻止している」
薫の態度は、失態の腹いせに、直人に対する嫌がらせをしているのは明白だった。


「あのっ、直人さん!」
早紀子は両手を組んだ祈りを捧げるような可愛らしい仕草で直人に近付いた。
「何があったのか詳しく説明してください。でないと納得できません」
任務を邪魔させることが直人は大嫌いだった。
どんな過酷な任務だろうと仕事には全力を尽くすのが直人の主義だからだ。
「納得できなくて結構。民間人のお嬢様には関係ない、さあどいてくれ」
「どきません!直人さんがお話してくださるまでは」
直人はもはや切れる寸前だった。
だがギャラリーは早紀子に同情しているらしく、物言いたげな表情でじっと直人を見つめている。
もっとも直人は大勢の人間の非難の空気を針のむしろと感じるような柔な神経の持ち主などではない。
直人のつれない態度に早紀子は涙を浮かべ半ば咽びあげてきたが、それにも良心が痛むことなど全くない。


「行くぞ、おまえ達。予定時間を二分も過ぎた、最悪だ、走行中に取り戻せ!」
直人は無情にも、さっさと乗車。
しかし早紀子も外見に似合わず強情な性格だったらしく、両腕を広げて車の前に立ちはだかった。
ここまでされたら、さすがの直人も降参するだろうとギャラリーは思ったが、何と直人は車を急発進。
「きゃっ!」
早紀子は驚いて、その場に座り込んだ。その横を車は駆け抜けてゆく。
その後ろを早紀子は泣きながら追いかけた。もちろん、追いつけるはずもない。
「あれあれ、直人、お姫様が追いかけて来てるよ」
直人はバックミラーに映る早紀子を見るなり不快そうな顔をした。
「本当に冷たい男だな。あんなに涙を流して必死になってる子がそんなに嫌いかい?」
信号が青に変わらないうちに直人はアクセルを思いっきり踏んだ。
全力疾走の早紀子がバックミラーから姿を消すのに時間はかからなかった。




「おい、あのお嬢さん、まだ追いかけるつもりだぜ。ばっかじゃねえの?」
目立たない小型車から、その様子を見ていた岩崎は呆れたように悪態をついた。
直人とは違う意味で岩崎は、こういうメロドラマに心動かされない男だったのだ。
「それより、あんな不恰好なフォームで坂道を全力疾走したら転ぶぜ」
佐竹も、お嬢様の三文劇場に感情移入できるようなお優しい人間ではいが気の毒には感じていた。
「いいじゃんか、好きでやってることだろ。それより、どうする?あの女人質になるぜ。
今だったら簡単に拉致れるだろ。やるなら、今だぜ」
「……気がすすまねえんだよ。あんな子供を……あ、転んだ」
佐竹が危惧した通り、早紀子は盛大に転び……いや転んだどころか、勢いあまって転がっていった。


「あのバカ!」
佐竹は慌てて車から飛び出して早紀子に駆け寄った。
「おい、死んだのかよ?」
「いや、死んじゃあいないが……頭うって気絶しちまってるぜ」
「……どうする?」
「どうするって、このままほかっておくわけにもいかねえし」
「じゃあ、ご親切に国防省に運ぶってのかよ。それこそ、ごめんだぜ」
岩崎は早紀子を引きずりだした。
「おい岩崎!」
佐竹は非難めいた声を上げた。
「いいじゃねえか。利用できるものは何でも利用しようぜ」














「……と、言うわけなんだ」
「……そうか、よく、わかった」
夏樹は気を失っている早紀子の顔を覗き込んだ。平和そうな寝顔だ、まるで純真無垢な赤ん坊。
「夏生、この女、おまえにくれてやる」
「はぁ?」
「好きに使え」
夏生は早紀子をジッと凝視して、困惑したように溜息をついた。
「……兄ちゃん、気持ちは嬉しいけど、俺はガキには興味ないんだ。せめて十年くらい猶予くれ」
「誰が、おまえの女にしろといった。このガキなら、おまえ光子と交換できるだろ?」
夏生はハッとして両拳を握りしめた。
「そうかぁ!俺にとっては十年後でも、国防省にとっては大事な人間なんだ!
このガキを使って光子を解放させられる!!」
夏生は大喜びで、ありがたく早紀子を受け取ると後ろ襟首を掴んで引きずって行った。


