「うん……それに友美ちゃんとも……あ、あたしがもっとしっかりしてたら、こんな事には……」
雪子は泣きじゃくっていた。
「泣くなよ北野、おまえは全然悪くねえだろ。悪いのは俺達をこんなものに放り込んだ連中だ」
沼井は慌ててポケットからハンカチを取り出した。
雪子に差し出すつもりだったのだが、何日も洗ってないので随分と汚れている。
「お、おい雨宮、おまえの貸してやれよ」
「ああ」
良樹はハンカチを差し出した。
「ほら北野、日下も貴子さん達も、きっと無事だから元気出せよ」
「う、うん」
雪子は頷いたものの、慰めの為の方便としてとれないのか暗い表情は変わらない。
「雨宮の言うことは嘘じゃないぞ、お嬢さん」
それまで無言だった川田が貫禄のある低い声で、そう言った。
川田の態度には妙な説得力がある。 雪子は泣きやみ、まっすぐな瞳で川田を見つめた。
「俺達は、おまえさんを発見した区域を随分動いたんだ。
杉村達の死体はおろか殺された痕跡すら発見してない。
と、いうことはだ。あいつらが生きてる可能性が高い証明にはならないか?」
雪子は静かに川田の話をきいていた。
「そうだぜ北野、俺達がおまえを発見できたのも、騒々しい音や悲鳴が聞こえたからなんだ。
あいつらが殺されてたり襲われてたら、俺達が何か見つけてるだろ。けど、そんなもの何もなかったぜ」
沼井が辿々しいながらも川田の援護をする。 雪子はなるほどと思った。
そして希望が沸いてきたのか、その表情は引き締まってゆく。
友美子が生きているのなら泣いている暇などない。
(今度はあたしが友美ちゃんを助けなきゃ!)
「やるべき事を悟ったようだな、お嬢さん」
川田は立ち上がると辺りを警戒した。
「さあ、行くぞ」
「行くってどこに?」
「その、お嬢さんが隠れていた場所だ。日下が敵から逃げきったら、そこに戻るだろう?」
「ああ、そうか!」
良樹は思わず声をあげた。
「場所はわかるな北野?」
暗闇の中を逃げ回ったのだ、正直いって雪子は自信がなかった。
「そう難しく考えるな。まずは、おまえさんの足跡を逆にたどる」
良樹は感心して「そうか!」とまた声をあげた。
「見覚えのある場所についたら教えてくれ。そのくらいはできるだろう?」
雪子は力強く頷いた。
鎮魂歌二章―15―
「きゃあああ!!」
月岡は絶叫していた。
その表情は恐ろしいほど恐怖で歪み、彼自身の方がモンスターのようでさえあった。
「危ない、月岡!!」
七原が懐中電灯を投げていた。
それは、かつて野球部で天才と呼ばれていた少年にふさわしい球威が衰えていない事を証明した。
F3の顔面に見事に命中。間一髪で月岡は攻撃を避ける事ができたのだ。
しかし危険が去ったわけではない。
F3は攻撃を喰らった事で怒ったのか、凄まじい迫力で向かってきた。
「きゃあ、アタシじゃないのよ。悪いのは七原君よぉ!」
「そうよ、襲うならあっちにいきなさいよ!」
月岡と光子の理不尽ともいえる言葉も、F3には通用しない。
おぞましい声をあげながらF3達は二人への攻撃を続行した。
二人が並の中学生ならば、そこで彼らの人生は終わっていただろう。
僅か15年で普通の人間の何倍も人生経験を積んできた彼らは危険と直面するという意識に敏感だった。
この恐ろしい未知の生物に囲まれながら、恐怖で硬直してしまうことなど決してない。
F3の脇をすり抜け再度全力疾走を試みたのだ。
さらに走りながら光子は背後に向かって発砲。
