「ついだぞ。気合入れろよ、雨宮」
「ああ、わかってる」
雨宮と夏生を乗せたセスナは草ぼうぼうの空き地に降り立った。
「例のスラム街はここから二キロ先だ。急ぐぞ」
2人は走った。夏生はちらっと後ろを振り向きにっと笑みを見せた。
(俺にぴったりついてくるなんて素人にしてはやるじゃないか。
貴子さんと杉村を助ける為に必死になりやがって。
けど杉村はともかく、貴子さんを助けるナイトの役は譲るつもりはないぜ)
夏生はぐんとスピードアップした。
(速い!引き離されてたまるか!)




鎮魂歌―17―




「木下さんたちが隣の県のスラム街に?」
「ええ、最近、政府の連中が手当たり次第にスラム街で反逆者狩りをしてるのよ。
ただ危険思想を持っているだけって無罪の人間まで有無を言わさず逮捕なんだって。
本当にあいつらむかつくわよ。この国の人間根絶やしにするつもりなのかしら?」
海原グループが壊滅した後、木下は独自で新しい組織を立ち上げた。
しかし組織というにはお粗末なほど人数が少ない。
それでも数少ない部下たちを、むざむざ囚われの身にするわけにはいかない。
そこで木下は部下を守る為に、政府軍が侵攻したとの情報がある隣県のスラム街に急遽出かけることになった。
美恵達の居場所がわからない以上、彼らがとった行動は荒々しいものだった。
潜んでいそうな場所を片っ端から捜索、そのついでに住人達は逮捕されまくっているのである。


自分達のせいで……美恵は瞬時に暗い気持ちになった。
「ごめんなさい加奈さん。このままここにいたら加奈さんにまで迷惑がかかる、やっぱり……」
「何よ、弱気にならないで。言ったでしょ、お兄ちゃんは凄く強いんだから。
だから気にしないで。特撰兵士が10人かかってきたってお兄ちゃんは負けないわよ、保証するわ」
加奈は冗談ではなく本気だった。心底兄の実力に自信を持っているのだろう。
美恵が心配しているのは木下達だけではなかった。


クラスメイト達を助けに行った良樹は?三村は?七原達は大丈夫だろうか?
何より親友の貴子と月岡は無事逃げ切れているだろうか?
(光子は夏生の元にいるから安全だろう。それだけはほっとしている)


(皆……お願い無事でいて)














「本当にテロ組織と関係のある連中なのか?」
「さあな、知るかよ。薬師丸中佐に逮捕された連中は今頃科学尋問の真っ最中だろ。
水島大尉に逮捕された2人組も国防省に連れていかれて尋問だろうぜ。
大尉は容赦ないからなあ。女だろうが拷問くらいするぜ」
雑兵たちの他愛の無い会話を、ぴりぴりした神経で聞き入っているコンビがいた。
雑兵たちの斜め後ろ5mの土管の陰にだ。


「シ、シンジ……もう全員捕まったって、どうしよう」
「うろたえるな豊、最後まで話を聞くんだ」
泣きそうな表情でうろたえている豊、その豊の肩に手をおいている三村。
「だってシンジ。もう捕まったって」
「黙って聞くんだ豊。まだ2人残っているだろ。
捕まったが連行はされてないんだ。なんとか2人を見つけて助けよう」
三村は力強く言い切った。その強い口調は震えていた豊に勇気を与えた。
「頑張ろうぜ豊。金井を助けるんだろ?」
「うん……!シンジ、俺頑張るよ」
三村は独特の笑みをニッと浮かべた。
「よし!」
三村は立ち上がった。
「行くぜ豊、まずは2人の居場所を突き止めるんだ」
三村は土管の上に手をおくと、そのままひらっと土管を飛び越えた。


「おい、そこのおっさん」
雑兵達ははっとしてくるりと振り向いた。
「色々、話を聞かせてもらうぜ!」
三村は猛然と雑兵たちに飛び掛って行った。














「大尉、この地区にはもう連中の仲間とおぼしき人間はいないようです」
「大尉、ご命令通り、反政府組織がひそんでいそうな街のリストを作成させておきました」
「大尉、未確認情報ではありますが目撃情報がいくつか入ってます」
戸川は3人の部下達の報告を同時に聞いていた。
聖徳太子は10人の人間の言葉を同時に聞き分けていたという、それに比べたら3人は大したことない。
戸川は目を閉じて、ただ腕と脚を組んで静かに椅子に座っていた。
全ての報告を聞いた後の戸川の行動は素早かった。
「白州、おまえはここに行け」
戸川は地図を広げると指を指した。
「了解」
「反町、おまえはここだ。史矢、おまえはここだ」
「了解しました」
「了解したならさっさと飛べ!軍事ヘリで早急にだ、他の特撰兵士とは接触しないように細心の注意を払え!」


