「大丈夫ですか大尉!」
女性兵士が駆け寄ってきた。
戸川の頬には爆風で飛んで来た小石によってつけられた一筋の赤い線が入っている。
「大尉、血が……!」
「……さがってろ泪」
「ですが……」
戸川は差し出されたハンカチを叩き落した。

「さがってろといったはずだ!
……あの蛆虫野郎、どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだ」

「大尉」
今度は男が走り寄って来た。戸川は途端に視線を険しくした。
「白州、しくじってくれたな」
「すぐに奴を追いますか?」
戸川は激情タイプだ。感情に従えはすぐにあとを追っただろう。
「すぐに地下水路の出入り口を全て封鎖しろ。いや……手遅れかもしれん。
街を完全に封鎖しろ。奴が馬鹿じゃないなら、逃亡ルートは地下じゃない」




(……やばいやばい。兄ちゃんの言ってたとおり、あいつ馬鹿じゃないようだな)
夏生は廃墟と化したぼろビルの二階の窓から様子を伺っていた。
短気で気性の激しい男なら、挑発に乗って地下まで追いかけてくる――そう睨んだ。
だから地下から逃げると見せかけて、すぐに近くのマンホールから地上に出た。
戸川達が地下を走り回っている間に、堂々と地上から逃げてやるつもりだった。
「街が封鎖される前に逃げるしかないな」




鎮魂歌―15―




「お帰りなさい周藤さん!」
「海外任務、ご苦労様でした大尉!」
晶は歩きながらコートを脱ぎ、放り投げた。
お付の少年兵士が、慌てて地面に落ちる前にコートをキャッチ。
「兄貴、お帰り!」
晶を敬愛する弟・輪也が嬉しそうに駆け寄ってきた。

「でも兄貴任務はどうしたんだ?新しい任務のために急遽帰国命令がでたんだろ?」
「おまえは、俺に素人と鬼ごっこしろと言いたいのか?」


晶はどさっとソファに腰をおろし、ネクタイを緩めた。
「素人相手に特撰兵士を使うものか。
得体が知れないということを含めてもBクラスの少年兵士で十分だ」
「じゃあ何で兄貴達を呼び戻したんだよ、てっきりめちゃくちゃ強い連中かと思ったぞ」
「俺達を使うのは保険だ。素人だけなら、ただの少年兵士だけで十分」
晶は腕を伸ばすとテーブルの上のりんごを手にして口元に運んだ。
しゃりっという小気味のいい音が聞える。


「だがK-11と繋がりがあるという未確認情報が真実ならどうなる?」


輪也は少し考えてから、「連中を逮捕すれば、K-11が出てくる」と言った。
「そうだ。あいつらがお出ましとなったら、ただの少年兵士ではまず相手にならない。
おらくAクラスの少年兵士でも負けるだろうな。だから俺達が呼ばれた。
手柄を焦っている連中は、囲いから脱出した素人どもをつかまえることに躍起になっているが俺は違うぞ。
素人相手に本気になれるか。俺が出撃するのはK-11がお出ましになってからだ」
「でも兄貴、K-11が出てから動いたんじゃ、他の特撰兵士から何か言われないか?」
「輪也、おまえも少しは人間関係がわかってきたじゃないか。
だが俺はK-11が重い腰を上げるのを待つだけとは言って無いぞ。
奴らが動くのを待つのはごめんだ。俺はそんなに気が長い人間じゃない」
輪也には兄の言いたい事がわからなかった。

「奴らはもうすでに四期生に逮捕されまくってるらしいぞ。
でもK-11は動く気配が全くないって」
「動きたくないなら引きずり出してやるまでだ」














「これで、この街に潜伏している連中は全員逮捕できたわね」
後は、水島のもとに連れて行くだけ。だが真知子の前に意外な男が現れた。

「そいつら全員俺に引き渡してもらおうか」

「薬師丸……中佐」
四期生筆頭の薬師丸涼だった。
引き渡す?こいつらは克巳への手土産よ、克巳の手柄を横取りされてたまるものか。
「……それはできません。水島大尉によって国防省に連行される手はずになっておりますので」
「国防省に引き渡すのは後だ。その前に科学省に連行する。
国防省よりも科学省のほうが尋問では成果をあげられる」
薬師丸は引く気配が全くなかった。


