銃が鈍い光を放ちながら夏生を睨みつけていた。
「どうする夏生さん?やるっていうんなら、俺も覚悟を決めるぜ」
良樹が小声で囁いてきた。
「おい佐竹、問答無用だ。さっさと拘束してでも連れていっちまおうぜ」
兵士達は、なんだか怪しい相談をしているではないか。
もう一刻の猶予もなかった。
「そうだな……おい、おまえたち!」
夏生は良樹の背中に手を回すと、前触れも無く良樹を思いっきりどついた。
「え?」
「そんなに拘束したいなら、こいつをくれてやる!」
良樹が銃のすぐ手前に飛び出す形となり、相手の男は思わずあっと声を上げた。
次の瞬間、夏生は背面飛びで、一気に背後の兵士たちを飛び越えていた。
「あ、待てよ宗方!」
「待てと言われて待つくらいなら最初から逃げたりしないぜ。
雨宮、おまえは大人しくつかまってろ。
おまえ達、俺の代わりにそいつと仲良くしてろ。じゃあな」
鎮魂歌―20―
「弘樹、大丈夫なの?」
「ああ、ただのかすり傷だ。心配ない」
銃弾は杉村の表皮をかすめただけだった。すでに血は止まっている。
傷は大したことはない。
問題は、この後、どうこの難関を切り抜けるかということだった。
このままでは軍部に連行され、最悪の場合は拷問され、ある事ない事喋らされるだろう。
この狂った国においては軍がどれほど理不尽な存在であるか杉村も知らないわけはない。
杉村自身は嘘か本当に調べる術などなかったが、三村が言うには特にタチの悪い兵士は犯罪者も同然らしい。
軍の中では治外法権が公然化しており、何が起きても誰も文句が言えない。
男はまだいい。美しい女性にいたっては性的拷問も簡単にされることもあるという。
貴子だけは何とかして逃がさなければならなかった。
最悪でも貴子の取調べは女性にしてもらわなければ。
「おい、貴子の……いや、俺達の取調べは誰がするんだ?」
今、杉村たちの動きを制しているのは女性兵士だ。
このまま女性の取調官に引き渡してくれるのだろうか?
「おまえ達は戸川大尉に引き渡される。大尉は気性の激しいお方だ、その上、気も長くない。
痛い思いをしたくなかったら、正直に知っていること全て吐け」
ちょっと話を聞いただけでも、相手はまずい人間のようだった。
「……貴子、大丈夫だ。俺が何とかする」
杉村は貴子の手をギュッと握った。
しかし何とかすると言ったものの、名案など全く浮ばない。
杉村自身がSOSを叫びたい気持ちでむねがいっぱいだった。
「ちょ、ちょっとあれ」
比呂乃が諤諤と震えながら指さしていた。
何事かと杉村と貴子はそろって比呂乃の指先に視線を向けた。
つられるように他の生徒たちも、その方向を一斉に見詰めた。
そしてギョッとなった。
見る間に血の気が引き、顔面蒼白という言葉を見事に体現している者までいる。
ほんの数分前に彼らを惨殺しようとした悪魔が金色の髪をきらめかせてこちらに向かってくる。
その目はぎらつき、見るからに不機嫌だという事が手に取るようにわかった。
「鳴海中尉」
河相泪(かわい・るい)は海軍の兵士である。
それも戸川小次郎の直属の部下。
軍部の指令ではなく、あくまでも戸川個人の言葉にのみ従ってきた。
だから戸川以外の士官とはほとんど係わり合いがない。
まして所轄が違う士官は尚更だった。
そんな彼女でも、特撰兵士のプロフィールは一通り頭に入っている。
鳴海雅信のプロフィールも簡単ながら心得ていた。
国防省の殺し専門の工作員、猟奇的な性癖で大変な問題児。
もっとも、そのプロフィールを知っていなくても、今の雅信を見れば異常な人間だと察することは容易にできた。
それほどの異様な雰囲気が漂っていたのだから。
「……あの女をどこにやった」
雅信は呪文のように呟いた。
「言え、俺の女をどこにやった!!」
雅信は予告もなしに杉村の襟首をつかみ持ち上げた。
長身の自分の体を片手で軽々と高々と持ち上げられ、杉村は初めて地面から宙に浮くのが不安定な状態だと知った。
「弘樹に何するのよ!」
貴子が、杉村の自由を奪っている雅信の腕を振りほどこうとつかみかかった。
「うるさい!」
雅信ほ張り手一発で貴子は何メートルもふっとんだ。
「おまえ、貴子に何をする!」
杉村は激怒した。だが激怒しただけで何もできない。
苦し紛れに両脚に弾みをつけ、ぶらんこのように雅信のボディに蹴りを入れようとしたが途端に地面に叩きつけられた。
「中尉、捕虜に何をするんですか!」
泪が驚いて駆け寄ると、雅信はなんと裏拳で泪のボディにきつい一発をお見舞いしたのだ。
泪は強烈な痛みと圧迫感で、その場に沈んだ。
(こいつら仲間じゃないのか?女までおかまいなしだ、狂ってる!)
