美恵は身を起こした。
「寝てなかったのかよ?」
隣で横になっていた良樹が背を向けたまま声を掛けてきた。
「……うん」
「だろうな。俺もそうだった。あんた変な気配感じただろ?」
美恵は驚いた。あれは気のせいなどではなかったのだ。
「あの気配の主は、あんたを狙ってたぜ」
「どういうこと?」
「知るかよ。でも注意しろよ、誰かは知らないが郷原なんか目じゃないくらい強い奴だ。
俺じゃ相手にならねえよ。半端じゃないぜ」
鎮魂歌―5―
「富貴原警視長、菊地中尉が到着しました!」
1人の少年の到着に、捜査官達は一斉に整列した。
菊地直人(きくち・なおと)。富貴原達に恭しく出迎えられた少年の名がそれだ。
彼は若干15歳の少年だが、全国の少年兵士のトップに君臨する特撰兵士の1人である。
国防省の大幹部である菊地春臣の息子で将来国防省の高官になることが約束された身だった。
「直人さん、ご足労頂き光栄です」
直人が黒塗りの高級車から姿を現すと、富貴原がすかさず頭を下げた。
「富貴原、おまえたるんでいるぞ。親父が激怒している」
「はっ……」
富貴原は痺れるくらいの緊張感を隠す事ができず、その表情は大変強張ったものとなった。
『直人、どんな時でも感情を表に出すな。特に公けの場所では絶対にな』
常日頃から、父に幾度となくそう教え込まれていた直人は心の中で富貴原の不甲斐無さを嘲った。
「すぐに詳細をきかせろ。後は俺が指揮を取る。殿下が到着する前に蛆虫どもは1人残らず一掃する」
「それが少々問題が起きてまして」
「問題だと?」
直人の目が途端に険しくなった。
「昨夜、フェンス付近で怪しい者を1人捕らえたのですが」
「フェンスの中に住み着いているクズか、それとも住民の生き残りか?」
「それが違うようで。その者はどう見ても素人でテロリストどころか左翼崩れのチンピラにも見えません。
まだ中学生くらいの年齢で着ているものも学生服でした。
自分は修学旅行にきて事故にあっただけだと本人は主張してます」
「素人なら一般市民じゃないのか?あの事件で、この地区は封鎖され逃げ遅れた住民は閉じ込められた。
あれから数ヶ月、あの囲いの中は無法地帯と化している。頭がおかしくなった奴がいても不思議じゃないだろう。
訓練を受けていない一般大衆なんて脆いものだ」
「私もその可能性は考えました。しかし、その少年は城岩町の住人だとわめき散らしたのです」
「城岩町?」
「はい。海原グループの一員だった郷原の名前を出したこともあり、どうしたものかと」
「確かに妙だな。いいだろう、俺が直接尋問する。そいつを連れて来い」
「そうしたいのは山々ですが緒方菜穂に連れて行かれました」
「緒方?科学省の女性兵士の緒方か?」
「はい」
直人は拳を顎につけて考え込んだ。
(科学省は、まだあの事件を引きずっているということか。だが、これは国防省の仕事だ。
勝手なマネをされては国防省の面子にかかわる)
「俺がその女に話をつけてやる」
「だから何度も言ってるだろ。俺は本当に普通の善良な中学生なんだよ」
新井田は必死だった。嘘は言ってない、しかし真実が受け入れてもらえない。
感情的になって機嫌を損ねたら、今度こそ拷問されるかもしれない。
「これが証拠だ。学生証に保険証」
「こんなものいくらでも偽造できる。偽造するなら実在している中学校の生徒の身分を手に入れるべきだったね君」
新井田は泣きたくなった。
「でも、君がこの男と知り合いなのは紛れも無い事実だ。それで彼は?」
「それも何度も言っただろ?テロリストに殺されたんだ」
新井田は緒方と名乗る女と向かい合っていたが、ふいに横から平手が飛んで来た。
新井田は耳がきーんとなり一瞬感覚が痺れた。ぼんやりとした霞みの向こうから怒鳴り声が聞えてきた。
「あいつが無名のテロリストなんかに殺されるわけないじゃない、あんた馬鹿!?」
新井田は床にダイブしていた。くらくらする頭を持ち上げて平手の主をにらみつけた。
