「ええっ貴子ちゃん?!」

突然の貴子の参戦に驚いたのは佐竹だけではない。
今しがた声をあげた月岡も、三村も七原も沼井も同じだった。
だが一番驚きを隠せなかったのは良樹だ。


「……貴子さん?」

なぜ?どうして貴子がこんな危険なゲームに緊急参加してるのか?
そんな疑問がエンドレス状態で頭を過ぎった。だが、それもほんの数秒間の事だ。
「湊!」
佐竹の呼び掛けに対して、あのノッポの声が飛んで来た。
「俺は大丈夫です。女性の方も俺に任せて下さい!」

貴子がやばい!

良樹は凄まじい勢いで走り出していた。




鎮魂歌―43―




『あのゴミの取り巻きに嫌な男がいたわね。手始めにあいつを地獄に送ってやるわ』

箕輪は朝日を見つめながら光子の言葉を思い出し苦笑していた。
「……ふん。たかが小娘の戯れ事じゃないか」


――尚之、おまえは何を期待している?


箕輪は苦笑しながら、朝焼けの空を見詰めていた。
やがて、空は緋色から、清々しい蒼に変化していった。









「何よ。ほとんど捕まってるんじゃない」
光子は溜息をついた。
(でも美恵はまだ捕まってないわ、不幸中の幸いね。きっと桐山君と一緒なんだわ。
それならとりあえずは安心ね。彼、あんなだけどこういう時は頼りになるもの)
光子の推測は半分当たり半分はずれていた。
「……う」
ゴミこと宗徳がむくりと起きかけた。
「うざいわね」
光子は再びスタンガンを押し当てた。
「ぎゃああ!!」
宗徳はビリビリダンスを披露すると、すぐにまた眠りに入った。


「さて……と。そろそろ、あいつらに特別プレゼントをくれてやろうかしら」
光子は宗徳ご自慢のコレクションに目を通した。
「あら、これ」
小さな薬瓶が目についた。説明書を読んだ光子はほくそ笑んだ。
「思った通りいいもの持ってるじゃない」
宗徳は正真正銘の真性サド、だからプレイ道具以外に、拷問道具も所持していると光子は考えた。
結論からいえば光子の期待以上の物があった。
「一差しでたちまち悶絶する毒薬。本当にいい趣味してるわ、こいつ」
白目をむいて仰向けになっている宗徳を蹴っ飛ばすと光子は高笑いしながら部屋を後にした。




「あら」
廊下にでて少し歩くとばったりと箕輪と出会った。箕輪はあからさまに眉をひそめた。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
「……」
箕輪は無言でふいと光子から目をそらすと、すたすたと歩き出した。
「あ、ちょっと待ちなさいよ。聞きたいことがあるのよ」
しかし箕輪は止まらない。
気が乗らなければ無視、箕輪はそんな妙な性格の持ち主だった。


「田口っていったわよね、あのゴミのお気に入りは。
あいつと特に親しい奴が誰なのか教えてくれない?」
箕輪が停止した。突然だったので光子は箕輪の背中に衝突した。
「急に止まらないでよ」
「おまえ何考えてる?」
箕輪は振り向きもせずに質問してきた。
「いいから教えてよ」


(何なんだ、この女は……こんな意味不明な女は見たことがない)


「林だ。あいつのそばに長髪がいただろ」
「ふーん」
「いつもくだらない遊びはあの二匹が考えている。
趣味がピッタリだから三年以上も友人関係を維持できるんだろ」
「友人ですって?」
光子は口元を押さえて笑った。
「あんなゴミに友情なんか存在するものですか。それよりこれ何かわかる?」
光子が取出した瓶を見て箕輪はあからさまに眉を潜めた。
宗徳お気に入りの拷問用毒薬。宗徳はそれを使い今まで数え切れない男を苦しめ楽しんできたのだ。
実行犯はたいてい田口と林だ。あの二匹も宗徳と同レベルのSだった。