「さあ言え、俺の女をどこにやった?」
「さっきから俺の女って、だ、誰のことだ。顔も名前も知らない人間なんか」
「…………」
雅信は杉村を突き飛ばした。すぐに貴子が杉村に駆け寄る。
雅信は紙とシャーペンを取り出した。何をするつもりだ?
雅信はすらすらと紙に何か書き出した。1分後、その紙を杉村たちに突きつけた。
「美恵……!」
その紙には美恵の似顔絵があった。
芸術的センスは絶望的に皆無な雅信ではあったが、仕事上、写生は恐ろしく上手かったのだ。
「ひ……ひっ」
佳織は発狂寸前だった。公開処刑をリアルで見てしまったので無理も無い。
赤松などは、もうほとんど気絶寸前なほど意識を違う世界に飛ばしてしまっている。
元渕もとっくに正気を失い、ムンクの叫びのような表情をしている。
前者3人ほどではないが、織田と笹川も似たようなものだ。
心優しい国信は、あまりの惨さにずっと硬く目を閉じ顔を背けていた。
「ふん、俺に逆らう奴は例外なく、こういう目に合うんだ。ざまあみやがれ」
海老原はまだ温かい遺体を無作法に蹴り飛ばした。
辺りには新鮮な血の臭いが充満し、国信たちは気分不良を止める事ができなかった。
「さあ、次はてめえらの番だ」
その悪魔の一言に、全員我に返った。
「てめえらの生首をさらして俺を暗殺しようとしたことの報いにしてやるぜ」
海老原は1番近くにいた織田を指さした。
「まずは、てめえだ。その醜い蛙顔をもっと醜くしてやるぜ」
「そ、そんな!どうして俺がこんな有象無象どもと死ななきゃならないんだ!」
織田は叫んだ。涙まで流していた。
「そんなに殺したければ、おまえのその穢れた魂を自ら滅しなさい!」
こんな状況で、まだ己の教義を展開している瑞穂はある意味大物なのかもしれない。
だが、そんなデンパな気高さは海老原を感心させるどころかムッとさせた。
「気が変わった。まず最初はおまえから処刑してやる」
「な、なんですって!ひ、ひひひ非国民ごときが騎士のあたしを処刑!?」
誇り高い光の戦士が最下層の人間に害されるなどあってはならないこと。
瑞穂は兵士たちに両脇を抱えられ、半ば引きずられるように処刑台に連れて行かれようとしている。
「や、やめろ、俺達、何も悪いことしてないぞ。
どうして、こんな酷い目に合わなきゃならないんだ!」
国信の魂の叫びも、悪魔には全く通じない。返って反感を買うだけに過ぎない。
「慌てなくても次はおまえを処刑してやる。それまで大人しく待ってろ」
瑞穂が処刑台に固定された。万事休す。
ああ、アフダ・マズダ様!
あたしは使命を果たす前に野蛮人の手によって尊い命を絶とうとしています。
どうか、この愚民に天罰を!そして、どうかあたしを光の世界で転生させてください。
そのままだったら、間違いなく瑞穂は断頭台の露と消えただろう。
「稲田が危ない、沼井、すぐに助けに行こう」
「ああ、でもどうやって!俺たちはそれぞれ銃一丁きりなんだぜ。
どう見ても、あいつら完全武装しているじゃないか」
「そんなことわかってる。でもほかっておくわけにはいかないだろ!
