良恵は足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。
手足は硬直して痺れ、視界は歪み、意識がはっきりしない。
それなのに目の前にいる男は良恵の感情などお構いなしに、青ざめた頬に手を添えてきた。
ひやりとした感触に良恵は思わず顔を背けた。


「駄目だよ」


水島の手が良恵の頬から顎に移動し、強引に角度を変えさせられる。
ほんの数センチ前に水島の顔。その距離が 良恵の恐怖をさらに加速させていた。


「せっかく再会できたんじゃないか。駄目だよ、目を背けちゃ。きちんと俺を見つめてよ、その綺麗な目で」




鎮魂歌―46―




「そこをどけよ!」

良樹は必死だった。いくら気が強いとはいっても貴子はやはり女の子。
こんな危険なゲームからは守ってやらなければならない。

「誰がどくか、邪魔だと思うんなら力ずくで通ってみろよ」

佐竹は頑として道をあけない。良樹は軍用ナイフを取出した。
佐竹は素人じゃない、素手では勝てない。

「隙だらけだぜ」

良樹がナイフを構えた瞬間、佐竹の手刀が 良樹の手首に炸裂していた。
腕が痺れ思わずナイフを離してしまった。
「くそ!」
ならばと右足を佐竹の顎目掛けて急上昇させたが。紙一重で避けられてしまった。


(何でだ、何で当たらないんだ!)


「可哀相だが、おまえは俺から見れば意気がってるガキにすぎない。俺には勝てねえよ」
良樹は唇を噛んだ、悔しいが佐竹は正しい。
「おまえこそ油断してる余裕あるのかよ!相手は 雨宮一人じゃないんだぜ!」
側面から人影が佐竹に襲い掛かった。三村だ、凄まじい勢いで佐竹に攻撃を仕掛けたのだ。
残念ながら避けられた。だが今度は沼井が真っ正面から棒状の枝を振り落ろした。
しかも同時に背後から七原が走り込んでいる。挟み打ちだ。


「ちっ!」
佐竹は軽く舌打ちしながら大きくジャンプした。
「待ってたわよ、あなたの逃げ場所は真上しかないものね!」
月岡が銃を構えていた。狙うは佐竹の足だ。
脚力を封じ込めれば、スピードが最大の武器である佐竹にとって痛恨の一撃になる。
勝敗を決する貴重な一発だ。
「当たれー!」
月岡は力を込めて引き金を引いた。














「お、おい、あれ」
「水島さんじゃないか。それに相手の女、どこかで見たような顔だな」
水島のはしたない行為はすぐにやじ馬を集めだした。
「お、思い出した。海軍の佐伯大尉の恋人だ」
「ちょっと、まずいんじゃないのか?」
ざわめき始めたやじ馬達だったが水島がジロッと視線を向けた途端に蜘蛛の子を散らすように立ち去った。

「そう……それでいいんだよ。賢明な判断じゃないか」

国防省には水島の行為を面と向かって批判する人間は数えるほどしかいない。
彼らはそれに該当しない人間だった。


「離して!私にはもう近付かないって約束だったはずよ!」
「ああ、そんなこともあったっけ。でも、これはプライベートだよ」









「やばかったよな水島さんの機嫌を危うく損ねるところだったよ」
「かといって、あの女がまずいことになってるのを見て見ぬふりするのもやばいよな」
「ああ、佐伯大尉の怒りかっちまう」
「いいタイミングで逃げられてよかったな」

良恵を見捨てたら徹を敵にまわす、かといって助けようものなら水島の怒りをかう。
だから彼らは事が起きる前にそそくさと逃げ出した。
やばい事が起きる前にその場を立ち去り何も知らない、見ていない事にしたのだ。

