テロリストに基地を破壊された直後に、反乱が起きたのだ。
「局長、ご指示を!長官では話になりません、早くご支持を!!」
「第一種戦闘体制に入る、すぐに士官クラスの国防省員を召集して暫定反乱対策委員会を作れ!」
腰抜けの長官に代わり、国防省で指令を出したのは直人の父・菊地春臣だった。
中国・四国地域においては長官以上の権力を持っている為だろう。
大至急、中国・四国地方にいた士官は集められた。
「立花、反乱が起きたのは、貴様が担当していた区域だ。何か言いたいことはあるか!?」
薫は非常にばつが悪そうな顔をしていた。当然だろう。
「あの地区にいるテロリストどもはC級です。作戦次第では殲滅するのに一日とかからないでしょう」
「その程度の輩の反乱を未然に防ぐことが出来なかったとは……醜態をさらしてくれたな立花」
薫は悔しそうに唇を噛んだ。薫自身は、きっちりと対策をとっていたつもりだった。
法律をいくつも無視してまで、裏社会には厳格なほどの仕打ちをしてきたのに、この様だ。
「局長、僕に名誉挽回のチャンスを!どうか僕に指揮を取らせて下さい!!」
「立花、一度しか言わないから、よく聞け」
「はい」
「対策委員会の半数で部隊を作る。隊長は直人だ」
「局長!待って下さい、僕は――」
「貴様はアドバイザーとして同行させるが、一切の権限は認めない。
それから、この件が片付いたら貴様の担当地区の管理は別の者にまかせる、いいな!」
薫はガクッと椅子に座り込んだ。
(……終わりだ。これで、しばらく出世街道から大きくそれる。
ああ、こんな事なら、あの時、どんな手段使ってでも季秋家の娘と結婚しておくべきだった。
そうすれば、どんな立場になろうとも、金と名誉には不自由しなかったのに)
他の士官達はそれぞれの思惑で薫を見つめていた。
ライバルが一人減って喜ぶものがほとんど、そんな連中を見て直人は吐き気を覚えていた。
薫に対してはお世辞にも好感を抱いていないが、直人はこういうのは嫌いだった。
鎮魂歌―57―
「弟がいなくなった。出るなら今だな」
博巳は
美恵を見つめ、「家に帰ったら、二度と克巳にかかわるな」と忠告した。
『家』、その単語は瞬時に美恵の表情を曇らせた。
「どうした?」
「……何でもない。色々ありがとう」
帰る家は無い。でも、そんな悲劇的な運命に陥ったのは自分一人ではないのだ。
自分には同じ境遇を共有している仲間がいる。彼らが彼女にとって帰るべき場所だった。
桐山に会いたいと思ったが、冷静に考え、貴子と光子を捜すことを優先順位と決めた。
自分が水島の元に連れて行かれたように、二人も悲惨な状況に置かれている可能性が高い。
(まずは貴子と光子の無事を確認しないと)
「……あの」
「何だ?」
「私の他に二人の女子がどこかに連れていかれたはずなの。心当たりないですか?」
「二人?」
博巳は表情を曇らせた。どうやら心当たりがあるようだ。
「お願い、教えて下さい。大事な友達なの!」
博巳は哀れみをこめた目で美恵を見つめたが、ゆっくりと頭を左右にふった。
「お友達は諦めたほうがいい。多分、他の特撰兵士の元に連れて行かれたんだ。
おまえが助けに行ったところで何もできない。犠牲者の数が増えるだけだ。
だから、おまえ一人だけ逃げろ。結果的にはそれが一番いい」
「……そんな」
博巳の言葉は冷たかったが、思いやりから出たものだろう。
美恵は、俯いて考えていたが静かに言った。
「その特撰兵士の名前と居場所を知っていたら教えて……お願い」
博巳は随分驚いたようだ。目をぱちくりさせている。
「……聞いてなかったのか?相手は特撰兵士だぞ、それも特別な連中だ。
四期生の中で、うちの弟クラスの人間が三人いる。その内の二人だぞ」
「あなたの言うとおりだと思う。何もできないかもしれない……でも」