稲田の次は慶時が殺されるかもしれない、笹川かもしれないんだぞ!」
「畜生、こうなったら俺ら2人で特攻かけるしかないのか」
「何もやらないよりはましだ。覚悟を決めろよ沼井!」
「俺はおまえと違って修羅場には慣れてるんだ。おまえこそ、いざって時にびびるなよ」
2人は決意を固めた。死ぬときは仲間と一緒だ。
「行くぞ沼井、真正面から一気に強襲かけるんだ!」
「よし、こうなったら派手に散ってやるぜ!」
2人は走った。海老原がちらっとこちらに振り向いた。
「「俺達が相手だ、そいつらから手を離せ!!」」
その時だった――。
「何だ、あいつは!」
海老原が驚愕の声を上げた。七原と沼井を見たからではない。
七原と沼井の背後から、黒服を身にまとった人間が大きく跳躍するのが見えたからだ。
「「え?」」
七原と沼井も自分達を覆う影に気付き、思わず真上に顔を上げた。
男だ。帽子とサングラスで顔はわからないが、身体つきといい身のこなしといい男に間違いない。
一体、いつの間に走っている自分達の背後にいたのか?
気配なんて微塵も感じなかった。
その男が自分達を一気に飛び越えたのだ、なんて跳躍力だ。
そして七原と沼井のはるか前方に着地すると猛然と海老原に襲い掛かった。
「大尉!」
兵士達が海老原の前に飛び出した。特撰兵士たる海老原の手を煩わせないのが彼らの役目。
海老原の周囲にいた兵士は8人、8人がいっせいに男を囲んだ。
兵士が作り出した円の中央に男がいる。あれでは逃げる事は不可能だろう。
「おまえも大尉を暗殺して名をあげようってケチなテロリストか」
「大尉が戦うまでもない、俺達がてめえを血祭りに――」
その言葉は途中で途絶えた。兵士の額がぱっくりと割れていた。
「――え?」
額を割られた兵士は何をされたのかわからず、ただ手にぼとぼとと血が落ちるのを不思議に見ていた。
痛みはなかった。今、やっとじんじんと鈍い痛みが襲ってきたくらいだ。
「……ど、どうして?」
「おまえに答えは要らない――死ね」
額から一気に血が噴出した。ぶしゅーとまるでスプレーのように。
そして兵士はぐらっと倒れた。血が男の顔にかかった。
「――汚い」
他の兵士達は呆気に取られていた。一体何をされた?
(あいつ、なんなんだ?)
だが特撰兵士の海老原には男の動きが見えていた。
男は兵士に向かって瞬間的に腕を伸ばした。
その時、袖口からアイスピックのように先端が鋭く尖った刃物がすっと飛び出してくるのもはっきり見えた。
それが額に刺さった、刺さったというよりも額の中央の急所を貫いたという無駄の無い動きだった。
「汚い――くそっ」
男はハンカチを取り出すと頬にかかった血を拭った。
「ああ、汚い。最低だ、最悪だ」
その態度に、呆気に取られていた兵士達は我に返った。
「て、てめえ、よくも真理雄を!」
今度は7人が一斉に男に跳びかかった。
すると男は先ほど見せた見事な跳躍力を再度披露して、見事に丸い包囲網から外に脱出。
空中から男は冷たい目で兵士達を見下ろしていた。
七原と沼井は、突然出現した男に驚いて思わず脚を止めた。
2人の驚愕は、この直後に恐怖へと変化した。
それだけの恐ろしい地獄絵巻が繰り広げられたのだ。
男は素早く懐から怪しい缶を取り出すと、蓋をとって兵士達にそれを投げつけた。
嫌な異臭に兵士達は途惑ったが、男が手にしている銃のようなものに全員がギョッとなっていた。
一見、銃に見えるが銃ではない。今の兵士たちにとっては銃より恐ろしいものだった。
その危険な武器が兵士達に向けられた。
「――消毒」
男が手にした武器が火を噴いた。そう、その銃のような武器は小型の火炎放射器だったのだ。
「ぎゃぁ!!」
「ひぃ!だ、誰か、だ、だずけ……っ」
兵士達はすぐに火達磨になって断末魔の叫びを上げた。
こんな残酷なことを人間が平然と行えるとは、
沼井も七原も愕然として、その恐ろしい光景に言葉も出なかった。
それは今だに拘束されている国信たちも同じだった。
先ほど見せ付けられた公開処刑よりも残忍で容赦ない光景。
