「素人相手に遅れとりやがって」
「う、うるせー!ちょっと油断しただけだ。そうでなきゃこんな結果になるもんか!!」
すごすごと戻ってきた岩崎は早速夏樹から悪態の洗礼を受ける羽目になった。


「そんな考えだからおまえは一番になれねえんだよ」


聞き覚えのある声に岩崎は慌てて振り向いた。
冬也と秋利が立っていた。
「か、片桐、それに近衛。おまえらいつ来たんだよ!」


※片桐と近衛は冬也や秋利の母方の姓だ。
季秋家の子女は大人数の為、区別しやすいように母方の苗字で呼ばれていた。


「そんなことどうだっていいだろ。大人になるんだな岩崎」




鎮魂歌―41―




「誰の依頼で俺に嘘情報おしえたんだい?」
「ひ、ひいい!」
徹は基地に戻るなり、自分を騙してくれた無名の兵士を尋問した。
廃墟の焼け跡からは人間どころか猫の死体一つ見付からなかった。
間違いなく白州は生きている。
自分を襲った殺し屋の正体も動機もわかっているが、唯一証拠だけがない。
白州はただの一言も黒幕や自分の名前は言わなかった。
顔すら見せなかったし、身元に繋がる物質証拠も何一つ残してない。
徹に残された手掛かりは、この暗殺未遂事件に加担した無名の兵士だけなのだ。


「おまえなら犯人を割り出せる情報があるはずだ。
さあ、知ってることは全て吐いてもらうよ。洗いざらい全部だ」
「お、俺だって名前も顔も知らないんです。直接会ったことすらありません!」
「会ったこともないだって?見え透いた嘘をほざくんじゃないよ。
それとも俺を馬鹿にしているのかい?だとしたら大した勇気だ」
徹はその哀れな兵士の親指をへし折った。
「ぎゃあ!!」
親指は瞬く間に膨れ上がった。しかし徹の残忍な行為は止まらない。


「もう一本いくかい?」


「ひいい!!止めて下さい!!本当に知らないんです。
ただ携帯闇サイトの仕事募集で知り合っただけで……」
痛みに耐えかねて兵士は語り出した。
軍人は軍紀により副業はもちろんバイトも禁止されている。
高給取りの士官と違い兵隊達の中には隠れて小遣い稼ぎをしている者は少なくなかった。
この兵士もその1人、それも闇サイトという違法なバイトだ。
もっとも今はそんなことどうでもいい、徹に必要なのは情報だけだ。


「接触したのは間違いないだろう。いつどこでどんな方法で連絡を取った?」
「あ、あの……そ、それが……」
兵士の様子がおかしい。怯えきっている。
「そ、それだけは勘弁して下さい」
「何だと!10本全部折られたいのか!!」
「ひい!ゆ、許して下さい。す、すごく恐ろしい奴なんですよ。
元々、俺と友人の二人で仕事探してたんです。
依頼受けた時の条件が絶対に口外しない事だったんですが……。
で、でも友人は酒に酔って口を滑らせたんです。
『いい仕事見付けた。ちょっと嘘つくだけで大金が手に入る』って。
言ったのはそれだけですよ。他には一言だって話してません。
なのにその友人は……友人は……」
「何があった?」


「……死にました。その日の夜に交通事故で」


「その時はただの事故かと思いましたが次の日差し出し人不明の手紙が来たんです。
『後を追いたくなかったら他言無用』と……。
もう、こんな恐ろしい事には係わりたくなかったんですが、もう引き返せなくて。
だから、お願いします。どうか見逃して下さい。でないと俺まで殺される」
「言わなければ俺が殺すまでだ」
「そんなあ酷い、酷すぎる!」
どっちに転んでも待っているのはあの世への特急列車。




「べ、弁護士を呼んで下さい!」
「何だって?」
「このままじゃ俺死ぬんだ。だったら一秒でもこの世にしがみついてやる!」
男はすっかりやけになっていた。
弁護士がついていれば徹は手荒なことはしないと僅かな希望に縋ったのだろう。
そんな事を要求すれば徹のご機嫌をどれだけ損ねるか理解してないわけではない。
だが大人しく白状しても死ぬ運命ならば万に一つの可能性に賭けたのだろう。
「ど、どんな拷問されようが弁護士呼ぶまでは一言も話さない。ぜ、絶対話さない!」
「弁護士がいれば全部喋るのかい?」
「そ、そうだよ!」


