国信は不安そうに本音を吐き出した。
「安心しろ、三村がたてた作戦に抜かりはない。三村は本当にすごい奴なんだ。
その三村が勝てると言ったら勝てるんだよ」
「確かに……そうだけどさ」
三村は頼りになる男だし、こちらには飛び道具もある。
数の上でも、こちらが有利だ。
しかし相手は自分達のような普通の学生ではない。
国信は七原のように楽観的に勝利を確信できなかった。
(ごめん秋也、俺はおまえほど三村を信じきれないよ。訓練だから殺されることはないよ。
でも、あの人のテストをクリアできなかったら俺達放り出されるんだ。
そうなったら典子さんを助けてあげられなくなる。俺達だけで助けるなんてできるわけない)
想い人の典子の身の上を考えると国信の気持ちは重く沈んだ。
「ちょっと国信君、何暗い顔してるのよ。ほら、しゃんとしなさいよ」
いつの間にか背後に立っていた月岡が、国信の背中を軽く叩いてきた。
「大丈夫よ。きっと上手くいくわ」
月岡は七原の何倍も楽観的だ。
「そりゃ月岡さんは三村の事信じきってるから……」
「あら、それだけじゃないわよ」
月岡は良樹を指差した。
「雨宮?」
「そう彼」
国信は顔に疑問符を浮かべた。
確 かに良樹はこのゲームの最中、予想外の大健闘をみせてきた。
しかし普段の良樹はムードメーカーではあるがちょっとスポーツが得意な普通の中学生。
戦闘に関しては素人のはず。少なくても国信はそう捕らえていた。
「アタシの目に狂いはないわ。きっと彼頼りになるわよ」
「でも相手はプロだぞ」
「ふふ、まあ見ててご覧なさいな」
月岡は口元に手を添えて微笑んだ。
国信はやはり緊張感が解けず溜息をついた。
鎮魂歌―42―
「白州か」
背後に現れた馴染みの気配に、戸川は振り向かずに声をかけた。
「はい大尉」
「随分と予定時間を過ぎたな。待ちくたびれたぞ」
戸川は冷静を装っていたが、感情は噴火寸前だった。
「大尉、結果を報告します。実は――」
「言うな、失敗したんだろう。成功していたら、おまえは予定時間通り戻ってきた。
時間に几帳面なおまえが遅れた時点でわかった」
戸川は振り向かなかった。今、白州と顔を向き合えば感情を抑える自信がないからだ。
「……とんでもない失態をおかしてくれたな白州。佐伯に俺を糾弾する材料をくれてやるとは」
「大尉の名は一言も告げていません。俺の正体にたどり着く証拠も残してません」
「それで済むと思うか。佐伯徹は俺が首謀者だとわかっているはずだ。
必ずここにくる。あいつはクズだが中途半端な人間じゃない」
「わかっています。その場合のシナリオはすでに準備できています」
戸川は立ち上がるとゆっくりと振り向いた。
「どんなシナリオだ?」
白州の腕が戸川に向かって伸び、その先の銃が戸川の瞳の中で鈍い光を放っていた。
「こ、これは水島大尉!」
水島の姿をみた兵士達は慌てて駆け寄り直立不動の姿勢で敬礼した。
その隣では沙耶加がまるで汚物でも見るような目で兵士達を睨んでいる。
その兵士達は沙耶加をスラム街から連行した連中だったからだ。
「君達所属はどこかな?」
「陸軍第17歩兵団第5小隊の者です。光栄にも国防省の作戦に参加させて頂き……」
兵士が言い終わらないうちに水島の鉄拳が飛んでいた。
哀れにもそれを顔面にまともにくらった兵士は意識を失い完全にノックダウン。
「ひっ!た、大尉、何を!?」
「おまえ達が彼女を捕縛した際何か言わなかったかい?」
「な、何かって?い、いえ何も……」
兵士の弁解を聞き終わらないうちに水島は今度はその兵士の鳩尾に蹴りをいれた。
