「逃げろ結城。ここは俺が引き受ける」


言われるまでもなく結城は踵を翻すと風のように逃げ去った。
「逃がすか!」
結城は美恵に繋がるただ一つの手掛かり、逃がすわけにはいかない。
だが、追いかけようとする桐山の前に隼人が立ちはだかった。
「あいつの身柄をくれてやるわけにはいかない」


(あいつは、良恵の居所を知るための重要な証人なんだ)


「どけ」
「断る」
「だったら――貴様を倒す」


桐山の拳が隼人の顔面に目掛けて急激なスピードで伸びた。
だが顔面にヒット直前で、桐山の拳は隼人の掌によって止められた。


「断っておくが俺はおまえが思っているより弱くはないぞ」




鎮魂歌―43―




「ぐへへ、思った通りだ。よく似合ってるぞ」
宗徳の下品な笑い声。
それにも増して品性のかけらもない低俗でいやらしい目付き。
さすがの光子も吐き気がした。
その上、こんな悪趣味なドレスが似合っているだなんて、どういうセンスをしているのか。
人間、誰でも一つくらい人並み以上の才能を持っているというが、
人をムカつかせる事に関しては、この馬鹿はずば抜けていると光子は思った。
箕輪の話ではこの汚物の玩具にされ自殺した少女は一人や二人じゃないらしい。


(まあ当然よね。こんな気色悪い生き物に犯されたら死にたくもなるわよ)


光子の中では、すでに宗徳は人間の男ですらなかった。
動物という単語すら勿体なくて使えない。

得体のしれない生き物にすぎないのだ。


(物体呼ばわりしないだけ感謝しなさいよ)

宗徳の取り巻き達も(さすがに宗徳には到底及ばないが)見るからに下劣で醜悪な集団だった。
類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
光子は今度は女の取り巻き達に視線を配った。
ちゃらちゃらした品のない服装に身を包み派手な化粧に余念がない。
光子から見たらいかにも軽薄で中身のない馬鹿女どもに過ぎなかった。


(いくら金や権力があるからって、よくこん なゴミの 愛人なんかやれるわね。
セックス どころかキスだって不可能よ。そばにだって寄りたくないわ)


宗徳や取り巻きの『ご学友』の下卑た顔を見ているだけで目眩がしそうだった。
(あたしでさえそうなんだから、あの潔癖男はたまらなかったでしょうね)
光子は心の底から箕輪に同情した。
(さてと……どうやって情報聞き出そうかしら)
揃いも揃ってIQは低そうな連中。それだけはラッキーだった。




「殿下、俺ら久しぶりにAVごっこしてみたいんですよ。やりましょうよお」
宗徳の取り巻き(その中でも格段に危ない目をした醜い奴だった)の一人が不吉な事を口走った。
「田口、いいビデオ見つけたのか?」
「へへへ、すごい最高傑作でして」
「殿下ぁ、そっち系の遊びならあたし達興味ないから下がっていい?」
田口の提案に男の取り巻き達はにたっと下品な笑みを浮かべていたが女達は違った。
表情には出してないが、明らかに引いている。
(あんな女達でさえ嫌がるなんて相当最悪なお戯れらしいわね。
あのギスギス星人、見るからに変質者だし)
田口も光子の目には人間とは映らない生き物だったようだ。
宗徳がぶよぶよな肉体なのに比べ痩せぎすなのでギスギス星人と名付けたのである。
その醜悪なゴミが 提案したお遊びが、どんな内容かは名前を聞いた だけで大体想像ついた。


(猥褻過ぎてまともな市場じゃ扱ってもらえない違法ポルノ倣うわけね。
本当にヘドがでそうな連中よ。生きてるだけで空気の無駄遣いだわ)


光子の想像通りだった。いや、それ以上かもしれない。
しかも田口は児童ポルノに異常な程はまっておりこの日を待ち望んでいたのだ。
「殿下ぁ、見て下さいよ、これ。本当なら10歳くらいの女の子がよかったんです。
でも、これを再現できるなら年齢は我慢しますからやらせて下さいよ、げへへ」


(あ、あれは……あのビデオは!!)


光子の顔色か変わった。
その違法ビデオの悪趣味なパッケージに見覚えがあったのだ。


(間違いないわ。あの糞会社のビデオ!)


