貴子は悔しそうに公衆電話の受話器を叩き付けた。
「やっぱり直接行くしかないのか。貴子、おまえは目立たない場所で待っててくれ。
俺1人で行く。おまえを巻き込むことはしたくない」
「馬鹿ね。あんた1人だけ行かせられるものですか」
鎮魂歌―16―
「秋澄にいちゃん久しぶり」
母の実家である季秋財閥に到着した理央は従兄の秋澄に歓迎された。
季秋家は東海地区の自治権を持っている名門中の名門。
ただの大財閥ではない。
県立軍隊の指揮権や地方税の徴収権をはじめ数々の特権を持っている。
先代当主・季秋宗政(きしゅう・むねまさ)は東海地区の総統の異名を取る権力者だ。
理央の母は、その宗政の娘。そして夏生の父・剛志(ごうし)は息子にあたる。
そして、今、理央の目の前にいる従兄の秋澄は季秋財閥の次期当主と目されていた。
(本来なら孫の秋澄ではなく、息子の剛志が次期当主の座につくものだろうが
剛志には財閥を経営する才能も、まして地方限定とはいえ政界のトップに君臨する器量もなかった。
そのため宗政は、遊び人の息子はあきらめ孫の秋澄を次期当主と定めたというわけだ)
そして夏生も剛志の息子、つまり秋澄は夏生の実の兄というわけだ。
「本当に久しぶりだな理央。高校のほうはどうだ、ちゃんと勉強してるんだろうな?」
「……う、うん。この前の定期テストじゃ赤点なしだったよ」
「そうか頑張ったな」
秋澄は理央の頭をなでて心から喜んでくれている。
肉親の情が厚い秋澄は従弟の理央を本当の弟のように可愛がってくれていた。
「あ、あのさ、にいちゃん……」
「どうした、何か悩み事があるのか?俺に出来ることなら何でもしてやるぞ」
「う、うん、あるんだ悩み事。でも、じいちゃんには内緒にしてくれる?」
「おじい様にばれるとまずいことなのか?」
秋澄の表情が曇った。
次期当主に決まった時より、身内の錆びには何度も苦い思いをしてきている。
その秋澄の第六感が警鐘をならしていた。
「なっちゃんのことなんだけど……」
「夏生がどうかしたのか?」
「何か生活に不都合なことが起きたのか?
俺が渡してやった生活費が足りなくなったのか?
かわいそうに、自業自得とはいえおじい様の仕打ちは厳罰すぎた。
でも、おじい様が課した三ヶ月間の勘当も後一週間で終わる。
その時は夏生も堂々と家に戻ることができるんだ。
あいつも、さすがに苦労して反省し謙虚な生活を送っているんだろう?
おじい様の命令とはいえ夏生には何もしてやれなかった。
その分、勘当が解かれたら、夏生には思いっきりわがままさせてやるつもりだ」
夏生が何事もなく日々を過ごしていると信じている秋澄に真実を告げるのは残酷だが黙っているわけにもいかない。
「に、にいちゃん……にいちゃん、なっちゃんが、なっちゃんが」
理央は言葉につまり泣き出した。秋澄はぎょっとなった。
「どうした、夏生に何かあったのか?」
「反乱分子に手を貸してるだって!?」
秋澄は眩暈がした。ふらっと体のバランスがくずれ、視界が歪んだ。
「なっちゃんは黙ってろっていったけど、でも俺……」
秋澄は酷いショックを受けたようで、額を押さえるとソファに倒れこんだ。
(……あの馬鹿、勘当までされたというのに一体何をしてるんだ?