「俺が弁護士だよ!」


「えええ!!」
「なんなら検事と裁判官も兼任してあげようか?」
徹は銃を取り出すと兵士の額に押し当てた。
「判決。主文・死刑」
「ひいい!わかりました!言う、言います!!」
兵士はついに観念した。
「依頼人との連絡方法は――」
それが兵士の最後の言葉だった――。
徹の目の前で兵士の頭はぐちゃぐちゃに砕け散ったのだ。




「大尉、今の銃声は!?」
海兵達が駆け付けてきた。皆、一様に頭部の原型がない惨殺死体を見て驚いた。
あまりの凄惨さに吐き気をもよおしている者さえいる。
「直ぐに非常線をはって犯人を捕えます」
「無駄だよ。もう逃げている」
徹には確証があった。銃弾は銃声よりも速かった。
普通なら銃弾の速度と銃声は同じスピードのはずだ。
それなのに銃声が一瞬遅かったのはかなりの超遠距離射撃だからに他ならない。
今から追い掛けても狙撃手は影も形もないだろう。


(こうなったら直接戸川の元に乗り込むしかない)














「あーあ、とんでもない事になったわね」

光子は泡風呂に浸かりながら溜息をついた。
(あの気色悪い男、あたしに風呂や着替えを提供して、何が目的なのか考えるまでもないわ。
今まで色んなスゲベ男見てきたけど、あそこまで露骨で卑しいのは珍しいくらいよ)
総統の息子・宗徳は外見も最悪だったが、中身はさらに醜悪だった。
頭も性格も性質も下劣の一言につきる。
どんな人間にも長所はあるはずだが、それが全く見当たらない。
人間の本質を見抜く事には長けているはずの光子にも見つけ出す事は不可能にすら思えるくらいだ。
そんな下等な人間が未成年の身で将官に就任している。
総統のコネがどれだけ絶大かつ有害なものか容易に想像できるというものだ。


美恵を捜す有力な情報掴んだら、あんな豚蛙さっさと始末してとんずらよ)


光子は風呂から上がると用意されていた真紅のドレスを広げて見た。
(何よ、これ。露出度が高い上にデザインなんか場末の三流じゃない。最悪のセンスね)
他に着るものがないので仕方なく着てみたが、サイズまで合わないというおまけつきだった。
(今日のあたしの運勢は大凶だわ)
光子は、もう溜息すら出なかった。














「残りのIDカードを奪えばアタシ達の勝ちね」
喜びのあまり月岡はカードを高く掲げてくるくると回転しながら陽気なステップを踏んでいた。
「あんまりはしゃぐなよ月岡。今回勝てたのは、あいつが遊び半分だったからだ。
後の二人はおそらく本気だしてくるぜ。もっと厄介な戦いになると覚悟したほうがいい」
「大丈夫よ三村君、アタシ達の愛の力で撃退しちゃうのよ」
「……やめてくれ。頼むから」
三村は戦う前からダメージを負ってしまった。
「三村の言う通りだ。今度の敵は前と同じように考えないほうがいい」
良樹は三村の意見に賛成した。


「俺達にできる事はただ精一杯全力を出し切ることだけだな。頑張ろうぜ」
こういう時、前向きな七原の性格はありがたかった。
だが三村が考えている事は七原とは少し違った。
「七原、もちろん全力は尽くす。でも今の俺達に必要なのは勇気や努力よりも戦略なんだ」
三村には何か考えがあるようだ。全員が三村を小さく囲み、その場に座った。
「普通に戦うだけじゃ駄目だ。俺達は連中と違って経験値が足りない。
そんな俺達が対等に戦うためには有利な土台が必要なんだ。
例えばベトナム戦争。大東亜の教科書では無敗だったアメリカに勝利したのは大東亜共和国になっている。
だが事実は違う。アメリカに唯一の黒星をつけたのはベトナムだ。
もっとも核兵器を使っていたら簡単に片がついただろうけどな」
良樹が「そうか、近代兵器がゲリラ戦法に負けたんだった!」と声を上げた。
反対に七原達はきょとんとしている。