――克巳は涼に出し抜かれた。俺はそんなまぬけはごめんだ。


「大尉ご自身はどうなさるのですか?」
泪の質問に戸川はナイフを取り出すと地図につきたてた。
「すぐにヘリで飛ぶ、おまえも着いて来い。K-11がお出ましになったら俺が直接戦う。
その時は、その目でしっかり俺の戦闘を見ておけ」
ナイフが突き刺さっている箇所、それは杉村や貴子、そして夏生と良樹が向かっている場所だった。














「遅いわねえ。ああ!もう、いやになっちゃうわ、いっそとんずらしちゃおうかしら?」
「おいヅキ、そんな薄情なこというなよ」
おたおたする黒長、そんな黒長を見て月岡は「うふふ」と笑った。
「相変わらず1人じゃなにもできないのね博君は、うふふ」
そんな2人の様子を四階建てのビルの屋上から見ている男がいた。
特撰兵士の菊地直人だ。

(不気味な男だ。今まで俺が見てきた男とは違う意味で不気味だぜ)

真面目な直人に月岡の性癖は直視するのは難しいものだった。
だが好き嫌いで任務は選べない。
「逃走ルートは絶っておかないとな」
直人は屋上から飛び降りた。


「え?」


空から物音、何事?月岡は視線を上に向け、そして呆気にとられた。
月岡の瞳の中で、少年があっと言う間に拡大していった。
そして、車のボンネットに落下の衝撃が走った。
「ぎゃああ!!」
突然の出来事に黒長は思わず月岡に抱きついた。男に抱きつかれるなんて生まれて初めての体験だ。
(もう!アタシを抱きしめていいのは三村君だけよ!)




「なんて言ってる場合じゃないわぁぁ!!」




あの胡散臭い色男じゃない!そうよ、さっき見た顔よ!
危険人物に違いないわ!


月岡の第六感が告げていた。
もっとも空から降ってきた時点で十分危険だと黒長でも察知できるが。
普通の民間人なら絶叫するのが精一杯だっただろう。
現に黒長は今もムンクの叫び状態で顔面蒼白になっている。

「博君、つかまってなさいよ!!」

しかし月岡は民間人だが普通の人間ではない。むしろゲテモノ、いや女王様なのだ!
相手が誰だろうとびびって大人しくしているなんて、アタシの性に会わないわ。
月岡はギアをバックにいれアクセルを踏み込んだ。
さらにハンドルをこれでもかと回転、車が急激にターンする。
間髪いれずにギアをファーストにいれ、再度アクセルを踏み込んだ。
車は開店したばかりの飲食店に突っ込んだ。ガラスが一瞬で粉々に割れ辺り一面に飛び散った。
これだけ盛大に激突してやったのだ、あの胡散臭い色男も当然無傷では済まないはず。
全身打撲、運が悪ければ即死しているはずだ。
「どうよ、アタシに逆らった当然の報い。おほほほほ!」
ヅキは得意げに親指と小指を立てた拳を頬に添え思いっきり高笑いした。

「お、おいヅキ」
「何よ、待ってなさい、アタシが勝利のダンスを!」



「あ、あいついねえよ」



小さな小さな一言だった。だが、その一言が月岡の奇声をぴたっと止めた。
「え?」
月岡は油の刺してないロボットのように、ぎぎぎとぎこちない動きで首だけ動かして前方を見た。
「あ……あいついねえよ。ほ……ほら……」
黒長も月岡同様ぎこちない動きで、意志の無い操り人形のようにゆっくりと右腕を上げた。
指さしている先にはボンネットの上にいるはずの男が影も形もない。
「……い、いないわ。……ど、どうして?」
月岡と黒長はゆっくりと顔の角度を変え、お互いの顔を見詰め合った。
どちらも信じられないと顔にでかでかマジックで書いているとしか思えない表情だ。
そして二人揃って呟くように言った。


「「どこに行ったの(んだ)?」」


ドンッ!!
衝撃が再び舞い降りた。今度は2人の真上だ。
「きゃぁ!!」
今度は月岡が絶叫していた。
「ヅ、ヅヅヅヅヅヅキぃ!は、早く車だしてくれぇ!!」
黒長が要請する前に月岡はギアをバックにいれアクセルを踏んだ。


なんて奴、なんて奴!あの一瞬で飛びあがって激突避けたんだわ!!
そして、そして今……アタシ達の頭の上にいるぅ!!


