「あの男、まさか」
戸川は思い出していた。5年前、特撰兵士になったばかりの頃だった。


東海地区で一大勢力を誇っていた大財閥季秋家主催の晩餐会。
政界や軍、そして財界から地方の旧家に至るまで、あらゆる分野のトップクラスが招かれていた。
その筆頭はもちろん大東亜共和国に君臨する総統だろう。
7人の息子をはじめ、一族総出で出席していた。
少年兵士に過ぎない自分が、そのきらびやかな場所にいられるのも特撰兵士の特権に他ならない。

その場にある少年がいた。
ただ一度ちらっと横顔を見ただけの、まだ幼い少年だった。


その少年の面影を宿す男がジープに乗っていたのだ。
こんなスラム街でだ。
「他人の空似だ」
一度しか、それも5年前にちらっと見ただけの男だ。

だが正真正銘、本人だったとしたら?

「あのジープを追え!」
もはやお尋ね者たちに構っている暇は無かった。
もしも、あの男が本物だったら見殺しにしてはお咎めどころではすまなくなる。


「しかし大尉、あの連中の逮捕はどうするのですか?」
「……ちっ」




鎮魂歌―19―




良恵と徹は美男美女のカップルとして軍では有名だった。
(なぜなら軍のゴシップ雑誌の取材で徹が
「俺達の関係?想像におまかせするよ」などと意味深な台詞を吐いてしまったからだ)
その2人が揃って歩いていた。兵士達は一斉に羨望と好奇の眼差しを向けた。

「おい佐伯さんだぜ。あれが例の恋人か、女嫌いの佐伯さんが気に入っただけあって美人だよなー」
「ちくしょおいいな。俺も一度でいいから、あんな女と付き合ってみたいぜ」
「馬鹿、聞えるぞ。噂じゃ、興味本位で彼女に声かけた平の兵士が佐伯さんに半殺しにされたって話だぜ」




良恵、今さら、ここに何の用だい?
君は普段は滅多に科学省の軍施設に近付かないくらい嫌っていたのに」
「あの囲いから出ようとしてつかまった人間がいるんですって。徹、あなた知ってたでしょ?」


徹は良恵 から視線を逸らした。あえて隠していた事実だ。
新井田和志という、どう見てもテロ組織とは無縁の平凡な男がつかまった。
科学省の人間が尋問を行ったとも聞いた(その直後に水島が連れて行ったとも)
良恵は、その男を尋問した人間に話を聞こうというのだろう。
何しろ逮捕された人間達は薬の影響で今だおねんね。話ができる状況ではないのだ。


緒方菜穂と諸星まどかが尋問したと聞いている。
まどかとは先ほど会ったが、あの女では話にならない。
正直、緒方菜穂ともあまり会いたくはなかった。
お互い気まずい思いをするのは目に見えている。
しかし他に話ができる人間などいない。彼女は、まどかよりは話もわかる。




「あれ、あんたⅩシリーズのひと?」
陽気な声。子犬みたいな無邪気な笑顔を見せながら少年が近付いてきた。
「ねえねえそうだろ、あんた名前は確か……えーと」
「おい、彼女に近付くな。彼女とは直接口も聞くな。俺は許可しない」
すかさず徹が前に出て、少年を阻んだ。
「あー、すっげー海軍の佐伯徹大尉でしょ。サインしてよ」
少年は無邪気に手帳とペンを差し出してきた。


「そっちの彼女は名前、えっと何だっけ?えーと……そうだ、佐伯良恵!当たってる?」


徹と良恵は一瞬目をぱちくりさせた。『佐伯』良恵だ、間違えるにもほどがある。
だが徹は何も言わず少年が差し出してきた手帳に気前よくサインをしてくれた。

「君、名前は?」
「緒方満夫!」
「そうか」

しかも、『緒方満夫君へ』と一筆付け加えてくれた。
ちょっとしたミスが徹をご機嫌にしてくれたらしい。


「でさー、ところで佐伯良恵さん、あんた何しにここに来たの?
ここは一般兵士用の施設だよ、Ⅹシリーズの施設じゃない」
「私の苗字は佐伯じゃなくて……」
「まあいいじゃないか良恵」
徹はすこぶるご機嫌になってしまっていた。
確かに、今はもっと重要な用事がある。
良恵は、「お姉さん、いるかしら?」と問いかけた。
「姉ちゃん?何の用?」
こんな廊下でおおっぴらに話せることではない。良恵は困ったように少年に小声で囁いた。