「これ使って他人を苦しめてきたゴミが今度は自分が同じ目にあうのよ」

(……この女、田口に危害加えるつもりか。
あんなゴミどうなろうが知ったことじゃないが、すぐにばれて即監獄入りになるぞ。
先のことは考えていないようだな。ただの小娘だったのか)

箕輪は複雑な気分だった。
期待していたわけじゃないのに、がっかりしている自分がいた。

その数十分後、事件は起きた。









「ぎゃああ!」
牛蛙でも出さないような凄い悲鳴だった。
何事かと悲鳴を聞き付けた者は一人残らず駆け付けた。
「ひっ、ひぎゃあ!痛い、痛いよお!!」
林が泣き叫びながら両手で急所を押さえ床を転げ回っている。
「た、たずげで!」
本人は必死だが鼻水を垂れ流しながら不様にのたうちまわる姿は実に滑稽だった。
これが罪のない一般市民ならば、周囲の人間は慌てて救助するだろう。
だが生憎と林は同情されるような人格の持ち主ではなかった。


「あははは、それじゃあもう、そこは使いものにならねえな!」
最初に声を上げたのは勇二の配下の少年兵士達だった。
笑いはすぐに他の者達にも感染し、林はさらし者となりワンマンショーの主演男優となったのだ。
一足遅れ駆け付けた仲間達からまで抱腹絶倒される始末。
特に田口の受けようは大変なものだった。
「ひーひひひ!は、林、おまっ……おまえ、何してるんだよ!!
ぎゃーははははは!!あー、おもしれええ!!」









「ズボンのポケットに毒針が仕込まれてた?」
「はい使用された毒は大きな声では言えませんが殿下やその取り巻きが所持しているものです。
林が起床して着替えたらあの有様というわけです。
部屋には鍵もかかってなかったですし誰にでも犯行のチャンスはあります。
林は命に別状はありませんでしたが不能になったとか」
事件の報告を受けた箕輪は即座に光子だと思った。林は田口と同室なのだ。


(あの女、標的を間違えたな。何が手始めに田口を地獄に送ってやるだ。
こんな些細なミスを犯すような人間に何ができる?)


だが、箕輪は光子の恐ろしさをすぐに知ることとなった。
兵士が慌てて部屋に飛び込んできたのだ。
「た、大変です!殿下の学友の田口が刺殺されました!」


(まさか、あの女!)


最初、箕輪は光子がやったと一瞬思った。
標的を間違えた光子が、確実に田口をやるためにやったのだと。
「犯人を現行犯で捕えてます」
箕輪はすぐに現場に急行した。




「ぼ、僕が悪いんじゃない!こ、こいつが全部悪いんだあ!!」
返り血を浴びた林が半狂乱になって喚き散らしていた。
(どういう事だ?)
箕輪は少々混乱した、光子ではなく林が犯人だった。
「今まで散々僕をこき使っておいて裏切ったこいつが悪いんだ!
僕を笑い者にさた揚句不能にしやがって、殺されて当然だあ!!」
兵士達に引きずられてゆく林を見て箕輪は内心ホッとした。
田口と林が消えた以上、宗徳のご乱行をお膳立てする人間は消えた。
暫くは平和を維持できる。反面、腑に落ちない思いもあった。


(あの女は田口を狙っていた。だがやられたのは林、その林が田口を殺した)


「ね、あたしの言った通りでしょう。ゴミどもに友情なんか存在しない」

光子が背後に立っていた。その顔はしてやったりという満足感に満ちていた。
(……そういうことか)
箕輪は事件の真相をある程度推測できた。


「林に何を吹き込んだ?」
「あら何も、あんなのと会話したくないもの」


あっさりと否定した光子だったが、直後に「ただ」と続けた。
「ちょっと雑談しただけよ」
光子は先日仲良くなった陸軍の兵士達(勇二の配下の少年達だ)の会話の輪に入っていた。
もちろん林がいない所でね、と光子は付け加えたが、箕輪は素直に信じてなどない。
光子は間違いなく林が近くにいる時に、その雑談とやらをしたのだろう。
そして結論から言えば箕輪は正しかった。


