俺のすぐ下の弟の秋利(あきとし)そっちは二番目の弟の冬也(とうや)
ほら、おまえら挨拶しろ。おもいっきり愛想よくな」
貴子は二人をじっと見つめた。
「ま、よろしくなあ貴子ちゃん」
秋利はニッコリと笑ってみせた。
「こちらこそよろしく」
一応礼は尽くしてやったが貴子は内心疑心暗鬼になっていた。
(表面は友好的な顔してるけど、気配を消して人の背後にいつの間にか立ってたような男よ。
この笑顔の下で何を考えているかわかったもんじゃないわ。油断しないほうがいいわ)
秋利は見るからに温厚そうなタイプだった。少なくとも外見だけは。
先程の件がなかったら貴子も何の疑いも持たずに好青年と思ったことだろう。
しかし、その上品でインテリな面立ちとは裏腹に瞳の奥には得体の知れない冷たい光が見え隠れしていた。
だが、冬也は秋利以上に油断のならない男だった。
「よろしくされたかったらせいぜい俺様の機嫌を損ねないようにしろよ」
「何ですって?」
そう、冬也にいたっては完全に性格が複雑骨折していたのだ。
(あたしも褒められた性格じゃないけど、ここまで酷いのは初めてよ。
これが初対面の人間に対する態度なんて。可愛いげのかけらもないじゃない)
「おまえ今俺のこと可愛いげのかけらもないと思ってるだろ?」
(おまけにやたら勘がいい。何て奴なのよ)
「すっかり打ち解けたみちたいだな。仲良くなってくれて、よかった、よかった」
ニコニコと上機嫌の夏樹。
(あんたの目はふし穴なの?これのどこが仲良く見えるのよ)
「この通り俺に似て性格のいい奴らだ」
「性格がいいんじゃなくて、いい性格してるの間違いでしょ」
「何か言ったか?」
「何も」
「……まあいい。貴子、少し待っていてくれ。こいつらとちょっと話がある。
すぐに戻る。そのくらい我慢できるだろ?」
夏樹は二人をともなって部屋を後にした。
鎮魂歌―40―
「で、おまえら何の用で来た?」
「しらばっくれるなんて、おまえも随分いい性格してるじゃないか。
あんな素人、しかも厄介なお尋ね者に肩入れするなんて。
いつの間にに無駄な労力費やす趣味持つようになった?」
「冬也の言う通りだ、プログラムの件はじいさんや伯父さんが首謀者始末することで片つけたはず。
今更蒸し返すなんて過去にはこだわらん兄さんらしくないなあ」
「俺はけじめつけたなんて思っちゃいないぜ」
その時の夏樹は怖い顔をしていた。それは通常身内にしか見せない本性でもある。
「おまえ達が忘れても俺は決して忘れない」
「それにプログラムは季秋を妬む一部の人間の仕業だったが、中央政府の本音でもあるんだぜ。
おとなしく綺麗さっぱり水に流していたら舐められるだけだ」
「勘違いするなよ兄貴。俺は忘れちゃいないぜ。
ただ、それとおまえがあの素人と組む必要性が理解できない。
何の得がある?余計な揉め事に係わるだけじゃねえか」
「奴らの中にK-11の関係者がいると言ってもか?
それも連中が命懸けで守ろうとしている人間だぜ」
K-11の名を出すと秋利も冬也も口を閉じた。考え言葉を選んでいるようだ。
「K-11は生半可な連中じゃねえ、味方につければ大きな戦力になる」
「わかっただろ。さあ早く逃げるんだ」
だが彼らの気遣いは手遅れだった。
外からヘリコプターが着地する音と物々しい歓声が聞こえてくる。
「もう来たのかよ!」
「しかたない隠れてろ。後で隙見つけて逃がしてやるからな」
ありがたい警告だったが光子には素直に従うつもりなんて毛頭なかった。
(さて、まずはじっくりと観察させてもらうわよ)
光子は建物の陰からじっとヘリコプターを見つめた。
プロペラが止まりドアが開くと歓声がさらに大きくなった。
「宗徳殿下!」兵士達はその名前を口々に連呼している。
もっとも声量こそ高いが、全く熱がこもってない。
しかも表情はシラけており兵士達が本心から歓迎していないことは一目瞭然だった。
(ふーん、人望ゼロなのね。ちょっと話聞いただけでも馬鹿で性格も悪いみたいだから当然といえば当然よね)
やがて、ヘリコプターの中からびしっと洗練されたスーツ姿の男性が登場した。
(あら!)
