「……おい、少し様子がおかしいぞ」


カーテンの陰から外の様子を伺っていた川田が異変に気付いた。
モーテルのオーナーが2人組と話している。
凡人が見れば新しい客か知り合いだと思うだろうが川田は凡人ではない。
私服を着てはいたが、その2人から民間人にはない臭いを嗅ぎ取ったのだ。
おまけに、あのオーナー、厭らしい目つきでちらっとこちらを見たではないか。
さらに2人組から封筒(大した厚みじゃない)を受け取っている。
決定的だった。もう、ここにはいられない。


「裏口から逃げるぞ」
「え?でも、鉄平君たちが、まだ帰って来てないのよ」
「このままここにいても再会できないぞ。すぐにおさらばする、急げ!」


川田の性急な命令に加奈は途惑うばかりだったが、
反対に桐山はまるで相談してたかのように行動が早かった。
シャワールームに靴のまま入り込み、シャワーをひねった。
「行こう、それとも、おまえだけここに残るのかな?」
桐山はさらりと言ってのけた。
「加奈さん、金田さんたちと合流する方法は後で考えましょう。
今、つかまったら元も子もないわ」
もう加奈は逆らわなかった。
そして桐山、川田、そして美恵と加奈はそそくさと裏口から逃げ出した。
その直後に、扉をノックする音が聞えた。


「お客さん、ちょっと話があるんだけどいいかな?」
もちろん返事があるはずがない。代わりにシャワーの音だけが聞える。
「どうやら、今はシャワーみたいだな」
「そうか、だったら少し待たせてもらおうか」
そんな会話も、桐山たちにはもう聞こえなかった。




鎮魂歌―23―




「……戸川の野郎、いつか目にもの言わせてやる」
徹は乱暴にハンドルを切った。
その目は完全に据わっており、普段の物静かな貴公子の面影は微塵も無い。
形相が変化するほどの怒りの感情を戸川のせいで発生させていたのだ。
しかし、その激情はバックミラーを見た瞬間に空気が抜けた風船のように萎んだ。


(……妙だな)


あきらかにおかしい。
すでに離陸してもおかしくないヘリコプターが今だに見えないではないか。


「嫌な予感がする……良恵」


徹はハンドルを180度回転させた。車が一瞬で方向転換する。
さらにアクセルを力いっぱい踏み込んだ。
車は一気に加速。元の道を猛スピードで走り出した。














「おい泰三、相手が女だからって手加減してやろうなんて考えるなよ!」
「……ああ、そうだな。当然じゃん、そんなこと」


女性兵士たちが一斉に襲ってきた。銃を使わせるわけにはいかない。
鉄平は懐から発光弾を取り出し、地面に叩き付けた。
眩しい光が辺り一面を包み込んだ。
女性兵士たちは、その眩しさに反射的に瞼を押さえ、体を曲げ一瞬硬直する。
用意していたサングラスをかけていた鉄平と泰三だけが体の自由を失っていなかった。
2人は一気に彼女達を突破しようと走り抜けようとした。
だが、彼女達は視力が回復してない状態にも係わらず発砲してきた。
この至近距離だ、気配で金田たちのおおよその位置がわかったのだろう。
勿論、目を閉じたままでは正確に的を射撃することなどできない。
ふくらはぎの肉を僅かにえぐられるという微妙な傷を負いながら2人は走った。
もう少しだ、あと少しで、例の少女の元にたどり着く。
彼女さえ人質にすれば、もうこの女性兵士たちも自分達に逆らわないだろう。


「おまえに恨みはないが、俺達の役にたってもらうぜ!」


気合を入れて叫んだ鉄平だったが、鉄平よりリードした泰三が 良恵に手を伸ばした。
良恵の襟首をつかみ、そのまま背後から体を押さえ込み、動きを奪う!
が、泰三の手は空を切っていた。


「何!?」


良恵がスッと身を沈め、間髪いれずに泰三が伸ばした右手、その手首をつかんだ。
その手首をひねりながら、はるか後方に投げ飛ばしていた。


「泰三!」


鉄平は呆気に取られた。
泰三は根暗ではあったが、自分と同等、もしかしたらそれ以上の実力者だったからだ。
その泰三が女に投げ飛ばされるなんて初めてみる光景であった。
女相手だと思って油断したにしても、こんなに豪快に返り討ちにあうとは。
だが泰三はすぐに着地して体勢を立て直すだろうと思ってもいた。
ところが、その予想も簡単に外れた。
泰三は、地面に手をついて崩れ落ちるのを防ごうとしたが叶わず、そのまま地面にのめり込んだ。