「あたしは一言いっただけよ」

「そういえば、田口って奴が林の荷物に何かいれてたのを見たわよ、ってね」


林の悲劇を一番笑い飛ばしていたのは田口だった。
林は田口の悪質な悪戯だと思いカッとなってナイフを持ち出したのだろう。

光子は最後にこう言った。

「あたし、普通の女の子じゃないわよ。これで、あたしのこと信じてもらえてかしら?」














「動くな!」
川田は慌てて銃を構えた。その構えは素人離れしており威嚇には十分過ぎるほど効果があった。
だが銃口を向けられた程度では特選兵士を封じることなどできはしない。
キラリと何かが光り、それが一直線に川田に飛んできた。

「川田、ナイフだ。頭を下げろ!」

桐山が珍しく忠告を発してくれた。有り難いが人間、そんなすぐに動作の切り替えはできない。
川田は思わずバランスを崩し背後に傾き、そのまま尻餅をついた。
さらに手にしていた銃にナイフが激突。
その衝撃で銃は川田の手から離れ地面を滑っていった。


「俺を倒したかったら二人掛かりでこい」

隼人は挑発するように言った。

「必要ない」


桐山の蹴りが隼人の喉元目掛け急上昇した。
隼人は上半身を後ろに傾けるとクルッと回転して蹴りをかわす。
そのままの体勢で地面に手をつくと倒立の姿勢から一気に桐山の頭部目掛けて左足を振り下ろしてきた。
隼人の守勢から攻勢へ転じる時間があまりにも短かかった為、桐山は珍しく焦りテンポを崩した。
咄嗟に重心を右に傾け、かろうじて避けたもののバランスを大きく崩した。
それを待っていたかのように、隼人は両腕をいったん曲げ今度は地面を突き放すかのように力強く伸ばした。
その勢いでジャンプ。空中で回転をかけ、その遠心力から蹴りを繰り出した。
体勢を崩していた桐山はまともに蹴りをくらった。


「桐山!!」


川田の目の前でB組最強の男が凄まじい摩擦を伴いながら地面を滑った。
(何て奴だ。あんな無茶な体勢から自由自在に攻撃を仕掛けてくるなんて!)
感心している場合ではない。桐山を助勢しなければ!
川田は傍にあった看板を持ち上げると隼人に襲い掛かった。
(スピードも技も到底かなわない。だがパワーとガタイなら滑稽が上。
一撃でもくらわせたらでかいダメージを与えられる)
仮に除けられたとしても、その守勢に転じた隙をついて桐山が攻撃できる。
川田はそう考えた。だが、振り下ろした看板を隼人は除けなかった。


(なぜ除けようとしない!?)
看板がメキッと嫌な音をたて、穴がぽっかり空いた。
その瞬間、穴から拳が突き出し川田の胸を強打、あまりのダメージに川田はガクッとその場に膝をついた。
かと思いきや今度は体が浮き上がった。

(な、何だと!)

隼人が川田の後ろ襟首を掴んでいた。
まるで子猫でも扱うかのように軽々と川田の巨体を持ち上げたのだ。
川田は即座にパワーでは自分の方が勝っているという考えを捨てた。
人間なんて外見で判断できない。
優男の桐山を見て十分わかっていたはずなのに!
川田は自分の判断ミスを悔いたが、後悔先に立たず。
ヘビー級ボクサー並の川田の体は見事に空中を飛んでいた。
電柱にまともにぶつかり落下。川田はそのまま動かなくなった。




「同じ目にあいたくなかったら今すぐ降伏しろ。命までは取る気はない。
おまえには黙秘権がある。おまえには弁護士を呼ぶ権利がある。
未成年で全科もなければ、大した罪にはならないだろう。逆らわなければ悪いようにはしない」
隼人は桐山に譲歩を要求したが、もちろん桐山が素直に受けいれるわけがない。
「おまえが鈴原を連れ去ったのか?」
鈴原?」
「結城司の診療所から拉致された。おまえがやったのか?」
「いや違う。捕えたという報告も受けていない」