「お言葉ですが、水島大尉の許可が無ければ私は――」
「鹿島」
薬師丸の口調が一気に温度を下げた。

「克巳の階級は何だ?」

真知子は眉をしかめた。
「……大尉です」

「俺の階級は何だ?」

真知子は唇を噛んだ。軍はどこよりも上下関係が厳しい世界だ。
階級がものをいう。まして二階級の違いは大きい

「もう一度言う。俺の階級は何だ?」

薬師丸の口調がさらに厳しく強いものになった。
「……中佐です」
「俺の言いたいことはそれだけだ。克巳に何か言われたら、そう言っておけ」




「何だって涼が連行した?真知子、おまえはおめおめと涼のいいなりになったのか!?」
水島は憤慨した。他人の手柄を横取りするのは愉快だが、横取りされるのは不快極まりない。
「悪かったわ。でも克巳、あいつは……」
「何を言われた?」
真知子は水島から視線を逸らした。水島は即座に真知子の顎をつかむと自分に向かせた。
「言え、何を言われたんだい?」
真知子は震えていた。
こうなっては隠すこともできないが、水島の性格上、激昂するのは目に見えている。
「あいつはこう言ったのよ。『克巳の階級は何だ?』と」
その一言で何があったのか水島は察した。そしてわなわなと怒りで震えだした。


「……あの野郎……!!」
階級の事を言われるのは今の水島にとって一番痛いことだったのだ。
五期生との間に問題を起こした水島は降格された。
本来は少佐だった。順調に行けば中佐にだってなっていたかもしれない。
水島にとっては許しがたい人生の汚点を薬師丸は思い起こさせてくれたのだ。
そして上官きどりで自分の手柄を横取りしていった。


(……涼!よくも、よくも、よくも俺のプライドを!
忘れない、俺は決して、この屈辱を忘れないよ。忘れるものか!)


水島は真知子の手首をつかむと「来い!」と強引に引っ張り出した。
こういう場合の水島の行動パターンは大抵決まっていた。
寝室に女を連れ込み、任務とは全く違う事に労力と情熱を注ぎ込むのだ。









薬師丸は滝口達を科学省四国支部に連行した。
「心理研究部で尋問にかけろ。それから遺伝子の照合だ」
博士達に指示を与えると薬師丸はすぐに科学省を後にした。
まだ終わりではない。43人全員科学省で徹底的に調査しなければならない。



「薬師丸さーん!」
科学省には似つかわしい明るい声が廊下のずっと向こうから聞えた。
振り向くと、足音が瞬く間に近付いてきた。
「薬師丸さん、お帰りなさい!ねえねえ、あっちはどうだった?どんな奴が敵だった?
何人倒した?あー、俺も早く海外任務につきたいなあ」
純真無垢とはこういうことだろうか。あまりにも無邪気な少年は無防備ですらあった。
いくら科学省に第六期特撰兵士として期待されている有望株とはいえ少年は仕官では無い。
それなのに佐官の薬師丸にこんな馴れ馴れしい態度を取れるのは
生来の無邪気さゆえの怖いもの知らずと言ってもいい。


「満夫!中佐に対して」
少年本人よりも、彼の姉(正確には父違いらしい)の菜穂のほうが恐縮してしまっている。
「すみません中佐、満夫、ほら帰るよ」
「えー何で?外国の話聞きたいじゃん。俺、まだ一度も海超えたことないんだよ」
「それは特撰兵士になってからでいい。さあ!」
菜穂のほうは焦ってさえいる。
階級以前に薬師丸にひとを近づけさせない雰囲気があるためだろうか。


