貴子は今自分が置かれている状況を必死に把握しようと試みた。
実戦さながらの訓練、それが本当の実戦になってしまったようだ。
しかも相手は頭のいかれた殺人鬼ときている。
間違いなく危機的状況。いや、このままでは絶体絶命になるのも時間の問題だ。
「早く逃げるんだ。俺が食い止めている間に早く!」
乃木が飛び掛かかってくる凶人達を相手に決死の思いで応戦するも所詮は多勢に無勢。
三人が完全に包囲されるのに時間はかからなかった。
「あ、危ない後ろ!」
国信の声に乃木ははっとして背後に視線を送った。
男が乃木の頭にボール大の石を振り下ろそうとしている。
(しまった!)
乃木は不覚にも自分な頭部がザクロと化すビィジョンをイメージしてしまった。
同時に銃声が空を切り裂いてた。
鎮魂歌―51―
「さてと、次はどうしてくれようか」
冬樹は季秋のメインコンピュータにさらにとんでもないプログラムを組み込んでいだ。
「外部との連絡経路全て断ってやる!」
素早く島を完全に孤立させ、さらに島の自家発電機の管理コンピュータにウイルスを送り込んだのだ。
「建物の全ハッチを閉じてやるぜ」
そのうえ、建物を封鎖してしまった。
「これで本部とは連絡できない。しばらく飢えや暗闇に堪えてもらうぜ。
ま、通信が途絶えた以上、そのうち誰かが捜しに行くだろうから、たいした仕返しにはならないけどな。
けど、俺は根が優しいから、これで勘弁してやる」
冬樹は取り敢えず満足した。
元々根が明るく単純なたちなので、もう蒸し返すこともないだろう。
「ん?」
夏樹達の行手を塞ぐべく自動ドアが突然しまった。
「なんだあ?」
それだけじゃない。電灯が一斉に消灯したのだ。
「おい、どういうことだ?!」
夏樹はコンピュータ管理室の技師達を無線機を通して怒鳴りつけた。
『申し訳ありません!急に電源が落ちてしまい、すぐに全力を上げて復旧作業を行いますので……』
「……やられたな。これも冬樹の仕業だ、まんまと閉じ込められた」
夏樹はいまいましそうに拳を握りしめた。
「やばいよ兄さん。全てのハッチを手動で開けてたら余計な時間がかかる」
秋利の言う通りだった。第一、そんなカッコ悪いこと夏樹はごめんだった。
「それだけじゃすまないだろうぜ兄貴。
あいつのことだ、多分全ての非常用シャッターや防壁まで降ろしてる。
賭けてもいいぜ、100パーセント確実だ」
冬也の推測もバッチリ当たっていた。
「……正規のルートなんか通っていられるか」
夏樹は懐から銃を取り出すと天井目掛けて発砲した。カランと音がして天井の一部が落下した。
「ほら、行くぞ、おまえら」
「まさか天井から?」
「通気孔を使うのかよ。冗談じゃないぜ、あんな狭い場所。俺様はネズミじゃないんだよ」
「つべこべ言うな。さっさと行くぞ」
「ち、千草さん……!」
国信はがくがくと震えていた。顔色は今にも倒れそうなほど青くなっている。
その目は、貴子の腕の先をただ見ていた。貴子の手も微かに震えている。
貴子は、この日を生涯忘れることはないだろう。
鼻をつく硝煙の臭いも、両手を痺れさせている銃の反動も。
何より、自分が放った銃弾が鮮血を撒き散らしたことを。
――貴子は決して忘れない。忘れられるわけがない。
(あ、あたし……人を殺した!)