どうする、どうしたらいい?最近の中央政府の態度を考えれば、ただでは済まない。
夏生が関与していることがばれれば、それを口実に一気に季秋家が潰されてしまう)
秋澄は真面目で律儀な男ではあったが、ここ一番というときの決断力に欠けていた。
ただ生まれが早かったということだけが跡継ぎに決まったポイントである。
祖父は「おまえに優秀な跡継ぎが出来るまで、わしが長生きすれば済む話だ」と言ったものの
納得したというよりは、仕方なく諦めただけに過ぎない。
「ま、京極のお姫様を貰えば子供までは頼りなくはならないだろう」
祖父は、そう言って季秋家に匹敵する名家・京極家の娘との政略結婚までさっさと決めてしまったのだ。
そんなワンマン当主の祖父のことだ。
夏生のことがばれたら烈火のごとく怒り、どんな手を打つかわからない。
(……とにかく、おじい様にばれる前に手を打たないと)
秋澄は頭痛に耐えながらも、本宅の離れに向かった。
(秋澄の成婚のあかつきには新妻との新居にと、祖父が新築してくれた邸宅だった)
その離れの二階に一際目立つ立派な個室があった。
趣味のいい家具や調度品によって飾られた、その個室のドアを秋澄はノックした。
「どうぞ」
中からは上品な女性の声。秋澄のフィアンセである京極家の令嬢である。
「……葉月」
披露した秋澄の顔を見るなり、フィアンセは冷静に本題に入った。
「話は聞きました。大変なことになりましたわね」
「どうしたらいい?」
秋澄は葉月の前に両膝をつくと、彼女に抱きついた。
「おじい様に気づかれる前に全てを片付けましょう。政界のほうには裏から手を回しておきましたわ。
少しばかり高額になりますけど、季秋家の家門がかかっているんです。わかってますわね?」
「……ああ」
「夏生さんには、今すぐ手を引いてもらいましょう」
「上手くいくだろうか?」
葉月は秋澄を抱きしめた。
「しっかりしてください。あなたが、そんなことでは夏生さんだけではなく、季秋家の人間全員の未来がなくなりますよ」
「本当なのか国信?嘘だったら承知しねえぞ」
笹川は半信半疑だった。いや信じたくないというのが本音だろう。
「本当だよ。月岡さんの話じゃ、もう軍人が何人も街に入ってるって。
すぐに逃げるんだ。さあ、早く」
月岡の忠告に従い、国信達は裏口からこっそりと路地裏に出た。
きょろきょろと見渡したが誰もいない。
「誰もいない。さあ行こう」
国信達は背を低くし、極力物音を出さないように注意しながら走り出した。
本人達は全力疾走のつもりだったが、足音を出す事に警戒しすぎるあまりお世辞にも速度は速いとはいえない。
「街を出たら月岡さんが車を用意して待っててくれるって言ってた」
修学旅行の荷物以外に私物を持参してなかった彼らが車を所有しているわけがない。
つまり月岡は車を窃盗して待っているということだ。
実際、すでにバンを1台失敬していた。30分もたてば所有者が盗難届けを出すだろう。
その前に合流して、なるべく遠くに逃げなければならない。
「見たか薫、あいつら完全に素人だぞ。俺達の気配に全く気づいて無い」
国信たちをビルの屋上から見詰める影が二つ。
「それだけじゃないよ直人。見てご覧よ、あのお粗末な逃亡を。
あの体勢じゃプロ相手なら丸見えだね。ほら、また。
あれあれ、あの路地じゃ駄目だよ。あれじゃあ、もうすぐ二等兵達につかまる。
どうする直人?どんなに努力しても士官になれない彼らに手柄を立てさせてやるかい?」
直人は携帯電話を取り出した。
「俺だ。ただちに全員退却しろ」
「直人?」