それが効をそうしたのか、F3の追走が僅かに鈍った。
その隙に月岡は懐から瓶を取り出す。強力なアルコールだ。
「勿体ないけど命には変えられないわ。光子ちゃんいいわね?!」
「OKよ!」
キャップをはずし、F3目掛けて投げつけた。見事命中。
間髪入れずに光子が点火したライターを投げつけた。
舞い上がる炎、そしてF3の悲鳴。
「やった?!」
月岡は期待を込めた声を上げたが、ダメだ、化け物を絶命させるには火力が足りない。
それでもダメージは0でもない。 奴らは地面を転がって必死になって火を消そうとしている。
この勢いでは消火は時間の問題。
炎が消えれば、必ず怒りでパワーを増大させ再び襲ってくるだろう。
「今のうちに逃げるのよ光子ちゃん!」
「わかってるわよ!」
二人は走った。こんな化け物相手に接近戦など勝ち目がない。
距離をとり、状況を整理し、勝機のある作戦を練らなければ。
森を抜けると、湖が広がっていた。 迂回していたら時間がかかる。
お誂え向きにモーターボート発見。 ボートで湖を渡れば一気に距離がとれる。
二人は少し精神的余裕ができたのか不敵な笑みを浮かべた。
早速ボートに乗り込んでエンジン全開。
ボートは勢いよく水しぶきをあげ水上を走り出した。
ところが湖の中央まで来たとき、二人の笑みは一瞬で消えた。
エンジンの様子が変だ。鈍い音をだし、なおかつボートのスピードが格段に落ちている。
「え、ちょっと……!」
月岡は焦った。もちろん光子もだ。
「どうしたのよ、月岡君」
「も、もしかして、このボート……う、嘘でしょ!?」
ボートは完全に動かなくなった。
「どういう事よ。故障してたの?!」
「違うわ、燃料が切れてるのよ!!」
ぎぃぃと恐ろしい唸り声がした。
振り向くと火傷を負ったF3達が湖岸から二人を睨んでいた。
(皆、どうしているだろう?)
美恵は、あれからずっと同じ場所にいた。 直弥がずっとそばにいる。
守っているというよりも、見張られているような気分だ。
伊吹と真澄は時々姿を消しては、また戻ってくる。
その度に「あっちはまだ進展ないね」と同じような台詞を口にした。
美恵以外に彼らが保護したい生徒がいる。その二人が今だに見つかってないらしい。
「日付が変わると例の奴が出てくる。そうなれば死亡率はぐんと上がるんだよ」
直弥は不満そうに言った。 F4の事を彼らは知ってるようだ。
きっと美恵が知っている情報以上に恐ろしい化け物なのだろう。
腕時計を見ると、すでに9時半を少し回っている。
タイムリミットまで、もう三時間もない。
「少し移動するよ」
直弥がそう決断した。理由を聞くと、少しでもフェンスの近くにいたいからだと言う。
「私をここから出した後はどうするつもりなの?」
彼らは国に追われている身だ。
ただでさ危険な立場なのに、今後は足手まといを連れて逃げ回ろうという心づもりなのだろうか?
「君の事は、しばらく季秋家が匿ってくれる事になっている」
「季秋……じゃあ夏樹さんが?」
「ああ、そうだよ。そのつもりで、あいつは俺達の仲間を解放したんだ」
「夏樹さんが……」
美恵は、一つ気づいた。直弥は妙なことを言った。
「しばらく、って言ったわよね。どういう事?」
「君をしばらく季秋に預けるけど、近いうちに迎えに行くよ」
迎えにいく……それは、自分をそばに置いておくということなのだろうか?
(私なんかいたら、組織のお荷物になるのに、どうして?)
「君には帰ってもらう」
「え?」
どういう意味なの?