光子は目を見張った。
この国の最高権力者が愛人に生ませた息子というから、きっと外見だけはいいだろうと想像していた。
だがまさかこれほど美しい青年だったとは、想像をはるかに越えている。
顔もよければ、スタイルもいい。
表情もきりっとしていて、仕種も優雅で様になっている。
まさに360度どこから見ても完璧な美貌。
(すごく上品で知的な顔じゃない。本当に馬鹿なのかしら?)
納得できない光子、その光子の視界にもう一人ヘリコプターから降りる男が出現した。
(げっ!何よ、あの生き物は!)
それは光子が今まで見ていたどんな不細工よりもさらに醜い容姿の男だった。
光子ほどの美少女には人間にすら見えなかっただろう。
顔形が恐ろしく悪い。体もぶくぶく太っており動作が鈍い。
肌寒い季節だというのに大量の汗をかいており体臭が臭ってきそうな気さえする。
(何よ、あのお付きは。もしかしてペットかしら?だとしたら悪趣味過ぎるわ)
さらにいかにも軽そうで派手な服装と厚化粧で決めている女の集団が不気味な生物の後に続いて降りてきた。
(また変なのがでてきたわ)
低度が低いの一言につきるような女達。
長所といえばボディラインの凹凸が見事なところくらいだ。
まともな男なら絶対に本気にならない連中。
だが性欲の対象としてならぴったりの相手だろう。
(それにしても悪趣味にも程があるわ。
あれだけの容姿なら総統の息子なんて肩書がなくても美女なんてより取り見取りだろうに
わざわざあんな肉体だけのビッチを取り巻きに選ぶなんて)
やがて勇二が総統息子様ご一行に近付いて行った。
「世話になる。よろしく頼む」
総統の息子らしき男が勇二に軽く頭を下げていた。
(謙虚で礼儀正しいのね。ますますわからないわ、どうしてあんなクズな取り巻きがいいのかしら?)
「ようこそ殿下」
勇二もうやうやしく頭を垂れている。
「挨拶なんかよりさっさと部屋に案内しやがれ。粗末な部屋だったら承知しねえからな!」
謎の不気味生物が偉そうに怒鳴り付けた。
(え?)
光子はまさかと思った。嫌な予感がする。
「殿下の希望に添えるがどうかはわかりませんが可能な限り最上の部屋を用意しました」
「だったらさっさと連れてけよ。本当におまえら戦争屋は愚図で気がきかないな」
(ま、まさか…だって総統が愛人に生ませたガキでしょう!?
昔から権力者の愛人は美人って相場が決まってるじゃない。
どうしてあんな気色悪い不細工が生まれるのよ!!)
納得できない光子だったが、それは紛れもない事実だった。
「箕輪さっさと荷物運べよ」
光子が総統の息子だと思ったハンサムの方がお付きだったのだ。
(無理だわ)
光子はぞっとした。
(いくら何でもあんな気持ち悪い男近付くのもごめんよ)
光子はゆっくり後ずさりしだした。
ばきっと妙な音が足元から聞こえた。おまけに変な感触まである。
視線を下げると靴の下で折れている枝が見えた。
(ちょっと!)