「薬師丸さん、今回連行した奴の中にオールバックの男いた?」
「オールバック?」
「すっげーんだぜ!俺、あんな強いのと戦ったの初めてなんだ」
「戦った?」
薬師丸の目つきが変化した。焦ったのは菜穂のほうだ。
「すみません中佐、弟の戯言です、聞き流して下さい」
菜穂は慌てて満夫の腕をひっぱり、その場から退却しようとしたが薬師丸がそれを許さなかった。


「緒方、おまえ、囲いからでた人間とやりあったのか?そんな報告は受けて無いぞ」
「へへー、そうなんだ。姉ちゃんが上には隠せっていうから黙ってたけどね」
菜穂は急に感じた頭痛に額に手を伸ばした。
「逃がしたのか?」
「ううん。俺、負けたから潔く逃がしてやったんだ」
菜穂は逃げ出したくなった。いっそ気絶できたら、どんなに楽か。
「おまえに勝てる人間は軍では特撰兵士くらいだ。K-11のメンバーか?」
「そんなの俺わからないよ。でも、ほんとすげー奴だったよ。
薬師丸さんも今度やりあったらいいよ。結構、いい勝負になると思うよ」














「……あいつらは飯島たち。ちっ、遅かったか」
良樹は手錠をかけられ俯きながら連行される飯島達を塀の陰から見詰めていた。
(杉村と貴子さんはいないな。よかった、2人は逃げ切れたみたいだな。
けど、あいつらどこに行ったんだ?まだ街の中に隠れてるってことはないよな)
ぽんと肩に手の感触。
良樹はびくっと反応したが、直後に懐から銃を取り出して振り向き様銃口を突きつけた。

「おい焦るなよ。俺だ、俺」

二カッと笑っている男が立っていた。夏生だった。
「夏生さん、あんたも貴子さんを助けにきたのか?」
「まあな。俺は美人は見捨てられない男なんだ」
「それで貴子さんと杉村はどこに行ったんだよ?」
「俺は囮やってたから2人のその後は知らないんだ。おまえこそ心当たりないのか?」
「……心当たりっていっても俺だって全然わからねえよ」


(いや待てよ。あの2人のことだから……)


「夏生さん、杉村たちに他の連中の居場所喋ったか?!」
「ああ、貴子さんには教えてるぜ」
「あいつらの性格上……他の連中にこの事態を知らせに行くに決まってる!」














「貴子、大丈夫かな……もし貴子に何かあったらどうしよう」
美恵は心配で食事も喉を通らなかった。
七原達はクラスメイト達を救出しに行った。
美恵達の居場所も、いつ政府の追っ手にばれるかもわからない。



「おい泰三、あの子、昨日から元気ないな」
「……そうだな。でも俺らには関係ないじゃん、それどころかやばいんじゃない?
国防省のハンターがあの子たち追いかけてきたら俺達も一緒に逮捕されるんじゃない?
だって俺らも反逆者だろ、それってやばいよな……ほんと、やばいよ」
「だよな迷惑だけど、ちょっと可哀想だよな。だってまだ中学生なんだぜ。
そりゃ、俺達にとっては疫病神かもしれないけど、いいこだしさ。
やっぱり可哀想だよ。なんとかしてやりたいだろ?」