ばたっと男が地面に崩れ落ちた。
それは勝ち気とはいえ中学生の少女には、あまりにも衝撃的な出来事だった。
「何をほうけてるんですか!そいつはまだ死んでない!」
乃木の声に、俯いていた貴子ははっと顔を上げた。
倒れたはずの男が両腕を広げ飛び掛かってきた。
フォームは無茶苦茶だが、スピードと勢いだけはある。
死んだと思っていた相手の予想外の逆襲に、さすがの貴子も凍りついた。
乃木が慌てて貴子を守ろうとしたが、他の囚人達が一斉に乃木に襲い掛かり行手を阻む。
「危ない千草さん!」
貴子を守ったのは意外にも国信だった。
男の腰にしがみつき、その動きを止めることに成功していた。
しかし、それはあくまでも一時的なものに過ぎなかった。
国信は男が振り下ろした鉄拳で簡単に地面に沈んだ。し かも、ぴくりとも動かない。
「国信!」
貴子の呼び掛けにも、まるで反応かない。
そんな国信に、非情にも男は両腕を伸ばすと、ぎりぎりと首を締め付けだした。
国信は相変わらず動きを見せなかったが、その顔色は見る間に黒く変色してゆく。
(国信はまだ死んでない!)
貴子は確信した。同時に、国信が風前の灯だという事も理解できた。
(国信から、あいつを引き離さないと。でないと国信が殺される)
貴子は再び銃を構えた。先程は反射的に撃ってしまっただけに過ぎない。
だが今度は違う。貴子は冷静に銃口を定め、そして撃った。
悲鳴と共に、男の腕から鮮血が吹出した。
じっと海を見つめている少年がいた。その名は桐山和雄。
彼は美恵の後を追い、直感と天才的推理でここまできたのだ。
(海に逃げたな。だが海上には海軍がいる、レーダー搭載の戦艦の防衛線を突破するのは無理だろう。
まだ四国にいるはずだ。どこかの海岸でおりているはずだ)
桐山の推測は正しかった。だが、肝心の行き先がわからない。
(どこに逃げたのかな?)
海岸線に何か痕跡は無いか必死に捜した。しかし、そんな物、影も形もない。
桐山は多人数の気配を感じ岩陰に隠れた。
気配を殺し、じっと息を潜めて様子を伺っていると軍服を着た少年達が現れた。
「周藤さん、ここにもいません!」
(周藤?)
少年達の数はざっと見ただけで10人以上いる。
その中に唯一士官用のご立派な軍服を身に纏っている男がいた。
顔つきからして、他の奴らとは違う。
鋭い眼光は全てを見透かしているようだった。
「おい、いい加減に仲間の居所を吐きやがれ!」
ロープに拘束された少年が一人いる。どうやら捕虜のようだ。
「だから、さっきから言ってるじゃないすか。俺は何も知らないって」
「ふざけるな!」
捕虜の少年が殴られ地面に倒れ込んだ。
殴った少年は足りないとばかりに今度は蹴りをいれだしている。
「よせ輪也」
「でも兄貴!こいつ絶対にしらばっくれてるぜ。痛めつけて吐かせないと。
でないと兄貴の手柄が全部、水島なんかにもってかれちまうよ!」
「……だろうな。もう時間もない。そろそろ国防省に行かないと怪しまれる」
「くそ!水島め!!」
輪也は悔しそうに地面を蹴り上げた。
「いいか輪也、こいつの存在だけは水島に知られるわけにはいかない。
俺は一旦基地に向かうが、おまえはこいつを水島達に見付からないようにどこかに隠せ」
「わかった」
「こいつがまた自殺を図らないように注意しろ」
「わかったよ」
「それから乱暴なことはするな。こいつは拷問で口を割るタイプじゃない」
「……わかったよ」
(誰だ、あいつは。鈴原と拘わりがあるとは思えない。だが……)
桐山はちょっと考えた。自分には他に手掛かりが全くない。
あの捕虜は万が一にも何か有力な情報を持っているかもしれない。
そして、その直感は正しかった。
捕虜は香坂佳澄、美恵の情報どころか、彼女を逃がした連中の仲間なのだ。
周藤と呼ばれた男が姿を消すと、桐山は佳澄と接触すべく輪也達の後をこっそりつけた。
「まずは空路を断てよ。空港及び全てのエアポートを封鎖するんだ。
民間はもちろん軍基地にいたるまで例外なんか認めやしないよ。奴らを捕えるまで徹底的にやれ!」
その怒鳴り声に医師や看護士が眉間にしわを寄せている。
いくら国防省がフロアーを貸し切っていて、一般の患者はいないとはいえ、
そして水島が爆弾を仕掛けた犯人逮捕の全権を委ねられているとはいえ病院内においては望ましくない行為だ。
異性関係以外のことは表明的には良識をもって行動する水島には珍しい振る舞いでもあった。
それほどまでに水島は苛立っていた。
危うく殺されかけ、恋人は病院送り、さらに水島を苛立たせることが起きた。
良恵に取り付けた盗聴機から、彼女が自分の蜘蛛の巣の範囲外に出たしまったのだ
(あの女、失敗しやがった)
使えると見込んで匿ってやっていたというのに、とんんだ見込み違いだった。
(くだらない個人的感情なんかを振り回すから、こういう間抜けな目にあうんだ。
獲物を横取りされるなんて……おしおきが必要なようだね)
水島は自分の事は棚に上げ女の失態に、すっかり頭にきていた。
おまけに頼みの綱の盗聴機と発信機まで電波が途絶えている。
おそらく、良恵を連れ去った何者かに破壊されたのだろう。
(あれの存在に気付くなんて何者なんだ?)