光子はわなわなと震えだした。それは激しい怒りだった。
忘れもしない6年前、光子は実の母親に売られた。
はした金で最悪な鬼畜ポルノの被害者になったのだ。
一年前、光子はある大物政治家を使って復讐した。
その会社はオーナーである暴力団から末端の自称男優に致るまで逮捕された。
そして通常よりもはるかに重い刑罰をもって網走刑務所の住人になった。
だが一部警察の手を逃れ行方がわからなくなった者達がいたのだ。
警察に怯え、びくびくしながらホームレス生活でもしてるだろうと思っていたのに!
しぶとく新しい会社を立ち上げて、まだ糞ビデオを製作していたのだ。
光 子の怒りの火山は噴火寸前。




――あたしを完全に怒らせたわね。この糞野郎ども!




「すげえ出来ですよ。殿下がお好きな輪姦ものでSもバッチリはいってます。
こんな最高なビデオ製作できたのも全て殿下が融資したからですぜ」
「ゲヘゲヘ。有意義な税金の使い方してやったな」


(……こいつら、ただいたぶるだけじゃ気が済まない)


当初、光子は必要な情報さえ手に入れられればそれでいいと思っていた。
後は(もし自分に危害を加えるつもりなら)宗徳一人を始末して、さっさとトンズラすればいいと。
だが奴らは光子が心の奥底に封印していた傷を踏みにじった。
宗徳一人をどうにかするだけでは到底光子の気が収まらない。
「で、殿下!さあ早くやらせて下さいよ。ビデオ撮影の準備もバッチリ」
ヨダレを垂らしながらせがむ田口に宗徳もつられて興奮、息が荒くなっていた。




「ま、まだダメだ。こんな美人滅多にいないから、まずは俺が楽しんでからだ」
「そんなあ、じゃあ早く終わらせて下さいよ」
「わ、わかった。げへへ、女着いて来い」
いちいちどもる宗徳の口調すらも光子にはうざかったが、これはチャンスだった。
(二人きりなら簡単に殺せる)
光子もだてに夏生のそばで暮らしていたわけではない。
贅沢な生活をエンジョイする傍ら、いざという時の為に護身術を習っていたのだ。
(どうやって始末してやろうかしら?)
光子は隠し持っていた武器を取り出した。
針のように先端が尖っている金属だった。
隙をみて背後から首に一撃、貫通して一貫の終わりだ。














「撃つのよ!ほら、さっさと撃つのよ皆!!躊躇したら駄目!!」
月岡が悲鳴に近い声を上げた。
やや躊躇したものの良樹は手足ならと思い銃を構えた。
「!!」
だが腕を垂直に上げたときには、すでに銃口の先には佐竹の姿はなかった。
雨宮、上だ、おまえの真上!!」
誰かが叫んでいた。良樹は咄嗟に顔を上げた。
(いない!)


「違う、上じゃない!!真横だ、真横にいるぞ雨宮!!」


佐竹は雨宮の真上に飛んだ直後に木の枝をつかみ方向転換したのだ。
そして一瞬で良樹の真横に着地したのだ。
良樹もすぐに体の向きを真横に変えようとした。だが佐竹の方がずっと動作が上だった。
まるでジェット機のように佐竹の脚が急上昇した。
次の瞬間、良樹の銃は黒塗りの空中に飛ばされくるくると回転していた。


「銃は一丁じゃないのよ!!」


月岡が銃を構えていた。素人とは思えない構えだった。
「安全装置ははずしてあるわ。断っておくけど、もしも急所に当たっても責任とらないわよ!!」
月岡は何の躊躇もなく引き金を引いた。暗闇に銃声が轟く。
「やった!?」
月岡は佐竹が倒れる瞬間をイメージしていた。だが結果は全く逆だ。
「ええ!?」
いない!佐竹の姿が消えていた、まるで暗闇に溶け込んだみたいに。
「ちょっと、どこよ。どこなのよ!!」




「月岡!!後ろだ、後ろにいるぞ!!」




「え?」
月岡が振り向く前に、背後から腕が伸びてきて銃を持っている手を握られた。
「きゃああ!!」
予想外の出来事に月岡はホラー映画のヒロインばりの悲鳴を上げた。
「ち、畜生……三村、七原!何してる、月岡を助けろ!!」
佐竹のあまりにの電光石火に思わず硬直してしまった三村と七原はハッとした。