「なあ三村、もっとわかりやすく言ってくれよ」
外国のサイトを違法な手段で閲覧している三村と違い普通の中学生はベトナム戦争自体知らないのだ。
「そうだな。もっと簡単にいえばプレデターだよ」
プレデターはアメリカ製のアクション映画だ。
三村が動画サイトからDVDにダウンロードしたものを見せてくれたことがある。
「力に差があってもゲリラ戦法にはなかなか勝てないってことだ。
あの映画の主人公は圧倒的に戦闘力で劣る相手にゲリラ戦法で勝っただろ?」
「敵が攻めてくる前にトラップ仕掛けて待ち伏せするのね。
下手に動き回るより、ずっと効率いいわ。アタシは三村君に賛成よ」
三村の発案ということを除いても最良の手段と思ったのだろう、月岡はすぐに賛成した。
「そうと決まれば早速行動だ。敵さんが来る前に戦闘態勢ばっちりとっておかないとな」
「よし、すぐに準備だ。さっさと終わらせて皆を助けにいこうぜ」














「あら」
光子が脱衣所から出ると廊下の壁に背もたれした箕輪がいた。
光子の姿を確認し壁から背を離したところを見ると、光子を待っていたようだ。
「殿下があなたを迎えによこしたのね」
「着いて来い。時間がないから直ぐにだ」
光子は言われた通り箕輪の後に続いた。
箕輪は廊下を曲がる度に何かに警戒するようなそぶりを見せていた。
(何か変ね。まるで何かを警戒しているみたい)


「入れ」やがて薄汚れた小部屋に通された。
「何よここ。まるで物置じゃない」
「つべこべ言わずにこれに着替えろ」
箕輪が差し出した服を見て光子はこれ以上ないくらい瞳をぱちくりさせた。
地味な色、おまけに汚れている。
「これって……」
「女用の歩兵服だ。それを着て裏口からさっさと出て行け」
「ちょっと待ちなさいよ。どういうことよ」
「説明している暇なんかない。おまえが宗徳殿下のような男が好みなら余計な事はしないが」
「好み?」
光子は露骨に嫌悪感を出しまくった。冗談じゃないと顔に書いてあるのは明らかだ。




「ああいう男が嫌いなら直ぐに出ていけ。出ないと泣くだけじゃ済まなくなるぞ。
殿下がどういうつもりでおまえをそばに置こうとしているのかわからないほど幼稚な年齢でもないだろう」
言われなくても光子はこういう事には普通の女の何倍も敏感だ。
まして宗徳のあの卑しい目付きを目の当たりにすれば尚更のこと。
「あなた、あたしを助けようっていうの?ばれたらあんたの立場ないんじゃない?」
「そう思うならさっさと出て行け」


(こいつ口は悪いけど、あの豚蛙と違ってまともな性格みたいね。
それとも、こいつも女好きであたしに借り作って後で返せなんて言う腹かしら?)


赤の他人の厚意を素直に信じられるほど光子は甘い人生を送っていない。
今まで光子に親切面して近付いて来た獣は一人や二人ではなかった。
(そんなクズは一人残らず痛い目に合わせてやったけどね)
この男はどうだろうか?今まで出会ったクズとはかなり雰囲気が違うとはいえ男は男。
(試してやろうかしら。あたしに見返り求めるようなら今のうちに始末した方がいいし)
光子は箕輪の腕にそっと手を添えた。
「……何だ?」
光子は愛くるしい外見からは想像もつかないほどエロスの技術には長けている。
その触り方一つとっても、まるで長年花柳界で修業したようにセクシーだった。
たいていの男はこれだけで有頂天になる。
ところが――。


「俺に触るな!」


箕輪は全く逆の反応を示した。光子の手を振り払ったのだ。
おまけにまるで仇敵を見るかのような目を光子に向けている。
殺気すら感じ光子はやばいと思った。




「勘違いするな!俺はおまえなんか助けてやる気はない。
俺はただあいつのくだらないお遊びを俺の間近でされたくないだけだ!!」
「気に障ったなら謝るわ。お願いだから大声出さないでよ」
箕輪は冷静さを取り戻したが嫌悪感をあらわにしたままだ。
「……あなた、女に触れられられたことないの?」
箕輪の過剰反応に光子は思わず質問した。
いや、こんな綺麗な顔した男なのだ、それはないだろう。
女の方がほかっておくはずがない。
箕輪は光子の問いに素直に答える気はなかった。
ただ絞り出すように一言だけ言った。