「……貴子や光子たちと連絡つかないし。きっと、そのうちに、ここにも追っ手がくるわ」
美恵ちゃん」
明るい呼びかけ。頭を挙げると加奈が立っていた。
「大丈夫よ。ここにはお兄ちゃんがいるんだから、国防省の犬なんかに手出しさせやしないわ。
安心して、ここにいてもいいのよ。ね、金田君、益子君?」
加奈の問いかけに金田は慌てて「そ、そうだよ。安心しろよ。守ってやるからさ」と叫ぶように言った。
「……え、俺たちは」
空気を読まない益子が否定しかけ、金田は慌てて益子の口を手で塞いだ。
「安心しろよ。木下さんなんか特撰兵士2人相手に圧勝した経歴の持ち主だしさ。
特撰兵士なんかがきても返り討ちにしてくれるって、だから大船に乗った気でいろよ」
「ありがとう」
無理に笑顔を作った美恵だが、嫌な予感を拭いきれなかった。
不吉な未来を予兆するかのように、暗雲立ち込め、雨が地面を叩き始めていた。














「尋問装置を使いましたが連中は完全に白ですね。K-11とは何の関係もありません」
博士達からの報告は科学省にとって満足のいくものではなかった。
「DNA鑑定のほうはどうだった?」
「それも完全に白です。K-11関連の事件で採取されたDNAのどれも一致しませんでした」
「連中が住んでいたアパートから採取したDNAはどうだ?」
「鑑定の結果不一致なんですよ。奴らの中にK-11のメンバーはいませんよ」
「念のためだ。K-11の痕跡が完全にないと証明されるまで徹底的に調べ上げろ。
小次郎が捕らえた連中もすぐにDNA鑑定にかけろ」
「はい」
「他の連中の居場所は割れたのか?」
「はあ……それが居場所を知っているのは内海幸枝という少女だけらしいのです。
しかし、その少女は水島大尉が国防省に連行したとか」
「……克巳か」
水島が逮捕するはずだった連中を横取りしたのだ。
その幸枝という少女の身柄引き渡しを要求しても蹴られるだろう。














「きゃー!この洋服半額よぉ!ヅキちゃん感激ぃ!」
「お、おいヅキ……そろそろ帰ろうぜ。
こんな市街地にいたら、いつ捉るかわかったもんじゃねえよ」
「もう博君って本当に気が弱いのね。せっかくスラム街を出て、ショッピングに来たのよ。
こんなチャンス滅多にないのよ。
ずっと、あんな辛気臭いところに閉じこもってたらカビがはえちゃうもの。
ほら、博君も楽しみなさいよ。ね?」
「……楽しむったって」
常に前向きで楽観的な月岡と違って、黒長にはこの状況をポジティブに考えられるような心の余裕はなかった。
いつ政府の追っ手が来るかと思うと、死刑宣告をまつ囚人のような気持ちなのだ。



「博君ってそういうところが駄目なのよね。だから充君に馬鹿にされるのよ。
大丈夫よ。アタシを守る為に三村君や桐山君が必死に特訓してくれてるんだもの~」
「……そ、そうかよ」
黒長は口元を引き攣らせた。
(……何なんだよ、こいつの自信は)
「ほーら、早く帰りましょ。るんるんるんっ♪」
月岡と黒長は、もう馴染みの街となった棲家に戻ってきた。
「あら」
橋を渡ればスラム街に入るという位置まできて、月岡は目を輝かせた。
「見て博君、掃き溜めに鶴だわ」
月岡が指さした先には随分と整った顔立ちをした少年が2人たっていた。
「まあまあ素敵ね。ねえ博君……あれ、ちょっと待って?」
月岡は黒長の後ろ襟首をつかむと近くの電信柱の陰に飛び込んだ。



「ど、どうしたんだよヅキ。おまえの大好きなイケメンじゃないか」
「馬鹿ね。あの2人一般人じゃないわ」
「え?」
「……多分、軍の人間よ。アタシの目に狂いはないわ」
「軍の人間ん?」
とてもそうは思えなかった。
1人は中背の男前、もう1人にいたってはヨーロピアン貴族のような華やかな美少年と来ている。
「そうだな。あっちの黒髪の男のほうは見えなくもないけど、巻き毛のほうは絶対違うだろ。
喧嘩なんかからきし駄目そうだぞ」
「馬鹿すぎて話にならないわね。あなた、桐山君を一年以上見て何を学んだの?」
黒長は「あっ」と小さく叫んだ。
そうだ、桐山も外見だけなら暴力とは無縁の人間。だが、その中身は人間核弾頭なのだ。



