「……なんて奴だ。完璧に気配を消している」


徹は暗闇の中、微動だにせず全神経を集中させていた。
それにもかかわらず全く気配を感じない。
白州はもはやこの場にいないとしか思えないほどだった。
だが、それは考えられない。
白州がターゲットを狩らずに逃げだすような男ではないことは、この短時間でわかった。
間違いなく白州はまだこの場にいる。そしてじっと息を潜め徹の隙ができるのを待っている。
確実に徹を殺せる機会だけを狙っているのだ。

(隼人の警告は正しかった。あいつはAクラスなんてレベルじゃない。
特選兵士レベルだと思ったほうだいい。いや、暗殺にかけてはそれ以上かもしれない。
特選兵士でもこれほど長時間にわたって完全に気配を消せる奴はそうはいない)

徹の額から汗が流れた。


(……まずいな。下手に動くよりはるかに体力が消耗する。早目に勝負をつけないと)




鎮魂歌―39―




「畜生、畜生!ガキのくせにに激ムカつく奴らだぜ!」


岩崎はじだんだ踏みながら岩にちょこんと座りこんだ。
すぐに片をつけられるだろうと高をくくっていただけに良樹達の抵抗は完全に予想外だった。
その抵抗から一時的にしろ逃げ出したなんて正直ショックだといっても過言ではない。
悔しくて悔しくて感情を押さえるのがやっとだった。
だからこそだろう、忍び寄る人影に気付かなかったのは。
岩崎が感情的になり冷静さを失っていたのは良樹達には幸運だった。
「チャンスだ。奴は俺達の存在に気付いてない。今なら十分勝機はある」
「全員で囲もう、合図で一斉に飛び掛かるんだ」
良樹達は岩崎を中心に円の形をとった。後はタイミングの問題だ。
こちらの存在に気付かれたら、あの身のこなしで瞬く間に逃げられてしまう。
それだけは絶対に避けなくてはいけなかった。




「ああムカつく!」
岩崎は立ち上がった。乱れていた呼吸が正常に戻ってきている。
(回復が早いな……ゆっくりなんてしてられないぜ)
良樹は勝負は早目につけるべきだと判断した。後二人も相手をしなくてはならないのだ。
さっさと岩崎と決着をつけ、新たな戦闘の準備に入らなければならない。
それは全員が同じ気持ちだった。
(典子さんを早く助けてあげないと)
おっとりした性格で戦闘には全く向かない国信ですら好きな女の子の為に闘志を燃やしていた。
国信が岩崎の背後(つまり死角)にいたこともあって、国信は燃えるあまり大胆になっていた。
岩崎との距離をもう少し縮めておこうと前にでたのだ。


カサ……。


「!」
国信の心臓の鼓動が一気に跳ねた。
それはただの落ち葉が夜風に煽られ僅かに舞い上がった物音に過ぎない。
だが国信は自分が何かを踏み付けて発した音だと思ったのだ。
岩崎に感づかれる!
そう確信した国信は完全にパニックになった。それが悪かった。
岩崎は実戦経験者だ。自然が作り出した物音だと理解し気にも止めなかった。
国信が焦りさえしなければ、その存在に気づくことはなかったのだ。
だが、アクシデントのせいで国信は汗だくとなり激しく呼吸を乱しだした。
汗の臭い、呼吸音、岩崎は違和感に気付いた。


(ん?……何だ、妙な気配を感じる)


素人だと舐めている良樹達がまさか自分を尾行しているなどと岩崎は思ってもなかった。
だから最初は島に生息する少動物ではないかと思った。
だが野性動物にしてはお粗末過ぎる雰囲気を感じる。
岩崎は念のために確認しようと国信が隠れている茂みに向かって歩き出した。
国信は硬直して動けない、燃えていた闘志もすでに焦燥と恐怖に変わっている。


