その禍々しいオーラを誰もが肌で感じていた。
生徒達の表情はこれ以上ないくらい顔面蒼白で引き攣っていた。
顔面だけではない、体が恐怖で完全に硬直し指一本動かす事ができない。
蛇に睨まれた蛙がどんなものか、全員が言葉ではなく本能で思い知った。
「俺の女はどこだ、言わないと……全員殺す」
恐怖が加速する。エンジンの性能を無視した限界突破のスピードだ。
そのスピードは車体を崩しかねないほどの威力。
車体にあたるのは、もちろん彼らの精神に他ならない。
「俺に答えるつもりはないということか……」
金髪の悪魔こと鳴海雅信の怒りの炎にドロドロしたガソリンが大量に注ぎ込まれた。
「……だったら答えさせてやる」
鎮魂歌―18―
「あ、あれ、様子がおかしくないか?」
誰もいないと思った路地裏の出口に人が集まりつつある。
見るからに怪しい連中だ。きっと軍の人間に違いない。
このままでは簡単に捕獲されてしまう。
「大変だ、引き返そう」
国信はすぐに提案した。笹川たちも、その提案に簡単に乗った。
ところが1人だけ乗らない人間がいた。
なぜなら、彼女は今、普通の人間から光の戦士へと変身したのだから。
彼女の名前は稲田瑞穂。女子1番だ(そう神聖なる数字1だ)
――プリーシア・ディキアン・ミズオ、準備はいいですか?
光の女神の声が異次元の彼方から聞えてきた。
女神の信託があったということは奴らは悪!滅しなければならない。
――そうですミズホ、あなたなら出来ます。さあ、その光の剣をとりなさい。
瑞穂は見た。道端の隅に落ちていた棒切れを。
無能な一般人にはただの棒切れにしか見えないだろう。
しかし瑞穂は違う。瑞穂はそれが光のアイテムだとすぐに見破った。
瑞穂の眼力には、その棒が神聖な光を放っているのがはっきりと見えたのだ。
瑞穂は棒を手にした。そして叫んだ。
「悪魔ども覚悟しなさい!」
「きゃぁ!み、瑞穂が!」
佳織大絶叫だ、ああ何てこと、ジュンヤ助けて!
「あ、あの馬鹿!」
笹川は心の底から激怒した。あのデンパ、俺を巻き込むつもりかよ!
「た、大変だ、止めないと!」
国信は瑞穂を追いかけようとした。瑞穂を止めなければ、逃げなければ!
その国信の後ろ襟を笹川がつかんだ。国信は急ストップをよぎなくされた。
「馬鹿野郎、てめえまで出てどうする!」
「どうするって稲田を助けないと。見ろよ、敵は3人くらいだ、俺達みんなで力を合わせれば――」
「俺達だあ?国信、てめえ周りをよく見ろよ!!」
「う、うわぁ!嫌だ、俺死にたくないよ!」
赤松は泣きながら半分転びそうな姿勢で逃げていた。その赤松を突き飛ばす織田。
「逃げるのは俺が先だ!生き残るのは選ばれた人間だ、有象無象はさがってろ!!」
「ぼ、僕はいい学校に進学するんだ、こんなところで死んでたまるかぁ!」
元渕まで必死の形相で逃げている。
つまり笹川と国信以外の男子全員さっさととんずらを即決したのだ。
「ま、待てよ、皆!稲田を見捨てるのか、皆で戦うんだよ!」
「そんな馬鹿いるわけねえだろ、俺達もさっさと逃げるんだ!」
笹川は強引に国信を引っ張った。しかし国信は女の子を見捨てて逃げられる人間ではない。
「逃げるなら逃げろよ。俺は稲田を助けに行く」
国信は笹川の手を振り切って走った。瑞穂は今だに光の戦士気取りだ。
3人の男。その中で一番凶悪そうな人相をした奴(海老原竜也だった)、それが倒すべき悪魔。
「悪魔ルシフェル覚悟しなさい!」
瑞穂が手にした棒が変化した。刃渡り1mはあろうかという光の剣へと変化したのだ。
しかも瑞穂は背中に異変を感じた。
振り向くと天の使いの証とも云うべき白い翼が生えているではないか。
瑞穂は高く高く飛んだ。全身から金紫のオーラが放たれた。
「なんだ、あの馬鹿女は?」
そんな兵士の罵詈雑言も今の瑞穂には全く聞えない。
聞えるのは光の女神のお言葉のみ。
――ミズホ、その男です!その男こそ倒すべき敵、さあ聖なる剣で男の喉を一突きにするのです!