光子痛恨のミス。
「お、おい誰だよ、あの女は!」
下品な声が光子を直撃した。恐れていたことが起きたてしまった。
兵士達はぎょっとして光子を見つめた。
中には市場に連れていかれる子牛を見るような憐れみすら浮かべている者もいる。
「び、美人だ、美人だ!何でこんなむさ苦しい場所に!」
不気味な笑みを浮かべながら大喜びする宗徳を見て光子は決意した。
(……殺るしかないわね)
「こっちも半端な思いでこんなゲームやってるわけじゃないんだ。覚悟してもらうぜ!」
良樹は地面に伏せている岩崎向かってさらに銃を構えた。
もう一度脚にお見舞いして完全に動きを封じるつもりなのだ。
「うざいぜ。クソガキ!」
岩崎は素早く土を握りしめると良樹の目におもいっきり投げ付けた。
「……くっ」
視界を閉ざされ良樹は一瞬動きを止めた。
その僅かな隙をつき岩崎は跳び上がった。
しかし片脚のみの跳躍には今までのような切れも高さもない。
「逃がすか!」
すかさず三村が腕を伸ばし岩崎の足首を掴んだ。
そのまま二人はバランスを崩し地面に叩き付けられる。
「今だ。早く押さえつけろ!」
「あ、ああ!」
沼井が立ち上がろうとする岩崎の上半身な飛び付いた。
「おまえらスッポンかよ!」
拘束されてたまるものかと岩崎は沼井の顔面に渾身の力を込めたパンチをお見舞いした。
「どうだクソガキ、あんまり調子にの……」
岩崎の表情がこれ以上ない程の傑作になった。タイトルはずばり『驚愕』。
月をバックに巨大な影が宙を飛んでいたのだ。
それは岩崎をすっぽり覆ってしまう程の大きさだった。
「残念♪敵は沼井君だけじゃなくてよ」
月岡だ!空飛ぶオカマ月岡マン……いや月岡ウーマン、その雄姿を良樹達は決して忘れないだろう。
そして、この直後岩崎に起きた悲劇も……。
「ぎゃああ!!」
月岡は赤松と杉村を除けば3Bで一番の巨体。
その肉体爆弾が見事に投下されたのだ。
標的岩崎はまともにそれをくらってしまった。鈍い音がして辺りはシーンと静まり返った。
全員ボカーンとして月岡を見つめた。
月岡と地面の僅かな隙間から岩崎の手足が出ているがぴくりとも動かない。
車に轢き殺された蛙さながら……。
「お、おい……まさか死んじまったんじゃねえだろうな」
沼井が恐る恐る言葉を紡いだ。
「ま、まさか!」
七原が慌てて岩崎の腕をつかみ、引っ張り出そうとした。
とにかく呼吸の確認を急がなければ。
「慌てないでよ七原君。アタシがどけばすむことじゃない」
「あ、そうか。焦り過ぎて忘れてた」
月岡がゆっくりと起き上がった。岩崎は完全にのびている。
「ヅ、ヅキ……おまえついに人殺しちまったんだな」
「やあねえ沼井君、マジにならないでよ。大丈夫、気を失ってるだけよ」
「本当だろうな?」
「もちろんよ。第一か弱い乙女のボディアタックくらいで死人がでるわけないじゃない。失礼しちゃうわ」
「う、うるせー!それよりもさっさと何とかカードってのゲットしちまえよ!」
「わかってるわよ。全く人使い荒いんだから」
月岡は岩崎の懐を探り出した。
「左の内ポケットにはないわね。じゃあ右のポケットかしら?」
「調子に乗ってんじゃねえよクソガキ」
「え?!」
月岡が珍しくぎょっとなった。それは良樹達もいっぱいだ。
完全に意識を失ったと思っていた岩崎の目が開いている。
「逃げろ月岡!」
良樹が叫ぶより先に岩崎が月岡の手首をすごい力で掴んできた。
月岡の巨体が空中で回転する。
「危ない月岡!」
月岡が地面に叩き付けられてしまう。
間一髪で七原が月岡を受けとめ激突はなんとか食い止めた。
だが岩崎はすくっと立ち上がると、やや足元をふらつかせながらも月岡と七原に襲い掛かった。
「させるか!」
良樹が強烈なボディタックルを炸裂した。岩崎の体がぐらっと大きく傾けた。