「大事な話があるの。他の人間には聞かれたくないわ」
「ふーん、でも姉ちゃん出掛けてるよ」
「……そう、お帰りはいつかしら?」
「さあ任務だからわかんない。任務の詳細は姉弟でも教えてもらないから」
兵士にも守秘義務はある。幼年兵といえど例外ではない。
良恵は半分がっかりし、半分ほっとしていた。
複雑で矛盾しているが、それが正直な気分だった。

「ねえ、それより高尾さん、いつ帰ってくるの?
姉ちゃん、口に出さないけど、きっと待ち望んでるよ。
俺も高尾さんのファンだし、早く本当の兄弟になりたいな。へへ」


良恵は僅かに表情をゆがめた。これが菜穂には会いたくない理由だった。
満夫には全く悪気は無い。そして菜穂にも罪は無い。

良恵にとって兄弟同然に育った男・高尾晃司には3人のフィアンセがいる。
1人は諸星まどか、もう1人は緒方菜穂、1人は退職して民間人になった科学省幹部の元で暮らしている。
科学省はⅩシリーズ以外の兵士も全員人工的に作り出してきた。
当然、科学省の兵士で筆頭たる晃司の血を引く子供も自分達の意志の元誕生させようと考えている。
その為に、科学省の女性兵士の中から選び出したのが、その3人。
人権のかけらもないやり方に、良恵は猛烈に反感を抱いていた。
まして、愛する家族である晃司の人生に係わることなら尚更だ。

相手の女性達も、勝手にパートナーを決められて困惑しているだろうと思った。
ところが、それだけは良恵の予想とは違った。まどかは大喜び、菜穂も悪い気はしてないらしい。
(最後の1人とは出会ったことすらないので、どう思っているかはわからない)
海軍の特撰兵士で、個人的に良恵とも親しい氷室隼人はこう言った。


「あいつは科学省の兵士の中では一番の有望株だ。おまけに外見も悪くない。
この婚姻を幸運だと受け入れて喜んでもおかしくない。
どうせ、いつかは勝手に決められることだ。だったらレベルの高い相手がいいと思うのが人間だ。
おまえには理解できないだろうが、愛情や綺麗事だけの人間のほうが稀なんだよ」


良恵にとっては悲しい事実だった。
しかし現にまどかはその気になって周囲をはばからずに自分に嫉妬までぶつけてくる。
もう晃司の花嫁気取りで、晃司にとって1番身近な存在ある自分が気に入らないということだ。
とにかく、いないというのなら長居は無用だった。



「ねえ俺にわかることなら話聞くよ」
満夫は明るい口調で言った。ありがたい申し出ではあった。
「緒方君は囲いから出た男と話した?その……彼のことで」
「ああ、あいつのこと?姉ちゃんが尋問したけど、仲間らしいよ、Ⅹ6と」
求めていた答えがあっさりと満夫の口から出た。

「本当に?」
「うん、写真見せたらあっちも驚いていたってさ。その後、水島さんが連れて行っちゃったけどね」
「……水島が」


嫌な壁に突き当たった。これ以上詳しい話を知るためには、水島に会わなければならない。
良恵はぞっとした。


「ありがとう緒方君、私があなたと話したことは、その……秘密にして欲しいの」
「え、なんでなんで?」
「お願いだから」
「ふーん、ま、いっか。いーよ、俺、約束する」
にこにこと手を振る満夫に見送られながら2人は科学省の施設を後にした。



「……水島」
二度と口にもしたくないほど嫌忌した、その名前。
すかさず徹が、「俺は反対だ。あいつと君を会わせることだけはしたくない」と釘を刺してきた。
「でも徹……!」
「忘れたのかい、あいつは危険だ。
俺自身、君とあいつが対面なんてしたら怒りで何をするかわからないよ。
他の方法を考えよう。だから、あいつに会おうなんて絶対に考えないでくれ」
「ええ」
正直言って徹の忠告はほっとした。水島克巳の顔も見たくなかったから。














「弘樹!」
貴子は走った。県大会で歴代2位の記録を出した時以上の走りだった。
「貴子、馬鹿な、なぜ逃げない!」
天井が崩れた。危ない、貴子の頭に落ちるところだった。
危険極まりない魔の廊下を駆け抜け、貴子は杉村の元にたどり着いた。