直人は二等兵達を退却させた。これでは国信達に逃走ルートを作ってやっているようなものだ。
「直人、逮捕させないのかい?」
「俺達の目的はあくまでK-11だ。素人なんか何人つかまえても無駄骨だ。
連中が本当にK-11と繋がりがあるなら必ず動きがあるはずだ」
薫は直人の意図を理解した。
「なるほど奴等をわざと泳がせて、大魚をつろうという作戦かい。
君らしいせこい考えじゃないか。賛成してあげるよ。ただ……」
薫は同情的な表情をした。
「ただ先輩達は君の作戦に賛同してくれるかどうか。
降格されてから先輩は手柄をたてることに躍起になってるだろ」
薫の言い分は事実だった。しかも、その先輩は悪名高い四期生たちのリーダーときている。
海老原竜也だ。海老原は五期生に異常な感情を持っている。
直人の作戦にのるわけがない。それどころか邪魔をするに決まっている。
「よかったね。先輩が南地区の端にいて。こっちにいたらすぐに連中を捕獲さ」
「だろうな。薫、わかってると思うが、くれぐれもあいつらには内密に」
「ああ、わかってるよ」
「じゃあ、おまえとはここで。さっきの2人組もほかっておくわけにはいかないからな」
直人の姿が見えなくなるまで薫は手を振っていた。
そして直人が昇降口のドアの向こうに消えると、へらへらした表情を一変させた。
おもむろに携帯電話を取り出すと、テンポよくボタンを押し出した。
『誰だ!忙しいときに電話なんかかけてくるんじゃねえ!!』
電話の向こうから聞えた粗暴な声に、薫は下品な男だなと蔑みながらも要件を伝えた。
「先輩、そちらをいくら探しても連中はいませんよ」
『誰だ、てめえ?』
不機嫌な声が、さらにいっそう口調が荒くなっていた。
「可愛い後輩ですよ」
相手はやっとそのお上品ぶった声の主が誰かわかったらしい。
『……立花、俺はおまえみたいな腹黒い男はすかねえんだよ。
女みたいなその軟弱極まりない面もな!』
海老原の言い分は悪意に満ちたものだったが、薫は全く動じない。
「それより僕からの情報買ってくれるんですか先輩?
僕は晃司たちと違って先輩達を仲違いしようなんて思って無いんですよ。
いざこざはたくさんです。どうなんですか先輩?」
海老原は薫のような男は大嫌いだった。理由は単純、女にモテモテだからだ。
海老原は同年齢の男に比べたら、付き合ってきた女は多いほうだ。
だが、同じ四期生の水島克巳のモテモテぶりとは比較にならない。
(付き合ってきた女の量も質も。そして海老原の女は愛情なんてかけらもない)
表面上水島と仲間だが、実際は面白くて仕方なかった。
その水島属性の薫だ。薫も水島同様海老原にとっては面白くない男だった。
しかし手柄を立てられる情報を蹴るのも惜しい気がした。
『詳しく話せ。代金はなんだ?』
「別に。ただ僕を他の五期生同様目の仇にするのはやめてほしい、ただそれだけですよ」
携帯電話を切ると薫はにやっと笑った。
「相変わらず単純なひとだ」
薫は今度は恋愛用の携帯電話を取り出した。登録№1を呼び出した。
『薫、ちょうどあなたの声が聞きたかったのよ。嬉しいわ』
「僕も君の声が聞きたかったよ。君にお願いがあるんだ美鈴」
「ん……克巳、少しは気が済んだ?」
白いシーツにモデル並に均整の取れた肉体を包みながら、真知子は少々だるそうに愛しい恋人に声を掛けた。
その恋人は窓際の椅子に座り込んで、凄い形相で外の景色を睨みつけている。
「……涼のやつ、俺に真っ向から逆らうなんて、随分生意気になってくれたじゃないか」
真知子は上半身を起こした。
「あいつに大きな顔をさせるつもりはないんでしょ克己?
