「ちょっと待ってくれ」
杉村は自己紹介したことを後悔した。
自分はお尋ね者だ。彼女たちの迷惑になるかもしれない。
これ以上の迷惑を避けるためにせめて彼女の名は知らないほうがいい。
そして今すぐにここを出て二度と会わないこと。
「……もう十分世話になった。俺はここを出る、ありがとう」
杉村が立ち上がろうとすると少女は慌てて制止した。
「何を言ってるの?あなた、もう何日も寝込んでいたのよ。
まだ安静が必要よ。私たちのことを気遣っているなら無用よ」
「俺には守らないといけない人間がいるんだ」
杉村の声はまだ弱々しかったが、その台詞だけはきっぱりと吐いた。
「大切なひとなのね」
「ああ、凄く……きっと俺のことを捜している」
「あのね杉村君、酷なこと言うけど今のあなたじゃその大切なひとを守ることは出来ないわよ」
初対面の人間に随分と残酷なことをはっきりという少女だった。
しかし、その残酷さは優しさからでたものなので不快感はない。
それに少女の口調はとてもさばさばとしていてむしろ心地よいものだった。
杉村は、この少女は誰かに似てると思った。
それが誰なのか知っているはずなのに思い出せない。
(……きっと気のせいだ。忘れよう、今はもっと大事なことが山ほどある)
杉村は考えるのをやめた。
鎮魂歌―32―
「誰だ、てめえは」
佐々木は身構えた。ただ者じゃないと、特選兵士の直感が警告したのだ。
「伸男に何をした?」
佐々木はまず仲間の生死の確認を優先させた。
「彼女を殺そうとした。だから、俺が片付けたんだよ」
質問に対する少年の答えは簡単明瞭だった。
「殺そうとした?なるほどな」
伸男ならやりかねないと、佐々木は即座に考えた。
陸軍所属の四期生は、海老原を筆頭に気性の荒い男ばかりだ。
短気で単純ゆえに、カッとなると見境がなくなる。
まして、今回は海老原から出された命令は『殺害』だ。
それにしても、こいつは誰だ?
「おまえの名前は?」
「桐山、桐山和雄だ」
「桐山和雄……例の正体不明の連中の1人だな。
驚いたぜ、テロリストだって噂は事実らしいな」
「俺はテロリストじゃない」
「ふざけるな。プロじゃない人間が特選兵士とまともに戦えるものか」
「実際、俺は戦った。これは真実だ。おまえたちの情報は間違っている」
「……ふざけたことを」
この生意気な少年をさっさと拘束して手柄を立ててやろうか、と佐々木は考えた。
いや、捕獲しても、その手柄は海老原に譲渡しなければいけなくなるだろう。
そんな思いを巡らせていると、佐々木の視界の隅に動くものが見えた。
(伸男!?)
次の瞬間、島村が桐山の背後に飛びかかっていた。
「油断しやがったな小僧!俺にした非礼はてめえの屈辱ある死で償ってもらうぜ!!」
「伸男、おまえ生きていたのか?」
「当たり前だ、ふざけたことぬかすんじゃねえ!!ふいをつかれただけだ。
ついでに、こいつの正体さぐるためにダメージ受けたふりしていたんだ、ぼけ!」
島村はナイフをとりだした。愛用の武器だった。
「手始めに、そのお綺麗な顔の皮を剥いでやるぜ」
島村はぺろっとナイフを舐めた。もう長いこと習慣と化していた悪癖だった。
「やめなさいよ!」
良恵が駆け寄ってきた。経緯はどうあれ少なくても今は桐山は命の恩人だ。
まして目の前で残酷な処刑が行われようとしているのを黙ってみていることは出来なかった。
「おっと、おまえは俺が相手だ」
ところがすかさず佐々木が良恵の行く手を阻んだ。さらに首に腕を伸ばしてきた。
良恵の首に圧力がかかり、呼吸困難になるのに時間はかからなかった。
「……ぅ」
