隼人は良恵の居所をカードから割り出した。
一見どこにでもあるカードだがパソコンを使って作成したことが唯一の手掛かり。
そこに目をつけて徹底的に調べ上げた。
愛らしい結婚カード、某素材サイトが配布していたものだった。
そのサイトに真夜中にアクセスしていた人間がいた。
たった2人、1人は何の関係もない十代の少女、そしてもう1人は言うまでもない。
隼人はわき目も振らずヘリコプターに乗り込んだ。
隼人自ら来たのには二つの理由がある。
1つは相手が季秋冬樹だからだ。部下にまかせるわけにはいかない。
そして2つ目、もっとも重要な理由。
(海老原たちが享楽の為にこの田舎によく来るという噂を以前耳にしたことがある)
嫌な組み合わせだった。それが隼人を突き動かしていた。
(季秋冬樹は気に入らないが、あいつにつかまるよりはずっとマシだ)
もしも海老原が良恵と接触したら必ず何かされるだろう。
(あの馬鹿は懲りるということを知らない。反省も後悔もしない。
海老原が人並み以上なのは異常なほどの逆恨みと妬みなんだ)
鎮魂歌―38―
「あはははは!やっぱ、こいつら全然素人だぜ、てんで話になりゃしない」
岩崎は枝の上にちょこんと座って必死の形相で見上げている良樹達を見下ろしていた。
「畜生!て、てめえ卑怯……だぞ、降りて……降りて、きやがれ!!」
沼井がわめきちらしているが、その口調は途切れ途切れで息が荒い。
体力の限界なのだろう。疲労が激しい。
岩崎はその外見のイメージ通り軽やかな身のこなしだった。
彼を捉えて力づくでIDカードを奪おうと必死の良樹達の攻撃を全てするりとかわしたのだ。
特に沼井は最初からすごい勢いでガンガンに攻め立てたせいか体力の消耗も早かった。
「おまえらもう終わりかよ。ほら、ほら、さっさと片つけないと日が沈んじまうぜ」
夕陽はすでに地平線に到達しており夜が訪れるのは時間の問題だった。
「あーあ、もっと楽しませてくれよ。ほら、俺はここだぞ」
「ばっきゃろー!降りて来い!!」
「俺を捕まえたかったらおまえも飛んでみろよ」
すでにばてばての沼井に代わって今度は七原が叫んだ。
「図に乗るなよ。俺が捕まえてやる!」
七原は岩崎が腰掛け代わりにしている木に飛びついた。
さすがにずば抜けた運動神経だけあってするすると登っていく。
そして岩崎がちょこんと座っている枝にまで到達した。
「もう調子に乗らせないからな。覚悟しろ!」
七原は岩崎に飛び掛った。岩崎はニヤっと笑うと枝の上で倒立、そのままジャンプしてさらに上の枝に移動した。
「卑怯だぞ、逃げるなんて!」
当然、七原も即座に追いかけた。が、岩崎は枝を踏み台にしてさらにジャンプした。
くるくると何回も回転し、隣の木の枝に着地。さらに、その枝から飛び降りた。
そして屈伸の姿勢で良樹達の背後に着地していた。
良樹は言葉も無かった。まるでアクロバティックを見ているような感覚だ。
とてもじゃないが戦闘なんて雰囲気はない。
いや、岩崎にとってはお遊び気分で戦っているつもりすらないだろう。
(完璧に遊んでやがる。けど、あまりにも俺達を舐めすぎなんじゃないのか?)