あなたの性格は知ってるわ。このまま引き下がるわけがないって」
「ああ勿論だ。あいつはせいぜい小者で小さな手柄をたてて満足していればいいさ」
「と、いうことは――」
「要は大物を捕獲すればいい、そうだろ真知子?」
水島は椅子から立ち上がるとベッドに近付いた。
「その口ぶりからしたら、もう手は打ってあるのね?」
「ああ、あいつの話では、桐山和雄っていう奴がどうやら奴らの中で最強らしい。
それに川田章吾、三村信史。そいつらの居場所がわかればどうなる?」
真知子は両腕を伸ばして水島の首になやましく絡めた。
「あなたの出番ね。100人の雑魚より、1人の大物、それがあなたの信条だもの」
「そういうことだよ。さて、第二ラウンドといこうか」
夏生はすぐに貴子に教えた他の生徒の居場所の地図を頭に浮かべた。
桐山たちの居場所だけは教えて無いから除外する。
幸枝達はすでに襲われて捕獲されているから、これも除外。
残っているのは月岡率いるチームと、大木や旗上達のチームだ。
「よしすぐに行こう。貴子さんたちは大木達の元に向かっている。
あいつらが住んでいる地域は県境のすぐ向こう側。
月岡達よりずっと近くだ。貴子さんは、きっとそこに向かっている」
「そうか急ごう」
すでに政府に囚われた飯島たちのことが気にならないわけではなかった。
しかし飯島達はすでに政府によって国防省の囚人施設に送られてしまった。
その場所すらわからない。まして
良樹にとって貴子と杉村は大事な存在。
(悪いな、今俺にできることは2人がつかまる前になんとか助けることだけなんだ)
「そうと決まったらレッツゴーだ。急ぐぞ」
夏生に促されて良樹が向かった先は航空会社だった。
「夏生さん、ここは……まさか!」
「そうだ。車なんかじゃ間にあわないだろ、セスナを予約している」
「けど足がつくんじゃないのか?」
夏生は、ちっちっと人差し指を左右にふった。
「俺がそんなドジするかよ。ほら」
夏生は財布からカードを数枚取り出した。いくつもの偽名が記載されている。
「身元が割れないようにする対策は普段からきっちりやってるんだよ。
俺はしっかり者だからな。ま、大船に乗った気でいろよ」
夏生は、「ほら、おまえも変装くらいしろ」と、変装セットを放り投げた。
セスナは夏生の操縦で華麗に離陸した。目的地までひとっとびすることだろう。
「……無事でいてくれよ貴子さん」
良樹は助手席で両手を組んだ。
無神論者ではあったが祈る事しかできないなら何度でも祈ってやる。
「それよりも美恵ちゃんは大丈夫なのかよ?そっちのほうが気になるぜ」
「あ、ああ……彼女には桐山や川田がついているから。
それに彼女、木下さん達に気に入られてて守ってくれるって言ってくれてるから」
「木下か」
夏生は表情を固くした。
「特撰兵士を2人まとめて倒すほどの実力者なんだろ。だったら安心だ」
「そりゃ、一応は中国地方じゃ二強って言われてたからなあ。
あの頃の木下は血の気が多くて無鉄砲で単独プレイが目立つ身勝手野郎だったって話だぜ。
まあ、それもこれも海原の組織がつぶれるまでの話だけどな」
「ふーん、あの温厚な木下さんがねえ。まあ彼女を守ってくれるならどっちでもいいさ」
夏生は少々躊躇ったが意を決して嫌な話をした。
「桐山たちは他の連中と違ってプロの木下に預けたのはいざって時のために戦闘技術をつけてもらうためだ。
でも木下の話じゃ桐山と川田は教えることな何も無いそうじゃないか。
おまえも三村も七原も素質はあるけど素人だ。でも、あの2人はものが違うってな。
多分、政府の連中は桐山と川田捕獲に執念燃やしてくるぜ。
なあ、美恵ちゃんは、あの2人から離したほうがいいんじゃないのか?
俺が引き取るぜ。もちろん貴子ちゃんも見つけ次第、俺が保護して一生守り抜いてやる」
「そ、そうかよ……あのさ、夏生さんって、光子さんに惚れてたんじゃなかったのか?」
「光子ちゃんはすでに避難させてる。もちろん光子ちゃんも誠心誠意面倒みてやるぜ」
「……はあ」
やっぱ、このひと、ただの女好きなんじゃないのか?
そんな疑問が良樹の胸に過ぎった。
七原は夏生を見直していたが、良樹は七原ほど素直になれなかった。
そんなことよりも桐山と川田が集中的に狙われるとしたら、夏生の危惧していた通り美恵の身が危険だ。
「でも夏生さんは俺達の居場所がわからないように手配してくれたんだろ?
俺達の居場所だけは他の生徒にすら教えてなかった。
だったらつかまった生徒達から居場所がもれる心配もない」
「甘いな。甘すぎるぜ坊や」
夏生は冷静に言い放った。先ほどのにやけた口調ではない、真剣な表情がそこにはあった。
「確かに俺は出来る限りのことはした。木下にも厳命しておいたぜ。
絶対におまえ達のことを外部の人間に悟られないように、くれぐれも注意しろと。
けどな、テロリスト捜索のプロの国防省をいつまでも欺けると思うか?