瑞穂は女神の言葉通りに凶悪そうな男に向かって突進した。
他の2名の兵士は男を守るように前に出た。瑞穂を撃退しようと云う気か?
(馬鹿な男達だ。騎士の名門であるあたしに歯向かおうなんて!)
「とりゃぁぁぁ!!」
瑞穂は叫んだ。その1.5秒後――拘束されていた。
「た、助けて、お願い命だけは勘弁してください!」
「俺達本当に何も知らないんです、だから許してください!」
雅信は必死の命乞いにも全く耳を貸さず黙々と非情な作業をしていた。
大木、倉元、旗上の3人を逆さまの状態で天井から吊るした。
今3人は足首にくくりつけられたロープによって蓑虫状態である。
しかし、そのロープの先に雅信はろうそくを設置している。
そして3人の首にはもう一本ロープがかけられいた。
つまり足首に巻かれたロープがろうそくによって断ち切られたら、たちまち首吊りであの世行きというわけだ。
さらに雅信はロープを6人分追加している。
「……これは貴様等の分だ」
比呂乃や友美子たちは顔面蒼白通り越して、もはや血の気が全く無い。
雅信は女でも容赦ない。間違いなく比呂乃たちですら吊るしてしまうだろう。
「死にたくなければ早く吐け……この炎がロープを燃やしきるのも時間の問題だぞ。
時間差は2分だ。1人目死亡は約5分後、2人目は7分後、3人目は9分後に死んでいく」
1番最初に死刑宣告を受けた旗上はもはや悲鳴すらでなかった。
もはや思考することさえ不可能な状態となり、すでに精神的には死刑執行されたも同然。
「……時間がない、4人目はおまえだ」
雅信は泣き叫ぶ加代子をロープで吊るし出した。
「……おいおい冗談だろ。あの猟奇男が来てるぜ」
双眼鏡片手に夏生は忌々しそうに呟いた。
「それで貴子さんは?杉村はいたのか?」
良樹は必死なって叫ぶように言った。
2人は今、五階建ての廃ビルの屋上に立っていた。
「どこにもいないな。けど、おまえのお仲間ちょっとピンチだぜ」
「ピンチ、どういうことだよ?」
「まあ見てみな」
夏生が差し出した双眼鏡を良樹は奪うように取りあげ、すぐに覗き込んだ。
ちょうど雅信は文世を5人目の犠牲者に選びつるし上げているところだった。
「な、何やってるんだ、あいつ!」
「みりゃわかるだろ。あいつはああいう拷問が大好きって性癖なんだ。
相手が泣こうがわめこうが女だろうが、平気であの調子なんだ、正直言ってぞっとするぜ」
「早く助けに行こうぜ、このままだと旗上が死んじまう!」
「あー?」
親しくは無いにしろクラスメイトの危機に、良樹は奮い立っていた。
だが反比例して夏生はまるで気が乗らないらしく、その場にしゃがみこんでしまった。
「おい夏生さん、どうしたんだよ?」
「……どうしたもこうしたもあるかよ。相手はあの猟奇男だぜ。
俺があいつに何をしたのか、おまえ忘れたのか?」
夏生は美恵を雅信から救った。雅信から見れば自分の女を奪った張本人だろう。
その夏生に雅信が恨みを抱いていないはずがない。
姿を現せば雅信の殺しの標的は一瞬で(それこそ0.01秒もかからずに)旗上たちから夏生に変わる。
「簡単には殺してくれないだろうなあ。おーこわ、想像しただけでぞっとするぜ。
俺は二度とあの猟奇馬鹿とは係わり合い持ちたくないんだよ」
夏生の言い分も最もだった。元々、自分達に係わってしまった為に雅信の恨みを買ったのだ。
かといってクラスメイトを見捨てるのは気持ちのいいものじゃない。
まして、あんな拷問を目撃してしまっては。
「わかるよ夏生さん、俺1人で助けに行くさ」
「やめとけやめとけ。死体が1つ増えるだけだ」
「だが……!」
夏生はどんと床に腰をおろし壁に背を預けた。
「可哀想だが連中は運が無かったんだ。相手はチンピラじゃない、政府だぜ。
いつかはこうなることは予測の範疇だっただろ。連中だって少しは覚悟くらいあるだろ」
その頃、旗上がひたすら『死にたく無い、死にたく無い、死ぬのは嫌だ』と念仏のように小声で呟いていた。
「おまえが行ったくらいで状況が好転すると少しでも思っているのなら、おまえどうしようもない馬鹿だぜ。
特撰兵士ってのは半端じゃない。全国数万人の頂点にいる人間なんだ。
俺もガキの頃からプロの訓練受けてきた人間だが、それでもあんな人間とはやりたくないんだぜ。
おまえなんて素人が行ったら確実に死ぬ。賭けてやってもいいぜ」