その事実が月岡を動転させた。とにかく、振り落とさなければ!
月岡はギアをトップにいれた。車はぐんとスピードアップした。
それだけじゃない月岡はハンドルを左右に何度も回転、車は激しく蛇行する。
「ヅ、ヅキ!じ、事故る、事故るよ!!」
黒長は必死に座席にしがみついた。それでも体は激しく揺さぶられている。
「落ちろ!さっさと落ちなさいよ!!」
月岡の決死の蛇行運転は続いた。だが車の上から何かが落ちる気配は全く無い。
「どうして、どうして落ちないのよ!こっちの都合考えない男は嫌いよ!」




「気が合うな。俺もおまえのような男は嫌いだ」




「失礼なこと言わないでよ、アタシは女よ!!」
恐怖のハンターから逃亡中だというのに、痛いところをつかれて月岡の頭の火山が大爆発した。
「お、おいヅキ……」
ゆでだこのようになっている月岡と反対に黒長は極寒地獄に落ちたように青くなっていた。
「ゆ、許せないわ!こんなレディをつかまえて!」
「お、おいヅキ……」
「土下座だけじゃすまないわぁ、堂々と姿現しなさいよ、きー!!」
「お、おいヅキぃ……!」
「ああ、もううるさいわね。何よ、さっきから!」
「……さ、さっきの声」
「声がどうしたのよ!」


「……う、後ろから聞えた」
「え?」


月岡と黒長はゆっくりと首を後ろに動かした。
そして2人は全く同じ表情で硬直した。


「お望み通り姿を現してやったぜ。これで満足か?」


直人が、まるで会社役員がソファにふかぶかに座るかのように後部座席にふんぞり返っていた。















三村の突然の登場に、雑魚兵士2人は一瞬呆気にとられた。
とられはしたが、雑魚とはいえ一応訓練をうけたプロの兵士。すぐに戦闘態勢にはいった。
「なんだ、てめえは。もしかして反乱分子か!」
兵士の1人が武器を手にした、それを見た豊は絶叫。
「シ、シンジが殺されちゃうよ!!」
「豊、何悲観してるんだよ。忘れたのか?」
三村は豊を安心させるかのように、親指をぐっと突き上げた。
「俺は最強無敵なんだぜ」
あの独特の笑みが豊を妙に安心させた。


(シンジ、笑ってるよ)
その笑顔が一瞬で鋭い眼光を放つ男の顔に変化した。
手にした銃が向けられる前に、男の腕に三村の鋭い蹴りが入っていた。
「て、てめえ!」
もう1人がナイフを突き上げてきた。
「おっと危ない!」
三村はとっさに後ろに下がった。やばいやばい、反応が遅かったらこのハンサムな顔に傷が入るところだったぜ。
「今度はこっちから行くぜ!」
三村の鉄拳が男の鳩尾に盛大に炸裂した。
二人組はさらに一発ずつ急所に三村の蹴りを入れられダウンした。
それでも雑魚とはいえ一応は訓練を受けた兵士とあって立ち上がろうとした。
だが2人は途中で動きを止めた。
最初の1人が蹴りを入れられたときに思わず落とした銃を三村が向けていた。


「動くな。動けば容赦なくやらせてもらうぜ」
もちろん2人はぴくりとも動かない。鈍い光を放つ銃口が睨みをきかせていた。
「う、撃つな。殺さないでくれ!」
銃の恐怖がよほど効果を発揮したのか、2人は途端に大人しくなった。
「豊、もう出てきてもいいぜ」
豊ははっとして土管の陰から飛び出してきて三村に寄り添うように駆け寄った。
「俺達は聞きたいことがあるんだ。教えてくれさえすれば命はばっちり保証してやるぜ」







「なるほどね。じゃあ女子が2人つかまって護送車にいるんだな」
「シンジ、金井かな?」
「さあな。どっちにしろ俺達の大事な仲間なんだ、助けに行こうぜ豊」
「うん!」
三村と豊はすぐに助けに向かった。発車される前に2人を解放するのだ。
後にはさるぐつわをされロープでぐるぐる巻きにされ土管に放り込まれた2人組が残された。














