隼人は神経を集中させた。
(九人か、捕虜も連れている。随分弱々しい気だ、海老原達に拷問を受けたな奴がいるな)
隼人は一端、桐山達の元に戻った。
「おまえ達はここで大人しくしてろ。でないと命の保証はない」
そして、再び、その場から姿を消した。
鎮魂歌―47―
「おまえは運がいい。この高速ヘリなら短時間で現地に着く。後は好きにしろ」
高速ヘリの定員に空きがでた。
民間人の光子がその空席をゲットできたのは箕輪のコネのおかげだ。
昨夜から特選兵士が続々と、ある場所に向かっているとの情報も箕輪は提供してくれた。
美恵の足取りを掴む、またとないチャンスかもしれない。
「おまえの計画を台なしにした埋め合わせだ」
「本当に助かったわ、ありがとう」
宗徳をあの世へ送ってやることは叶わなかったが、箕輪との縁ができたことは今後役に立つだろう。
箕輪は光子に借りを作ったと思っているらしい。
自分に出来る範囲で助けてやると携帯電話の番号とメールアドレスも教えてくれた。
「箕輪さん、箕輪侍従ご夫妻がただ今到着されたそうです」
箕輪の下で宗徳に仕えている少年がやってきて報告した。
「……ああ、わかった。すぐに行く」
(箕輪?苗字からして身内らしいわね)
光子は不審に思った。なぜなら箕輪が見るからにムスッとした表情をしたからだ。
身内ならもっと嬉しそうな顔をするだろう、普通は。
(それとも、あたしみたいに家族を憎んでいるのかしら?)
「……ここで待ってろ、すぐに戻る」
などと言われて大人しく待つような女ではない光子は。
こっそりと様子を見に行った。
向かった先は宗徳の仮の私室、死刑を免れた宗徳は謹慎を申しつけられ引き込もっていた。
「ああ殿下お痛わしい」
「何の罪もない殿下がこんな目に合われるなんて」
部屋の中から年配の男女の声が聞えてきた。箕輪はすでに入室している。
僅かに開いた扉の前にはやじ馬達が群がっていた。
その中の一人に光子は背後からこっそりと小声で話しかけた。
「箕輪夫妻って何者なの?」
「殿下が赤ん坊の頃から仕えてる養育係で今は第一の側近さ。でもって箕輪さんのご両親」
「ふーん、やっぱりね」
(つまり親子二代であのゴミの家来やってるってわけか。
なるほどね、箕輪が、あのゴミを簡単に切り離せないわけだわ。
ゴミが処罰されれば当然親も責任とらされるわけだものね)
親の為に自分の意志を殺す。そう、親の為に。
親、その言葉は光子をひどく混乱させた。
(どうして親なんかの為に自分を犠牲にできるのよ。本当に馬鹿な奴)
「まったく、おまえは何やってたんだい!殿下をお守りするのが、おまえの役目だろう!」
ヒステリックな女の声が嫌な振動を伴って聞こえてきた。
「殿下の身に何かあったら、おまえ一人が死ぬくらいじゃすまなかったぞ。この大馬鹿者め!」
今度はヒキガエルのような男の声だ。光子はそっと中を覗いた。
そこにいたのは見るからに醜く下品な夫婦だった。
「嘘でしょお!!」
さすがの光子もびっくり仰天、慌てて口を両手で塞いだ。
(よかった……聞こえなかったみたいね)
その後も妖怪もどき夫婦のねちっこい嫌味と怒号は続いた。
「あーあ、まただぜ。箕輪さんも、よく我慢してるよな」
「ああ、俺だったら、あんな親、ぶっ殺してるぜ」
「ね、ねえ、あいつら本当に箕輪の親なの?」
醜い容姿に品性のかけらもない物言い。
光子でなくても箕輪親子に遺伝的な繋がりに疑いをもつだろう。
「箕輪って養子なの?」
「俺達も最初はそう思ったよ。でも実の親子だってよ」
「じゃあ箕輪って整形でもしてるの?」
「馬鹿!失礼な事言うなよ。あの美貌は天然だよ」
「……七不思議って本当にあるのね」
光子はまだ信じられなかった。だが、それ以上に気になる事がある。
箕輪の両親は宗徳ばかり気にかけている。
宗徳が処刑されかけた件で箕輪の言い分も聞かずに一方的に責め罵っているのだ。
「……何よ、あれ」
宗徳の養育係だったならば、あのゴミの本性は知っているはず。
それなのに息子を庇うどころか責めるなんて。
(あたしの母親も最低だったけど、あいつの親もとんでもないわね)
「さっさと乗れ!」
美恵達は車に押し込められた。
(どこに行くんだろう?)
