良恵を無事に取り戻したと知らせを受け安堵しきっていた徹にとって、それはまさに青天の霹靂だった。
「基地の破壊状況は!?良恵は無事なんだろうね?!」
「そ、それが、現場は混乱しているらしく、正確な情報が今だ入ってこないのです」
「この役立たず!」
哀れにも一人の海軍兵士が、徹の八つ当たりの犠牲となり顔面に鉄拳を受ける羽目になった。
(良恵、無事でいてくれ)
徹はすぐに携帯電話を取り出すと直人に連絡をとろうとした。しかし全く通じない。
(嫌な予感がする。今すぐ良恵の手をとらないと、彼女と会えなくなるような気がする)
鎮魂歌―49―
「国防省四国支部に急行しろだと?どういうことだオヤジ、K-11は目と鼻の先にいるんだぞ」
直属の上官である鬼龍院から無線機を通じて出された命令に晶は激怒した。
『怒るなな晶、俺だってはらわた煮え繰り返ってんだ』
K-11を捕える為に海外から呼び戻されたのだ。
それなのに連中をおめおめと逃がすようなマネをしろとは晶には到底納得いかない事だった。
『爆弾は基地中至る所に仕掛けられていたらしいが、どれも小型タイプで破壊力はたいしたことなかったんだとよ。
だが滑走路に仕掛けられたやつだけは違った。脱出用小型飛行機が大破したそうだ』
「滑走路だと?脱出を図った高官を狙ったってことか」
『特別機は全壊だ。搭乗済みの高官は当然即死、長官は搭乗する前だったから無事だった。
だが目の前で機体が爆発炎上したショックでダウンしちまったんだ』
仮にも国家の安全と秩序を守る国防省のトップのあまりの醜態に晶は感情が沸騰しそうだった。
(総統の閨閥というコネだけで長官の椅子に座っているクズめ)
『長官はすっかり取り乱して現在四国にいる特選兵士に召集命令を出した。至急国防省に赴き長官の……』
「護衛しろっていうのか?ふざけるな、それは国防省のSPの仕事だ。
特選兵士は戦争や対テロの為の精鋭。軍人であって腑抜けの私設ボディガードなどではない」
陸軍の名誉や己の野心のためなら、いくらでも命なんて賭けてもいいと晶は思っている。
だからこそ納得できない任務を受けるのは真っ平ごめんだ。
まして追い続けていた連中が、ようやく姿を現したというのに、それを見逃すなんて我慢ならない。
『おまえの気持ちはわかる。だが、そうも言ってられなくなったんだ』
鬼龍院はどちらかといえば直情型の人間だ。その鬼龍院がやけに神妙な口調になっている。
ただ事ではない何かがあったようだ。
「……オヤジ、何があった?」
『おまえと氷室の密約が国防省にばれたぞ』
国家機関というものは妙に縄張り意識と名誉欲が強い。
にも関わらず面子にこだわり、表面上は公明正大さを重んじる実に厄介な存在だ。
晶と隼人は国家を裏切ったわけでも、違法行為を働いたわけでもない。
しかし、国防省にK-11の存在を報告しなかったことを良く思われてはいないだろう。
もっとも国防省所属ではない晶や隼人には逐一国防省に報告する義務もない。
ただし国防省がテロによる被害をこうむたっとなると話は別だ。
K-11の情報を伝達しなかったことが被害を未然に食い止めれなかった一因だと逆恨みされてもおかしくない。
その腹いせに、臆病者の長官の恐怖を上手くあおって晶を現場から引かせたのだろう。
晶は最初は最初直人を疑った。
しかし直人はセコい出し抜きは嫌う男だが、そうでない場合は特に腹をたてるような人間ではない。
任務に忠実だが、晶と違い野心家でもない。
最優先されるべきはK-11を一網打尽にする事であると誰よりも理解している。
自分の手柄にならないからといって上につまらない勧告をするようなマネは絶対にしないだろう。
まして、K-11確保を目前にしている晶の邪魔をすることは考えられない。
だからこそ、隼人も直人には全てを打ち明けた。
まして良恵は尚更だ。疑う余地もない。
彼女にこんなマネをする動機なんて全くない。そして動機がある人間は結果を出したがる。
K-11から自分を遠ざけようとしている人間がいる。
そいつは晶に腑抜けの長官のお守りをさせ、晶が手にするはずだった手柄を横取りにかかるつもりだ。
「オヤジ、俺に隠し事をしてるだろ」
無線機の向こうから重たい空気が流れてきた。