「彼女、これからどうなるんだろうな?」
「決まってんだろ、相手はあの水島さんだぞ。今頃は口説かれ……いや連れ込まれて」


「おまえ達、今の話詳しく聞かせろ」


「げっ!あ、あんたは……いえ、あなた様は!!」









「さあ俺を見て。そっぽ向かれたらキスもできないじゃないか」

「克巳、そのくらいにしておいたら?嫌がってるじゃない」
いつの間にいたのか、随分と美人な女が呆れた顔でこちらを見ていた。
「そうはいかないんだよ。彼女とはちょっと縁があってね。でも無理解な周囲に引き離されたのさ」
「私の前でやるわけ?修羅場は面倒だから恋人の前では極力浮気はしない主義なんじゃなかったの?」
水島は溜息をついた。
「……これは浮気じゃなくて挨拶だよ」


「いい加減にしろよ、いくら前国防省副長官の孫でも風紀を乱していいなんて法はないんぜ、水島先輩」


聞きなれた声。それは、菊地直人のものだった。
「直人!」
良恵は助かったと言わんばかりに思わず叫んだ。
「相変わらず野暮な子猫ちゃんだねえ。君の出る幕じゃないんだよ」
「あんたはその女に近付かないと誓約書にサインしたんだろう?
今なら見なかったことにしてやってもいいぜ。さっさと、その女をこちらに渡してもらおう」
「嫌だと言ったら?」
「親父に報告させてもらう。親父に水島家を追い落とす口実をやってもいいのか?」
「何だって!?」
家名を口にされた途端、水島から余裕の表情がが消えた。


「克巳」
女が心配そうに水島の手を取った。
「克巳、こんなことで揉め事を起こしたら……ここは引いてちょうだい」
「……沙耶加」
水島はさも未練がましく舌打ちしながら良恵を直人に向けて突き飛ばした。
直人はすかさず良恵を受け止めた。


「今日のところは君の顔をたててあげるよ。
一つ教えておいてあげるけど、君は先輩に対する礼節というものを学ぶべきだね。
行こう沙耶加、不愉快だ。こんな場所にはもういたくない」
水島は沙耶加の肩に腕をまわすと足早に去って行った。


(沙耶加?……まさか)


良恵、大丈夫か?」
「え、ええ。直人、あの女の人……」
「真壁がどうかしたか?」


(真壁沙耶加、鮫島が言ってた人だわ)


鮫島の話では軍に連れさらわれた一般人のはず。
でも水島とのやりとりをみていると昨日今日の間柄ではない。
「あの人どういう人なの?」
「テロリスト対策本部、通称CTUの特別捜査官だ」
「CTUの?」
「そして水島克巳の女だ」


「水島の!?」


「ああ、それも俺が知っている限り現在進行形で一番長く続いている女だ。
彼女の今の任務はスラム街に隠れているテロリストを探し出す事だ。
もっとも、見つけだしたら上に報告する前に水島に連絡してやがる。
おかげで水島は労せず手柄をたてられるという寸法だ。
水島が突然、例のK-11の仲間かもしれないという連中の正確な似顔絵を作成できたのも
真壁から情報を得たからに決まっている」
「……そんな」
鮫島はあんなに彼女の事を心配していたのに水島の恋人だったなんて。
(鮫島には可哀相だけど、今はそれどころじゃないわ)


「直人、話があるの」









「克巳、あの娘にだけは手をださないで」
「沙耶加?」

いずれ良恵を力ずくにでも手に入れようと企んでいた水島は沙耶加のお願いに困惑した。
ただの彼女なら頭にきて、あっさりとバイバイしてやるところだ。
しかし沙耶加は鹿島真知子同様に、気まぐれな水島が何年も寵愛している大のお気に入り。
異性としてのみならず、仕事上での重要なパートナーでもある。
極悪プレイボーイも、さすがに沙耶加の忠告は冷たく突き放す事は出来なかった。


「沙耶加、君らしくもない。いつも言ってるだろう、遊びと恋愛は違うんだ。
相手は、まだ子供じゃないか。君がヤキモチやく必要はないんだよ」
「嫉妬なんかで言ってるんじゃない。あなたのためよ克巳。一年前のこと、もう忘れたの?
あなた殺されかけたんじゃない。Ⅹシリーズを怒らせたら今度こそ殺されるわ」