美恵は親友達のこと思った。どちらもかけがえのない人間なのだ。
「もしも立場が逆だったら、きっと私を助けようとしてくれるに違いないわ」
「……お優しいんだな。お人好しなくらいだ」
「私、優しい人間じゃないわ。友達を見捨てて逃げたら、この先、一生苦しむから。
ただ弱い人間なんです。だから――」
博巳は厳しい表情で聞いていたが、ちょっとだけ笑った。
あまりにも優しそうな笑顔だったので、水島と同じ顔のせいか、美恵は驚愕した。
「おまえの決意はわかった。でも、おまえ一人じゃ、この屋敷から出ることすら容易じゃないだろう」
確かに、今だに屋敷の外にはスーツ服の男が大勢徘徊しており、猫の子一匹出れそうにない。
「一つだけ約束できるか?」
「約束?」
「この先、何があっても俺の名前は克巳に言うな。
他の人間にばらしてもかまわないが克巳だけは絶対に駄目だ」
「……なあ、外の様子がおかしくないか?」
良樹の言葉に七原は不思議そうな顔をした。
「おかしいって?」
「断言はできないけど……見張りが少なくなったような気がする」
「何でだよ。さっきから時間が来るたびに交替で見張り立ってるけど人数は減ってないぞ」
ドアの前には常に二名の兵士が立っているし、時々廊下を兵士が歩くのが見える。
生徒の多くは、座り込んで放心状態になったりすすり泣いているため、それすらも把握してない。
「いやいや、雨宮の言うとおりだ。確かに兵士が減っている」
三村が特徴的な口調でそう言った。僅かにしろ、いつもの自信満々の三村の笑顔だ。
「どうして、そう思うんだよ三村?」
「確かに見張りの数は変化なしだ。けど交替時間が長くなってる上に総人数が減っているんだ」
七原はますます理解不能な表情だ。三村は「まあ座れよ」と促すと説明を開始した。
「俺達が運ばれてきた時は見張りは二時間で交替してたんだ。
だが急に三時間交替に変更になった。おかしいだろ?」
全然きづかなった七原は感心した。さすがは三村だ。
「それにだ、今見張りに立っている連中は六時間前に見張りをしてた連中だ。
一巡で交替してる。その前は三巡だったんだ、それだけ人数不足ってことだろ?」
三村は良樹に視線を配り、「そういうことでいいよな?」と付け加えた。
「ああ、そうだ。俺達が無害なガキだってわかって見張りを減らしたわけじゃなさそうだ。
廊下を行き来してた兵士の数まで減っている。何かあったんだ」
確かに数時間前に慌しい往来があったかと思ったら、その後はやけに静かになった。
「な、なあ、今って脱出のいいチャンスなんじゃないか?」
七原は小声で囁いた。良樹が頷くのを見て七原は確信した。
「よし、何とか見張りを騙して鍵をあけさせよう。皆で逃げるんだ!」
「待てよ七原!」
良樹は慌てて止めた。
「確かに見張りは手薄になったけど、だからって俺達が簡単に脱獄できるレベルじゃあないぞ。
仮にも国防省。素人の子供が集団脱走するのを黙って見てると思うのか?
今、下手なことしたら、今度は投獄されるだけじゃ済まない。痛めつけられて拘束着で動きとれなくなるぞ。
そうなったら、もう二度と脱獄のチャンスはないと思っていい。焦るなよ」
「けど美恵さん達が連れて行かれて、もう半日はたっているぞ!」
「そうだ、そうだ!貴子もだ、これ以上大人しく様子見なんて俺はごめんだ!」
杉村も七原と同じ感情的な人間だったので、七原の意見に同意した。
「俺だって貴子さんのことは心配なんだぞ!」
良樹は、やや口調を強めて言った。
「だからこそ失敗は許されないんだ。今の状況をもっと的確に把握してから……」
バン!と突然扉が開かれた。良樹達は慌てた。当然だろう。
小声で密談をしていたつもりだったが、脱走会議を見張りに気づかれてしまったのか?