「汚い手で俺の動きを封じ、俺の代わりにK-11を追跡することになったのは誰だ?」
いるはずだ。直人や良恵以外で、俺と隼人を密約を知った人間が。
どういう手段で俺達の密約を知ったかはわからないが、かなり頭の切れる奴だ。
その上、性格の悪い野郎だ。
そして国防省所属……心当たりがないわけじゃない。
それどころか心当たりがありすぎて、吐き気がしてくるぜ。
数十秒の沈黙の後、鬼龍院はゲロを吐くように言った。
『……水島克巳だ』
晶は、無線機を一方的に切った。
「水島にK-11の追跡を一任させるだと?」
直人から特選兵士召集の連絡を受けた隼人は、瞬時に良恵に危険が迫っていると予測した。
何故なら今この地にK-11がいることを知っているのは四人だけのはず。
自分と晶、そして事情を打ち明けた直人と
良恵のみ。それなのに情報が水島に筒抜けになっていた。
良恵は水島と一度接触している。
「その時に仕掛けたんだろう」
『……盗聴器か』
「それしか考えられない。水島は良恵に盗聴器を取り付け、俺達の会話を盗み聞きしてたんだ」
『俺やおまえが気づかない盗聴器などあるものか。
……いや、まだ認可が下りてない実験段階での極小サイズのものがあった。
国防省開発部が先週発表したばかりだ。未完成だから開発部の連中以外は入手できない。
だが水島には特別ルートがある。開発部には――」
「水島の女がいるんだろう?」
『そうだ、あいつは女の数が多すぎて把握しきれない』
直人は悔しそうに唇を噛んだ。
『……俺のミスだ。あいつが良恵に接触した時、気づくべきだった』
「水島は俺達の会話からK-11が、この地にいると知った。
だから長官をまるめこんで俺達には手を引かせ自分の手で連中を捕らえる気だ」
『そんなこと、あの晶が大人しく承諾するものか』
「……晶は馬鹿じゃない。水島が裏にいるとわかれば、良恵が利用された事に気づく。
あいつのことだ。盗聴器だけじゃなく発信機もつけているに決まっている」
それは、すなわち、水島の無言の脅迫でもあった。
『彼女は俺の手の届くところにいる。だから大人しくひいてくれよ、子猫ちゃん』
そんな水島の声すら聞えてくるようだった。
「すぐに良恵を捜して保護してくれ直人。水島のことを抜きにしても彼女が心配だ」
これだけの爆破事件だ。直人の気転で死んではいないだろうが、無傷という保証もない。
『……その水島だが』
直人の様子がおかしかった。やけに歯切れが悪い。
水島が他にもタチの悪い企みでもしているのだろうか?
「国防省の悲劇を利用して自分の手柄をたてようという奴だ。おぞましいくらい冷酷な冷静な男だな。
あいつが、また何か企んでいるのか?」
『……冷静な男か。それは、通常のあいつだから、まだいい。今のあいつは違うぞ隼人。
だからこそ逆にぞっとする。今のあいつに冷静さなんてない』
「何があった?」
『水島の女が病院送りになった。かなり頭にきているらしい』
水島は残忍な男だ。自己中心的でエゴの塊。
数え切れないほどの女と関係をもち、彼女達を道具としか思ってない。
だが、ただの道具ではない女がほんの一握りだけ存在する。
水島にとって鹿島真知子と真壁沙耶加は本音で付き合える数少ない相手だ。
恋人である前に、腹心のパートナーでもある。
その彼女たちに危害をくわえられることを水島は自分に対する『攻撃』だと思っていた。
『奴は自分が他人を傷つけるのは一向に構わないが、自分が傷つけられるのは許せない人間だ』
実に身勝手な思想だが、その身勝手な思想を実現する力を水島はもっている。
『今の水島は復讐の鬼だ。何をするかわからないぞ』
「なあ妙だと思わないか?」
佐々木達、四期生も国防省の長官の護衛の為と国防省施設に召集されていた。
だが、いつまでたってもお呼びがない上に、海老原の姿が見えない。
「……まるで、足止めくらってるみてえだな。やっぱり、上にばれて今頃懲罰会議でもひらかれ――」
突然、扉が開いた。はっとして全員開かれた扉に視線を向けると水島の姿が視界に映った。
「……か、克巳!」
「……よ、よお。無事で何より」
海老原の命令とはいえ、未遂にしろ水島の女に危害を加えようとしたのだ。
水島に対する気まずさのあまり、全員思わず目を背けた。