「七原、左にまわれ!!挟み撃ちにするんだ!!」

クラスの中でも七原と三村は(桐山を除けば)飛び抜けたスピードの持ち主だった。
だが佐竹は月岡からやすやすと銃を奪うと、ちらっと2人に目を配った。
そして瞬時に標的を七原に絞り動いた。凄まじいスピードだった。


「な、なんで……!」


3人のアクションの一部始終を見ていた沼井は愕然とした。
佐竹は三村と七原に挟まれていたはずだ。


「それなのに、なんで……なんで、あいつがあそこにいるんだ!!」


佐竹は姿を消した。木々の間に体を滑り込ませたのだろう。
そして七原の背後に回りこんでいた。
沼井にはまるで佐竹が瞬間移動したかのようにしか見えなかった。









「スピードだけなら、あいつは俺達に匹敵するな」

夏樹は弟達と共にモニターを介して、その様子の一部始終を見ていた。
「それだけじゃないぜ兄貴。佐竹は過去に地獄を味わっている。
死に物狂いで事にあたらないと屈辱しか待っていないことを骨の髄まで味わっている」
冬也が付け加えた。
「あいつは負けたくない、いや負けるつもりは無い。絶対にだ」
「そうだったな」
夏樹は笑いながらモニターに見入った。


「さあ全力であたってくれよ佐竹。二度と敗北の二文字を突きつけられたくなかったらなあ。
例え相手が特撰兵士とはいえ敗北は許されない。それを知っているおまえなら絶対に勝てる」


かつて特撰兵士相手に苦い敗北を味わい地獄の底から這い上がった男。
それが佐竹の正体だった。









「IDカードを持っているのは誰だ?」
七原は信じられないという表情で振り向いた。しかしカードという単語で反射的に国信を見てしまった。
それを佐竹は見逃さなかった。


「……まずい」


カードは国信が所持している。
「逃げろ、逃げるんだ国信!!」
良樹は叫びながら佐竹に突進した。体を張ってとめる覚悟だった。
国信は走った。今、彼ができる戦いは逃げる事だ。


「湊、そいつだ!こいつらは俺が片付ける、そいつから岩崎のカードを取り戻せ!!」














「さあ着いたぞ。人払いしたから誰も来ない。二人っきりだ」

(ますます都合がいいわ。問題はどうやって極秘情報を聞き出すか、よ)

部屋の片隅には高そうなパソコンが置かれている。
(このゴミの専用パソコンかしら?だとしたら、きっといい情報が探れるわ。
でも多分パスワードがいるわよね。問題はそれだわ)
光子が思案していると宗徳が近付いて来た。
両手を後ろに回し何か持っているようだ。


「お、俺 は最高にうまいぞ。一流のテクニシャンなんだ」
そう言って宗徳が得意げに差し出したものを見て光子は唖然とした。
「さ、最高だろ」

(……これって噂に聞く作りもののアレよね。電動式の……)


その手の客の相手をしたことがある好美から話を聞いた事はあったが実物を見るのは初めてだ。
「さあ、裸になれ」
すました表情をしていたが光子ははらわたが煮え繰り返りそうだった。
「な、なんなら薬も使うか?他にも珍しい道具はいっぱいあるんだ。ひひ」


(……調子に乗りまくってくれるじゃないゴミの分際で。
……もう我慢出来ないわ。この変態ぶっ殺してやる)


「じらさないで早くベットにあがれよ~。おまえが悶える姿バッチリ見ててやる。
自分で出来ないなら俺が道具を使ってやる。
でも俺も自分のモノをしごかなきゃならないからなあ。
できれば自分でやってくれ。俺みたいないい男に見られるんだ。
もしかして、もう感じたか?俺の女達もいつも俺が見てるだけで感じまくるんだ」


「はあ?」


光子は思わず素っ頓狂な声をあげた。
(……自分のモノをしごく……見てるだけ?)
光子がぽかんとなってることにも気付かずに宗徳はさらに興奮して自慢話を続けた。
「俺も色んなプレイを極めたけど女が一人エッチしてる姿が一番興奮する。
それを眺めながら俺もマスターベー……」
「……あのー殿下」
「何だよ、俺の話まだ終わってないぞ。最後まで聞けよ」
「あの殿下……つかぬ事をお聞きしますが女性を抱いたことは?」
光子はある可能性に気付いてしまった。