「単純な弟だ。それで、連中の居場所はわかったのか?」
夏樹は本題に移った。
「ああ、地下室に監禁されてやがる。今なら手薄だ、救出するなら今がチャンスだぜ」
「特撰兵士はいなかったか?」
「特撰兵士は長官を護衛する為に、国防省病院の方に配置されてる」
「そうか。で、貴子は?」
「戸川小次郎が尋問しているらしい。宗方、あいつはやばいぜ、可哀相だが、あの女はあきらめた方がいい。
戸川小次郎は四期生の中でも戦闘力も非情さもずば抜けてる。もう死んでるかもしれないぜ」














(あいつは水島克巳!)

晶は素早く岩陰に身を隠した。水島の登場は晶にとって予想外だった。
(あいつが、ここに……目的は、あの小僧か?)
晶の推測は当たっていた。水島は海老原が取り逃がした桐山を生け捕りにきたのだ。
新井田から得た情報によって、水島は桐山の弱点も知っている。
桐山がどれだけの戦闘能力の持ち主か水島は知らない。
しかし正体不明の相手とはいに労力を消費するのは真っ平だった。
水島は小型拡声器を手にすると、桐山に呼びかけた。

「いるんだろう桐山和雄君?大人しく姿を現し、俺に捕まっておくれ、イイコだから。
そうすれば、悪いようにはしない。約束してあげるよ。でも、俺の提案に逆らったら――」

水島はくくっと悪魔の笑みを浮かべた。


「君の大事な鈴原美恵さんの命の保証はしてあげられなくなるよ」


「彼女は今、俺の元にいる。さあ、でておいで。子猫ちゃん」
水島は笑っていた。その不快な笑い声は、晶の耳にもばっちり聞えた。

(なるほど、そういう事か。女を利用するなんて、実に水島らしいやり方だ)

晶は水島個人の事が嫌いだったので、この手段にも好感は抱けなかった。
だが戦略的には間違っていないとも思った。
犠牲は最小限に抑えるのが有能な士官のすることだ。


(だが、それに桐山がのるかどうかが問題だ。女一人のために自分の身を危険にさらすのか?
俺なら、そんなバカなマネはしない。ここで姿を現すような男なら、大した人間じゃないさ)




桐山の耳にも水島の脅迫はもちろん届いていた。
(あの男が鈴原を手中に収めているのか?)
行動は慎重に取らなければいけなかった。水島の言葉が真実かどうか桐山には確かめる術さえないのだ。
桐山は姿を見せなかった。その代わりに、じっと物影から水島を観察した。
遠目ではあったが、水島の容姿をじっくりと頭に叩き込んだ。




(……出てこない。女より我が身の方が可愛いのか、それとも情に溺れないタイプなのか?)
水島は携帯電話を手にした。
「真知子、俺だ。すぐに彼女を連れて来てくれ」
真知子には自宅に向かわせ、美恵を連れて、すぐに此方に来るように指示していた。
『それが克巳、その女、いないのよ』
「何だって?」
逃げ出してという報告は受けている。しかし水島は、とっくに捕獲しているものと思っていた。
「一体、あいつらは何を遊んでいたっていうんだい?たかが女一人に」
『それが克巳、どうやら屋敷の外にとんずらされたようなのよ』
これには水島も驚いた。
「どういうことだ?おめおめと小娘に逃げられるなんて」
猫の子一匹の侵入も許さない警備体制のはず。考えられる可能性は一つしかなかった。


「……兄さんが逃がしたのかい?」


水島の中で最もドス黒い感情が湧きあがった。
幼い頃から水島は自分を、この世で唯一の至上の存在だと信じ振舞ってきた。
自己愛の強い水島は自分を愛しぬいていた。才能も、その美しさも。
ところが、その唯一のものであるべき自分の美貌を持ち合わせている人間が、この世に、もう一人存在している。
それが水島には面白くなかった。兄弟であるがゆえに何かと比較もされて育った。
水島は愛想が良く要領のいい子として、両親や祖父から溺愛されて育ち兄は逆だった。
兄・博巳は常に水島の影の存在。だからこそ水島は兄を許してやっていたのだ。
その見下している兄が自分に逆らって、女を逃がしたなんて水島には許しがたい行為だった。