「……やあ三人とも元気だったかい。目をそらさずに、真っ直ぐ俺の目を見てみなよ」
佐々木達は全身に恐怖で硬直した。表面上は物静かだが、あきらかに水島は激怒している。
「竜也じゃ話にならないから君達に直接話を聞きたくてねえ。俺に隠し事してただろ?」
「……か、克巳?」
「どこの組織かしらないが、ふざけたことをしてくれたよ」
水島は高官専用の特別機で脱出しようとしたが、恋人の沙耶加までは搭乗させてもらえなかった。
仕方なく沙耶加と同乗する為に特別機の搭乗を諦めたのだが、結果的に命が助かったわけだ。
もしも特別機に搭乗していたら、今頃は原型も残らないほど真っ黒こげになっていたことだろう。
だが、水島が搭乗した機体が全く被害をこうむらなかったわけではない。
水島自身は無傷だったが、搭乗者の大半は重軽傷を負った。
沙耶加も腕と頭部に怪我を負って担架で運ばれていった。
水島の怒りは爆弾を仕掛けてくれた反政府組織はもちろんのこと隼人や晶にまで向けられていた。
それどころか、直人や良恵に対してすらもだ。
「……俺は死んでいたかもしれない。沙耶加は意識不明だ」
佐々木達はぞっとした。水島の目をまともに見れないくらいに。
「……ここまで馬鹿にされたのは、一年前のあの事件以来だよ」
一年前の事件とは、良恵を拉致監禁した為に五期生と私闘した例の事件だ。
そして水島が怒り狂ったのも、あの時以来だった。
「借りは返す男だよ、俺はね」
「彼らはどういう顔をするだろうねえ、大事な女性を失ってしまったら」
「克巳、まさか、おまえ……!」
佐々木達は瞬時に悟った。水島は何か恐ろしい事をしてしまった、と。
「そうなったら俺の気持ち……彼らも、少しはわかるかもしれないねえ」
「あの女に何かしたのか?」
それはもはや疑問ではなく、ただの確認の為の言葉だった。
「したのか……だって?」
水島は頬杖をついて、「まさか」といった。しかし、すぐに「でも」と付け加え、とんでもない言葉を放った。
「彼女は二度と戻らないよ」
「……克巳?」
良恵は普通の女とは違う。下手なことをしたら科学省が黙っていない。
それを承知で何か仕掛けた水島に、佐々木達は心底ぞっとした。
水島は科学省を、いやⅩシリーズを恐れてない。恐れをしらない人間ほど冷酷で怖いものはない。
「あんな事件があったんだ、一人くらい行方不明者が出ても不思議じゃない。そうだろう?」
水島はニッコリと笑って見せた。
「……あの女を殺したのかよ?」
「まさか彼女にはもう近付かないって誓いたてさせられたんだ。俺は何もしていない」
水島はまたニッコリと笑って「俺はね」と意味深な言葉を付け加えた。
「さあ乗って」
用意されていたのは高速艇だった。
「…………」
「どうしたの?」
美恵はまだ躊躇していた。彼らが信用できないからではない。
特に、この草薙潤という美恵に危害を加えるつもりは微塵もない、それだけは確かだ。
ただ美恵は、仲間を置いて自分一人だけ逃げる事に抵抗を感じるのだ。
「残念だけど、あなたの仲間は逮捕されたよ。だから、あなたが気にしようがしまいが何もできない」
美恵の気持ちを察して潤が放った言葉は非情だった。
美恵が黙り込むと潤はさらに言った。
「しょうがないんだよ。あなたのせいじゃない」
「そうそう、しょうがないんだ」
冬樹などけらけらと笑ってすらいる。
「後で季秋のスーパーコンピュータでお仲間の事調べてやるからさ」
美恵は乗船すると船内に通された。やがて波しぶきをあげながらボートは陸から離れ出した。
北斗が言った。
「僕達に聞きたいことあるんだろう。今のうちに言ったほうがいい」
美恵はすぐに「なぜ私を助けてくれたの?」と質問した。
「潤が言った通りさ、リーダーの命令でね。僕らも理由は知らなんだよ」
「じゃあリーダーって誰なの?」
北斗は意味ありげに冬樹を見つめ「言えないな。部外者がいる」と言った。
「僕達は正体不明な存在であることが強味なのさ。まさかK-11が子供だなんて誰も思わない。
だから結構自由に動けることができたんだ。でも、それも、もう終わりだろう。
佳澄から連絡がない、きっと捕まったんだ。今頃ばれてるだろうね、僕らの正体が幽霊だということが」
「幽霊?」
「僕らはバスの転落事故で死んだはずの人間なのさ」
(バス転落事故?)
