良恵から海老原達の情報をとると、隼人はすぐに基地への帰還を要求した。
やっと捜し出しただけに、二度と危険な場所には連れて行きたくなかったのだろう。
「わかった。さあ良恵、行こう」
冬樹が良恵の肩に腕を回した。
「……季秋冬樹、おまえは俺と一緒にきてもらう」
隼人があからさまに不機嫌な表情で言った。
「はあ?何を寝ぼけたこといってるんだ。愛し合っている者同士の間に割り込むなよ。
だから海軍の連中は野暮で困るぜ、なあ良恵」
「おまえは海老原達とやりあったんだろう。現場まで案内してもらう」
「おい、俺はつまんねえことには興味ないんだ、巻き込むなよ。
それに良恵を一人にできるか。俺がそばにいて守ってやる、一生」
冬樹は『一生』という単語をやけに強調して言った。
鎮魂歌―45―
「ひいい!た、助けろ、箕輪何してる!!」
宗徳は必死になってドアを叩いた。
「死ねえ!」
背後からパイプ椅子が振り下ろされ宗徳の頭部を直撃。
「ぎゃあ!!」
宗徳は流血する後頭部を押さえながら叫んだ。
「お、おまえら、こんな事してただで済むと思っているのか!お、恐れ多くも俺は総統陛下の……!」
「うるせえ!く、くたばれ。くたばれよお!!」
「ひいい!!」
宗徳が地下の一室に閉じ込められ襲われていた。
相手は正体不明のヒットマンでも恨みを晴らそうという復讐者でもない。
常に宗徳の側におり快楽を共有してきた腹心の手下どもだった。
その手下達が宗徳を殺そうとしている。
いや宗徳だけではない、自分以外の者全てを殺そうしている。実に壮絶な光景だった。
流血、悲鳴、そして人間の死体。地獄絵図としか言いようがない。
『何ちんたらしてる?さっさと勝負決めないと焼け死ぬよ』
変声機を通した無機質な声が聞こえた。
その声を聞いた途端、狂気を吹き込まれたかのように地獄絵図は凄惨さを加速させた。
なぜ、このような事態になったのか?
――それはほんの数十分前にさかのぼる。
「光子様、新しい遊び教えてくれるって本当ですか?」
「ええ、そうよ。あんたの仲間も全員集めて楽しくやりましょう」
「は、はい。そりゃもう」
兄であり厳格な上官でもある彰人の出迎えをしなくてはならないことなど宗徳はすっかり忘れていた。
「でも……」
光子は困ったように溜息をついた。
「一人だけ反対しそうな嫌な奴がいるのよ」
「そ、そいつは誰ですか?」
「ほら、あんたのお付きの箕輪って男。あいつ邪魔よね」
光子はさも箕輪に反感と嫌悪を持っているかのように表情を歪ませた。
「た、確かに、あいつは嫌な奴ですよ。役立たずのくせに」
宗徳はかなり箕輪を嫌っているようで、箕輪の悪口に異常な程の情熱をみせた。
その理由を光子はすぐに察知した。
箕輪は大変な美男子で何でもそつなくこなす男、対して宗徳は……言うまでもない。
(随分と歪んだコンプレックスね。本当に知れば知るほど器の小さい奴だわ)
だからこそ簡単に事が運べるというものだ。
「これから楽しい遊びをするのにあいつは邪魔だわ。しばらく追い出してくれない?」
箕輪には世話になった、これから起きる惨劇に巻き込むつもりはなかった。
宗徳一味に何かあればお付きの護衛官である箕輪の責任問題になる。
だが宗徳がいつものわがままで一方的に箕輪を追い払えば話は別だ。
非番中の出来事なら箕輪に類は及ばないだろうという光子なりの気遣いだった。
(これで借りは返したわよ)
箕輪が居なくなると光子は即座に行動を起こした。
宗徳達を丸め込んで地下室に閉じ込めたのだ。
鍵をかけられ電気すら消された宗徳達はパニックになった。
臆病者だけに光子の予想をはるかに越える短い時間で理性を無くした。
『静かにしろ』
機械のような声が聞えた。
それは変声機を通した光子のものだが口調が違うこともあって誰も光子だとは気付かない。
暗闇ということもあり異常なほど不気味な威圧感があった。