『あなたの想像通りだと思うわ。外にでたのは、お兄様一人って話だもの』
「……車内の点検すらしなかったのか、あの給料泥棒達は!」
『克巳、こんなこと言いたくないのよ。嫉妬ではないと前もって言っておくわよ』


『早苗が怪しいわ。彼女が彼の車を調べたらしいのよ』


水島の目元がピクッと反応した。
『警備の連中が自分達も一応確認すると言ったのを強引に止めてお兄さんを通したのよ。
克巳、あなたのお気に入りだけど、あの女、信用できるの?』
「……そうか、早苗が。わかった、とにかく、あの娘を捜してくれ。兄さんのそばにまだいるといいけどね」
水島はいったん携帯電話を切った。その目は怒りで真っ赤に染まっている。

「……早苗、やってくれたね」

忌々しいが、今は怒りに身を任せている時でもない。
真知子は優秀な工作員ではあるが、短時間で美恵を捜すことは不可能だろう。
人質を使って労せずに桐山を捕獲する作戦はあきらめたほうがいい。
(腹が立つけど、まあいいさ。所詮、素人のガキが相手……俺にとっては赤子の手をひねるようなもの)
水島はスッと左手を上げた。途端に数十名の兵士達が散らばり辺り一面を捜索しだした。














「やったな雨宮」
「ああ、後はタイミングだ」
良樹は掌の中に、ずっしりと感じる銃の重みを噛み締めながら祈るように、その銃身にキスをした。
タイミング次第、しかし、そのタイミングがいつ来るかわからない。
「……夏樹さん達が俺達を助けてくれるって期待はしないほうがいいよな」
良樹は、その点に関しては諦念していた。夏樹は根は悪い人間では無いが、同時に甘い人間でもない。
やはり、自分達で何とかしなければいけないだろう。
だが、三村や七原、それに杉村達と何度も作戦を練ったが、これといった案は出ない。
「おい、おまえさん達。作戦会議は、そのくらいにした方がいいぞ」
他の生徒同様に黙っていた川田が突然声をかけてきた。
「……誰かくる。それも只者じゃない」
「何でわかるんだよ?」
七原が問うと川田は人差し指を口に当て、静かにしろ、と合図した。
そして、囁くような小声で、「こっちに来て見てみろ」と促した。
良樹達は川田の指示通り、そっとドアに近付き、その小さな窓から廊下を覗き込んだ。


廊下の先から数人の供を従えた男がやって来るのが見えた。
確かに只者ではなさそうだ。着ている軍服といい、いかにもお偉そうな士官様だ。
「……確かに只者じゃなさそうだ。軍の超エリートさんって感じだな」
良樹は単純に、そう考えたが川田は外見で判断したわけではなかった。


「……あの男、足音をほとんど立ててやがらない」
「……なっ!」


良樹は、もう一度、今度は観察するように男を凝視した。
「……本当だ。何なんだ、あの野郎は?」
男が此方を睨みつけた。反射的に良樹達はドアから離れ、その直後、バンと凄い勢いで開扉された。
良樹達はきっと男を睨みつけた。ほとんどの生徒達は小さい悲鳴を上げて後ずさりした。
男は軍帽を取ると、まるで汚いモノでも見るような目で生徒達を一瞥した。


「杉村弘樹はいるか?」


唐突な個人指名に生徒達の間にざわめきが起き、一斉に杉村に視線が集中した。
杉村は少々混乱したものの立ち上がり、「俺が杉村だ」と名乗った。
「……なるほど幽霊ではないようだ。おい、連れて来い」
それから間もなく、女の声が廊下の先から聞えてきた。

「ちょっと何をするのよ、離しなさいよ!」

その声を耳にした途端、杉村の感情が一気に昂ぶった。
「あの声は……貴子!」
杉村の体は反応したが、男の横にいた女が即座に銃口を向け杉村の動きを牽制した。
「慌てるな。すぐに感動の再会だ」
両腕を掴まれた貴子が杉村たちの前に引きずりだされた。




「貴子!」
貴子は顔を上げ、信じられないといった表情で杉村を見つめた。
「……ひ、弘樹、あんた、生きてたの?」
「ああ、そうだ。貴子!」
杉村は銃口が自分を睨みつけいるにもかかわらず、貴子に向かって駆け出した。