「嘘つくんじゃないよ。無知な上に記憶力も悪いんだねえ。
沙耶加、君に手錠をかけたのはどいつだい?」
「頬に傷のある奴よ」
「そうか」
水島は指名された兵士の手首を掴むと予告もなしにへし折った。
阿鼻叫喚の叫び声が耳をつく。
そして驚愕と恐怖で硬直している他の兵士達もまとめてヤキを入れた。
3分もたたないうちに、全員怪我人にされ起き上がれなくされてしまったのだ。
「俺は優しいんだよ。だから今回はこれで許 し てやるけど次は殺すよ。
さあ行こうか、沙耶加。こんな連中の顔を見続けるなんて俺の美意識が許さない」
水島は沙耶加の肩に腕を回すと振り向きもせずに、その場から立ち去った。
「これでご機嫌なおしてくれるだろ?」
「言っておくけど私が怒ってるのはあいつらに対してじゃないわ」
「他に何があるんだい?」
「すぐに迎えに来てくれればあんな連中に拘束されることもなかったわ。
どうせ、あの女との情事に夢中で私の事なんておかまいなしだったんじゃないかしら?」
「まだ拗ねてるのかい。困ったねえ、俺はいつだって君の事を想っているのに」
「どうかしら」
タイミング悪い事に水島の携帯電話(第一級恋人用)の着信音が鳴り響いた。
しかも真知子専用の着信音だ。
(……真知子、少しは空気を読んでくれ)
水島は沙耶加の視線が痛いのか彼女に背を向けると携帯電話を耳に当てた。
「やあ、何か新しい情報でも入ったのかい?」
背後から感じる沙耶加の視線は鋭くなるばかりだが水島は気付かないふりして話を続けた。
「何だって竜也達が?」
水島の様子ががらっと変わった。
もう沙耶加の刺すような視線など完全に忘れている。
どうやらプライベートモードから仕事モードに切り替わったようだ。
「わかった。また後で連絡する」
水島は 携帯電話を胸ポケットにしまった。
「克巳、私は何をすればいいの?」
水島が急変したように沙耶加もまた仕事人間に変貌していた。
先程までの嫉妬を露わにしていた態度はもう微塵もない。
水島の様子から何かあったと気付き、つまらない感情に囚われている場合ではないと察したのだ。
「竜也達がまた馬鹿な事件を起こしたらしい。しかも氷室君にばれかけてるそうだよ」
「あなたにまた泣き付こうっていうの?」
「逆だ。どうやら俺には内緒にしておきたいようだ」
「……変だわ。いつもなら、すぐにあなたに尻拭いさせるのに」
「だろ?俺を頼らないってことは俺にばれたらまずい事情があるってことだよ」
行くの?」
「もちろん。事情によってはそろそろ竜也にはっきり教えてあげることになるかもしれないね」
「真の支配者が誰なのか」
「それがおまえのシナリオか?」
戸川は銃を構える白州に冷たく口調で静かに言った。
「小次郎様は何も知らなかった――それで押し通してください」
白州の手の中で銃がくるっと回転して、トリガーが戸川に向けられた。
「この件は大尉の預かりしらぬこととして通すのです。
部下の俺が勝手にしたことです。大尉は俺に制裁を与える事で潔白を証明してください」
戸川は無言のまま白州のシナリオを聞いていた。
「俺を始末する事でけじめさえつければ佐伯徹もそれ以上大尉を追及することはできません」
戸川は差し出された銃を奪い取った。
「……死ぬ覚悟はできているんだな?」
「元より俺の命は小次郎様のものです」
「……愚か者め」
戸川は銃を壁に投げつけた。
「おまえが死んで終わりになると本気で思っているのか!
佐伯はそんな甘い男じゃない。単純馬鹿に特撰兵士は務まらない!
俺とおまえは一蓮托生!!
