手術室から白衣を身にまとった結城がだるそうな表情で出てきた。
「泰三は大丈夫か、手術は成功したのかよ?」
心配そうに部屋の前で待っていた鉄平と加奈に、結城は「馬鹿か、おまえら」と悪態をついた。

「こんな簡単な手術に失敗するような腕で金満闇医師なんかできると思っているのか?
俺がどれだけ法外な治療費払わせる人間だと思っている。
腕が二流なら、患者なんかこないだろ。考えてものをいえよ」

結城は医者としての腕は一流だったが、口と態度は最悪だった。
鉄平は即座にむっとした。その感情を顔に出さないほど大人でもない。
その雰囲気をみてとったのか、川田が口をはさんできた。
「ご苦労だったな先生。で、益子はいつごろ動けるようになる?」
開腹までしたのだ。最低でも今日明日は化膿止めの点滴を一日中うけなければならない。


「個人差もあるが、5日はベッドにはりついていてもらう。
と、いいたいところだが、おまえたちみたいな厄介な連中に居座れても困る。
3日だ。3日だけおいてやる。3日後には出て行ってくれ」




鎮魂歌―28―




「直人君、本当にありがとう。君には感謝してもしきれない。
早紀子にもしものことがあったら私は生きていられなかったよ」
正親町長官は直人の両手を握りしめ、何度も頭を下げた。
「長官、自分は手柄なんて何も、それどころか……」
「輸送機ハイジャックの件を心配しているんだな、それなら大丈夫だ。
君の忠告もあって緊急に捜索班を作った直後に連絡があったんだ。
エンジンの調子が悪くて緊急着陸しただけらしい。すぐに元の空路に戻るとのことだ」
「そうですか。それを聞いて安心しました。しかし油断は禁物です。
念のために定期的に連絡を取ってください。いつ、連中が襲って仲間を奪還しないとも限りませんから」
「うんうん、本当に君ほど優秀な士官はいないよ。改めて頼むよ、早紀子を幸せにしてやってくれ」


ちっ、あの話、本気だったのか。



直人は口元が引きつりそうなのを必死に押さえた。
厳格な父の教育の賜物だろう。感情を抑えることには慣れている。
「長官は自分に恩義を感じているようですが、早紀子さん救出は任務でした。
任務を遂行するのは国防省の人間として当然のことです。
ですから、その話はなかったことにしてください」
「……直人君」



なんて謙虚な若者なんだ……。
普通なら長官の孫娘との縁談なんて出世にも有利だし喜んで飛びつくだろうに。
無欲というか仕事に忠実というか。
ますます気に入った!やはり早紀子の婿は彼しかいない!



「わかった直人君」
(ようやくわかったか)
「任務とこの話は無関係だ。改めて早紀子を頼む、君を見込んだ私の顔をたててくれ」
(……こいつ全然わかってない)
直人は目眩がしそうだった。


「長官、直人はまだ子供です。そんな話は早すぎるでしょう。
長官のお嬢様を頂くには、まだまだこいつは未熟者でして」

(親父!)


厳格な父の登場をこれほどありがたいと感じるのは直人初めての体験だった。
「第一、お嬢さんの人生を左右される決定を本人の気持ちを無視するのは酷でしょう」
菊地は理路整然とした正論を述べた。
「何、それなら心配はいらんよ。早紀子は直人君を憎からず想っておる。
私が、あの子の嫌がる縁談をすすめるはずないではないか」
直人のみならず、父の表情も引きつる寸前だった。


「長官、こんなことはいいたくありませんが、直人はご存じの通り私の実子ではありません。
菊地家の跡取りとして扱っていますが、いまだに周囲は直人に対して冷たい目を向けているのです」


孤児でありながら、国防省で1、2を争う名門・菊地家の跡継ぎの直人。
その直人に対する妬みは凄まじいものだった。
実力で得た地位であるにもかかわらず、常に孤児だった事実が直人の評価を下げている。
その上、国防省長官の孫娘と婚約しようものなら、直人に対する陰口は最高潮を迎えることになるだろう。




