「な、何……これ」
まるで魔物のうなり声が夜空から降り注いでくるかのようだ。
美恵は、そのおぞましさに顔色を失った。
「……奴が出てくるよ」
直弥の言葉に美恵は敏感に反応した。
「……化け物が」
入手した情報だけでも、ぞっとするような怪物。それがいよいよ地底から解放されるというのだ。
「もう猶予はないね。彼女の事は北斗達にまかせて僕達はここを出よう」
「出るって……」
仲間を見捨てて自分だけ逃げるなんて美恵には考えられなかった。
第一、外では特選兵士が監視の目を光らせている。簡単に脱出なんてできるわけがない。
「その点は心配ないよ。季秋がお膳立てしてくれるさ」
鎮魂歌二章―19―
「た、貴子、このサイレンは……」
杉村は不安そうな表情で振り返った。
貴子は、そんな杉村をキッと睨みつけると、軽く頬を叩いた。
「しっかりしなさい弘樹、大丈夫よ、あんた一人くらい、あたしが全存在をかけて守ってあげるから」
杉村は呆気にとられている。
「もう一度言うわよ。あんたはあたしが全存在をかけて守るわ」
杉村の表情が徐々に引き締まっていく。
「お、俺も、俺もおまえを守るよ貴子!」
杉村は貴子の強さに触発されたようだ。
本気を出せば強いのに精神面で今一歩自身に自信がもてない幼馴染の覚悟に貴子は笑顔で頷いた。
「友美子、泉、あんた達も覚悟を決めるのよ」
「う、うん」
「……わかったわ」
貴子は地図を広げた。歩き回るのは終了だ、砦の代わりとなる場所を探さなくてならない。
「洞窟……いえ、今からじゃあ入り口を塞ぐのは無理だわ。この研究所なんかどう?」
地図にはいくつか建物が記入されており、簡単な説明文も付記されていた。
第二研究所は現在位置から最も近い場所にあったのだ。
「その前に、もう一度雪子を。もしかしたら元の場所に戻ってるかもしれないわ。お願いよ」
雪子だけは後回しにできないという友美子。これが杉村なら貴子も同じ事を言っただろう。
「そうね。直線距離からは外れるけど、目的地に行く前に立ち寄れる場所だもの。行ってみましょう」
「よし、そうと決まったら急ごう」
杉村を先頭に貴子達は歩きだした。
その姿は大型モニターを通してパーティー会場で鑑賞されているとも知らずに。
「雪子、いるの?」
友美子は辺りに注意を払いながら、小声で呼びかけた。しかし反応はない。
貴子は思った、友美子には気の毒だが雪子は、もう諦めた方がいいかもしれないと。
再び合流するどころか、もう、あの世に旅立ってしまっている可能性だって十分ある。
だが嬉しい事に貴子の予想は外れた。
茂みの中から、銃を構えた沼井がおそるおそる顔を出したのだ。
貴子達の姿を確認するや、「日下、おい北野、喜べ日下だぞ!」と大声を張り上げた。
次の瞬間、雪子が飛び出してきた。
同時に友美子が駆け出し、友美子と抱きしめ合って再会を涙と共に噛みしめた。
「よ、よかった。あ、あたし……あたし、友美ちゃんは殺されたかもしれないって……本当に良かった」
「あたしだって心配したのよ。雪子が無事で本当によかった」
貴子はほっとした目的を一つ果たした。しかも沼井という仲間も増えた。
不良だが根っからの悪ではない男だ。こんな状況では頼りになる仲間になるだろう。
「俺達、雨宮や川田と一緒に行動してたんだ。しばらく待てば二人とも戻ってくるぜ」
良樹と川田、こちらも頼れる連中だ。一気に仲間が増える。生き残る確率もぐっとあがる。
「あたし達は研究所に行く途中なのよ。少しは防御率があがると思ってね。
雨宮と川田が戻ったら、すぐに行きましょう。距離は――」
貴子はハッとして言葉を止めた。貴子の様子に、誰もが笑顔を曇らせている。
「貴子、どうした?」
杉村が心配そうに言った。
「……残念だけど雨宮達を待ってる時間はなさそうよ」
「何言ってるんだよ貴子」
貴子は杉村の口を手で塞ぐと左方を指さした。
遠くに赤い光が見える。泉が小さく「ひっ」と叫んだ。
「……動きがないって事は、今はまだ此方に気づいてないわ。
でも時間の問題と思った方がいいわね。すぐに移動するわよ」
「で、でも貴子」
杉村は、まだ躊躇していた。
良樹とは親友だっただけに、このまま見捨てるのは忍びない気持ちはわかる。
貴子だってそうだ。しかし感情に流されてはいけない事も理解していた。
すぐに筆記用具を取り出すと事の次第を簡潔に置き手紙として残した。