「お、おおお、まえ誰だ」
『おまえ達に恨みのある人間だ。忘れたとは言わせないぞ』
光子は復讐者を演じた。
自分達を憎んでいる人間の仕業と言えば恐怖が倍増するからだ。
『おまえ達全員地獄に送ってやる。業火の中で自分達が今までしてきたことを後悔しながら死ね』
脅しではないという演出に光子は用意しておいた発火物を使い煙を発生させた。
焼き殺されると信じ込ませるにはそれで十分。
思惑通り連中はこれ以上ない程取り乱し許しをこいだした。
それも光子の計算通りだ。
「謝ります!悔い改めます!何でもします!だから殺さないで、お願い、お願いします!!」
『本当に何でもするのか?』
「はい、命が助かるなら何でもします!」
筋書き通りの展開に光子は必死に笑いを堪えた。
『だったら一人だけ助けてやる。その一人をおまえ達に決めてもらおう』
一人だけという単語に連中は敏感に反応した。落ち着いていたのは宗徳だけだ。
(生き残るのは俺に決まっている。俺は恐れ多くも総統陛下の息子なんだ。
こいつら下等な身分の蛆虫どもとは違うんだ。こいつらだってそれくらいわかってる)
宗徳は愚かにも普段取り巻き達がご機嫌取りの為に並べ立てていた忠誠の言葉を本気にしていたのだ。
『この国にはプログラムがある。それをおまえ達でやれ。最後の一人が決まったら鍵を外してやる』
プログラム!悪名高き恐怖の椅子取りゲーム、宗徳以外のゴミ達は顔面蒼白になった。
『さあ、さっさとやれ』
「聞いただろ。早くやれよ」
宗徳はいつも自分にへらへらしている取り巻き達の殺気に気付かず殺し合いを促した。
「何してる、早くしないと俺まで焼け死ぬじゃないか!
お、おまえらいつも俺の為なら何でもするって言ってるだろう、早く死ね!」
「誰がおまえなんかの為に死ぬかあ!」
「そうだ、おまえから死ねよ!」
「へ?な、何言ってるんだ、俺は恐れ多くも総統陛下の……」
「うるせえ!!」
取り巻き達は一斉に本性を現した。そして数十秒後には部屋中血まみれになった。
「言い掛かりをつけて、しばらく謹慎してろなんて、本当にあのお下劣メタボには頭にくるよ。な、箕輪さん」
箕輪は走行中の車の中にいた。
「胡桃沢、俺は、どんな理由だろうがあいつからしばらく解放されるは正直嬉しいくらいだ」
「あはは、確かにそれはあるよなあ。あいつ見てるだけでムカつくし。
でも、だったら何でそんな苦虫潰したような顔してるんすか?」
箕輪は答えたくないのか、ふいと顔をそらすと窓の外を見つめ出した。
胡桃沢もそれ以上は追求しなかった。
箕輪は幼い頃から宗徳に仕える事を強要されてきた。
おかげで捻くれもしたが、それなりにしたたかでいやらしい処世術も身につけることができた。
そうならなければ精神的にもたなかった。
だから箕輪は自然と自ら係わる人間を無意識のうちに選択してしまう癖がある。
情けよりも、もっと具体的で生々しいものを時として優先させてしまうのだ。
最初に光子に救いの手を差し延べたのは半分は同情もう半分は宗徳への反感からだった。
次に光子に助け船を出したのも似たような気持ちだった。
だが光子が宗徳達に危害を加えているのを見て見ぬふりをしていたのは情でも反感でもない。
宗徳よりも光子についた方が利益があると本能で感じとったからだ。
にもかかわらず箕輪はすっきりしない気分だった。
本能で宗徳の排除を望んでいながら理性が警告を発しているからだった。
(……あのクズがこの世から消えても俺に自由は来ない。少なくても成人するまで……。
今あいつが死んでも俺には別の地獄が待っているだけだ)
「胡桃沢引き返せ」
「え、なんでですか?」
「引き返せ」
箕輪はそれ以上は貝のように口をつぐみ何も言わなかった。
(相変わらず取っ付きにくくて何考えてんのかわっかんない人だなあ。
ま、いいや。どんな人でも俺の命の恩人にはかわりないもんな)