「も、もちろんあるに決まってるだろ!お、俺はテクニシャンだぞ。
百戦錬磨なんだぞ!道具だって一流品ばかりそれえているじゃないか!」
宗徳は大声を上げたが、全く威圧感などないものだった。
「失礼な質問ですけど道具無しの普通のセックスの経験は?」
「な、何なんだよ、さっきから!言っただろ、俺は百戦錬磨なんだ。
そんな初心者セックスなんて最初からすっとばして上級者コースを歩んだ達人なんだぞ!
い、今だっておまえ感じてるんだろ!?ちゃんとわかってんだぞ!!」
「……」
光子は声もでなかった。
超がつくほど下劣で変態的なスケベで、何度も婦女暴行事件までおこした強姦魔の正体を知ってしまったのだ。


(こ、こいつ……童貞だわ!)


光子はその後もいくつか質問した。そして自称テクニシャンの実体を完璧に知ってしまった。
宗徳は道具専門の変態プレイしか実践したことがない。
にも拘わらず本気でそれをセックスの一種だと思い込んでいる。
箕輪が忠告してくれた婦女暴行事件の実行犯は手下どもで、
主犯の宗徳はそれをAV代わりにして自慰行為に浸っているだけなのである。
なぜなら宗徳は人一倍性欲は旺盛だが、それ以上に異常な程の小心者。
自分のお粗末なモノにコ ンプレックスを持っていることもあり、
性行為自体は過度の緊張に耐えられず、あそこが縮み上がってしまうのだ。
だが取り巻き達もまさか総統の息子をインポ呼ばわりは出来ず、ただひたすら褒めるだけ。
そのため、道具専門の変態プレイで童貞を卒業したと思い込んでいたというわけだ。




(何てこと、何てこと!)


光子は必死になって込み上げる笑いを押さえた。
まともに性教育を受けないままAVにのめり込んで、妙なプレイを通常の性行為だと勘違いする痛い男が
最近増えているとは聞いていたが、これほど馬鹿な例はさすがになかった。


(インポの童貞のくせに自分をテクニシャンだと思ってるなんて。
こんな傑作なことないわ。駄目よ、笑っては。耐えるのよ!)


許される事なら今すぐ抱腹絶倒したかった。
(こんな馬鹿なら今すぐ焦って殺さなくてもいいわね)
光子は宗徳との短い会話から、宗徳の実態だけではなく性格や性質まで正確に把握することができた。
総統の息子というコネを自分の力だと勘違いしている痛い奴。
傲慢で尊大で人を人とも思わない冷血人間。
反面、臆病で意地も根性もプライドもひとかけらも持ち合わせていない小悪党。
この手の馬鹿ははっきりと上下関係 を叩 き込めさえすれば虫けら以上に下手になる。
光子は短くも波乱万丈な人生経験から、それを悟っていた。




「ねえ殿下、もっといい遊びを試してみませんか?」
「いい遊び?なんだそれ?」
「ちょっと後ろを向いてもらえます?」


「本当だな。つまらないものだったら承知しないからな」
宗徳が光子に背を向けると光子はドレスの裾を持ち上げた。
そして宗徳の背中目掛けて思いっきり飛び蹴りを炸裂!
宗徳は車に轢かれた蛙のような不様なポーズで床に倒れた。


「な、何する!?お、恐れ多くも俺は総統陛下の……」
「ああ、うるさいわね!」


光子はハイヒールの踵で宗徳を踏みにじった。
鋭利な踵か背中に食い込み宗徳は「ムギュッ」と妙な悲鳴を上げた。


「ゴミのくせに人間の言葉喋るんじゃないわよ!」


光子は足にさらに力を込めた。
幼少の頃より大勢の人間にかしずかれてきた宗徳にとって初めての体験。
まして常日頃玩具としか認知してなかった女相手にだ。


「お、俺にこんなことしてただで済むと思うのか!
俺は偉いんだぞ、恐れ多くも総統陛下の息子なんだぞ!!」
「それがどうしたっていうのよ。今はあたしが生殺与奪の権利握ってるのよ!」


光子は宗徳の頭を踏み付けた。
床に顔面衝突 させられ宗徳は派手に鼻血を流した。
「ひっ!田口、林!た、助けにこいよお!」
堪らず宗徳は助けを呼んだ。
「人払いしたこともう忘れたの?この糞野郎!!」
光子は今度は宗徳の顔面に直接蹴りを入れた。
「ひ、ひいい!!」
口内血だらけになった宗徳は激痛と恐怖で完全に我を失った。