「今はまだ知らなくていい。君を帰す、君達を帰すのがリーダーの意志なんだ」
桐山は美恵を探していた。だが美恵の痕跡すら見つからない。
最初は足跡をたどった。しかし途中で足跡は消えていた。
美恵をさらったのはプロだ。目的はわからないが美恵に危害を加えることはないだろう。
殺すつもりなら最初からさらう必要などないはず。
美恵は無事だ。それだけが桐山にとって重要だった。
(季秋夏樹か?……いや、あいつなら三村達をまく必要はない)
「……!」
背後に誰かいる。相手が気配を消していたのと、考えごとをしているせいでギリギリまで気づかなかった。
桐山は振り向きながら銃口を向けた。
「おいよせって!」
非難がましい声だった。 相手の顔を見て桐山はゆっくりと銃口を下げた。
女好きで憎めない男、川田達がそう評する人間だったのだ。
「気配を消して近づくのが悪い。今度やったら俺は撃つぞ」
「おいおい、それが恩人に対するお言葉かよ……おまえ、本当に可愛げないな」
「なくてもかまわない。何の用だ季秋夏生」
「何の用だはないだろ。助けに来てやったんだぜ」
「それは知らなかったな」
「なあ光子を見なかったか?」
「見たが、それが何か?」
「見た!おい、どこだ、どこにいるんだよ。俺の可愛いにゃんにゃんちゃんは!」
「見たが、もう、その場所には確実にいないと思う」
「何だ、その不吉な台詞は」
夏生は妙な目つきで桐山を見つめた。
「F3に襲われているはずだからな。逃げているか死んでいるか、そのどちらかだと思う。
理解してくれたかな季秋夏生?」
ばしゃっと音がした。ほぼ同時に光子と月岡の心臓はどくんと大きな音を発した。
F3達が湖に足を踏み入れた。どうやら水は嫌いではないらしい。
「ちょっと月岡君、早くボートを出してよ!」
「出してっていわれても無理よ。オールすらないんだからぁ!!」
涙目の月岡。しかしF3達が水中に潜ったのを見るや、半狂乱になって手をオール代わりに水を叩き出した。
「いやあ、死ぬのは嫌よ!アタシまだ処女なのにぃ!!」
こうなったら泳いで逃げるしかない。
だがF3は潜水してから姿を現してないところを見ると、かなり泳ぎが達者。
逃げきれるわけがない。
「光子ちゃん、あいつらが水面に頭を出したら撃つのよ!」
それが最善の方法だ。光子も同意見だった。
二人は背中合わせの体勢をとり、懐中電灯で水面を照らす。
しかし光の中には静かな湖面が浮かび上がるだけで、F3はおろか泡ぶくすら発見できない。
「あいつらエラ呼吸でもできるのかしら」
「まさか、そんなはずないわ。どんな化け物でも息継ぎはするはずよ。
それがチャンスよ。あいつらが浮かびあがったら全弾撃ち込むのよ」
二人は全神経を研ぎすませ水面を睨み続けた。
しかし相変わらず何の動きもない。
風で水面が揺れ、浮かんでいる丸太が微かに揺れているくらいだ。
水面から突き出ている岩にも懐中電灯を当ててみたが、F3の気配は全くない。
「もう10分はたってるわよ。息を止めるにしても長すぎない?」
実際はもっと短いかもしれないが、それにしても長いのは確か。
もっとも、それは人間ならばだ。 奴ら化け物は呼吸を止める時間も人間の何倍も長いのかもしれない。
もしくは、すでに逃げてしまったのか?
「ねえ、あいつら、あたし達の事はあきらめて七原君を追いかけて行ったとか考えられない?」
動物の本能で、より確実な獲物を選択したのかもしれない。
考えられない事ではないが、今までのF3の行動を思い返すと、それは望み薄だろう。
「それなら最高なんだけど、でも光子ちゃ――」
それは突然だった。ボートが急にぐらっと大きく傾いたのだ。
足元から体のバランスが崩れ、二人は船底に倒れ込んだ。
「な、何よ!」
慌ててボートの縁に掴まり立ち上がろうとするも、再びボートが大きく揺れる。
まるで嵐の海に放り出されたようだ。
「つ、月岡君、あいつらよ!」
光子は銃を手にしたが立ち上がる事もできない有様では上手に構えられない。
「あいつら水中からボートに体当たりしてるんだわ!」
「み、光子が、俺の光子が!」
夏生は倒れそうになった。
おお光子、俺の天使、例え君が神の御元に行こうとも俺の気持ちは変わらない。
なーんて、冗談言ってる場合じゃない!!