(慶時!)
国信の1番近くにいた七原に、その様子ははっきりわかった。
このままでは国信が捕獲されてしまう。
(そうだ、俺には銃がある!)
焦っていたせいで忘れてた。銃で脅して岩崎の動きを封じればいいじゃないか。
七原は銃を構えた。その一連の動作は良樹に見えていた。
(駄目だ七原!)
素人が扱う銃なんかで降伏するような人間じゃない。
まして円陣を組んでいるときに発砲でもしようものなら仲間に当たってしまうかもしれない。
(まずい。何とかしないと)
岩崎はすぐにでも国信を発見してしまうだろう。良樹は己の銃を見詰めた。
(……俺がやるしかないのか)
銃なんか大嫌いだった。今も、そしてこれからも一生好きになんかなれない。
(けど、それは俺のわがままなんだ。こんな時に自分の気持ちなんか優先させられないもんな)
良樹は覚悟を決めた。




「止まれ!それ以上慶時に近くな!」
七原が叫んだ。岩崎は少し驚いている。
「おまえどうやって俺の居場所突き止めたんだよ」
「そ、それは……月岡の愛の力だ!」
月岡が「まあ、七原君たら嬉しいこと言ってくれるじゃない」と感嘆の声を上げていた。
もっともその愛の対象である三村はダメージをおっている。
こんな時じゃなかったら力づくでも七原の口を塞いでいただろう。
「動くなよ。ちょっとでも動いたら撃つからな」
「へえ撃つっておまえがかよ。そんな度胸あるのか?」
七原の威嚇に岩崎は全く怯んでない。発砲宣言がただのハッタリだと見抜いているのだ。
「撃てるものなら撃ってみろよ」
岩崎は七原に向かって歩き出した。
「止まれ。俺は本気だ、本当に撃つぞ!」
「たから遠慮せずに撃てよ」
岩崎は笑みさえ浮かべている。どちらが優位に立っているかは火を見るより明ら かだった。
銃の有無など関係ない。プロと素人が対峙しているだけだった。


「撃たないのかよ。だったら……こっちから仕掛けさせてもらうぜ!」


岩崎は予告もなしにダッシュ。七原は突然の事に思わず一歩後ろに足を下げた。
その不自然な動作のせいでバランスを崩しガクッと片平膝を地面についた。
すぐに立ち上がろうとしたが目の前にはすで岩崎がいる。
岩崎の脚が七原の利き腕目掛け急上昇。
「……っ!」
七原の腕に鋭い衝撃が走り銃が空中にほうり出された。
岩崎がニヤリと笑ってジャンプした。伸ばした腕の先には銃が鈍い光を放っている。
ほぼ同時に銃声が暗闇を切り裂き鮮血が地面を濡らした。














「う……ここは?」
杉村は目を開いた。ぼんやりとした景色が視界を覆っている。
その視界の中央に誰かいる。はっきり見えないが、女だということだけはわかった。
「お目覚め杉村君?」
聞き覚えのあるセクシーな声にその女の正体が判明した。
同時に自分の身に起きた悲劇も思い出し杉村は完全に覚醒した。
勢いをつけて上半身を起こすと女を睨みつける。
ロープで体の自由を奪われてなかったら、掴みかかっていたかもしれない。


「相馬どういうことだ、おまえ裏切ったのか!?」
「ちょっと静かにしてよ。杉村君、あなた美恵や貴子を助けたくないの?」
美恵や貴子の名前を出され杉村は怒鳴るのを止めた。
しかし、だからといって怒りを鎮めたわけではない。
「あたしは裏切ってなんかない。これは作戦なの、美恵や貴子を助けるための」
「作戦だと?」
納得できないが杉村はとりあえず話だけは聞くことにした。




「杉村君、二人が今どこにいるか知らないんでしょ。あたしもそうよ。
助けるにしても居場所がわからなければ助けようがないわ。
だから二手に分かれてあたしと杉村君で捜すのよ」
「ちょっと待てよ、全然話が飲み込めないぞ。
それとおまえが俺を敵に売ったこととどういう関係があるんだよ」
「わからないの?二人がもしも捕まってたら、どこかに監禁されているでしょ。
きっと杉村君が今から連行される場所にいる可能性が高いわ。自動的に二人を発見できるじゃない」
「まだ捕まってなかったら?」
「その為にあたしがあいつらの傍にいて情報掴もうと必死になってるのよ」
杉村はあっと声を上げた。