側近中の側近であるおまえがしたことを俺が知らなかったで済むと思うか!?」
「ですが大尉……」
「おまえは黙ってろ!」
戸川の苛立ちはピークを迎えようとしていた。
戸川は元々感情的な人間だ。だが、それを抑えることもできた。
着信音が部屋の静寂さを壊した。戸川は受話器を手にした。
『先輩、こんな夜分遅くに申し訳ございません』
その声は明らかに戸川がこの世でもっとも憎悪する人間のものだった。
「何の用だ」
『それは先輩が1番よくおわかりのはず。これから、そちらにお伺いさせていただきます』
「今何時だと思っている。夜が明けてからにしろ」
『それはできないご相談ですね。俺にはゆっくりしている時間は無いんです。では後で』
「……佐伯が来るぞ。白州、おまえはすぐにここから離れろ。
おまえは俺の命令で遠地に赴いていたことにする。アリバイ工作もしておいた。
さっさと行け!誰にも姿を見られるな。後は俺が片付ける」
「……小次郎様はどうやって始末をつけるおつもりですか?」
「余計な詮索はするな。おまえの今の仕事はここから消えることだ」
仕事、その単語に白州は反応した。
「わかりました。大尉、この落とし前はいずれつけます。命に代えても」
腕を組んだまま窓の外を睨みつけている戸川に白州は一礼すると扉をあけた。
「白州」
戸川は振り向かずに言った。
「これだけは忘れるな。俺はこんなところで終わるつもりはない。
そのためにもおまえは必要なんだ。おまえは俺の最も優秀な側近だ。
佐伯ごときのために、今、おまえを失うわけにはいかない。肝に銘じておけ」
白州はもう一度お辞儀をすると部屋をあとにした。
(……佐伯徹め)
戸川は怒りを抑えながら電話のスイッチを押した。
「史矢、俺だ。佐伯徹がくる、丁重に迎えてやれ」
『彼が……ですか?』
回線の向こうで久良木は驚愕していた。
2人が犬猿の仲だということは海軍の人間は誰もが知っている。
その佐伯徹が真夜中の訪問、ただ事ではない。
『あの大尉、何かあったんですか?』
「何でもない。いいか、何があっても行動を慎め。反町や泪にも言っておけ」
それだけいうと戸川は一方的に回線を切った。
(俺が佐伯に頭を下げれば済む事だ……俺が、この俺が、佐伯に……頭を……)
戸川はデスクの上にあった花瓶を壁に投げつけた。
「この俺があんなクズに!!」
花瓶は粉々に砕け散ったが、戸川の心の中の冷たい塊は硬度を増していた。
「まだ来ない……今夜はもう襲撃しないのか?」
三村はちらっと空を見上げた。
月が西に傾き、東の方角が少し明るくなってきている。
「夜のうちに終わらせるのがベストなんだ。
明るくなったらトラップの存在に気付かれるかもしれない」
三村の指示で全員固まり一定方向だけを見張っていた。
「なあ、もっと分散して見張った方がいいんじゃねえの?
このルートから攻めてくるとは限らねえだろ?」
沼井の意見に七原や国信も賛成した。
「その必要はないぜ」
しかし三村はさらっと沼井の意見を退けた。
「なんでだよ」
「俺が説明するよ」
良樹が側にあった小枝を拾い地面に絵書き出した。
「ここが今俺達がいる場所だ。でもって俺達の背後には沼が広がってただろ」
だから背後から敵が襲ってくる事はまずない。水音ですぐにわかるからだ。
その点に関していえば七原達も理解していた。警戒すべきは前方及び左右だけ。
その180度の侵入経路の内、三村が警戒しているのはたったの一箇所。
これでは不安になるのも当然だ。
「でも、そのルートにはトラップを張り巡らせておいたんだ」
「トラップ?」
「ああ、素人目にはわかんないけどな」
良樹は簡単に説明した 。そのトラップは、わざと目につくような作りにしておいた。