緒方とは正反対の、いかにも可愛らしい少女だった。
しかし外見とは反対に中身はヒステリックな雌犬で、容赦なく新井田を罵りだした。
「こいつ、あたし達を馬鹿にしているんじゃない?それとも、本当の馬鹿?」
新井田を常日頃から冷めた目で見ている千草貴子だって、ここまで露骨に蔑みの言葉を吐いたことはなかった。
「よせよ、まどか。可哀想じゃないか、頭うったらどうするんだよ」
ぼさぼさ髪の男が必死にこの暴力女をなだめてくれていた。
「あんたも殴られたいわけ?」
「……それは勘弁」
新井田を囲んでいる人間は三人いた。
一人目は新井田を連れ出した中性的な女性。 名前は緒方菜穂(おがた・なほ)。科学省所属の女性兵士。
科学省は軍部はもちろん閣僚や大学から優秀な人間の遺伝子を集め毎年試験管ベビーを誕生させている。
彼女たちも連外では無い。
Ⅹシリーズが数十年かけて作り上げた芸術品なら、彼女達は即席の人工物だった。
そして、新井田に平手打ちをお見舞いにした二人目の女性の名前は諸星(もろぼし)まどか。
その諸星まどかに制止をかけていたぼさぼさ髪は江崎寿(えざき・ひさし)という。
「まどか、寿の言うとおり暴力は賛成できない。いざとなったら自白剤を使えば済むだろう?」
ボーイッシュな見た目そのままに、菜穂はさらりと言ってのけた。
自白剤と云う単語に新井田は素早く反応して恐れおののいた。
そんな新井田に同情したのか、寿は諭すように言った。
「おまえ、さっさと吐いたほうがいいぞ。ここだけの話、こいつらだから優しくでてくれてんだぞ。
これがⅩシリーズだったら、おまえ今頃半殺しにされてるぞ」
忠告はありがたかったが、それでも新井田は「俺、本当に何もしらねえよ」と叫ぶしか選択肢がなかった。
「満夫さん、起きてくださいよ」
寿は客室のソファの上で寝そべっていた年下の少年を揺さぶり起こした。
「んー、あいつ吐いたの?」
「いえ、それが『俺、何もしらない』の一点張りでさあ」
「ふーん。姉ちゃんのことだから、そろそろ医学的尋問とか言い出すんじゃね?」
「自白剤使うって言い出してますよ。止めてやってくださいよ。
下っ端の俺がいうのもなんですが、あの新井田って野郎、どう見ても普通の中学生ですよ。
そりゃ変な言動多いですが、あの囲いの中にいたんだ、精神的におかしくなっても無理ねえって。
満夫さんから頼んでやって下さいよ。お願いしますよ、じゃないと廃人にされちまう」
「俺が頼んだって姉ちゃんはやるといったらやるよ」
緒方満夫(おがた・みつお)は菜穂の弟である。
もっとも人工授精で誕生した姉弟なので、もしかしたら半分くらいしか血の繋がりはないかもしれない。
それを裏付けるかのように姉の菜穂がしっかり者なのに反し、満夫はおっとりした性格だった。
「だいたいさあ、クラスメイトが43人もいるなら、なんでそいつらは姿現さないの?」
「新井田がいうには、襲ってきたテロリストにつかまったんだろうって話で」
「でも新井田は逃げ切ったんだろ?他のやつはどうしたの、なんでフェンスまできたのは新井田だけなの?」
「ねえ君達、今の話、本当かい?」
二人はハッとして扉のほうに振り向いた。
「だ、誰だ!?」
気配を全く感じなかった。感じさせなかったのだ。
Ⅹシリーズと比較したら雑魚に過ぎないとはいえ寿は幼少より兵士として育った人間。
その寿に気配を悟られずに入室した人間。
寿は全身に走る恐怖の戦慄におののきながら振り向いた。
「あ、あんたは確か……」
寿を全身で恐怖させた相手は恐ろしいほど美しい青年だった。
見覚えがある。なぜなら、その美しい容姿に見覚えがない少年兵士など存在しないからだ。
軍が発行する機関紙に何度も登場した御馴染みの顔だった。
「マジマジ?すっげー、俺、本物初めて見たよ!」
ただただ驚愕している寿と違い、満夫はまるで芸能人と遭遇したかのように目を輝かせている。
「サイン、サイン!サイン、ちょーだい」