誰もいるはずの無い後部座席に鬼さんがいた。

「きゃぁぁぁぁ!!」
「ひぃぃ!殺されるぅ!」

月岡と黒長は恐怖のあまり抱き合った。男同士の抱擁は絵的にも美しくない。
「ヅ、ヅキぃ!何とかしてくれよ!!」
「男ならあなたが何とかしてよ!アタシ犯されちゃうわ、助けて三村くーん!!」
直人の口元が不機嫌に引き攣った。ある意味、敗北以上の屈辱だったのだ。
しかも月岡はハンドルをはなしているではないか。
制御を失った車はコンクリートの壁に向かって一直線だ。
「前くらい見ろ」
直人は半ばあきれながら冷たく言い放った。
「え?」
反射的に前方を見た月岡は再び悲鳴を上げた。
同時に熱い抱擁をかわしていた黒長を突き飛ばす。


(アタシとしたことが!ああ、何やってんのよ!)
月岡は全力でハンドルを切った。切ったが曲がりきれない。
「ふん、所詮は素人か」
直人は肘鉄で窓を突き破ると外に飛び出した。
空中回転しながら銃を取り出し発砲。タイヤがパンと大きな音を発しながら破裂した。
車が大きくバランスを崩し横転。路面と摩擦し派手に火花を放ちながら道路を滑った。
コンクリート壁に激突する寸前。まさに20㎝手前でストップした。


「と、止まった……止まったよヅキ」
「そ、そうね博君。よかった……助かったわ」
ばりんと音がした。運転席の窓ガラスをつき抜け、腕が月岡の首に伸びてきた。
叫ぼうにも喉に強い圧迫感を感じ呼吸さえままならない。
そのまま月岡は車外に強引に引きずり出された。
黒長にとっては悪夢のシーンだ。映画エイリアンの一場面を思い出すくらいに。
恐怖のSFホラーだった。だが今迫っている恐怖ははるかにレベルが上。
黒長はあまりの恐怖に動く事すらできなかった。


「ひっ、ア、アタシを殺す……の?
お願いだから……お、お願いだから殺すなら顔だけは傷つけないで!!」
直人は氷を見るような目で月岡を睨みつけた。
「勘違いするな。おまえを生かすか殺すかは国防省の上の連中が決める事だ。
俺はおまえを逮捕して尋問するだけだ」
「じ、尋問ですって?」
「おまえ達の正体についてだ。俺は遠まわしなことは言いたくないから、はっきり言うぞ。
おまえ達はK-11と関係あるのか?」
月岡はきょとんとした、『K-11』なんて初めて耳にする単語だ。
「な、何よ、それ?」
「ここ一年で派手に登場した謎の反政府組織だ。
総統陛下の弟まで殺しやがった。
このままだとブラックリスト№1のNやFを抜いてトップに躍り出るとまで言われているくらいだ」
月岡にとっては寝耳に水だった。

テロリスト?K-11?何よ、それ?

「し、知らない、知らないわよ、そんな連中!」
「それは取調室で聞く。本当に関係無いなら、ただの不法入国者か、それともスラム街で生まれ育った無戸籍者か。
どっちにしろ貴様らを囲いから脱出させた上に、政府からかくまった奴がいるはずだ。
国防省を出し抜いたんだ、間違いなくプロ中のプロ」
月岡の額を汗が流れた。夏生だ、間違いなく夏生の存在がばれている。
(ま、まずいわ。このままだと拷問されて夏生さんのこと吐いてしまう。
アタシは義理堅い女なのよ、そんなのごめんだわ!)
月岡は発炎筒を握り締めた。運転席に備え付けてあったやつだ。
「これでも……くらいなさいよ!」
赤い煙を噴出している細い筒を直人の顔に投げつけた。
が、直人は簡単に受け止めてしまった。


「あら?」
「気が済んだか?茶番はこれで終わりだ」














「みろ豊、あの中だ」
鉄格子付きの車窓が物々しい大型車が停止している。
見張りは2人、筋肉質ではあるが見るからに雑兵だ。
ラッキーな事に銃も所持してないようだ。チャンス!
「豊、おまえは誰かこないか見張ってろ。いいな?」
豊が頷くと三村は飛び出した。雑兵たちは何事かと振り向いた。
だが振り向いただけだ。戦闘態勢をとる前に三村の攻撃を受け2人は転倒、そのまま意識を失った。
もちろん見張りを倒したからって、のほほんと喜んでいる暇は無い。
三村は車に駆け寄り鉄格子を握り締め叫んだ。車内には3人の女性が俯いて座っていた。