「行くわよ。雨宮や川田が無事なら、これを読んでくれるはずだわ。それに賭けるのよ」
赤い光には、まだ動きがない。貴子達は背を低くして慎重かつ素早く移動を開始した。
目的地に到着すると、まず杉村が屋内に入り、中に敵がいない事を確認。
「大丈夫だ貴子。中は安全だ」
「よかった。さあ皆、早く」
全員、屋内に入ると杉村がすぐに扉を閉めた。
貴子や沼井も開いている窓を次々に閉め、仕上げに家具でバリゲードを作った。
こんなもので例の化け物の勢いを止められるのかは疑問だが、無いよりはましだ。
「貴子、これからどうする?」
「今は静かに気配を殺すのが一番ね。それから、いざという時のために体を休めないと。
交替で見張りをたてて睡眠をとるのよ」
「そうだな。じゃあ俺がまず見張るよ」
杉村はカーテンの陰から外の様子に神経を集中させた。
聞こえるのは風の音だけ、静かなものだった。
直弥は壊れかけたドアを蹴りとばして美恵を屋内に導いた。
「……ここは」
随分と立派な建物だ。廃棄されたものではなく現在も使用されているものだろう。
その推測を裏付けるように屋内は整理整頓され家具なども一通り揃っている。
「科学省のお偉いさん専用施設。ここが一番堅固だからF4から君を守る事ができる」
「こんな建物、地図には載ってなかったわ」
「当然だろ。科学省の狂人達が自分達の休憩室を君達なんかに提供するわけない。
それにここにはFから身を守る為の武器もシステムもある」
「でもドアが壊れていたわ」
「僕がFの仕業に見せかけて壊しておいたんだよ。隠しカメラも破壊しておいたから安心していい」
破壊されたドアは伊吹と真澄が内側から溶接している。
「F4は主に夜間に活発に動く朝まで籠城するんだ」
直弥は部屋の隅にあったコンピュータを起動させた。そしてキーボードを数分間叩いていた。
(本当に安全なのかしら?だったら桐山君や貴子達を呼んであげたい。何とかならないのかしら?)
直弥達は自分を守ってくれるが、他の者には冷たい。
クラスメイトを助けたいという美恵の提案を受け入れてはくれないだろう。
(懐中電灯で合図を送れば……いえ、あの化け物をおびき寄せてしまう事になるかも)
そんな美恵の気持ちに気づいたのか直弥が気付いたようだ。
「下手な事はしない方がいいよ。君の仲間をここに呼んだら死ぬかもしれない」
「……どういう事?」
「百聞は一見にしかず。ほらFが来た」
F1の群が見えた。数は多くない。
ほんの数十メートル手前、カーテンの陰から様子を伺うと此方に近づいてくる。
「大丈夫なの?」
「見てなよ」
10メートルほどの位置まで来た。
その瞬間、バチっと火花が散ってF1達は一斉にひっくり返り脚を小刻みに動かしたのだ。
「感電してるの?」
「そうさ。この建物は今電圧に守られている。これで一安心だよ」
「待って、もしも私のクラスメイトが来たらどうなるの?」
F4という化け物が出てくるのだ。建物を見つけたら籠城しようと近づいてくる可能性大。
しかし直弥達は彼らを助けるどころか関わりすら拒否している。
「運が良ければ気絶だけで済むだろうさ」
予想通りのつれない返事だ。
「クラスメイトを殺すなんてできないわ」
美恵は外に出ようとした。その瞬間、鳩尾に強い衝撃を受けた。
霞んでゆく意識の中で最後に見たのは直弥の冷淡な表情だった。
「おい川田、沼井と北野がいないぜ」
良樹は焦った。連想したのは襲撃されて哀れにも冷たい肉塊と化した沼井と雪子の姿だ。
「畜生、連れ去られたんだ。すぐに助けに行こう。今なら、まだ間に合うかもしれない」
しかし川田は良樹と違い冷静だった。
「そう取り乱すな。ほら見て見ろ」
川田が指し示したものは貴子が残したメッセージだった。
「良かった」
良樹は、ほっと安堵の表情を浮かべた。沼井も雪子も無事。
しかも杉村、貴子、友美子と合流できたのだ。こんな頼もしいことはない。
「川田、すぐに皆の元に急ごうぜ」
「ああ」
二人は周囲に細心の注意を払いながらも素早く移動を開始した。
陸地が見えてきた。
良恵はホッとすると同時に渦の中に飛び込むような複雑な気持ちになった。
「あ、あの……」
怜央が良恵の服の裾を握り引っ張ってきた。
「どうしたの?」
「俺、一緒にいてもいいの?」
怜央はおどおどした様子で尋ねてきた。
「何を言うの。当たり前じゃない」
「で、でも俺……いつも役立たずだったから……」
(要達はこの子を邪険に扱いしてたのかしら?)
