「よくも俺のクラスメイトを殺したな、許さないぞ!」
「……使えもしない銃をぶっ放して勝手におっこちたんだろうが」

その非情な台詞に七原の感情は臨界点を突破した。


「ふざけるな。殺してやる!」


七原は俊彦に立ち向かった。頭に血が昇っていたせいで全く気づいてないが当然武器などない。
まして相手は特選兵士。素手でなど勝てるわけがない。
それでも七原は、俊彦を倒す為に俄然と突進した。


「……ちっ、もう臭いをかぎつけやがったのかよ。お早いことで」


俊彦が独り言を呟いたが我を忘れている七原の耳に聞こえるはずがない。
渾身の力が篭った七原の腕が俊彦の後頭部に伸びた。

「……な!」

だが、拳と激突する予定だった俊彦が雲隠れにあったかのようにパッと姿を消していた。


「ど、どこだ……!?」
「どこ見てんだ。後ろだよ」




鎮魂歌二章―2―




良樹は必死に走った。クラスの中では駿足だった為、すぐに追いつくことが出来た。
「落ち着け中川!」
肩をつかんだ。相手の女生徒は、よほどびびったのか絶叫し、そのまま転倒。
盛大に前のめりに地面にダイブして、ようやく動きを止めた。

「きゃああ、殺さないで、殺さないで!」
「落ち着け中川、俺だ!」

中川有香は、まだ暴れている。良樹は有香をひっくり返し、自分の顔を見せた。


「俺だ、獣でも敵でもないだろ!」


「……雨宮君」
「そうだ、雨宮良樹だよ。落ち着け、冷静になるんだ、いいな?」
良樹はなるべく口調をゆっくりと柔らかくして話しかけた。
「落ち着いたか?」
有香の目は恐怖が色濃いが、こくこくと何度も頷いてくる。


「……よーし、もう大丈夫だ、俺がついてる。ここは危険だ、わかるよな?」
有香は再び頷いた。

「戻るぞ、さあ――」

背後からガサ……と、妙な音がした。














「ワールドに連行された?」
箕輪尚之は眉をひそめた。
「どういうつもりなんでしょうかね。あそこは科学省が作り出した危険生物専用動物園でしょ?」
胡桃沢にはさっぱりだったが尚之には見当がついた。

「克巳らしいな。あそこに連中を置き去りにしておいて、地下の飼育室から地上への出入り口オープンってところだろう」

「科学省のキマイラってのがぞろぞろ出てくるんじゃないんですか?」
「出てくるだけじゃ済まない。あいつら食い尽くされるぞ」
胡桃沢はぞっとした。
科学省が作り出した生物とやらは、尚之の言い方からして獣とすらいえないようなモンスターである可能性が高い。


「でも、やっと捕獲した連中をなんでむざむざ殺すんですか?しかも、あんな怪物達にやらせるなんて」
「政府が本当に捕まえたがっている連中とグルになってる奴があの中にいればどうなる?」
「どうなるって?」


「例えば、おまえがK-11とする。おまえの仲間が奴らの中にいる。
このままじゃ怪物の餌食になる。早く助けないと命の危険がない、計画を立てる暇もない、想像してみろ」


胡桃沢は「あっ」と小さい声を上げた。
十数秒後、「……水島中佐って褒められた性格じゃないね」と呟いた。

「今頃、気づくな」
「……でも、あのメタボ豚……あ、いえ宗徳殿下は」

相馬光子に首っ丈。いや、もはや奴隷根性まで植え付けられてるほど忠実な豚。

「ああ、そうだ。だから嫌な予感がする」




「うわぁあぁー!!」
タイミングよく醜い声が聞こえた。涙と供に鼻水と涎を垂れ流しているらしく、ぐちゅぐちゅと汚い音が聞こえる。
程なくして兵士が慌てて尚之を呼びにきた。
尚之は予測していたのかすでに立ち上がっていたが、その表情にはありありと不快の色が現れている。
宗徳の私室に入室するなり花瓶が飛んで来た。
コントロールが悪かったので避ける必要もなく、花瓶は壁に直撃し粉砕。
直後に宗徳の怒声が尚之に襲い掛かった。