その地獄絵図にひるまない人間は海老原ただ1人。
部下たちの命などどうでもいいが、部下を惨殺したこということは海老原に宣戦布告したということだ。
海老原は、それを自分を舐めてかかったと受け取った。
仮にも特撰兵士の自分にたった1人で戦いを挑むとはふざけるにもほどがある。
「てめえ、生まれてきたことをさせてやる、消え失せろ!!」
どぉんと、爆音がはるか彼方から聞えてきたのは、ほぼ同時だっただろう。
「なっ」
海老原の動体視力がバズーカーの砲弾が飛んでくるのを目撃していた。
それが地面に直撃、地表がえぐられ土の塊が銃弾のごとく凄い勢いで飛び散った。
「そんな……あの中には慶時が!」
七原は沼井の制止を振り切り、爆煙の中にその身を投じた。
「あ、あの野郎、仲間がいやがったのか!」
海老原は悔しそうに拳を握り締めた。そして構えた、奴はこの機に乗じて襲ってくるだろう。
だが男はこない。どこにいきやがった?煙で何も見えない。
海老原が不審に思ったのも無理はない、だが男にしたらそれが必然だった。
男の目的は海老原を倒すことではないのだから。
男は煙の中、処刑台に全速力で走っていた。
そして処刑台に固定されている瑞穂を解放した。
だが、瑞穂の顔を見るなり、「違う。全く違う」と突き飛ばした。
次に織田たちの元に走った。
佳織を見るなり、また「違う。彼女じゃない」と佳織を飛び越えると走り去った。
そして走りながら携帯電話を取り出した。
「完全に違う。彼女とは似ても似つかない。労力の無駄遣いだった。
すぐに戻る。無駄な汗を流しすぎた、だから風呂沸かしておけ」
「な、何だったんだ、あれ……」
男の正体も気になったが、それよりも国信には今の自分の状況のほうが重要だった。
煙が目にしみる。どうして、こんなことになったんだ?
「慶時、慶時!」
慣れ親しんだ声に国信はハッとした。
「待ってろ、今、助けてやる」
七原はナイフを取り出して国信の体の自由を奪っているロープを切断した。
「……現れた」
一連の出来事を高みの見物していた薫は屋上を囲っている柵から身を乗り出していた。
「……デマじゃなかった。本当に現れた、あいつはK-11のメンバーだ、間違いない!」
この時、半信半疑だった城岩3Bの生徒とK-11の関与説は薫の中でぐっと信憑性を増した。
だが確信するには疑問が1つ残る。
「なぜだ。なぜ、あんな無謀なやり方までしておいて、連中を見捨てて逃げた?」
薫は考えた。そしてすぐに答がでた。
「……連中と関係のある人間は43人全員ではない。ほんの一部だ。
誰だ、誰なんだ。奴等が命の危険を冒してまで助けようとした人間は」
「美恵。どうして、あんたなんかが美恵を!」
「やはり知っていたな……言え、俺の女はどこいる!」
「だ、誰が言うものですか。美恵はあたしの親友よ、親友を売れるわけないでしょ!
まして、あんたみたいな危険な人間なら尚更よ!」
その言葉はすでにいかれていた雅信を激昂させるに十分だった。
雅信はナイフを取り出し、貴子の喉元目掛けて突き上げた。
「やめろ!」
杉村が貴子の前に飛び出し飛び掛った。飛び蹴りだ。
だが雅信は杉村の足首をつかむと地面に叩き付けた。
さらに負けじと拳を繰り出していた杉村の手首をつかみ上げた。
ぎりぎりと凄まじいパワーが杉村の手首に圧力を加える。
「ほ……骨が折れる」
それは冗談でも大袈裟に言っているわけでもなかった。事実だった。
「中尉、やめて下さい!」
杉村の手首にかかっていた圧力が僅かに緩んだ。
「捕虜を殺してしまうつもりですか!」
「……黙れ」
「そいつらをどうするかは戸川大尉が決める事です、あなたに決定権はありません」
「……うるさい、黙れ」
「いくらあなたでも大尉の命令に逆らうことは絶対に許しません、すぐに手を離してください!」
「……黙れ!!」
雅信はその長い脚を女の泪のボディに容赦なく打ち込んでいた。
途端に泪はがくっとその場に沈む。
(こいつ、仲間まで攻撃した。何て、いかれた野郎だ)
杉村はぞっとした。
「大尉の……大尉のご命令に逆らうつもりですか?