こうしている間にも離ればなれになった仲間の事が頭を過ぎる。
(貴子、光子、月岡君……)
固い友情で結ばれた親友達。
(……桐山君)
そして桐山、もう会えないかもしれない。
「よし行くぞ」
車が発進した直後、パンという乾いた音がして車体がガクッと右に傾いた。
加奈がきゃあと小さな悲鳴をあげ、鉄平は泰三にぶつかっている。
「畜生!」
海老原達は一斉に体を沈め銃を構えた。美恵はびくっと小さく体を強張らせた。
(誰かが襲撃してきたんだわ。誰なの?もしかして桐山君?)
とっさに連想したのは桐山だった。また生きて会えるんだ!
だが美恵の微かな希望はすぐに砕けた。
「氷室の野郎だ!」と、誰かが叫んだからだ。海老原達は車外に飛び出した。
何事かと加奈達も恐る恐る窓から外を覗き込んだ。
見知らぬ男が銃を片手に立っている。
顔はよく見えないが、誰なのか推理することは可能だった。
先程叫んだ奴がいたではないか、「『氷室』の野郎だ!」と。だから苗字だけはわかった。
そして仮にも特選兵士にケンカを売るのだから、かなりの戦闘力を持っていると考えるべきだろう。
「氷室……だと、氷室隼人……か?」
鮫島が苦しそうな息の下から声を漏らした。
「氷室隼人?それって……」
「お兄ちゃんが昔コテンパンにやっつけた相手じゃない」
「でも、おかしくない?だって同じ軍の仲間なんでしょう?それなのに攻撃するなんて」
「……軍って所は猿山の猿の群れのように単純じゃねえ。
派閥だけでもかなりあるしよ……争っててもおかしくないぜ」
鮫島がもっともらしい説を語ってくれた。
(どっちにしても私達にとってはどちらも敵だわ。でも、これはチャンスかもしれない。
彼らが争っている間に逃げれば……)
しかし美恵はすぐにその案を破棄した。
自分達だけならともかく半死半生の鮫島は逃げるどころか体を動かすことさえ困難なのだ。
仲間でもない鮫島を見捨てても仕方ないのだが美恵はそんな事ができるような人間ではない。
「氷室、てめえ先輩にむかって何しやがる、タイヤ撃ち抜くなんてどういうつもりだ!」
「そういう貴様らこそ良恵に何をした?」
海老原達は一瞬口をつぐんだが、すぐに開き直った。
「……知らねえなあ」
「やはり、貴様らは生かしておけない」
「それは、こっちの台詞だ!!」
一触即発だった両者がついに激突かと思われた、その瞬間、銃声が空を切り裂いた。
「銃声だぞ桐山」
「それに車が一台猛スピードで近づいてきている」
「おまえ、そんな事もわかるのか?」
「ああ、エンジン音が聞こえるからな」
川田は言葉にこそ出さなかったが、とてつもなく驚嘆していた。
(本当に凄い奴だ、こいつの能力は底無しだな)
ふと見ると、冬樹が歩き出していた。
「季秋、どこに行くんだ?」
「様子見」
「だったら俺達の拘束を解いてくれ」
「嫌だね、俺は美人しか助けない主義なんだ」
もう川田は何も言えなかった。
機内から青空が広がるのが見えたが、光子はその美しい景色に見とれる気分にはなれなかった。
『箕輪さん、親に育てられた記憶ないんだよ』
『親父さんは殿下の守り役でお袋さんは乳母、ただでさえ忙しい上に二人とも殿下の事しか頭にないんだ』
『そりゃ仕事だし、殿下の栄光は、そのまま二人の出世に繋がるわけだから、わかんなくもないけどよ。
あの二人の場合、度が過ぎてんだよなあ』
『そうそう殿下が認知されるまで、児童養育施設に箕輪さんをほうり込んでたって話だぜ』
『あそこって格安の有料孤児院みたいな施設だろ。
入所してるのは片親とか親が長期入院とかで、子供の面倒みれない事情がある家がほとんどだぜ』
『他の親は休日には迎えにきたし、たいてい入所期間はか2、3年らしいのに、箕輪さんの場合は8年。
その間、面会はおろか手紙も電話も一切なくて、親の顔すら知らなかったんだとよ』
『殿下がやっと認知されて、箕輪さんも引き取られたけどよ。
あの親、今度は、殿下の後見人に息子献上してそれっきりだぜ』
『箕輪さん自身も低脳で下劣な両親を毛嫌いしてるから、愛されなかった事自体は気にしてないけどさ。
でも、絶対に赦せない仕打ちされて今でも恨んでんだよ。その仕打ちってのが――』
『馬鹿っ!それ言ったらやばいだろ!』