「動くな!」

だが、男が貴子の頭に銃を突きつけたのを見て、杉村の全身は硬直した。
「そうだ、それでいい」
男が軍帽を取った。特撰兵士の戸川小次郎だ、もっとも七原達には知る由もない。
戸川を見つめる目は、恐怖か憤怒か二つに一つ。
そんな中、良樹だけは戸川から目を逸らし、俯き無意識に顔を隠していた。


「千草貴子、俺がおまえにした質問を覚えているか?」
貴子は凄い剣幕で戸川を睨みつけた。
「あの時、あたしが言った事を覚えてないわけ?だったら何度も言ってやるわ。
あたしは何も知らない。あんたなんかに話す事なんて何もないわよ!」
「強情な女だな。てめえの男を痛めつけられても、まだ我を通せるか見ものだな」
「何ですって?」
戸川が合図をすると、反町と久良木が杉村の腕を掴んで床に押さえ込んだ。
「弘樹!」
「おまえが吐かなければ、おまえの男が痛い目に合うだけだ。さあ吐け」
「だから何度も言ったでしょう。あたしは何も知らないわよ!!」
「そうか。よく、わかった」


戸川は杉村に近付くと右拳をすっと上げた。直後、杉村の頬から鈍い音が発生した。
「ひ、弘樹!!」
貴子の目の色が変わった。なりふり構わず杉村に駆け寄るが、戸川に行く手を遮られる。
「杉村!よ、よくも杉村を!!」
直情型の七原は怒りに任せて戸川に飛び掛ったが、カウンターパンチ一発で床に沈んだ。
「さあ、応えろ。K-11はどこにいる?おまえは奴等とどういう関係だ?」
「だから本当に何も知らないって言ってるでしょ!」
「貴子の言う通りだ。俺達は、ただの中学生だ、そんな連中とは係わってない!」
「……まだシラをきるつもりか」
戸川は杉村の額に銃口を当てた。杉村の瞳が大きく拡大される。
その銃口は杉村の額から、ゆっくりと斜め下に移動。杉村の右耳の位置で止まった。


「おまえの男の耳がふっ飛ぶのを見ても、まだ強情がはれるのか?」
「な……んですって?」
貴子の全身がワナワナと震え出した。その目には憎しみの赤い炎がゆらめいている。
「ふざけないで!本当に何も知らないのよ、弘樹を離せ、離しなさいよ!!」
「それが返事か」
トリガーにかけられた戸川の指がぴくっと動いた。
「やめて、やめなさいよ!弘樹を撃つなら、あたしを撃ちなさいよ!」
銃声が薄暗い牢獄の空気を切り裂いた。














(……あいつが鈴原の居場所を知っている)
桐山は、じっと水島を観察した。優雅な仕草、喧嘩など、からきしできそうもない外見。
だが、人は見かけによらないということなど、桐山自身が一番よくわかっている。
(奴から鈴原居場所を聞き出すのが一番確実で手っ取りばやそうだ)
桐山は細心の注意を払いながら、水島の風下に移動を開始した。
途中、兵士を何人か地に這いつくばらせてやった。
背後から、そっと近付き首に手刀をお見舞い。それだけで兵士達は意識を失った。
ぐらっと地面に倒れそうになる彼らの体を、すかさず受け止め、そのままずるずると岩陰などに運んだ。
僅かでも物音を立てるのはやばい。そう判断した桐山の動きは、まさにプロフェッショナルだった。
そして、茂みから飛び出せば水島に手が届く位置までやってきた。
(一気に飛び出して奴が銃を手にする前に片をつけるのが一番よさそうだ)
桐山は体勢を整えた。後はタイミングだ、最大限に隙を付かなければ返り討ちに合う。
水島は、こちらには全く神経を向けてない。やるなら今だろう。
いくら気配を消していても、風向きが変われば形勢が変わる。


桐山は茂みから飛び出した。水島の後ろ首目掛けて手刀を振り上げながら。
計画では水島は振り向くことなく、その場に倒れるはずだった。
が、とんでもないことが起きた。水島がくるりと回転したのだ。
桐山の手刀は水島の腕によって防御された。桐山は僅かに眉を動かした。

「凄いね君。完璧だったよ、気配の消し方も、移動の仕方も、風向きまで計算済みなんて。
最大級の賛辞を与えてやってもいい。けれど相手が悪かったねえ、最初からばればれだったんだよ」