(政府の人間以外に鈴原達を拉致する人間はいない。だが、この男は知らないと言った。
嘘を言う理由などない、本当の事だろう。
やはり今すぐに事を公けに出来ない事情を持つ連中にさらわれたと言うことか。
まだ連行はされない、今なら助け出せる)

(こいつらの仲間を拉致したのは間違いなく海老原達だな。
指名手配されている人間を捕えておきながら報告しないとは、出来ない理由があるんだろう)


考えられることは良恵の事だった。結城司の話がそれを裏付けている。
良恵に二度と手を出さないという契約を海老原は破った。
それを今目の前にいる男の仲間に知られたのだろう。
(……その女、危険だな)
海老原たちがそのまま国母省に引き渡すわけにはいかない。
かと言って見逃すわけがない。残る可能性は一つしかなかった。




「一つだけ確認しておきたい。良恵を……女をさらって強奪した軍用ヘリコプターで逃亡したのはおまえか?」
「そうだ」
桐山はあっさりと認めた。
「そうか、だったら、おまえが彼女を失う事になっても、それは自業自得だ。
俺は同情する羽目にならなくて済む」
桐山の無表情な顔が僅かに引き攣った。
「どういうことだ」
「おまえの仲間をさらった人間に心当たりがある。お世辞にもご立派な人格とはいえない連中だ。
おそらく、その女は奴らにとってまずい事を知ってしまった。生かしたまま連行することはまずないと思え」

――桐山の中で何か大きなものが音を立てて崩れ落ちた。














「ち、千草さん……」
国信は尻餅をついてがくがくと震えていた。
すぐ目の前には腕から流血している乃木が立っている。
「乃木っていったわよね。さあ、これ以上弾をくらいたくなかったら、さっさと降伏するのよ」
「な、何を……何を言ってるんだ千草さん!」
国信は酷いショックを受け叫んでいた。
「き、君は人を……人を撃ったんだぞ!」
「その為のゲームでしょ。あんた宗方の言ったこともう忘れたの?」
「だって、これは訓練じゃないか!」
「呆れた。その訓練であんた死にそうになったんじゃない」


確かに国信は何時も三途の川を渡りかけた。良樹達が助けてくれなかったか死んでいたかもしれない。
だが死の恐怖を味わいこそすれ実際に死にかけるのとでは天と地ほど差がある。
国信はあくまで訓練なのだから実際に殺し合うなんてありえないと心の底で思っている。
そんな時に同級生が、それも女の子が発砲したのだ。
良樹達だって銃を使ったが、命をとるためじゃない。
銃はあくまで相手の動きを封じるためだけに使用する、最初にそう話し合った。


「宗方は本気で殺しにかかれと言ったわよ」
「そ、それは方便だろ?」
「全然わかってないわね。あたし達素人じゃ、そのくらいやってやっと互角なのよ。
手を抜く余裕が、いえ資格があると思ってるの?だとしたら自惚れもいいところだわ。そうでしょう?」
貴子の最後の一言は国信ではなく乃木に向けられたものだった。
「ええ、そうですね。あなたの言う通りです。でも一つだけわからない事がある。質問していいかな?」
「いいなさいよ」
「どうして俺の一番苦手な死角がわかったんですか?」









「あの女なかなか言うじゃねえか。兄貴が気に入るだけのことはある」
モニターを通して貴子を見ていた冬也は感心していた。
「だが乃木の言う通り、なぜ乃木の弱点を知っていたのか不思議だ……なあ兄貴」
冬也は意味ありげに夏樹に視線を投げた。夏樹はしれっとこう言った。
「ただのハンデだ」
「ふん、兄貴も相当いい性格してるぜ。まあ、その方が面白い」