「た、泰三!どうして」
「あなた、彼が投げられる瞬間見てなかったの?」


良恵は少し呆れたように言った。
投げ飛ばすときに、手首をひねってやったのだ。
特撰兵士なら、あのインパクトの瞬間は決して見逃さないだろうに。
泰三は傷ついた手首を悔しそうに握り締めながら立ち上がろうとした。
しかし、手首の痺れが酷いのか苦しそうに油汗をかいている。

「くそ、こんなところで……こんなところで倒れてられないんだ」

いつも無気力な口調で、やる気があるのかないのかわからない泰三が珍しくマジモードで焦っていた。

「……木下さんに、木下さんに……これ以上迷惑かけるわけには……」
「立つな泰三!」

鉄平が叫んでいた。




「俺達は女だと思って甘く見ていた。もう俺は容赦しない。
おまえは休んで後は俺に任せろ。後は俺が体張ってでも何とかする。
本気さえだせば負ける要素はないんだ」


負けるはずが無い。鉄平は驕りではなく心底そう思っていた。
いくらⅩシリーズとはいえ、年下の少女ではないか。
自分は木下の元で血の滲むような努力をしてきた正真正銘の戦士なのだ。
本気を出せば、すぐにでも、この少女を平伏させることができるはず。


「悪いな、俺達の人質になってもらうぜ」
鉄平はスピードに乗った。女に、この動きは捉えられないはず。
ところが紙一重で避けらた。
しかも、避けられたと同時に背中に蹴りを入れられ泰三と同じく地面にダイブする羽目になった。
かなり強烈なダメージだったようで、なかなか立ち上がれない。


「木下……って、言ったわね。もしかして海原辰男の手先の木下かしら?
水島に舐められただけあって、その部下も実力の割りに態度は大きいのね」


「何だと!俺達だけならまだしも木下さんまで馬鹿にしやがって!」
「先に女だと思って馬鹿にしてきたのはそっちよ」


鉄平は悔しそうに唇を噛んだ。


良恵様、お怪我はありませんか?!」
女性兵士達が駆けつけてきた。もしもかすり傷でも負わせていたら、徹の逆鱗に触れてしまう。
「私は大丈夫よ。それより、この2人は拘束して、徹か直人に引き渡すわ」
哀れにも鉄平と泰三は、拘束されそうになった。




「だったら今度は俺が相手でもかまわないかな?」




「だ、誰だ!?」
女性兵士も、鉄平も泰三も驚いて声の方角に視線を向けた。
だが1番驚いたのは、良恵だった。

(そんな、気配なんて感じなかった。誰なの、この男!)














「命が惜しかったら大人しくすることだな」
隼人は七原たちを鉄製の扉の向こうに押しやった。
そして鍵をかけ、さっさとどこかに行ってしまった。


「な、七原!」
慣れ親しんだ声に七原はハッと顔を上げた。
「み、三村。おまえまでつかまっていたのか……クソ!」
三村は同年齢とは思えないほど頭の回転の速い頼りになる男だった。
その三村までこうも簡単につかまるなんて……。


「三村、おまえ達の他につかまった奴はいるのか?」
「ほとんどつかまってるぜ」


三村は七原に座るように促した。
七原が三村の隣に座ると、小声で囁いた。


「つかまってないのは桐山、川田、杉村、雨宮。女子は千草に相馬、それに美恵さんだけだ」
「……たったそれだけかよ」


七原は悔しそうに拳を握り締めた。
それから、期待をこめた眼差しで三村を見詰めた。




「でも、おまえのことだから脱出方法考えて無いか?」
しかし三村は七原の熱い視線から目をそらした。
「……悪いな。とてもじゃないが、ここから逃げ出すなんて無理だ。
せめて外からの手助けでもあれば、何とかなるかもしれないが」
「外から?だったら、川田や桐山たちが助けに来てくれれば」
七原は三村が口にした仮定の話に飛びついたが、三村はあっさりとその案を否定する言葉を吐いた。