「俺だ、三村だ!無事か?!」
三村の声に車内にいた2人の女子が反射的に飛びついてきた。
「三村君!」
幸枝とはるかだった。
「委員長、谷沢!良かった、無事だったんだな!」
豊も飛び出してきた。
「金井!金井はいないの?」
「泉とは別行動だったの」
幸枝の返事に豊はしょぼんと落ち込んだ。
でもすぐに、「でも委員長達だけでも助ける事ができた良かったよ」と笑って見せた。
「金井たちだって、これから救出方法考えてやればいいんだから」
「そういうことだ。待ってろ、すぐに助けてやるよ」
三村は雑兵の腰にぶら下がっていた鍵をしっけいすると、すぐに車の鍵を外した。


「さあ逃げようぜ」
「うん、ありがとう三村君、瀬戸君」
幸枝とはるかは絶望感の底にいただけに、本当に嬉しそうだった。
「さ、早くとんずらしようぜ、お嬢さん方」
その時、三村は車の奥にもう1人女がいることにやっと気づいた。
「委員長、彼女は?」
2歳?それとも3歳くらい年上だろうか?色っぽい大人の女性だ。
「私達の後にこの車に連れ込まれたひとなの。多分、ここの住人だと思うわ」
「……そうか」
俺達の巻き添え食って一緒に捕まっちまったんだ。
三村は申し訳ない気持ちから、「おねえさん、一緒に逃げようぜ」と声を掛けた。
その女性はちらっとこちらに顔を向けた。
年上の女性と付き合った経験もある三村だったが、その三村から見ても大変な美女だった。




「……私を助けてくれるの?」
「ああ、元々俺達のせいだからな。これくらい罪滅ぼしだ」
三村は左手を差し出した。美女に対する礼儀はわきまえている。
「……そう」
美女はすっと右手を出し、三村の手に自らの手を重ねた。


「いい子ね坊や、こちらこそ感謝するわ」


怯えていた表情の美女の目つきがギラッと変化した。
同時に三村の手を強く引く、三村の体は一気にバランスを崩し三村は前のめりになった。
何とか体勢を立て直そうとする三村、だが背中に強烈な衝撃が走った。
「甘いのよ、おまえ」
女の肘打ちが三村の背中に決まっていたのだ。


「な、何者だ、おまえ!?」
「まさかとは思ったけど、仲間を助ける為にのこのこ出てくる馬鹿がいたとはね」


これが先ほどまでびくびくと泣き沈んでいた女か?
あまりの変貌振りに一瞬虚をつかれたが、三村はすぐに気持ちを切り替えた。
この女、敵だ!容赦するな!
三村は立ち上がろうとした。ところが、女は三村の腕をつかみ肩の付け根を押さえつけてきた。
これでは立ち上がれない。
「そんなシンジが女の人に」
豊は夢を見ているようだった。三村はいつも強くてかっこよくて豊にとってヒーローだったのだ。
「女だから勝てると思って?馬鹿にしてくれるわね、そこのおちびちゃん。
私はプロの工作員よ。あんた達坊やとはレベルが違うわ」


「舐めないでちょうだい」


(プロの工作員だと?つまり俺に負ける気は全くないってことかよ)
三村は判断力の早い男だった。女だからって甘く見るべき相手では無いとも悟った。
(俺は所詮民間人だからな。だが豊たちだけは逃がさせてもらうぜ、おねえさん)
三村は体を半回転して女の腕から逃れた。
「舐めてるのはどっちだ、油断しすぎだぜ!」
三村は猛然と反撃に出た。こっちは叔父直伝の実戦での格闘技を習ったんだ、素人なんかじゃない。
相手の襟をとり、一気に力でねじ伏せる作戦に出た。
(体格上、パワーでは男の俺のほうが上だ)
だが女の手元がきらっと光った。三村ははっとして身を引いた。