「遊び心で相手にするには危険すぎる娘よ」
「……確かに一理あるね」


だけど、そのⅩシリーズは今はいない。裏をかえせば今しかチャンスがないんだ。


「Ⅹシリーズだけじゃない。あの娘に手を出した報復に五期生の半数以上が乗ったんでしょ?
特選兵士同士の私闘をもう一度やるつもり?今度は降格だけじゃ済まないわよ。
あなたはそんな馬鹿な目にあいたいの?」
「……わかったよ。今回は君の忠告を素直にきいておくよ」


(焦ることはない。逃がした魚と違って、いつでも手中に抑えられる存在なんだ)














「隼人一人で向かっただと?慎重なあいつにしては大胆な事をしたものだな」
「お願い直人、隼人をに加勢してあげて」
「それは隼人の考えか?」
「いいえ、私のお願いよ」
「……」
直人は腑に落ちなかった。
隼人とは特別親しい仲ではないが、無茶な行動をとるような思慮のない男などではないことは知っている。


(あいつは勝ち目のない戦いをするような馬鹿じゃない。
それなのにたった一人で海老原達に挑むなんて自殺行為だ)

人格こそ腐りきっている連中だが、戦闘能力は違う。
仮にも軍のトップに位置する特選兵士。それが四人も揃っているのだ。

(隼人は強い。だが数の上で不利過ぎる、何を考えている?)

勝機があるのか?それとも良恵に危害を加えられて切れてるのか?
いや……隼人は頭にくると確実に相手を殺しにかかる奴だ。無謀なことはしないだろう。

(かと言ってやはり一人では勝ち目があるとは思えない。なぜ俺を頼って来なかった?)

徹のせいで海軍と国防省が険悪なムードになっているため頼みづらかったということも考えられる。
だが、それだけではないような気がする。


(俺に見られるとまずいから……か?)


たどり着いた結論はそれだった。

(隼人の奴、海老原達を殺すつもりなのか?
非があるとはいえ、そこまでやったら立場がまずくなるのは隼人の方だ。
だから一人で全てを片付けようということか?
……隼人め、俺に知られたくないわけだな。俺には軍監視義務がある。
気持ちはわからんでもないが好きにさせるわけにはいかないぜ)


良恵、すぐに案内しろ」














「氷室隼人がこんな辺鄙な所に来たのは偶然か、それとも……おい、てめえらは、どう思う?」
「はっ!関係ねえな!偶然だろうがなかろうが、あいつが俺達の事に気付くようなら命とるしかねえだろよ!」
「ちっ……勝則おまえは相変わらず羨ましいくらい単純だな」
「何だとぉ敦、てめえが気が小せえだけじゃねえか!たかが氷室ごときに怯えやがって!!」
隼人の存在は海老原一味の関係に亀裂を生み出していた。
元々仲間とは名ばかりの連中なだけに、一端ヒビが入れば脆いものだ。
「……鳥が消えた」
口論に参加せず、壊れた窓から何気なく外を見ていた島村がぽつんと呟いた。


「はあ?」
「伸男?」
「鳥が消えやがったー!!」
突然の大音響に武藤と佐々木は両手で耳を塞いだ。
「……う」
ただでさえ癇癪持ちの武藤は完全に頭にきたようだ。
「う……うるせえ!てめえからぶっ殺してやる!!」
「鳥が消えやがった、何も変化ないのに!」
「てめえ、まだふざけたことを、そのふざけた頭蓋骨かち割って――」
「待て勝則!」
今度は佐々木が声を荒げた。


「……本当だ。『何の気配もないのに』鳥が逃げた」
武藤ははっとして、島村の首をしめかけた手を止めた。
「おい、それじゃあ、まさか……」
「そうだ。気配を消 せる奴が近く に来ていやがる!」
「奴か!?」














「おい、あいつさっきから何をしてるんだ?軍のエリートさんってのはあんなもんかい?」
川田は地面に胡座をかいた体勢で座り込みながら、数十メートル先にいる隼人を胡散臭そうに指差した。
桐山と川田を大木に繋いだかと思うと一定の距離をとり、無言でじっと前方を見詰めている。
良恵と冬樹の話と街の地図を照らし合わせた結果割り出したアジトはほんの目と鼻の先だ。
その方角をただじっと見ているだけなのだ。