「貴子、どうして逃げなかったんだ!」
「文句言う暇があったら、さっさと上がってきなさいよ!」


貴子は杉村の学ランをつかむと強引に引き上げた。


「す、すまない貴子」
「さあ逃げるのよ弘樹」
「待ってくれ貴子、倉元を助けないと」
「そんなのにかまっている暇はないのよ。あんたって本当にお人よしね!」


杉村は倉元を引き上げた。倉元は九死に一生を得た。
「さあ早く逃げるんだ!」
瓦礫の雨の中を走った。小石がぱらぱらと頭の上に落ちてくる。
なんとか廊下を走りぬいた。さあ間髪いれずに階段を駆け下りなければ。
階段をおりきった。勿論、まだ終わりではない。
この建物から出て、なるべく遠くに逃げるのだ。



「さあ早く逃げるんだ!」
杉村は貴子の手を取って全速力で走った。倉元もバランスを崩しながら必死に後に続く。
どんと真上から重量感のある音がした。二階の天井が完全に崩れたらしい。
その重みで今度は二階の廊下が、いや廊下どころか一階の天井が一気に崩壊した。

「貴子、つかまってろ!」

杉村は貴子を右腕で抱きかかえると、左手で倉元の髪の毛を掴みアパートの正面出入り口に向かって跳んだ。
直後に背後から凄い音がした。天井が床に落ちた際に生じた風圧で、3人はそのままアパートの外まで脱出。
強い摩擦と共に地面を数メートル滑走して3人の体はやっと止まった。


「大丈夫か貴子?」


まず最初に貴子を気遣った。どこにも怪我はないだろうか?

「あたしは大丈夫よ。それより、あんたはどうなのよ?」
「俺は大した事無い」


「痛え!早く離せよ、ちくしょう!」
倉元が叫んでいた。杉村は慌てて手を離す。
「あー髪の毛がこんなに抜けた!ふざけるなよ杉村、なんで頭髪つかむんだよ!」
「悪い、とっさだったから……」
倉元は杉村を睨みつけると、その嫌な目を今度は好美に向けた。


「好美、よくも俺を裏切ってくれたな」
倉元は猛然と好美に掴みかかった。
「よせよ倉元、今は仲間同士で争っている場合じゃない」
「うるせえ、俺はこの女を殴らないと気が済まないんだよ!」



かちゃっと背後から妙な音が聞えた。杉村はゆっくりと振り向いた。
軍服姿の女が銃を構えて立っていた。
「内輪揉めなら牢獄でしていただくわ。さあ全員大人しく手を上げなさい、でないと命の保障は無いわよ」
倉元はすぐに大人しくなって両腕を天に突き上げた。
他の生徒達も一斉に同じ行動をとった。
杉村と貴子だけは従ってない。何とか逃げる方法を頭の中で模索していた。

「……考えたけど、これしか思い浮かばなかった」

杉村は貴子に「皆を連れて逃げろ!」と背中を押すと、銃を持っている相手に猛然と飛び掛った。
接近戦なら発砲される前に銃を蹴り落せばいけるかもしれない。
そう考えてのことだったのだろう。幸いにも相手は女だ、パワーなら自分の方が勝っている。
杉村の脚が大きく振りあがり、一気に銃に振り落とされようとした。
その時、銃が火を噴いた。




「弘樹!」




貴子が走っていた。
貴子の視界の中、全てがスローモーションと化した。
杉村の体がゆっくりと落ちていった。
赤い液体が空中に飛散するのもはっきり見えた。
そして杉村が完全に地面に落ちた。その際生じた砂埃まで貴子にははっきり見えた。

「弘樹、しっかりして!」

杉村に駆け寄った貴子、その貴子の額に銃口が突きつけられていた。

「あなたも大人しくしてもらうわよ」
「よくも弘樹を!」

しかし倒れている杉村の姿は、貴子の怒りは銃の恐怖を超えた。
尚も歯向かおうとする貴子だったが、杉村が上半身を起こして貴子の肩をつかんで止めた。

「やめろ貴子」

杉村は生きていた。銃弾は杉村の脚をかすめていただけだ。
「その彼の言うとおりよ。死にたくなかったら従いなさい」
杉村は無言で顔を左右にふった。その悲愴な表情に貴子はぐっと怒りを抑えた。
女は携帯電話を取り出し、「全員確保しました大尉」と簡潔に報告した。