「悪いな。俺だって、こんなことしたくねえよ。だが竜也の命令なんだ」
苦痛に歪む表情でさえ良恵は美しかった。
(本当に勿体ねえ。どうせ殺すなら、その前に一度楽しんでおきたかったぜ)
けれども佐々木はそれをやったら自分の立場がやばくなることも理解していた。
佐々木は四期生の誰よりも海老原と早く出会った男だ。
幼い頃に国立孤児院に放り込まれてからの付合いだ。
ほんの幼児の頃から海老原の機嫌の変化に対応せざるおえない人生を送っている。
だからこそ、自分より強い立場の人間がいかに恐ろしく気まぐれであるかを知っていた。
そいつらに歩調を合わせることが波風立たない最良の方法だということを自然に学んだ。
それが佐々木の処世術だった。
今自分達がしていることは任務ではなく、海老原の私怨からくる腹いせだ。
薬師丸は勿論、戸川や水島にさえ秘密の私事。
もしも水島にこんなことがばれたら大変なことになる。
まして手出しなんかしてみろ、水島が黙ってはいない。
水島は、この女で楽しみたいと思っていた。
それだけで佐々木は欲望より恐怖を覚えた。
水島を差し置いて、彼が目をつけた女に手を出すなんて自殺行為だ。
海老原も島村も武藤も、その危険性に気づいてはいないだろう。
佐々木は内心恐ろしくてたまらなかった。
こんなことが水島にばれたらと思うだけで足が震えた。
かといって海老原に逆らうこともできない。
(だったら全てを早急に終わらせることが最善なんだ)
この女が生きている限り海老原と水島に挟まれ苦悩とはおさらばできない。
「おまえが生きている限り安心して眠れねえんだよ。さっさと死んでくれ」
特選兵士にとって女の細首をへし折ることなど造作もないことだった。
だが佐々木は反射的に良恵を投げ飛ばした。
良恵は壁に激突し地面に落ちた。少し咳き込んではいるが生きている。
佐々木は良恵に気をとれている暇などなかった。
佐々木は振り向きもせず両腕を頭上で交差させた。
直後、腕の骨がきしむような衝撃が走る。
桐山の蹴りが佐々木の頭部に急降下されようとしていたのだ。
佐々木は腕を押し上げ桐山の脚をはじき飛ばすと、振り向きざまその綺麗な顔に拳を放った。
だが桐山はすっと上半身を後ろにそらすとくるっと後方回転をして華麗によけた。
「伸男!おまえ、何やってるんだ、こんなガキ相手に!!」
「すまねえ、こいつ見かけと違って結構腕力があるんだよ」
「伸男、おまえ、まだ油断してんじゃないだろうな?」
「言い訳に聞こえるだろうが、今度は油断はしてなかったぜ」
最初の攻撃をまともに受けたのは確かに油断だった。
それも海老原にばれたら半殺しにされかねないばかばかしい理由だった。
ほんの20分ほど前、島村は良恵を追い詰めた。
普通の女なら観念して絶望でうちひしがれ気力を失うか号泣するか2つに1つ。
しかし良恵は違った。工場の天窓から逃げようと走りだしたのだ。
助走をつけ、さらに埃をかぶっている壊れた機械を飛び台にすれば届かない位置ではなかった。
だが島村の行動の方が素早かった。
島村は地面に転がっていたロープを投げ飛ばした。
良恵は一瞬で両手首の自由を失い、そのまま地面に倒れ込んだ。
「なんて女だ。往生際が悪すぎんだよ」
島村は良恵の襟元を掴むと、感情にまかせて強引に引き寄せた。
「俺をこけにしようなんて100万年早いんだよ!
いいか俺から逃げようなんて女だろうが腕の骨おって――」
「ニャア」
その殺伐とした空気に不似合いな愛らしい鳴き声。
島村はハッとして振り向いた。
(こ、子猫だ!)
親猫とはぐれたらしい子猫が鳴いていた。
(か、可愛い!)