「……夏樹さんが教えた?」
乃木はさすがに驚いたが同時にあの人ならやりかねないと納得もしていた。
「だったら俺も容赦なくやらせてもらいますよ」
「望むところよ」
貴子は銃を構えた。乃木はかなりの長身で体型を生かした接近戦が得意。
逆にいえば距離をとられると、その長身があだとなる。大きい的は当たりやすい。


「今のうちよ。さあ早く逃げなさいよ」
「あ、ああ」
国信は猛ダッシュした。当然乃木は追い掛けようとするが貴子がそれを許さない。
「あたしは言ったわよ、容赦なく撃つって!」
貴子は発砲した、狙ったのは乃木の左足だ。乃木は左足にやや重心をく癖がある。
そのため咄嗟に動く時無意識のうちに右足から動くのだ。
ワンテンポ動作が遅れる左足は格好の的になる。
かろうじて避けたものの乃木は下手に動けなくなった。
(夏樹さん、こんな癖までを見抜くなんてさすがです。でも俺負けませんよ)
乃木は小石を拾うと素早く投げた。小石は貴子はを大きく逸れ、はるか彼方に消えた。
直後、微かに悲鳴が聞こえた。国信の声だ。


「ちょっと酷ですけど足止めしましたから」
「あんた、国信に何したのよ!」
「眠ってもらっただけですよ」
「あんな小石が当たったくらいで気絶するなんて……」
ありえない、そう反論しようとした貴子だったが止めた。
そうだ、こいつら普通じゃなかった。自信満々の乃木を前に反論するなんて無駄なだけだ。
「女性相手に手荒な事はしたくないので勝負は早目につけさせてもらいますよ」









「おっと、おまえの相手はこの俺だ」
良樹の前に佐竹が回りこんできた。
(何てスピードなんだ。しかも、あれだけ動き回って息切れ一つしないなんて。体力もすごい)
貴子がこの場にいる。貴子を守らなければならない。
そんな思いで走り出した良樹だったが、佐竹に簡単に前を塞がれた。
「どけよ、女の子は守ってやるもんだって誰かに教えてもらわなかったのかよ?」
「俺は宗方たちと違ってフェミニストじゃない。知るかよ」
佐竹はどうあっても通してくれそうもない。
「うるさい、俺はフェミニストなんだ、そこをどけ!!」
良樹は強烈な蹴りを繰り出した。
佐竹の顔面に直撃寸前で停止、直後佐竹の腹部に蹴りが炸裂された。


(フェイント!こんなガキが二段蹴り?!)
これには佐竹は多少驚いたようだが、佐竹も格闘技くらい習得している。
掌を腹部の前に突き出し直撃からボディを守った。
(このガキ……銃だけじゃなく格闘技まで素人ってわけじゃない)
かといってプロでもない。
「なんなんだ、おまえは!」
佐竹の腕が急激に伸び、良樹の手首をつかみ引き寄せた。
(あ、合気道?)
乃木のように特別体格に恵まれているわけではない佐竹が得意とするのは合気道だった。
手首がひねられ、良樹の体もそれに連動してくるっと回転した。
地面に叩きつけらた良樹に佐竹は叫ぶように言った。

「戦場で女に気をとられてんじゃねえ、だからてめえはガキなんだよ!!」














良恵、こんな性急にチェックアウトすることなかったろ」
「何度も言った通りあなたが私についてくることなかったのよ。助けてくれた事にはすごく感謝してる。
もう十分よ。これ以上迷惑かけるわけにはいかないわ」
良恵は夜も明けないうちから行動を起こしていた。
冬樹がもう心配ないと断言してくれたにもかかわらず鮫島のことが心配だったこともある。
海老原達の軍紀違反を陸軍に報告してやりたかったのも事実だ。
そして(助けてもらっておいて何だが)たとえ一晩でも冬樹とホテルで過ごすなんて正直たまらなく怖かった。
隙をみて置き手紙を残しホテルの部屋を後にした。
ところがエレベーターが一階で止まり扉が開くと、そこには冬樹が立っていたのだ。
もう、いっそ笑い出したくなるくらいだった。