「ば、馬鹿野郎ぉ~!!お、おま……おまえなんかぁぁー!ぶぎゃあぁ~ん!!」
「……殿下、御用は?」
「ご、御用じゃ……じゃねえだろぉー!!ぐじゅ、ぐじゅっ!」

宗徳は箱からティッシュを大量に取り出すと盛大に鼻をかんだ。
鼻水が糸を引いている。科学省が作り出した怪物もこれほどは醜くないだろうと尚之は思った。


「ご、ごんな所で……ごんな所で何を油うってるんだよー!!
み、光子様が……!光子様が食べられちゃうじゃないか、何とかしろよぉぉ~!!」
思った通りの展開だった。
彰人の秘書から総統一家をはじめ、政府高官や軍のお偉いさんにメールが送られていたのだ。
内容はこうだ。

『世にも面白いキマイラと少年少女の戦い。誰が最後まで生き残るか、賭けでもしませんか?』――と。

この国、最大の悪法と言われるプログラムは、今や公然とギャンブル化している。
その延長だろう。刺激に飢えている連中は、こういう無神経なゲームにすぐに乗る。
宗徳にしても光子がいなかければ、喜んで湯水のように大金を賭けていたに決まっている。
もっとも宗徳は予想も下手で当たったためしがない。
そして外れた八つ当たりを尚之が受けるのも、またいつもの事だった。


「殿下から総統陛下や兄君達にお願いすればいいのでは?」
尚之はちょっとムカついていたのか意地の悪い提案をした。
「そ、そんな事……でぎるわけないだろぉぉ!!」
宗徳は枕に食いついて再び号泣した。
異腹の兄達はおろか、実の父親である総統にすら疎まれているのは周知の事実。
宗徳はその空気すら読めず調子にのって父や兄に接し、手痛い態度をとられた。
特に潔癖な彰人には何度痛い思いをさせられているか。
その為、「恐れ多くも総統陛下の息子」がお決まり文句である反面、父や兄を怖がっているというわけだ。
今ではお願い一つ怯えてできない。まさに究極の小心者といえよう。
だから、いつも無理難題は尚之に押し付ける。
うざい事、この上ないが、今回ばかりは尚之も事情が違った。


(……いくら、あの女が一筋縄ではいかない人間でも今回は自力で生き延びるのは無理だ。
相手は奸知や色仕掛けが通用する相手じゃない。あるのは食欲と戦闘の本能だけの化け物なんだ)


「箕輪さん、殿下の命令に従うんですか?お偉いさん達のギャンブルの邪魔したら後が怖いですよ」
「知るか。俺は上から『宗徳殿下に忠実にお仕えしろ』と命令されている」














「この私に、悪趣味な連中の賭け事に付き合えというのか?」
彰人はあからさまに不機嫌な態度を見せた。
「単なる暇つぶしですよ。恐れ多くも陛下や殿下のお命を狙う連中を、ただ大人しく待つでは退屈でしょう?」
「だからといって、ブラックギャンブルを急遽開催とは」
プログラムは上は総統から下は末端の兵士や公務員まで賭けの対象になっている。
通称、ブラックギャンブルだ。高官クラスになると億単位の金が動くと言われていた。


「深水、おまえ、一体何を考えているんだ?」
「いいではありませんか。ブラックギャンブルは単なる口実です。
いずれ、あの怪物達はプログラムの進化版に使用する計画も持ち上がってます。
そのサンプルを天覧なさるのも、殿下には将来的に必要だと思ったまで」
「……そうか。貴様が、そう言うと一理あるな」
深々と敬礼する秘書。

彰人は思った、この男は有能なのだから、全てまかせておけばいい――と。














有香は震えながら良樹の背中に隠れた。恐る恐る茂みを見詰める。
「……雨宮君……あ、あの音……何?」
もしも、先ほど自分達を襲ってきた謎の生物なら、きっと自分達など紙くずのようにズタズタにされるだろう。
再び恐怖に支配されかかった有香を挑発するように茂みが大きく動いた。

(こ、怖い……!)