「おい、おまえらももっと必死になれよ」
岩崎はけらけらと笑いながら挑発してきた。
(確かに動きは凄い。けど戦闘の基本は防御と攻撃だ、そのどっちもおまえにはないんだよ。
いつまでも鬼ごっこだけでケリがつく戦いなんてないんだぜ)
良樹はちらっと目線を三村に向けた。
三村が僅かに頷いた。どうやら三村も同じことを考えていたようだ。
「岩崎さん、あんた実戦経験は?」
良樹は唐突に質問を始めた。
「実戦経験?」
「あんた1人で敵と戦ったこ経験は豊富なのか?」
「それはあんまりないぜ」
思った通りだ。誰かと組んで戦うタイプだ。
「今まであんたのこと見てたけど、あんた夏樹さんとは全然タイプが違うよな。
あのひとだったら、もっと攻撃に出てただろう?」
「ま、そうだろうな。俺は無駄な体力使わない主義だから」
岩崎は良樹の意図に気付かないのか実にお喋りだった。
「俺の役目は敵をかく乱することが多いんだ。俺にはぴったりだろ?」
「つまり、あんたはサシで戦ったり、攻勢にでるのは苦手ってことでいいよな?」
それまでゲームに興じていたような岩崎の表情がガラリとかわった。
あきらかに腹を立てている。
「ガキが何わかったような口きいてんだよ」
「口調が低くなってるぜ。図星かよ」
三村にまで挑発的な言葉を投げかけられ、元々短気な岩崎はすっかり頭にきた。
「苦手っていっても相手がプロの場合だけだ。素人が偉そうな口きくな!」
それまで華麗に攻撃をさけていただけの岩崎が初めて攻勢に出た。三村の腹部に岩崎の鉄拳が喰い込む。
(ちっ……挑発しすぎたぜ。吐きそうだ)
小柄な体に似合わないパワーに三村は意識が遠のきそうになった。
だが堪えた。これを待っていた、気絶している暇は無い。
「……悪いな」
三村は渾身の力を込めて、岩崎の手首をつかんだ。
「絶対に離さないぜ。どんなに身軽でも俺ごと飛ぶなんてできないだろ?」
「お、おまえ」
「雨宮、今だ、さっさとIDカードを奪ってくれ!」
「クソ、離せ!」
岩崎は蹴りを入れた。三村の両膝ががくっと地面についた。
それでも三村は手を離さない。それどころかさらに力を込めてきた。
「ぅ……!」
岩崎は首に圧迫感を感じた。良樹の腕が背後から首に回ってきていたのだ。
「クソ、離せ、離せよ!」
「誰が離すか、月岡、早くカードを!」
「そ、そうね!」
月岡がそそくさと駆け寄り、岩崎のズボンのポケットに手を入れた。
「あらないわ。じゃあ上着かしら、それとも下着の下だったりして~」
月岡は、「ちょっと失礼」と岩崎の服のボタンを外し始めた。
ぞわわわわ!その外し方があまりにも胡散臭かったのだろう、岩崎の防衛本能に火が付いた。
「気色悪いんだよ、俺にさわるなぁぁぁ!!」
岩崎は途端にパワーアップした。火事場のクソ力というやつだろう。
三村と月岡に同時に蹴りを入れた。
パワーアップされた蹴りは2人を簡単に一蹴した。
次は良樹の番だとばかりに岩崎はふりほどきにかかった。
「このクソガキ、離せって言ってんだよ!」
「誰が離すか!」
良樹は渾身の力を振り絞った。どんなに岩崎が暴れてもしがみついて離れない。
「七原、沼井、何してる、おまえたちも押さえつけろ!!」
七原達ははっとして飛び掛ってきた。
「うざいんだよ!」
岩崎は地面を蹴った。七原と沼井の目に土がぶちかまされた。
2人は両目を手で覆い、その場に項垂れた。
「おまえもいい加減にしろ!」
岩崎は飛び上がった。良樹を背負う形という不自然な態勢で。
そして落下。くるっと回転して自分は上、地面に激突したのは良樹だ。
岩崎は良樹がクッションとなって無傷、反して良樹は全身が軋むような痛みに耐えなければなかった。
岩崎はぎくっとした。良樹はこんな目に合いながらも岩崎を解放していない。
(なんなんだ、このガキ。素人のくせに、普通のガキなら即のびてるぜ!)