「菊地家の跡取り息子になっただけでも直人には十分です。
早紀子さんとの縁談などもってのほか。直人の出自を考えればあまりにも分不相応です。
直人には不釣り合いすぎます。私からもお願いします、この縁談は白紙に戻し……」
「何をくだらないことを言ってるんだ菊地君!」
「……は?」
「人間の価値は生まれや育ちなんかじゃないだろう。
直人君がどんな血筋だろうが、そんなことは直人君の価値を損なうものではない。
私はそんなこと気にしないし、早紀子にもそんなものにこだわる教育はしていない。
君たちは何も心配せずに、ただ早紀子と幸せになることだけを考えてくれ。
何、ごちゃごちゃいう連中がいたら私が黙らせてやるよ」

直人と菊地は、正親町のあまりのありがたいお言葉に唖然とするしかなかった。









「くそ、あの年寄りめ!」
菊地は忌々しそうにネクタイを外しながら高級革椅子にどさっと座り込んだ。
「やはり、どんな手を使ってでもさっさと隠居させるべきだった」
「一応確認しておくが、親父はこの縁談反対してくれてるんだよな?」
直人はおそるおそる父の真意を問いただした。
「当然だろう!あんな砂糖菓子を頭に詰めたような女におまえの妻がつとまると思うか?」
直人は心底父をありがたいと感じた。こんなことは初めての体験だったろう。


「よかったぜ。長官の椅子への最短距離にはコネも必要だと言い出されたらどうしようかと内心ひやひやした」
「ふん、私はな直人。おまえにはコネなど必要としない実力をつけさせるために心血を注いできたんだ」


父のスパルタ教育には散々辛酸を味あわされた。
だが、それすらも今やありがたいとしか言いようがない。

「仮におまえ達を結婚させたところで、本当にそれがおまえのプラスになると思うか?」
ふんぞり返っていた菊地は上半身を起こした。
両腕を組むと指をくいくいさせて直人にそばに寄るように促す。
「大総統陛下の妹である長官の女房はとっくに他界してるんだ。
元々陛下とは腹違いで兄妹仲は大してよくなかった。
つまり長官一家と総統一家は親戚と云っても、もはや他人も同然。
まして大総統陛下は最近は病気がちでいつ崩御されてもおかしくない。
そうなったら、総統一家との縁はますます薄くなる。他人どころか、赤の他人だ。
あの娘とおまえを婚約させたところで、将来的に考えれば、おまえには何の益もない」




「さすがは親父だ。そんな先のことまでしたたかに計算するなんてな。
ところで親父、それとは別に問題が起きた」
「問題?」
「連中の仲間でまだ捕まってない奴らが天瀬良恵を拉致したらしい」
菊地は反射的に目つきを鋭くした。
「何だと?そんなことを科学省が許すはずがない」
「許さないのは科学省よりも特選兵士の連中だ。
特に海軍の佐伯徹は怒りの頂点で、連中を引き渡せとまで言ってる」
「馬鹿な、そんなことできる道理がない」


どたどたと騒々しい足音が近づいてきた。
そして乱暴にドアが開け放たれ男が慌てて入室してきた。

「局長大変です!」
「何だ、ノックくらいしろ!」
「は、すみません」
男は慌てて直立すると敬礼した。
「何があった?」
「輸送機からの連絡ですが……フェ……フェイクでした!」
「フェイク?」
菊地よりも、直人が敏感にその言葉に反応して思わず叫んだ。