島村はその容貌や性質とかほど遠い趣味の持ち主だった。
子猫には目がなかったのだ。
だが特選兵士たるもの、それも陸軍出身者はペットにするなら軍用犬という暗黙のルールがあった。
(特選兵士で猫なんて飼えるのは水島や薫みたいな美少年くらいだった)
陸軍特選兵士が子猫愛好者なんて恥ずかしいから二度と手を出すなと海老原に厳命されてもいた。
女よりも子猫を愛する島村としては実に哀しいことだった。
しかし猫よりも自分の方が可愛いのも事実。
海老原のご機嫌をとるために自分の趣味を捨てたつもりだった。
けれども今ここに海老原はいない。
島村は思わず所持していたニボシをとりだし、「おいでおいで」と言ってしまった。
子猫は警戒心も持たずに近づいてきた。
(きゃ……きゃわいい)
この時、島村はすっかり自分に課せられた使命を忘れていた。
良恵のことすら忘れていたのだ。
良恵が手首に巻き付いたロープを外したのにも気づいていなかった。
プロとしてやってはいけないミスを犯した。完全に油断していたのだ。
最も背後から「捜したぞ。勝手なことは控えてくれないかな」などと男の声がすればさすがに我に返った。
「だ、誰だ、てめえ!!」
目の前に現れたのは恐ろしいほど美しい少年だった。
(克巳や小次郎とはるくらいいい男……)
島村は思わずごくっと唾を飲み込んだ。
「どこのガキだから知らないが、さっさと家に帰ってママに甘えてな」
「生憎だが俺には母はいない。理解してくれるかな?」
島村はかちんときた。こんなふざけた返事があるか?
「痛い目にあいたくなけりゃ、ここで見たことは忘れてとんずらすることだな」
「そうかわかった。じゃあ帰ろうか」
桐山は良恵の腕をつかむと歩き出そうとした。
「ふざけんじゃねえ!!てめえ、女をどうするつもりだ!!
その女はここにおいておけ!!」
島村は強面だったが、子猫を胸に抱いていては、あまり威圧感などなかった。
「なぜだ?」
「なぜだぁ?その女を追いかけて俺は散々苦労させられてんだ!!
それ以上、俺を怒らせると家に帰れなくなるんだぞ、わかってんのか、この糞ガキ!!」
桐山は今度は良恵にちらっと視線を向けた。
「もしかして、おまえを助けにきた仲間なのかな?」
「違うわ、こんな男!私を殺しにきたのよ」
「そうか。だったら話は早い。俺についてこい、殺されるよりはいいだろう?
断っても俺はおまえを連行する。拒否も受け入れない、理解してくれるかな?」
「ふ……ふふふ」
自分という存在を完全無視した桐山の態度に島村は完全に切れた。
「ふざけやがって、もう堪忍袋の緒が切れた!!ぶっ殺してや――」
桐山が島村の視界から消えた。島村は反射的に視線を頭上に向けた。
桐山が回転しながら、猛スピードで落下していた。
島村は構えたが本気は出してなかった。
いかれたガキが身の程知らずにも攻撃を仕掛けてきただけだ。
回転による遠心力で多少蹴りの威力がましているだろうが大したことはないと考えたのだろう。
子猫を抱いたまま、片腕一本で桐山の蹴りを受け止めようとしたのだ。
が――桐山は、ただのいかれたガキなどではなかった。
片腕一本で桐山の蹴りを止めることは不可能だった。
桐山を舐めてかかった島村は、その蹴りをまともにくらい地面にキスをする羽目になったというわけだ。
その僅か数分後だった。佐々木がやってきたのは。
「にゃあ」
島村を劣勢にさせた張本人はまだいた。
「……伸男、おまえまさか」
「竜也には黙ってろよ」
「黙ってて欲しかったら、このガキ殺して女を竜也に引き渡せよ」
「当然だろ」
「このガキ、普通のガキじゃねえ。全力で相手しろよ」
「わかってる」
島村はナイフを2本取り出すと、片手でナイフお手玉をしだした。
「ガキは俺がやるから、おまえは女を連れて行ってくれ」