満夫が手帳とペンを差し出すと、その男は、ふふんと得意げに手帳にペンを走らせた。
ファンは大切にしないとね、とサービス精神は随分と旺盛だ。
「君、確か緒方君だったよねえ。せいぜい俺のように立派な士官を目指すんだね」
「うんうん、OK。あれ?でも……」
子犬のようにはしゃいでいた満夫は何かを思い出したようで、言葉を詰まらせた。
「でも何だい子猫ちゃん?」
「なんであんたがここにいるわけ?だって国防省から派遣された担当は菊地さんだろ?」
「ああ彼ね。あの子じゃ、まだまだ荷が重過ぎるよ。だから俺が来た。
その新井田君には色々と聞きたいことがあるんだ」
まるで絵の中から飛び出したような、この美しい青年はすたすたと歩き出した。
(真知子の話じゃ、それらしい学生が5人いたということだった。
たとえ正真正銘の民間人だとしても、『奴』のことを知っている以上、ほかってはおけない。
科学省がこの事実を隠蔽する前に、俺の手柄に変えさせてもらうとするか)
「まどか、彼を抑えておいてくれないかな?」
菜穂は注射器に怪しげな液体を注入していた。
「お、おい……嘘だろ?何だよ、それ」
新井田は眩暈がした。いっそ、ここで意識を失うことができたら、そのほうが幸せだろう。
「君が素直に白状しないからしかたないんだ。恨まないで欲しいね」
新井田は腕をつかまれ、ひっと小さな悲鳴を上げた。
「い、嫌だー!だ、誰か助けてくれ!誰かぁ!!」
注射の針がキラリと鋭い光を放ちながら新井田の腕に近付いた。
(神様!)
新井田は生まれて初めて神に縋りついた。ガチャンと耳障りな音が聞えた。
注射器が床に落ちて粉々に割れていた。
新井田は一瞬ぼうっとなり、自分の祈りが天に通じたことすら気づかなかった。
菜穂とまどかは、新井田に救いの手を差し伸べた人間をきっと睨みつけた。
「そんな怖い顔するなよ。せっかくの美人が台無しになるだろ?残念ながら俺のタイプじゃないけどねえ」
「あなたは国防省の……なぜ、ここに?」
「なぜだって?国防省のエリート捜査官が国家の安全の為に危険地帯に赴くのは当然じゃないか」
新井田は突然現れた美青年をきょとんとした目で、ただただ見詰めた。
どこの誰かはわからないが、自分を助けてくれたということだけは理解できた。
「新井田君といったね。君には色々と聞きたいことがあるんだ、俺と来てもらうよ」
「大尉!科学省のことに口をさしはさまないで頂きたい」
途端に菜穂が声を荒げた。しかし、大尉と呼ばれた男は憎たらしいほど冷静な表情を全く崩さない。
「横やり入れてるのはどっちなんだい?科学省はとっくにD地帯における権限を失っているはずだよ。
これ以上口を出すのなら、国防省長官からおたくの宇佐美長官に話をしてもらうことになるよ」
菜穂とまどかは、うっと声を詰まらせた。正論だった、これ以上は反論もできない。
「じゃあ行こうか新井田君」
男は得意げに新井田を連れ出そうとした。
「職権濫用しているのは、あんたのほうじゃないんですか大尉?」
男の眉が不愉快そうに歪んだ。戸口に直人が立っている。
「この件に任命されたのは俺だ。あんたのでる幕じゃない。なぜ、あんたがここに来た?」
「坊やが俺にそんな口をきいていいのかい?断っておくけど君の後ろ楯の菊地局長は今ここにはいないんだよ」
「あんたの後ろ楯の厚化粧のおばさんもいないぜ大尉」
「なんだって?」
国防省のエリート同士の火花散る熾烈な争いに、菜穂もまどかも、そして駆けつけた満夫や寿も息を呑んだ。
「菊地君、君は俺に口出す権利はないと言ってるけど、俺にはあるんだよ、正当な理由が」
直人の眉がぴくっと動いた。
「囲いを根城にして犯罪行為を繰り返しているのは海原グループのメンバーだった郷原だって話じゃないか」
直人の顔がますます不快そうに歪んできた。
「中国地方に巣食っていた大物テロリストの海原一味を壊滅させた功労者は誰だと思っているんだい?