胡桃沢怜(くるみざわ・さとし)は山梨県で行われたプログラム優勝者だった。
プログラム直後に事件を起こし第5級国家反逆罪に問われそうになった。
その胡桃沢を助けてくれたのが箕輪だった。
それ以来部下として仕えているが、それも胡桃沢が有能な人材として素質があったからで
同情だけで助けてやったわけではない。
そういう意味で箕輪はシビアで計算高い人間なのだ。
「彰人殿下、おはようございます」
彰人が僅かな共を連れて来訪したのは光子式ミニプログラムが開始されて、ほんの数十分経過した時だった。
「むさ苦しい所なので何のもてなしもできませんが」
「かまわん。私はちやほやされる為にこんな場所に来たわけではない。
たまには現場の様子を見聞するのも帝王学の一環だと深水が奨めてくれたからだ」
彰人は出迎えてくれた士官達に自慢の秘書をさりげなく紹介した。
「和田さん、あれ誰ですか?殿下にあんな側近がいるなんて初耳ですよ」
勇二の部下達は興味津々でこっそり質問してきた。
サングラスで目元は隠しているが顔形は恐ろしいほど整っており、かなりの美形だと容易に想像できる。
加えて長身でしかもモデル体型ときては立っているだけでも様になるというものだ。
さらに付け加えれば髪も腰まであるさらさらの長髪で、それを首の後ろで束ねてある。
着用しているものは目立たない黒のスーツにも拘わらず、とにかく目を引く男。
部下達が興味を持つのも仕方ないが勇二は内心面白くなかった。
おそらくは大嫌いな高尾晃司と同じ髪形が気に入らないのだろう。
「俺も詳しいことは知らねえよ。うるせえから黙ってろ」
「ところで温水少佐、あの馬鹿の姿が見えないようだが」
彰人は仮にも弟である宗徳を馬鹿と呼んだ。
それほどまでに宗徳に対する嫌悪感は大きく根深いのだろう。
「そ、それがその……殿下は体調を崩して」
温水はしどろもどろに答えた。
誰の目から見てもその場しのぎの言い訳なのはすぐにわかるほど出来の悪い物言いだ。
「あの馬鹿は私の出迎えはしたくないというわけか」
「め、滅相もない!」
彰人と宗徳の険悪な関係を考えれば、故意に出迎えをすっぽかしたと思われても仕方ない。
光子に騙された宗徳が彰人の事を忘れていただけだ。
だが上下関係の厳しい軍においては、そんな言い訳通用しない。
哀れなのは責任者の温水だろう。発汗量が増加の一途を辿っている。
「お、お待ちを。すぐに宗徳殿下をお呼び致しますので」
温水は部下に宗徳を連れてくるように命令。その様子を光子は一部始終見ていた。
「殿下ー、どこにいらっしゃるですか?!」
地下室で流血沙汰の真っ最中の宗徳に、その声が聞こえるわけがない。
「おい、いたか?」
「いや、こっちにはいないぜ。たく、どこに行ったんだよ」
くまなく捜したが宗徳はおろか、その取り巻きすら見付からない。
ついに敷地内の外れにある廃屋にきた時だった。
「ぎゃー!!や、やめろ、やめろ!俺の命令がきけないのかあ!!」
「な、何だ、あの声は!」
「殿下の声じゃないのか?行ってみよう」
兵士達は廃屋の中になだれ込んだ。
「こ、こここんなことしてただで済むと思っているのか!」
悲鳴は尚も続いていた。
「地下室からだ」
「行くぞ」
全員地下への階段を駆け降りる。
「あの部屋だ。見ろ、少しだけ扉が開いている」
兵士達は扉を押し広げ、恐ろしい光景をみてしまった。
床を染めている流血、おぞましい死臭、そして殺し合いに興じている獣ども。
それはまさに地獄絵図であり、その中心に泣き叫ぶ宗徳がいた。
「で、殿下!!」
殺人鬼と化していたゴミどもは第三者の声にはっとして全員戸口の方を見た。
「な、何を……なさって……お、おい、すぐに無線で少佐に連絡を……」
「あ、ああ……」
宗徳は血まみれの姿で呆然どなっていたが、ようやく事態を飲み込めたのかわめき散らし出した。
「こ、こここ殺せ!!こいつら全員八つ裂きにしろよお!!