もう限界だった。有香は悲鳴を上げると踵を翻し猛ダッシュした。
その、ふくよなかボディとは裏腹に有香はなかなか機敏だった。
テニス部で鍛えただけあって、それなりにスピードには自信があったのだ。
(勿論、陸上部短距離エースの貴子には到底比較にならないが)


「な、中川、待てよ危険だ!」

良樹の声が聞こえたが、そんなものは今の有香を制止をかける力にはならない。
有香は走った。周囲は木々に囲まれ、どの方角に走ったらいいのかわからないが、とにかく走った。
小石につまずき、ようやく有香は動きを止めた。膝に痛みが走る。

「中川、馬鹿、何で逃げたんだ!」

有香は女生徒の中ではそれなりに速かったが、やはり良樹にはかなわなかったようだ。
あっさりと追いつかれ、「ほら立てよ」と腕を引かれた。

「さっきのは、ただの鳥だったぜ。早とちりしすぎなんだよ、中川は」
「え、鳥?」

有香はきょとんとして良樹を見上げた。明らかに呆れた顔をしている。
有香は恥かしくなって、「え、えーと、その……」と何とか弁解しようと試みた。
いつも教室では委員長グループの笑いの元となっているので喋る事には自信があった。
それなのに言葉がスラスラ出てこない。それどころか、まだ足が震えている。

「もう逃げるなよ。さあ戻ろう」
「……戻るって?」

有香は辺りを見渡した。
視界にはいるのは木々ばかりで、左右前後を見てもどれも同じ景色に見える。
自分がどこからこの場所に来たのか、元の場所はどこに行けばいいのか何もわからない。


「いいから俺について来いよ。ほら、こっちだ」
良樹は有香の袖を引っ張り歩き出した。
雨宮君、帰り道わかるの?」
「……まあな。迷いそうな箇所には目印つけてきたから多分」

それは山での特訓中に夏生から教えてもらったことだった。
他にも太陽や星の位置から時間や方角を知る方法など色々。
当時は必要ないだろうと思ったが、こうして得体の知れない森の中に放り込まれると、夏生の教えは正しかったと実感できる。
しばらく歩くと目印においた小石を見つけ、良樹は「ほら、こっちだ」と立派に案内人を務めた。
背の丈ほどある草むらの横を通り抜けようとした時、草むらがガサッと動いた。


「ま、また鳥?大丈夫、今度は大丈夫よ」
有香はちょっと震えていたが、汚名返上とばかりに勇気を出して自分から草むらの側に立った。
「ほら、大丈夫よ……ね?」
草むらが激しく動いた。有香は「ひっ」と声を上げた。


「……おい中川」

おかしい、草むらの動き方が尋常ではない。鳥などではない。


「中川、離れろ!」


その時だった!
草むらの中から腕のようなものが出てきたかと思うと、次の瞬間、有香は一瞬で草むらに引きずりこまれた。


「な、中川ー!!」


草むらがさらに激しく動き、有香の悲鳴が聞こえてきた。
そして、その直後……今度はシーンと静まり返った。














「……うっ」
七原は鳩尾に強烈なパンチをくらい、そのまま意識を失った。
「……ひっ!」
さくらも悲鳴を上げ終わらないうちに七原と同じ目に合い、その場にダウンした。
「しばらく寝てろ」
俊彦はゆっくりと振り返った。

「俺に喧嘩売ってるんだろ?いいぜ、出て来いよ。相手になってやるぜ」

木々の間からギラッと赤い光が怪しく光った。
赤い光、それは目だった。1つ、2つ、3つ……全部で8個の光。
その光の主が森の中から一斉に飛び出してきた。

「死ぬぜ。俺と戦った奴はみーんな死んじまうんだ」














「おい待てよ旗上!」
三村は旗上をつかまえた。ベルトをつかんだせいか、旗上は転んでしまった。
「逃げるな、外はもっと危険なんだ。わかるだろ!」
旗上は尚も逃げようと三村を振り切ろうと暴れたが、一喝されるようやく大人しくなった。
すでに先ほど捉えた飯島を連れ、元の場所に戻る事にした。
他の連中はきっと良樹達が捕まえてくれただろうと信じて。
実際に赤松と好美は杉村が捕まえ、すでに無事に戻っていた。