要達は基本的に秀明や晃司に似ている。だから何となくわかってしまうのだ。
Ⅹシリーズは他人の心情の機微に疎い。
本人達にそんなつもりはなくても怜央は邪険に扱われたと受け取っているのだろう。
「怜央はそんな心配しなくてもいいのよ」
「……うん」
怜央は、ようやく安堵の表情を見せてくれた。それでも良恵の服を掴んだままだ。
(怜央は甘える事を知らずに育ったのね)
良恵は怜央に手を差し出した。怜央はきょとんとしている。
「手をつないだ方がいいでしょ?」
怜央は二度ほど頷いて良恵の手を握ってきた。
そのまま二人は船から下り、海岸を歩いて公道に出た。
(時間は……深夜零時を回ってる)
瞬には携帯電話も財布も取り上げられている。
政府関係の施設は全国に山ほどあるが、そんな所には頼りたくない。
第一、怜央を危険に晒す事になってしまう。
(ここは確か春見中学校がある町とは40キロも離れてない場所だわ……彼に迷惑をかけたくはなかったけど)
上着の内ポケットには千円札が数枚入っていた。瞬もこればかりは見逃してしまったらしい。
近くのコンビニに入り両替してもらうと、良恵は電話をかけた。
数回の呼び出しコールの後、「もしもし」と、ぶっきらぼうな声がしてきた。
口調から寝ていたのだと容易に想像がつく。
「ごめんなさい。こんな時間に」
「良恵!?」
しかし良恵の声を聞くや、相手の男は急に食らいついてきた。
「良恵、良恵なんだな!?」
「ええ、久しぶり。元気だった?」
「ああ、おまえはどうなんだよ?」
「私は元気よ。こんな真夜中に迷惑だと思うけど」
「何言ってんだ。おまえがそこまでするなんて、よっぽどの理由があるんだろう?」
説明などしなくても良恵の今の状況を理解してくれる。
良恵はとてもありがたいと共に申し訳なかった。
「おまえが急に転校してから、俺、随分とおまえの事探したんだぜ」
ずっと心配してくれていたようだ。良恵は素直に嬉しかった。
しかし喜びにひたっている暇はない。
「お願い。今すぐ足がいるの」
「良恵?」
「理由は聞かないで」
良恵は絞るように言葉を吐き出した。数秒間の沈黙の後、「OK、わかったよ」と返事。
「今すぐ行く、場所はどこだ?」
「ありがとうカイ、恩に着るわ」
良恵は静かに受話器をおいた。コンビニの外に出ると電柱の陰から怜央が駆け寄ってきた。
「誰なの?」
「私の友達よ。しばらくの間、一般の学校に通っていた事があってね。その時、友達になったの」
名前は寺沢海斗、カイというのは良恵にだけ許された愛称。
一般市民の中で唯一良恵が親しくなった友人。
学生生活を送っていた頃、浮いた存在だった良恵を支えてくれたかけがえのない友人だった。
もっとも必要以上に良恵と親しくなりすぎたせいで徹からは目の仇にされ随分と酷い目に合わせてしまった事もある。
海斗は女には興味がなく、良恵とは純粋な友情関係なのだが、徹にはそんな理屈は一切通用しなかった。
「私なんかと係わったせいでカイは大変な思い何度もさせたの。
それでも私から離れず本当によくしてくれるのよ。きっと怜央も好きになるわ」
「お、俺……」
怜央は途端に警戒心の強い瞳を見せてきた。
「俺……他の人間嫌いだ」
「……怜央」
「大嫌いだ……!」
怜央は電柱の陰に隠れてしまった。
しばらくするとヘッドライトの明かりが見えた。バイクに少年が乗っている。
「カイ!」
バイクは弧を描くように停止した。海斗はヘルメットを外すと良恵を抱きしめた。
「良恵、会いたかったぜ!」
「カイ、ごめんなさい。ずっと連絡もしないで」
「いいって。おまえにはおまえの事情があったんだろうからな。
ところで、その……あいつはいないよな?」
海斗は辺りを見渡した。
「徹ならいないわよ」
「……そうか」
ほっとする海斗だったが、電柱の陰から此方を睨んでいる存在に気づき表情を強ばらせた。
「お、おい良恵、あいつ!」
「大丈夫よ徹じゃないわ。あの子は私の従弟なの」
