国防省四国中国統括局に士官の資格を持っている者が集結した。
菊地直人は勿論、立花薫も鳴海雅信も。
大会議室に入室すると、細長いテーブルの向こう側に頭を抱え俯いている長官の姿がある。
直人の養父である菊地春臣もすでに着席している。


「さっさと座れ。誰にも気付かれなかっただろうな?」

顔面蒼白になって震えることしかできない長官に代わり菊地が指示をした。

「これは国防省内だけの問題だ。くれぐれも軍部には洩らすな。
ばれたら後が厄介になる。いいな?」


国防省だけで片付けなければならない問題とはなんだ?

「何があったんですか?」
薫が質問した。


「単刀直入に言おう。早紀子さんが何者かに誘拐された。
彼女を解放する条件は、先ごろ捕らえた例の正体不明な連中を釈放することだ」




鎮魂歌―24―




「まあ」

早紀子は口元を手で隠して思わず呟いた。
扉はもちろん窓すら外から鍵がかかっていた。
しかもシャッターが降ろされており、晴れているのかどうかすらもわからない。

「これではお天気さえわらないわ。今、何時かしら?」


彼女の名前は正親町早紀子(おおぎまち・さきこ)。
まだ中学二年生の少女だ。
祖父は国防省長官、祖母は総統の娘という名家のご令嬢。
その出自を全く鼻にかけない明るい性格で、学校でも人気があった。
しかし、それ以上に彼女を人気者にしているのは意外にも軍部だった。
ピアノの弾き語りが趣味の彼女はよく幼年兵を慰問に訪れ演奏していた。
愛らしい容姿もあいまって、思春期の幼年兵にはアイドルのような存在だったといってもいい。


もっとも国防省の二大プレイボーイ薫と水島に手を出されたことは全く無い。

『資産は魅力だけど、いくら何でもあんな子供相手にできないよ』(by立花薫)
『ガキに手を出すほど落ちぶれてないよ。ロリコンじゃないからねえ俺は』(by水島克巳)

百戦錬磨の彼らから見たら、まだまだねんねだったようだ。




そんな彼女の悪意の無い性格と総統の身内という出自の為、
誰も表立って文句を言わないが、不満を持っている人間もいた。
それは菊地直人だった。


「兵士達を慰問するのは結構だが、戦地に赴くのは止めて欲しい。
自分の立場を少しは理解したらどうですか?
どさ回りの売れない歌手や手品師ではないんだ、格好の人質として狙われることだってある」


直人はそう言って何度か忠告していた。
早紀子は直人の厚意に感謝こそしたが、その忠告に従うことはなかった。


「あら、私、おじい様の孫だからって特別扱いされたくないんですの。
大丈夫、私は、我が国の兵士さんを信じてますもの。
それにいざとなったら直人さんがいらっしゃいますし」




早紀子は陽気に微笑んだが、直人は内心うんざりしていた。
正直、早紀子の安全の為に忠告してやったわけではない。
早紀子にもしものことがあったら、国防省全体の責任問題になる。
それが嫌だったのだ。
悪い人間ではない(世間的には良い子だろう)が、直人から言わせると分別の無い未熟な人間。
無邪気な地雷、いつか国防省に多大な被害をもたらす予感すらした。


その予感が現実となってしまったわけだ。
勿論、彼女には優秀な護衛が常に何人も付いていた。
ところが、彼女をさらった人間(サングラスーと帽子で顔はわからない)は、
その腕利きのボディガードを一瞬で倒してしまった。
そして早紀子を気絶させ攫った。見事な手際の良さだった。
気がついた時には、早紀子は日の光が全く当たらない暗室のソファの上にいたというわけだ。




「私、やっぱり誘拐されたのかしら?」
でも、大丈夫だわ。バッグや靴、それに洋服の縫い目に発信機が取り付けられてるんですもの。
今頃、国防省が衛星で私の居場所を割り出してこちらに向かってきてくれてるわ。
誰が助けに来てくださるかしら。直人さんかしら?」