岩崎が良樹の襟を掴んだため、良樹もバランスを崩した。
そして二人の体は傾斜を転がり落ちて行った。
残された三村達にはどぼんという水の音だけが聞こえた。
白州は素早くライフルの銃口を徹に向けた。
が、白州が引き金を引く前に徹の蹴りがライフルを叩き落とした。
さらに徹の脚は急上昇、最高点に達すると今度は猛スピードで下降した。
白州の脳天目掛けて踵落としだ。
白州も即座に両腕を交差させ徹の攻撃を防ぐ。
咄嗟に頭部を守った白州だったが徹の動きは止まらなかった。
徹は凄まじい勢いで回転した。今度は回し蹴りだ。
白州も徹の攻撃にすぐに反応し、ボディへの直撃を防ごうとぱっと後ろに飛んだ。
ぎりぎりでかわせるはずだった。
ところが白州は横腹に強烈な痛みを受け蹴り飛ばされていた。
白州の反応は早かった、通常ならばかわしていただろう。
だが先程の爆発によって受けたダメージにより動きが鈍っていたのだ。
「おやおや、今までの勢いはどうしたんだい?」
徹は俄然優位に立っていた。
徹自身怪我を負ってはいるが爆弾の直撃を背中にまともに受けた白州の方がずっと深手なのだ。
「さあ吐いてもらうよ。誰の命令なのか、洗いざらい全部だ」
徹が言葉を綴っている間にも白州の背中からは流血が続いている。
白州の戦闘能力は徐々に低下していた。
動きが鈍くなった上に視界までぼんやりしてきている。
もはや勝負の行方はほとんど確定していた。
「誰の命令なのか見当はついている。君も潔く全てを明かすんだね。
そうすれば君の命は助けてやってもいい。俺の望みは奴の失脚だ。
それさえ叶えば君の責任を問わなくてもいい。悪い話じゃないだろう?」
徹は巧に揺さぶりをかけた。
どれだけ忠実顔した人間でも所詮は我が身が可愛いはず。
命欲しさに土壇場で上官を裏切ることよくあることだ。
徹はそういう人間を数えきれないほど見てきた。
だからこそ他人なんて信用しない人間に成長した。
良恵はあくまでも例外中の例外だ。
良恵以外の人間など信じない。それが徹の信念でもある。
この男も直に黒幕の名を明かすだろう、徹はそう信じて疑っていない。
「さあ言ってごら……」
徹ははっとした。白州が素早く腕を後ろに回した。
(銃か?!)
徹は即座に脚を突き出した。白州が銃をとる前に喉に一撃を加えてやる。
呼吸困難に陥って反撃どころでは無くなるだろう。
だが白州は徹の攻撃を読んでいたのか、予定していたかのように上半身を後ろに反らし徹の蹴りをかわした。
さらにそのままとんぼをきったかと思うと、まるで床運動のように見事な連続後ろ回転を披露。
そのまま一気に徹との距離をひろげた。
徹は蹴りの体勢にでたためにワンテンポ遅れをとった。
しかし、逃がすつもりはない。すぐに追い掛けた。
白州は廃屋の窓を突き破りながら中に飛び込んだ。
(鬼ごっこでもしようっていうのかい。この期に及んで、潔い良さのかけらもないね)
「だったら捕まえてやるだけさ」
徹も廃屋に飛び込んだ。白州の姿を確認。
怪我のせいで動けないのか建物の隅でじっとしている。
「そろそろ観念したかい」
徹が建物の中央まで来ると白州は突然立ち上がり窓から外に飛び出した。
同時にカチっと聞き覚えのある嫌な音がした。
(まだ爆弾を仕掛けていたのか!)
徹はドアを蹴破って緊急脱出していた。
際どかった。後コンマ一秒でも遅かったら間違いなく死んでいた。
しかも危機はまだ回避されてなかった。
すぐ隣の建物が風船のように膨らんだのだ。
(ここにも爆弾が!)
気付いた直後に大爆発だった。徹は咄嗟に車の陰に飛び込み何とか直撃だけはさけた。
周囲を見渡すと肝心の白州がいない。
(奴はどこだ?)
十字路の向こう側にちらっと人影が見えた。
(いた、奴だ!)