2人の会話が続いている間にも旗上の命の綱であるロープは切れる寸前になっていた。
そして文世に続き雪子が木に吊るされていた。
友美子が必死になって叫んでいた。
双眼鏡では叫び声は聞えないが何を言っているのか予想はついた。
おそらく雪子を吊るすなら自分を先にと懇願しているのだ。
「……日下」
俺1人行ったところで何もできない。何もできない、でも――。
「夏生さん、俺、やっぱり行くよ。
もし、あそこで吊るされていたのが俺の大事なひとなら勝てるかどうかなんて問題じゃない」
夏生は半分呆れ半分は複雑な感情で、「おまえ、ほんとに馬鹿だな」と言った。
「でも、そういう奴は嫌いじゃないぜ。短い付き合いだったが、おまえのこと忘れないでいてやる」
夏生は親指を立てて「グッドラック!」と笑顔を見せた。
「こっちこそ短い間だったけど、あんたには本当にお世話になったよ」
良樹も笑顔で応えた。
「迷惑ついでに貴子さんと杉村のこと頼む、あいつらだけは助けてやってくれよな」
「それならまかせておけ。貴子ちゃんの一生は俺が責任もって引き受けてやるぜ」
『一生』という単語が心に引っ掛かったが、夏生は嘘は言わない男だ。
貴子は大丈夫だ、それだけははっきりと確信できた。
(貴子さん――できれば、最後にもう一度会いたかったな)
良樹は、もう一度双眼鏡を目に近づけた。
「――あれは」
それは偶然だった。双眼鏡のレンズの世界に2人の人間が飛び込んでいた。
「本当におまえには頭が下がるぜ。俺は赤の他人のために死ぬ気にはなれないよ。
まして男助けるために血を流すなんて殊勝なことは全くする気になれないぜ」
「――あれは」
「なぜって俺は女ためにしか戦わない愛の戦士だか……」
「貴子さん!」
「なにい!」
「杉村と貴子さんだ!やばい、あのままだと、あの男に見付かっちまう!」
「貸せ!」
夏生は強引に双眼鏡を奪い取って覗き込んだ。
「た、貴子!!」
と、杉村が山道を下って中心街のはずれ出ようとしている。
あのままでは今まさに死刑執行場と化しているあのアパートのすぐそばに出てしまう。
そうなれば間違いなく死体が増える。
「すぐに助けに行かないと貴子ちゃんが殺される。行くぞ雨宮!」
「え、助けてくれるのか?!」
「当然だ、すぐに行く!」
「ありがとう夏生さん、すぐに階段を降りて」
「そんなんで間に合うか!!」
夏生は屋上をぐるっと囲っているフェンスを一気に飛び越えた。
「――嘘だろ?」
良樹はフェンスに飛びついた。
「な、何するんだ夏生さん……ここ、五階建てのビルの屋上だぞ!!」
「探せ、この辺りに逃げ込んだはずだ。あんなデブすぐに見付かるだろ」
それは赤松を地獄へといざなう悪魔の声に聞えた。
(ど、どうしよう。見付かる、もう時間の問題だ)
赤松は路地裏の隅に置かれていたゴミ箱の陰で震えていた。
その巨体はゴミ箱から僅かにはみ出ている。お世辞ではないが上手い隠れ方とはいえない。
路地裏が薄暗くなければ遠目からでもばれていただろう。
「おい、そこに誰かいないか?」
その言葉に赤松の心臓は大きく跳ね上がった。
(み、見付かった。も、もう終わりだ、俺の人生こんなものだ。
生きてたって、あの陰険な笹川に虐めぬかれるだけなんだ。
どっちしたっていいことなんか何も無い。俺、俺……生まれてこなきゃよかった)
「お、いたぞ。見ろよ、ゴミ箱の後ろに隠れてやがったぜ」
赤松は小さく悲鳴を上げた。恐怖で硬直した体ではもはや逃げる事すらできない。
ただ、その場にぺたんと尻餅をついた姿勢で崩れ落ちただけだった。
「よし確保しろ、へへ、おまえ運が悪いなあ。よりにもよって海老原さん相手なんて」
その平の兵士は意地悪そうに笑った。
「海老原さんは短気だからな、おまえ連行される前に殺されちまうかもしれないぜ」
兵士は赤松の髪の毛を鷲掴みにした。
「さあ行くぞ」
「ひぃ!」
がん、と小さな音がした。十字路の先から怪しい物音が聞えた。
「おい、あっちにも誰かいるんじゃないのか?おまえ見て来いよ」
1人がその場を離れた。相手は1人だが、それでも赤松にとって絶望的な状況は全く変わらない。
「さあてめえはこっちだ。大人しくついてこい」
赤松の頭に痛みが走った。
(も、もう駄目だ。俺、殺されるんだ)
赤松は泣き出した。その時、頭髪にかかった引力がゆるみ、兵士がその場に崩れ落ちた。
「え?」
赤松の足元にうつ伏せになっている兵士、何がおきたのか?