素人なら気付かずにトラップに引っ掛かってしまうだろうが、そうじゃなければ当然よける。
トラップが仕掛けられてないルートを探し、そこを通る。
「そうか、それがここなんだな!」
七原が納得して声を上げた。
良樹は口元に人差し指をあて、小声を出すように示唆した。
七原は慌てて口を押さえると、辺りをキョロキョロと見渡した。
それから今度は静かすぎるくらい小さい声で話しだした。
「バッチリだな。今度は早目に勝負つくぞ」
「でもトラップが仕掛けてあるルート選んだらどうすんだよ。
すぐにばれるような罠ならそいつを除けちまうかもしれないだろ?」
七原と違って沼井はまだ納得できないようだ。しかし良樹はすぐに適切な返答をした。
「その可能性に三村が気付いてないわけないだろ?トラップは二重に仕掛けておいた。
すぐばれるトラップはいわばダミーだ。それを避けたらすぐに本命に引っ掛かる。
本命のほうはプロでも気づかないくらいのできだ。それで終わりだ」
沼井は感心したように頷いた。
「やるじゃねえか。じゃあどっちに転んでも俺達の勝利は動かねえってことだな」
「ああ、そうだ」
「きゃー素敵。ああ。早く終わらせて熱いシャワーを浴 びたいわあ。
もちろん三村君と一緒に」
月岡にとっては愛の囁きでも三村には強烈な呪文だったようだ。
三村は最大級のダメージをくらった。
「……月岡、頼むから戦う前にへこませないでくれよ」
「まっ失礼ね。乙女の純真な愛情なんだと思ってるのよ」
こんな時でもユーモアを忘れない月岡に良樹は思わず吹出しそうになった。
(ほんとたいした度胸だよ。三村には迷惑だろうけど。
でも月岡の明るさには皆かなり救われてる部分があるんだ。
月岡が三村にアタックしてるのはほとんど趣味だろう。
けどきっと場の雰囲気を明るくしたいって気持ちもあるんだろな)
それを裏付けるかのように皆の顔に笑みが浮かんでいる。
(よかった。皆の緊張感が解けてる)
良樹は暗闇を睨みつけた。
(後は警戒を怠らないようにするだけだ。些細な変化も見逃がすものか)
視界に広がる景色は時々風で木の葉が飛んでゆくだけ。
まるで静止画像のように動きはない。
(朝を待って襲う可能性が高くなってきたな。だったらこちらも対応を変えないと。
見張りは交代制にして順番に睡眠をとらないとな)
とりあえず1番体力がない国信から休ませよう。
「なあ、見張りは交代制にして……」
良樹は国信に視線を向けようと 後ろに振り向いた。そして信じられないものを見た。
良樹の瞳が一気に拡大する。
(……馬鹿な!)
背後からの奇襲は不可能なはず。敵が後ろから来るはずがない。
だが、その敵が国信と七原の後ろに立っている、佐竹だ。
良樹は考えるより先に動いていた。銃を構えながら立ち上がった。
その動きは凄まじい早さだったに違いない。
だが良樹にはまるでスローモーションのように感じた。
良樹の突然の行動につられたのか全員が一斉に振り向いた。
そして良樹同様に瞳を拡大させ一瞬硬直した。まるで魔法がかかったように。
(撃つしかない!)
良樹は引き金にかけた指をぐいっと曲げた。
「遅いんだよ!」
佐竹が一瞬で良樹との距離を縮めていた。
(速い!)
「オラァ!」
佐竹の肘が良樹の利き腕に強烈な衝撃を与えていた。
痛みに負けて銃を離さなかったのは奇跡といってもいいかもしれない。
だが直後に繰り出された佐竹の蹴りがまともに鳩尾に入り良樹の体は空中を舞っていた。
「危ない雨宮!」最初に魔法が解けたのは三村だった。
素早く良樹が飛ばされた方角に回り込んだ。
バスケ部の天才ガードの異名はだてではない。
だがスピードは驚嘆すべきものだったが衝撃を受け止めるほどのパワーは不足し ていた。