「せっかくあいつらの中に潜入することに成功したのに
杉村君のおかげでふいになりそうだったのよ。本当に焦ったわ」
「そうだったのか。すまない相馬」
「いいわ、全部許してあげる。そのかわりにしっかり働きなさいよ」
「あ、ああ」
「いい?どんなに尋問されてもあたしのことだけは吐いちゃ駄目よ。
それだけは隠し通すの。他のことは正直に話してもいいわ」
「他の事って?」
「何も知らないのね。あたしも詳しい事情は知らないけど、一度捕まったはずの連中がまた捕まってるらしいのよ」
「何だよそれどういうことなんだ?」
「あたしにわかるわけないでしょ。きっと杉村君、そいつらについて話きかれるわよ。
正直に言うのよ、間違いなく仲間だって。ある程度真実言わないとあなたの証言信用されないものね」
「わ、わかった」
「わかってくれて嬉しいわ。じゃあ後はよろしくね」
立ち去ろうとする光子。杉村は慌てて呼び止めた。




「待てよ相馬!おまえとはどう やって連絡とればいいんだよ。
それにいざって時の脱出方法は?言いたくないけど俺のほうがやけにリスク大きくないか?
気のせいかもしれないけど俺を利用しておまえ自分の安全を確保しただけなんじゃないのか?」
(ちっ!杉村君のくせに鋭いこと言ってくれるじゃない)
光子は両手で顔を覆ってわっと泣きだした。
「酷いわ杉村君、あたしを疑うなんて!」
美少女の涙に杉村は焦った。光子はさらにヒートアップするう。
「杉村君をその場で始末するつもりでいた兵士達を必死に説得したねはあたしなのに!」
杉村は背筋が冷たくなった。いくらなんでもその場で殺されるなんてありえないと思っていた。
だが、元々連中は民間人の常識なんて通用しない理不尽な人間。
まして自分は正当防衛とはいえ数人の兵士に暴行を働いたのだ。
確かに光子が言う通り殺されても不思議ではない。


「すまない相馬!俺は最低の男だ、何て言っておまえに謝ればいいか……」
杉村は言葉につまりその場に土下座した。
光子は杉村を見下ろしながらにっとほくそ笑んだ。
(あたしに口答えするなんて100年早かったわね杉村君)
ちなみに勇二達が杉村を殺そうしたなんて話は真っ赤な嘘。
もちろん光子が命ごいをして助けたなんて完全な作り話だった。
「いいのよ杉村君、あたしって普段から悪い噂絶えなかったし信用できないのも無理ないと思う。
だから杉村君があたしを疑ったこと当然よ。自業自得ね」
「それは違う。簡単に仲間を疑った俺が悪かったんだ。
この償いは俺の今後の行動で示すよ。たとえ拷問されてもおまえのことは吐かない。
それで許してくれ。そしてこれからは協力して貴子達を救い出そう」
「ええ、頑張りましょうね杉村君」
杉村を丸め込んだ光子は安心してその場を後にした。




(さてと、杉村君の口は封じたし問題は この後ね)
光子は勇二達の疑いが晴れたからといって決して楽観するつもりはなかった。
今回は切り抜けたがいつまた危機が訪れるかわからない。
勇二は単純なだけに怒らせたらかなりやばそうな男だ。
そうなったらおそらく得意の色仕掛けを駆使してもただじゃすまないだろう。
勇二よりずっと権力を持ち尚且つ女に弱い馬鹿を早急に見付け出さなければ。
(でも簡単にそんな都合のいい人間が見つかるわけないわ)


「おーい!」
勇二の配下の少年達が慌てて走ってきた。
何かあったのだろう、その表情を見ればただ事ではないのは明白だった。
光子は愛らしく小首を傾げて「なあに?」と言った。
「おまえ、すぐに出てけよ!」
突然のことに光子は面食った。
「時間がない。俺達が封鎖地区の外まで送ってやるから」
「ちょっと待って。時間がないってどういうこと?」
「どうもこうもねえよ。もうすぐ最悪の糞野郎がここに来るんだ」
「糞野郎?」
「大きい声じゃ言えねえけど総統の息子なんだ」
総統といえば、この国を総括する、光子達一般市民にとってはまさに雲の上の存在だった。