早紀子は楽観視していた。
自分がここから出るのも時間の問題だと。














徹は焦っていた。いつもの非情なほどの冷静さは微塵も無い。
それほど 徹にとって良恵 の存在は大きく大切なものなのだ。
その良恵に手出しをされたのだ、徹の怒りは大気圏を突き破る勢いだった。


掌を瞬間的に突き出した。
桐山の胸部に強烈な痛みが走り、凄い勢いで突き飛ばされる。
肺に衝撃が走ったせいか、呼吸困難に陥りながらも桐山は空中で後方回転し着地。
しかし完璧ではない。げほっと咳き込んでがくっと片膝をついた。
しかも徹の猛攻は間髪要れず、桐山に襲い掛かった。
徹の右脚がまるで瞬間的に伸びたのではないかと錯覚させるように遠くから一気に桐山を襲った。
あまりの速さに逃げることも避けることもできない。
桐山は徹の蹴りをまともに喰らい、再び空中に舞い上がった。


「桐山君!」


美恵の目からもはっきり見えた。桐山の血が宙に飛散するのが。
美恵は思わず駆け出しそうになった。
川田が止めなければ間違いなくそうしただろう。


「やめるんだお嬢さん!おまえさんが行っても戦局は変わらない。
返って桐山の足手まといになるぞ!」
「でも、でも桐山君が」


戦闘には全く素人の美恵にもはっきりと桐山の劣勢が理解できる。
ほかってなんかおけない。その気持ちは川田に伝わった。


「おまえさんたちはヘリに乗ってろ。俺が行く!」


川田は美恵に制止をかけ自ら走り出した。




「行きましょ美恵ちゃん、あたしたちはヘリに乗るのよ!」
加奈に促され、美恵は戸惑いながらも手を引かれ走り出した。
しかし何度も振り向いた。桐山は相変わらず劣勢だった。


桐山は城岩中学においては生きた伝説だった。
近隣の名の知れた腕っ節の強い中学生は勿論のこと、
高校生も、いやヤクザですら香川県内で彼に勝った人間は存在しない。
中背の彼の体のどこに、これほど強烈なパワーがあるのか不思議なくらいだ。
見るからに腕力ありそうな筋肉もりもりの男が桐山の前では常に敗者となった。
その桐山が今は苦戦を強いられ敗北の一歩手前なのだ。
しかも相手はボクシングのヘビー級チャンピオンのような体型ではない。
桐山と同じくらいの中背の少年。


もしも、この光景を桐山ファミリーの面々がみたら、全員幻覚だと思うことだろう。
佐伯徹は外見からはとても戦闘のプロとは思えない優雅な少年。
だが、この光景を目の当たりにすれば、誰もが特撰兵士の1人だと理解するだろう。
勿論、桐山もやられ続けるわけにはいかない。
佐伯徹に守る存在があるように、何もなかったはずに彼にも今や失いたくひとがいるのだ。




徹の脚がまたしても瞬時に伸びてきた。
まるでカウボーイの鞭、いやガラガラヘビが獲物を捕らえる瞬間のように。
桐山は咄嗟に背後に飛びかわした。しかし徹もすぐに前にでる。
徹の蹴りが超連続で繰り出された。桐山は紙一重で避けるのが精一杯だ。


(な、なんだ、あの蹴りは!)


川田の動体視力をもってしても、まるで脚が糸状に走ったようにしか見えない。

(化け物だ、あんなものを出せる、あのガキも。それを避ける桐山も!)


しかし桐山の限界は早くも訪れた。
徹の脚がついに桐山の頭部に。桐山は咄嗟に腕をクロスさせ受け止めにかかった。
だが徹の脚力は半端では無い。桐山は両腕の骨が軋むような痛みを感じた。
そして蹴り飛ばされ、地面を何メートルも滑走した。


「貴様なんかにかまってられるか、死ね!」


徹が飛んでいた。とどめをさす気だ。
空中で右腕を曲げ、ひじに渾身の力を込める。


(桐山の腹に肘打ちするつもりだ。あの落下速度が加わったら内臓破裂してしまう!)