「何、ぼさっと見てるんだ。さっさと逃げるぞ」
見上げると笹川が鉄パイプを持って立っていた。
「え、さ、笹川……君?」
信じられないものを見た、そんな表情だった赤松は。
それこそUFOを目撃してしまった現実主義者のような顔だ。
「き、君、まさか俺を助けて……くれたの?」
「そんなこと話している場合じゃないよ赤松。さあ逃げよう」
国信もいた。国信は赤松の腕を取って引っ張り上げた。
瑞穂が拘束された直後に爆発が起きた。
瑞穂はそれを光の女神の守護だと確信していたが実際は違う。
このスラム街に隠れ住んでいたテロリストが攻撃を仕掛けたのだ。
海老原は、その荒っぽいやり方で反政府連中からは恨みをかっていた。
その恨みが、この一成逮捕で一気に爆発した。ねずみが猫に反撃開始したのだ。
爆音、爆風、そして炎、大混乱になった。
突然の人災から逃げていたが、幸か不幸か笹川とはぐれることはなかった。
そして偶然にも赤松を発見して2人で無い知恵を絞って助ける事にした。
国信が物音をたてて1人を誘いだし、笹川が背後からふいをついた。
「さあ今のうちに逃げるぞ」
「誰が逃げるだと?」
3人ははっとして振り向いた。いかにも非情そうな顔をした男がたっていた。
先ほど瑞穂が戦いを挑んだ男だ。あの爆発の中かすり傷一つ負って無い。
3人は全く同じ表情をして、ただ男を見上げていた。
「7人か、随分簡単につかまってくれたね」
薫はビルの屋上から携帯電話片手に、さも哀れむように囚われの国信たちを見詰めていた。
K-11に関するプロファイリングが薫の頭の中で再生されていた。
『奇妙な関係、それはどういうことだい美鈴?』
『上手く説明できないけど、あいつらは普通とは違うのよ』
薫の秘書兼恋人の妻木美鈴(つまき・みすず)は心理学の博士号を持っている才媛。
その彼女がK-11に関する全ての調書を手に難しい表情をしていた。
『彼ら妙に絆が強いのよ。でも、同じ思想を共有したゆえの団結意識でも、まして友情でもないわ。
共通の目的を持っているのは間違いけど、他の組織とは根本が違いすぎるのよ。
ただ、その目的を達成するまで手を組んでいるに過ぎない。
過ぎないけど、それまでは恐ろしいほど仲間意識が強固。
1人でも殺したら徹底的に復讐してくるタイプね。嫌だわ、こういう粘着質な連中は』
薫はほくそ笑んでいた。
『1人でも殺したら徹底的に復讐してくるタイプね』
「嫌な性格だと思うよ、僕も嫌いだね、そういうのは。でも、それが今回はプラスになるよ美鈴」
携帯電話が鳴り響いた。
「僕だよ美鈴、用意はできたかい?」
『ええ、後は映像を抑えるだけよ』
「感謝するよ美鈴。任務が終了したら2人で旅行に行こう」
薫は国信たち7人を双眼鏡を通して間近にみた。どう見ても素人顔ばかりだ。
「期待はしてないけど、もし、あの中にK-11の関係者がいたら……。
期待してますよ海老原先輩、せいぜい僕の為に役に立ってください」
海老原は国信たち7人に加え、5人捕まえていた。
海老原に爆弾攻撃を仕掛けてきた連中だ。
「おまえら誰だ?」
「……忘れたのか海老原竜也、たった2年まえの悲劇をもう忘れたのかよ!」
「2年前?」
「おまえはあれをもう忘れたのかよ、2年前、おまえは何をした!