「それを早く言えよ、どこだ、どこに光子はいる!?」
「向こうだ。だが、さっきも言った通り相馬達は――」
その言葉が終わらないうちに夏生は光子の名を連呼しながら走り去っていった。
「不思議な生き物だ。今から駆けつけたところで相馬はもういないのに」
桐山は先に進む事にした。 とはいっても手がかりがない以上、闇雲に動くのは得策ではない。
桐山は目を閉じ、じっと神経を集中させた。
(物音は何も聞こえない……気配もない)
桐山は歩きだした。一定の距離範囲内に人間も、あの化け物もいない。
しばらくすると立ち止まり、また目を閉じて辺りの音や気配を探った。
やはり何もない。また、しばらく歩き、同じ事を繰り返した。
(いる)
今度は気配があった。しかも複数。
おまけに猛スピードで近づいてくる。桐山は静かに銃を構えた。
茂みの中からF1の群が飛びかかってきた。
銃が乾いた音を連発し、数秒後には地面がF1の死体だらけになった。
「やはり体の中心点が急所のようだな」
桐山は弾を詰め替えながら言った。
今までの戦いで桐山は無闇に発砲していたわけではない。
冷静に観察し敵の急所を調べていたのだ。 これからは無駄に弾丸を消費しなくて済む。
「次は右に行ってみるか」
方向を変えようとした、その時、桐山は人間の気配を感じた。
複数の気配だ。美恵かもしれない。
桐山は走っていた。
「きゃあ、ボートが!」
船底に小さな亀裂が入り、水が侵入してきた。
奴らの攻撃は終わらない。ボートが破壊されるのは時間の問題だ。
「この化け物、卑怯よ、姿を現しなさいよ!!」
光子は水中目掛けて発砲した。だが当たらない。
敵の正確な位置が把握できない以上、それは弾を無駄遣いするだけだ。
かといって、このまま、ただ水中に投げ出されるのを待つなんて出来るわけがない。
「月岡君、何とかしなさいよ!」
「な、何とかっていっても……ああ、急にナイスアイデアなんて浮かばないわ!」
湖岸では七原達が「月岡、相馬、逃げろ。逃げるんだ!」と叫んでいる。
しかし、その声は今の彼らには届かない。
仮に聞こえたとしても、「言われなくてもわかっているわよ、このバカ!」と言うだけだ。
まさに絶体絶命。月岡は辺りをきょろきょろと見渡した。
湖岸まで泳いで逃げるのは不可能だ。どう考えても奴らの方が速いに決まっている。
水中戦では絶対に勝てない。
とりあえずでいい、緊急の避難場所になりうるものはないのか?
岩がある。小さいが無いよりはマシだ。
少し距離はあるが直径五メートルほどの小島もあった。
これは賭だ。確実に助かるなんて当てのない危険な賭。
「光子ちゃん、二手に分かれて泳ぐのよ!」
「何ですって、月岡君、あなた正気なの!?」
「仕方ないじゃない。あなたは、あの岩、アタシは小島に向かって泳ぐのよ。
この距離なら何とかふいをついて、あいつらに捕まる前に辿り着けるかもしれないわ。
このままボートにへばりついてたって死ぬだけ。だったら一か八かやってみるのよ!」
ボートが大きく揺れ、船底の亀裂が一気に大きくなった。
もう時間がない。奴らはこのボートを粉々に粉砕する気なのだ。
「行くわよ光子ちゃん!」
月岡の合図で光子は飛び込み必死に手足を動かした。
肩越しにボートが真っ二つに裂け、沈んでゆくのが見える。
岩までの距離はあまり無い。それなのに光子には、はてしなく遠く見えた。
「相馬、危ない!」
七原の声が聞こえる。それはとてつもなく嫌な内容だった。
肩越しに見えたのだ。盛大な水しぶきが。
光子はパニック映画『ジョーズ』を連想した。
冗談じゃない。自分は鮫に喰い殺される哀れな脇役になるつもりは無い。
「撃て、相馬撃つんだ!岩につく前に追いつかれる。殺される前にやれ!!」
七原が叫んでいたが、云われるまでもない。
わかってるわよ。あんたとは場数が違うわ、やるべき事は本能で知ってるわよ!!
光子は銃を構えようとした。だが水中では上手い体勢をとれない。
思わず引いたトリガー。銃の反動がやけに大きく感じる。
(銃が!)