ただ者じゃないことだけは確かだろう。
最初は良恵に肩入れしている五期特選兵士の誰かとも考えたが違う。
今この四国にいる五期特選兵士の現在地を水島は把握していた。
彼らは、それぞれ任務についており、時間的にも良恵の元に駆け付けるのは不可能。
良恵が何者かに連れてゆかれたことすら今だ知らないだろう。
(あの役立たずの女が相手の顔を見ていればいいが期待できそうもない。
天瀬良恵を助けたんだ、少なくても彼女には敵じゃない。おそらく彼女を爆弾から救った男と同一人物)
良恵は意識を失う前に男の名前を呼んだ。そう、瞬の名前を。
しかし水島はその名を知らない。
爆発騒動のせいで騒音が凄まじく、良恵が発した微かな呼び掛けを水島の聴力は拾いきれなかったのだ。
(誰だろうが俺の邪魔をするなら容赦はしない)
「大尉、佐々木中尉から連絡が入りました!」
通信兵が部屋に飛び込んできた。途端に花瓶が飛んでゆく。
「いてえ!」
「……痛いじゃないよ。面会謝絶の病室にノックも無しに入室するなんて非常識にも程がある。
関係者以外入室禁止だよ。全く、これだから品性のない雑兵は嫌いなんだ」
「え?た、大尉が入室していらっしゃるので、てっきり……」
今度は医療機器が飛んでいた。
「俺はれっきとした関係者だよ」
(そ、そんなあ。医者でも家族でもない、ただの愛人なのに)
「で、用件は?」
「は、はい。爆発前後に近隣一帯から出た全ての飛行機、船、車両のデータを揃えたとの事です。
絞り込み作業をしたいので、すぐに大尉にご足労願いたいと」
「わかったよ。すぐに行くと伝えておけ」
水島は今だ目を覚まさないベットの上の恋人の顔を両手で包んだ。
「……沙耶加、借りは返してあげるよ。必ずね」
「お、おい!囲まれてるぞ!!」
沼井が青ざめながら言った。
修羅場経験豊富な沼井だが、こんなパニック映画さながらの状況は味わった事はない。
「ちっ、あいつら何をもたもたしてやがるんだ?」
佐竹の苛立ちもピークを迎えようとしていた。自分一人なら、なんとでもなる。
だが良樹達を守りながら逃げるなんてハードルが高すぎる。
しかも先程から無線機が通じなくなり、夏樹たちとの連絡が絶たれたままだ。
(くそ!仕方ねえな……俺が責任とるしかない)
佐竹は覚悟を決めた。
佐竹はまず威嚇射撃に数発撃った。良樹達を取り囲んでいる殺人鬼達の輪が大きくなった。
正気は失っていても銃の恐ろしさは覚えているようだ。
「いいか、おまえら俺のいうことをよく聞けよ」
僅かに稼いだ時間は少ない、話は簡単明瞭にすまさなければならない。
「俺が道を作る。おまえらは合図と共に、その道を走り抜けろ。
100メートルも走れば発電所が見えるはずだ。そこに逃げ込め。
あそこは頑丈な作りになっている。中から鍵をかければ、こいつらは入れない」
佐竹は「わかったな?」と念を押すと、後ろに振り向きながら全弾撃ちつくした。
「ぎゃああ!」
血が盛大に噴出する。佐竹は空になった銃を投げると猛ダッシュした。
「オラァ!」
そして電光石火のごとく攻撃を仕掛けた。
あっという間に何人もの殺人鬼が地面に重なり合うように倒れていった。
「今だ行け!」
殺人鬼達が作り上げた輪に一箇所だけ綻びが生じた瞬間だった。
「よし行こう!」
良樹達は一気に駆け抜けた。しかし奴らも追ってくる。
猛獣は背を見せたものを本能で追いかけるというが、そんなレベルじゃない。