「で、でも、なんで一目見ただけで軍の人間だなんてわかるんだよ」
「アタシの店にも軍人は何人も来店したことあるわ。臭いでわかるのよ。
それに見て見なさいよ。さっきから私服軍人が何人も徘徊してるでしょ。
ほら、あいつ。ああ、あいつもそうね。まあまあ何て下手な変装かしら」
月岡が指さした連中を黒長はじっと見詰めた。
確かに軍人と言ってもおかしくない体格の持ち主、野性味溢れる一風変わった眼光も持ち合わせている。
「よく見て御覧なさいよ。あいつら演技が下手でばればれね。
あの美少年たちの前を歩くとき、微妙に姿勢が低くなってるでしょ。
おまけに意識的に彼らの半径三メートル以内には入らないように歩いているわ。
あんな連中なら『おい邪魔だ、道あけろ』って言いそうなものなのに」



黒長は、もう一度少年達を見詰めた。
そして、すぐに月岡の鑑識眼の凄さに気づいた。
注意して見れば確かに月岡の言うとおりだった。
「……本当だ。あんな大男たちが、あいつらを避けて歩いてる」
「あいつらはガタイはいいけど顔みる限り頭は大して良く無いわ。
二等兵、せいぜい伍長か軍曹止まりね。そんな連中が頭下げるなんてきっと士官よ。
桐山君と戦った、あの可愛い坊やが言ってた連中じゃないかしら?」
「と、特撰兵士って連中かよ?」
「きっとそうよ。大変だわ、竜平君たちに知らせないと。
博君、さっさと公衆電話探してちょうだい!」
「あ、ああわかったよ!」




「……気づいたか薫?」
直人は振り向きもせず隣の立っている少年に問うた。
「誰に質問してるんだい直人?
あれだけの視線に気づかないんじゃ特撰兵士なんて務まらないよ」
「2人いたな。どうやらK-11と関係あるって情報もあながち嘘じゃないようだぜ。
俺達の正体に気づき引返しやがった。きっと仲間に連絡取ってるぜ」
「ああ、そうだね。僕も驚いたよ」









「……あーあ、ヅキの奴遅いなあ。どうせ買い物に夢中になってるんだろうぜ。
『女の買い物時間は長いのよ!』っとか何とか言ってさ。
オカマってほんとたち悪いぜ。ん?赤松、てめえ、何さぼってんだよ!」
内職の手を止めていた赤松に笹川の蹴りが入る。
「ご、ごめんよ笹川君。でも疲れて……お、俺……」
赤松は涙ぐんでいた。その態度が笹川の怒りの導火線をさらに短くした。
「おまえ見てるといらつくんだよ!」
「そ、そんな……」
月岡がいなくなると笹川の赤松虐めはぐんとレベルアップする。



「……まただよ。笹川君って本当にいじめっ子だよね瑞穂」
佳織はブラウスの中からロケットを取り出した。
愛しのジュンヤはいつも同じ笑顔を彼女に向けてくれる。
「……もう一ヵ月半もジュンヤを見てないのよ。辛いよ」
瑞穂は呆れていた。
自分と同じ光の戦士であるはずなのに、佳織には自覚がない。
神の声を聞かず、男にうつつをぬかすとは、光の戦士にあるまじき行為。


(あー、それはですねミズホ。彼女は所詮は平民なのです。
ですが、あなたは違います。あなたが彼女に光の戦士としての見本を見せるのです)