この俺だよ菊地君。でもリーダーの海原や№2の木下を逃してしまったことは俺の最大の汚点でね。
責任感じているよ。だから、どうしても奴等をつかまえたい。その為には郷原を逮捕して口を割らせないとね」
一応筋は通っていた。しかし直人は納得どころか不快感が増すばかり。
海原グループ壊滅の任を受けていたは直人だった。
厳格な父から特に厳重に受けた任で、潜入捜査官を数名使い二ヶ月もかけて、やっと尻尾をつかんだ。
後は一気に奇襲をかけて根絶やしにするだけだった。
ところが直人の決行日の前日に奇襲をかけたのは、この任務とは無関係のはずの、この男だった。
リーダーと№2など数名の取りこぼしこそあったものの、直人が受けるはずの賞賛を受け得意げに笑っていた。
その影で手柄を横取りされた形になった直人は父からきつい平手と戒告を受ける羽目になったのだ。
秘密裏に行われていた作戦が、この男に筒抜けになっていたとしか思えない見事な手際。
あの時と同じ嫌な空気を感じ、直人は態度を硬化させた。
「とにかく、あんたには帰っていただきたい」
「菊地君、君って子は本当に馬鹿だね!」
途端に平手が飛んで来た。直人はハッとして避けた。
「中尉の分際で大尉の俺に口答えかい?来月には少佐に昇任する、この俺に!
俺は中尉なんかの命令にはきかないよ。自由に動かせてもらう、邪魔したら容赦しないよ」
直人は悔しそうに唇を噛んだ。
反対に男は勝利感を全身から漂わせて「さ、新井田君おいで」と指を鳴らすとさっさと立ち去った。
新井田は慌てて男の後をついていった。
(あいつ、なぜ海原グループのメンバーだった郷原が今回の標的だと知っている?
富貴原からの報告は親父しか受けてないはずだ。いつものことだが人間盗聴器みたいな男だな。
毎度、あいつには秘密事項が筒抜けになっている。そのせいで何度も煮え湯を飲まされてきたか)
「あのー、あなたが俺の尋問するんですか?お願いだから酷い事は……」
新井田は縋るような目で男を見詰めた。
「男に見詰められても嬉しくないよ。安心しな、君が協力的でさえあれば何もしないよ」
廊下の角を曲がると愛らしい少女がファイルを何冊も抱えて歩いてくる。
こんな時でもなければ、新井田はドキッと心臓の鼓動を鳴らしていたかもしれない。
その少女は、この謎の男を見るなりファイルを床に放り出して男に飛びついた。
「やっぱり来てくれたのね!」
男は、その美少女を受け止め抱きしめた。
「はは、久しぶりだねえ。会いたかったよ瑠璃、少しやせたかな?」
「だって、ずっと会いに来てくれないんだもの、寂しくて」
瑠璃と呼ばれた少女は男の胸に顔を埋め、子猫のように甘えている。
「ごめんごめん、仕事が忙しくてねえ。でも君の事を忘れたことは一秒たりともなかったよ」
「本当に?」
「ああ愛しているよ」
男は、そうほざくと新井田などまるで存在していないかのように彼女と唇を重ねた。
新井田は予想せぬ展開に、ただただ呆然とそれをみていた。
「君とこのまま愛し合いたいけどそうもいかないんだ。すぐに仕事でね」
「そんな。せっかく再会したばかりなのに……」
「また連絡するよ」
「うん、克巳君がそういうなら我慢する。すぐよ、すぐに電話ちょうだいね」
「ああ、約束するよ。俺が約束破ったことは一度もなかっただろう?」
男は慣れた調子で、涙ぐむ女を納得させると新井田を伴って再び歩き出した。
「あ、あの。あなたは誰なんですか?どうして俺を……」
「誰なんですか、だって?どうやら君は正真正銘反政府組織の人間ではないようだねえ。
そうでなければ俺の顔と名前くらい知っているはずだ。
国防省の超エリートにして、360度どこから見ても完璧な美男子と賞賛されている俺のことを」
「はあ……」
「国防省大尉・水島克巳。覚えておきな」
水島はくくっと押さえた笑いをした。
(警察庁の情報を手に入れられると睨んで、あの女を骨抜きにしておいてよかった。
おかげで棚ぼた手柄を立てられる。たとえ失敗しても責任を負うのは上から指令をうけた菊地だ。
俺には何のお咎めも無い。どっちに転んでも俺のキャリアに傷はつかない)
「ちょっと待てよ、なんだよパスって!」
「だから俺帰る」
七原は立ち去ろうとする夏生の前に回りこんだ。
「待てよ!あんた、美恵さん達を助けてやるって言ったじゃないか!あの言葉は嘘だったのかよ!」
「あ」
夏生は思い出したように立ち止まった。
「そうだった」
夏生は頭を抱えて、その場に座り込んだ。
「う~まいったな。おまえらは知らないだろうが鳴海雅信ってのは超危険人物なんだよ。
政府にたてついた人間が何人奴に殺されてきたか。それも普通の殺し方じゃない、猟奇殺人だぜ。
あいつは殺しが趣味なんだ。そんなやばい野郎とやりあうなんて、いくら俺でも正直言ってごめんなんだよ」
夏生は無線機を取り出した。
「おお俺だ」
『なっちゃん、ますます雲行き怪しくなってきたぞ。菊地直人がきたってよ』
「……おい冗談だろ。なんで特撰兵士がぞろぞろでてくるんだよ」
『総統の息子が来るからだろ。なっちゃんだって歓迎晩餐会呼ばれているんだろ?