「続きを話せ!輸送機からの連絡は……つまり」


直人は拳を握りしめた。その拳は小刻みに震えている。

「……そ、その……我が国防省の人間からの連絡ではなかったのです。
彼らは猿ぐつわに拘束具で動きを封じられた姿で輸送機の貨物室から見付かりました」


「くそ、Nめ!!」


直人はデスクに拳を振り下ろした。またやられたのだ。
無事だという連絡がなければ、国防省は躍起になって輸送機を探す。
少しでもおくらせるために、国防省の人間のふりをして連絡してきたのだ。
内線電話が鳴り出した。菊地はすぐに受話器を手に取り耳に運ぶ。
「長官。はい、たった今連絡を受けたところです。
……ちょっと、待ってください、どういうことですか?」
菊地が納得できないという口調で、やや感情的になり立ち上がっていた。


「直人におまかせください。直人はテロリスト相手に実戦で鍛えてきました。
直人はこの件を処理するのに最適な人材です。どうか私の言葉を信じて……。
……はあ、そうですか。わかりました従います」


用件が済むと菊地は乱暴に受話器を置いた。

「くそ、何てことだ!」
「どうした親父?すぐに俺を出動させてくれ、連中を足取りを何とか掴んでみせる」
「……その必要はない。おまえは今回の件から外されている」
「何だって、どういうことだ?」

「どうもこうもない!この件は水島の糞ガキに全権が委ねられたんだ!!」














「益子、具合はどうだ?」
麻酔が切れ、ようやく目覚めた泰三が最初に目にしたのは川田だった。
「……痛いよ。腹が裂けたみたいだ」
「実際、切り裂いたんだ。痛いのは当然、男の子なら我慢するんだな」


本当なら益子が歩けるようになるまで、ここにおいてほしいがそうもいかないだろう。
結城はまるで仇でも見るかのような眼差しを川田達に向けているのだ。
『邪魔だ、迷惑なんだよ』と思っているのは一見してわかるくらいに。
3日という短期間限定でもおいてもらえるだけマシだ。
葛城親子など、手術が終わると同時に凄い剣幕で追い出されたのだ。
行く当てなどないのに……気の毒だと思うがどうすることも出来なかった。




トントンとドアをノックする音がした。
ドアが少しだけ開き、 美恵が顔をのぞかせた。

「あ、益子さん気づいたのね。よかった」
「……ありがとう。ちょっと……いや、かなり痛くてまいったけどね。
……でも痛み止めもだしてもらえないし……」
「ぼやく暇があったら怪我人はゆっくり寝てろ」

川田は立ち上がりドアに近づいた。
美恵の様子から何か話があるらしいことを悟ったのだ。


「どうしたんだ、お嬢さん?」
「……それが」

美恵が全く手をつけられてない食事を載せたトレイを持っている。
「……またか」
川田はため息をついた。


あの少女――名前は天瀬というらしい――は捕らえられてから与える食事に一切手をつけないのだ。
自分を拉致した連中が用意した食物に警戒しているのかもしれないが。
「川田君、話があるの」
「ああ、いいぞ。向こうで話そう。俺も一度全員でゆっくり話したいと思っていたところだ」
川田は煙草に火をつけながら同意した。









「……で、金田、どうしたこうなったんだ。最初から詳しく話してくれ」

川田は煙を吐きながら、今回の事件の詳細な説明を求めた。
川田達からすれば、詳しい事情もわからず拉致の片棒活がされる羽目になったのだ。


「だ、だから言っただろ。人質が必要だと思ったから、それで……」
「突然だったし、あの直後に怖い色男さんが登場したから深く考える暇もなかったが
本当にあの女は人質としての価値があるのか?
おまえたちも見ただろう、あの怖い士官さんの激怒ぶり。
むしろ余計な危険が増えたような気がしてならないんだがな」
「……う」


図星だった、自分達もそれを考慮して手を出すのを止めようと思ったくらいなのだ。
良恵に存在に気づかれ、思わず事を起こしてしまったが。


「う、うるせえよ。なりゆきだ、ああするしかなかったんだよ!」
川田はそれ以上説明を求めなかった。ただ呆れた。
問題は、その人質をどうするかということだ。
食事にも手をつけないなんて自分達に対する抗議の表明だろうし、ほかってもおけない。