桐山の目の前でナイフお手玉が3本に増えた。
「彼女に手を出さないでくれるかな?俺は彼女を連れて帰ると鈴原に約束した。
決して乱暴なことはしない、傷なんて負わせない、その上で連れ帰ると約束したんだ。
だから、おまえたちが彼女に危害を加えるというのなら俺も容赦しない」
「本当にどこまでも頭にくるガキだぜ。五期生と同じくらい腹の立つ糞ガキだ」
島村のナイフは4本に増えていた。さらに5本になった。
まるで手品だが、手品と決定的に違う点がある。
手品には人命を奪わないためのタネが用意されている。
しかしこれはタネも仕掛けもない殺人道具なのだ。
「もう泣いて謝っても許してやらねえぜ糞ガキ。敦、用意はいいか?」
「いつでもOKだ」
「そうかい、だったら……終わりだ糞ガキ、逝っちまいな!!」
島村のナイフが一斉に桐山に襲いかかった。
額、喉、心臓、肺、腹部と5本とも急所目掛けて一直線に飛んでいた。
同時に佐々木も大ジャンプ。
桐山はナイフを避けるために飛んでいた。
一瞬で串刺し死体ができあがると睨んでいた島村は驚いたがすぐに攻撃第二弾に移行した。
今度はナイフではない島村本人が飛んだのだ。
そして桐山が攻撃を避けた一瞬の隙を狙って佐々木は良恵を捕らえていた。
もちろん、こんな連中に捕まるのを潔しとしない良恵が大人しく従うはずはない。
だが、良恵がどんなに気の強い女でも、特選兵士の拳をボディに受けたら意識を失うのは仕方なかった。
そのまま崩れ落ちる良恵を肩に担ぐと、佐々木は「さっさと片付けて来いよ」と促し屋外に。
「何、よそ見をしてやがる。女の心配する前に、てめえの命の心配しやがれ!!」
良恵に気をとられた桐山、島村の容赦ない攻撃が炸裂する。
桐山は地面に激しく叩き付けられた。しかし痛みに身を任せている暇などない。
咄嗟にそばに転がっている鉄パイプを振りかざした。
島村の蹴りとパイプが激突、パイプは蹴り飛ばされた。
「ち、思ったより反応が早いじゃねえか。やっぱり、てめえは普通のガキとはかけ離れているぜ」
島村が握りしめていた拳を開いた。キラリと鈍い光を放たれていた。
どちらの掌にも3本ずつナイフが握られている。
「今度ははずさせねえぞ」
島村がナイフを飛ばした。
「予定外のシナリオが挿入されたが、さっさと修正できて良かったぜ。
こうして女は無事に捕獲できたんだ。竜也の癇癪もやっと収まる」
佐々木は上機嫌で歩いていた。周囲は静かで人の気配はない。
「ん?」
空き缶が転がってきた。風が出ていたため佐々木は不審だと思わなかった。
その空き缶の中からかすかに赤い光が見えるまでは。
「何!?」
気づいたときには遅かった。その缶からプシューとガスが噴出した。
(この臭いは催涙ガス!)
佐々木はすぐに目を閉じた。そして構えた。
どこの誰だか知らないが、必ず間髪入れずに攻撃が入るはずだ。
佐々木の予感は半分当たっていた。背後に殺気を感じたのだ。
「ち、どこの組織の奴だ!視覚さえ塞げば特選兵士に勝てると思ってるのか!!」
佐々木は良恵を放り投げた。
女一人抱えていては攻勢はおろか守勢にすらでれない。
良恵はアスファルトの道路に落下し怪我を負うだろう。
だが佐々木は当然のように罪悪感など感じなかった。
多少哀れには思うが、すぐに海老原に殺される運命にあるのだから。
しかし佐々木はすぐに自分の判断が誤っていたことを知る。
ガスの中に人影が飛び込み、空中に良恵をキャッチしたからだ。
瞼を固く閉じている佐々木だったが、気配で敵がどんな行動をとったのかわかった。
まずい!佐々木はガスの煙幕から飛び出し目を見開いた。
全てが遅かった。車が猛スピードで走り去っていた。
「畜生、最初から女が狙いだったのか!!」
何てこった!