ぎょっとしながらも岩崎は再び跳んでいた。今度はさらに高い。
再び良樹をクッション代わりにして落下。ところが良樹はまだ離さない。
「こ、このガキ!」
「……カード手に入れるまで離すわけにはいかないんだよ」
「後悔させてやる!」
岩崎は三度跳んだ。今度はただ跳びあがっただけではない。
枝を踏み台にして、さらに高く跳んだのだ。
「嘘だろ、あの高さ。あ、あいつ……何する気だ」
三村は真っ青になった。岩崎のやろうとしていることがわかったのだ。
「やめろ本気で殺す気か、雨宮、手を離せ!!」
ところが良樹はさらに岩崎に腕を巻きつけた。
「馬鹿野郎、死ぬぞ!!」
あの高さから地面に叩きつけられたら間違いなくただじゃすまない。
「雨宮!!」
良樹の真下に国信が走りこんできて両腕を広げた。
「国信?!」
温厚で優しい国信にとって戦闘なんて野蛮なものは嫌悪と恐怖の対象でしかなかった。
戦闘の輪に入れずにいたのだが、人命救助のためなら自分の身も省みない。
「慶時、やめろ。おまえも死んじまう!!」
そんな国信が七原は凄く好きだった。
(国信!だめだ、国信が巻き添えになる!)
良樹は腕を離した。自由の身になった岩崎が空中で強烈な蹴りを炸裂してきた。
岩崎はやや崩れた体勢で何とか着地。良樹も国信が身を挺して庇ってくれたおかげで地面への激突は回避された。
岩崎は身軽になったものの、予想外の良樹達の反撃ですっかり体力を消耗していた。
「岩崎さんの息がかなり上がってますよ。岩崎さんは速攻タイプで体力はあまりないですからね。
おまけに素人だと思って最初から遊んでいましたし。あのひとの悪い癖がでましたね」
「最初から全力でかかっていればよかったんだ。甘く見るから手痛い目に合うんだよ」
乃木と佐竹は双眼鏡で様子を見ていた。
「どうします?もうすぐ日が暮れますよ、手助けしますか?」
「あいつが1人でやるって言ったんだ。たまにはとことん痛い目にあうのもいい薬だろ」
「佐竹さんは相変わらず厳しいですね」
「俺自身がそうだったからわかるんだよ。舐めてかかると墓穴掘ることになる」
「……クソ、素人のくせに」
岩崎はプライドを刺激され頭にきていた。
だが我を忘れるほど理性を失ってもいなかった。
一時撤退する。悔しいが体力を回復するほうが先だ。
「3時間だけ休憩時間くれてやる。ありがたく思えよ」
岩崎は踵を翻すと猛スピードで林の奥に消えた。
「しまった!」
逃げられてたまるか!すぐに七原は後を追った。
だが岩崎は脚も速い上に地の利がある。あっと言う間に引き離され姿が見えなくなった。
「クソ!!」
七原はスピードアップしようと試みたが駄目だった。体力の消耗は七原の自慢の脚力を低下させていた。
「七原、奴は?!」
「雨宮
……悪い逃げられた」
「……そうか。気にするな、おまえのせいじゃない」
「けど、せっかくのチャンスだったのに。今度あいつが襲ってきたら、もう油断なんてしないぞ。
体力を十分回復させて全力で倒しにくるに決まってる。今じゃなきゃ駄目なんだ、それなのに俺は!」
「うふふふ」
暗い雰囲気に水を差す陽気な声に良樹達はゆっくりと振り向いた。
「大丈夫よ。今すぐ追えばノープロブレム」
「……月岡。追えばって簡単に言ってくれるけど」
「これなーんだ」
月岡は真っ赤なサマーセーターを取り出していた。
「……何だよ、それ?」
「やーねえ雨宮君、サマーセーターに決まってるじゃない。
ほら、このセーターの毛糸の先を彼の服の裾にからめておいたのよ。
これでどこに逃げようとも、毛糸をたどればすぐに居場所がわかるわ」
「俺が聞きたいのは、何でそんなもの持ってるのかってことだよ」
「アタシの私物よ。今だから言えるけどね、実はアタシ、修学旅行の出発前日に急に思いついたのよ。
三村君のハートを射止めるために素敵なプレゼントしようって!
で、一晩かかって編んだのよ。あんな事故があって、その後もごたごたしてたでしょう。
すっかり渡しそびれちゃって。そのうちに夏がすぎちゃって……。
でも、やっぱり渡したいって乙女心には嘘つけなくて未練がましく持ち歩いてたの。
あーあ、結局、こんなことに使う羽目になるなんてね」
全員が恐怖のあまり立ち尽くした。特に三村の怯え方は痛々しいほどだ。
(ひ、一晩で手編みのセーター……つ、月岡、なんて恐ろしい男だ。
も、もし修学旅行が予定通り行われていたら……)
手編みのセーターを受け取る=好意を受け取ることになるから出来ない。
が!拒否すればどうなる?