相馬光子一生の不覚。銃弾は全く違う方向に行ってしまった。
その上、無理な発砲がたたり光子の手から銃がするりと落ちてしまったのだ。
迫る水しぶきは、もう眼前。光子は己の死を本能レベルで悟った。
もう終わりだわ。奇跡なんて、あたしの人生には最後まで起きなかった。
あーあ、思えばつまんない人生だったわね。
覚悟を決めた光子。次の瞬間、湖面が鮮血で真っ赤に染まった。
そして、おぞましい絶叫が湖水に響き渡った――。
(光子?)
嫌な予感がして美恵は立ち止まった。
「どうしたの?」
先導する直弥が尋ねてくるが、会話をする気にはならない。
ただ光子の自信に満ちた笑顔だけが脳裏に浮かんだ。
(何だろう、この感じ……光子に何かあったような)
直弥が近づいてきて美恵の手を強引に握り歩きだした。
「ぐずぐずしてる時間はないんだ。僕の指示に従ってもらうよ」
右頬にべとっと血がつき光子は呆然となっている。
おぞましい悲鳴は、まだ途絶えない。 血が激しく噴出している。
光子の瞳に映る血しぶきは、まさに噴水だった。
だが光子は生きている。痛みもない。
当然だ、光子は傷ついていないのだから。
光子の角膜に映ったのは血しぶきだけではなかった。
月明かりの下、華麗に飛躍している人間が、はっきりと映っている。
最初は何が起きたのかわからなかった。
ただ、自分は死んでないという事だけは、頭の隅で理解していた。
そばに浮かんでいた丸太に重みがかかり、一瞬だけ少し沈んだ。
「無事か、相馬?」
光子はゆっくりと右に頭の角度を変えた。
「無事なら、さっさと岩に行け。まだ、終わってないぞ」
「あ、あなた、どうしてここに?」
「説明は後だ。早くしろ!」
湖面に浮かんでいたF3の死体。それが、ゆっくりと沈んでゆく。
新たな水しぶきが見え、光子は慌てて泳いだ。
岩に到着、すぐに頂まで上がると振り向いた。
F3との戦いは終わっていないが、 奴の標的は今や自分ではない。
F3は本能で、より強い者を襲う。 その本能に従い、丸太の上の人間に向かっている。
「箕輪君!!」
思わず叫んでいた。ここにいるはずのない人間が立っている。
その人がF3を一瞬で血祭りに上げ光子を救った。
「――奇跡が起きた」
それは暗く塗りつぶされた人生を送ってきた光子が初めて体験したものだった。
まさしく奇跡だ。光子の命を救ってくれた!
「か、彼は誰なの?超いい男じゃない!!」
月岡は場違いな台詞を吐いた直後にぎょっとなった。
箕輪に向かってゆく水しぶきが一つではなかったのだ。
「ちょ、ちょっと、どういうことよ?!」
計算が合わないではないか。自分達を追っていたF3は三匹だった。
一匹は銃の的にしてやった、もう一匹は先程箕輪が倒した。
3-2=1匹なんて世界共通のはずではないか!