俺の名前は生駒松男だ、おまえは俺の仲間を逮捕した。
だが癇癪をおこして連行命令に背いたおまえは何をした!
女まで……女まで、その場で独断で虐殺しやがった!」
「生駒……ああ海原と同盟を結んでいた小せえ組織だったな。
そうか、あの女、てめえの女だったんだな。
いい女だったから連行する前に楽しもうと思ったのに抵抗しやがって。
その復讐に俺を爆殺しようとしたわけか……むかつくぜ」
自分の命が狙われた。その事実が海老原を逆上させた。
「ふざけやがって……この場でぶっ殺してやるぜ!!」
「た、大尉……上からは国防省に連行しろと命令がでてます。
ここで殺したら後でうるさいですよ」
「うるせえ、俺が責任取る!すぐに死刑執行だ!!」
「『しけい・しっこう・だ』……か。そうそう、実に先輩らしい」
薫は読唇術で海老原の悪行を知った。そして小さくガッツポーズをした。
「やると思いましたよ。激情タイプの先輩のことだ。前例が何度もありましたからね」
これでいい、あの中に本当にK-11の関係者がいれば海老原竜也は奴らの仇になる。
奴らは必ず復讐に来る。海老原は連中の標的になるんだ。
僕はそれを待っていればいい。
こちらから、どこにいるかもわからない人間を探すなんて疲れる仕事はまっぴらごめん。
海老原先輩が囮になってくれれば、探すこともなくあちらから出向いてくれる。
頑張って僕のために囮になって連中をおびき寄せてくださいよ先輩。
先輩の仇は僕がとって差し上げますから、心置きなく成仏してくださいね。
「後は死刑執行の映像を美鈴が軍の裏サイトにアップすればすむだけだ」
「貴子大丈夫か?疲れているなら、おまえはここで待ってろ」
「馬鹿ね、週に三日しか道場に通ってないあんたと違って、あたしは毎日部活で鍛えてきたのよ。
体力はあんたに負けないわ。さあ、友美子たちを助けに行きましょ」
「ああ」
2人は雅信のすぐ近くにまで来ていた。その気配を雅信はしっかり感じ取っていた。
「……1人、2人……誰か来ている」
雅信はすくっと立ち上がった。上空には軍事ヘリが飛んでいる。
「……海軍のヘリ」
さらにジープのエンジン音が近付いてきている。
(……誰だ。誰だろうが俺の邪魔をする人間は許さない)
旗上を支えているロープの寿命が2分を切った。旗上の命の制限時間も。
「た、助けて、助けて母さん!」
もうなりふりかまわなかった、この場にいない母親にまで助けを求めた。
もちろん母の助けはなかった。そして、その間にもロープはちぎれようとしている。
「……そろそろ吐け。おまえには時間が無い」
「し、知らない!俺、何も知らない、いや知らないです!