「だ、だじけてえ!い、命は……!命だげわあ!!」
宗徳は哀れなほど無様な醜態をさらした。
今なら、光子が「靴の裏を舐めろ」と言えば簡単に従うんじゃないかというほどだ。


(鞭はこれで十分ね、あたしに逆らってはいけないと潜在意識に刷り込めたはず。
次は飴をやって手なずけて、今後あたしにせいぜい利用させてやるわ)


光子は再び宗徳の背中にハイヒールの踵を食い込ませた。
ただし今度はあるツボに対して。さらにぐりぐりと足首に何度も半回転を加えた。
すると先程まで苦痛で歪んでいた宗徳の顔が恍惚となりだした。
光子は花柳界の知り合いも多く、その手の名人に特別なツボを教えてもらったことがある。
「さ、最高~!もっと!もっと踏んでくれえ~!!」


(凄い効き目ね。銀座歴40年はだてじゃなかったわ)


光子は心の中で某高級クラブのママに感謝した。
しかし光子はふいに足を止めた。
「な、なんでやめるんだ!もっとやれよ!!」
宗徳は即座に不満を漏らし、続行を要求した。
「やれよですって?」
途端に光子の蹴りが宗徳の画面にのめり込む。




「まだ自分の立場がわかってないのね。やって下さいでしょ?!」
「ひっ……お、俺は恐れ多くも総統陛下の」
「その台詞は聞きあきたわよ!態度を改めないなら二度とやってあげないわよ」
「そんなあ!お願いやって下さい光子さん!」
「光子『さん』?」
「あ、いえ……光子様あ!!」


(調教完了ね。もうこのゴミはあたしには逆らわないわ)


総統の息子という地位を傘にきて威張り散らしている宗徳だが、生来は卑屈で臆病な性質。
徹底的に上下関係を刷り込まれた以上、総統の息子としての尊厳など微塵もない奴隷と化していた。
「二度あたしに逆らわないと誓うわね?」
「誓う!いえ誓わせて頂きます!」
「そう、じゃあ早速だけどパソコンを見てみたいわ。パスワードを言うのよ」
「そ、そんなものありませんよ。面倒な事は覚えたくないから設定してません」
さすがに光子は呆れた。


(こんな馬鹿が仮にも司令官なんて。よく今まで極秘情報が外部に漏れなかったわね)


「そう、じゃあ後ろ向いて」
宗徳はすぐに命令に従い光子に背を向けた。
「ぎゃあああ!!」
全身に強烈な痺れを受けて宗徳は気絶した。
「何度も同じ手にひっかかるなんて、本当に救いようのない馬鹿ね」
光子はスタンガンをしまうと早速パソコンを立ち上げた。




「あら緊急メールが届いてるじゃない」
光子はすぐにメールを開いた。
「彰人殿下……誰よ、こいつ」
そのメールは軍のお偉いさんからのものだった。
彰人殿下がそちらの暫定駐屯所に明日赴くので失礼のないように出迎えろとの内容だった。
「あら、これ昨日付けのメールじゃない。じゃあ今日来るってことね。一体どんな奴なのかしら」


「総統陛下の三男だ。つまり、それの兄にあたる」


光子の心臓が跳ねた。慌てて振り返ると、すぐ背後に箕輪が立っていた。
「……脅かさないでよ。びっくりしたじゃない」
「こっちの台詞だ。随分遅いから取り巻き達が騒ぎ出してる。だから俺が来た」
箕輪は完全に伸びている宗徳を一瞥すると、「死んではいないな」と少し残念そうに呟いた。
それから光子をジロッと睨み「おまえ何者だ?」と言った。
その威圧感に光子は下手に嘘をつく相手じゃないと悟った。




「あたし、お尋ね者なのよ。誤解のないように言っておくけど犯罪は何一つ犯してないわ。
それなのに政府に追われてるのよ」
「だったらなぜあの時逃げなかった?」
「親友と離ればなれになってね。捕まったのか否か、情報が欲しかったのよ。
でも、こうなった以上ジ・エンドね。あたしを逮捕する?」
光子は荒波に揉まれる小船の気分だった。
箕輪の決断一つで、あっという間に海底に沈む運命なのだ。
そして箕輪が政府側の人間である以上、見逃してくれる可能性には期待しない方がいい。
おそらく「大人しく逮捕されろ」というお決まりの台詞を聞かされることだろう。