「夏生さん、あの金髪追いかけてきたぞ!」
「あの猟奇野郎、美恵ちゃんを引き渡さない限り追跡はやめてくれそうにないぜ」
「おい、まさか美恵さんの居場所を教えるつもりかよ」
「誰がするか。こうなったら、あいつに死んでもらうしかないな」
夏生は身を乗り出すとガソリンタンクを手に取った。
素早く蓋を空けると、タンクごと道路にぶちまけた。
「じゃあな猟奇男、バイバイだ!」
夏生はライターに火をつけると放り投げた。業火が誕生した。

「これで黒焦げだ」
「夏生さん、上!」

見上げると雅信が炎を飛び越えていた。

「げ、嘘だろ」
「夏生さん、もっと上だ!」
「もっと上?」

目線をさらに上に上げると軍用ヘリが見えた。


「げ、俺を追いかけてきてやがる。やばい!」
夏生はちらっと前方を見た。ビルが並んでいる。その間には僅かな隙間が。
「つかまってろ雨宮!」
夏生はアクセルを踏み、ハンドルを右に急回転させた。
車の左側が持ち上がった。方輪走行でビルの合間を駆け抜ける。
その時だった。ジープが爆発炎上した。
「何?」
雅信は立ち止まった。ガソリンのきなくさい臭いがつんと鼻を刺激してくる。


「馬鹿な、自爆でもしたのか?」
上空では戸川が我が目を疑っていた。
(あの男が本物ならばやばいことになる。遺体……は黒こげだろうな。
この際、事実の確認などしないほうがいい。本物なら俺のキャリアに傷がつく。
何もなかったことにするのが1番だ……いや、待てよ)
戸川は思い出した。夏生に出し抜かれそうになったことを。
夏生はマンホールから地下通路に逃げた、死んだを見せかけて同じことをしていても不思議ではない。
ちょうど携帯電話が鳴り、泪から杉村たちの身柄の確保の報告を受けた。
(追いかけるか。奴が本物なら大手柄だ)















「夏生さんはああ言ったけど、やっぱり美恵だけは連れていかないと」
光子は真っ直ぐ東海地区に行くことはやめ、美恵を助けに行くことにした。
美恵がいる地区は地味で目立たないスラム街だった。
故に今だに捜査の手が伸びて無いが、それももはや時間の問題だろう。
他の地域にいる木下の部下たちがこぞって魔女狩りの犠牲者になっている。
その木下が素性のわからない人間をかくまっていることがばれたら終わりだ。
美恵、無事でいて」
タクシーが停止した。


「ちょっと、どうして止まるのよ」
「お客さん、これより先はスラム街ではないですか。ごめんですよ」
「そう、わかったわ、はい代金。お釣りはいらないわよ」
光子は万札を一枚投げつけてタクシーから飛び降りると走った。
「ちょっとお客さん、足りないですよ!」
もちろん光子は二度と振り向くことはなかった。









「じゃあ加奈、後は頼んだぞ」
「うん、お兄ちゃんも気をつけてね」
加奈は心配そうに兄を見詰めた。まるで二度と会えないような気がしたから。
「いざとなったら、すぐにこの街を出ろ。軍隊を投入されてからでは遅いからな」
それから木下は、「真壁にも、逃げるように忠告しておいてくれ」と頼んだ。


「沙耶加さんに会って行かなくていいの?二度と会えないかもしれないよ」
「……そういう関係じゃないからな」
「でも!」
「きっと彼女には素敵な恋人がいるだろ。俺なんか比べ物にならないくらいの。
俺みたいに冴えない男が身の程知らずなこと考えたら迷惑だ」
「そんなことないよ。沙耶加さんにはお兄ちゃんが似合ってる。
沙耶加さんだって、きっとお兄ちゃん以上のひとなんかこの先見付かるわけない」


妹の進言はありがたかったが、木下は身内贔屓を真に受けるほど馬鹿ではなかった。
洗練された美人である沙耶加が、自分のような体育会系に好意を持ってくれるわけが無い。
彼女と出会った頃も、インテリの欠片も無い行動を取ってしまったことがあった。







毎朝ランニングを欠かさない木下は、その後は公園で腹筋運動をするのが日課だった。
汗と泥にまみれた暑苦しい姿でも、平然と帰途につくのがいつもの日常。
だが、その日はたまたま犬の散歩で公園に来ていた沙耶加とばったり会ったのだ。
「……お」
木下は妹以外の女とは滅多に口をきいたことも無かったので、
気の利いた台詞はおろか挨拶すらすらっと出てこなかった。
沙耶加のほうは、店の常連客に対して丁寧に会釈と挨拶をしてはきたが、それ以上の言葉は無い。
「……あ、その」
低いが独特な口調が幸いして小声にも係わらず沙耶加に気づいてもらえたらしい。
ちらっと振り向いて、「何か御用?」とあちらから声をかけてくれた。
「い、いや、その……」
木下は俯いて沙耶加の顔すらまともに見れない。その目に映っているのは蟻の行列だった。