「川田君、あのひとどうするつもりなの。お願いだから乱暴なことはしないであげて。
それから、出来れば解放してあげて欲しいの。このままじゃ弱ってしまうわ」

鉄平と加奈は目を丸くした。
人道的発言は2人にとってはとんでもない発案でしかなかったらしい。


美恵ちゃん、何言ってるんだよ!あの女逃がしたら俺達の身に危険がせまるんだぞ!」
「そうよ。あなたも見たでしょ、特選兵士の恐ろしさを!
あんな奴らが軍には何人もいるのよ。そいつらに通報されたら今度こそ殺されるわ!」
「じゃあ、あのひとをずっと監禁するの?川田君、あなたも同じ考えなの?」


川田は煙草を灰皿に押しつけた。
「俺も基本的に女の子を拉致監禁するなんてのは嫌なんでな、気持ちはわかるよ。
そう心配するな、そのうちに解放してやる」
「おい川田さん!」
鉄平が非難がましい叫びを上げた。
「ただし俺達が遠地に逃げ延びる安全なルートを探し出した後でだ。
逃げ延びた後で、お嬢さんの居所を軍に匿名で通報する、それでいいだろ?」
「本当?本当なのね、川田君」
美恵はまだ心配そうな目で川田を見つめている。

「約束するよ。桐山と知恵絞って近いうちに解決する」

美恵はほっとした。そのまま良恵が閉じ込められている地下室に向かった。









良恵は監禁されているとは思えないほど毅然とした態度を崩してなかった。
美恵がドアの前にたつと気配を察したのだろう、「何の用かしら?」と声をかけた。
「あの食事は」
「いらないわ。敵の施し受けるような教育は受けてないの」
「でも」
「気遣いは無用よ」
美恵は良恵を刺激しないように、できるだけ柔らかい口調で言葉を選んだ。


「こんなことになってごめんなさい。でもすぐにあなたを仲間の所に返してあげるわ」


美恵の言葉に驚いたのか、それとも信用できないと思ったのか、すぐに言葉は返ってこなかった。
時間をおいた後に、「……何、たくらんでるの?」と、言い出した。
しかし、その口調は不快なものではない。ただ不思議がっているようだった。


「川田君が約束してくれたの。
私たちが無事にここから逃げる手はずさえ整えばあなたを解放するって」
「……そんなこと」


口に出さなくても、『信じられないわ』という気持ちははっきりとわかる。
「川田君は嘘はつかないわ。すぐってわけじゃないけど。
だから、お願い食事だけはとって。
このままじゃ、あなたが弱ってしまうわ。毒なんてはいってないから。
私たちを信用してなんて言っても無理な話かもしれないけど……。
どうしても信じられないっていうなら、まず私があなたの前で毒味してもいいのよ。
それならあなたも安心できるでしょ?だからお願い」
良恵は表情にこそ出さなかったが戸惑っていた。


(どうして敵の私のためにそこまでするのかしら……本当に変った人)


幼い頃から一般社会から切り離され育ち、成長後も軍の世界で生きてきた良恵にはとても信じられなかった。
「あなた優しいのね」
「え?」
「羨ましいくらいだわ。私にはそんなこと思いつきもしないから……」
苦笑した良恵は、なんだか寂しそうにも見えた。
「一つだけ聞いてもいいかしら?」
「何?」