恐れ多くも総統陛下の息子の俺を殺そうとしたんだぞ!は、早くぶち殺せえ!!」
「な、なんだと、てめえだって殺そうとしやがったじゃないか!」
「そうだ、元はと言えば、おまえが大勢の人間を玩具にしたからこうなったんじゃないか!」
「う、うるさい、うるさい!黙れ、黙れ!おまえらだって楽しんでたくせに!!」
それはあまりにも醜くく低レベルな責任のなすり合いだった。
やじ馬がどんどん増加していったが悪口雑言の嵐は止まらない。
呆気に取られていたやじ馬達だったが、突然、慌てて道をあけだした。
その動きにすら気付かず宗徳がさらに声のボリュームを上げようと大きく息を吸い込んだ時だった。
「何の騒ぎだ!!」
聞き覚えのある声に宗徳は顔面蒼白になって恐る恐る振り向いた。
「で……殿下?」
宗徳がもっとも苦手とする人間が鬼のような形相で立っていた。
「これは一体どういう事だ!」
彰人の目は血走っており、にぎりしめられた拳はわなわなと奮えていた。
宗徳でさえ、これほど怒りに満ちた彰人を見たのは初めてだ。
「そ、その……あ、暗殺されそうになって……そ、そう!閉じ込められたんですよ!」
彰人はジロリと温水の部下達に視線を移した。
「自分達が発見した時は扉は僅かですが開いていました」
「な、何だと、嘘をつくな!」
「……あれは何だ?」
彰人は排泄物を見るような目で部屋の隅を指差した。
「げえ!あ、あれは!!」
宗徳お気に入りの性具や拷問器具がずらりと陳列されていた。
宗徳が取り巻きとの口論で暴露した婦女暴行や監禁致死などの犯罪行為は彰人にもばっちり聞こえていた。
その物的証拠を前に低悩な宗徳もさすがに自分の置かれている立場を理解したのだ。
「ち、違うんです。あれは……その!」
「この恥晒しめ!」
彰人は感情のままに宗徳を殴っていた。
「よくも皇(すめらぎ)家に泥を塗ってくれたな!先祖の名を汚しおって、こんな醜聞は家門始まって以来だ!!
仮にも総統の息子が醜悪で猟奇的な遊びに熱中した揚句に最後は仲間割れで殺人事件まで犯すとは!!」
「ち、違います殿下!そ、その……こいつらです!全部こいつらがやった事です、俺は関係ありません!」
「黙れ、もう我慢ならん!温水少佐!」
「は、はい殿下」
「すぐに、こやつら全員処刑しろ!!」
これには、その場にいる全員が驚いた。
(ただ二人だけ涼しい表情をしている者がいた。一人はもちろん光子だ、もう一人は彰人の秘書官・深水だった)
赦しがたい下種だが総統の血筋に連なる人間。
それも腹違いとはいえ実の弟を裁判にすらかけず極刑をもって断罪するというのだ。
「殿下、それは後々厄介なことになりかねません」
温水は忠告したが、彰人の怒りは鎮まらない。
「かまわん、全責任は私がとる。
私の決定に不服がある者がいれば事が終わり次第軍務省に告発するがいい。
この蛆虫を消す為なら喜んで法廷に立ってやる!」
冗談でも脅しでもないことは誰の目にも明らかだった。
もはや彰人に異議を申したてる者など一人もいない。
誰もが驚きこそすれ、このゴミどもに同情など一切してないのだ。
(ふふ期待以上の展開ね。ゆっくり処刑見物でもさせていただこうかしら)
ざわめくギャラリーの中、光子だけがほくそ笑んでいた。
そんな光子の様子に気付いていた人間が一人だけいた。
(あの女、笑っている)
俯き目立たないようにやじ馬の一番後ろにいた光子に深水だけは気付いたのだ。
「さっさと始めろ!」
彰人の執行命令に宗徳は半狂乱になった。
「殿下!お、お願いです。助けて下さい!!血をわけた兄弟じゃないですかあ!