『あ、そうか。悪いな相馬、話は終わりだ』
(……絶対に赦せない仕打ち、か)
光子は母を思い出した。母が自分にした仕打ちも。
(あんな女、殺されて当然よ。あたしがやらなくても、きっと誰かが殺していたわ)
――箕輪、あんたも、いつかあたしのようになるかもね。
――でも、そうなっても恥じることないわよ。
――『殺していい人間なんていない』、そんなものは平和ボケした世間知らずの戯言にすぎないもの。
――少なくても、あたしは、あんたを支持してあげるわよ。
車が滑り込むように隼人と四期生の間に割り込んだ。
「隼人!」
助手席から飛び出したのは良恵だった。
すぐに隼人に駆け寄り無事を確認すると「よかった」と安堵の言葉を呟いた。
「良恵、なぜここに来た?基地にいろと言ったはずだぞ」
「俺が連れて来たんだ」
今度は運転席の扉が開き直人が姿を現した。
直人は隼人と四期生の顔を交互に凝視すると強い口調で言った。
「全員俺の指示に従ってもらおう」
「何だと!」
すかさず海老原が不満の篭った声をあげた。
「てめえ何様のつもりだ!」
「軍法を忘れてたのか?国防省には軍を監視し有事の際には指導する権限がある。
おまえ達は特選兵士同士で何をするつもりだった?」
海老原は何も言い返せなかった。
水島や戸川なら上手い言い逃れができただろうが生憎海老原にそんな器用なマネはできない。
「大人しく俺の指示に従い引けば、おまえ達がしたことは目をつぶってやる」
直人はちらっと良恵に視線を向けると「それでいいんだな?」と言った。
「ええ」
「良恵!あいつらはおまえを」
「いいの、いいのよ隼人。あなたが無事だったんだもの」
隼人は心情的には到底納得できなかった。
しかし良恵の辛そうな顔を見てしまった以上もはや選択肢はない事も悟っていた。
「そこの連中、さっさと車から降りろ。大人しく従わなければ、言うまでもないことはわかるな?」
直人は今度は美恵達に服従と降伏を要求してきた。
「ど、どうする?」
加奈は鉄平にふった。
「どうするって……俺に言われても」
しかし鉄平も急な判断を迫られて困惑しているだけだ。
海老原だろうが新たに登場した男だろうが、どちらにしても敵には変わらない。
逃げるべきか、それとも従うべきか、はたまた戦うべきなのか。
ずっと木下の指示に従ってばかりいた鉄平には難問だった。
「あの人の言葉に従いましょう」
美恵が最初に意見をだした。
「海老原達よりはきっとましだわ。少なくても不法に殺されることはないと思う」
それが美恵が直人に降伏することを選択した理由だった。
しかし、加奈達は黙り込んだ。やはり、すぐに決断はできないようだ。
だが相談する暇もない。
「彼女の言う通り……だ」
鮫島は美恵の意見に賛成した。
「……海老原って男は……俺達のような裏世界に生きる人間からでさえ毛嫌いされてやがる」
歴代の特撰兵士の中でも悪名の高さだけなら海老原は群を抜いていたのだ。
「……見ろよ、これ……」
鮫島が袖をまくり上げると痛々しい傷があった。
「……最悪な野郎だぜ、あいつはよ」
鮫島が受けた拷問がどれだけ凄まじいものか、その生傷は全てを物語っていた。
そして散々迷っていたはずの加奈達に瞬時に決断を促す効果も抜群だった。
それから30秒もたたないうちに美恵達は車外に出ていた。
それが最善の選択だと信じて。
「指名手配中の重要参考人に木下の手下だな。おまえ達の身柄を拘束する」
直人は淡々と宣告したが、その意識はほとんど美恵には向けられていない。
今だ緊迫感が漂う隼人と四期生に気を取られているは明らかだった。
(どう見ても今はチャンスだよな。こいつら、隙だらけじゃないか)
鉄平は逃げるなら今しかないと思った。
特選兵士達はお互い目の回る前にいる相手しか見ていないのだ。
(俺達は眼中にないって事か。ムカつくけど今はそんな事言ってる場合じゃない。
逃げるんだ。せめて加奈ちゃんだけでも逃がさないと木下さんに申し訳ない)
加奈と美恵、女の子くらい守ってやるのは男の役目だ。
鮫島なんかどうでもいい。問題は怪我人の泰三だった。
とてもじゃないが全力疾走できる状態じゃない。
泰三は無理だ、辛いが決断しなければならなかった。
鉄平は泰三の背中を軽く小突いた。
(鉄平?)