こんな恐ろしい男を敵にまわしたくない。
かといって上手い断り方なんか思いつかない。
(……じ、事故ってよかったかも。は!俺は何をほっとしてるんだ。
こんなやばい状況になってるっていうのに。おじさん、俺は最低だ)
三村はぶんぶんと頭を左右にふった。
「変な三村君、さあ後を追いかけましょう」
白州は階段を上がった。差し込む夕日が眩しい。
階段を染め上げている緋色は血の色に見えた。
徹が倒れている部屋までの距離は後僅か。
手応えはあった。被弾した箇所は急所。スコープを通して血が飛散するのも見えた。
その直後佐伯徹が倒れる様もはっきり見たのだ。
それでも白州は生死の確認だけは怠ろうとするつもりはない。
そして遺体の始末も、きっちりするつもりだ。
輝かしい戦功を残してきた特選兵士がその最後の時を過ごした部屋の前に白州は立った。
扉は半分開いている。白州がドアノブに手を伸ばした時だった。
突風が吹き抜け扉を全開にした。
その刹那、白州の目が鋭く変化した。
部屋に残されていたのは血痕と窓ガラスの破片のみ。
――佐伯徹の死体がなかった。
白州は急遽その場に伏せた。
長年実戦で培った防衛本能がそう命令したのだ。
直後白州の頭上を弾丸が空を裂いて飛んで行った。
「驚いたよ。殺気も気配も完全に消したつもりだったのに避けられるなんて」
背後から聞こえる声。声の主は一人しかいない。
そう、つい今しがた白州の凶弾に倒れるたはずの男・佐伯徹だ。
「おまえは完璧だった。見事に殺気も気配も消えていた。
だが俺は建物の構造は一通り頭にいれてある。
この位置なら背後から攻撃がくると予測くらいつく。
後はどのタイミングで仕掛けられるかという問題だけだった」
「その口ぶりからすると俺が死んでないとわかっていたようだね。いつ気付いたんだい?」
「階段をあがる最中で。一つあるべきものが欠けていた。手応えがあったにもかかわらずだ」
「ふーん、何だいそれは?」
「血の臭いだ」
白州は暗殺のエキスパート。誰よりも経験値は高いと自負している。
だからこそ気付いたのだ。
「ところで君は誰なんだい?」
白州は用心深い男だった。プロ意識が強く、その上隙がない。
やばい事を敢行する時は例外なく素顔を隠した。
例え猫の子一匹いないこんな廃墟だろうともだ。
帽子とサングラス、付け加えればその下はさらに人造皮膚とコンタクトで変装している。
「戸川小次郎に頼まれたのかい。それとも命令か?」
「話すことは何もない」
「君は自分が今置かれている立場をわかってないようだね。
君は俺に背を向けていて、俺は銃を構えているんだよ」
「……」
「君の命運は俺が握っているんだ」
「……」
「君に選択の余地はない。俺に従うしかないんだ」
「……」
「急に無口になったじゃないか。おとなしく白状したほうが身の為だよ。
でないと少々荒っぽいことをさせてもらう。それともボスの為に死ぬなら本望って主義なのかい?