そんなこと……許されないことです」
「……うるさい。死にたいか?」
(こんな、こんないかれた野郎は貴子を簡単に殺してしまう。
そんなことさせてたまるか。貴子だけは守り抜いてやる!)
杉村は雅信にタックルした。杉村の突然の反撃に雅信はちょっとだけ驚いたようだ。
だが、すぐに背面飛びをしてかわすと、お返しとばかりに回し蹴りをしてきた。
杉村が咄嗟に体を沈めて、その蹴りをかわした事は雅信にとっては計算外だったことだろう。
(貴子、貴子からこいつを引き離すんだ。その為には……)
杉村はクルっと回転し雅信に背中をさらした。そして全力疾走した。
「彼女の居場所は俺が知っているぞ!」と、とんでもない捨て台詞を残して。
雅信の目つきが断然悪くなった。元々悪かったが。
猛然とダッシュ、目標はもちろん杉村だ、完全にロックオン!
「弘樹、バカなことはやめなさいよ!」
貴子もすぐに後を追った。
どんな結果になろうと杉村を1人にさせるわけにはいかない。
「ど、どうしよう。杉村君と貴子が行っちゃった。誰があたしたちを守ってくれるの?」
残された生徒達。男は呆然とし、女は泣き出した。
そんなところに、全く空気を読まない男参上。
「うぉぉぉ、た・か・こぉ!」
何というタイミングだろうか、杉村と貴子の姿が見えなくなると同時に夏生が猛スピードで走ってきたのだ。
もちろんお目当ての貴子は影も形もない。
「貴子、貴子ちゃん?」
呼んでみたが結果は同じだ。
「おい、おまえたち。貴子はどこに行った?」
大木たちに詰め寄ったが、どいつもこいつも話しにならない。
女生徒にいたっては号泣しており、会話さえ成り立ちそうも無いのだ。
「おい泣くな。もう一度聞くぞ、貴子はどうした?」
夏生は口調を柔和にしたが彼女達の反応は変わらない。
「くそ、だから女が泣くのは苦手なんだよ。やる気が失せる。
ほら、500円の図書券やるから泣きやめよ。な、貴子ちゃんはどこ行った?」
「……あ、あの」
やっと旗上が重い口を開いた。
「あ、あっちです。あっちに……」
「そうか!」
夏生はすぐに旗上が指さす方角に走り出し、瞬く間に姿が見えなくなった。
「待て!」
「誰が待つか!」
2人は橋まできていた。橋の下では激流が渦巻いていた。
「逃がさない」
雅信は大きくジャンプした。一瞬で杉村の前に着地する。
杉村は急ブレーキを踏んだが、2人の距離は手を伸ばせば届くところまで近づいていた。
「……これまでか」
杉村は貴子を見詰めた。そして、にっと笑って見せた。
「弘樹?」
決意を秘めた杉村の笑顔に貴子は嫌な予感が胸を過ぎった。
「さらばだ貴子、おまえは生きろよ」
杉村は雅信にタックルすると、そのまま激流に飛び込んだ。
「……そんな!」
貴子は欄干に飛びつき、杉村の姿を探した。
だが見えるのは激流だけで、杉村は浮んでこない。
「……嘘よ」
貴子は諤々と震えながら、その場にぺたんと座り込んだ。
「嫌よ……弘樹」
「弘樹ー!!」
「貴子ちゃん!」
駆けつけた夏生の声も貴子には届かない。
「……弘樹……弘樹が」
「杉村がどうかしたのか?」
「弘樹を助けないと!」
貴子は欄干に足をかけた。夏生は慌てて貴子に羽交い絞めをかける。
「何する気だ、飛び込むつもりか貴子!死んじまうだろ!」