「あら、案外反射神経はいいのね」
女はナイフを握っていた。そうだ、実戦は素手だけでないのだ。
2ヶ月前の三村なら、武器込みの殺し合いってやつに動揺していたかもしれない。
しかし今の三村はプロから直接1ヵ月以上も実戦を想定した訓練を受けてきたのだ。
ナイフくらいでびびっている暇もない。三村はちらっと豊たちを見詰めた。


「豊、委員長たちを連れて逃げろ」
「シンジ?」
「俺がこの女と戦っている間に逃げろ」
「で、でも……でもシンジ」
「俺のいうことが聞けないのか豊!おまえも男なら委員長たちを守るんだ!!」


そうだ、俺1人じゃない。委員長と谷沢さんのことも考えないといけない。
豊は、「逃げるんだよ、さあ早く!」と2人を促し走り出した。
幸枝とはるかも豊の後に続いて走り出した。
「そうだ、それでいい」
豊たちの姿が小さくなるのを見届けた三村はにやっとあの独特の笑みを浮かべた。




「さあ、戦闘再開といこうぜ、おねえさん。女だからって容赦しないぜ」
そうと決めた三村は有言実行だ。女だからといって油断も手加減も決して無い。
「その綺麗な顔を傷つけられたくなかったら、今のうちに退散しろよ」
「おまえこそ、その顔ぐちゃぐちゃにされて女にもてなくなる前に大人しく逮捕されなさい」
「……口の減らないおねえさんだな。俺の心配より自分の心配しな!」
三村は蹴りを繰り出した、鳩尾に一発決めてやる。
女相手に蹴りなんていい気はしないが、幸か不幸か、この女は、優しくしてやる要素はない。
三村の蹴りが女に到達する前に空中でぴたっと止まった――。
「……な!」
三村の渾身の力を込めた脚を止めたのは、たった2本の指だった。
三村は信じられないものを見た。たった2本の指にだ。




「俺の大事な恋人に何しようとしてるんだい、坊や?」




女の前に男が立っていた。一体、いつの間に?
三村はぞっとした。何も感じなかったのだ、動きも見えないし、気配も全く読めなかった。
何も無い空間からフッと現れたように男が一瞬で姿を現したのだ。
しかも男は三村から視線をはずし、女の方に手を差し伸べた。
女はすぐに駆け寄り、男に寄り添った。
「克巳」
「愛しているよ真知子」
三村はこれ以上ないくらい顔を引き攣らせた。

(な、なんなんだ、こいつら)

「克巳の言うとおりだったわ。囮にまんまに騙される馬鹿がいてくれたわ」
「そうだねえ。それより真知子、俺のお願い、もう一つきいてくれるかな?」
「水くさいこと言わないで。あなたの為なら何でもするわ」
三村の口元がぴくぴくと微妙な動きをみせた。
「嬉しいよ真知子、やはり俺が心底頼りにできるのは君1人だ」


「おまえらいい加減にしろ!俺を無視して喋るな!」


「そうかい。じゃあ真知子、君はあの3人を追いかけてすぐに捕獲してくれないか?」
三村の顔色が変わった。
「そうはさせるか!」
三村は腕を腰の後ろに回した。出来ることなら使いたくなかったが仕方ない。
木下の指導でそれなりに馴染んできた銃がベルトに差してあった。
だが今まで撃ってきたのは動かぬ的、今度の相手は敵とはいえ生きている人間なのだ。
それが心にひっかかって今ひとつ自信が持てなかった。
しかしもう自信があるかどうかなんて計算している余裕は無い。


「動くな!動けば容赦なく撃つぞ!」
銃の登場で戦局に何か動きがあるはずだと睨んだ三村だったが、真知子は全く動じない。
それどころか、「克巳、また後で」で、頬にキスをすると三村を無視して走り出した。
「待て!撃たれたくなかったら止まれ!」
「さっさと撃ったらどうだい?」
水島は、まるで「君、口だけなんだろう」と言わんばかりにほくそ笑んだ。
その忌々しい笑みが三村の闘志に火をつけた。


「お望み通りにしてやるぜ、死んでも後悔するなよ」


三村は水島に銃口を向けた。この距離ならまず即死だろう。
人殺しなんて気持ちのいいものじゃない、だが最初に仕掛けてきたのはそっちのほうだ。
こっちにも守らなくてはいけない人間がいるんだ。
三村は引き金にかかっている指にぐっと力を込めた。
その瞬間、すぐ目の前にいた水島が消えた。
三村の両目が大きく拡大した。