良樹と共に佐竹が繰り出した衝撃をまともにくらい二人一緒に地面を派手に滑る羽目になった。
それでも三村の努力は決して無駄ではなかった。
三村が救いの手を差し延べなければ良樹は岩に激突していただろう。
「ど、どうして?」
国信が震えながら吐き出した疑問は、全員の気持ちでもあった。
後ろには沼があった。水音一つたてずに自分達に近づけるわけがない。
「それはこっちの台詞だ」
佐竹は奇襲が成功したというのに何だか不機嫌だった。
「よりによっててめえの背中を無防備に敵にさらすなんて。
馬鹿通り過ぎて自殺願望あるとしか思えないぜ。
それとも岩崎に勝ったからっていい気になって俺を舐めてるのか?」
「冗談じゃない、その逆だ!」
七原が大声で叫んでいた。
「俺達は慎重に慎重を重ねてここを選んだ。
後ろから俺達を襲うなら沼を素通りしないわけにはいかない。
橋なんかないし音を出さずに沼の中を動けるわけない。
どうやってここに来れたんだよ!」
「水なんかに浸かる必要ねえだろ。ちゃんと足場があるんだから」
「馬鹿な、そんなものなかったぞ!」
今度は三村が叫んでいた。
「ちっ、ガキがてめえの不注意を棚にあげてわかったような口きくんじゃねえよ」
三村は沼を睨みつけた。足場なんて何もない、
あるとすれば木杭が数本打ち付けてあるくらいだ。
「……まさか」
あんな細いものを。それも木杭同士の間隔はかなりあるのに。
「聞いてなかったのかよ。俺達は本当の修羅場を潜り抜けてきた人間なんだ。
トリックでも訓練でもない銃撃戦で生死の狭間潜り抜けてきた人間を舐めるんじゃねえ!!」
「先輩、こんな時間に申し訳ございませんでした」
佐伯徹の来訪は戸川の隊にとってはちょっとした事件だった。
誰もが久良木同様に驚いていた。それほど戸川と徹の不仲は有名だったのだ。
徹は通された部屋をじっくり見渡した。
(毛嫌いしている俺を上客用の部屋に通すなんて、内心焦っているようだな戸川)
泪が差し出したコーヒーカップを戸川が口元に運んだが、徹はカップに触れようともしない。
「紅茶のほうが良かったのか?」
なるべく波風立たずに事を進めようと考えていた戸川に徹はとんでもないことを口走った。
「先輩、毒見していただけませんか?」
戸川の目が途端に鋭くなった。それ以上に側近達の形相が一変する。
「毒見していただけますか?毒殺なんて間抜けな死に方はごめんですから」
「大尉に対して失敬な!」
思わず一歩でた反町だったが、戸川が軽く左手を顔の高さまで上げ、無言で制止をかけた。
「気分を害しましたか先輩?すみません、先輩を疑っているわけではなく普段からの習慣なので」
「思ってもないことを口にするな佐伯。本音で話せ」
もはや茶番はごめんとばかりに戸川が切り出した。
「では率直に申し上げます。俺を殺そうとしましたね先輩?」
戸川は顔色を変えなかった。だが側近達は一斉に驚愕している。
白州が起こした暗殺未遂は戸川と白州以外は側近ですら知らない秘密なのだ。
「何のことだ?」
徹は室内にいる戸川の部下達の顔を順次睨みつけるように見た。
「側近の中に白州さんの顔が見えないようですが、どうやら逃がしたようですね。お早い決断で」
「白州は2日前から遠地で任務についている」
「白々しいことを。露骨過ぎて感心しますよ先輩」
徹の慇懃な態度に、戸川の側近達は息巻き始めた。
最初に口を出したのは反町だった。
「佐伯大尉、先ほどから聞いていれば随分な口のきき方をするじゃないか。
これ以上、大尉に対して無礼な態度をとるのなら、俺も黙ってはいない」
「どう黙ってないって言うんだい?まさか俺に対して暴力に訴えるとでも?
図に乗るんじゃないよ、俺を誰だと思っている!?