神の声が聞えた。瑞穂にしか届かない光の女神の聖なる声が。
電話のベルがけたたましくなった。そばにいた国信が受話器を取る。
「もしもし」
『ああ、アタシよ!あなた国信君ね、早く逃げなさい!』
受話器の向こうから耳に馴染んだ野太い声。
「月岡さん、どうしたんだよ、逃げろって?」
『ああ、もうじれったいわね!いいからさっさと逃げるのよ、見付かったのよ、アタシ達!』
「……え?」
国信の心臓がドクンと跳ねた。
「み、見付かった……って、だって、そんな……」
「いいからアタシを信じて逃げるのよ!荷物なんかまとめてる暇なんて無いわよ!
着の身着のままさっさと出るのよ。正面は駄目、裏口から出なさい、いいわね!?』
それだけ言って電話は切れた。国信は呆然と受話器を握り締めた。


「……み、見付かった?」
恐れていたことがついにきた。
覚悟はしていたつもりだったが、いざ現実となると恐怖と戸惑いだけが心に押し寄せてくる。
「み、皆、大変だよ!」
様子がおかしい国信を全員がきょとんとした目で見詰めた。
「に、逃げるんだ!もう時間がない、さっさとここから出るんだよ!!」














「……こいつらが例の連中だと?」
戸川の眉が微妙に変化していた。その手には六枚の似顔絵が握られている。
戸川の前に引き出された飯島達6人はそろって青ざめ涙ぐんでいる者すらいた。
「……こいつらを確認した奴は誰だ?」
誰かが「はい」と元気よく手を挙げた。平の兵士だった。
「本人だと断定した決め手はなんだ?」
「そりゃ似顔絵ですよ。そっくりじゃないですか」
「そっくり……だと?」
途端に戸川の鉄拳が炸裂した。兵士は10mほどぶっとび、そのまま地面にダイブして気を失った。


「全然似てない、そのこいつらが本人だということは――」
戸川はハッとした。
「あの女、あの女だ!」
この馬鹿のせいでとんでもないミスを犯した。
似顔絵なんかに気を取られて見逃してしまうとは。
「大尉、まさか、あの女は」
戸川が言わんとすることを泪も察した。
「では、一緒にいた男は?」
「奴が本物の杉村弘樹だ」
だとしたら、1人余計な人間がいる。
「で、では……では、さっきの杉村弘樹は?」
優秀な少年兵士の手を振り切り、あまつさえ特撰兵士を前に簡単に逃亡に成功した、あの男は?


「決まってるだろう、K-11だ!K-11のメンバーだ!!」














「……なっちゃん、大丈夫かな?」
理央はパソコン画面をぼうっと見詰めていた。ネットゲームを半ば無意識にやっている。
「おい理央」
「……ん?」
振り向くと夏生が立っていた。

「なっちゃん、良かった無事だったんだね!」
「なんとかな。それよりもちょっとパソコン貸せよ」

夏生は強引に椅子を取り上げるとマウスを器用に動かした。
「なっちゃん、またアダルトサイト閲覧するの?」
「馬鹿、そんなんじゃねえよ。これだ、これ」
理央は夏生の肩越しにパソコン画面を見詰めた。

「軍裏サイト?」
「そ、一般市民も閲覧できる公式サイトとは全く別のちょっと危険な軍人専用サイト。
軍人でも、このサイトの存在知っている奴は士官か一部の特殊な兵士くらいなんだぜ」

公式の軍サイトは軍人以外でも閲覧ができる(登録制ではあるが)
しかし公式サイトには誰がみても差しさわりの無い情報しか載ってない。
つまり軍の裏の裏を知るには不適格。
この裏サイトにはあらゆる裏情報が記載されている。
(ただし半分は未確認情報ゆえに、個人情報の保護などを考えると違法なものが多い上に、確実とはいえない。
そんな情報が真実か否かを正確に判断できるのは、その情報に深く係わっている者限定となる)