佐々木は頭部に必殺パンチをくらうほどのショックを受けた。
海老原の怒声と鉄拳制裁が想像の彼方からリアルな映像となって佐々木を襲った。
良恵を横取りされたなんて海老原にはとても言えない。
何としても阻止しなければならない。
佐々木は銃を構えた。タイヤに狙いを定めた、後は引き金を引くだけだ。
ところが車は左に右にと絶妙な蛇行をはじめ、銃弾を器用に避けている。
佐々木は驚愕した。相手はプロ中のプロだ。
タイヤを狙って生きたまま奪い返すなんて悠長なことは言っていられなくなった。
逃がすくらいなら、ぶっ殺したほうがまだマシだとばかりに佐々木は今度は車体を狙った。
すると窓から銃口が突き出したのが見えた。
佐々木はギョッとした相手も銃を持っていた、その銃は短銃なんかじゃない。
マシンガンだった。これはやばい。
佐々木はすぐに電信柱の影に飛び込んだ。
その間に車はさっさと角を曲がってしまった。
佐々木は慌てて追いかけたが、車は影も形もなくなっていた。
残された佐々木は海老原の怒りという恐怖に呆然とした。
『兄ちゃん、あいつらの様子はどうだ。見込みありそうなのか?』
夏樹と夏生は通信機を通して会話を営んでいた。
「夏生、おまえが連れてきた連中は思ったより楽しませてくれそうだ。
第1ゲームをクリアしたぞ。
もっとも、あんなのは序章だ。最終ステージまで行くかどうか」
夏樹は本当に愉快そうな表情をしていた。
『難しいだろうな。それより例の件だが』
男子生徒を追い出し、K-11をおびき寄せる餌に使う件だ。
「成果があったのか?」
『いや全然。接触どころか近づいても来ない。全く動きがないんだ。
季秋の情報網総動員したんだ。間違いないぜ』
「動きが全くない……か。確かなのか?」
『ああ、完全無視だ。あいつらを放り出したことは裏に流しまくった。
K-11がそれを知らないわけがない。警戒して無視しているフリの可能性は?』
「連中がそんな慎重で計算の高い輩なら、特選兵士相手に白昼堂々とあんなマネするか。
奴らは特選兵士に殺されること覚悟で、スラム街にまで、その人間を救出しにきたんだ。
あいつらが守ろうとしている人間なら、どんな危険を冒してでも、すぐに接触するはずだ」
『……つまり』
「そうだ。男じゃない、女の中にあいつらとかかわりのある人間がいる」
『俺はそっちのほうが嬉しいぜ。
そうか、あいつらが命がけで守ろうとしている人間は女か。
案外、俺と気が合いそうな連中じゃないか。気に入ったぜ』
「用件は他にないのか?」
『……忘れるところだった。兄ちゃん、ちょっとやばいことになった』
「やばいこと?」
『冬樹が、天瀬良恵拉致事件を知ったみたいなんだ』
夏樹は僅かに眉の端をぴくっと動かした。
「良恵の無事は確認できたのか?季秋の情報網を使えば簡単につかめるだろう」
『まだ時間がかかりそうだ。でも居場所の有力情報ははいったらしい。
その情報は冬樹の元に渡っている。あいつも拉致事件を聞きつけて、調べていたらしいんだ』
夏樹は額に手を添えた。ちょっと頭痛がしてきたようだ。
季秋冬樹(きしゅう・ふゆき)は夏樹の弟だ。
季秋家の兄弟は大きな声では言えないが異母兄弟の集団。
(父が遊び人だった結果だ。幸いなのは兄弟仲が険悪ではないことだろう)
11人兄弟だが、夏樹には同腹の兄弟が2人いる。
1人は夏生、もう1人が冬樹だった。
冬樹は末っ子だったが、兄弟の中でも特別派手な反政府破壊活動をしている男だった。
やり方に問題はあるが、政府に甚大な損害を与えているのも冬樹だ。
その功績による自負か、それとも生来お調子者だからなのか、冬樹は威張りまくっていた。
末弟でありながら、兄達にすら尊大で生意気な態度をとるくらいなのだ。
そのせいか一族から天才肌だと認められてはいるものの、同時に煙たがられてもいた。
それは同腹の兄である夏樹や夏生でさえ同様なのだ。
だから兄弟間で行われている情報交換などの協力網から締め出されていた。
その冬樹に良恵拉致の情報が筒抜けになっている。
「……春海だな」
兄弟達から仲間はずれ状態の冬樹だったが、中には気遣ってやる者もいた。