(泰三、悪い。後で必ず助けに来るから)
鉄平は泰三にだけ見えるように、こっそりと指を奇妙な形に動かし始めた。
それは木下から伝授された海原グループ独自の手話なのだ。
泰三は頷いた、全てを理解し受け入れたのだ。
(……悪いな)
(気にするなよ……どうせ俺は逃げられない体なんだ。
……俺も協力するから加奈子ちゃんと美恵ちゃんを無事に逃がしてやれよ)
(……ありがとう泰三)
二人はこの秘かなやり取りはばれてないと思っていた。
隼人も直人も四期生も、ほとんどこちらを見ていないのだから無理もなかっただろう。
鉄平は彼らが自分達を意識しない事を過少評価と半死半生し内心頭にきていた。
だが本当に過少評価していたのは彼らではなく鉄平の方だった。
(あいつら合図を送り合っている。逃げる相談か……バレバレだ。
あれで隠しているつもりなのか?晶に聞かせたら大笑いされそうだな)
隼人は顔にこそ出さなかったが内心呆れていた。
(怪我人は置いていくのか。正しい判断だが、後で助けられると思っているとは。
砂糖みたいに甘い連中だな。だから甘ちゃんは嫌いなんだよ)
直人はテロリストの専門家。
ゆえに海原グループの手話も知っており、鉄平達のやり取りの詳細な内容まで知るに至っていた。
(竜也、あいつら逃げるつもりだぜ。捕獲中の事故に見せ掛けて殺せるぜ)
(敦の言う通りだ。口封じのチャンスだ)
(好きにしろ、上手くやれよ)
海老原達に至っては最悪な企みすら企てていた。
(よし、行くぞ。泰三、後は頼む)
(……わかったよ、行けよ、さっさと)
泰三は隠し持っていた発煙弾を投げた。
「加奈ちゃん、美恵ちゃん、こっちだ!」
鉄平は突然の煙幕に一瞬固まった美恵と加奈の手を取り走り出した。
「え?」
「金田さん?!」
「話は後だ、逃げるんだ!」
「馬鹿め、こんな子供騙しが通用するか!」
最初に動いたのは直人だった。
企みに気付いていた、あっさり捕える自信もあった。
全てにおいて抜かりはなかった。
例え意識の大半を他の事に費やしていようとも、あんな連中に出し抜かれるはずはないと確信していた。
そして直人の考えは実際正しかった。
ただし、『鉄平達に対して』だけは。
「何だと!?」
それは直人にとっても、そして隼人や、海老原達にとっても予想外だった。
煙幕の中に手榴弾が投げ込まれ爆発したのだ。
鉄平達の行動には気付いていた彼らだったが、たった一つだけ気付いてないものがあった。
それは第三者の存在だ。
いくら油断していたとはいえ特選兵士に存在を悟られることなく気配を消せる人間がいた。
そして鉄平達の企みを知り、それに乗じて事を起こしたのだ。
「しまった!」
隼人は煙幕の中、良恵に向かって走った。
直感で第三者の狙いが良恵だと気付いたのだ。だが手榴弾がその行手を遮る。
「良恵!」
「その声は……冬樹君?!」
そう、第三者の正体は懲りない男、季秋冬樹だった。
「き、桐山!爆発だ、何か起きてるぞ!」
川田は立ち上がろうとしたが、手首に痛みを感じ中腰の体勢になった。
両手首に手錠、その先の鎖は大木の幹に巻き付いている。
「頑丈な鎖で繋ぎやがって。立つこともできやしない」
「先に行くぞ川田」
「は?」
川田はぎょっとした。
桐山が疾走し、その背中が川田の視界の中で、あっという間に小さくなったのだ。
「ど、どういうことだ?!」
川田は桐山がつい先程まで繋がれていた木にばっと視線を移動させた。
手錠が地面に落ちている。
「あ、あいつ関節外したな」
もう桐山は影も形もなかった。
「良恵、逃げるんだ!」
冬樹は爆風と爆煙の中をかい潜り愛しい女に向かって手を伸ばした。
柔らかい手を掴むと強引に引っ張り、車の後部座席に押し込めるように乗せた。
「しっかりつかまってろ、飛ばすぞ!」
車を急発進させ、冬樹は力の限りアクセルを踏み込んだ。
エンジンが派手な音をなびかせ、タイヤが高速回転し、土が削り飛ばされる。
「しまった、良恵!」
直人は即座に銃を構えた。タイヤを狙えば、と思ったのだろう。
「直人、待て!」