徹は全速力で後を追った。
あの体では形勢逆転など無理だと思ったのが間違いだった。
もう黒幕を吐かせることにこだわっている余裕もない。
生け捕りなんて甘いことを考えていたらやられるのはこちらの方だ。
「確実に息の根止めてやる!」
白州は爆風と爆炎に紛れながら辛うじて逃げているに過ぎない。
徐々に徹に距離を詰められていった。
頼みの綱である爆弾は残り僅か。
徹は戦場経験を生かし、その全てをかわす事に成功している。
「消えた」
白州が曲がり角を走っていくのを確かに見た。
だが徹が角を曲がると白州の姿がどこにもなかったのだ。
「……どこに行った?」
徹は全神経を集中させた。全く気配がない。
またしても白州は気配を絶ったようだ。
(……この建物の配置は)
徹は周囲八方を見渡した。高楼の廃屋に囲まれている。
(もしも、これ全てに爆弾が仕掛けられていたら……)
徹の脳裏にダイナマイトで爆破処理されるビル群の映像が浮んだ。
あれほど大規模でなくとも、少なくても人間1人くらいを死体に変えるには十分の破壊となるだろう。
(すぐに、ここから離れなければ。ここで爆発されたらやばい)
白州は廃屋の二階にいた。徹の背後にある建物の二階だ。
そして、その場から離れようとした徹の背後に降り立った。
「貴様!」
徹は即座に銃を手にした腕を後ろに伸ばした。
だが白州のほうが早かった。徹に羽交い絞めをかけてきたのだ。
「何をするつもりだ!?」
徹の動きをとりあえず封じただけ、これでは意味がない。
今は徹をかろうじて押さえつけているが、負傷した身ではいずれ力づくで振り払われるだろう。
歴戦の暗殺者がそのことに気づいてないわけがない。
「何が狙いだ!貴様、何を考えている!?」
白州は明らかに時間稼ぎをしている。
その理由はすぐにわかった徹の目の前で高楼の廃屋の1つが爆発、派手に瓦解した。
連鎖反応をしているかのように次々に周囲の建物が破壊してゆく。
(こいつ、俺を殺す為に自分自身を犠牲にするつもりだ!)
それは恐ろしい結論だった。
徹自身、自分の任務を命懸けでこなしてきた経験はある。
だが命をかけるのと、命と引換えにするのとは根本が違う。
「なぜだ!」
徹はありったけの声を出して叫んだ。
「なぜ、そこまでして俺を殺そうとする!わかっているのか、おまえも死ぬんだぞ!!
なぜ我が身を犠牲にしてまで命令に従う、おまえにとって何なんだ!!」
「全て!たとえ、この身は肉片1つ残さず、この世から滅び去ろうともお守りしなければならない全てだ!!」
徹は自分の誤算に気づいた。
この男を動かしているのは金でも仕事に対する意地やプライドでもない。
忠誠心どころじゃない、まるで教祖と狂信者だ。
本気で、本気で自分の命と引換えに徹を殺そうとしている。
徹を囲っている高楼が一斉に炎に包まれた――。
「雨宮、雨宮!」
七原達は必死になって川沿いを走った。どこかに良樹がいるはずだ。
水面や川岸には姿が見えない。まさか水中、いや水底では?嫌な予感が頭を過ぎる。
「畜生、どこに行ったんだよ。まさか溺れ死んじまってねえよな」
「ちょっと沼井君!あなた不謹慎すぎるわよ」
「でもヅキ、これだけ捜して影も形も見えないんだぜ」
「そうよ、死体もね。と、いうことは生きてる可能性もある。五分五分よ」
「うわー!」
突然の悲鳴、全員が驚いて国信を見た。
「慶時、どうしたんだよ?」
「あ、あそこ!あそこだよ!!」
国信が指さしたのは流木だった。その枝の陰に人間の頭らしきものがちらっと見える。
「雨宮だ!」
良樹を発見したものの、素直に喜ぶわけにはいかなかった。
良樹はぴくりとも動いてない。遠目からでは生きているのかどうかもわからなかった。
「雨宮!」
七原は川に飛び込んだ。三村も後に続く。
「ちょっと沼井君、あなたも飛び込みなさいよ!」
「え、俺?俺、水泳はそんな得意じゃねえんだぞ。あいつらみたいには……」
「あーもう!男ならつべこべ言わないの!!」
月岡は沼井を川に突き落とした。
3人は生死の確認もさながらに良樹を救助。川岸に引き上げた。
「雨宮君、大丈夫?ああ、こんなに冷たくなって可哀相に。
どうしよう、どうしたらいいの?ああ、とりあえず人工呼吸しなきゃあね。
三村君の前で気が引けるけど、人命救助ならしょうがないわ。ちょっと失礼」
月岡は良樹の頬を両手で挟んで唇を近づけた。