「――女は嫌いだ」


(ストイックなんてレベルじゃないわ。女嫌いよ、それもかなり重度の。
随分潔癖な男ね。それとも女性不信なのかしら?)
そんな特殊な性質の男とは思ってもなかった。
光子は失敗したと心の中で舌打ちした。
箕輪の光子に対する心証はかなり悪くなっただろう。
この先何かあっても救いの手は期待できない。
「あいつはただの女好きじゃない。変質者だ」
(あの顔見ればわかるわよ。思った通りだわ)
「俺は参加した経験がないから具体的な事は何も知らない。
だが、あいつがお遊びをする度に表沙汰にできない事件が起きる。
弄ばれた女が自殺したのは一度や二度じゃないんだ。
先月も妹に死なれた男が暗殺未遂事件を起こして揉み消すのに大変だった。
いい加減、あいつの尻拭いはうんざりだ。だから、おまえを追い出したい、それだけだ!」
「そう、よくわかったわ」


(ちょっと話聞くだけで相当な苦労してるわね。確かにたまったもんじゃないわ)


「おーい、あの女まだ風呂なのか?」
「そうらしい。殿下が痺れ切らしてるぜ。そろそろ連れてかないと」
廊下から複数の声が聞こえる。




「……最悪だな。あいつの取り巻き達だ」
宗徳の周りには変態プレイを好む性癖の持ち主が集まっていた。
まさに類は友を呼ぶである。
総統の息子が変態仲間とつるんで際どい遊びに興じているなど外聞が悪い。
そこで表向きはご学友ということになっている。
「見付かったら終わりだ。俺の忠告に従ってさっさと出ていけ」
「ねえ最後に一つだけ聞かせて」
「おまえなんかに付き合ってる暇はない」
「そう言わないで。簡単な質問よ」
箕輪は渋々と「だったら早く言え」と言った。


「もしも宗徳殿下が急死したらあなた嬉しい?」


箕輪の表情がぴたっと止まった。
予想もしてない問いに戸惑ったか、それとも本心を悟られまいとしたのか、ふいっと光子に背を向けた。
そして、たった一言「聞かなかったことにしてやる」とだけ言った。
光子はニヤリと笑った。


(図星だったようね。ふふ)














「竜也どうする?」
「何がだ、敦?」
「何がって氷室隼人だよ」
こんな田舎に隼人が来るとは思ってなかった佐々木達はひどく狼狽していた。
「こいつら始末した方がいいんじゃないか?」
美恵達はぞくっとしながら海老原達の会話を聞いていた。
自分達の命はこの冷酷非情な男の手に握られているのだ。


「殺すだと?せっかく捕えた連中だぞ。
こいつらに情報を吐かせれば何十人というお尋ね者を一網打尽にして手柄たてられる。
それを殺すだあ?殺すなら男二人だけにしろ」
鉄平と泰三は目眩がした。
幼い頃に死に別れた両親の姿がぼんやりと見えるような気すらする。
「なあ竜也、こいつらと氷室を接触させたら絶対に天瀬良恵のことがばれるぜ。
今度は降格と追放だけじゃ済まないかもしれない。今のうちに全員末しちまおう、な?」
佐々木の意見に武藤も島村も次々と賛成の意を表明した。
「敦の言う通りだ。やっと帰国できたんだぜ。
なのに、ほとぼりも冷めないうちに同じ事件起こしたなんて上にばれたらマジでやばいぜ」
「ああ、それに今度こそ五期生とどっちかが死ぬまでやり合うことになりかねない。
特にXシリーズとあの女にイレ込んでる佐伯の野郎が……」
海老原は地面を右足でどんどんと踏み鳴らしだした。
佐々木達は顔面蒼白になって、やばいと思った。
これは、ずっと昔からの海老原の癖で、かなり苛立っているときに起こす行動だったのだ。


「……そんなに氷室が怖いのか、俺を誰だと思っている?
四期生最強の特撰兵士・海老原竜也様だぞ。氷室なんざ目じゃねえ!」
海老原はすっかりご機嫌を害してしまった。こうなったら、もう誰も何も言えない。
言えば自分達にとばっちりがくるのがわかっているからだ。
「……OK、わかった。もう何も言わないよ竜也」
「当然だ。二度とくだらねえことを言うな」
佐々木達は海老原の意に従うふりをしたが内心納得していない。
彼らは海老原と違い本心は保身を優先させたがっている。
(……やばい。竜也にさからえねえが、だからといってまた巻き込まれるのはごめんだ)
佐々木は海老原にばれないように戸川に連絡を取った。