隼人が直人の肩を掴んだ。
「隼人、なぜ止める!?俺が外すと思ったのか?見えなくても音でタイヤの位置くらいわかる!」
もちろん正確ではないが、間違っても良恵を誤射することだけはない。
こうしている間にも車はスピードをあげる。
しかも冬樹は起き土産とばかりに、さらに手榴弾を投げてきたのだ。
その手榴弾が地面に接触した時には車は走り去っていた。
「良恵!」
直人は慌てて全力疾走したが、煙幕から抜け出た時には、すでに車は見えなかった。
はるか彼方からエンジン音が聞こえてくるだけだった。
「……隼人、なぜだ?」
直人は悔しそうに振り向いた。
風が煙幕を徐々に消し、隼人の姿もほぼ完全に見え出した。
「なぜ止めた?!良恵を――」
「直人!」
その馴染み深い声に直人ははっとした。
煙幕が完全に吹き払われ、少女が姿を現した。
「私は無事よ」
「……良恵?」
良恵だった。幻ではない、間違いなく本物の良恵だ。
ほっとすると共に、ある疑問が浮上した。
「……じゃあ、あいつがさらったのは誰なんだ?」
「ここまで来れば、もう大丈夫だ。良恵、安心し……」
満面の笑顔で振り向いた冬樹にとって、それは衝撃だった。
そこにいたのは手に手を取り合って愛の逃避行を遂げた愛しい恋人ではなかったのだ。
「……誰だ、おまえ?」
「それは、こっちの台詞だわ」
冬樹は混乱した。自分は確かに良恵の手を握りしめたはず。
しかし、今、目の前にいるのは明らかに別人。
ショックで呆然としていた冬樹だったが、恐るべきポジティブさですぐに立ち直った。
「そうか、そういうことだったのか……ふふん、憎いことするじゃないか」
「……あの」
「おまえ名前は?」
「美恵、鈴原美恵」
「美恵、俺には全部お見通しだぜ。おまえ、俺に惚れたな」
「兄貴は本当に、あいつら素人の面倒みるつもりなのか?」
冬也は、まだ夏樹の考えに賛同出来なかった。
「そう言うな、岩崎には勝ったじゃないか」
「それは、この馬鹿が素人相手のお遊びと油断しまくったからじゃねえか。実戦だったら即終了だぜ」
「申し上げます!」
警備員が慌てて部屋に駆け込んできた。
「囚人達がまた暴れ出しました」
囚人達は二度と外の世界には出してもらえない運命。
中には精神を病んでしまっている者もいる。
精神安定剤を投与して大人しくさせているのだが、多量に服薬しないと、まるで効かない連中もいる。
それは元科学省の兵士達のことだった。
何をされたのかは定かではないが、化学実験により尋常ではない戦闘力を授けられた強化人間。
同時に人間らしさを奪われた哀れな怪物。
それが原因なのか、時々猛獣のように暴れていた。
特にナンバーゼロは毎日決まった時間に狂ったように暴れだす。
檻の中に閉じ込めていなければ、おそらく死人が何人も出ただろう。
「薬が切れてます。最近これまでになく囚人達の精神障害が酷く服薬の回数が多くなりまして……」
嫌な話だった。にも拘わらず夏樹達は平然としている。
こんな話に一々反応していてはキリがないことを知っているからだ。
「ほかっておけ」
「は……しかし」
「ほかっておけ」
夏樹はやや口調を強くした。その威圧感に警備員は慌てて礼をして退室した。
「兄貴、あいつら、そろそろ限界だ。もう、処分することを本気で考える時期だろ?」
「……処分するってことは、殺すってことだぜ冬也」
「生かしておいてやっても、あいつらは苦しむだけだ。やるなら早い方がいい」
「……そうかもしれないなあ。あーあ、気が重いぜ」
「……何を言っているの、あなた?」
「隠すな隠すな。俺は女の気持ちはよく知っている。俺に一目惚れしてついてきたんだろ?」
「あ、あなたが勝手に私を連れて来たんじゃない!」
「照れるな照れるな。いいぜOK、俺は全てわかってる」
「……話にならないわ」
美恵は踵を翻し歩き出した。途端に冬樹が行く手を遮るように前に出る。
「おっと待てよ、つれない態度にでて俺の気を引こうって作戦か?」
美恵は呆れて声も出なかった。どうすれば、これほど自惚れられるのだろう?