良恵、黙り込んで何を考えてる?」
「何でもないわ」
冬樹はいつでもどこでもお気楽モードで羨ましいくらいだった。
夜が明ける前、やけに騒がしかった。その理由は火事による全焼騒ぎがあったからだ。
その現場が例の結城の診療所だと知り、良恵は嫌な胸騒ぎがした。
(偶然かしら?それとも海老原達が……)
もしも後者なら鮫島が拘わっている可能性が高い。
何より瞬を知っている少女・美恵のことが気になった。
自分を拉致した連中の仲間とはいえ憎めない。こんな出会いをしたというのに好意すら感じるくらいだ。


「……冬樹君?」
冬樹が突然立ち止まった。
おまけに顔つきが今までのおちゃらけたものではなく真剣そのものになっている。
「どうしたの?」
「……」
「冬樹君!」
良恵が口調を強めると冬樹ははっとした。


「何かあったの?」
「……いや全然!こっちの道を行こう!」
冬樹は良恵の手を取ると強引に歩き出した。
「どうしたの、この道を選んだのはあなたじゃない」
「俺が天才だってこともう忘れたのか?」
「返事になってないわ!」
良恵は冬樹の手を振りほどいた。
「……理由は言えない。ただ俺の直感が危険を察知したんだ」
「私に知られると都合の悪いことなの?」


「ああ、そうだ!言えるわけないだろ、海軍の雑魚士官の声が聞こえたなんて!」

(何を言ってんだ。そんなわけあるはずないだろ。俺がおまえに隠し事するなんて絶対にないって)


「……冬樹君、本音と建前が逆になってるわよ」
「し、しまった!!」
妙な所でぼろをだす冬樹に呆れながらも、良恵は海軍の雑魚士官が誰なのか推理した。
普通雑魚呼ばわりされるのは無能や下っ端。
だが、この冬樹という男は特選兵士の周藤晶ですら三下呼ばわりする人間。
まともに受けとらないほうがいい。
海軍士官で良恵に会わせたくないと冬樹が裂ける相手。
「徹なの、それとも俊彦?」
冬樹は涼しい表情だ。

「わかったわ、隼人ね」
「ぎくっ!」

冬樹は引き攣っ顔で「違う」と言った。
「隼人がこの先にいるのね」
良恵は走り出していた。









「こいつ!」
隼人は腕をクロスさせて桐山の蹴りを受け止めた。だが桐山のパワーを止めきれない。
(腕が軋む……!)
隼人は脚を急上昇させ桐山の脚を弾いた。
(まだ腕が痺れている。下手に意地を張っていたら骨が折れていたな。
徹が遅れをとったのも頷ける、特選兵士レベルの強さだ)
隼人は袖をまくり上げ、手首に巻いていたものを取り放り投げた。
次にズボンの裾をまくり足首にまいていたものを同じように外した。


「……重りをつけていたのか」
「こうでもしないと中途半端な強さを持った相手を殺しかねない。手加減するのは一番疲れるし難しいんだ」


「だが、おまえに手加減は必要ないことがよくわかった。今から俺の全力で倒す」
(……何て殺気だ)
桐山の額から一筋の汗が流れた。
(汗……俺が汗?)
桐山は信じられないように汗を拭った。
不良はおろかヤクザの集団と戦った時も汗なんかかかなかった。
その自分が汗をかいている。疲労したからじゃない、別の理由でだ。


「う……な、んだ?」
隼人の殺気を感知したのだろう、川田が目を覚ました。
「な、何だ?」
川田はプログラム経験者だ。殺しの渦に飲み込まれるという事を肌で覚えた。
その川田が思った。これほどの恐怖を感じたのは初めてだと。
「……逃げろ」
川田はふらふらと立ち上った。