「おまえの従弟?」
「ええ。ほら怜央いらっしゃい」
良恵は怜央に手招きしたが、怜央はあからさまに敵意に満ちた目で海斗を睨んでいる。
「……俺、嫌われてるみたいだな」
「ごめんなさい。ちょっと人見知りする子なの」
「はは……ちょっとかよ」
せっかくの再会をゆっくりと味わう時間もない。
「ごめんなさいカイ、それそろ行かないと……」
「本当に大丈夫なのかよ?」
何も言わなくても良恵が大きな渦に飲み込まれようとしている事を海斗は悟ったらしい。
心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……私がやらなくてはいけない事なのよ」
「そうか。だったら俺は何も言わないよ。ほら」
海斗はヘルメットとバイクのキーを差し出してくれた。
「なるべく早く返すから」
「いいって。どうせ校則破ってのってるやつなんだから、普段は使わないしさ」
海斗はポケットから財布を取り出すとお札を全て取り出して良恵の手に握らせた。
「少ししかねえけど無いよりはましだ。もってけよ」
「……カイ」
「事が終わったら、また顔を見せてくれよな。それから、いつでもまた俺を頼ってくれよ」
「ありがとうカイ」
良恵は、もう一度だけ海斗の手を強く握りしめた。
「怜央、行くわよ」
良恵が促すと怜央がようやく電柱の陰から出て駆け寄ってきた。
しかし海斗に対する敵意は相変わらず剥き出しのままだ。
「さあ乗って」
良恵はヘルメットを装着するとバイクに跨った。怜央も後部に乗り良恵にしがみつく。
「飛ばすから、しっかり掴まってて」
エンジン始動、バイクはスピードに乗った。
「本当にありがとうカイ!」
「無茶だけはするんじゃないぞ!!」
バックミラーの中で海斗が両腕を振っていた。
「良恵、どこに行くの?」
「瞬の狙いを突き止めないと始まらないわ。そうね、まず――」
「……行っちまった。いつも心配ばかりかけさせやがって」
海斗はバイクが見えなくなっても、しばらくその場に立っていた。
「……おまえ見てると、ほっとけないんだよ。これで本当に良かったのか?」
良恵を信じ送り出したものの、海斗は早くも後悔しだしていた。
もっとも今更悔やんだ所で後の祭りだ。良恵の行き先はおろか連絡手段もないのだから。
「……俺がもっと頼りがいのある男だったら良恵は同行させてくれたかもな。
佐伯は嫌な野郎だったけど、その点は俺より上だった。ちぇっ……」
海斗は溜息をつきながら足下に視線を落とした。
すると背後から足音が聞こえた。しかも、どんどん近づいてくる。
はっとして振り向くと同時に鳩尾に強烈なパンチが入り、海斗は地面に両膝をついた。
「な、なんだ……おまえ?」
見上げるとボクサーのように、がっしりした体型の男がたっていた。
サングラスをしていたので、はっきり顔はわからないが少なくても自分の知っている人間ではない。
「すぐに別れたから命だけは助けてやる。それが俺の主人のお言葉だ」
男は無骨な口調で海斗にそう告げた。
「だが、今後二度とあの方と接触するな。それが主人からの警告だ。
もし、また連絡があったら密会などせず此方に連絡しろ」
そう言って男は一枚の名刺を海斗の上着のポケットに入れた。
そして用は済んだとばかりに、さっさとその場を後にした。
「な、何だったんだ。あいつは……?」
良恵に近づくなと警告していた。だが良恵を「あの方」と呼んでいた。良恵の敵ではなさそうだ。
「誰なんだよ。俺を殴るように命令するなんて、あいつの主人って……?」
海斗は強引に渡された名刺をポケットから取り出した。
電話番号とEメールが記載されているが名前はない。
「どこの誰だよ!」
海斗は携帯電話を取り出すと、すぐに謎の人物の正体を突き止めようとした。
「瞬の狙いは科学省への復讐よ」
「……うん」
怜央の様子がおかしい。良恵はバイクを一端停止させた。
「どうしたの怜央?」