なっちゃんがどうしてもやるっていうんなら、にいちゃんに助けてもらえば?』
「俺は今勘当されてる身なんだよ。だから晩餐会にも呼ばれてないんだ。
当然、兄ちゃんが助けてくれるわけないだろ。それどころか勘当期間が延びるだけだ」
『変なこというんだな。なんで感動してくれてるのに助けてくれないんだよ?』
「……もういい。とにかく、俺はしばらく家族とは絶縁なんだよ」
夏生は無線機をしまうと再び悩みだした。
「新井田君、単刀直入に言うよ。君からはどうやら何も聞き出せない。
それでは俺が困るんだ。だからといって拷問なんて野蛮なことはしたくない。
要は真実を聞きだせる相手は君でなくてもいいんだよ」
「と、いうと?」
自分の身の安全がかかっているとあって、新井田は身を乗り出した。
「君にはお仲間が43人もいるっていう話じゃないか。彼らに話を聞けばいい、そうじゃないかい?」
水島の言わんとしていることが新井田にも徐々にわかってきた。
「正体不明の怪しい人物を1人逮捕しても大した手柄にならない。1人より43人、わかるよねえ?」
「わ、わかります!」
「そうだね。実にいい返事だ」
小悪党ほど懐柔が簡単な輩はいない。新井田は簡単に落ちた。
「さて、次は鳴海君だね。彼は囲いの中にはいったらしいから重要な情報源になってもらわないと」
ソファに深々と座り水島は次の案を練っていた。
とんとんとノックの音。ちらっと視線を戸口に向けると黒猫をイメージさせる美女が腰に手をおいて立っていた。
「しばらくぶりね大尉。いえ少佐とお呼びしたほうがよろしいかしら?」
「まだ気が早すぎるよ。それより早くおいで」
水島はソファに座ったまま両腕を広げた。
それを合図に美女が水島の膝の上に足を組んで座り、すっと首に腕を回した。
「会いたかったよ真知子。毎晩、君の事を夢に見ていた」
美女は鳴海と同じ国防省の秘密工作員の鹿島真知子だった。
「そうかしら、私が何も知らないとでも思って?あなた警視総監の娘に手を出したでしょう」
「やいているのかい?」
「さあ、どうかしら。まさか、本気じゃないわよね?」
「まさかだろ、あんなガキ。いい匂いだ、今夜は君の為に空けてあるんだよ」
水島は真知子の鎖骨に顔を埋め、服の裾に手を入れた。
「ダメよ克巳。こんな昼間から、あんっ」
「固い事はいいっこ無しだよ。それより真知子、鳴海君の話は本当なのかい?」
水島は真知子の首筋にキスマークを残しながら、二人だけの作戦会議を続行させた。
「ええ。あ……そ、そうよ……、雅信は嘘は言わない子だから、ぁっ……そういえば、あの子」
「鳴海君がどうかしたのかい?」
水島は真知子の胸から手を離した。
「笑わないでよ。あの子ったら、どうやら一目惚れしたみたいなのよ」
「一目惚れ?新井田の仲間の女にかい?」
「ええ」
「ふーん、あの可愛げゼロの鳴海君にそんな健気な面があったとはねえ。
それにしても、あの子猫ちゃんが一目惚れなんて、よほどの美人なんだろうねえ」
水島の目がキラリと怪しい光を放ったのを真知子は見逃さなかった。
「克巳!あなた、まさか、その女に手を出そうなんて考えているんじゃないでしょうね?」
「心外だなあ。俺はそんな節操の無い男じゃないよ」
「鳴海君、話があるんだ。いいかな?」
雅信は顔を上げて水島を一瞥したが、すぐにふいっと視線を逸らし、そのまま水島の横を通り過ぎようとした。
「随分と気に入った彼女ができたんだってね。
でも菊地君は堅物だから、工作員の自由恋愛なんて許してくれないよ。でも俺は違う。
君の純粋な想いには深い理解を寄せているんだ。君達の恋の応援してあげてもいいんだけどねえ」
「……どういうことだ?」