『こんな真夜中に何の用だ?』
「……実は」


佐々木は全てを話した。
携帯電話の向こうから戸川の呆れた顔が見えてくるようだった。
『それで俺に何をしろと?』
「頼む助けてくれよ小次郎。竜也は俺達の言う事なんか聞きゃしないんだ」
『俺の言う事なら素直に聞くと思っているなら随分と甘い考えだな。
あいつがそんな人間か?俺が意見をすれば返って逆効果だ、ますます意地になるぜ』
戸川の分析は正しかった。
海老原は目下の者よりも対等の立場の人間に意見されるとますます意固地になる性格だ。
「それはわかってる。俺は誰よりも長い間あいつを見てきた人間だぞ。
説得してくれなんて言わねえよ。なあ頼む、知恵をかしてくれ。
あの女に危害加えようとしたのも竜也の独断なんだ」
『だが、おまえ達は天瀬良恵から手を引くこともしなかった。そうだな?』
「あ、ああ、そうだ。だが竜也の性格はおまえも知ってるだろう?逆らったらどうなるか」
『俺なら帰国早々、それも任務中に過去に取り逃がした女なんかにこだわって
竜也のバカなお遊びに付き合ったりしない』
戸川の冷え切った口調に佐々木の焦りはピークに達した。


「小次郎!おまえだけが頼りなんだ、こんなこと克巳にはとても話せられねえ!」
『下手な芝居はやめろ。こういう時、おまえらが頼りにするのはいつも克巳だっただろう。
克巳はこういう分野は大の得意だ。さっさと連絡して克巳大明神様におすがりしたらどうだ?』
「出来ればやってるさ……だが竜也は真壁沙耶加に危害を加えようとしたんだ」
『真壁沙耶加に?なるほどな、竜也の馬鹿さかげんもそこまできたか』
携帯電話の向こうにいる戸川の声は完全に呆れ返ったものだった。
『それじゃあ、おまえらが克巳を頼れないのも無理ないな。
克巳にばれたらどうなるか。克巳を完全に敵にまわすことになる。
少なくてもほとぼりが冷めるまでは克巳とは接触できないな。同情するぜ』
「だ、だから頼れるのはおまえだけなんだ。頼むから助け――」
『男ならてめえの尻拭いくらいてめえでやれ』
戸川は冷たく電話を切り捨てた。









「……おまえ達なんかにかまってられるか。こっちは海軍の威信がかかってるんだ」
本当に忌々しい連中だ……戸川は苛立っていた。
それは白州から今だに作戦成功の連絡がないからだ。
(何を手間取っているんだ白州、佐伯ごときに俺をこれ以上、俺をいらつかせるな!)









「おまえらなんかに係わったせいで俺達は大迷惑だ!」
島村は美恵達を地下室に放り込んだ。
とりあえず殺されずは済んだが、それもとりあえずかもしれない。
海老原が気まぐれをおこせば簡単に殺されるだろう。
殺されずに済んだとしても、このまま拘束され国防省関連施設に連行される。
「それにしてもどうして俺達の居場所がばれたんだろ……」
泰三がぽつんと言った。
「結城の奴がちくったんじゃないのか?だから帰ってこなかったんだろ」




「……結城じゃない。喋ったのは俺だ」




地下室の隅でうごめいている影があった。
美恵は最初は恐怖で硬直したが、その声がやけに弱弱しいことに気づいた。
そこで、なるべく威圧感を与えないように静かに話しかけた。
「誰なの?」
「……鮫島だ」
「鮫島?」
加奈が深いな声を上げた。
「俺が話した……俺が……」
鮫島はライターに点火した。暗闇に鮫島の顔が浮んだ。
「あんたがあたし達を売ったのね、この卑怯者!」
加奈は鮫島に飛び掛った。鮫島の表情が苦痛に歪んだ。


「加奈さん、やめて!」
美恵は加奈を止めようとしたが、加奈の勢いは止まらない。
「離して!こいつのせいであたし達つかまったのよ、殺させるかもしれない!
許せない、絶対に許せないわ!よくも、こんな酷い事ができたわね。人でなし!!」
「加奈さん、駄目よ。乱暴しないで!」
「どうしてよ?こいつはあたし達を売った人間なのよ!」
「この人怪我してる。それも重傷だわ!」
「怪我?」
そこで初めて加奈は鮫島がひどく弱りきっていることに気づいた。
それだけじゃない。顔には傷がつけられている。
着ている物はずたずたで血も滲んでいる。明らかに拷問を受けた痕だ。