「ふーん、でも何でこんなサイト見るの?」
「このサイトの存在知ってる人間は軍人以外にもいる。ごく一部の特殊な連中さ。
つまり俺みたいに政府の裏まで知ってる人間」
夏生は画面を凝視していたが、表情を渋くした。
「……思った通りだ。もう記載されてるぜ」
K-11と関与すると思われる謎の人物として三年B組の生徒達の顔写真と名前がずらっと。
写真が記載されているのは逮捕された一部の生徒のみで、大半は目隠しが入ったモンタージュ写真ではあったが。
「見ろよ理央。これで美恵ちゃん達が本当にあいつらと関係あるなら、奴ら出てくるぜ。
自分達の仲間が逮捕されたんだ。必ず何か仕掛けてくる、仕掛けてこなかったら無関係ってことだ。
この情報をアップした奴は相当性格悪いぜ。K-11を強引に引きずり出す気でいやがる。
どこの誰かはわからないけど絶対にお友達にはなれそうにないな」














「北斗、北斗、大変だ!」
薄暗い廊下。昼間だというのに証明がないと一歩先も見えない地下施設。
タンクトップに短パンといういでたちの少年が慌てて走っていた。
そして、ある部屋に駆け込む。よく手入れが行く届いてはいるシンプルな部屋だ。
「何だい、騒々しいのは好きじゃない。静かにしたまえ」
「すましてる場合じゃないぞ。軍裏サイト見てみろ!」
「何だ、君ももう見たのか。だったら話は早い」
北斗と呼ばれた男は形のいい手を頬に添えると、左脚をあげ右脚にかけた。
「俺達と関係あるって、おまえ何か知ってるのか?こんな連中、見たこともないぞ俺」
「知りたくも無い」
北斗は冷たい目でパソコン画面を睨みつけていた。


「無視してもいいだろう、といいたいところだが事情が変わった」
「なんで?」
「わからないのかい颯?だったら、その馬鹿面を画面に貼り付けて、
もう一度しっかり生徒諸君の顔写真を、その鈍い角膜にしっかり焼付けたまえ」
颯と呼ばれた少年は、言われた通りにじっと画面を見詰めた。
そして、ある生徒の名前に気づき凍りついた。
「お、おい、これ、どういうことだよ。嘘だろ?!」
「大至急、彼に連絡を。厄介になことになりそうだ」














「理央、俺はまたお出掛けする。何が何でも貴子ちゃんを保護してやらないと俺の気がすまない」
「……な、なっちゃん」
理央の声が震えている。夏生は何事かと振り向いた。
「どうした?」
「裏サイトが更新されたよ。たった今……これ、なっちゃんのことじゃない?」
「何?」
夏生は踵を翻し再びパソコン画面に魅入った。
それはK-11のメンバーの1人だと思われる謎の男の出現という最新ニュース。


『顔を隠した謎の男は爆弾攻撃を仕掛けた後に地下通路を利用して脱出したものと思われ当局は……』


夏生はさすがにギョッとした。間違いなく自身のことだ。
「ど、どうするんだよ、なっちゃん。だから、もう係わるなって俺言ったのに」
「……どうもこうもないだろ。安心しろ捉ったわけじゃないんだ」
「でも!」
「いいから安心して待ってろ。じゃあ出掛けてくるわ」
夏生の後姿を見送りながら理央は全身で震えていた。


「……も、もう、これ以上はだめだよ、なっちゃん」
夏生は好意で赤の他人を人助けしている(9割はスケベ心からくるものだろうが)
その為に万が一政府につかまって裁判にでもかけられたら
夏生の祖父の権力をもってしても助けてやれるかどうか……。
理央は腕を組んで何度も何度も考え、そして無い知恵をフル回転させた。
その結果、一つの解答をひねり出し、悩みながらも行動に移すことにした。




「お坊ちゃま、お出掛けですか?」
黒いスーツにサングラス、マッチョな肉体のボディガードに理央は言った。
「すぐにヘリコプターを出して」
「行き先はどちらでしょうか?」
「東海自治省、母ちゃんの実家の季秋家に行く」




【B組:残り45人】




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