なぜなら猛獣は自分達の命の糧の為に狩りをするだけだが、連中には理由などない。
ただ相手の息の根を理由もなく止めるだけに追いかけてくるのだ。
「畜生!まるでゾンビ映画じゃねえか!」
沼井は忌ま忌ましそうに叫んだ。
実際に両腕を不気味に伸ばしてくる彼らはゾンビに酷似している。
大きく違うといえばゾンビは動きが鈍いが、奴らは素早い。
駿足の七原ですら、ぞっとするようなスピードだ。
まして運動が苦手な豊では到底逃げ切れない。すぐに追い付かれだした。
「シ、シンジ助けて!」
「危ない豊!」
豊に魔の手が迫った。あわやという所で、佐竹が豊の背後に一瞬で移動。
派手な回し蹴りを決めていた。
「行け!ここは俺が食い止める!」
「佐竹さん!?」
「こいつらを止めるのは季秋の人間の責任だ。てめえの尻拭いくらいしてやる。さっさと行け!」
佐竹は一人この場に残るつもりだ。それを察した良樹達は戸惑った。
だが考えている余裕も時間もない。
「馬鹿野郎!おまえらがいると邪魔なんだよ!さっさと行っちまえ!!」
その言葉に良樹達は思わず走り出した。
振り向かなかったが、それでも後方では激しい戦闘が繰り広げられているのがわかる。
やがて佐竹が言った通り発電所らしい建物が見えてきた。
「急げ。もう少しだ!」
扉の前まで来た。もう大丈夫だ!全員次々に逃げ込んだ。
まず最初にレディファーストとばかりに月岡が。続いて豊、三村、七原、沼井が。
「雨宮?」
だが良樹は違った。突然立ち止まったのだ。
「雨宮、何してんだよ。早く来いよ!」
七原が大きく腕を振り上げて急かしたが、良樹は動かない。
「……悪い」
「あっ雨宮!」
皆の目の前で良樹が踵を翻し走り出した。
「雨宮、馬鹿な、戻って来い!」
七原達は慌てて叫んだが良樹の後ろ姿が小さくなるばかりだ。
「あいつ、千草助けに行くつもりなんだ」
三村は拳を握りしめた。
「馬鹿だ、あいつは!」
わかっていたさ、おまえの気持ちは。
「でも、彼女はおまえの事なんか何とも思っちゃいないんだぞ!」
「……シンジ、俺、雨宮の気持ちわかるよ」
「豊?」
「俺、頼りないけど、弱虫だけど……でも、これが金井だったら絶対にじっとなんかしてられない。
俺なんかが助けに行っても、何の役にもたたないと思う。
でも理屈じゃないんだ。そばにいてあげたいんだよ。いや、そばにいたいんだ!」
好きな女の子のそばにいたい。守りたい。
以前の三村ならお伽話を聞くような感覚でいまいち理解できなかったことだろう。
しかし今は違う。三村にも好きな女がいるのだから。
(……鈴原)
――ああ、そうだ、これが彼女なら、きっと俺も雨宮と同じ行動をとったな。
――理屈じゃない、感情なんだ。
――馬鹿だな。すごく馬鹿なことだよ。
――でも、そんな大馬鹿者、俺は嫌いじゃない。
「七原、豊達を頼む」
「三村?」
「見たろ、あいつらの勢いを。千草達が襲われてるとしたら、あいつ一人じゃまだまだ戦力不足だ。
ここはスーパースター・サードマンが行かないわけにはいかないだろ?」
「だったら、俺も行く!慶時を助けるんだ!」
「ダメだ!」
三村は強い口調で言った。
「おまえは優し過ぎる。人を傷つけるなんて無理だ。おまえは戦うよりも守るほうが合ってるんだ」
「……三村」
「守ってやってくれ豊を。ついでに、その自称レディの月岡や、沼井もな」
「箕輪のおかげで快適な空の旅だったわ」