「何を考えてるんだか、俺にはさっぱりわからんよ」
「気配を探っているんじゃないかな?」
「桐山?」
「敵の数、正確な位置、それを探っている。俺はそう考えるよ川田」
「なぜ、そう思うんだ桐山?」
「あいつは気配を断っている」
「気配を?桐山、おまえそんな事がわかるのか?」
「川田、おまえはわからないのかな?」


川田はあんぐりと口を開けた。
普通はわからんよ、などと言った所で桐山には理解してもらえないだろう。

「へえ、おまえやるじゃん。素人にしちゃまあまあかな」
冬樹はニヤニヤしながら笑っている。
「そういうおまえも気配ばっちり消しているもんなあ。やるじゃないか」
「おまえこそ消しているだろう」
「当然だろ、戦場では大原則だぜえ。それがわかってないのは、おまえの親父くらいのもんだ」
「親父?」
冬樹は川田を指さして、「しっかし似てねえ親子だな」と言いやがった。


「気配くらい消せよな。息子のおまえから言ってやれ」
「そうか。川田は俺の父親だったのか」
「……違うだろ桐山」
頭痛がする川田だったが、ここは冷静になるしかなかった。
「桐山、今がチャンスだ。季秋冬樹に手を組む話をしよう」
川田は隼人に気づかれないように、小声で冬樹に話しかけた。




「おい季秋、俺達と手を組まないか?」
「何だって?」
「あの氷室って奴は俺達にとって共通の敵だ。事が終わったら一緒に戦わないか?」
「俺とおまえ達が?」
「ああ、そうだ。おまえにとっても、あの氷室隼人は邪魔者なんだろう?」
「確かにそうだ」
幸先のいいスタートをきったと川田は思った。しかし――。


「だが断る」


「おい、そんなけんもほほろに……」
「俺は美女としか組まないポリシーなんだ」
ただでさえ桐山の御守りで精神がまいっていた川田にとって冬樹は火に油を注ぐだけの存在だった。
(……季秋夏生もとんでもない野郎だったが、あいつの方がずっと可愛げあったぜ)


「桐山、おまえからも何か言え」
「川田、俺はそれよりも、あいつの方が気になるんだ」
桐山は隼人を指差した。


「あいつじゃないのか。木下が倒した特撰兵士というのは」


急な展開で忘れていたが、そういえば泰三と鉄平が散々自慢していた。
木下は特撰兵士の氷室隼人(もう1人いた。確か周藤晶という名前だった)を倒したことがあるといった。
それも泰三と鉄平の話では、かなりの圧勝劇だったというではないか。


(木下とガチンコ勝負したわけではないから、正確な戦闘能力の把握はできないが……。
だが俺も腕力だけなら木下と同じくらいのレベルだと自負できる。
この桐山にしたって木下より格段に劣っているとは思えない。
むしろ、その逆だ。桐山の能力の高さは半端じゃない。
木下自身、桐山の射撃の腕や身体能力の凄さに驚いていたくらいだ。
特撰兵士は超凄腕だと季秋夏生が口をすっぱくして言っていたが、怪物というわけではなさそうだ。
奴も生身の人間、やろうと思えばやれる……な)





(……動きだした。どうやら気づいたらしいな。さすがに特撰兵士の称号は伊達じゃない)

隼人にとって、今回の事件は許しがたいものだった。
本当なら一年前に海老原達を殺してやりたかった。しかし、かなわなかった。
激怒する俊彦や攻介達をなだめて上の決定に従わせたのは隼人だ。
だが本心は、誰よりも上の命令に納得してないのは隼人自身だった。
良恵を傷つただけではない、海老原達にはもう一つ許しがたい恨みがある。
隼人には二歳年上の姉がいた。今はもういない。
その姉は海老原に目をつけられていた、隼人の大事な女性を2人も海老原は傷つけたのだ。

(……海老原竜也、あいつだけは生かしておけない)