「残念だが、その可能性は低いぜ七原。
あいつらだって今は自分達が逃げるだけで精一杯のはずだ。
まして政府の情報網と機動力の結集である、
この国防省の施設から俺達を逃がすなんて無理だ。
忘れるな七原、あいつらは確かに普通の中学生とはレベルが違うが、
だからといって裏社会のプロってわけでもないんだ」


「……そうか。そうだよな」
七原はガクッと肩を落とした。
「……待てよ。裏社会のプロってことは、夏生さんがいるじゃないか!
雨宮達が俺達を見捨てるわけが無い。きっとあの人に頼んでくれてるよ」
七原の意見に沼井も、「ああ確かに、あの人、プロだもんな」と嬉しそうに同意した。


「甘いぜ七原、沼井」


だが三村の考えは2人が思っている以上にシビアだった。
「夏生さんは確かに今まで俺達に良くしてくれた。
でも命の危険犯してまで助けてくれると思っているなら、おまえ達、楽観視しすぎてる。
夏生さんが俺達にそこまで尽くす義理も利点も何一つ無いんだ」
「……そんな」
「勿論、木下さんだって当てにならないぜ。
誰だって他人の為に血を流したくないってのは本音なんだ」
七原ももう何も言わなかった。ガクッと項垂れて、ただ頭を抱え込んだ。
万策尽きたとは、まさにこのこと。




「……俺達どうなるのかな。何も悪さしてないんだ、まさか殺されるなんてことはないよな?」
「……ああ、そうだな」


三村の返答は覇気がなかった。
まるで、もう死神でも見えているかのように。
実際に聞えはしなかったが死神の足音はひたひたと迫ってきていた。
とにかく考えろ。きっといい考えが浮ぶはずだ。
七原は必死に頭をひねった。これほど頭を使ったのは生まれて初めてだろう。
それなのに名案どころか、連想してしまうのは自分達の死刑シーンばかり。


七原にいい案は浮ばないということは見ていればわかった。
三村も考えた。ところが、脳裏に浮んだのは七原と同じだった。


(俺はいつからこんなネガティブな男になったんだ?
冗談じゃない、これじゃあ赤松や山本と同レベルじゃないか。
考えろ、考えるんだ。何か方法はあるはずだ)


はっきりいって自分以外にこの件で頼れる人間はいないことを三村は理解していた。
七原も豊もいい奴だが、頭の中身はごくごく普通の中学生なのだ。
だからこそ自分がしっかりしなければならない、自分が何とか活路を見出さなければならない。




そんなプレッシャーと三村が必死に格闘していた時だった。
カツカツと随分と落ち着きの無い足音が聞こえだした。
そして扉を乱暴に開く音と、「さっさと出ろ!」という怒鳴り声が聞こえだした。


「おい三村、みんなが連れ出されてるぞ」

まさか早速処刑場に引きずり出そうなんてオチでは?
七原は最悪の結果を思い浮かべ愕然としていた。


「最後まであきらめるな。俺達に吐かせたいことがあるからわざわざ生け捕りにしたんだ。
ろくに尋問もされてないのに、すぐに殺されることは無い。最悪でも、それはない」


三村の意見は理路整然としており、ある程度、七原達を安心させた。
しかし命の危険が全くないわけでもない。
クラスメイト達は次々と房から引きずり出されて、「さっさと歩け!」と怒鳴り散らされている。
女生徒達のすすり泣きも聞える。どうやらこの拘置所にいる生徒全員連れて行かれるようだ。
そしてついに三村たちがいる房の扉まで開かれた。




「出ろ!」
「み、三村」
「逆らうなよ七原、大丈夫だ、今はまだ殺されない」
「あ、ああ」
三村たちは大人しく従った。
(何が起きたんだ?)
それが三村の感想第一号だった。
いずれ、ここから出されることはわかっていた。
しかし、兵士の顔色を見ると、今はその時ではなかったはずだと容易にわかった。
その兵士は顔面蒼白で焦っていたからだ。


(こいつらにとって何か予想外のアクシデントが起きたようだな。
一体何が起きたんだ?それは俺達にとって吉か、それとも凶なのか?)