そんなに俺が嫌いなんですか?!娼婦から生まれたのは俺の罪じゃないのにー!」
周囲からまたざわめきが起きた。
「おい、やっぱりあの噂は本当だったんだな」
「ああ、まさかとは思ったけど総統陛下が娼婦に子供まで生ませるなんて」
公然の秘密とはいえ、総統一族が決して認めなかったゴシップを当の本人が暴露した。
彰人の怒りが、さらに倍増されたのは言うまでもない。
「勘違いするな!私が嫌っているのは貴様の出自ではなく人間性だ!
温水これ以上恥を曝すなど一秒足りとも堪えられん、やれ!!」
「そんなあ!へ、陛下……父上、だ、だじげで~!!」
宗徳達は屋外に引きずり出された。
「その心配は無い」
隼人が目配せした視線の先から数台の軍用車が走ってきた。
海兵隊、それも隼人直属の部下達だった。
「氷室さん、話は結城から聞きました。お怪我はありませんか?!」
「大丈夫だ。それよりも和邇、おまえは良恵を連れて基地に戻ってくれ」
良恵の事は隼人の部下達も知っていた。
「よかった、ご無事だったんですね。あ、こいつらですね、良恵さんをさらったっていう連中は!」
海兵隊達は一斉に桐山と川田(おまけに冬樹にまで)銃を向けた。
「おい、勘違いするな!俺は良恵の恋人だ!」
「俺の指示に従わなければ、本当に撃たれるぞ」
「……雑魚士官、よくも」
冬樹としては非常に不愉快だったが、ここは大人しくするしかなかった。
「頼むぞ、和邇。絶対に良恵から目を離すな。それから基地に戻ったら、すぐに徹に連絡してくれ」
「はい、これで国防省と海軍の問題も片付きますね。佐伯大尉も、もう無茶な要求は取り下げるでしょう」
「無茶な要求……隼人、徹が何かしたの?」
「……おまえは知る必要ない、もう全て片付いた。だから気にするな。
それよりも、すぐに基地に行け。基地には直人がいる、おまえを保護して守ってくれるだろう」
「でも隼人、あなた達だけで行くなんて危険よ。海老原たちも特撰兵士なのよ」
「気にするな。おまえに何かあったら、俺はその方が怖い」
良恵は出来るなら隼人から離れたくなかった。
隼人は強いが、相手だって仮にも特撰兵士。数の上では勝っている。
しかも、どんな卑怯なこともいとわない連中なのだ。
かといって、自分が付いて行っても役に立てない。足手まといになるだけだ。
(基地には直人がいる。直人に全てを話そう、彼なら隼人を助けてくれる)
それが良恵の出した結論だった。そうと決まれば一刻も早く基地に戻らなければ。
捨てられた子犬のような目で自分を見詰める冬樹には少々良心が痛んだが、かといって一緒にもいられない。
(ごめんなさい。でも、彼のことだもの、きっとすぐに私のことなんて忘れるわね。
きっと素敵な女の子を見つけて、その子に夢中になって、私なんて思い出すこともなくなるわ)
都合のいい考えだったが、そう願わずにはいられなかった。
そして、良恵の考えは半分当たり、半分はずれることになる――。
「さあ行くぞ季秋冬樹」
良恵を乗せた軍用車が見えなくなると、早速隼人は次の行動を開始した。
「……覚えてろよ、雑魚士官。いつか泣かせてやるからな。
それから、俺は絶対に良恵をあきらめないからな。必ず幸せな結婚して見せ付けてやる」
隼人は、「その言葉は忘れておく」とさらりと流した。
そして桐山と川田に、「名前は?」と質問した。
「川田章吾、こっちは桐山和雄だ。断っておくが桐山は大財閥の御曹司だから、あんまり手荒に扱うなよ」