「息子つっても母親の身分が低すぎて学齢に達するまで認知もされなかったんだ」
「その母親は売春婦がじゃないかって噂もあるくらいだぜ」
光子は話が見えず戸惑った。
その総統の息子が来るからといって、なぜ自分が逃げるようなマネをしなければならない?
光子の疑問を悟ったのか彼らはこう言った。
「女好きなんだよ。それも病的なくらいのドスケベなんだ」
「あんたみたいな美人すぐに目をつけられる。だから今のうちに逃がしてやるよ」
普通の女の子なら恐怖におののき素直に忠告に従っただろう。
だが光子は普通の、いや並の女などではない。
(総統の息子ですって?チャンスじゃない。
そいつを上手く操れば情報を得るだけじゃなく、もう誰もあたしに手出しできなくなるわ)
光子は怯えきった表情の下で悪魔の笑みを浮かべていた。














(まだ動かないのか。俺を精神的に追い詰めてミスを誘おうって魂胆なのか?)


実際ただじっとしているだけでかなりの精神的負担が徹にのしかかっていた。
これほどのプレッシャーを特選兵士でもト超A級テロリストでもない人間から与えられるなんて。
(戦いなれしてやがる)
徹はちらっと腕時計に視線を投げた。
良恵が拉致されてから随分時間が経過してしまった。もう敵の出方を伺ってる余裕なんてない)
徹は姿をさらけ出した。そしてゆっくりと歩き出した。


(どれだけ気配を消しても攻撃にでる際発生する僅かな物音までは消せない。
これは賭だ、奴の攻撃が先か俺が気付くのが先か)


白州は間違いなく徹が防弾チョッキを着用していることに気付いているだろう。
今度撃つときは必ず頭を狙ってくるはずだ。
(さあ何処から仕掛けるんだい?)
徹は全神経をフル活動させた。
カツッ……それはまさしく本当に微かな物音だった。


(左背後!)


徹はその刹那、この廃墟の地図を頭の中に広げていた。
その位置には二階建ての廃屋がある。物音はその上方から発生した。
(二階に奴はいる!)
徹は電光石火のスピードで振り向き銃口を向けた。
(何?!)
白州はいなかった。ごくごく小さな石ころが屋根伝いに転がっているのが見えただけ。
それは白州が仕掛けてあったものだ。つまり徹はまんまと騙されたのだ。


(しまった!!)


徹の背後から凄まじい勢いで空を裂き飛んでくるものがあった。
銃弾だ!瞬く間に暗闇に鮮血が飛び散った。
「さすがは特選兵士。あんな微かな音に反応できるとはな」
ライフルを構えた白州が姿を現した。
「だが今回はそれがあだとなった。鈍感な奴ならひっかかることもなかったんだ」
白州はライフルを構えたままゆっくり近付いてくる。
「あの世で恥ることはない。おまえは決して弱くない。
だが暗殺にかけては俺の方が技術も経験も上だった。ただそれだけだ」
徹はぴくりとも動かない。血の臭いが白州の嗅覚を刺激している。
今度は血のりなんかじゃない、正真正銘本物の血だ。
佐伯徹は仕留めた、後白州に残された仕事は死体の始末だけ。




徹との距離後3メートル程の位置で白州は立ち止まった。
そして徹の頭部に照準をあわせライフルの引き金を引いた。
銃弾が地面をえぐっていた。徹の遺体ではなく地面をえぐったのだ。
徹はまだ生きていた。ギリギリで避けていた、だから地面がえぐられた。
「……貴様、俺が生きていると気付いていたのか」
徹は悔しそうに言った。死体と思い込んでいてくれれば油断するだろうと思った。
だからこそ自分に近付いた瞬間を狙って反撃にでるつもりだったのだ。
「見くびるな。俺は暗殺のプロだ。暗闇では誰よりも目が見える。
おまえ、銃弾が当たる直前にとっさに体を捻っただろう。だから急所に当たらなかった。
もっとも俺は例え死体でも死亡確認する前に頭を撃ち抜く主義なんだ」


(最後の最後まで油断しないってことか。これだから融通のきかない完璧主義者は嫌いなんだ)


「どうしても俺を殺したいようだね、君は。
せめて最後に誰の差し金か教えてくれても罰は当たらないと思わないかい?」
徹はこの期に及んで黒幕の正体を知ろうとしている。
普通のヒットマンなら思わず吐いてしまっていただろう。
だが白州は完璧なまでに純粋な暗殺者だった。