貴子の行動から杉村の身に何があったのか容易に想像できた。
杉村は川に落下した、そしておそらく……。
「やめろ、貴子ちゃんまで死ぬ気なのかよ!」
「離しなさいよ。弘樹が、弘樹を助けないと!」
「死んだ奴の事はあきらめろ!後を追うことになるぞ、そんなこと杉村は望んで無い!!」
「勝手に弘樹を殺さないでよ、弘樹はまだ死んでない!助けないと、助けるのよ弘樹を!」
貴子は夏生の制止を振り切ろうとした。
その貴子の視線の先で、水面の一部が盛り上がり金髪の悪魔が姿を現した。
「げ、あいつは!」
「……そんな、弘樹は?」
必死に杉村の姿を探す貴子の目にとんでもないものが映った。
――金髪の悪魔の周囲の水面が赤く染まったのだ。
夏生はぎくっとなった。貴子は心臓どころか魂を鷲掴みにされた衝撃に全身が硬直していた。
その間にも金髪の悪魔はゆっくりと岸に上がってきた。
「……逃げるんだ貴子」
夏生の呼びかけに貴子は全く無反応だ。ただ、がくがくと震えている。
「そんな――」
杉村との最初の出会いは覚えていない。物心ついた時には、すぐそばにいた。
「そんな、弘樹――」
それから同じ季節を何度も2人一緒に繰り返してきた。
時には喧嘩もした。
でも、どんな時にも1番最後にそばにいてくれたのは杉村だった。
「嫌よ、、弘樹、弘樹、弘樹!!」
それは常に気高く沈着冷静な人間であった貴子が生まれて初めて我を失った瞬間だった――。
「逃げるんだ貴子!あの悪魔から、さっさと逃げないと殺される!!」
「逃げたければ、あんた1人で逃げなさいよ!あたしは弘樹を助けるわ。弘樹――」
どん、と貴子の腹部に強烈な衝撃が走った。
その瞬間、貴子は意識を失った。
「悪いな貴子ちゃん、おまえまで死なせるわけにはいかないんだよ」
夏生は貴子を背負うと走った。後ろを振り返る余裕もなかった。
「どうだ、宗方は発見できたか?」
良樹は、今、軍用輸送機の中にいた。
これといって手荒なことはされてない。一言、「大人しくしてろよ」と警告を受けただけだ。
手錠もされてなければ、拘束具でがんじがらめにもされてない。
捕虜のような扱いは一切されていないのだ。
それよりも、妙なことがある。
輸送機の片隅に、トランクス1枚の男達が3人さるぐつわをされロープで縛られている。
彼らは気を失っている。一体何者だろうか?
自分を捕らえた男達もちょうど3人、妙な一致に良樹は妙な疑問を感じていた。
「いた、いたぞ宗方だ!おい、何かに追われてるぜ!」
「泪、おい起きろ泪!」
パシっと軽く頬を叩かれ瞼をあけると戸川が怖い顔をして自分を見詰めていた。
「……た、大尉」
「何があった。杉村弘樹と千草貴子はどうした?」
「申し訳ありません、鳴海中尉が来て……」
「何だと!」
戸川はあっと言う間に怒りの沸点に到達した。
何者かにヘリを攻撃され、間一髪で脱出した直後だっただけに、いつもより怒りの導火線が短くなってもいた。
「すぐに探せ!俺を攻撃したのは間違いなくプロだ、連中共々制裁を受けさせてやる!」
「あ、あいつ、まだ追ってくる」
夏生は手榴弾を取り出すと背後に放り投げた。
だが雅信は手榴弾が爆発する前にスピードアップしたかと思うと、手榴弾を空中で蹴り返してきやがった。
そして爆発。爆風に夏生は貴子ごとふっとんだ。
絶体絶命、万事休すか?