それは夏樹の3番目の弟にあたる春海だった。
春海はとにかく弟に甘い面があって、それが例え冬樹でも例外ではない。
春海にとってはあばたもえくぼで可愛い弟。
生意気な性格もやんちゃくらいにしか見えないらしい。
他の兄弟から疎外される冬樹が不憫なのか、春海は度々冬樹に情報を流していた。
(だが結果的に良かったかもしれないな。
冬樹が動いたのなら良恵はすぐに救出されるだろう)
もっとも、その後はどうなることやら……。
「何ででないのよ。早く出なさいよ!」
光子は携帯電話を握りしめ語尾を強めて叫んでいた。
何度も繰り返される『圏外か電源を切って――』という無機質な声が光子を苛立たせている。
相手は夏生、その夏生と連絡がつかない。
『いつでもどこでも君からのラブコールには必ず出るよ』
「調子のいいこと言っておいて、何で出ないのよ!!」
光子は激怒したが夏生には夏生の事情があった。
夏生は基本的には女優先主義者。だが、あくまで原則であって例外もある。
それが今だ。この異常事態の中では夏生も色恋沙汰に我を忘れるわけにはいかない。
「美恵……どこに行ったのよ」
光子は美恵をずっと捜していた。
スラム街の周辺にはにやけ面した兵士がうろうろしている。
(……侵入するのは無理ね。あたしみたいな美人、ただでさえ目立つってのに)
かといって夏樹が用意してくれた安全地帯に今更飛び込むわけにはいかない。
安息に身を任すのは美恵の無事を確認してからだ。
「おい女」
光子の背後からいやらしい声が聞こえた。
真夜中にこんな場所に女1人というのは、どうしても目立ってしまうらしい。
まして、それが年齢に不似合いな妖艶さを持ち合わせた美少女とくれば。
(どうやら1人らしいわね。だったら何とかなるわ)
光子は、スカートの裾に手を伸ばすと、少しだけつまみ上げた。
月明かりに照らされ白く浮かび上がった光子の脚線美。
ゴクッと唾を飲み込む音が露骨に聞こえた。
(本当に男ってどいつも同じね。単純な俗物よ。
だから、あたしがいいようにあしらうことができて楽なんだけどね)
光子はさらにスカートをめくりあげた。
男の目がいやらしく歪んでいることは容易に想像できた。
そして光子の想像はリアルタイムで現実として進行していたのだ。
だが、直後、男はぎょっとなった。
光子のなまめかしい太ももには不似合いな拳銃が。
キラリと鈍い光を放ち、男の性欲を一瞬で恐怖へと移行させた。
「お、おま……おまえ、何なんだ!」
男は慌てて背中に背負っていた軍用ライフルに手を伸ばした。
だが光子のほうが素早かった。男の額には銃口が押し当てられていた。
「残念だったわね。だてに修羅場の場数は踏んでないのよ、あたし」
青ざめる男を光子は質問攻めにした。
「スラム街の詳細な情報を教えるのよ。捕獲された人間がいないかね。
あたしと同じ年齢の女の子がいたはずよ。さあ、さっさと答えなさいよ」
「そ、そそそそんなこと歩兵の俺には……」
「知らないってわけ?あっそ、じゃあ死んでもらうわよ」
「そ、そそそそそんな!」
「おい、てめえ、何、ひとのパシリを脅迫してやがるんだ?
女のくせに銃なんぞ持ち出してるんじゃねえよ。捨てろ」
光子の全身に恐怖の旋律が走った。
光子は修羅場をくぐり抜けてきた人間。
そのため、幸か不幸か、やばい人間っていうものが直感でわかる。
その男はやばい。ただ者ではないと声を聞いただけで悟ったのだ。
「聞こえなかったのか。てめえ、俺の命令無視しようってんのか?」
光子は悔しそうに銃を放り投げた。
逆らったところで負けるのは自分だ。逃げることもできないだろう。
今は大人しく従ったほうがいいと判断したのだ。
「わ、和田さん!」
歩兵が男に駆け寄った。途端に、その男は鉄拳をくらい地面に叩き付けられる。
「ざけんじゃねえよ!俺の下僕のくせに女に出し抜かれやがって!!
おい女、大人しくしてもらうぜ。今の俺は最高に気が立ってるんだ」
「…………」
「下手に怒らせて火傷するんじゃねえぞ!!」
【B組:残り45人】
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