断っておくけど死体から身元を割り出す方法なんていくらでもある。君が意地を張っても無駄なんだ」
「十分理解している」
「だったら話すんだね。無駄死にしたくないだろう?」
「ああ俺は無駄は嫌いだ。だが、おまえが死ぬば問題ない」
「何だって?」
その時、徹はカチッという不気味な音を耳にした。
徹の真横に面した壁が業火を伴いながら一斉に砕け散った。
(あたしの身の安全は確保できたわ。でも暫定的なものだし、
美恵を捜さなきゃならないものいつまでもこんな所で油なんか売ってられない。
さっさと有力な情報つかんでおさらばするのが1番ね)
光子はティーカップを口に運びながら、ただそればかりを考えていた。
「おい聞いたか。身分証明カードを持ってない男がまた見つかったってよ」
下っ端の少年兵士の談話などどうでもいいことなのだが光子は一応聞き耳をたてていた。
この国では国民を完全管理する為、国民の大半が国から支給される身分証明カードを所持している。
持っていないのは社会からほうり出された、もしくは国家にたてついた者などに限られる。
例えば社会から完全に隔離されたホームレス、不法入国者やその子供、脱獄に成功した囚人、
諸事情により本来の名や経歴を捨てた人間。
そして何より政府に盾突いている反政府組織のメンバーおよびその家族だ。
封鎖地域で身分証明カードを所持してないなんて自分はテロリストですと告白するも同然だった。
「まだ中学生くらいのガキだったらしいけどテロリストか密入国者に決まってる」
「ああ、スラム街なんてそんな連中のたまり場だからな」
「問題はそのガキがおとなしく拘束されずに逃げうせことだ」
「逃げた?」
「そう。なんでも拳法の使い手だったらしい」
光子はピクッと反応した。幸い兵士達は全く気付いてない。
「今行方追ってるらしいけど例の謎の集団の一人かもしれないってことだ。
似顔絵が配布されるからもうすぐはっきりするって」
似顔絵……光子は徐々に渋い表情になっていった。
「でもあの似顔絵、誰が描いたねかしらねえけどド下手で宛にならないんじゃなかったのか?」
「だからプロに書き直させたってよ。今度は大丈夫だろ」
タイミングよく(光子にとってはタイミング悪く)似顔絵を持った兵士が部屋に飛び込んできた。
「おーい似顔絵のFAX届いたぞ!」
「お、噂をすればだな。これが今だ捕まっていない連中だな」
兵士達はぱらぱらと似顔絵に目を通した。
「あれ?」
「どうした?」
「なあ、この女……何となく彼女に似てないか?」
兵士達は似顔絵を凝視しだした。
「……そうか?そりゃ髪型とか雰囲気とか似てなくもないけど」
「本人前にして写実した似顔絵じゃないんだ。たまたま似ちまうことなんてよくあることだろ」
「そうだけど、彼女、この封鎖地域にいたし……偶然にしちゃ出来すぎてないか?」
(やばい。これはちょっとやばすぎるわ)
さすがの光子も焦ってきた。もしも尋問なんてされたらマジでやばい。
身元の確認なんかされようものなら一発でばれてしまう。
(……今のうちにとんずらするのが一番ね)
だが……と、光子は思いなおした。
(ここで逃げたら似顔絵のお尋ね者は自分ですって認めたようなものじゃない。
きっとすぐに追ってくるわ。そうなったら捕まったが最後、もう色仕掛けも通用しない。
まだばれたわけじゃないんだもの。そ知らぬふりしてここにいたほうがいいかも。
あたしの手にかかれば、あんな単純な連中を手懐けるなんて容易なことだし)
でも、それはリスクも大きい。
(あいつらの信用を得るいい方法があればいいのに……そういえば)
光子は、ここでやっと拳法使いの逃亡者のことを思い出した。
(きっと杉村君だわ。あいつ、今頃どうしているかしら?無事でいるかしら?)