「……ふん、この中にはいないようね」
だが、扉の向こうから現れたのは見張りの兵士ではなかった。
自分達とそう変わらない年齢の女の子だったのだ。
可愛い顔はしているが、何だか生意気そうでお友達になれるようなタイプじゃなさそうだ。
「何者だよ、あんた」
良樹は嫌な予感がしたのが、仲間を庇うように少女の前に出た。
突然平手打ちが飛んで来た。良樹は咄嗟に避けたが、それが少女の機嫌を損ねたらしい。
「何をするんだ!」
良樹よりも七原のほうが立腹していた。
「うるさいわね。あたしに生意気な口をきくからよ、捕虜の分際で」
「ほ、捕虜?俺達は無実の罪で捕まったんだぞ!」
「テロリストは捕まると、いつもそうほざくのよね。『俺達は正しい』って。
バッカじゃない?だから犯罪者って嫌いよ、図々しいにもほどがあるんだから」
「お、おい、まどか。そのくらいにしておいてやれよ」
生意気そうな少女の背後には何だか人の良さそうな少年が立っていた。
「天瀬瞬がいないなら、俺達、もうここには用ないじゃん。
何だか急に物々しくなってきたしさあ。やばいよ、またテロ攻撃されそうな雰囲気あるぜ」
「うるさいわね寿!あんたは黙ってなさいよ!」
「……わ、わかったよ」
「でも確かに、あの化け物がいないなら、もう用ないわよね。帰って長官に報告しましょう」
少女が扉を閉じようとすると、良樹が、慌ててその腕をつかんだ。
「何するのよ!寿、寿、こいつ何とかしなさいよ!!」
「こいつ、まどかに何するんだよ!」
少年が良樹を突き飛ばし、良樹は派手に床に尻餅をついた。
「雨宮!」
七原や三村が良樹に駆け寄る。
「最低!行くわよ、寿!」
「あ、ああ」
二人は扉に鍵をかけると、さっさと行ってしまった。
「……なんて女の子だよ」
女は基本的に全員天使くらいに思っている七原は少なからずショックを受けていた。
「雨宮、災難だったな。でも、何で、あの子の腕をつかんだんだよ」
「ちょっとカッコ悪かったけど、目的ははたしたさ」
良樹は手の中にある、ずっしりとした感触を持ち上げた。
それを見て三村と七原は驚いた。黒光りしている銃だった。
「……おまえ!」
「男に突き飛ばされるときにホルスターから失敬した。逃げるにしても武器は必要だからな」
「ああ、本当にムカつくわ!捕虜のくせに!」
「そう怒るなよ、まどか~」
「ところで寿……あんた、何で、あたしに付いて来たのよ」
「……え?」
「長官に、あの化け物が捕まってないか確認して来いって言われたのは、あたしでしょ。
あんたが付いてくることなかったのに」
「……えーと、そ、それは……ほ、ほら!爆発事件があったばかりじゃないか。
大事な幼馴染を一人で国防省なんかに行かせられないだろ?」
「……ふーん、何か、怪しいわね」
まどかは納得できない様子だった。
自分に従順な幼馴染が隠し事をしている事は非常に不愉快でもあった。
「吐きなさいよ」
「な、何もないって」
「あんたが嘘つくときは鼻がぴくぴく動く癖があるのよ。バレバレなのよ、白状しなさいよ!」
「ま、待てよ、まどか……あれ?」
寿が指さす方向をみると、国防省の人間が捜査官から兵士、職員にいたるまで直立不動で廊下に立っていた。
「何よ、あれ」
「ほ、ほら、集団が来るぞ。先頭は特撰兵士の菊地さんだ」
直人を先頭に歩いてくるのは、国防省の士官クラスの連中ばかりだ。
「……国防省のエリートばかりじゃないか」
「まるで大名行列ね。バッカみたい」
「おい、まどか聞えるぞ」
「かまわないよ。あたしに歯向かえるものですか。
だって、あたしには高尾大尉ってつよーい味方がいるんだもん」
「それにしても、どうしたんだろう?」
「どうしたもこうしたもないわよ。きっと徒党を組んで、あの化け物を捕まえる気よ。
フン、エリートだか特撰兵士だかしらないけど、科学省以外の人間にあいつを捕まえられるものですか」
「でも、国防省も災難だよな。本当に良かったよ。爆発事件で早紀子ちゃんが怪我しなくて」
「……ん?」
「国防省の特撰兵士が士官達を率いて基地を出発した。計画通りだ、行くぞ、おまえら」
国防省の最新情報を今か今かと待っていた夏樹は立ち上がった。
「待てよ、兄貴」
だが冬也が止めた。
「何だ?」
「腑に落ちないことが二つある。理由を聞かせてもらおうじゃねえか」
夏樹は壁に背をもたれると、「いいだろう、言ってみろ」と応えた。
「その特撰兵士率いる部隊の中に水島克巳の顔がない。
四国から離れ一人で勝手な行動をとっている鳴海雅信はともかく、奴がいないのはおかしい。
ここは慎重に行動するべきじゃねえのかよ?」
確かに水島克巳の動きは要注意だった。
「もしかして反乱軍どもが俺達の囮として利用されている事に気づいて罠を張って待ち構えているんじゃねえのか?