光子は上機嫌で地上に降り立った。
(さて、と。これからどうしようかしら)
まず最初にやらなければならないことを光子は決めていた。
国防省の最新情報を手に入れることだ。
「あら?」
光子は人生の辛酸をなめつくしてきた女。その経験から勘が鋭い。
空港内の物々しさにいち早く気付いた。兵士達が走り回っている。
その表情からただ事ではない何かが起きたと容易に察することができた。
光子は一旦化粧室に駆け込み、壁の陰から様子を伺った。
兵士達が歩いてきた。光子はじっと聞き耳を立てる。
「水島大尉も徹底してるよな。何も軍港まで調べなくても」
「ああ、テロリストがわざわざ軍用機使って逃走するなんてありえねえよ」
「出入りすり人間全員いちいち検査するなんて面倒だよな」
(何ですって?)
光子はやばいと思った。箕輪の話では、光子の似顔絵が出回っているとの事。
搭乗する際は箕輪の紹介状のおかげで事なきを得た。
ボディチェックや荷物検査もされずサングラスのまま、飛行機に乗り込めたのだ。
だが、今度はそうはいかないだろう。
光子は化粧室の窓を少し開けた。荷物運搬用のトラックが見える。
(……やるしかないようね)
光子は窓から外に出ると、素早くトラックの荷台に乗った。
(後は神頼みね。あーあ、あたしがお祈りなんて自分でもびっくりよ)
程なくしてトラックが動き出した。
「よう今日もごくろうさん」
「はい、これ入出許可書」
運転手と守衛は顔なじみだった。どうやらすんなり通してくれそうだ。
光子はほっと胸を撫で下ろした。
しかし――。
「一応、荷台のチェックはさせてもらうよ」
「ええ、俺の車まで?」
「悪いが、相手が誰だろうと疑ってかかれという水島大尉のご命令なんだ」
光子の心臓が大きく跳ねた。
「わかったよ。急いでいるんだ、早くしてくれよな」
足音が近付いてくる。やばい、絶体絶命だ。
光子は物音を立てないように荷台の1番奥に移動した。
(隠れないと!)
木箱を発見した。蓋を開けると子供が入れるくらいの小さなスペースがある。
(ちょっと無理かも……でも、選択肢はなさそうね)
光子は、そのスペースに強引に体をねじ込ませた。
「ほら誰もいないだろう?」
「そうだな。人間が隠れるようなところはないもんな」
そんな声が聞えてくる。よかった、どうやら、上手くいった様だ。
「こ、これは島村中尉!」
守衛が突然かしこまった口調になった。
「ど、どうも、俺、い、いえ私はここで働かせてもらっている……」
「おまえの自己紹介なんざどうでもいい」
光子は嫌な予感がした。
「しっかり調べてるだろうなあ?もし、しくじったら今の克巳は何するかわからねえぞ」
「だ、大丈夫です。このトラックは調べ終えました、猫の子一匹いません」
光子の心臓の鼓動が大きく早くなった。
「……猫の子一匹か」
島村という男の声が光子の胸にナイフのように突き刺さる。
「確かに子猫はいねえなあ」
光子はほっとした。どうやら杞憂だったようだ。
「だが、でかい猫はいるな。獰猛なメス猫の臭いがするぜ」
光子の全身が硬直した。
「一番奥の木箱だ!物音は消しても気配までは消せてねえんだよ!!」
完全にばれている。もはや、これまで!
光子は蓋を押し上げると素早く荷台から飛び降りた。
「お、女?」
「何してる、さっさとつかまえろ!」
「は、はい!」
光子は走った。こんなところで捕まってたまるか!