消えた?!バカな、いや違う体を沈めたんだ。


そう気づいた三村が銃口を下に向けようとした時には、下方から蹴りが猛スピードで急上昇していた。
衝撃が三村の手に走り、銃が空中に放り出されていた。
くるくると何回転もしながら銃は落下。
無情にも水島の左手の中に納まっていた。水島は手の中の銃をくるりと回転させる。
銃口が三村の額を真っ直ぐ見詰めた。


「三村信史だな。君には聞きたい事がある」
三村の頬を伝わる汗が顎でいったん止まり、直後ぽたっと地面に落ちた。
「K-11を知っているか?」
「知るか、聞いた事も無いぜ」
三村は平然を装って答えた。この動揺を悟られてはならない、絶対に。
「桐山和雄と川田章吾はどこにいる?おまえ達をかくまった人間は誰だ?」
三村は答えられなかった。


「その銃は誰に貰った?おまえ達を脱出させ1ヵ月以上も政府の目から隠し通すなんてプロの仕事だ。
言え、どこの誰だ?反政府組織か、それとも中央政府にたてついている地方自治省か?」
「随分と馬鹿にしてくれるんだな。俺がご質問されて、はい答えます、なんて言う男に見えるのかよ?」
「そうか、では――」
水島は銃を三村の頭に思いっきり振り落とした。
三村の意識がぷつっと途切れ、そのまま地面にどさっと倒れた。
「国防省の取調室でじっくり楽しい会話をさせてもらおうかねえ」
携帯電話がラブソングの着信音を奏でた。
「やあ真知子、捕獲したんだね。ご褒美にしばらくは君のところに泊まってあげるよ」














「おい昼飯まだかよ」
旗上がぴりぴりした口調で女子たちに言った。
「あ、ごめんなさい。すぐに用意するわ、雪子、手伝って」
「う、うん」
友美子は雪子を連れてキッチンに姿を消した。
あの不可解な事件から1ヵ月以上たつが、このグループで平素の精神でいたのは友美子くらいだった。
雪子は健気にも必死になって友美子に歩調に合わせていた。
他の女子は比呂乃のようにぴりぴりか、落ち込みきってどんよりかのどちらかだった。
家事すらする気力がなく泣き沈んでいる。
男子は旗上をはじめ全員爆発寸前の火山状態だった。
「日下や北野は呑気でいいよな。この状況わかってんのかよ」
倉元は吐き捨てるように言った。
「俺なんか引きこもり寸前だってのに、おい好美、何か飲みもの!」
「あ、ちょっと待ってて」
好美が水をもってくると、倉元は突然切れた。


「ふざけるなよ!コーヒーくらいもってこれねえのか、水なんてふざけるなよ!」
「ご、ごめんなさい洋ちゃん。でも日下がコーヒーなんて買う金ないって言うから……」
「なけりゃおまえが稼いで来いよ!俺は知ってるんだぞ、おまえが俺の親父くらいの歳の男と――」
「うるさい、さっきから聞いてりゃうざいんだよ!好美に頼らず、おまえが稼いで来いよ!」
今度は比呂乃が切れていた。比呂乃の怒鳴り声がよほどうるさかったのか、大木まで切れそうになっている。
他の女子は半分泣きかけていた。
そんな禍々しい空気の中、がちゃんと窓ガラスが割れる音がして何かが投げ込まれた。
全員が思わずきょとんとなった。
缶のようなものだ。それがぷしゅーと白煙を放出した。
呆気に取られた旗上たちだったが、突然目に強烈な痛みを感じ全員慌てて外に飛び出した。
「い、いてえ!いてえよ!!」
涙が溢れてたまらない。目が開けられない。
何分くらいのた打ち回っていただろうか、やっと痛みがひいてきた時、低い声がした。




「あの女はどこにいる?」




まだ、はっきりとしない視覚で全員声の方向に視線を合わせた。
顔はみえない。ただ金髪フラッパーパーマという派手な髪型だけは、はっきりわかった。
「だ、誰だ、あんた?」
「あの女はどこにいる?」
「な、何のことだよ?」
大木の顔面に靴底が押し付けられた。
「ぎゃあ!」
「質問しているのは俺だ。言え、あの女はどこにいる?」
「な、何するんだ、や、やめろ……」
男は大木の髪の毛を鷲掴みにして持ち上げた。大木の足が地面から離れる。



「殺されたくなかったら言え、俺の女をどこに隠した!」




【B組:残り45人】




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