だから助けて、殺さないでくれ!お願い、お願いです!」
雅信は元々短気な性格だった。
すぐに口を割ると思っていただけに、計算通りにいかなかったことが雅信の導火線をさらに短くした。
「……そうか、だったらおまえ達にもう用は無い」
雅信は怪しい機械を取り出すと床に設置しボタンをおした。
「……時限爆弾だ、1分後に爆発するようにセットした。喜べ、全員一緒に死ねる」
全員もはや精神的に向こうに世界にトリップしていた。
「……残り1分、せいぜい恐怖でのた打ち回って逝け」
そんな残酷な捨て台詞を残し、雅信は部屋を後にした。
雅信が死刑を最後まで見届けないのは切れただけではない。
海軍の軍用ヘリが来たということは、海軍の特撰兵士が来たということだ。
戸川小次郎、氷室隼人、佐伯徹、どいつもこいつも雅信が嫌いなタイプだった。
(もっとも雅信は惚れた女以外気に食わない人間ではあったが、特に海軍の人間は気に入らなかった)
そんな連中に、命令に逆らって拷問していることがばれたら間違いなく上に報告される。
そうなれば任務中に私事に走ったとして懲罰をくらうだろう。
独房入りの謹慎なんて事態になったら美恵
を探すこともできなくなる。
雅信は趣味よりも目的を優先させることにしたのだ。
そして口封じを断行したわけだ。
雅信も全く馬鹿というわけではない、愛する彼女に会うまでは余計なトラブルは避けなければならない。
雅信は部屋から出ると、ゆっくりとおんぼろビルの東側の階段を下りだした。
西側の階段を駆け上がっていた杉村と貴子が雅信に出くわさなかったのは不幸中の幸いだった。
「夏生さん、あいつ部屋から出て行ったぜ」
ジープの助手席から双眼鏡を手にした良樹は身を乗り出しながら叫んだ。
「貴子ちゃんは?」
「影も形も見えないぜ。やばい、旗上のロープが切れる!」
「ちっ、世話の焼ける連中だぜ。俺は男のために労力使わない主義だってのに」
夏生は立ち上がった。
「おいハンドル握ってろ」
良樹は慌ててハンドルに飛びついた。
フロントガラスに片足をかけると夏生は愛銃を構えた。
「あの化け物に見付かったら、おまえらのせいだからな」
夏生は連続して銃弾を9発はなった。
サイレンサー付銃でなければ、さぞかし良樹は鼓膜に強い刺激を感じたことであろう。
銃弾は正確に9人の首にかかっている死神のロープに命中していた。
夏生はガンマンを素早く入れ替えると、再び9発の銃弾を放った。
今度は足首を拘束しているロープが切れた。全員同時に床に落下。
そのすぐそばには時限爆弾が不気味に時を刻んでいる。
もう時間がない。全員、必死になって足にからみついているロープをほどきにかかった。
「ほ、ほどけない。友美ちゃん、ほどけないよ」
「雪子しっかり、ちょっと待ってて」
友美子は机の引き出しからナイフを取り出した。
雪子の足の自由を奪っていたロープが取り払われた。
「こ、こっちだ、早くこっちのロープもほどいてくれ!」
「ちょっとこっちが先よ、早くロープを切ってよ!」
パニックになっていた。焦りと恐怖が入り混じった絶叫だけがこだましていた。
「友美ちゃん、どうしよう解けないよ」
雪子は泣きそうになっていた。その時、ばたんと扉が開いた。
「大丈夫か、おまえたち!」
杉村と貴子だった。2人はすぐにクラスメイトたちのロープを解きだした。
「時間がない、すぐに逃げるぞ」
杉村が警告するまでもなかった。全員、我先にと部屋を出ようと走り出した。
逃げなければ、ほら時限爆弾は臨界点突破だよ。
「爆弾が爆発する!」
大木が叫んでいた。
「なんだと?!」
大木が貴子の足元を指さしていた。確かに妙な小型の機械が置いてある。
「くそ!」
杉村は滑り込むように爆弾を手にした。逃げる時間はない、廊下のはるか向こうに思いっきり投げた。
爆弾は廊下の端までとんでいき、窓に跳ね返って床に落ちた。
「逃げろ、早く逃げるんだ」
かっと閃光が廊下から一気に広がり、おんぼろアパートが激震した。
「……あの音、範囲限定タイプの時限爆弾だな」
軍事ヘリに搭乗していた戸川はヘリの扉を強引に開いた。
下方に視線を向けると、おんぼろアパートの天井にぽっかり穴が空いている。
「下降しろ」
「はい大尉」
廊下の天井から窓際の壁の大半が半分なくなっていた。
「これじゃあ、この階の人間は全滅ですね」
泪はさらっと言ってのけた。
「全滅だと、おまえにはこの気配がわからないのか?」
「生きてるんですか?」
爆煙が風によって吹き払われた。廊下にぽっかりと大きな穴空いている。