そこに、今度はどぱぱぱと凄まじい連続した銃撃音が響いた。
煙でよく見えないが、どうやら攻撃対象は雅信らしい。
夏生は上空を見上げた。軍の輸送機だ、あれは輸送機のライフルの音だったのだ。
輸送機が緊急着陸、いや地上すれすれで空中停止した。
扉がひらき、「さっさと乗れ、宗方!」と男が手招きしながら叫んだ。
夏生は言われるまでもなく輸送機に飛び込む。
「さっさと出せ、エンジン全開だ!」
輸送機は再び上昇、そのまま最高速度で飛び去った。
「夏生さん」
良樹が駆け寄ってきた。
「あんた、ちょっと酷いぜ。俺を置いて逃げるなんて」
「今はそれどころじゃない」
夏生は貴子をそっと長椅子に横たわらせた。
「貴子さん!……おい、まさか」
「安心しろ、大丈夫だ。貴子ちゃんは」
『貴子ちゃんは』……と、いうことは他の連中は?杉村は?
「夏生さん、杉村は?」
夏生は貴子の髪の毛をそっとなでながら言った。
「死んだ。おまえも杉村のことは諦めろ、もう待ってもあいつは帰って来ない」
良樹は、「そんな」という表情で夏生を見詰めた。
いつも面白半分の夏生の珍しくシリアスな表情……嘘ではないようだ。
(……杉村が。畜生!)
杉村とは仲のいい友達だった。叫びたい気持ちだったが、そんなことできない。
出会って数ヶ月の自分よりも、幼い頃からずっと一緒だった貴子のほうがずっと悲しみは深いはず。
自分が泣き言を言っている暇も余裕も無い。
「……杉村の仇、とってやるよ」
「そうか、せいぜい頑張れよ。相手は金髪の悪魔だ」
「悪魔だろうが不死身じゃないなら、喰らいついてでもいつか借りは返してやる」
「話し中、悪いが、いいか?」
佐竹という男がいつの間にかそばにいた。
「わかっているだろうな宗方、馬鹿だ、馬鹿だと思っていたが、今度こそ本当に呆れたぜ」
「ほう、言ってくれるじゃないか」
夏生は全く意に介してない。
「こいつらに加担するのも、もう二度としないでもらうぜ」
夏生の助けなしに3B生徒たちの今はなかった。
今後も何かと助けはいるだろう、良樹にとってはありがたくない会話だった。
良樹は縋るような目で夏生を見た。
「夏生さん、迷惑かもしれないが、俺は……」
「安心しろよ、乗りかかった船だ」
良樹はほっとした。だが、それは佐竹の逆鱗に触れた。
「いい加減にしろ、若!」
「え?……わ、若?」
そういえば、まだこいつらの正体知らない。何者だ、こいつら?
軍服を着てはいるが、あきらかに軍の人間では無い。
特撰兵士の雅信を攻撃してまで夏生を助けたのだ。
おそらく本物の兵士は今も輸送機の荷物置き場の隅でおねんねしている三人組。
この佐竹たちは、3人を襲って軍服と輸送機を奪った偽軍人といったところだろう。
「誰の命令だ、じじいかよ?」
「考えてもの言えよ。御前に知られたらどうなるか」
「それもそうだな。じゃあ兄ちゃんか?」
「秋澄さんの命令だ。随分とおまえのこと心配してるぜ、この兄不幸者。
御前に知られたら間違いなくおまえは勘当だ、だからその前に事態を収めようと必死なんだ」
「夏生さん、あんた、一体何者なんだ?」
さっきから『若』だの『御前』だの、一般庶民とは縁の無い単語の連発。
「おまえ、本当に何も知らなかったんだな。これからも知る必要なんかないぜ」
「おい佐竹、けちけちするなよ。もう、いいさ、教えてやる」
佐竹は、「若!」と避難がましい声を上げたが、夏生はかまわず続けた。
「宗方ってのは俺の母方の姓で、俺の本当の名前は『季秋』だ」
「季秋……まさか、東海の超名門の季秋大財閥か?!」
「ああ、そうだ。俺は季秋宗家の息子だ。そして、こいつらは代々季秋家に仕える家のご息子だ」
夏生は真顔で佐竹に質問した。
「秋澄にいちゃんの命令はなんだ?」
「一刻も早くおまえを保護しろ」
「それだけじゃないだろ?」
「保護した後は、しばらく家からでないよう季秋家に軟禁させてもらう。
馬鹿な人助けも、これでおしまいだ、観念しろよ若」
【B組:残り45人】
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