国防省にも特撰兵士はいる。……立花薫……菊地直人。
どいつもこいつも一筋縄じゃいかない連中だ。
だが、こいつらの上の世代の水島克巳ってのがまた厄介だ。
あいつは国防省はおろか警察や裏の世界の情報屋、私立探偵にいたるまで顔が広い。
全国津々浦々に言いなりになってくれる優秀な彼女……もとい捜査官がいる。
下手したら、もう桐山達の居所ばれているかもしれないぞ」
良樹は口元を引き攣らせた。
「……おい夏生さん、冗談はよしてくれ」
「俺は女以外のことで冗談は言えない人間なんだ」
科学省の地方施設の囚人一時収容所の病室では滝口達がベッドで深い眠りについていた。
科学省の科学的尋問は精神的に酷く疲労する。
滝口達のような普通の中学生は10分ほどで意識を失う。
「個人差はありますが、おそらく明日の朝まで目覚めないでしょうね」
白衣に身をまとったエリート医師の説明に、美しい目をした少女はがっくりと肩を落とした。
「意識を失うなんて……そんな酷いことしたの?」
「酷いなんて。昔、横行した拷問に比べたらずっと紳士的ですよ。
それにこれは薬師丸中佐の指示でしたことです。何の問題もありません」
「薬師丸さんの?」
少女は驚いていた。そして悲しそうな目をした。
「しかし厄介なことになりましたな。全員、催眠療法で奴の写真を見せたら反応したんです。
K-11と繋がっているという情報もあながち嘘では無いでしょう。
K-11はなぜか科学省を目の仇にしてます。彼と手を組んだとしても不思議はありません」
少女はますます悲しそうな顔をした。
「だからあ大尉はしばらく海外だろ。会えるわけないじゃん」
騒々しい声に振り向くとアベックが廊下を歩きながら口喧嘩している。
「どうしてよ、あたしは仮にもフィアンセなのよ!」
「……どうしてって、おまえ。あれ?」
男の方がこちらを見た。そして大声を出した。
「おい、あれって天瀬良恵じゃないのか!?」
そして大声を出した直後にハッとして隣の彼女を見た。まずい、怒ってる。
「……天瀬良恵」
「お、おい、あっちに行こうぜ、まどか」
男が必死になって女の腕をひいたが、女はぐいっと男の手を振りほどいた。
そして良恵と呼ばれた少女を睨みつけ、どかどかとこちらに歩み寄ってきた。
「ここに何しにきたの?」
「おい寄せよ、まどか」
「止めないでよ寿!」
まどかは寿を突き飛ばした。
「いいわね科学省に特別扱いされてるひとは。どうせ中身はともなってないってオチだろうけど」
良恵はあからさまに不愉快な表情をした。彼女とは実は一度しか面識がない。
にもかかわらず、初対面の時から、このような態度をとられたのだ。
良恵は滅多に負の感情を持たない少女ではあったが、彼女に対しては例外らしい。
ただでさえ腹の立つ態度を取る上に、彼女の立場が良恵には面白くなかったのだ。
「……大尉は今どこにいるの?」
まどかはケンカ腰で質問してきた。
「大尉はどこにいるのよ。上にきいても教えてくれない。
あたしは大尉のフィアンセなのよ。
それなのに彼の携帯電話の番号もアドレスも知らないなんて絶対におかしいわよ!」
「だ、だから大尉は重要任務遂行中だから教えてくれるわけないだろ。
彼女につっかかるなよ。迷惑だろ、ほら行こうぜ」
寿はまどかの両肩をつかんで強引に引いたがまどかは、またしても寿の手を振りほどいた。
「あんたは黙っててよ!前から気に入らなかったのよ、この女!