川田は銃を構えた。
桐山と徹の距離が近すぎるため銃は使いたくなかった。
しかし、桐山に当たってしまう可能性を覚悟して使わざる得ない!
ところが川田が発砲する前に、徹の左腕が空中で川田に向かって伸びた。
その先にはキラリと鈍い光。

やばい、あいつも銃を持っていたんだ!


川田は咄嗟に伏せた。銃声がとどろいた。
そして川田のはるか後方から、きゃー!という悲鳴が空を切り裂いた。
川田の真上を通過した銃弾がこともあろうに泰三に被弾したのだ。
桐山はというと半回転して、ぎりぎりで攻撃を避けた。
地面に徹の肘が炸裂し、土が飛び散った。

桐山は反撃に出た。 徹の襟をつかむと立ち上がりながら投げ飛ばした。
徹は二回転して着地。いや、桐山が先に飛び込んできた。
そして、先ほどのお返しとばかりに凄まじい蹴りをお見舞い。
徹は咄嗟に右掌をだしボディへの直撃を防いだ。しかし蹴りの威力に押され飛んだ。
徹の飛ばされた先には大木。 あれに激突すればかなりのダメージを食らうはずだ。
しかし徹は桐山の思惑をあざ笑うかのように回転すると、
まるで競泳選手がプールの壁を蹴るかのように大木を蹴っった。
そのまま桐山に特攻。桐山が放った威力は倍の威力となって桐山を襲い掛かった。


桐山が背後に倒れ掛かった。なんとか堪える。
だが徹は両手を組むと、それを桐山の背中に思いっきり打ち込んだ。
桐山ががくっと大きく崩れる。しかし徹が桐山が地面に接触することを許さない。
今度は徹の脚がジェット機のように急上昇。桐山のボディに食い込んだ。
胃液を全て吐き出すかのような痛みが桐山を襲う。
そして、その体は空中に浮き上がった。


「今度こそとどめだ!!」


徹の手にキラリと光るものがあった。ナイフ、ナイフだ!
「き、桐山!!」
佐伯徹はプロだ。間違いなく急所を一突きにする!
川田は猛スピードで銃口を上げた。しかし駄目だ撃てない!
撃てば桐山に当たってしまう。


文字通り絶体絶命というやつだ。














「そういうわけだ。相手は証拠を全く残してない。間違いなくプロだ」
ショックのあまり、あまり言葉も発することができない正親町長官に代わって菊地局長が淡々と説明した。
「親父」
直人が挙手していた。
「彼女には発信機が取り付けられていたはずだ。その様子では――」
「攫われた直後に全て外されている。衛星での捜索は不可能だ」

(予測した通りの答えだな。ならば――)

直人は再び挙手していた。
「彼女は戦地で拉致されたんじゃないか?」
「ああ、そうだ」
「衛星カメラを片っ端から調べてみたらどうだ?偶然、何か映像が写っているかもしれない」
直人のナイスアイデアに長官は期待をこめた眼差しで顔を上げた。
しかしすぐに否定的な言葉が菊地の口から紡ぎ出された。
「無駄だ。彼女の姿が最後に確認されたのは屋内だ。
周辺の隠しカメラを全て調べたが、それらしい人間の出入りは皆無だ。
地下から侵入して、地下から街の外に出たらしい」
厄介な相手だと直人は認識した。
国防省を相手に戦うというということを熟知している。




「局長」
今度は薫が挙手した。
「彼女を拉致したのは間違いなくプロ。つまりK-11だと見て間違いないですか?」
「だろうな。他に連中を助けようという組織に心当たりがあるのか?」
「いえ、今の時点では無いですね」
無難に答えたものの、薫は妙な違和感を感じていた。

(おかしい。確かにK-11は連中と何かしら係わりがある。 だが、あいつは、あの時、連中を見殺しにしようとした)