「ば、馬鹿いうなよ三村……あ、あそこに戻ったら妙な怪物が!」
「落ち着け旗上、よく考えてみろ。外に出たら、それこそ一巻の終わりだろ」
旗上は「あっ」と思わず声を上げた。
「あそこには武器もある。また襲われないうちに戻るんだ、わかったなら、さっさと立て」
旗上は頷いて、ゆっくりと立ち上がった。


「お、おい三村……ほ、本当に大丈夫なのかよ?」
「そんな問答してる暇があったら歩け。ほら、行くぞ」
戻る事に躊躇していた旗上と飯島だったが、いざ三村が歩き出すと慌てて後についてきた。


(戻ったら今後のことを川田達と話しあわなきゃならねえな……。
まず、奴らの目的をつきとめねえと。嫌な予感がするんだよ、それから……!!)


三村は思わず硬直した。何かがいる、それも背後に!

「三村、どうしたんだよ?」
「……お、おい?」

飯島と旗上が不安そうに尋ねてくる。
「…………」
何かがいる……気のせいじゃない、確実に此方を見ている。


(……落ち着け、落ち着くんだ。襲うつもりなら、とっくに襲っている)


此方の様子を伺っているのか、すぐに襲撃するつもりはなさそうだ。
だが殺気がないわけではない。先ほどみた謎の獣だろうか?

(飯島と旗上にはいえない。こいつら絶対にパニックになるに決まっている)

走り出すのもやばいと三村は判断した。
自分達を見詰めているものが何なのかはわからないが、急に走り出しては返って刺激してしまう。


(ゆっくり……ゆっくりだ)

三村はそ知らぬふりして歩き出した。 旗上と飯島もついてくる。

(……まだ見てやがる。何なんだ、一体?)

それは、ほんの数十メートルの距離を歩くだけの短時間の出来事だった。
しかし三村にっては数時間、いや数十時間にも感じた。

(……消えた)

殺気が消えた。同時に気配も忽然と消えた。
三村は大きく深呼吸した。どうやら遠くに行ってくれたようだ。

(……助かった)

それが三村の素直な気持ちだった。もしも、相手が自分達を襲っていれば、今頃死体ができていたかもしれない。
とりあえず危機は去った。しかし三村の心に刻まれた恐怖は消えてなかった。
それを2人に気取られぬように三村は何事もなかったように歩き続けた。














「な、中川!!」

有香が殺される!良樹は自分の危険も省みず、草むらの中に飛び込んだ。
草の一部が倒伏している。それが一直線に続いている。
何かを引きずった後、間違いなく有香を連れ去った跡だ。良樹はごくっと固唾を飲み込んだ。

(……何なんだ奴は)

一瞬だったが確かに見た。あれは確かに腕だ、だが人間の腕とは何か違和感があった。
とにかく考えるのは後だ。今は有香を救い出さなくてはいけない。
良樹は一歩前に出た。右手に目をやると無意識に震えていた。
右手首をつかむと大きく深呼吸した。


(畜生、落ち着け。落ち着くんだ)


震えが止まった。良樹は勇気を振り絞って走った。
今は一刻の猶予もならない。有香を探し、その身柄を保護して、それから全力疾走で逃げる。

(中川、無事でいろよ!)

そんな良樹を嘲笑うかのように、草むらをぬけた良樹の目に衝撃的なものが飛び込んだ。


「……な」
有香がいた。地面の上に横たわって動かない有香がいたのだ。
「中川!」
駆け寄った。有香はよほど恐ろしい目にあったのか、目を見開いている。

「中川、しっかりしろ!」

起こそうと上半身を起こしたが反応がない。最悪の予感が良樹の胸を過ぎった。
良樹は有香の首筋に触れてみた。そして愕然とした。


(脈が……ない)


有香の肩を支えている左腕、左手にぬめっとした感触がある。
血だ。有香の後ろ首から出血している。

(首を一噛みされて絶命したんだ)

良樹は周囲を見渡した。有香の命を奪った謎の生命体は、まだこの近くにいるはず。

(どこだ、どこにいる?!)