「急ぐぞ良恵、すぐに案内しろ」
「ええ、直人。どのくらいで現場に到着できる?」
「車で5分もあれば十分だ」
直人の愛車は地下の駐車場にあった。
士官専用区で士官証明カードがなければゲートを通過することすらできない。
その厳重管理された駐車場で、直人がふいに立ち止まった。


「直人、どうしたの?」
直人の様子がおかしい。じっと薄暗い駐車場の隅を睨んでいる。
「……良恵、下がってろ」
尋常ではない直人の様子に、良恵は何も言わず数歩さがった。
何があったの、なんて聞く必要は無い。直人が下がれといったら、その忠告に従えばいい。
それが最善の道だと良恵は理解していた。だから黙って言う通りにした。


「出て来い、それとも引きずりだして欲しいのかよ?」


「気づいていたのか。おまえ、ただの士官じゃないな」
暗闇から男が出てきた。隠れていたということは侵入者だ。
「よく、ここに侵入できたな。仮にも国防省の施設に簡単に入り込むなんてプロの仕事だ」
「そういうおまえこそ、よく俺の存在に気づいたな。上手く気配を消したつもりだったんだが」
その男は良恵を見て、忌々しそうに目を細めた。
「……女連れか。やりにくいな」
「あなた誰なの、ここに何をしに来たのよ。断っておくけど、彼は特撰兵士の菊地直人よ」
「特撰兵士だと?」
男の目の色が変わった。そうだろう、軍の最高位に位置する最強の男なのだから。
「そうよ、あなたがどういう人間かは知らないけど、特撰兵士の恐ろしさくらい聞いたことあるでしょう?」


「知っているどころか直接戦ったことがあるぜ」


「……戦った?」
それは予想外の言葉だった。
良恵は特撰兵士に親しい人間が何人かいる。だから、彼らの戦績もそれなりにしっている。
そして、彼らと戦った連中の末路も。
刑務所の住人となるのはラッキーな方だ。最後まで抵抗した奴はほとんどあの世行き。
それなのに、刑務所行きにならず、死ぬこともなく、外の世界で生きている人間がいたのだから。
だが男はさらにとんでもない台詞を吐いた。




「俺は特撰兵士に勝った事がある。氷室隼人と周藤晶だ」




「何ですって……隼人と晶に勝った?」
信じられなかった。隼人と晶は第五期の特撰兵士の中でも最強クラス。
その2人に勝ったというのだ、にわかには信じられない。
しかし、男の目には一点の曇りがない。
やましいことなど何もない目だ。つまり嘘偽りなど吐いていない。

(いいえ、そんなはずはない。贔屓目に見なくても2人は強いわ。
五期生で2人に確実に勝てるのだってⅩシリーズの晃司と秀明くらいよ。
その2人を倒したなんて信じられない)


良恵は疑いの眼差しで男を射抜くように見た。
「あなたが誰なのか知らないけど、本当に相手は隼人と晶だったの?」
「特撰兵士に同姓同名の人間が2人いないんなら本人だろ」
「……信じられないわ」


「で、おまえは晶と隼人にどうやって勝った?」


すっかり動揺してしまった良恵とは反対に直人は冷静そのものだった。
男の話を根っから信じてないのか、それとも相手が誰だろうと常に冷静でいるよう訓練されたからか。
ともかく、男の話は直人に対して精神的打撃を与えるようなものではなかったらしい。


「ただの真っ向勝負だ。肉弾戦で2人まとめて倒してやった。
おまえは、あの2人よりレベルが下なのか、それとも上か?
どっちにしろ俺には引けない理由がある。おまえをここで倒してもいいんだぞ」
「貴様、名前は?どこの所属の人間だ?」
「……木下大悟。中国地方を根城にしていた海原グループの人間だ。
いや……人間だったといったほうがいいな。
国防省に、おまえたちの仲間の水島克巳に俺の組織は壊滅させられたんだ」
水島の仲間と思われるのは気分のいいものではなかった。
しかし同じ国防省の人間である以上、木下にとっては同類にしかないだろう。
「海原の組織の人間。貴様がここに来たのは、その復讐……と、いうわけか」
「いや、今回は別件だ。だが、いずれ仲間達の仇はとらせてもらう。
特に水島克巳、あいつだけは絶対に許せん。俺自身の手でケリをつけてやる」
直人は心中複雑だったが、そんなことおくびにださずに無表情のまま、さらに言った。