海老原によって公開処刑されかけた哀れな子羊たち。
そこにK-11は現れた。だが彼は救世主ではなかった。
彼らを顔を確認するなり、あっさりとその場を立ち去った。
つまり彼らは、あの連中全員を助けるつもりは毛頭無い。
それなのに、今度は一転して「全員解放しろ」と人質までとって脅迫してきた。
あまりにも矛盾過ぎた行動ではないか。


(違う、連中とは別人の可能性が高い。だったら、相手は誰なんだ?)
海原グループの№2だった木下の情報も入っている。奴か?
(いや違う……)
木下は戦闘専門で、こんな取引をしたことは過去に一度も無い。
そもそも海原グループは妙な美学を持っている組織だった。
(それは海原が厳格なほどに、ただ純粋に正義感を貫いている革命家だったからだ)
そのため、人質をとるようなやり方をする人間は幹部にはいなかった。
(肉体派ばかりで、そんな戦略を練れる人間がいないだけという説もあったが)


どちらにしても薫は直感で違うと思った。
あまりにも手際が良すぎることもあった。木下ではこんな芸当はできないだろう。
海原グループが崩壊した後、逃げ延びた幹部たちは身を隠すのが精一杯。
とてもじゃないが、今、国防省に面と向かって喧嘩など売れないだろう。




「長官、結論を言って下さい。連中との取引に応じるんですか?」
直人が再度質問した。
「……いや、その……つまり……」
正親町は言葉を濁していた。しかし、ほぼ結論は出ているはずだ。
この要求を蹴るつもりなら、『軍部にもれないようにしろ』などと厳命するはずがない。


「はっきり言って下さい。時間の無駄です」
「私情を挟むつもりはないが……早紀子は私の孫である前に総統陛下の身内でもあるし……だな」


つまらない弁解など、それこそ時間の無駄だった。
国防省長官ともあろう人間が孫娘可愛さにテロリストの要求を呑もうとしている。
こんなことが軍部に漏れたら、一斉に非難される可能性が高い。
早紀子が戦場に足を運んでいたことは誰もが知っている。
彼女の自己責任、そして護衛に失敗した国防省のミスを追及されることは間違いない。
だから国防省は内密で事を処理しようとしている。
国防省は軍部の監視も請け負っているせいか、恨みに近い感情すらもたれている。
ここぞとばかりに叩かれるだろう。

(あの女がどうなろうと俺には関係ないといいたいところだが事情が事情だ……。
見て見ぬふりするわけにはいかないようだな)

長官の様子から察するに、すでに心は決まっているようだ。
連中を解放するという要求を呑んででも、孫を助ける決意をしてしまっている。
大人しく従っては国防省の看板に泥を塗ることになりかねない。




「長官、お忘れですか?」
直人は立ち上がった。
「我々は国家にあだなすテロリストと死闘を繰り広げてきた人間です。
むざむざと連中のいいなりになるわけにはいかない。
それに要求を呑んだところで早紀子さんが戻ってくる保証はどこにもありません」
正親町はごくっと唾を飲み込んだ。


「テロリストは薄汚いドブネズミだ。ネズミにパンをやったら――」

「次はミルクをだせと言い出す――そうだったよね菊池君」


直人の台詞を横から水島が勝手に吐いていた。
「君の父君の座右の銘だったよねえ。何度、その言葉を聞かされたことか」
水島はあざ笑っているようだった。


「では君は早紀子を見殺しにしろとでも言いたいのか?
そんなことは私が許さん! これは国防省長官としての命令だ、従ってもらうぞ!」


正親町は感情が昂ぶって思わず立ち上がった。
(ついに本音がでたな)
直人はいっそ笑い出したかった。




「誰も見殺しにするとは言ってませんよ。
国防省が少女1人救えなかったなんて、それこそ恥です」

正親町はほっとしたのか、ゆっくりと腰を降ろした。


「まず連中の要求を呑むふりをして取引をするんです。
時間をかけることはできません。 相手もプロです、こちらの出方の予測くらいしているでしょうから。
全員解放という条件を、一部解放に変えさせるんです」
「一部解放……つまり数人だけ解放するということかね?」
「そうです。解放する人間は国防省の人間が捕獲した者。
その中でも、国防省以外に顔と名前が知られて無い人間です。 すぐに連中の逮捕記録を隠してください」
「逮捕記録を?な、なぜだね?」


直人は舌打ちしたかった。そんなことも理解出来ないのか?
国防省にしか、その存在を把握されてない人間限定にした時点で理解しろ!