たかがA兵士が特撰兵士にそんなマネできると思っているのかい?」
反町はまだ何か言いたそうだったが、戸川の「だまってろ」の一言で引っ込んだ。
「先輩、特撰兵士の俺を暗殺しようなんて軍法会議ものですよ」
「何度も言っている。俺は知らない。それとも証拠があるのか?」
徹の口の端が僅かに引き攣った。証拠は何もない。
「何の証拠もなく特撰兵士の俺を糾弾しようなんて、おまえの方こそ軍法会議ものだろう」
戸川は電話のスイッチを押した。
「今の会話を聞いていただろう亜紀子。法律のプロからみてどう思う?」
『あなたの見解通り立派な軍規違反にあたるわ。
あなたと彼の関係を考えると私怨でのでっち上げとして告発することもできるわよ』
「そうか、ご苦労」
戸川はスイッチを切った。
「そういうことだ佐伯」
「……なりふりかまわずですね先輩。
こんな真夜中に愛しい恋人を叩き起こしてまでとは。
俺なら、こんなことに愛する彼女は巻き込みませんよ。
彼女には安らかな睡眠だけをプレゼントします」
「俺も痛くもない腹を探られるのはたくさんだ。大人しく引き上げるなら俺もいいものをくれてやる」
「いいもの?」
(つまり、この件から手を引けというわけか。ふん、そう簡単に水に流してたまるか。
証拠なんて後でいくらでもつかんでやる。見付からなければ捏造するまでだ。
おまえを軍法会議送りにするまでは、絶対に引かないからな)
徹の決意は固かった。だが戸川はその徹の決心をたった一言で打ち砕いた。
「天瀬良恵の居所を知りたいだろう?」
徹は余裕たっぷりの表情を一変させた。立ち上がって、戸川に詰め寄った。
「知っているのか!どこだ、どこに彼女はいる!?」
「……俺の提案を受け入れれば、俺が知っていることは全て話す。
それで全て終わりにして大人しく帰ると誓え」
徹は少し俯いた。俯いたまま声を絞り出した。
「……何でも受け入れてやる。彼女の居場所さえわかるなら何もかも忘れてやる」
「だからさっさと話せ!!」
「ほんの一時間ほど前だ。陸軍の佐々木敦から電話がかかってきた」
戸川は全てを話した。それは結果的に同じ四期生である佐々木たちを裏切る行為だ。
海老原を含め、四名の特撰兵士を売ったのだから。
だが元々仲間意識などなかった戸川にとっては後ろめたいことなどなかった。
罪悪感もない。これで海老原たちが失脚しても自業自得で、自分の密告のせいではない、と。
戸川にとっては内心煙たがっていたお仲間より、側近1人のほうがはるかに重要だったということだ。
「あいつら……また良恵に手を出したのか」
徹の怒りはすでに戸川から海老原たちへと移行していた。
「すぐに現場に急行したほうがいいんじゃねえのか?
敦の話では天瀬良恵を奪われて数時間たっている。早くしないと、あの地から離れるぞ」
言われるまでもなかった。徹の気持ちはすでに良恵がいるという、彼の地に飛んでいる。
高速ヘリコプターをすぐに手配させた。もう、こんな場所に用などない。
だが厄介払いができ内心安堵している戸川を見ると、正直納得できない気持ちも残っている。
「……先輩。もちろん、見送っていただけますよね?」
再び不穏な空気が流れ出した。
軍というものは上下社会、どこよりも封建制度が根付いている世界だ。
階級こそ今の時点では2人は同等だが、戸川は一応目上の人間。
その戸川に外まで見送れとは、上官のようなふるまいに他ならない。
いつもの戸川なら怒りの頂点で徹を殴りつけただろう。だが今は事情が違う。
どんなに腸が煮えくり返ろうが、今優先すべきなのはさっさと徹を追い払うことなのだ。
戸川は感情をおさえ立ち上がった。
軍用ヘリが舞い降りてくる。
徹を見送る人間は戸川だけでなく、戸川の側近はもちろん戸川の配下全員でだ。
「これは壮大なお見送りで光栄ですよ。先輩」
ヘリが着陸した。これでやっと厄介ばかりができる。
戸川は表情に出さず内心ほっとした。だが徹は最後にとんでもないことを言い出した。
「ドアを開けてもらえますか先輩?」
これには戸川の配下の兵士全員がぎょっとなった。
ドアを開けるなど明らかに下の階級の人間がやるべきことだ。
反町がすぐに進み出て、ドアの取っ手に手を掛けた。
「余計なことするんじゃないよ反町!俺は戸川大尉に開けろと要求しているんだ」
「さあ、どうした戸川大尉。俺は急いでいるんだ」
部下達が見ている前で、この世で最も軽蔑している人間に対して下座の行を取る。
それは戸川にとっては、これ以上ないほど過酷な屈辱だった。