「逃げろ桐山!」

隼人が動いた。
(早い!)
封印を解いた隼人の動きに桐山の動態視力が一瞬機能しなかった。




「隼人!!」




桐山の心臓直撃まで数センチの位置で隼人の拳が止まった。
たった一声が隼人を動きを止め、桐山を救った。
「あ、あの女は……」
川田の視線の先に隼人が捜し求めていた少女がいた。
良恵、取り込み中みたいだから俺達はお邪魔ししよう」
冬樹が良恵の肩をつかんで強引に立ち去ろうとしている。


「……良恵?」


隼人はゆっくりと振り向いた。
良恵はまだ状況が飲み込めず少し混乱していた。ただ隼人の相手を見て思い当たる事はあった。
「海老原達があの人達をさらったのね?」
「何か知っているのか?」
桐山が静かな声で静かに言った。
「もしもあいつらが犯人なら居所に心辺りがないことはないわ。まだ、あの辺りから動いてなければね」
「どこだ!」
桐山は良恵に詰め寄ろうとしたが隼人がそれを許さない。


「おまえは自分の立場がわかってないらしいな。
良恵には二度と手出しさせない。それどころか今すぐ逮捕して拘束してやる」
「その前おまえを倒す」
美恵の居場所を突き止めるための有力情報を持った人間の登場。それは自分が拉致した少女・良恵。
しかも隼人の口ぶりでは彼女をさらった事が美恵拉致の遠因になっているらしい。
皮肉な運命のめぐり合わせというより他なかった。


「おまえら、俺を無視して勝手に会話をするな!良恵、さあ行こう」
冬樹が良恵の肩を抱いて無理やり歩き出した。
「ふざけるな、良恵をどこに連れて行く!?」
「その女をこっちに渡せ、でないと貴様を殺すぞ」
「はあ?なんでそうなる、おまえら雑魚こそ、殺されたくなかったらひっこんでろ!!」


「待って、私の話を聞いて!」


「……隼人、私を助けてくれた人がいるの。冬樹君が助けてくれるって約束してくれたわ。
でも、実際に助け出されて今無事なのか、確認だけでもしておきたいの」
(……俺は葬式を出してやるっていったのに、良恵、それじゃ駄目なのか?)
まさか、今さら救助手配などしていないといえず冬樹は黙り込んだ。
「それに、彼女達もで切る事なら助けてあげたいわ。
指名手配されているけど反逆者や犯罪者とは思えないのよ。
確かに……テロリストの木下とつながりはあったけど」
「彼女の推測通りだ。俺達はただ理由もわからず政府から追われているだけだ。
その過程で木下の世話にもなったが、国家反逆行為に手を出してはいない」
川田ははっきりとして口調で言った。まだ体は多少ふらふらしているが、意識ははっきりしている。
「だからといって俺にどうしろと?おまえ達が指名手配されていることに変わりない。
俺には逮捕や報告義務がある。おまえ達が白か黒かは国防省が判断することだ、俺じゃない」


「だったら俺達を拘束でも何でもしてくれ。その代わりに1つだけ頼む」
川田は拳を握り締め手首をそろえて隼人に突き出した。
「お嬢さん達が監禁されている場所に俺達を連れて行ってくれ。お嬢さん達の無事を確認したいだけだ」
「川田、何を言っている?」
「よく考えろ桐山、この男は強い。たとえおまえさんでも、簡単に倒せない。
おまえが負ける可能性だって十分ある。
それに逃げた結城が今頃この事を軍に報告してるぞ。
その内に、こいつの配下がどっと押しかけてくる。そうなったら勝ち目なんかない。
だったら、その前に大人しくお縄になる代わりに条件を認めてもらうのが賢い取引だ」
川田の意見は筋が通ってもっともだった。
ただ一つ気になるのは隼人が、この取引を受け入れてくれるかどうかだった。


「いいだろう。だが、おまえはともかく、この男はどうなんだ?」


隼人はあっさり川田の提案を受け入れた。
川田は心配そうに桐山を見詰めた。桐山はじっと考え込んだ。
そして無言のまま、川田と同じ様に両手を隼人に突き出した。


鈴原が最優先だ。その為に必要なら俺は何でもしよう」




【B組:残り45人】




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