あの門をくぐれば、あの門を――。
「!!」
光子の前に男が回りこんだ。島村と呼ばれていた士官だ。
「甘い!」
光子は鳩尾に拳を入れられ、そのまま意識を失った。
「輪也さん、周藤さんは、これからどうするつもりなんですか?」
「どうするもこうするもねえよ。ヘタレ長官の護衛で動きがとれなくなるんだ」
輪也は佳澄をどついた。バランスを崩した佳澄は地面と激突した。
「おまえが大人しく洗いざらい吐けばいいんだよ!」
佳澄はあからさまにムスッとした表情で輪也を睨みつけた。
「……捕虜には暴力奮うなって兄貴が言ってたよな」
「うるさい!」
「……忘れねえからな。覚えてろよ」
「忘れるに決まってんだろ。ふざけんじゃねえよ」
(一人、二人……全部で11人か)
桐山は見事に気配を消して尾行していた。
連中がやってきたのは意外な場所だった。結城司の診療所だ。
建物は、ほぼ全焼しており、周囲には立入禁止を示すロープが張られている。
さらに即席で立てられた看板には陸軍の署名が記載されていた。
結城司が陸軍所属だったために、陸軍が放火の調査をすることになったのだ。
もっとも士官ではない結城の家なので、ほとんど形式的なものに過ぎない。
ただ調査が終わるまでは陸軍以外の人間は近づけない。
そのため、輪也たちが臨時の隠れ家にするにはうってつけだった。
(そうか、あそこは地下室があった。そこに隠れるつもりなのだろう)
桐山は即座に侵入を開始した。地下室の状況も酷い有様だった。
消化の際の放水のせいで水浸し。火事というより水害の跡のようだ。
「念のためだ。おまえらは外で見張れ」
数人が外に出た。これで中は手薄になる。
「俺は少し休む。そいつは一番奥の部屋に入れておけ。
絶対に目を離すなよ。常に二人以上交替で見張りにつけ、いいな」
輪也が佳澄から離れた。これはチャンスだ。
少年兵士二人だけ。輪也たちがいなくなってしばらくすると桐山は行動に出た。
ぱっと飛び出すと兵士達が桐山の存在に気づく前に鳩尾に拳を入れた。
二人はあっけなく意識を失った。
扉を開けると、「……あんた誰だ」と声が聞えた。
「おまえに聞きたいことがある。鈴原のことを知らないか?」
「……あんた何者だよ。見たところ、こいつらの仲間じゃないよな」
「俺は城岩中学の……」
「城岩中学?……ま、まさか、あんたは!!」
佳澄の表情がぱっと明るくなった。
(無事でいてくれ、貴子さん!)
背後から迫る足音に良樹は立ち止まった。
しかし、直ぐに警戒心を解く。足音の主は親友・三村だった。
「三村、何しにきた。すぐに戻れよ」
「バーカ、1人だけかっこつけるんじゃねえよ」
三村はあの独特の笑みを浮かべた。
「知ってるだろ。俺は強いんだぜ、一緒に連れてけよ」
三村は本当に不思議な存在だ。強いということもあるが、何より頼りがいがある。
一緒にいると、本当に大丈夫な気持ちにもさせてくれる。
「わかったよ。しょうがないから連れて行ってやるよ」
「よし、じゃあ急ぐぞ」
二人は同時に走り出した。その二人の前に何かが飛び出した。
良樹も三村も、その何かを見て心臓が凍りつきそうになった。
「№ゼロ!」
「こ、こいつ……佐竹さんを振り切って俺達を追いかけてきたんだ!!」
やばい展開だった。№ゼロはギラついた目で二人を睨んでいる。
「……あいつが来る」
№ゼロが怯えた声でいった。
「……あ、あの悪魔がくる。あいつが来るっ!!」
№ゼロが飛び掛ってきた。
「来るなぁ!!嫌だ、死にたく無い、殺されたくない!!」
№ゼロは狂った殺人鬼、それが二人のイメージだった。
だが実際は逆だった。
どんな過去があったのか二人が知るよしもないが、№ゼロは恐怖でただ怯えている哀れな狂人だったのだ。
恐怖から自己防衛のために暴力的な行動にでる。
その暴力の対象が良樹と三村になった。それだけだ。
№ゼロは三村に強烈な体当たりをくらわし、三村は転倒した。
「み、三村!」
№ゼロは三村に馬乗りになり、その首を両手で締め出した。
「ぐっ!」
凄まじい腕力に三村の顔色は見る間に変色してゆく。
「三村を離せ!」
良樹は力づくで三村から№ゼロを引き離そうとしたがダメだ。それどころか凶暴性を増している。
三村の首をしめながら振り回しだしたのだ。
「あの男が来る……!」
№ゼロは三村を全く見てなかった。
その視線は三村を通り越して、はてしない暗闇を見ていたのだろうか?