「手荒になるかどうかは、おまえ達の態度次第だ。行くぞ」
4人は連れ立って歩き出した。
「見てろよ、必ず隙を見つけて良恵と愛の逃避行してやるからな」
そんな冬樹を見て、川田はこっそりと桐山に耳打ちした。
「おい桐山」
「何だ?」
「こいつ誰かに似てると思わないか?」
「誰かとは誰のことかな?俺は一度見た顔は忘れない、そう習ったんだよ」
「顔じゃなくて雰囲気というか性癖というか……。ほら苗字が同じだろ?」
「性癖?」
「女癖が悪い」
「もしかして季秋夏生に似てると川田は言いたいのかな?」
「ああ、そうだ。もしかして兄弟じゃないのか?」
「季秋冬樹、川田がおまえは女好きの季秋夏生にそっくりな女癖の悪い人間だと言っている。
季秋夏生に心当たりはないか?兄弟に女癖の悪い奴はいなかったか?」
「ば、馬鹿、桐山!なんて質問の仕方するんだ!」
これには川田も焦ったが、当の冬樹はしれっとしていた。
「季秋夏生は俺の兄貴だ」
川田は、思わず「やはり」と言ってしまった。
「俺には兄貴が8人いるが、女癖の悪いのがそろってるからなあ。
断っておくが俺は違うぜ。あんな節操のない連中とは一緒にするなよ」
川田は思った。おまえも十分同類だよ、と。
しかし、同時にこうも思った。夏生と自分達の関係を言えば、冬樹は味方になってくれるかも、と。
それが甘い考えだということを川田はすぐに知ることになる――。
「俺じゃない、俺じゃなあーい!!こいつらが全部やったごどなんだあ!!
ばれたから俺を暗殺じようとじだんだあ!!」
今まさに死刑執行という時だった。車が滑り込むように現れ中から箕輪が飛び出して来た。
「彰人殿下!」
箕輪は彰人に駆け寄ると、まず最敬礼をした。
「箕輪、おまえは今までどこにいた?」
「箕輪護衛官は宗徳殿下に謹慎を申しつけられ退去させられていたんです」
横から温水が説明した。
「箕輪ー!た、助け、助けてくれえ!!
この馬鹿どもが恐れ多くも総統陛下の息子を殺そうとした上に罪をなすりつけようとしてるんだあ!
お、おまえから殿下に言ってくれ、悪いのはあいつらで俺じゃないって!」
箕輪は無言だった。そして、この場にいる誰もが箕輪は宗徳を見捨てるだろうと思った。
箕輪が理不尽な扱いをされていることはかなり有名だったのだ。
「な、何で黙ってるんだよお!俺とおまえは兄弟同然に育った仲だろ!?
助けてくれ、な?なあ!いつも助けてくれたじゃないか、箕輪ー!!」
「いつまで、その蛆虫を生かしておく気だ!」
彰人が執行を促したので兵士達は慌てて宗徳を処刑台に縛り付けた。
「箕輪、箕輪あ!助けてくれたら何でもする!だ、だから……!」
箕輪はやはり無言だった。
(そうよ、あんたは黙ってればいいの。でもびっくりしたわよ。
巻き込まれないように遠ざけておいたのに戻ってきちゃうんだもの)
少々シナリオ通りにいかなかったとはいえ、結果は予定通りになる。
光子はそう確信していた。だが――。
「宗徳殿下のおっしゃる通りです」
(え?)
光子は愕然とした。
ほぼ完璧のはずだった光子の計画が修正不可能なほど軌道を変えようとしている。
しかも、この世でもっとも宗徳を嫌い憎んでいるはずの箕輪の手で。
(ば、馬鹿!何考えてるのよ!)
「事実か箕輪?私はおまえの責任を追求するつもりはない。正直に言え」
「事実です」
(あいつから解放される絶好のチャンスなのよ。それを棒にふるなんて!)