いつもの戸川ならば徹を半殺しにしていただろう。だが今は状況が違う。
(……落ち着け、落ち着くんだ。こんなことはこれから先の人生何度でもある。
俺は支配する側の人間だ。将来、この海軍を率いることになる人間なんだ。
こんな屈辱に耐えられない人間ではない。一度きりだ、それで全てが終わる)
戸川は黙って扉を開けた。徹はすぐに搭乗する。
「言うまでもないと思うが、俺は今回の件は忘れてやる。だが、これで終わりと思うなよ」
そんな不吉な言葉を残して徹は凄い勢いで扉を閉めた。
(終わりじゃない……だと?それはこっちの台詞だ)
――この落とし前は必ずつけてやる――
新たな火種が巻かれた瞬間だった。
「……桐山、少しは寝たらどうだ。もうすぐ夜が明ける、そうしたら行動すればいい」
「川田、俺は眠れない。
鈴原の無事を確認できるまで睡眠はとれない」
「……そうか」
川田は黙ってホット缶コーヒーを差し出した。
「自動販売機の缶コーヒーなんて、名門の若君様の口には合わないだろうが体だけは温まるぞ」
桐山は黙ってそれを受け取った。
「……おそらく政府の連中がお嬢さんたちをさらったんだろう。
問題はどこに連れて行かれたかだな。せめて手掛かりさえあれば……」
「……本当に政府の追っ手だったのか?」
桐山の一言に川田は即座に反応した。
「おい桐山、おまえ何を言っている?他に誰がいるっていうんだ?」
「少なくても正規軍がしたことじゃない。政府側の人間だったら堂々と行動するはずだ」
「……確かに。だが政府の人間以外に俺達を捕らえる理由がない」
「……公にできないアクシデントが起きて秘密裏に行動している連中だろう」
桐山の見解に川田は感心した。それなら納得できる。
「だが、そうなると連中は隠れて行動してるんじゃないのか?
見つけるのは至難の業だぞ」
「連中に俺達のことをばらした人間がいるかもしれない。
そうでなければ元の場所から遠く離れたこの地にいる俺達の居場所が簡単にばれるわけがない」
川田は再び感心した。
「お嬢さんたちをさらった連中は誰か見当もつかないが通報者なら限定できるな。
あそこに俺達がいるのを知っていたのは2人だけだ」
結城と鮫島、そのどちらかだ。
「と、いっても、その2人もどこにいるやら……」
「俺は知っているぞ川田。結城の居所ならな」
「な、何だと。どこなんだ桐山!」
桐山は無言のままスッと指差した。その先は三叉路でカーブミラーがみえる。
しかし結城はおろか猫の子1匹いない。
「おい桐山、誰もいないじゃないか」
「よく見ろ。カーブミラーを」
「ミラー?」
目を凝らしてよく見るとミラーの端に数人の人間が映っていた。
その中の1人、遠くてよく見えないが結城に似てないこともない。
「つかまえてくる」
「お、おい桐山!」
川田の制止もきかず桐山は走っていた。
角を曲がると結城達は突然の出現者に驚きの表情を浮かべた。
「何者だ貴様!」
結城の左右を固めていたのは迷彩服を着た男達。つまり兵士だ。
それだけで桐山はほぼ確信した。結城が通報者、もしくは何か知っている、と。
銃を構える兵士達の意識をあっと言う間に奪い、地面にはいつくばせた。
残っているのは立ちすくんでいる結城だけだ。
「お、おまえは……」
「知っていることは全て吐いてもらう。さあ、来てもらおうか」
結城は、「これ以上、金にもならないことに巻き込まれるのはごめんだ」と拒否した。
もちろん、桐山には、それを受け入れる意志は無い。
「桐山はやるといったらやる男だ。大人しくついてきてもらおう」
川田は事を穏便に済ますつもりだったが、桐山の強さを目の当たりにしたにしては結城は強気だった。
「言っただろう、断る。おっと、それ以上、俺に近寄るなよ」
「ならば俺も言おう。おまえの拒否は断る」
桐山は動いた。一瞬で結城の間合いに入り襟をつかんだ。
一気に襟を絞って結城を気絶させるつもりだった。
ところが次の瞬間、川田は信じられないものを見ていた。桐山が宙を飛んでいる。
「き、桐山!」
桐山が結城に触れる直前、結城の前に人影が飛び込み桐山を投げ飛ばしていたのだ。
「……助かりましたよ。あんたがいなかったらどうなっていたか」
「おまえの身を守ることは司法取引で保証しているからな」
「特撰兵士の氷室隼人が全面的に保証してやる」
【B組:残り45人】
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