「……この湖は奴らの巣だったのか」
箕輪は不快そうに舌打ちした。
水しぶきは全部で6つ。 それが一斉に箕輪に向かっているのだ。
完全に囲まれている、逃げ場などどこにもない。
「知っていたら、助けになんか来なかったぜ」
ついにF3が一斉に箕輪を強襲。丸太は持ち上げられ空中分解した。
箕輪は大きくジャンプして攻撃を避けたが、そんなものは一時しのぎでしかない事は明らかだ。
ほらF3が血走った目で箕輪の着水位置に移動している。
まさに地獄への一方通行。死への急落下だ。
「醜い化け物の餌はごめんだ」
箕輪は空中で一回転した。それが僅かに落下速度に影響を与える。
F3が奇妙な声をあげた。次の瞬間、額に強烈な飛び蹴り。
ぱかっとF3の額が割れ、血が吹き出した。
さらに箕輪は蹴りの反動で再びジャンプ。
まるで飛鳥のごとく、F3の体を踏み台にして水中に没する事がない。
湖水が赤く染まり、おぞましい絶叫が響く中、一つ、また一つとF3の死骸が水面に浮かんでいった。
幻の特選兵士、その戦闘能力はF3といえど太刀打ちできない。
箕輪はそれを証明していく。 しかしF3は数の上で箕輪を凌駕している。
それを頼りにチームワークを駆使して攻撃を仕掛けてきた。
F3の首根っこに箕輪の蹴りが入る。鈍い音がしてF3の頭部は不自然な角度で傾いた。
一瞬で絶命。その死を無駄にしないとばかりに、別のF3が背後から水上に飛び出し箕輪に襲いかかる。
箕輪は己の身体に巻き付いた腕を掴むや、一気に逆方向にひねった。
骨が砕ける音と絶叫が同時に暗闇に響く。 しかし、F3は、それでも箕輪から離れない。
己の命と引き替えに動きを封じようというのだ。
前方から、さらに別のF3が飛びかかってきた。
箕輪は眉をゆがませた。その直後に水中に引きずり込まれた。
「ちょっと箕輪君、そんな奴ら相手に何を手間取ってるのよ!」
光子は言葉とは裏腹に内心ぞっとした。
箕輪の強さは知っている。
だが相手は数にものをいわせ、ついに自分達の有利な水中に箕輪を水中戦に持ち込んだ。
箕輪がいくらつよくても、あまりにも不利な条件が揃いすぎだ。
水中の様子はわからない。
だが大量の泡が水面に出てくるのを見る限り、死闘は続いている。
ど、どうなっているのよ……まさか、このままやられるなんて事はないわよね?
あんた、強いんでしょう?
さっさと片付けて姿現したら、どうなのよ。
そしたら、嫌味の一つでも聞いてあげるわよ!!
泡が出なくなった。しーんと静まり返っている。
じっと湖面を見つめても、やはり何も見えない。
まるで、先ほどの戦いが嘘のように、ただただ静かだ。
時折風により小さな波が湖面に発生しているだけ。
「……どっちが勝ったのよ?」
箕輪が勝てば何もいう事はない。
しかしF3が勝利をおさめれば、それは光子達の死に直結する。
「きゃああ、血、血よ!!」
月岡が懐中電灯を照らし叫んだ。
湖面にゆっくりと真っ赤な花形模様が拡大してゆく。
戦いがついに終わったのだ。
問題は、一つ。勝者はどちらかという事だけ。
「……み、箕輪君」
光子は岩の頂から下に降り始めた。
少しでも湖面に近づきたかったのだ。例え危険な事でも。
その瞬間、静かだった湖面が、突然盛り上がった。
光子の目にF3のおぞましい顔がはっきり映る。
「きゃああ!!」
光子は愕然とした。箕輪が負けたのだ!
次に、この怪物の毒牙にかかるのは自分だ!!
「……え?」
だが、F3はそのまま水面に倒れた。そして、ゆっくりと沈んでゆく。
「ど、どうなって……」
再び、水面が盛り上がり光子は再度ぎょっとなった。
しかし、次の瞬間現れたのは怪物ではなく、全身びしょ濡れの恐ろしいほど美しい青年だった。
「……あ、あんた、生きてたのね」
「死んでたまるか」
箕輪の完全勝利だった。
箕輪は岩にあがると腰を降ろし、光子にむかって何かを投げてきた。
「……これ」
「どんな状況でも銃だけは絶対に手放すな」
湖の底に沈み、もう手にすることはないと思っていた。
「よかった……って、何よ、その目は……」
光子を見る箕輪の目つきはお世辞にもいいとは言い切れない。
「何よ、何か文句でもあるわけ?言いたい事があるならはっきり言いなさいよ」
箕輪はふんと光子から顔を背けると、とんでもない一言を発した。
「この間抜け」
光子の口の端が僅かに引きつった。
しかし、それも短い時間だった。
光子はニッコリと、お得意の小悪魔スマイルを披露。
「ねえ、あいつらの巣だと知ってたら助けに来なかったって本心?」
「当然だ」
箕輪は光子の目もみずに冷淡に言い切った。
光子はまた笑った。
数えきれないほどの悪人を見てきた光子だからこそわかる事がある。
「そういう事にしておいてやるわよ。この嘘つき」
【B組:残り41人】
BACK TOP NEXT