そう思ったのは光子だけではない。周囲の兵士達も一様に驚いている。
「このような事態になったのは私の不行き届きです。どうか私を処分して下さい」
激怒していた彰人も箕輪に驚き戸惑いだした。
「そ、そうです殿下!全部箕輪が悪いんです!
こ、こいつさえしっかりしていたらこんな事にはならなかったんです!」
意気消沈しだした彰人とは反対に宗徳は俄然調子に乗り出した。
「だ、だから罰するなら箕輪を処分して下さい!」
「おまえは黙ってろ!」
「ひい!ま、まだ俺を責めるんですか?箕輪が自分の罪を認めたのにい!!」
「殿下、これ以上はあなたはかかわるべきではありません」
困惑している彰人に深水が提言した。
「ここは私に任せて下さい」
「……わかった、おまえがそう言うなら」
彰人は深水に任せ、士官達と共に、その場を後にした。
その後、宗徳と箕輪に、どんな処分が下されたのか光子は知らない。
宗徳の取り巻き達は全員処刑されたが二人は生きている。
光子にとっては実に不本意な結果となった。
「何で、あいつを庇ったのよ」
人気のない場所に箕輪を呼出した光子は詰問した。
「俺はおまえが思っているような単純な立場の人間じゃない。
あいつ一人を片付ければ自由の身になれるならとっくに俺がやっている」
光子はそれ以上何も言わなかった。いや言えなかった。
箕輪には人には言えない複雑な事情があるのだろう。
「話はそれだけだ」
箕輪はくるりと光子に背を向けると歩き出した。
「待って」
「まだ何かあるのか?」
「あんた一生あいつに仕える気なの?」
「誰が、あんなクズに……後二年だ、二十歳の誕生日がきたら俺は自由だ」
「なるほど、そういうことだったのか」
木陰から二人を見ていた人間いた。
光子はおろか敏腕護衛官の箕輪でさえ、その存在に気付いてない。
それほどまでに見事に気配を消していたのだ。
(箕輪尚之に相馬光子か、いずれこの国を動かす駒に使えるかもしれん。
名前を覚えおいて損はないだろう)
それは、彰人の秘書・深水だった。
この時、深水に目をつけられたことが後に光子と箕輪の運命を大きく変えることになるとは。
二人には知るよしもなかった。
「良恵さん、お腹はすいてないですか?眠たいなら、すぐに部屋を用意させますよ」
「ありがとう和邇君、本当によくしてくれて」
「そんな、氷室さんの大切な方なんですから当然ですよ」
隼人は本当に部下達に慕われていると良恵は思った。
まるで自分の事のように良恵は嬉しかった。
「私はもう大丈夫、だから自分達の仕事に戻って」
「でも」
「本当に大丈夫よ、まさか軍施設の中でさらわれたりしないわ」
「確かにそうですね。じゃあお言葉に甘えて」
和邇達は一礼すると、その場を後にした。
良恵は和邇達の姿が見えなくなると直人がいるという作戦指令室に向かった。
「直人がいる部屋はどこかしら?」
廊下の壁に掲げられている見取り図を見ていた時だった。
背後から腕が伸びてきて、良恵の肩の真上を通過し、バンと勢いよく壁に手をついた。
突然の事に良恵はびくっと全身で反応した。
(誰?……いえ、この感じを私は知っている)
良恵が必死になって忘れようとした過去の心の古傷がじわじわと痛みだした。
「こんな所で再会するとは思わなかったよ」
それはとても美しく官能的で、そして恐ろしいほど冷たい声だった。
今すぐに逃げ出したいのに体が硬直して動かない。
「震えているのかい。可愛いね」
背後から抱きしめられて、良恵の心臓は大きく跳ねた。
「いや!!」
振りほどこうともがくと、。予告もなしに体の向きを変えられ壁に押し付けられた。
背中に僅かに走る痛み。
そして目の前には美しい悪魔が立っていた。
目を開けているのに終わらない悪夢だ。
「……水島、克巳」
「久しぶりだね。会いたかったよ、ハニー」
【B組:残り45人】
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