「あの男……!恐ろしいほど冷たい目をした……銀髪の男!!」
「……ぐぅ」
三村の喉から僅かにもれる声が微々たるものになってきた。
これはやばい、もはや一刻の猶予もならない。
どんな相手だろうが人を傷つけられないなんて綺麗事を言っている暇などない。
良樹は木の枝を掴むと、思いっきり横一直線にふった。
枝は№ゼロのこめかみにヒットし、鮮血が噴出。
ところが№ゼロはわずかによろめいただけで、三村の首から手を離さない。
良樹は心の底からぞっとした。
(こいつ人間じゃない!痛いって感覚ないんじゃないのか?!)
良樹の考えがあっているかどうかは確かめようがない。
ただ、№ゼロは過去に強い恐怖のために発狂した。
その恐怖が痛みすら超えているのだけは確かだろう。
「死ね!……死ね死ね死ねぇ!!」
「やめろ、三村を離せ!!」
「死ね!死――」
その時、№ゼロの動きがピタッと止まった。
良樹がどれほど懸命に引き剥がそうとも離さなかった手を離したのだ。
「三村大丈夫か!?」
三村はげほげほと咳き込んでいるが大丈夫。すぐに立ち上がった。
そして二人は急に様子が変わった№ゼロを訝しそうに見つめた。
№ゼロは諤々と震え出した。
震えながら、ただはるか遠くを見ている。
二人はゆっくりと№ゼロの視線の先に振り向いた。
誰かいる。男が立っていた、見知らぬ男だ。
その男は、ただ静かにこちらを見ていた。そして、ふいに不敵な笑みを浮かべた。
それを見た瞬間、№ゼロが絶叫した。
「あの目……あの目だ!!あの男と同じ……蒼い目、あいつだ、あいつが来たっ!!」
№ゼロは良樹や三村にはもはや目もくれず、一直線に男に向かって猛進した。
「あいつ、今度はあのひとを殺す気だ。おい逃げろ!!」
良樹は必死になって叫んだが、男はその警告を完全無視。
「うわぁぁぁ!!」
№ゼロは男に飛び掛った。今までよりまるかに凄い勢いで。
良樹と三村は、思わず見知らぬ男の惨殺死体を連想した。
そして――おびただしい血が一斉に噴出した。
「……え?」
良樹はまるで幻をみているかのような気分になった。
男は微動だにしなかった。それなのに大量の血が空中を染め上げた。
血は――№ゼロのものだった。男は無傷だ。
№ゼロはそのまま地面に落下。そして、もう動かなかった。
「あ、あいつがやったのか?俺は攻撃したのを見てないぞ」
良樹は三村を振り返った。三村も信じられないという表情でゆっくりと頭を左右にふった。
男は完全な死体となった№ゼロには、もはや見向きもせずに二人に近付いてきた。
「あ、あんたは……?」
「ひとの名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀だろうが」
二人はハッとして、「お、俺は雨宮良樹」「俺は三村信史だ」と名乗った。
ところが男は名乗りもせずに、そのまま二人の横を通り過ぎてゆく
良樹の目には、№ゼロの哀れな死体が映っていた。
「……何も殺すことなかったのに」
「そいつの精神はずっと以前に死んでいた。肉体がやっと停止しただけだ」
【B組:残り45人】
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