「緊張メールの確認だけしたい。どけ」


だが箕輪が口にした言葉は全く違うものだった。
話を聞いてなかったかのような振る舞いに、光子の方が呆気に取られている。
「あんた、あたしを逮捕しないの?」
「それは軍や国防省の仕事だ。俺には関係ない」
光子はますます唖然とした。
「それに仮におまえを捕えた所で手柄はこいつのものになる」
箕輪の侮蔑に満ちた視線の先には宗徳がいた。
(ふーん。冗談じゃないって顔ね。まあ当然よね)
箕輪は光子逮捕には興味ないようだった。緊急メールを確認して随分ホッとしている。


「ねえ、そいつの兄貴が来るのがそんなに嬉しいの?」
「殿下がいらっしゃれば馬鹿な事もできないからな。殿下は生粋の軍人で軍紀に厳格なお方だ。
その上総統陛下の息子であるという自尊心が強い。当然こいつを毛嫌いしている」
「こいつの兄弟にしては案外まともなのね」
「兄弟といっても腹違いだ。殿下は正妻の子でれっきとした総統家の息子として育った。
私生児上がりで、将官になってからもくだらない乱行にばかり情熱を燃やしているそいつとは根本が違う。
しかも殿下はこいつが総統の息子として地位と権力を濫用していることを苦々しく思っている。
本人を前にして『おまえに戦績がたてられるとしたら戦死することくらいだ』と言い切ったこともあるほどだ」
「嫌われてるなんてレベルじゃないわね」
ま、あんな汚物を弟と認めたくない気持ちはわかるわ。


「これを見ろ」
箕輪が表示したサイトを見て光子は驚いた。
「……これって」
「国防省サイトだ。おまえが欲しがっていた情報が見つかるかもしれない」
「あたしに教えていいわけ?」
「俺は興味ない。それにこれはレベル2だから一般人でもハッカーの腕次第でたやすくアクセスできる。
だから閲覧されてもたいした害はない。後はおまえの自由にしろ」
(……こいつ、悪い奴じゃないみたい。女嫌いなんて変人ではあるけど)
光子は考えた。箕輪の事、このゴミどもの事……。
そして後数時間で到着するという、宗徳を毛嫌いしている彰人の事。


――点と点が全て繋がった。あたしって、案外頭いいかも。


光子はにこっと笑みを浮かべた。
それは愛らしい笑顔。ただし天使ではなく魔女の笑みだった。


「ねえ、あなた、このゴミのお守りから解放されたくない?」
「……何が言いたい?」
「させてやってもいいわよ。あなたは何も見ず、聞かず、そして黙ってるだけでいいの」
「何を考えているのは知らないが、女一人に何ができる?」
「あら、あたし、その辺りの女の子とは一味違うわよ。なんなら証明してあげる?
そうね……まずは手始めに、あの薄汚い男に思い知らせてやろうかしら」
光子の脳裏には、あの忌々しいビデオを手にした糞男の顔が浮んでいた。


――あたしを本気で怒らせたらどうなるか思い知らせてやるわ。
――ただし手を下すのはあたしじゃない。あたしが直接やる価値も無いクズよ。














「慶時……畜生、慶時に手出しさせてたまるか!!」
七原は国信を守ろうと必死だった。すぐに国信の後を追おうとした。
だが佐竹がそれを許さない。良樹の猛攻撃もあっさり封じられた。
「無駄だ、あの小僧は湊にもう捕まっている。安心しろ、意識を失わせられるだけだ」
その時、暗闇に銃声が鳴り響いた。


「何だと!?」


良樹達はもちろん佐竹も驚いている。
「どういうことだ、湊は銃を持っていない。あんな小僧に撃たれるようなヘマもしない!」
そして逃げた国信以外、全員、この場に集合している。
他に佐竹が仮想とはいえ敵と呼べる相手はいないはずだった。
「どうした湊、何があった!?」


「安心しなさいよ。あんたの大事なお友達は軽傷よ」


暗闇の向こうから声が聞えた。
「……女?」
佐竹は少し混乱した。女は今、この場にはいないはずだ。
だが、その声には聞き覚えがあった。そうだ、夏樹のそばにいた女の声だ。


「……千草貴子?」


「そうよ。あたしも、たった今参戦させてもらったわ。
断っておくけど、あたしはそいつらみたいに優しくないから容赦なく撃つわよ!」




【B組:残り45人】




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