「つまり万が一連中に逃げられた場合を想定してのことですよ」
直人の意図を察した菊地が、直人に代わって説明した。
「連中は数十人います。まだ捉っていない者も多数いるでしょう。
国防省以外に存在を知られている人間を解放しては、 軍部にこの裏取引を知られる可能性があります。
例えば海軍の氷室や戸川が捉えた人間が外に出て、 万が一にもで彼らにその情報が漏れたらどうなります?
国防省の管理下から外にでたことが一発でばれてしまいます。
しかし、国防省にしか存在を把握されてない人間なら逃げられても
『まだ逮捕されてない連中の残党だ』ということで片がつきます。
また改めて捕獲すればいいのです。国防省のミスが軍部にばれることはありません」
「なるほど……よし、今度、彼らから連絡がきたらすぐに交渉にとりかかろう」
その後は作戦会議が数十分間続いた。

「では、くれぐれも軍部には漏れないように。そして必ず早紀子を救出してくれ。
早紀子を奪い返すことが最優先だ」




「直人」
会議が終了して全員が退室を始めると、菊地が声をかけてきた。
「今日は及第点だった。だが僅かに感情が顔に出ていたぞ、まだ甘い」
「……わかった。反省する」
「おまえの意見を忌憚なく聞かせろ。相手は誰だと思う?
K-11か、それとも新手か。上手く人質を取り戻せると思うか?」
「交渉の結果を待たないと結論は出せない。 こちらの予想以下の奴であってくれることを願うだけだ」














「た、泰三!」
「泰三君!!」
鉄平と加奈は地面に仰向けに倒れた泰三に駆け寄った。
「ち、血だわ。どうしよう……泰三君が死んじゃう」
加奈は泣きそうになった。両手で口元を押さえている。
「止血するのよ。加奈さん、早く!」
美恵は上着を脱ぐと被弾箇所に宛がった。


「泰三、俺がわかるか!?」
鉄平は泰三の顔を覗き込んだ。泰三は呼吸が荒い。
「……痛い、苦しい、早く何とかしてくれ」
途切れ途切れの息の下から、ぼやくような声を出している。
「……腹かすった。急所は外れてる……でも、ほかっておくと出血多量で俺死ぬよ……。
見殺しにするのかよ……そんな冷たい人間だったのかよ?……へー、そうなんだ……」
こんな時だというのに、文句と皮肉めいた台詞を吐いている。
それが返って安心させた。すぐには死にそうに無い。
だが、このままではいずれ死ぬ。もはや一刻の猶予もならなかった。
早く、この場から脱出して医者に見せなければ。
加奈は気を失っている良恵の襟をつかみ持ち上げると叫んだ。


「彼女がどうなってもいいの!?早く、この場から消えないよ!!
でないと、この女殺すわよ。それでもいいの!?」


徹の手がピタッと止まった。
突き上げたナイフが桐山のボディに到達するまで3mmの距離だった。
「これは警告じゃないわ、命令よ!消えなさい、あたしたちの前から、今すぐに!!
でないと、この子を殺すわ。冗談じゃないわよ!!」
加奈は震えていた。非常事態とはいえ特撰兵士相手に脅迫を仕掛けたのだ。
しかも人間の命を盾にとるという、彼女がもっとも嫌っている手段を使って。
徹の形相が今までになく恐ろしいものに変化していた。
その対象は間違いなく加奈。
恐ろしい視線に射抜かれ、それだけで加奈は心拍が停止しそうになった。