新手の敵に女性兵士達は一斉にライフルの銃口を向けた。
「両手を挙げろ!」
だが男が挙手する気配は全く無い。
それどころか、こちらに向かってゆっくりと歩き出した。
「止まれ、止まらないと撃つぞ!」
隊長らしい女性が警告したが、男は歩みを止めない。
「仕方が無い。全員構え!」
号令の元、全員が引き金に指をかけた。
「待って、射殺までしなくても!」
良恵 の声も彼女達には届かない。最優先されるべきは徹の命令なのだから。


「撃て!」


その時、ただゆっくりと歩いていただけの男が初めて素早い動きを見せた。
一斉射撃の直前にジャンプ、一気に彼女達の群れの中心に着地。
これでは容易には撃はできない。味方に当たってしまう。
しかし訓練されただけあって、兵士達の反応も早かった。
彼女達は警棒を手に、あるいは素手で男に襲い掛かった。
ところが数秒後、彼女達は気を失い地面に突っ伏した。


良恵は目を見張った。強い以前に、その動きが人間離れしていたこともある。
だが、何より、男が全身から放つオーラに圧倒されてしまったのだ。
そのオーラが、そして雰囲気が、その端整な容姿が良恵が良く知っている人物と大変似かよっていた。


(似てる……この人、晃司によく似てるわ)




「桐山、どうしてここに……!」




鉄平が叫んでいた。

「桐山?」

その男――苗字はわかった、桐山だ――は、静かな声で静かに言った。
「おまえ達、探したぞ。こんなところで油を売っていていいのかな?」
その口調に、また良恵は息を呑んだ。


(……声まで晃司によく似てる)


「口うるさいこというな、俺達は俺達でベスト尽くしてたんだ。
軍のヘリなら、この包囲網を突破できるだろ!
まさか空中で検問受けるなんてあるわけないからな!」
桐山は良恵にちらっと視線を送った。


「それで、この女を倒そうとしていたというわけかな?」
「違う、彼女は人質だ。その女は軍の要人の関係者なんだ。
その女を人質にすれば、軍も簡単には手出しできない……はずなんだ」


鉄平の語尾は何だかはっきりしなかったが、そんなこと桐山は全く気にしない。

「つまり、この女を連れていくのがベスト。そういうことでいいのかな?」
「あ、ああ」
「そうか」
桐山は今度は先ほどの無関心なものとは全く違う目で良恵を見詰めた。
「そういうことだ。一緒に来てくれるかな?」
そんなことは勿論できない相談だ。




「お断りよ」

良恵はまともに戦うのは分が悪いと判断し、くるりと背を向けると走った。
千草貴子に勝るとも劣らない素晴らしいスタートダッシュだった。
だが、桐山の運動能力ははるかにそれを凌駕していた。
桐山は即座に追いかけ、あっとうまに彼女の前に回りこんでゆく手を阻んだのだ。
良恵は大きくジャンプした、桐山を飛び越えようとしたのだ。
だが良恵が飛んだ直後、真下にいるはずの桐山の姿がなかった。
そして地面に影が映っていた。自分の影ではない!
ハッとして振り向く間もなく、良恵は背後から伸びてきた腕に拘束され身動きできなくなった。


「離して!離しなさい!!
こんなことをして軍があなた達に手を出さないと本気で思ってるの?
私は軍や政府の上長の身内でもなんでもないわ。
私なんていざとなったら簡単に切り離すわよ」
「黙っていてくれないか」


どうやら話しても無駄なようだ。
良恵はかろうじて自由が利く左手で裏拳を放った。
一見か弱い女にしか見えない良恵の反撃に桐山は少し驚いたようだ。
裏拳を避けようとした際、僅かに腕が緩んだ。
その隙に、良恵は桐山を突き飛ばした。


「やはり完全に大人しくしてもらうにはこれしかないな」


桐山の腕が良恵の腹部に食い込んだ。
どんという鈍い音が体内からして、良恵はそのまま意識を手離した。
「や、やったな桐山。おまえ少しはやるじゃないか、見直したぜ」
鉄平は年下の素人にピンチを助けてもらったのは少々気に食わなかったが、とりあえず礼を言った。




「加奈ちゃんたちは?」
「近くにいる。すぐに呼ぼう」
桐山は携帯電話で美恵達に連絡した。
程なくして、美恵と川田と加奈がやってきた。
良恵を見て、加奈は少なからず驚いていた。


「この子、軍人でしょ?どうする気?」
「人質になってもらう。俺達が無事に逃げ切った後の扱いはまだ考えて無い」
「生徒全員とは言わないが、1人くらいと交換できるだろうか?」