今、国防省に侵入するのはやばいだろ。様子見たほうがいいんじゃねえのか?」
「安心しろ。俺達の目的はお姫様だ、他の連中には用はねえよ」
夏樹はニヤッと笑った。
「ほんと……怖いひとだな、兄さんは。あれほど肩入れしてた連中すら囮にするっていうんだからなあ」
秋利が薄ら笑いを浮かべながら、そう言った。
夏樹の狙いは今国防省の監獄に閉じ込められている良樹達ではない。
その中に、いないことが確認されている三人の女生徒だった。
夏樹は貴子個人に肩入れしている。
夏生は光子の無事を確認するまでは生きた心地がしないとわめき散らしている。
そして美恵にご執心している人間が季秋家に一人いる。
夏生も美恵の事が気に入っているが、その男の執着はかなり度合いが強い。
マジで惚れているといっていい。その男の名は冬樹だった。
「しかし勘当処分された弟のお願い聞いてやるなんて、兄さんは何だかんだいって弟思いだな」
「いいじゃないか。俺の弟だけあって、女を見る目はあるはずだ。
その弟が命懸けで助けてやりたいという女だぜ。
だったら、助けてやる価値はある。そうだろ、おまえら?」
夏樹はふざけているのか本気なのか、わからない人間だった。
だが、やると言った事は必ず実行する主義の男。
その夏樹がたてた作戦とは実に大胆なものだった。
兄を利用して裏社会に金を流させテロリストどもに反乱を起させる。
反乱を鎮圧する為に、国防省の主だった士官は兵士を引き連れ基地を離れるだろう。
その隙に国防省に攻撃を仕掛ける。生徒達を奪還するためだ。
が――それも、国防省を欺く見せ掛け。
連中を救出に向かうと思わせ、他所に捉えられている美恵達を救うのが目的だ。
「なぜ、連中を見捨てる?訓練までさせてやるほど肩入れしてたくせに」
「俺は奴らに出来るだけの事は十二分にしてやった。これ以上甘やかしてやる理由はないなあ。
だがチャンスはくれてやる。そのチャンスを生かすも殺すも奴等次第、後は知るか」
夏樹はにんまりと笑って、「他に質問はあるか?」と訊いた。
「いや、ないぜ。それを聞いて安心した。
あんな連中に、お情けだけで手を差し伸べるつもりだと思って心配したぜ」
「冬也、俺を舐めるなよ。俺は聖人君子じゃねえ、そんな慈善活動には興味ねえよ」
「克巳、あなた一体何をするつもりなの?菊地局長の招集を無視するなんて、後で厄介よ」
「心配ご無用だよ真知子。俺には強いコネがある。
それに例え機嫌を損ねようとも、菊地局長の下で動くなんて俺のプライドが許さない」
「……でしょうね。あなたを無視して息子に指揮とらせているって話じゃない。
下手に召集に応じたりしたら、あなたを息子の下につかせることくらいする男よ。
あなたが、あんな青二才の下につくなんて、私だって我慢ならないわ」