「……大丈夫だ。俺、生きてるよ月岡」
月岡の唇が触れる直前で、良樹が覚醒した。
「まあ、よかったわ。体は大丈夫、雨宮君?」
「ああ、でも疲れた……休暇が欲しいよ」
「そんな冗談言えるならもう大丈夫ね。ところで、あいつはどうしたの?」
良樹がいたということは、一緒に川に落ちた岩崎もいてもおかしくない。
だが姿も形も見えない。溺死した可能性もあるが、あの運動能力を考えると、その可能性は低いだろう。
「IDカードも見逃しちまったな。せっかくいいところまでいったのに」
悔しそうに地面を蹴り飛ばす沼井。良樹は静かにいった。
「……そうでもないぜ。ほら」
良樹が上着の内ポケットからIDカードを取り出した。全員目を丸くなった。
「……水中で揉みあってるときに奪ったんだ」
そう言ってニッと笑った良樹は何だか一回り成長したようにも見えた。
「きゃあ!嬉しい、頑張ったわね雨宮君。アタシからご褒美のキス~」
「それはいい、遠慮する!三村、七原、助けてくれー!!」
「……畜生、畜生……あ、あのクソガキ~」
岩崎は自力で川岸に這い上がっていた。
「何て様だよ岩崎」
岩崎ははっとして頭を上げた。佐竹が立っていた。
「素人相手にへましやがって。おまえ、それでも季秋の人間か。情けねえ」
「う、うるせー!ちょっと油断しただけだ!!」
言い争いをする2人に乃木が肝心な事を質問した。
「岩崎さん、IDカードは無事なんでしょうね?」
「……IDカード」
「IDカードですよ。川に流されたんでしょ。落としてないか心配で」
「…………」
岩崎は急に無口になった。
「どうしたんです岩崎さん。やっぱり落とされたんですか?」
岩崎は相変わらず口をつぐんでいる。その様子に佐竹は何があったか察した。
「取られたな岩崎」
「……ぅ」
「え……素人に奪われちゃったんですか岩崎さん?」
岩崎は普段のお調子振りが嘘のように何も言わなかった。
ただ悔しそうに地面を何度も殴っている。
「……取られちゃったんですね岩崎さん。気にしないで下さい、取られちゃったものはしょうがないですよ」
乃木が岩崎を慰めている間に佐竹はとっとと歩き出していた。
「行くぞ湊、俺とおまえの出番だ」
「はい」
乃木はすぐに佐竹の後を追ったが、何を思ったのか岩崎の元に戻ってきた。
「俺達が岩崎さんの痛恨のミスの埋め合わせしますから、あまり気にしないでください。
だから早く元気になって、いつもの明るいお調子者の岩崎さんに戻ってくださいね」
優しく慰めの言葉をかけると走っていった。
「湊、こんなこと言いたくないが岩崎の二の舞はするんじゃねえぞ。
連中は素人だが1人だけそうじゃない奴がいる。気をつけろ」
「わかってます。これ以上失敗重ねて宗方さんの機嫌損ねる度胸は俺にはありませんよ。
だから安心してください。岩崎さんのためにも、さっさとこんなゲーム終わらせましょう」
「なんだ、あの炎は。まるで戦場だ」
海軍のヘリコプター部隊が廃墟上空に近付いていた。
操縦士が見たのはまさに火の海。これでは生存者などいないだろう。
「大尉がいるとは思えない。いたとしても、これでは……あ、あれは!」
操縦士は廃墟の郊外から照明弾が打ち上げられるのが見えた。
「まさか……た、大尉!」
双眼鏡のレンズの中心にいたのは間違いなく佐伯徹だった。
ヘリコプターは緊急着陸し徹を拾い上げ再び上昇した。
「大尉を救出した。すぐに基地に戻る」
「戻るのはこの機だけだ。残りの機はこの廃墟および周辺地域をくまなく捜索しろ」
「捜索?一体何を捜すというんですか?」
「人間だ。ほんの数分前まで、あの廃墟の中心にいた」
「だったら死んでますよ。捜すなんて無駄なこと……」
「命令に従え!同じ条件で俺は生きていた。生存している可能性は十分ある!」
あの爆発の嵐の中、徹は何とか白州を振り切ることに成功した。
その後は無我夢中だった。爆風と爆炎の集中砲火から脱出できたのは特撰兵士だからこそに他ならない。
ならば特撰兵士並の実力をもった人間なら生きているかのしれない。
怪我を負っていたことはマイナス材料としてみないほうがいい。
万に一つでも可能性があれば、生きているという前提で行動する、それが特撰兵士だ。
――その時は、今度こそ止めをさしてやる。戸川小次郎もろともな。
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