「思わないな」
「そうか残業だよ」


その時、絶体絶命のはずの徹は笑った。同時に白州の後方から爆音と共に火の手が上がった。
「何だと?!」
コンクリートの破片が爆風に乗って一気に白州に襲い掛かった。
白州の影になっていた徹には当たってない。
白州だけがダメージを受け、大きくバランスを崩しかけた。
「おまえ、いつの間に爆弾を仕掛けたんだ」
「君を捜してうろうろしている時にね。君だってさっき俺に爆弾お見舞いしてくれたじゃないか。
だから、これはささやかなお返しだよ。もちろん、返礼は必要ないけどね」
徹は満面の笑みを浮かべながら立ち上がった。
いつも徹が浮かべている自信に満ち溢れた生意気で恐ろしい笑顔だ。
「特選兵士の俺に対して随分と調子に乗ってくれたじゃないか。覚悟は出来てるだろうね?」
「……おまえ」


「さあ、これからは俺のターンだ。反撃開始させて貰うよ」














「ぐっ……!」
岩崎の右足から血が噴出した。苦痛に顔を歪めながら岩崎は地面に落下。
その場にいた者全てが驚きの表情で一斉に良樹を見た。
「畜生、畜生!おまえ撃ちやがったな!!
素人の分際で、何、生意気に銃なんか撃ってやがるんだあ!!」
あまりの痛さに岩崎は感情を大爆発させた。
「何言ってんだよ。殺すつもりでやれって言ったのはあんたのボスだぞ」
良樹は銃口を再び岩崎に向けた。
「夏樹さんは本気で殺しにかかれとまで言ったんだ。
命を奪うくらいの気合入れないとあんたらには勝てないってな。
あんた達だってそのつもりで俺達の相手してるんだろ?
命に比べたら足の1本くらいなんだっていうんだ!」














「あ、あいつ……何て奴なのよ」
隠しカメラを通して、その様子を見ていた貴子は半分呆れ、不思議なことに半分感心していた。
「くく……あはははは!」
突然の夏樹の高笑いに貴子はぎょっとなった。
「ちょっと何がおかしいのよ」
「これが笑わずいられるかよ。あの連中は素人根性が抜けないと思っていたぜ。
いや実際、今だってそうだろうよ。だが、あいつだけは違う」
「あたしだって驚いたわよ。まさか、あいつが発砲するなんて。
明るくて愛想がよくて人を傷つけるなんてできるような人間じゃなかったのに。
切羽詰ったらやるときはやる男だったのね」
「俺が言いたいのはそういうことじゃない」
夏樹は嬉しそうに立ち上がった。


「思った通りだ。奴は銃をずっと以前から扱っている」
「何ですって?」
「あいつの手を見たときからぴんときたんだ。あいつは銃を使い込んでいる。
どういうつもりかしらねえがわざと銃が使える事実を隠してやがったんだ。
銃が嫌いだと言っていたな。何があったか、よっぽど嫌な思い出でもあるんだろうぜ」


「……あたしを外に出して」
「千草?」


貴子の突然の申し出、その口調はあきらかに怒気を含んだものだった。
「千草どうした。随分とおかんむりじゃないか」
「当然でしょ、あいつずっと隠してたのよ。仲間だって……弘樹は仲間だって信じてたのに」
杉村が死んだと思い込んでいる貴子には無視できない事実だった。
それに銃が扱えるということは少なからず良樹は只者ではない。
なのに、あのバス転落事故以来、非常事態にもかかわらず凡人のふりをしてきたのだ。




「一発ぶん殴ってやらないと気が済まない。……って言いたいところだけど」
貴子は立腹しているが、それ以上に不安でもあった。
「心配なのか、あいつのことが」
図星だった。確かに腹はたったが、それ以上に不安だった。
良樹のことが心配というよりは、あの明るく能天気だった男が銃で人を傷つけたことが正直ショックなのだ。
杉村が何の疑いもなく信用していた男が銃で人を傷つける人間だった。
それは辛い現実を突きつけられたようで、とても悲しいことだったのだ。
だが、同時に貴子は自分自身そうならなければいけないことも理解していた。