川田は新しい意見を出したが、すぐに「いや、止めよう」と言った。
人質交換なんて、こちらから敵さんにコンタクトをとることになる。
余計な危険を増やすだけだ。


「ねえ、彼女……私たちが逃げたら解放してあげるの?」
心優しい美恵は、憎い敵とはいえ少女を人質というのは好みに合わないらしい。
「お嬢さん、それは後から考えよう。
彼女が俺達に大人しく従いさえすれば手荒なことはしないさ」
川田は美恵の肩にぽんと手を置き約束した。
「そう、よかった」
「よし、すぐに出発するぞ」
ズギュン!と嫌な銃声が桐山たちの鼓膜を叩いた。




「……貴様ら、よくも」




振り向くと、凄まじい怒りの形相の佐伯徹が仁王立ちしていた。

「うわっ!で、でたぁ!!」
「ひ……っ、あ、あいつ……あいつは……!」

鉄平と加奈は途端に悲鳴に近い声を上げた。



「彼女を離せ、今すぐだ!そうすれば、楽にあの世に送ってやる!!」
「嫌だといえば?」



桐山の何気ない一言に徹の全身の血は逆流した。


「あらゆる苦痛を味あわせてからあの世に送ってやる!!」














「克巳はまだ私室にこもっているの?」

真知子は現場に一度赴いたものの、水島のことが気になって早々に戻ってきた。
「あ、あの水島大尉は会議だということで、しばらくは誰も通すなと……」
下っ端の部下が恐る恐る真知子に告げた。


「会議中……ですって?」


もしも、真知子が今スプーンを手にしていたら、超能力など介さずぐにゃっと曲げていただろう。


(冗談じゃないわ。あれからどれだけ寝室にこもっていると思っているの?
克巳のことだから、後は時間の問題だと楽観視しているのだろうけど)



「水島大尉は会議中だと?薫といい、随分と見えすいた嘘を吐いているようじゃないか」



聞き覚えのある声に、真知子は驚いて振り向いた。
「こ、これは菊地さん!」
水島の下僕……もとい下っ端の部下達が一斉に頭を下げた。
菊地直人は直属ではないとはいえ国防省の上官に当たるのだ。
「あなたがなぜここに……」
嫉妬で気も狂わんばかりだった真知子だったが、今はそれどころではなくなった。
「大尉にご用件があるのなら私が代わりに……」
水島家と菊地家は犬猿の仲、水島の醜態を知られたら後で厄介なことになる。
真知子は水島の保身の為にその場を繕おうとしたが、直人はそんな甘い男では無い。
「必要ない。俺が直に話をする」







「桐山はまだ捉らないだって?ふん、時間の問題さ」
水島はベッドの上から携帯電話で指示を出していた。


「あの包囲網を抜けられるものか。
スラム街から出ることは出来ても、その先に脱出口はない。
陸も水路は勿論、地下も押さえてある。
もう、奴等には打つ手などない」


水島は、「残っているのはたった7人だ。さっさと片をつけろ」と命令して通話ボタンを切った。



「ねえ」
水島は隣にいる沙耶加の肩に手を置くと得意げに笑い出した。


「後少しだ、後少しで全てが片付く。
後は連中を拷問にかけてK-11の居所を吐かせてやるだけさ。
ついでに木下大悟も死刑台送りにしてやるよ。
あいつを逮捕すれば、海原だっておびき寄せられるかもしれない。
あの事件で左遷されてから1年……長かった俺の冬の時代が終わるんだ」


沙耶加は黙って聞いていた。
「前祝いだ。第三ラウンドといこうじゃないか」
水島が再び沙耶加に覆いかぶさると、突然、扉の向こうからひとの気配がした。
はっとして振り返ると乱暴に扉が開け放たれた。




「誰だ!今は会議中だ、誰も入室するなと言い渡したはずだぞ!!」
「女と裸でベッドの上で会議中?どこまで恥知らずな男なんだ」
「貴様は菊地直人!許可も無しに上官の寝室に入るなんて無礼にもほどがあるだろう!
菊地局長は息子にどういう教育をなさっておいでなのか。人格を疑いたくなるな!」