「早乙女瞬って知ってる?」


それは意外な質問だった。どうして、この少女の口から瞬の名前が出てくるのか?
あまりにも予想外の質問に、美恵は質問を質問で返してしまった。

「どうして早乙女君のこと知ってるの?」
「理由は聞かないで」
「あ……ごめんなさい」


なぜかはわからないが、ひとにはいえない事情があるのだろう。
立ち入ったことは聞くべきではないと美恵は判断した。
それは良恵にとってもありがたい心遣いだった。


「ねえ、彼のことどんな人間だと思う?」
「どうって……」


早乙女瞬とはろくに会話をしたこともない。美恵は必死に考えた。
「ごめんなさい。よくわからないわ」
考えた末にでた答えは実にお粗末だった、しかし――。


「寂しそうなひとだと思うわ。冷めた目で窓の外を見てたことがよくあったから……」


「悪い人じゃないと思う」
「どうして、そう思うの?」
「理由はないわ。ただ私の勘、きっと何か事情があるような気がするの」
「……そう」

――しかし、不快な答えではなかった。


「……食事、頂いてもいいかしら?」
美恵の表情がぱあっと明るくなった。
「本当?」
「ええ」
「待ってて、すぐに持ってくるわ」
美恵は自分のことのように喜んでかけだしていった。


「……本当に不思議なひと。私は彼女の仲間を捕らえた側の人間なのに」














「ここが拉致現場だ」
徹は地図を広げ、ある一点を指さした。
「この地点を中心に軍事へりの目撃情報を全て収集した。それがこれだ」
徹は数部の書類を投げ飛ばした。俊彦、攻介、隼人はそれを空中でキャッチ。
「随分と多いじゃないか」
「ああ、あの辺一体は封鎖地区だったからね。同じタイプの軍用ヘリがいくつも飛んでいたのさ。
全てのヘリコプターの航空ルートはすでに調査済みだろ。チェックする暇はなかったけどね。
その航空ルートから完全に外れたヘリを探すんだ。それに彼女は搭乗していたはずなんだ」
「それは俺がやるぜ。パイロットには懇意にしている奴が多いんだ」
「攻介、君も珍しく役に立つじゃないか」
「そりゃどうも」
攻介は忌々しそうに返事したが、今は徹と喧嘩している暇もない。


「夜中だったとはいえ軍用ヘリをそうそう上手く隠せるわけがない。
飛行可能範囲全般に情報屋を派遣して徹底的に着陸情報を洗い流せばいい」
今度は、隼人が挙手して提案した。
「当然だよ、隼人。君達、自身もすぐに現場に向かってくれ」
「徹、おまえはどうする?」
「俺かい?さっきも言っただろう、俺は連中と鬼ごっこなんてする心の余裕はないんだ。
すぐに彼女を返してもらう。そのために国防省から奴らの仲間を引き渡してもらう」
「おい徹、本当にやるのかよ?」
俊彦が、『いくら何でもやばいんじゃないか?』と言外で訴えていた。
良恵を返さなければ、1時間ごとに1人殺す。随分とイカれた手段である。
普通ならばカッとなった末の虚言ととるだろうが、これが徹だと危険な真実味があった。


「俺は冗談が嫌いなんだよ俊彦」
「やっぱり本気かよ、国防省が大人しく渡すとは思えないけどな」
「渡さなければ、こちらも紳士的な態度はとらない。それだけさ。
第一、すでに裏情報は流してるんだ。もう後には引けないよ」
「流したって……おい、おまえ!」
「『すぐに無条件降伏して彼女を返せ。でなければ、1時間に1体ごとお仲間の死体が増えるぞ』
あらゆる闇ルートに、この情報を流しておいた。連中が裏の組織とつながっていることは間違いない。
今頃は、真っ青になって彼女を返す相談でもしていることを祈るよ」