「お、俺……Ⅹ6や要がどこに行くのかは聞いてない。でも……」
怜央の性格からして、瞬が計画を詳細に教えていたとは思えない。
しかし何か手がかりがあるかもしれない。
「何か知ってるの?」
「……わ、わからない。ただ、こんなチャンス二度とないって言ってた……。
今なら警備も手薄だから殺せるって……そう言っていた」
「……チャンス」
つまり偶発的に瞬にとって都合のいい事が起きたということだろう。
「他には何か言っていた?」
「ううん……でも要は……そうだ、要は宇佐美よりも大物だっていっていた」
「宇佐美よりも?」
瞬が狙っている相手は宇佐美でも科学省の幹部でもなく、それ以上の人間。
宇佐美は科学省長官だ。宇佐美より大物となると限定される。
「情報を集める必要があるわね」
少し危険だが軍人の友人に連絡をとってみるしかなさそうだ。
幸いにも近くに公衆電話があった。科学省関係者以外で良恵が頼れる人間。
真っ先に思い浮かんだ隼人の携帯に電話をかけてみたが通じない。
「俊彦や攻介はどうかしら?」
どちらも同じだった。電源をきっているらしく全く通じない。
「……困ったわ。後、残るは――」
もう一人、頼りになるといえばなる男がいる。
良恵にとってはある意味、隼人や俊彦や攻介以上に優しく甘い男である。
良恵が頼み事をすれば、大抵の事はきいてくれそうな程だった。
それでも良恵が彼に頼るのを躊躇したのは怜央の存在があったからだ。
その男は良恵には甘すぎるほど優しい反面、それ以外の人間、特に良恵に近づく男には氷のように冷たい。
嫉妬深く独占欲の強い人間だった。
怜央の存在を彼が知ったらと思うと内心ぞっとするくらいだったが選択肢もない。
(電話で話をするくらいなら怜央の事はばれないわ。きっと大丈夫よ)
良恵は覚悟を決めて電話ボックスのドアを開いた。
その時だ、良恵のそばに座ってうずくまっていた怜央がびくっと反応した。
「怜央?」
まるで敵と遭遇し全身の毛を逆立てている猫のようだ。
明らかに様子がおかしい。じっと遠くを睨みつけ、息も荒い。
「怜央、どうし――」
良恵の耳にも聞こえた。遠くから複数のエンジン音が近づいてくるのが。
妙な予感がした良恵は怜央にすぐバイクに乗るように促した。
猛スピードで走ったがエンジン音はさらに近づいてきている。
(私達を追跡している?)
前方に複数のヘッドライトが見える。良恵は自分達の状況を一瞬で把握した。
「……袋の鼠だわ」
瞬く間に良恵と怜央は複数の車両に取り囲まれてしまった。
「何のようだい。つい、さっき目的をはたしたから君は当分必要ないんだよ」
「そ、その声は……!」
海斗は自分をこんな目に遭わせた人間の正体を知り愕然となった。
「おまえだったのか!」
激怒する海斗、しかし目的を果たしたという台詞の方が気になった。
「おまえ、良恵に何をしたんだ!?」
「俺が彼女に何かするわけがないだろう。それから気安く良恵の名前を呼ぶんじゃないよ」
「何だって俺と良恵が会うことを、おまえなんかが知ってたんだよ!」
「君なんかにいちいち説明するのも面倒だね。
俺は今はご機嫌なんだ、そうでなきゃ君が良恵にしたことを見逃してやるわけがないだろう」
「ちょっと待てよ」
「それ以上、俺に刃向かわない事だね。
俺は、君が俺にした嫌がらせの数々を水に流してやってもいいと思ってるんだ。
けれども俺に対して、あんまりな態度を取ったら……わかるだろ?」
こ、こいつ……相変わらず最低な男だな
「話はそれだけさ。今後、また良恵が君を頼るような事があった時だけ連絡しなよ」
「おい俺の話はまだ――」
無情にも回線が一方的に切られた。
「おい、もしもし!」
海斗は怒りに震えた。
「畜生!何なんだ、おまえは何なんだよ佐伯!!」
【B組:残り40人】
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