まるで自分達のようだと
美恵は思った。あの事故を境に、居場所を無くした自分達と。
意外な共通点にいたたまれなくなった
美恵は外に視線を移した。
潤がへりに座り、1枚の写真を取り出して目を細めて見詰めていた。
(大切なひとの写真なのね。あんな優しそうな表情して……)
大切なひと……桐山、貴子、光子、月岡……皆、どうしているだろう?
桐山や月岡は強いが、貴子と光子はなんといっても女の子、心配でたまらなかった。
「……貴子や光子、無事でいるといいけど」
美恵は何気にいった台詞だったが、途端にその場の空気が変わった。
(……え?)
K-11達がやけにぴりぴりしだしたのだ。
「……今度は僕達が質問してもいいかい?」
「な、何を?」
「その君のお友達、最後に別れたのはいつだい?場所は?」
「どうして、そんなこと聞くの?」
「大事なことなんだ。君だって助けてあげたいのだろう?だったら協力したまえ」
必死の表情だった。彼らにとって切羽詰った事情がるのだろう。
仲間でさえ「しょうがない」と簡単に切り捨てる彼らが、美恵の友人を気にかけるなんて妙な話だ。
「……光子と最後に別れたのは」
美恵は彼らの様子に注意しながら、まず最初に光子のことを話した。
「もういい。もう1人のお友達のことを話してくれ」
光子の話は早々に切り上げ、貴子のことを話すようにせかしてくる。
「…………」
「どうしたんだい、さあ続きを」
「……あなた達の目的はなんなの?少なくても私じゃないわよね」
北斗の目が鋭くなった。
「……大した洞察力だね君」
「おい、おまえら美恵から離れろ!」
怪しい雰囲気に、冬樹がすかさず美恵と北斗の間に割り込んだ。
「……最初から怪しいと思っていたんだ。美恵を守る?笑わせるな」
「それは嘘じゃないさ。理由はしらないが、リーダーが彼女を命をかけて守れと厳命してきたのは事実でね」
確かに、こんな状況で嘘を言う理由もない。少なくても敵ではないようだ。
「安心したまえ、もうすぐ陸地だ」
高速艇を取り囲んでいた水しぶきが徐々に小さくなっていった。
「おい陸はやばいだろ」
「安心したまえ、国防省は今はそれどころじゃないんだ」
「それどころじゃない?どういうことだ」
「爆破騒ぎで今頃基地中大慌てさ。高官達の多くが死亡して命令系統が機能してない」
「爆破騒ぎ……だと?」
冬樹は北斗につかみかかった。
「基地を爆破したのか貴様ら!!ふざけるな、あそこには俺のフィアンセがいるんだぞ!!」
「それは気の毒だったね」
「なんだと?」
「ひとはいつか必ず死ぬものさ」
冬樹の右拳が北斗の左頬にはいっていた。北斗がふっとんだ。
が、くるっと空中回転して壁に着地するように接触、直後に再度回転して床に着地した。
「怖いね君、暴力は感心しないな」
(こいつ、直撃を避けた?)
北斗は冬樹の拳が顔面にはいったと同時に自ら背後にとんだのだ。
その反射神経は感服ものだが、素直に感心できるほど今の冬樹の精神は安定状態にない。
(良恵、良恵は無事なのか!?)