気配は感じない。しかし、もうこんな場所にとどまっていることは出来ない。




「すまない中川」
申し訳ないが有香の遺体を連れてゆくこともできない。
せめてもと目を閉じさせ手を組ませてやった。
良樹は立ち上がると周囲をもう一度見渡してから全速力で走り出した。
足には自信がある。とにかく距離をとる、正体不明の敵にはそれが最善かつ、今の良樹には唯一の抵抗の手段だった。
だが恐怖は去ってはくれなかった。数秒後に背後からおぞましい足音が聞こえだしたのだ。

(追いかけてくる!)

追いつかれたら有香のように一撃で殺されてしまう。
良樹は走った。振り向いている余裕などない、とにかく走った。
だが相手もかなり速い、なかなか距離が広がらない。
しかも脚力が全く落ちない。
良樹はどんどん息が上がっているのに、謎の怪物はまるで無尽蔵の体力を持っているかのように勢いが止まらないではないか。

(やばい、このままじゃ追いつかれる!)

その証拠に足音がどんどん大きくなる。差を詰められているのだ。
そしてついにおぞましい叫びが背中に突き刺さるように放たれた。
それは捕食者が獲物に襲い掛かる歓喜の声だ。
良樹は己の死を予感して全身が冷たくなった。














「だから言っただろ?俺と戦ったら死んじまう……って」

俊彦は冷たくなった八つの肉塊を見下ろしながら、そう言った。
(昨日のうちに収容しておかなかった奴がこんなにいるなんて。
……たく、ここの管理は杜撰するんだよ)
俊彦は七原とさくらを抱えた。とにかく2人は元の場所に戻しておかなくてはいけない。


「これでも、おまえらには同情してるんだぜ。二度とこんな国には生まれてくるなよ」
俊彦はちらっと背後に目をやった。
(ちょっと持ち場を離れるのは心配だが、フェンスがあるからこいつらが外に出る事は無い)
ただ一つ気がかりなことがあるとすれば侵入者の存在である。
(……何、ちょっと離れるだけだ。それに、こんなすぐに行動にでるほどあいつらも焦っちゃいないだろう)
俊彦はすぐに戻るつもりで、その場を後にした。
本当にほんの数分で何かがあるとは思わなかったのだ。














「ぎゃぁあぁ!!」
それは、この世のものとは思えないほどおぞましい絶叫だった。
良樹は思わず左胸を押さえた。心臓がドクンドクンと力強く鼓動している。


「……生きてる?」


それは嬉しいというより不思議な感情だった。良樹は、その謎を解くべく初めて振り返った。
と、同時に何者かが横から凄まじい飛び蹴りと供に出現。
再びおぞましい絶叫と供に、良樹を追撃していた謎の生物が、その蹴りで草むらの中に飛ばされた。


「大人しくしていろと言っただろう」
「……お、おまえは!」


菊地直人だった。直人は自らも草むらに飛び込んだ。
草むらが激しくざわめき、恐ろしい絶叫と鈍い音が幾度となく聞こえた。
だが、それも長くは続かなかった。やがてシーンと静寂が訪れた。
そして草むらから何事もなかったかのように直人が出てきた。


「……あ、あいつは?」
思わず尋ねたが、おそらく殺された事は直人の服についている返り血を見ればわかる。
「馬鹿が!」
直人は突然手を上げてきた。平手打ちをくらい良樹は地面に叩きつけられる。

「大人しくしてろと言っただろう。勝手なことをされて勝手に死なれたら困るんだ。
急がなくても貴様らには死に場所をいくらでも用意してやる。二度とやるな」

直人は冷たい目で良樹を見据えた。良樹はゆっくりと頷いた。
有香を殺した恐ろしい何かを、この菊地直人は難なく倒したのだ。
とてもじゃないが自分が勝てる相手じゃない。ふいに美恵と加奈達の会話を思い出した。