「簡単さ。そのうちに菊地君の指揮の元、一掃作戦が開始される。
俺に協力してくれれば、彼女1人くらい見逃してあげるよ。菊地君には内緒でね。
その代わり、他の逮捕者は全員俺に引き渡す事だね。悪い取引じゃないだろ?」
「…………」
鳴海はうつろな目でジッと水島を睨んでいたが、やがてコクッと頷いた。
「このフェンスはどこまで続いているのかしら?」
美恵たちは、夜が明けると同時に歩き出した。でもフェンスに終わりはない。
何キロも歩いているのに、フェンスの終わりが全く見えないのだ。
「何とか桐山たちの居所わからないかしら?」
「やめておくんだな、桐山はあんたを逃がす為に奴等につかまった。助けようなんて考えない事だ」
良樹は美恵の本心を察したのか、すかさず妙な気を起こさないように釘を刺した。
「それよりも……」と言い掛けて良樹は、「静かに!」と小さく叫んだ。
「どうしたのよ急に」
貴子が声の音量を押さえながらも鋭い質問をしてきた。
「……どうしたもこうしたもないよ。俺たち囲まれてぜ」
「まさか、あのチンピラたちに?」
「違う……取り囲むまで気配を完全に絶っていた。プロ中のプロだ、あんなチンピラとは格が違う」
美恵はぶるっと体を震わせた。
(この視線……間違いない、昨夜感じたあの視線と同じだわ。誰、誰なの?)
「こんないい加減なひとにはもうまかせておけない。三村、俺たちで皆を助けるんだ!」
七原の熱意とは裏腹に三村は冷めていた。
「落ち着けよ七原。気持ちはわかるが、助けたいって気持ちだけでなんとかなるほど世の中甘く無いぜ。
まして相手は完全武装している犯罪組織なんだ。俺たちは丸腰の中学生なんだぜ、現実を見ろよ」
三村の言い分は実に正論だったが七原の正義感には全く通用しなかった。
「だからといって何もしないわけにはいかないだろ?おまえは頭いいんだ、何かいい方法考えつくだろ」
まだ苦悩していた夏生が立ち上がった。そばにあったベンチに座ると無線機を取り出す。
どうやら例のパートナーから、また連絡がはいったらしい。
「俺だ」
『なっちゃん、まだ結論でないのか?でも、もう悩んでる暇もないぞ』
「どういう意味だ?」
『国防省の種馬がきてるんだって。なっちゃんのお姫様たちも今頃つかまっておもちゃにされてるよ』
「なんだと!あのドスケベ野郎が来てるのか!?あんなのにつかまったら何されるかわからないぞ!」
水島克巳は第四期の特撰兵士で、国防省の超エリート、その美貌もあいまって令名高い男だった。
だが、それ以上に水島の名を高めているのはスキャンダルだった。
そんな男に自分が目をつけていた女を横取りされるなんて夏生には許せないことだった。
誰が何と言おうと夏生には夏生の美学がある。
夏生自身女関係に潔癖とはいえないが、夏生は水島と違って純粋に女を愛しているのだ。
「おい七原やめておけ。素人がどうにかできるほど武装集団は甘くないぜ。
だからこそ俺みたいな男が世の中存在しているんじゃないか」
「え?そ、それじゃあ!」
七原の期待のこもったまなざしに答えるように夏生は頼もしい一言を吐いた。
「くそったれの政府に思い知らせてやるのもいいかもな」
「助けてくれるのか!?」
「ああ、だが一つだけ重要な問題がある」
「なんだよ、その重要な問題って?」
「その美恵ちゃんたちは本当に正真正銘の美人だろうな?」
「……」
呆気に取られる七原に代わり、三村は出発前にデジカメで撮った三人の画像を見せた。
「よーし乗った!君達も大船にのったつもりで安心したまえ!」
【B組:残り45人】
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