「あたしも、このゲームに参加するわ」
「何だって?」
「参加するわ。あたしをゲーム会場にだしてちょうだい」
「本気か?」
「あたしがジョークが得意な女に見える?」
夏樹は訝しげにマジマジと貴子を見詰めた。


「お遊びだと思って甘くみてるんじゃないのか?あいつらは女は傷つけないが、それは日常での話だ。
ゲームをやるということは、敵とみなされることだぞ。手加減してくれるなんて甘い考えは捨てろ。
殺されないまでも危険が及ぶ。大怪我するかもしれないし、場合によっては事故死もありうる」
「今までだって、いつ死んでもおかしくなかったわ。
いえ、危険が去ったわけじゃない。これからが問題よ。
こんなところで死ぬようなら、今、ゲームを避けたところで終わりはすぐにくる。
でも、ここで戦う術を身につければ、運命を切り開けるわ。
それが弘樹の仇をうつ最短距離でもある。そうでしょう?」
(……気が強いだけじゃない。未来を考え大胆な行動と思考ができる女だ。
勝気な女なんて世の中いくらでもいるが、本当に度胸のあるのは一握りだ。
この女はその一握りの中の1人だ。大した女だな)




「いいだろう。おまえが望むなら参加させてやる。
後で女だからって泣き言いうなよ……なーんて、おまえなら言うわけないな」
「勿論よ。その前に1つだけ聞かせて」
「この際だから何でも教えてやるぜ」
「あんた、何であたし達に手を貸してくれるの?弟に頼まれたからなんて嘘は言わないでよ。
あたし達に手を貸すっていっても、助けようとしてるんじゃないわ。
何か目的があってあたし達を使うつもりなんでしょ。
でも一方的に利用せず、ギブアンドテイクにしたんだから、あんたやってる事よりはいい奴よね。
だったら教えて。あんた、どうしてこんなことするのよ。
それにあんたふざけてるようだけど、時々怖い表情するのよね。
まるで恨みでも持っているような怖い目よ」
夏樹は驚いた。気づかれてないと思っていたのだ。
実際、気づいたのは貴子だけだ。
正確にいえば月岡も内心「彼、何か隠してるみたい」と思っていた。
だが夏樹の心の奥底にあまりにもドロドロした何かまであるとはさすがに気づいてない。


「驚いた。おまえ随分と利口な女なんだな」
夏樹は立ち上がるとデスクに近付き二番目の引き出しを開いた。
そして写真立てを手にすると貴子に向かって放り投げた。
子供達が並んでいる。その中の1人は今の夏樹を幼くしたような顔だった。
「これってもしかして」
「昔撮った家族写真だ。うちは親父がプレイボーイだったせいで大家族でな」
夏樹は懐かしそうに語った。その表情は今までとはまるで違う穏やかなものだった。
「俺には弟が大勢いる、結構仲のいい兄弟だったと思うぜ。俺はこの通りお優しい兄貴だったしな」
貴子はちょっと甘えん坊だけど素直で可愛い妹のことを思い出した。


「おまえも、この国にいるのならプログラムのことは知ってるだろ?」


突然の質問に貴子は即答できなかった。
家族の話をしていたのに、なぜ急にプログラムの話題になるのか?
「もちろん知ってるわよ」
「俺の家は地方豪族に落とされたとはいえ、それでも建国に貢献した名門中の名門だ。
莫大な権力と財力を誇っている。それでも表向きは大人しく中央に従ってきた。
毎年、きちんと献上金だって納めている。その代わりに特権を維持してきたんだ。
その1つが季秋家の子女はプログラムには参加させないという不文律だった。
それなのにあいつらは、その約束を破った」
「まさか、あんたの弟って……」




「プログラム対象クラスの生徒だったんだ」




貴子は言葉も出なかった。
「……いや、弟達がいたから対象クラスになったんだろうぜ」
「どういうこと?それに弟『達』って」
「中央は近年特に季秋家を煙たがるようになってきた。口ではいえない嫌がらせも度々受けている」
「……季秋家に対する嫌がらせでわざとあんたの弟をプログラム送りにしたってこと?」
「そうだ、季秋家を怒らせたかったのかもしれないな。
季秋家が怒りにまかせて宣戦布告でもしようものなら国家反逆罪になる。
そうなれば中央は堂々と季秋家を潰す口実ができる。
奴らは季秋家のご子息を3人もプログラム送りにしたのは手続き上のミスだと言いやがった。
くだらねえ嘘吐きやがって……ミスで偶然一家から3人もプログラム参加者がでるものか」
「……だから、あたし達に手を貸したのね。弟達の復讐の為に」
「ああ、そうだ。俺はこんな屈辱忘れない。おまえが幼馴染を忘れないようにな」