「おまえ美人だしな。生憎と俺は本命がいるけど、そんなに俺のこと好きなら相手してやってもいいぜ」
これには温厚な美恵もムッときた。
「馬鹿にしないで!」
思わず手を上げてたが、冬樹は難なく手首をつかんで止めてしまった。
「あなたみたいな思い上がりの激しいひと見たことないわ」
「俺のは至極妥当な単なる自信だぜ、むしろ謙虚なくらいだ」
美恵はさらに呆れたが、今はつまらない感情に気をとられている余裕もない。
「私、戻るわ」
「おい、戻ったら、おまえ逮捕されるんだぜ」
「でも加奈さん達は、今頃、逮捕されてるわ」
「だからって、おまえが戻って状況が好転するわけでもないだろ。
あいつらのことは運がなかったと思ってあきらめろ、今は他人より自分のこと考えるんだな」
冬樹の言い分は非情だが、もっともな意見でもあった。
「……それに、おまえ自身が戻るつもりあっても、そうはいかないようだぜ」
「どういうこと?」
「いい加減に姿見せろよ。俺達がラブシーン始めるまで覗いてるつもりなのか?」
その一言で、美恵は自分の置かれている立場を理解して慌てて周囲を見渡した。
辺りは静かで猫の子1匹いない。
「それとも俺に引きずり出されたいのか?」
「わかったよ、お望みなら姿をさらけ出してあげようじゃないか」
軍服を着用した少年が姿を現した。軍帽のせいで顔はよく見えない。
「専守防衛軍?!」
だとしたら、自分をとらえにきた人間。美恵は思わず体を強張らせた。
「残りの連中もさっさと姿現せよ」
(まだ、いるの!?)
「――だ、そうだ。でてきたまえ、君達」
その言葉を合図に、美恵と冬樹を取り囲むように、ぞろぞろと兵士が登場した。
人数自体は5、6人で、さほど多くないが、全員ばっちり銃を携帯しているときている。
「さあ、彼女をこちらへ」
「なぜ、俺が女をおまえ達なんかに引き渡す必要がある?俺のポリシーに反するぜ」
「ほう、君は僕達に逆らうつもりかい?専守防衛軍兵士に逆らうということは国家に逆ら――」
「俺にそんな嘘通用するかよ、おまえら、どこの組織の人間だ?」
兵士達が僅かに肩を硬直させたのがわかった。
数秒後、「……なぜ、わかった?」と少年が呟くように言った。
「もっと慎重に軍のことを調べておくべきだったなあ、その桃の軍章は何十種類もある。
その軍章かかげてる隊は――今は九州に駐在してて、この四国にはいないはずだぜ」
「…………」
「加えていえば、正規軍の人間がサイレンサー付きの銃なんか携帯するかよ。
一体、何の為に、兵士のふりまでして、この女を連れて行こうとしやがった?」
「完全にバレバレってわけかい」
少年が口の端を僅かに吊り上げた。
「だったら、こんな疎ましく汚らわしい軍服を着ている意味もない」
少年は軍服を脱ぎ捨てた。他の少年達も、それに続く。
「さあ、大人しく彼女をこちらに引き渡してもらおう。拒否はいっさい認めない」
【B組:残り45人】
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