「用がないのなら私はこれで」
木下は慌てて顔を上げた。
「いや、その……今日は、いい天気だな」
その日は曇っていた。おまけに沙耶加は木下の顔を見て無い、視線を下に向けている。
木下は沙耶加の視線の先である自分の手を見た。泥と汗で汚れた手を。
まずい、女は綺麗好きだからきっと呆れられている。
木下は慌てて屈むと、そばにあった水道の蛇口をひねってばしゃばしゃを手を洗った。
その姿もお世辞にも沙耶加の理想のタイプであるインテリとは程遠かった。
おまけにハンカチを所持してない。
咄嗟にいつもの癖でズボンで手を拭いてしまった。
沙耶加は、「それじゃあ」と、そのまま立ち去ってしまったのだ。

この日、木下は自分は恋愛の才能が絶望的に皆無だと悟ってしまった。

まあいいさ、自分は元々政府と戦うことが生きる理由。
恋愛沙汰にうつつを抜かしている暇は無い。
きっぱりあきらめがついていいというものだ。







「加奈、俺はこういうことは苦手だが、政府と戦うことにかけては少しはできると思っている」
色恋沙汰には未熟な木下だったが、反政府組織として戦ってきたことにかけては強い自信と誇りを持っていた。

「お兄ちゃん大丈夫?特撰兵士が大勢参戦してるっていうじゃない」
「ああ、今度はやばいかもしれない。俺は自分を過大評価はしない」

「周藤晶と氷室隼人以外の特撰兵士とはやりあったこともないしな。
俺にとってはあいつら以外の人間は実力未知数だ、正直言って勝てるかどうかわからない。
周藤と氷室も、あれから訓練と実戦を積んで強くなっているだろう。
それを計算しても、今ならまだ俺のほうが強い。それだけは自信を持っていえる。
しかし特撰兵士にはもっと強い奴がいる。そんな奴を全員倒すのはさすがに無理だ」
それは戦死を意識した言葉だった。

「……せめて俺と当たるのが氷室と周藤だったら勝機は十分にある」

木下は祈るような表情で天を仰いだ。

「おまえが俺に出来ることは、生き延びてくれることだけだ。
そして俺の相手が氷室か周藤のどちらかだと祈っていてくれ」
立ち去る兄の姿を見詰めながら加奈はそっと涙を拭った。

「こうしちゃいられないわ。沙耶加さんをこの街から避難させないと……」









「この地下水路を通れば街の外に逃げられるわ。軍が街を包囲したら、すぐに脱出して」
加奈は地下水路の地図を広げて、桐山たちに脱出ルートの説明をした。

「あたしは沙耶加さんに知らせに行くわ」
「待って加奈さん1人じゃ危険だわ。最近、この辺では見たことの無い人間がうろついているし」


美恵の心配は杞憂ではなかった。その連中は国防省の捜査官だろう。
軍が攻め込む前に、街の様子を調査しに来たのだ。
もはや一国の猶予もなかった。
かといって真正面から街を出ようものなら、たちまち捜査官に逮捕されてしまうだろう。
別件逮捕は奴らの得意技なのだ。


鈴原、俺も一緒に行こう」
「そうだな別行動は避けたほうがいい。俺も行こう」


桐山と川田も一緒なら心強い。4人はすぐに行動を起こした。
沙耶加の店は街外れだが急げば20分でたどり着ける。
が、あの角を曲げれば目的地に到着というところで桐山が制止をかけた。



「……手遅れだ」
「え、桐山君、どういうこと?」
「上を見てみろ」
見上げると軍事ヘリが三機連なって旋回していた。

「どういうこと!?軍がこんなに早く動くなんて。
まだ街を私服捜査官が包囲しつつある状態に過ぎなかったのに」

加奈は驚愕していた。あまりにも行動が早すぎる。
この街は小さくて地味。だから軍に目をつけられるのも、まだ先だと予測していたのに。
他の地区では軍隊が動いているとは聞いている。
だからこそ、そちらの地区を制圧するまでは、この街に攻め込むのは先の話のはずだった。
それなのに、こんな急に一個軍隊が動くなんて。