「で、おまえは何分で2人を倒した?」
「はっきりとは覚えてないが、20分くらいだったと思う。それがどうした?」














「……俺達、やっぱり殺されるのかな……あいつら、生かしておく気なさそうだたもんな」
泰三がぽつんと言った言葉は美恵達の心を刺すのに十分な威力を持っていた。
「バカなこというなよ!お、女の子の前で!!」
美恵と加奈を気遣って思わず大声上げた鉄平だったが、その鉄平自身動揺して足元が震えている。
「……だって、あいつら」
「言うなって!……畜生、こんなことになったのも」
鉄平は鮫島をキッと睨みつけた。
「全部、おまえのせいだからな!どうしてくれんだよ、責任とれよ!!」
「……悪い」
「悪いですめば警察はいらないよ!畜生、木下さんがいてくれれば……あんな連中!」
今にも鮫島に飛び掛りそうな鉄平だったが、扉の鍵穴からガチャガチャと音がするとビクッと硬直した。
鉄平だけではない、全員がいっせいに扉を見詰め、ごくっと唾を飲み込んでいる。


やがて扉が鈍い音をだしながら開かれた。光が差し込み、そこにあの怖そうな男達が立っている。
「全員出ろ」
低くて重い響きの声。それは、さながら、あの世の使者の声に聞えた。
「……お、俺達をどうするつもりだよ?」
鉄平が勇気を振り絞って質問した。
「うるせえ、大人しくしろ。騒いだら、その場で殺すからな」
5人は引きずられるようにして地下室から出され、上の階に連れ出された。


何がどうなっているのか、さっぱりわからないが、どうも様子が変だ。
男達はぴりぴりしており、口答え1つで何をされるかわからない雰囲気がある。
にもかかわらず、今すぐ、自分達を殺そうというつもりもないらしい。
もちろん確実に命の安全を確信できるという気もしない。
大人しく、今はただ大人しく従うしかない。
そうすれば命だけは、今の時点では大丈夫だろう。ギリギリの崖っぷち地点で。
「さっさとしろ。これから移動する、逆らったら、すぐに殺すからな」


美恵達はお互いの顔を見合わせて訝しがった。
「どうして急に移動なんて……」
「目立たない夜のうちは全く動かなかったのに、こんなに明るくなってから突然なんて、何かあるぜ」
小声で囁きあうが、理由などわからなかった。
「……きっと動かざる得ない緊急の理由ができたんだろ」
鮫島が絞り出すような苦しげな声で言った。
「緊急の理由?」
「……例えば、だ。おまえ達の仲間が……きたとか」
すぐに加奈が、「もしかしてお兄ちゃんかも!」と嬉しそうに言った。
鉄平と泰三も、「木下さんが助けに来てくれたなら、もう大丈夫だ」と、今までの暗い表情が嘘のように笑顔になった。
「……けどなあ、希望を絶つようなことは言いたくないが、特撰兵士が4人も相手じゃ……」
「大丈夫よ!だってお兄ちゃんは、その特撰兵士を2人まとめて叩きのめしたことがあるんだから!」














「……20分、か」
直人は静かに歩を進めた。
良恵!」
そして背後に向かって何か投げた。良恵が受け取ったそれは車の鍵だった。
「時間がない、この先に俺の車がある。黒の車だ、ここまで回してきてくれ」
「直人、でも……!」


「おまえが迎えに来るまでに終わらせる」


普段ははっきりとして口調で言い切った。それは良恵が気に入っている直人の長所の1つだった。
だから信じられる。良恵は無言で頷くと駆け出した。
良恵の姿が見えなくなると、直人は静かに戦闘態勢の構えをとった。


「見てのとおり、俺達は急いでいる。貴様なんかに時間を裂いている余裕は無い」


「20分で2人を倒した、と言ったな」




「ならば、俺は10分で貴様を倒してやる」




【B組:残り45人】




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