何としても、それだけは確認したかった。
国防省専属病院のコンピュータに侵入すれば、死人や怪我人の情報がわかる。
ただのコンピュータではダメだ。季秋のスーパーコンピュータからハッキングする必要があった。
不幸中の幸いにも季秋財閥四国支社長の屋敷がそう遠くない場所にある。
支社長の自宅のコンピュータと支社のマザーコンピュータは端末で繋がっている。
「美恵来るんだ」
高速艇から降りると冬樹は強引に美恵の手を引き歩き出した。
「待ちなよ、彼女はおいていってもらうよ。逆らうなら君をここで殺――」
当然のように冬樹の行く手は阻まれたが、意外にも北斗が「好きにさせろ直弥」と言った。
「何言ってるの?彼女をみすみす、こいつにやるわけ?」
「その季秋の若様はフィアンセの安否を知りたいだけなんだろう。いいさ調査する時間くらいあげても。
潤、君が同行しろ。とんずらしないように監視するんだよ。君、それくらいはさせてもらってもいいだろう?」
「好きにしろ」
冬樹はタクシーを拾うと、さっさと去ってしまった。
「随分と大人しく引き下がったね北斗」
「国防省は今はほとんど機能しないといっても、僕達を大人しく見逃してもくれてもないさ。
必ず追っ手が来る。少し距離をとったほうがいい、大人数は目立つ、そうだろ?」
「こ、これは冬樹坊ちゃま。お久しぶりです」
季秋大財閥宗家の御曹司の突然のおでましに四国支社長はかなり焦っていた。
焦っているどころではない。顔面蒼白状態だ。
「突然だが、さっさとおまえのコンピュータ使わせろ」
「し、しかし坊ちゃま……あの」
「コンピュータはどこだ。おまえの書斎か?」
何か言いたそうな支社長を無視して冬樹は書斎に足を進めた。
そして勝手に書斎に入室すると、コンピュータを立ち上げた。そしてほっと胸を撫で下ろした。
(……良かった。どうやら良恵は無事のようだ)
死亡者リストにも怪我人リストにも良恵の名前はない。
安心した途端に急におなかがすいてきた。
「よーし、一流レストランに食べにいくか。おっと、その前に美恵の服買ってやるよ。
その汚れた服じゃ高級店には入店できないだろ」
「私はいいわ。レストランなんか」
「遠慮するな。俺はカード一枚で何でも買えるし、サイン一つで銀行からいくらでも引き出せる男なんだぜ」
鼻高々と自慢する冬樹だったが、ふと気づくと支社長が喉に言葉がひっかかような表情をしていた。
「どうした?」
「あ、あの……坊ちゃまは、まだご存知ないんですね」
「何をだ?」
「じ、実は……社長から季秋財閥全ての系列に通達がありまして……坊ちゃまは……その……」
支社長は固唾を飲み込むと、一気に吐き出すように言った。
「坊ちゃまは無期限勘当されたんです!季秋家の御曹司としてのあらゆる権利は剥奪されたんです!
もうカードも全て凍結され使用できないはずです!!」
「なんだとぉ!!」
「ひっ、す、すみません!!」
冬樹の自業自得なのであって支社長が謝罪することではないのだが、冬樹にそんな理屈は通用しない。
「叔父貴が俺を勘当処分だと!?俺は季秋家の跡継ぎだぞ!!」
「あ、跡継ぎは秋澄様がいらっしゃ……」
「俺に口答えするのか、たかが支社長の分際で!!」
「申し訳ございません!」
勘当、季秋家の御曹司としての権力も財力も、冬樹は一瞬で全て失った。
末弟にもかかわらず自分は季秋家の世継ぎにふさわしいと自負していた冬樹には到底承服できないことだ。
「……兄貴達だな」
冬樹は自分の日頃の行状を棚に上げて、この勘当は兄達の陰謀だと勝手に決め付けた。
「あいつら俺の才能に嫉妬して、結託して俺を季秋家から追い出しにかかったんだ。畜生め!!」
冬樹はカッとなってそばにあったソファーを蹴り飛ばした。
もっとも物に当たったくらいでは冬樹の怒りは収まらない。
「……仕返ししてやる」
冬樹の目がぎらっと光った。
「報復だ、制裁だ、天誅だ!!兄貴達に正当な天の裁きを与えてやる!!」
冬樹はコンピュータに特殊なカードを差し込んだ。
季秋家の中枢コンピュータにアクセスするには数千からなる複雑なパスワードが必要だ。
そのパスワードがそのカードには記憶されている。
そして季秋家の中でも宗家の人間にしかカードは所持できない。
養子縁組や結婚によって他家の人間になったら、その時点でその者のアクセス権は消去されるのだ。