「……おまえらには悪いと思っている。殺されても文句は言えない。
だが後悔はしてない。俺にも守りたいと思っている人間がいる……」
加奈は鮫島を殴ろうと振り上げていた拳を下げた。
「……どうしてだ?」
「誤解しないでよ、絶対に許さない。一生、あんたなんか恨んでやる。
でも怪我人を袋叩きにはしないわ。そんなことして最低の人間になりたくないだけよ」
加奈は怒りを封じ込めたが忘れてやったわけではない。
元々鮫島のことを良く思ってなかっただけに怒りの度合いは大きかった。
しかし、それを差し引いても鮫島が受けた拷問の傷跡は痛々しいものだった。
加奈は途惑っていた。
怒っていいのか、同情するべきなのか自分でもわからない。
わかることは、この鮫島も含め自分達は今、光の見えない真っ暗闇を歩いているということだけだ。
奇跡が起きない限り海老原達の魔の手から解放されることはないだろう。









「敦、小次郎は何て言ってた?」
「駄目だ。俺達を助けてくれるつもりなんか全くないってよ」
武藤と島村はがっくりと肩を落とした。
「……やっぱり克巳に素直に話しちまおうぜ。それしかねえよ」
「馬鹿なこと言うな!しばらく克巳とは接触しないほうがいい。
俺達が鮫島の口を割らせるためにやろうとしたことがばれたらどうなると思うんだ?
竜也より厄介なことになるかもしれねえんだ」
外見の優男ぶりからは想像もできないほどの水島の残忍さを
リアルで見てきた3人だからこそわかる恐怖がそこにはあった。


「……くそったれ。氷室がここから立ち去るまで怯えて隠れてろっていうのかよ!」
「おまえまであれるんじゃねえよ勝則、大丈夫だ、こんな田舎にいつまでも氷室がとどまっているわけない。
少しの辛抱だ。なーに、そんな深刻になって悩むことねえよ。絶対に大丈夫だ」
「そ、そうだな。この件を知ってるのは俺達と今地下室にいる連中の他には 天瀬良恵だけ。
その肝心の生き証人は謎の男にさらわれて行方不明なんだ。
心配する事はねえよ。つまり、この件をちくれる人間はいやしねえんだ」
3人は今まで焦燥しきっていたのが嘘のように明るくなりだした。
「そ、そうだな。なーんだ、深く悩むことなんかなかったじゃねえか。
この件を知っている人間は……おい、ちょっと待てよ」
島村が何かを思い出した。大事なことを忘れていた、それを今はっきりと思い出した。


「……おい、いるじゃねえか。知っている人間が、もう1人!」














隼人は深夜レストランに入店した。サングラスと帽子で変装をしている。
窓際の席につき、コーヒーを一杯だけ注文した。
ウエイトレスが注文の品をおいて立ち去ると、隼人は小声だが威厳のある声で振り向かずに言った。


天瀬良恵に関する情報を提供するというのは本当か?」


隼人の背後の席に男が座っていた。その男も振り向かずに小声で応えた。
「ガセネタで特撰兵士を騙すメリットが俺にあるとでも?」
男はさらに続けた。
「あんたも事実だと確信したからこそ、こんな時に、こんな場所においでなすったんだろ大尉殿?」
その通りだった。そもそも、良恵の手掛かりを求めて、この地に来たのだ。
そして情報提供者が現れた。ビンゴだ。


「まず名前を聞こう。最初に断っておくが偽名はなしだ。俺に嘘は通じないぞ」
「わかっている。あんたは特撰兵士の中でも凄腕で有名だ。
そのあんたを騙そうなんて度胸俺にはない。メリットもない。
俺の名前は結城、あんたみたいな有名人とは違い無名の人間だ」
「おまえも軍人だな」
「なんでわかる?……って愚問か、あんたには。俺は陸軍の一般兵士だ」
「もしかして軍医見習いの結城司か?」
「あんたみたいな有名人が俺なんかを知っていてくれたなんて光栄だな」
「雑談なんてどうでもいい、本題にはいろう。おまえの知っている情報を全て話せ」
「全て話すとも。その代わりに俺の条件を飲んでもらいたい
俺はこの件で命を狙われている。俺の身の安全と診療所での違法診療の免責を保証してもらいたい」
「いいだろう。特撰兵士の氷室隼人が全面的に保証してやる」
「口だけじゃ信用できない。書面で――」
その言葉が終わらないうちに、隼人は懐から1枚の紙切れを取り出し結城に差し出した。
隼人は全てを予測していたのだ。公的なサインもある正式な書類だった。


「取引成立だな。俺が知っていることは全て話そう」




【B組:残り45人】




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