「ふざけるな!!」


徹が銃口を向けた。加奈は、ひっと小さい悲鳴を上げて尻餅をついた。
「加奈ちゃん!」
鉄平が加奈に駆け寄り、そして良恵の体を正面に向けた。
徹の目つきがさらに鋭くなった。
「撃つのか?撃ったら死ぬのはこの女だぞ!!」


「……貴様ら、そんなに俺を怒らせたいのか?」


徹の口の端がぴくぴくと引き攣っていた。
ドス黒い怒りのオーラをまともに向けられ、鉄平と加奈は意識を保つのに必死だった。
そのままの体勢で少しずつ後ずさり、ヘリの入り口まで数メートル、あと少しだ。
「さあ美恵ちゃん、あんたも早く来るんだ」
「う、うん」
美恵たちは素早くヘリに駆け寄った。
「俺を舐めるな!!」
徹は発砲した。3人はギョッとなった、あいつ撃った!?
銃弾は3人の真横を通過。特撰兵士ともあろう者が外した?


「危ない、伏せろ!!」


今度は桐山が叫んでいた。
「……え?」
美恵たちの背後からかんっと鈍い音がした。
「きゃあ!」
加奈が腕を抑えて倒れこんだ。
「か、加奈ちゃん、しっかりしろ加奈ちゃん!!」
美恵は驚愕して後ろを振り返った。背後にあったのは岩だった。
跳弾、跳弾だ。徹は岩を利用して銃弾を跳ね返したのだ。
この方法なら位置的に弾が良恵に当たることは無い。
だが平面ではないごつごつの岩であるため正確でなかったが。
それが幸いして加奈は腕を怪我しただけで済んだ。
そして、美恵たちは徹が二発目を撃つ前にヘリに乗り込んだ。
もう安心だ、ひとまずは。まさかヘリごと撃たれることはないだろう。
そんなことをすれば、徹が守ろうとしている良恵ごと爆発炎上してしまう。


「くそっ!」


徹は悔しそうに舌打ちするとヘリに向かって走り出した。
「来るなら来い、死んでもここは通さんぞ!」
川田が銃を構えて仁王立ちした。
だが、徹の動きを止めたのは川田ではなく桐山だった。
「邪魔だ!」
徹はナイフを突き出した。刃先が桐山の顔に向かって真っ直ぐ伸びた。
「危ない桐山!」
川田は慌てて引き金を引こうとした。だが駄目だ、桐山に当たってしまう。
徹の腕が制止するのが見えた。まさか、桐山の顔面に突き刺さったのか?




「……き、貴様」

徹が突き出したナイフは桐山に真剣白刃取りで止められていた。
桐山は先ほどのお返しとばかりに徹の手を蹴り上げた。
ナイフが回転しながら空中に舞い上がる。


「今の銃弾は鈴原に当たっていたかもしれない」
「何だって?」
鈴原に当たっていたかもしれない。それを承知で撃ったな」
「何が言いたいんだい?」


徹の問いに桐山は言葉ではなく蹴りで返した。

(こんな蹴り、かわして……何!?)


かわせない、それほどのスピードだった。
徹は咄嗟に腕を上げてガードした。
が、蹴りの威力を止めることができなかった。
徹は蹴り飛ばされそうになり、咄嗟にバク転してしまった。

(パワーもスピードも動きもアップしている。なぜだ?)

徹は桐山の逆鱗に触れてしまったのだ――。














シリアスなムードに不似合いな、軽快な電話の呼び出し音が部屋中に響いた。
正親町は震える手を受話器に伸ばした。


「いいですか長官。無理に引き伸ばす必要はありません。
下手な小細工をしては、相手に弱味を見せることになります。
長官はただ人質と拘束者の身柄交換の交渉だけに集中してください」


菊地の言葉に正親町は頼りなく「わ、わかった」と呟くように言った。
受話器が本体から外された。


『正親町長官だな』


電話の向こうから機械の様な声が聞えた。

「思った通りだな親父。変声機を使っている、これじゃあ声紋鑑定は不可能だ」
「そんなことは予測範囲内だ。 一切の痕跡も残さずに早紀子さんを拉致した人間だぞ。
今までも、そしてこれからも証拠になるようなものは残さないだろう」