「おい隼人、何とか言えよ。徹はやると言ったら本当にやるぜ」
「だろうな。止めても無駄だということもよくわかっている」
「おい隼人」
「徹の虐殺を止めたかったら、早く良恵を救うことだな。行くぞ」
隼人は立ち上がると即座に歩き出した。俊彦と攻介は慌てて後を追う。
「おい他の奴にも応援頼んだほうがよくないか?
俺は直輝にも頼んだし、攻介の仲間も喜んで手を貸してくれて捜索に加わってくれてるけど」
「科学省に報告するのか?」
「いや他の特選兵士にも頭下げてでも……」
隼人はいったん足を止めて、くるりと俊彦たちに向き直った。
「無駄だ。薫は国防省に帰還して連絡さえとれない。
晶も陸軍の一個団隊率いている。現場から離れるのは無理だろう。
雅信はどういうわけか任務を無視して行方をくらましているらしい」
「勇二は?あいつは真面目に任務も遂行してないし、暇なご身分だろ?」
「あの勇二が良恵のために何かしてくれると思うか?」
「……それもそうだな。あいつ、本当に良恵のこと嫌ってるからなあ」




「……ぶっ殺す」




まさか、偶然にも勇二が廊下の角の向こうにいたなんて俊彦と攻介は全く気づいてなかった。
ただ隼人だけは無礼な盗み聞きに気づいていた。

「そういうな俊彦。相手は徹を出し抜いたほどの相手だ。
そんな男と任務でもないのに関われなんて勇二には酷だろう。
慈善事業の戦闘行為なんて、百パーセント勝つ見込みがなければ頼むべきじゃない。
勇二が勝つ見込みが十分あれば、いくらでも俺が頭を下げるところだが――」


「ざけんじゃねえ!俺が負けるとでも言いたいのか、てめえ!!」


「ゆ、勇二!」
「おまえ、いつからそこにいたんだよ!」

俊彦と攻介は慌てたが、もちろん隼人は沈着冷静そのものだ。

「黙って聞いてりゃ言いたい放題抜かしやがって!第一、あの女がどうしたって言うんだ?!」
「気に障ったのなら謝る。悪かったな勇二、忘れてくれ。
これは良恵と俺達の問題で、おまえはこれっぽっちも関係ないことだ」


勇二の中でぷつんと大きな音がした。


「そこまで俺を馬鹿にして今更関係ないだと?ふざけるな!
どういうことか説明してみやがれ!!」
「……わかった。おまえがそれほどいうなら話してやる、実は」
5分後、勇二は「そんな男が俺が片腕一本でひねり潰してやるぜ」と豪語して飛び出していった。
「時間をロスしたな。あんな奴でもいないよりマシだ。行くぞ、攻介、俊彦」









「畜生、むかつくぜ氷室の野郎。いつかギャフンといわせてやるぜ」
「落ち着けよ竜也、また問題起こしたら外国に逆戻りだぞ」
「わかってるから、上にばれないような方法考えろ、今すぐにだ!」
「そんなこと言っても俺は克巳や小次郎みたいな頭脳派じゃないんだぜ。無茶いうなよ」
海老原が手下の四期生達を率いて廊下を歩いていた。
「おい、竜也。噂をすればなんとやらだぜ。あそこに氷室がいるぜ」
海老原はぎろっと憎悪に満ちた眼差しを隼人に向けた。
距離はあったが、その凄まじい殺意に隼人は気づきちらっとこちらを振り向いてきた。
だが振り向いただけだ。関わるつもりはないのだろう、すぐに視線をそらした。
それすらも海老原には、ひとを馬鹿にしている態度にしか見えなかった。


「……あの野郎、俺を舐めやがって。俺を誰だと思っている、四期生筆頭だぞ!」
海老原の手下達は、思わず心の中で『筆頭は涼だろ』と呟いたが、もちろん声には出さなかった。
「それにしても随分急いでるみたいだな。何かあったんじゃねえのか?」
「ふん、そんなこと知るか!あいつを苦しめるタネでもない限りどうでもいいことだ!!」
海老原の不機嫌は最高潮に達しようとしていた。
「竜也、機嫌なおせよ。なあ、俺と飲みにいかないか?」
海老原の腰巾着の佐々木敦が、「いい女がいる店見つけたんだよ」と誘いをかけた。
四期生の間では、お馴染みになった光景だ。