それはあまりにも理不尽な言い分だったが、直人には口喧嘩する暇もなかった。
ただ、水島の後ろにいる女を見て、「そういうことか、いずれ弾劾してやる」と決意も固めた。



「今すぐ出て行けよ菊池君、俺は多忙な身の上なんだ。
それとも君は俺達の愛の営みを後学の為に見物したいとでも言うのかい?
全く、いけない子だねえ。さあ、俺を本気で怒らせないうちに出て行けよ」

「長官の命令だ。国防省要職員は直ちに全員四国・中国局本部に出向け。
それも大至急かつ他の軍部や省に知られないようにとのことだ」



「何だって?」
妙な命令だった。
他の軍部や省に知られるなということは、かなりやばい命令が下されることを意味している。
「どういうことだい?」
「知るか。長官は外部に知られるのを恐れている。
全員揃ったら命令を下すとのことだ。
確かに伝えたぞ、大尉も国防省の人間なら大人しく従うことだな。
あんたの愛しい彼女達にも伝えておけよ。
プライベートはさておき、国防省の人間には違いないからな」
直人が水島に伝えた妙な命令は雅信や薫にもすでに伝令されていた。









「長官直々の命令だって?
あの昼行灯の長官が今さら何を口出ししようって言うんだ?」

薫は嫌な予感がした。
この作戦は国防省が発している。
しかし長官は部下達に全てをまかして何の指示もしてこなかった。
元々、国防省の長官・正親町は名家の出ではあるが、ぱっとしない凡人だった。
大きな落ち度は犯さないが、特別な功労も立ててない。
本来なら年功序列で部長クラスに就任していたであろう。
だが、ある一点が他の人間と違いずば抜けていた。


それは妻の実家だ。妻は大総統陛下(先代の総統)の妹。
つまり彼は総統一族の婚族だった。その為に身に余る出世をしていたというのだ。
妻のおかげで栄華を極めた蛍長官。
それが国防省で囁かれている彼の蔑称でもあった。
ただ凡庸な人間だが権力欲とは無縁な上に温厚で公平な人間であった。
それゆえ、賄賂を受け取ってある特定の派閥を贔屓したり、
驕り高ぶって傲慢な態度を取ることもなかった。
幹部達に実権を渡し、口出ししないだけありがたいとさえ、国防省内では思われていたのだ。
その長官が直々に内密の命令を下したのだ。

「……何か予想外の動きがあったと思ったほうがいいな」


僕にとって吉と出るか凶と出るか、用心してかからないと――。














「生まれてきたことを後悔させてやる!!」
徹が走った。瞬間的に、桐山たちと徹との間の距離が縮まった。

「川田、鈴原を連れてヘリに走れ!」


桐山が徹の前に出た。徹は良恵を取り戻そうと必死だ。
邪魔をするものは誰であろうと髪の毛一本この世に残さない!


「最初に死ぬのは貴様か!」


徹は桐山の首に強烈な蹴りをくらわした。
「桐山君!!」
美恵の目から見ても、それは細首など一瞬で折ってしまうくらいの威力のある蹴りだった。




「何だと?!」
だが桐山の首の骨は折れなかった。
徹の蹴りを桐山は左手一つで防いでいた。

「貴様……!」


只者ではない。
徹は怒りで我を忘れていたが、桐山がとった行動で冷静さを取り戻した。


(俺の蹴りを片手だけで受け止めただって?
そんなマネができる男は特撰兵士の中でも限られている)




「お嬢さん、桐山は大丈夫だ。さあヘリに行くんだ!」
川田が美恵の手を引いて走り出した。その川田は良恵を担いでいる。
「貴様!」
徹は桐山を飛び越えた。今は良恵だ。彼女を取り戻すことが最優先だ。
だが、空中で桐山がまたしても徹の行く手を遮った。


(俺と同じ高さにジャンプしただって?)


それは徹にとって二度目の脅威だった。しかし、同時に徹に怒りの炎に油を注いだ。
「邪魔だ、どけ!!」
空中で徹の回し蹴りが炸裂される。桐山も蹴りを繰り出していた。
2人の脚が交差し激突する。骨が軋むような痛みが両者に走った。
「……貴様」
徹の目は血走っていた。




「この糞野郎が!俺を舐めてるのか!?
俺の女に手を出して無事で済むと思っているのか!
下郎の分際で俺を馬鹿にしてやがって……!!
この……っ、クズ野郎がっ!!」





【B組:残り45人】




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