直人は情報部員たちに「逆探知はまだか?」と問うた。
「駄目です。いくつもの回線を使ってカムフラージュしてます。 その範囲は世界規模。
全ての回線を辿るまでには時間がかかります。 最低でも後7分かかります」
「そんなにかかるのか、くそ」
直人は、メモ用紙に『7分引き伸ばし』と書いて正親町に差し出した。




『我々の要求を呑む気になったか?』
「こちらとしても出来る限りのことはするつもりだ、しかし私の権限では……」
『孫娘を返して欲しくないのか?』
「待ってくれ。全員は無理だが、数名なら何とかなる。
それで勘弁してくれ。それ以外のことなら君達に譲歩するつもりだ。
解放する時間、場所は君達に従う。身代金をつけてもいい」
『いいだろう。数十人とたった1人ではあまりにも不公平だと思っていたところだ』
ひとまず条件の変更は認めさせた。誰もがほっとした。


『ただし解放する人間はこちら側が指定した者に限らせてもらう』


しかしすぐにその場にいる全員の表情が凍りついた。

「待ってくれ、それはどういうことだ?」
『どうでもいい。その代わりに時間と場所はおまえたちに決めさせてやる』


正親町は混乱した。時間と場所、最も重要なことを此方に指定させるとは。
それは直人も同様だが、直人は動揺せずあくまで冷静に腕時計を正親町に見せた。
「後2分だ」ということを示したのだ。




『また改めて連絡をする』
「ま、待ってくれ。早紀子の声を聞かせてくれ!
3分、いや1分でいい!頼む、孫の無事を確認させてくれ!!」


直人は渋い表情で腕時計を眺めた。後1分、意地でも電話を切るなよ。
『いいだろう。おまえの孫はぴんぴんしている、それだけは証明してやる』
後、40秒。いいぞ、なんとか逆探知に間に合う。
『じゃあな』
プツン……突然、電話が切られた。もちろん逆探知もそこで終わりだ。


「……き、切られた」


正親町は呆然として受話器を握り締めたまま立ち尽くした。

「やられたな。相手はやはりプロだ、逆探知対策までばっちりとは」
「ああ、それにしても声を聞かせてやると約束した直後にこれとは、かなり捻くれた相手だな」


相手はかなり残酷な人間性の持ち主と見ていい。
期待させておいて、それを直前でひっくり返したのだ。
がくっと椅子に倒れこむように座った正親町の携帯電話が突如鳴り出した。


「長官、お電話です」
「…………」
「長官」
「あ……ああ」
正親町は力なく携帯を耳に当てた。相手は息子の嫁、つまり早紀子の母親だった。
「……どうした?」
『お義父様、さっき早紀子の友達から連絡があって、早紀子から電話がはいったって言うんです』
「何!?」
『少し疲れているようだけど元気だったと。手荒な事はされてないようですわ。
よかった……本当に良かった』
嫁は電話の向こうで泣き崩れていた。


「……孫の友達に電話しただって?」
ぽかーんとしている正親町を見て、直人は全てを理解した。
「……約束を守った。そんな相手に連絡をとらせるなんて盲点だった。
つまり場所と時間をこちらに指定させるという話も本気か?」
ふざけた奴だ。まるでゲーム感覚。
だが、それは自信の表れでもある。




「長官、しっかりしてください。
次の連絡がはいるまでに指定場所と時間の選定を行うんです」
「そ、そうだな」
「国防省の面子にかけて必ず犯人を拘束して見せます」
「直人君、頼んだぞ。無事に早紀子を助けてくれたら早紀子は君の嫁にやるぞ!」
「…………」
直人は長官が退室すると、父にそっと言った。


「……親父、この任務から俺を外すということは」
「無理だ」
「……そうか、残念だ」




【B組:残り45人】




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