「ヘリが沙耶加さんの店の前に!」
程なく沙耶加が軍人達に連行されヘリに乗り込む姿が確認された。
「助けないと!」
「駄目だ、今行けばおまえも捕まるぞ。彼女は反政府組織とは無関係なんだろう?
だったら取調べが済み次第すぐに釈放されるだろう」
川田の言い分は最もだった。
軍がどれほど理不尽でも、無実の人間に危害は加えない、と思いたい。
「すぐに脱出しよう。俺達のほうが危ないんだ」
4人は地下水路を通って街を出ることにした。
「ごめんなさい沙耶加さん、きっとお兄ちゃんが何とかしてくれるから」









「おい、こんなスラム街でこんな美人がいるとは思わなかったな」
「国防省に連行する前に俺達で楽しもうか?」

一般兵士達の、そんな怪しい会話がヘリの中でされていた。
表沙汰にこそなってないが、軍人が非力な一般市民に理不尽な暴力行為に及ぶのは珍しくないのだ。

「おまえ達、水島大尉の命令忘れたのか?
美人は大尉が直接尋問すると仰せだっただろう。
大尉に引き渡す前に手をつけてそれを大尉に密告されてみろ。
大尉はご自分のことは棚に上げて俺達を軍法会議にかけるぞ」
「そ、そうだったな。それより、さっさと美人は献上して、大尉の俺達に対する心象を良くしたほうが得だな」



その頃、水島は真知子の肩を抱き寄せながら、地図と報告書を眺め次なる作戦を練っていた。
『大尉、ただいま、大尉のご命令で侵攻を急遽早めた地区で住人を多数拘束することに成功しました。
男子供は我々で尋問しますので、女は大尉にお願いできるでしょうか?』
「真知子、席を外してくれないか?」
真知子の目つきが変わった。
「真知子」
水島の口調も変化した。真知子は忌々しそうに席を立つと退室した。


「俺も忙しいんだが、おまえ達がそこまで言うなら仕方ないな。
すぐに彼女達の写真を転送してくれ」
水島は送られてきた数十枚の写真を見てげんなりとした。
「おまえ達は、こんな十人並みの女を多忙な俺に押し付けるつもりだったのか!」
『し、しかし大尉。美人ばかりをそろえたつもりですが……』
「ふん、おまえ達のレベルで俺の美意識は計れないってことか。
まあいい、この拘束№7の女だけ連れて来い。後はおまえ達で尋問しろ」

平の兵士たちは、ほっとして沙耶加を水島の元に連れて行った。














マンホールの蓋が下から持ち上げられた。
「どうやらまけたようだな」
夏生と良樹だった。
「貴子ちゃん無事だといいが……」
「おい夏生さん、あれ!」
軍用ヘリがこちらに近付いてくるではないか。
「やばいばれたのか?」
このままでは見付かってしまう。2人は路地裏の壁の陰に隠れた。


「ヘリが旋回してるぜ。やっぱり俺達を探してるんだ」
「まいったな……お、あっちに行ったぞ、今のうちだ、こい雨宮!」


夏生はヘリとは逆方向に向かって走り出した。
幸いにも建物が2人の姿を隠してくれている。このまま走りぬける!


「おい夏生さん、ヘリがこっちに来るぜ!」
「何だと!?」


やばい、夏生がそう思った瞬間、ヘリに向かってバズーカー砲の弾が発射されていた。
それは見事にヘリに命中。ヘリは爆発炎上、粉々に破壊され空中分散した。
「一体誰が?」
良樹の疑問も最もだったが、夏生はヘリが爆発する寸前パラシュートが開くのを見た。
ヘリに乗っていた人間は脱出している。死んではいない。
すぐに逃げなければならなかった。



「こっちだ雨宮、今すぐ街の外に逃げ――」
夏生と良樹の前方に軍服姿の人間が姿を現した。
2人が立ち止まると背後からも。一瞬で完全に囲まれた。
「な、夏生さん……」
「黙ってろ雨宮、一歩でも動くと蜂の巣にされるぜ」
リーダーらしい男が一歩前に出た。

「探したぜ。年貢の納め時だな、宗方」
「……ふん、久しぶりだな、おまえ達」
「夏生さん、知り合いなのかよ?」
「まあな」
夏生はいつになく切羽詰った表情をしていた。
「……今度こそ観念するときがきたようだぜ雨宮」


「そういうことだ。宗方、さあ大人しくしてもらうぜ」


黒光りする銃口が夏生と良樹を真っ直ぐ睨みつけていた――。




【B組:残り45人】




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