「おい、おまえ」
ハッと振り向くと勇二が立っていた。手には例の似顔絵らしい紙切れが握られている。
光子の心臓の鼓動が速くやったが、光子はそれを微塵も表情に出さずににっこり笑った。
「なあに?」
「移動するぞ。来い」
「ええ。どこに行くの?」
「これを見ろ」
勇二は似顔絵を光子に差し出した。強面の男、間違いない杉村だ。
「このお尋ね者が見付かったらしい。逃亡してるらしいから狩るんだよ」
「お尋ね者……嫌だわ、怖い。でも、あたしは大丈夫よね。
だって、こんなに強くて素敵な人たちが大勢守ってくれるんだもの」
光子はとびきりの笑顔を披露した。
その愛らしい笑顔には、どんな猛獣をも手懐ける威力があった。
だが、それも無防備であればという話だ。
光子は気付いていた。兵士達の顔に警戒の色が表れているのを。
移動中も兵士達は光子を気遣う様子を見せていたが、今までとはあきらかに違っていた。
守ってやるというよりも、見張っているという臭いがぷんぷんするのだ。
(早目に信用を得ないとやばいわね。何とかしなきゃ)
「到着したぞ」
(この辺りに杉村君が隠れているってことね。何とかしないと)
光子は背中に突き刺さる視線を痛いほど感じた。
(これじゃあ、ゆっくり考えることもできないわ)
光子はすぐに行動に出た。
「あの、化粧室にいっていいかしら?」
兵士達はちょっとそわそわしだした。あきらかに光子に疑惑を抱いているようだ。
「それともあなた達も一緒にくる?」
兵士達は慌てて頭を左右にふった。
「……ああ、本当にまいったわ。杉村君、どこにいるのかしら」
化粧室の鏡の前で光子は溜息をついた。
一度頭をさげ、ゆっくりと顔をあげると背後に男がたっていた。
「静かにするんだ」
男は背後から光子の口に手を伸ばしていた。
「あいつらに聞えたらまずい。声はちいさめに頼む、いいな?」
光子がコクコクと頷くと男はそっと手を離した。
「随分と乱暴なことしてくれるじゃない杉村君」
男は杉村だった。何とか行方をつかみたいと思っていたが、これほど早く再会できるとは。
「すまない。あいつらに見付かるのはやばくて」
「どうしてここにいるのよ」
「路地裏に隠れていたんだ。そしたら大勢さんがきて、その中におまえがいた。
驚いたよ。最初はてっきり捕まったのかと思ったら、そういうわけでもなさそうだ。
一体、どういう経過で軍の連中と一緒にいることになったんだよ」
「女には武器があるのよ」
杉村はそれ以上詮索しなかった。そんな暇もない。
「とにかくすぐに逃げよう。貴子や鈴原を見つけないと」
「居所に心当たりあるの?」
「ない」
杉村のその一言で光子の腹は決まった。
「そうね。杉村君、ちょっと後ろ向いてくれる?」
杉村は何の疑いもなく光子に背を向けた。光子はそばにあったモップを握り締めた。
「ごめんなさい杉村君。でも喜んで、あなたが初めて役に立つのよ」
「相馬、どういう意味――」
杉村の頭にモップが炸裂された。
「……そ、相馬……どうして?」
杉村はその場に崩れ落ちた。光子はすかさず隠し持っていたナイフを杉村に握らせた。
「さて、と……キャー!!」
絹を裂くような光子の悲鳴。勇二達が駆けつけてきた。
「何だ!?」
男が倒れていた。勇二はすぐに似顔絵と男の顔を見比べた。
「間違いねえ、例の拳法野郎だ。気を失っていやがる。何があった?」
「こ、この人がトイレに隠れてたの……声をだすなってナイフで脅してきて。
あ、あたし怖くて……思わず夢中で……あたし、あたし……」
「もういい。おい、この女を部屋に連れて行け」
「は、はい」
兵士達が光子を丁重に部屋に案内してくれた。
その目には猜疑心などもう微塵もない。あるのは、か弱い女性に対する同情だけだ。
「おい誰だよ、彼女が似顔絵に似てるなんて言った奴は」
「そうだぞ。可哀相に、襲われて怖い目にあうなんてさ」
大暴落したはずの光子株はわずか数十分で回復していた。
(ふふふ、やりやすくなったわ。あなたのおかげよ杉村君、感謝するわ)
「……ぐ」
徹の顔は苦痛で歪んでいた。抱えている右脚にはコンクリートの破片が突き刺さっている。
破片は脚だけではない。徹の胸部にも2つ突き刺さっていた。
(やばかった。後コンマ1秒でも反応が遅かったら爆発をまともにくらっていた)
徹は上着を脱いだ。防弾チョッキ(血のりサービス付き)が徹の命を守っていた。
この防弾チョッキがなかったら、白州の凶弾でとっくに死んでいただろう。
だが、先ほどと違い今度はダメージを負ってしまった。
(おかしい……なぜ奴は襲ってこない?今がチャンスのはずだ、なぜ)
太陽が沈む……やがて夜の女神が辺りを多い尽くすだろう。
白州はそれを待っていた。白州は慎重すぎるくらい深い男。
例え相手が怪我人だろうが決して侮らない。
自分がもっとも有利な舞台で徹を殺すつもりなのだ。
かつて政府の要人達を震え上がらせていた超一流の暗殺者。
暗殺者が最も得意とする暗闇の中で――。
【B組:残り45人】
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