真知子は水島の膝の上に座り、その首に腕を回しながら唇を重ねた。
「ところで、何、こっそり見てるだい?見たいなら見えてあげてもいいんだよ、俺達のラブシーン」
「そ、そんな!滅相もありません!!」
扉の陰から慌てて飛び出したのは新井田だった。
久良木の忠告に従って水島の元に身をよせていたのだ。
水島が、この裏切り者を快く受け入れた理由はただ一つ。
これから戦う敵の情報を得る為だった。
「おまえには洗いざらい話してもらうよ。かなり相手は素人離れした坊やらしいからねえ」
「は、はい、もちろんです!水島様のためなら、たとえ火の中、水の中です」
「ふふ、いい子だ。じゃあ、早速聞かせてもらうかな」
「桐山和雄君のことを」
「博巳様、どこにお出掛けになられるのですか?」
愛車に乗って門まできた博巳に、水島の部下達が慌てて駆け寄ってきた。
「どこに行こうが俺の勝手だ。門を開けろ」
「それはできません。克巳様から、あなたを敷地内から出すなと厳命を受けています」
博巳は不愉快そうに眉を寄せた。
「……俺は克巳にそこまで行動を制限される覚えはないぞ。そこをどけ!」
「し、しかし……」
美恵は車のトランクに隠れていた。博巳達のやり取りは美恵にも聞えていた。
決して大声ではないのに美恵には怒鳴り声並の音量に聞えた。
それにもまして自分の心臓の鼓動は大きく聞える。
博巳は腕時計を見て、「上映時間に遅れるだろ」と強い口調で言った。
「はあ、しかし……」
「そこ、何をしてるの?」
第三者の声に、博巳も男達も、その声の方角に視線を向けた。
「あ、早苗様」
(……早苗?確か、水島の恋人)
美恵の心臓の鼓動は、さらに大きく速くなった。
「……それが博巳様が、克巳様の命令はきけないと、おふざけをおっしゃられて」
「……水島君」
「大久保……久しぶりだな」
「元気してたか?」
「ええ」
「弟は大事にしてくれているのか?」
「……ええ」
声のトーンが落ちた。愚問だったらしい。
「……悪かったな、無神経だった」
「構わないわよ。それより困っているようじゃない、あなたも、この人達も。
いいわ、私が点検をして不都合がなければ通ってちょうだい。
あなた達も、それなら克巳に顔はたつもの、文句はないでしょう?」
「で、でも、早苗様……」
美恵の心臓はドクンと大きく跳ねた。絶体絶命の予感がしたのだ。
「ふぅん、じゃあ鈴原美恵が桐山君のウィークポイントなんだね?」
「はい、間違いありません」
新井田はすり減るほど揉み手を繰り返した。
「ふふ、愛しの彼女が俺の手の内にあるなんて知ったら、どう思うだろうねえ」
「いやー、あの女は中々の上玉ですよ。さすがは水島様、御目が高い!」
水島がグラスを持つと、即座に新井田はそばのテーブルの上にあったカクテルを注いだ。
「気が利くねえ」
「で、桐山の野郎をどうなさるおつもりで?