「ここからは遠いけど、何、ヘリ使えばひとっ飛びだ」
「本当にいい女だろうな?」
「ああ保証する。ちょっと小さくてちんけな店だけど遠出するだけの価値はあるぜ」
「ああ?何で、そんな穴場、てめえが知ってるんだ?まさか俺を出し抜いて女をナンパでもしたのかよ」
「ち、違う違うよ竜也」
佐々木は両手をふって慌てて否定した。
「大きな声じゃ言えねえが、俺もいろいろと表沙汰に出来ない事件起こしてるだろ?
何度か大怪我負っちまってさあ、でも軍立病院にはいけねえじゃねえか。
だから知り合いの軍医見習いに治療してもらってたんだよ。
その帰り道に偶然その店見つけたんだ。なあ行こうぜ」
隼人のことですっかり頭にきていた海老原は二つ返事でその誘いに乗った。
こんな時は、いい女と酒を飲むのが一番というのが海老原の習慣だったのだ。














「よう司ちゃん、お医者さんの勉強ははかどっているかい?」
「全然。そろそろ必死にならないと国家試験の受験資格さえあぶないだろうぜ」
結城司は薬局に医療道具を買い出しにきていた。
薬局の店長のおやじさんとは十年以上の付合いだ。
凄腕の闇医者である彼の正体を幼い頃から見てきた近所の人間達は何も知らない。
金が全ての冷酷な金満闇医者も、昔の自分を知っている人間には裏の顔は知られたくないらしい。
「そうかい、みんな司ちゃんの事は応援してるんだよ。
こんな片田舎の小さな町から軍医さんがでるなんて名誉だからなあ」




「……自分を偽るってのも楽じゃないぜ」
結城は買い物袋を車の後部座席に詰め込んだ。
(……さて、と。これからどうするかな)
軍の誰かに良恵のことを話し保護してもらわなければならない。
だが、それは誰でもいいというわけではない。
士官だ。それもある程度の力をもった。
その上、自分の裏稼業に目をつむってくれる人間でなければ。


(……下手な士官に頼むわけにはいかないな。やはり特選兵士か。
しかし、俺が知っている特選兵士はろくな奴はいない。
いないが、彼女を無事に佐伯の元に返してくれるよう交渉してみるか)


結城は将来の先行投資のために、普段は法外なはずの治療費を特選兵士限定で安値で請け負っていた。
その借りを今返してもらおうと思ったのだ。
特選兵士なら自分の裏稼業を内密にした上で、あの連中を倒し良恵を保護することなんて簡単だと踏んだのだ。
(佐々木か武藤に連絡してみよう。事は急いだ方がいい)
結城は携帯電話を取りだした。自宅では川田たちの目があるから電話は使えない。
「……ち、電池切れか」
仕方ない、いったん帰宅して充電してから再度外出しよう。
結城が計画を立てながら車を発進させたときだった。


フロントガラスに何かが張り付いてきた。べとっと鮮血をガラスに付着させながら。
血を見るのは慣れている結城もこれには驚いた。
かといって悲鳴を上げるほど可愛いげのある性格でもない。


「……ゆ、結城」
「鮫島、何のまねだ!」


結城の行く手を邪魔した何かとは腕を負傷した鮫島洋輔だった。

「俺は先を急ぐんだ。さっさとどけ」
「た、頼む……治療を……」
「俺は今後一切、金のないやつとは関わらないことに決めたんだ。
つまりツケ払いは廃止だ。だから、さっさとどいてくれ」


鮫島はそのまま地面にダウンした。
怪我自体は大したことないが、少々出血量が多かったらしい。
「おい、迷惑だぞ。さっさとどけ」
しかし鮫島はすでに意識を失っており、結城の言葉は耳に届いてない。
「……くそ、ただでさえ面倒なのに」
このままほかっておきたいが、そうもいかない。
通行人に、この光景を見られたらやばいのは自分なのだ。
結城は鮫島を車の荷台に放り込むと即座に車を発進させた。




【B組:残り45人】




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