―そうね、あたしは弘樹を忘れない。
―だからこそ、あいつの仇を取るためにここにいるのよ




「同じね。あんたはあたしと一緒だわ。あたしは大事な幼馴染を、あんたは弟を奪われた。
奪ったのは同じ相手よ。これですっきりしたわ、あんたと組んであいつらに復讐してやる」
「完全に利害一致したってわけだな」
「そうね、さあ、あたしをゲームに参加させて」
「本当に気持ちいいくらい気の強い女だな、なあ貴子」
「貴子?」
突然、名前で呼ばれて貴子は戸惑った。


「おまえ、俺の女にならないか?」


「はあ?」
「そうすれば、今後どんなことがあっても、おまえだけは季秋家が全力を上げて守ってやる。
はっきりいって、あいつらを鍛えて、おまえ達のお仲間とやらを救出したとしても終わりはこないぜ。
政府は必ず追っ手を差し向ける。その魔の手から逃れる方法は三つしかない。
1、あの世に逃げる。2、反政府組織の人間になり、いつ終わるともしれない戦闘に身を投じる。
3、国外に逃亡して、慣れない土地でよそ者として一生苦労する。
どれを選択しても悲劇だぜ。この国で堂々とまともな人生おくる手段は無い。
だが、どんなものにも例外はある。俺のそばにいればいい。
杉村って奴も、おまえが幸せになれば成仏できるだろ。一石二鳥だ」
「……あ、あのね。なんで、そんな話になるのよ」
「おまえが気に入った」


「何、ひとのことダシにして女口説いてんの?ほんとやり方が汚いなあ、兄さんは。
なあ、お嬢さん。あんた利口そうだけど、俺から見たら、まだまだ甘いわ。
夏兄さんは、あんたが思ってるよりずっと悪人だって。いくらでも保証してやる」


ぽんと肩に手を置かれて貴子は焦った。物音も気配も全く感じないのに背後にひとがいる!
「だ、誰!?」
振り向くと男が2人たっていた。どちらも大変な美男子だった。
初対面なのに貴子には見覚えがあった。先ほどみた夏樹の家族写真の中にいた顔だ。
「おまえら、いつこっちに来た。聞いてないぞ、来るなら連絡くらいいれてから来い」
「俺らに黙って勝手なことしくさってくれた兄さんに言われたくないわ。
兄さんこそどういうつもりなのか聞かせてもらおうか」
「秋利の言う通りだぜ。兄貴、プログラムの件は俺達がけじめつけることだ。
その俺達に黙って事を起こすなんて、随分と筋違いのことしてくれるじゃねえの」
「ちょっと……あんた達、誰よ」
貴子の質問に夏樹はさらっととんでもない返答をした。


「さっき話した弟だ」
「弟って……」
プログラムに参加させられた弟……。
「ちょっと待ちなさいよ!!その弟達は死んだはずでしょ、あんた復讐するって言ったじゃない!!」
「ああ、言ったぜ。その実話のどこに怪しい点があるんだよ。
貴子、おまえ何驚いてるんだ?そんな顔するなよ、おまえは凛々しくしてたほうが似合ってるぜ」
「だって話が違うじゃない!」
「違う?おい、秋利、冬也、俺のさっきの話に誤りがあったか?」
「いや、全然ないよ。完璧な真実」
「ああ、一から十まで実話だったぜ」
「どこがよ!プログラムで戦死したって」
「おい貴子、おまえ勘違いしてるんじゃねえのか?」
夏樹はちょっと呆れたように前髪をかきあげた。
「俺の弟は確かに3人プログラムに参加したとは言ったが戦死したなんて一言も言ってないぜ」


「3人とも優勝して帰って来たんだ。早とちりするなよ貴子」




【B組:残り45人】




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