水島様にかかれば、あんな奴、ひとたまりもありませんが」
「おまえ、わかっているじゃないか。
ふふ、彼女が俺のモノになる運命だと知ったら桐山君はどうなるだろうねえ。
どんな子だか知らないが所詮は素人に毛がはえた程度の存在だろうさ。
好きな女の子が、もう俺の女になったなんて告げられたらショックを受けるに決まってる」
「さすがは水島様、お美しい上に賢いときていらっしゃる」
「本当におまえは、よくわかっているじゃないか。もっとも当然のことだけどね」
水島は戸川が言ったとおり美辞麗句が大好きな男で、新井田は居心地のいい場所を見つけたのだ。
水島の愛人専用携帯電話の着信音が鳴った。
「やあ真知子、彼は見付かったかい?そうか、わかった」
水島は笑いながら立ち上がった。
「竜也のバカめ。敵を前にして成果を上げずに帰還するなんて特撰兵士の風上にもおけないよ。
もっとも、そのおかげで俺に手柄が舞い込むんだ。あいつのおつむの悪さには感謝するよ」
水島は一度携帯を切ると、今度は早苗に電話をかけた。
「やあ早苗、俺だよ。至急、彼女が必要になった。すぐに連れて来てくれ。
ああ、そうそう待ち合わせ場所は例の所で」
『彼女をどうするつもりなの?』
「心配しなくても浮気はしないよ。約束する、だから早くしておくれ。
じゃあ、待ってるよ。ありったけの愛を込めて」
「……相変わらずね、あの性格は」
早苗は呆れながら携帯電話を切ると、トランクを開いた。
(『浮気はしないよ』なんてギャグのつもりかしら。全然笑えないわね)
早苗の視線が硬直した。トランクの中から現れたのは美しい少女だったのだ。
間違いなく水島が捕らえたという少女・美恵だろうと瞬時に察した。
博巳に視線を移すと、表情こそ平静を装っているが目は極めて鋭かった。
「……水島君、あなた」
「大久保」
(……大久保、頼むから見逃してくれ。君に危害を加えたくない)
博巳と早苗の間の視線に緊張が走った。
「早苗様、克巳様にばれたらまずいので……」
早苗は美恵を見つめた。その瞳は哀しそうな色に満ちている。
(……昔の私と同じ目)
早苗はトランクを閉めた。
「異状は無いわ。通していいわよ」
「しかし、早苗様!」
「私がいいと言っているのよ。すぐに通して」
「せめて、我々にも確認させて下さい。早苗様を疑うわけではありませんが……」
男がトランクに手を伸ばした。
「失敬な!」
途端に男は平手打ちを喰らって地面にうつ伏せになった。
「私を誰だと思っているの?!私の言葉は克巳の言葉も同然よ。
おまえ達ごときが克巳に逆らおうっていうの?
どうしても、やるというのなら克巳を怒らせる覚悟でやることね!」
「……い、いえ、失礼しました」
「そう、なら結構よ。水島君、もう行っていいわよ」
「……ああ」
こうして美恵は何とか水島邸から脱出することに成功した。
しばらく車は走行し、やがてストップした。
「ここまで来れば、もう大丈夫だ」
「あ、ありがとう博巳さん」
「礼よりも約束を守れよ。この先、何があっても絶対に俺の名前だけは出すな」
美恵は何度も頷いた。
「もちろんよ。博巳さんに迷惑はかけません」
「そうじゃない。前に説明した通り、他の奴にならばらしてもいい」
「だが克巳にだけは言うな」
博巳が恐れているのは国に逆らったことがばれることではなかった。
弟にばれることだけを異常なほど恐れている。
「俺に助けられたことが克巳にばれたら、あいつは切れる」
「……博巳さん?」
「俺とあいつは顔は瓜二つだが中身が全く逆で子供の頃から、よく比較された。
弟は明るくて社交的で幼い頃から、いつも人の輪の中心にいた。
反対に俺は地味でつまらない男で、弟の陰になっていた。
弟は当然のように女にも華やかにもてていた。だが、ある日、信じられない事が起きた」
博巳にとっては嫌な過去らしい。さっきから美恵の目を全く見ないのだ。
「学園で一番の美人と評判だった女生徒と俺達は同じクラスになった。
当然、彼女も克巳に首っ丈になると思っていた。
だが、どういうわけか彼女は悪趣味だったらしく、俺のほうに気があったらしい。
それが克巳の知るところになり、あいつはプライドを傷つけられて激怒した。
ある日、俺が日直の仕事をやり終えて教室に戻ったら事件は起きていた――」
博巳は拳を握り締めた。悔しそうな顔をして。
「……彼女が泣きながら教室から飛び出してきたんだ。教室には克巳がいた」
「まさか――」
美恵は何が起きたか察して震え出した。
「ああ、そうだ。克巳が犯したんだ」
「そんな……酷い」
「……俺のせいだ」
「それは違うわ、悪いのは……!」
「俺の責任だ。弟の本性を甘く見ていた――俺のせいだ」
「あれ以来、俺は二度と女と係わらないようにしてきた。
だから、絶対に弟に俺の名前はだすな。でないと弟はおまえを壊す」
【B組:残り45人】
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