「木下さんが負けたって何があったの加奈さん?」
「だから言っただろ。あの菊地って奴は化け物なんだよ、だって木下さんが……」
鉄平は余程ショックが大きかったのか、すっかり意気消沈している。
しかし菊地本人が退室したせいか加奈はたまりにたまっていた不満を突然爆発させた。

「お兄ちゃんがあいつに劣っていたわけじゃないの。
あ、あいつは……あの菊地って奴は最低よ。卑劣な男なのよ!!」
加奈は悔しそうに涙まで浮かべた。
「あ、あたし見たんだから、お兄ちゃんがどんな卑怯な方法で倒されたのか!
あ、あいつ、最初っからお兄ちゃんと正々堂々と戦うつもりなんてなかったのよ!
真っ向勝負避けたのよ。お兄ちゃんの攻撃を避けて……背後に回って頭に攻撃しかけたんだから!!
いくらお兄ちゃんが強くても頭部に強烈な打撃加えられたらダメージ凄くて……まともに動けなくなって」
加奈はついに泣き出し、半ば咽び上げながら言葉を続けた。


「それなのに、あいつはふらついてるお兄ちゃんに容赦なく連続攻撃しかけたのよ!
だからお兄ちゃんは実力で負けたわけじゃない。あいつのやり方が汚すぎたの、まぐれ負けよ。
お兄ちゃんが、最初の攻撃を避けてたら結果は逆になってたわ。
あいつ、すました顔して、お兄ちゃんを馬鹿にして卑怯な手段にでたのよ。
はじめから、まともに相手するつもりなかったのよ。あたしにはわかる……!」
加奈はそのまま床に突っ伏して号泣した。





(……違う。あれは彼女の単なる身内贔屓だ)

良樹の額からは冷たい汗が流れていた。

(木下さんには悪いけど……こいつマジで強い。まぐれで勝つなんてレベルの人間じゃない)


「何をぐずぐずしてる。すぐに戻るぞ」
「……は?」
「さっさとしろ。また襲われたいのか」

良樹は仕方なく直人の後に続いた。猛獣よりはマシだと判断して。
直人は無言だった。だから良樹も、しばらく黙っていた。


(……特選兵士は俺もよく知らないけど、全員こいつみたいに強いのか?)
木下は特選兵士の周藤晶と氷室隼人をまとめて倒した経歴の持ち主だと加奈は自慢していた。
(嘘じゃないよな?だとしたら特選兵士もピンからキリまでレベルがあるんだな)
ふいに直人が立ち止まった。

(何だ?)

「おまえ、さっきから俺に何か言いたそうだな。文句でもあるのか?」
「……何だよ」
「俺に対して妙なこと考えてやがるだろ」
正直、驚いた。後姿を凝視して心の中で思っていただけなのに、この菊地という男にはお見通しだったらしい。


「……あ、いや……あんた、特選兵士最強なのかなって思っただけだ。
特選兵士を2人も倒した木下さんが、あんたには手も足も出なかったって聞いてさ」
「俺はそんな話信じていない。はっきり言うが、その負けたとされている2人は俺でも勝てるかわからない」
良樹は言葉も出なかった。


「だが、特選兵士にはあいつらより確実に上だという人間が最低2人は存在する」

――な、何だよ。化け物なんてレベルじゃないじゃないか。


「俺は他の特選兵士と違って野心家じゃないから、そんな事はあまり興味がない。
国防省の特殊諜報部員として任務を全うするのが俺の仕事だ。
せいぜい国家の為、総統陛下の為に働けばいいだけだ」
「……総統のため?」
良樹は露骨に不快感を露にした。


「……そんなに総統ってのは偉いのかよ。あんな奴の為に必死になるなんて、能力の無駄遣いだと思わないのかよ」
「おまえ……いい度胸しているな。特選兵士の前で総統陛下を罵るなんて聞き逃してもらえると思っているのか?」
「……事実だ」

良樹は拳を握り締めていた。

「……あんな奴……あんな奴のための国家なら潰れた方がマシだ!
あんな人間に忠誠尽くす野郎なんか、特別な人間でも何でもない!」




「……ただの大馬鹿野郎だっ」




【B組:残り43人】




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