ゆえに季秋本家の長男である秋彦は勘当された時点で、その資格を剥奪されている。
「……アクセスできない」
冬樹も同じだった。コンピュータは非情にも『パスワード不一致』の文字をでかでかと表示させるだけ。
「……あいつら俺を馬鹿にしやがって。だが、いざというときのために」
冬樹はもう一枚カードを取り出した。
「秋澄兄貴のカードを盗んでおいたんだ。ざまーみろ!」
冬樹は電光石火の勢いでキーボードをたたき出した。
「どこだ、どこにいる。あの馬鹿兄どもは!」
そして冬樹はついに兄達の居所をつかんだ。
表沙汰にできない季秋家の秘密の島に兄達が立て続けに入島している。
「あそこか……あそこには確か季秋にたてついた凶悪犯どもがいたな」
冬樹はニヤッと笑った。
(夏樹兄貴達にしてみれば大した相手じゃないが、ささやかな腹いせにはなるな)
キーボードを叩く音がさらに大きく速くなった。
「全員解放してやるぜ、盛大に復讐してやれ!」
良樹は全身全霊をかけて佐竹に立ち向かった。
が、佐竹はスピードのみならず身のこなしも、はるかに上。
これがプロと素人の違いだろうか?良樹は、その差を身をもって味わった。
だからといって、このままあきらめるわけにもいかない。
(たく、しつこいガキだぜ)
良樹は間違いなく、ただの素人だと認識している佐竹だったが、かといって過小評価もしてなかった。
普通の中学生なら、とっくにへばって地面に寝そべり動けなくなっている。
体力でも気力でも、そして精神力でも、こいつらは普通じゃないと理解していた。
(やる気だけは一人前か。惜しいな、もっと時間があればじっくり鍛えてやれるのに)
もしも時間があれば夏樹はそうしていたはず。
それがいきなり実戦形式の特訓なんて、よほど余裕がないのだろう。
何の事情もきいてない佐竹だったが容易に察する事はできた。
「クソ!」
良樹は疲労しきっており、もはや反撃どころか立っているのもやっと。
それでも、あきらめずに佐竹に向かった。佐竹は良樹の手首をつかむと、大声で叫んだ。
「宗方、見てるんだろう!こいつらはもう限界だ、そろそろ休ませてやれよ!」
夏樹からは返事がない。無言=拒絶だということは長年の付き合いでわかっている。
「おまえにも考えあるだろうが、こんなガキに酷すぎるだろうが!」
佐竹の言い分も最もだったが、夏樹にはそんなことどうでもよかった。
『俺のやり方についれこれないならそれでもいいぜ。そいつらには自分達で勝手にやってもらう』
そんな非情な言葉すら平然と吐き出すのだ。佐竹は忌々しそうに舌打ちした。
(うちの大将にはお情けってもんがないのか?ガキ相手に加減ってもんがありゃしないんだ。
可哀相だが、こいつらが本当に怪我でもして倒れない限り、あいつはやめたりしないだろうな)
ブーブーブー、突然、けたたましい音が島中に流れ出した。
「な、なんだ?」
「……この音は!」
佐竹の顔色が変わった。
「宗方、どういうことだ!?こいつが鳴るなんて前代未聞だぞ、何があった!?」
「おい兄貴、こいつは緊急警報だぞ。監獄棟の警報だ」
冬也はスイッチを押した。モニターに囚人達が収監されている塔のカメラ映像が映し出される。
牢屋という牢屋は全て鉄格子が開かれ、すでに囚人達の姿はどこにもなかった。
「……あそこのセキュリティーはもっとも厳重なんだ。コンピュータの故障なんて考えられないな。
考えられるとしたら、何者かが故意に連中を自由にしやがったんだ」
夏樹は忌々しそうに拳を握った。こんな舐められたマネをされ、楽天家の夏樹も相当頭にきたらしい。
「秋利、誰の仕業かすぐに調べろ」
「了解」
秋利はすぐにコンピュータを調べた。そして答えがでた。
「外部からコンピュータに侵入した奴がいる。アクセスしたのは秋澄兄さんってなってる。
けど、あの兄さんがこんなことするもんか。どうやら兄さんのカード失敬したのがおるらしいな」
「……冬樹だな」
夏樹はすぐに冬樹だと断定した。
「まずいぞ兄貴、囚人は屋内のどこにもいない、外部へのハッチが開いている」
狂った殺人鬼たちが解放されたのだ。
もしも良樹達とばったり出くわしたらどうなるか、結果は火を見るより明らか。
「訓練中止だ。行くぞ、おまえら。囚人どもを1人残らず連れ戻す」
【B組:残り45人】
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