かろうじて西側の階段は残っている。
そして抜け落ちている廊下の穴の端に2人の人間が必死につかまっていた。
「た、助けてくれ!」
倉元だった、そしてもう1人はよりにもよって杉村弘樹。
あの爆発の瞬間、杉村は1番最後に部屋から出た倉元をかばった。
倉元が廊下と共に崩れ落ちる瞬間、咄嗟に引き返し突き飛ばしたのだ。
おかげで倉元はかろうじて落下を免れたが、同時に杉村も巻き込まれる羽目になった。
しかも爆弾の余波は終わりではない。二次災害はすぐに始まろうとしていた。
元々もろかったボロボロの建物だ。爆発のショックで、全壊への秒読みが始まろうとしていた。
屋根がぼろぼろと崩れ出していた。時間の問題だった。
「く、崩れる!」
階段のそばにいた加代子が真っ先に、続いて大木や文世が階段を駆け下りだした。
「ちょっと、あたしが1番先よ、ふざけるんじゃないよ!」
比呂乃も旗上も、それに続く。
「友美ちゃん、私達も早く逃げようよ」
雪子が友美子の袖を引っ張り必死に促した。
「で、でも……でも杉村君と倉元君が」
残っているのは貴子と好美、そして友美子と雪子だけだった。
「早く逃げないと私たちまで死んじゃうよ、ねえ友美ちゃん……きゃあ!」
天井の一部が崩れ、それが雪子の頭部を直撃仕掛けた。
おんぼろアパートは全壊というジ・エンドを迎えようとしていたのだ。
もう杉村と倉元に同情している余裕はなかった。
クラスメイトを見殺しにするのは忍びなかったが、親友の雪子ははるかに大事な存在。
「ごめん杉村君、行こう雪子」
ついに友美子と雪子も階段を駆け下りた。無情だが人間とはそういうものなのだ。
聖職者でもない限り、赤の他人のために命なんか簡単にかけられない。
今だにこの場に残っている貴子と好美だって、相手が大事な人間でなければ逃げていたかもしれない。
その2人と、杉村や倉元の間には距離があり、今も天井が崩れ大小の瓦礫の山を築いている。
杉村たちを助ける為には、この瓦礫の雨の中を突進しなければならない。
それは命の終わりに直結する自殺行為でもある。
「何をしている好美!!さ、さっさと……さっさと助けに来いよ!!」
倉元が見苦しいまでに叫んだ。
好美は足元が震えている。助けたくても、恐怖がそれを邪魔している。
廊下どころか、階段の真上の天井まで崩れ出したのだ。
「何をしているんだ貴子!」
「早く逃げろ!おまえも早く逃げるんだ、俺なんかかまうな、逃げろ、逃げてくれ!!」
「弘樹!」
貴子の真上が完全に崩れた屋根ごと落下。
「た、貴子!!」
危なかった。ぎりぎりで2人を避けていた。
だが、好美は完全に動揺して心神喪失状態になって階段を駆け下りた。
「よ、好美、この裏切り者!てめえ覚えてろ、絶対に後悔させてやる!」
「貴子、おまえも早くしろ、でないとおまえも死ぬ、逃げろ、逃げるんだ!!」
貴子は逃げなかった。
崩れ落ちた天井をぞっとした目で見詰めていたが、やがて覚悟を決めたように、きっと杉村を見詰めた。
「……あの女」
「大尉、離れましょう。崩れ落ちます。巻き添えになる前に操縦士に命令を出してください」
泪が心配そうに進言した。
「あの女、飛び出すぞ」
「まさか逃げますよ」
この状況では男を助けるどころではない。避難しなければ自身が危ないのだ。
「おまえは死を覚悟した女の目を見たことがないのか?」
「え?」
「無ければ黙ってろ」
「弘樹!」
貴子は瓦礫の雨の中をスタートダッシュを切っていた。
「貴子さん!危ない、何をする気だ!」
双眼鏡を握っていた良樹は悲鳴に近い叫び声を上げた。
「こうなったらジープごとアパートに突っ込んでやる!」
夏生はハンドルを握り締めた。と、そこに今1番会いたくない人間が!
「な、鳴海雅信!」
雅信はやや俯き加減にだるそうに歩いていたが、夏生の大声に顔を上げた。
そして夏生を見るなり、ぎらっと鋭い目つきに変化させていた。
「貴様は、あの時の――」
「やばい――」
「俺の……」
「俺の女を返せ、貴様を殺してやる!!」
悪魔の追走スタート。銃声が派手に開始のファンファーレを奏でた。
「あの声は鳴海?おい双眼鏡を寄こせ」
戸川は双眼鏡を覗き込んだ。2人の男が視覚に入った。
「あの男、どこかで見たような気が……まさか!」
戸川はいったん双眼鏡を下げた。
確認する為に、もう一度目の前に双眼鏡を持ち上げた。
「どういうことだ。なぜ、あの男がこんな場所にいる!」
【B組:残り45人】
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