水島は小さなレンズ付きの小道具を桐山に見せ付けた。
「隠しカメラ用のレンズなんだけどねえ、これを使って背後を観察してたってわけさ」
桐山は内心しまったと思ったものの、それを顔に出すことはなかった。
「さて、と。大人しく俺に捕まってもらおうか」
水島が強襲してきた。桐山は一瞬で地から足を離した。
背面飛びで木の枝に着地。が、その真上からざざっと音がして桐山は真横に飛んだ。
今しがた桐山が乗っていた枝が水島の攻撃で破壊された。
桐山が避けず反射的に真上を見上げていたら、枝ではなく桐山の体が粉々にされていただろう。
水島の攻撃は一瞬たりとも止まらない。木の幹を蹴り、その勢いを利して瞬間的に桐山に接近した。
桐山は枝から飛び降り攻撃を避けた。だが当然のごとく水島も追ってくる。
「その程度のスピードじゃあ俺からは逃げられないよ」
水島の蹴りに桐山は台風に吹き飛ばされた小石のように舞った。


「……おかしいな」
攻撃がヒットしたにもかかわらず水島は不満げに桐山を見つめた。
予定では桐山はこめかみから派手に流血し、その場に崩れ落ちるはずだった。
ところが桐山は何事もなかったように体勢を整え立ち上がった。
(……こいつ、直撃を避けた?)
水島は不可解なものを感じたが、すぐに自分の踏み込みが足りなかっただけだろうと自身を納得させた。
「さて、と子猫ちゃん。そろそろ、お遊びは終わりにさせてもらうよ」
水島は今まで以上の猛攻を仕掛けてきた。すごいスピードだ。
(スピードが倍近くにアップしている)
桐山の目つきが変化した。


「これが貴様の本気――と、いうことでいいのかな?」
「何?」


桐山の姿が水島の視界から消えた。水島の表情が余裕から驚愕へと早変わりする。

「上だ」
「……なっ!?」


桐山の踵蹴りが水島の頭部に迫っていた。
(駄目だ。防御では避けられない!)
水島は咄嗟の判断で、地を蹴って背後に飛んだ。


「……今までのスピードは様子見……ってことかい。生意気だよ、子猫ちゃん」
「一つ言ってもいいかな?」
「……何だい?」
「俺は子猫ではなく桐山和雄だ。理解してくれるかな?」


水島の額に青筋が浮んだ。桐山にそんなつもりはなかったが、水島はバカにされたと感じたらしい。
「……ちょっと痛めつけてやるだけで勘弁してあげようと思っていたのに。
君が悪いんだよ子猫ちゃん。可哀相だけどボロボロにしてあげるよ」
「聞いてくれたなかったのかな?俺は子猫じゃない」
水島はカチンとなって上着に隠されていたホルスターから銃を抜いた。
「うるせえんだよ、このクソガキが!てめえの手足ぶち抜いて動けねえようにしてやるぜ!!」
銃の登場に桐山も、さすがに神妙な顔つきになった。
もっとも普段から無表情な桐山にとっては微妙な変化に過ぎなかっただろう。
「まずは左脚だ」
水島の銃の照準が桐山の左脚を狙い鈍い光を放った。
その時だった。突然、拳大の怪しい物が遠方より空中で弧を描きながら飛んでくるのが見えた。


「あ、あれは――」
「――手榴弾、かな?」


空中で手榴弾は膨張し一気に弾けた。
桐山と水島は直撃を避けようと、ほぼ同時にお互い反対方向に飛んだ。
突然のことに、二人とも、それぞれ木や岩の陰に身を隠した。
二人だけの戦闘に、謎の第三者が乱入してきたのだ。敵か味方か?


「はーははは!見つけたぜ特撰兵士、俺に目をつけられたのが運の付きだったなあ!!」


盛大な声に顔を曇らせたのは水島の方だった。どうやら第三者の標的は水島のようだ。
かといって桐山の味方でもなさそうだ。水島もろとも桐山を爆死させようとしたのが何よりの証拠。
「返してもらうぜ、スケコマシ野郎!俺の可愛い女、鈴原美恵を!!」

鈴原?!)
美恵の名前を出され、桐山は思わず身を乗り出した。

「さあ、死にたくなかったら、今すぐ美恵の居場所を吐いてもらうぜ、水島克巳!!」


派手な登場をした勘違い男の名前は――季秋冬樹だった。




【B組:残り45人】




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