Ⅹシリーズの身内ってだけで優遇されて。
大尉なんて、あたしには一度も声かけてくれたことないのに!」
まどかは科学省で生まれ育った。同世代の女性兵士の中では優秀なほうだ。
本人も自分は資質も器量も人並みな外れていると自負していた。
それを裏付けるように、科学省最高の戦士の花嫁にまで選ばれた。
科学省の至宝・高尾晃司の花嫁に。
まどかは舞い上がった。高尾は恐ろしいくらいのハンサムだったし、何より超がつくエリート。
科学省の兵士の中では一番将来性がある男。
そんな男のパートナーに選ばれたということは、まどかは科学省の女性兵士のトップだと認識されたも同然だ。
その事実はまどかの虚栄心を大いに満足させ、ただでさえ高慢ちきな性格をさらに促進させた。
しかし、そんなバラ色の日々は簡単に終焉を告げた。
肝心の花婿がまどかに全く関心を持ってくれなかったのだ。
上が決めたとはいえ婚約者。その立場を利用して愛想よく振舞って親しくなろうと努力した。
それなのに晃司はまどかに声をかけられても無視。反応すらしないこともあった。
その晃司が良恵にだけは優しく接している。それが、まどかには面白くなかった。
「私、あなたの喧嘩の相手をしている暇はないわ」
良恵はくるりと踵を翻すと、その場から立ち去ろうとした。
「ちょっと待ちなさいよ!」
まどかは良恵の前に立ちはだかった。
「いちいちむかつくのよ、あんたのその性格!」
「お互い様よ。さようなら諸星さん」
「……なんて女なのよ!」
まどかは良恵の腕をつかんだ。
「きゃあ!」
ところが、まどかは手首に痛みを感じ悲鳴を上げた。
まどかの手首にあざができるのではないというほどの圧力がかかっていた。
まどかの悲鳴に良恵が振り向くと、恐ろしい形相をした徹がまどかの手首をつかみひねり上げていた。
「……誰に喧嘩売ってるんだい馬鹿女?」
「さ、佐伯大尉……まどかは悪気があったわけじゃなくて、その……」
寿がすかさず駆け寄って徹の怒りを解こうと試みた。
だが徹の憎悪に満ちた視線を向けられると一瞬で萎縮し数歩後ずさりする始末。
「彼女に喧嘩を売るということは俺に喧嘩を売るということだ。
望み通り買ってやろうじゃないか。このままボキッといこうか?」
徹は右手に力をこめた。
その途端にまどかの手首が不自然な方向に曲がりだし、まどかは悲鳴を上げた。
「徹、やめて。お願いよ」
良恵が制止をかけなければ、まどかの手首は間違いなく関節とは逆の方向に折れていただろう。
「君を侮辱した女だよ。俺は許せないな」
徹は力を抜いただけで手を離したわけではない。まどかの恐怖は終わってなかった。
「彼女の為じゃないわ、お願いよ徹。こんなことであなたの名声に傷をつけたくないわ」
「俺の為に?」
徹は手を離した。まどかは慌てて2人から距離をとる。
手首の痛みに耐えかねるまどかを背負って寿は戦々恐々として逃げ去っていった。
「徹……どうして、あなたが、ここに?例の任務はどうしたの?」
「君も知ってるだろう。あいつらが帰って来た。だから俺は君の身が心配なんだ。
しかも今回の任務に関して嫌な情報が入ってきた。
今回の捕獲対象の仲間に例の男がいたって、ね。
君がこいつらに会いに来たのもそれが理由だろう?
奴の事を聞き出すのが目的だった。違うかい?」
核心を突かれた良恵は観念したように「ええ、そうよ」と認めた。
「とめないで徹。私はどうしても彼に会わなくてはいけないのよ。
彼はきっとまた何か恐ろしいことをするわ。
それが何なのかわからないけど、晃司や秀明や志郎や、それにあなた達すら巻き込む何かを。
その前にとめたいのよ。その為なら何だってするわ」
「とめても君はやめないだろうね。だったら俺も同行するよ」
「徹?」
「あいつを探せばあいつの仲間もついでに捕獲できるだろ。
君を四期生どもから守り、任務も遂行できる。一石二鳥だ」
「とめても無駄だよ。俺の性格は君が一番よく知っているだろう?」
【B組:残り45人】
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