「こんな事になったのも元はといえば夏生さんのせいよ!」

光子の怒りは、この場にはいない夏生にまで及んだ。
「何で、そうなるんだよ?」
七原は不思議そうに尋ねた。


「何でですって?あたしを守るなんて言っておきながら、のほほんと何してるのよ、あの女ったらし!
それだけで万死に値するわ。今度会ったらとっちめてやる!!」




鎮魂歌二章―14―




「はくしょん!」

夏生は慌てて口を押さえた。
「おっと危ない危ない。隠しカメラに声とられてないよなあ?」
頭の中でカメラの位置を確認した夏生は安堵した。
大丈夫、大丈夫、ここにはカメラは仕掛けられてないっと。


「それにしても誰かが俺の噂してんのか?」


心当たりがありすぎて見当もつかない。
「まあ、いいか。今は光子を助けることが最優先っと」
夏生は懐から赤外線双眼鏡を取り出した。
暗闇の中でも、これならば生物を簡単に探せる。


「ここにはいない……待ってろよ光子、すぐに助けてやるからな」

夏生は光子を助けるために、このワールドに不法侵入を果たしていた。
ワールドは広い。並の男なら、どこを探していいのかすらも見当がつかず途方にくれたことだろう。
しかし夏生は女を捜し当てる独特の嗅覚にも似た本能を持っていた。


「……右、いや左だな」


その本能に忠実に従って、まるで街中を歩くかのような感覚で林を抜けた。
そこで月明かりの元、人間を見つけた。 二人いる。
一人はセーラー服を着用している、つまり女だ。
夏生は光子かと期待を込めた目で見つめた。
だが、すぐに夏生の表情は落胆に満ちたものへと変わった。
距離があることもあり、顔はほとんど見えなかったが光子ではないとわかったからだ。
髪型が違う、体型も違う(光子はもっとグラマーだ) 何よりも距離があっても感じる妖艶なオーラがまるでない。
完全な別人。夏生は溜息をついて他を当たろうと、くるっと向きを変えた。
すると、その二人の言い争う声が聞こえてきた。




「洋ちゃん、そんな事いわないでよ」
「うるせえ、黙れよ!」




それはプレイボーイの夏生にとっては、さして珍しい会話ではなかった。
だが、それは平素であればの事。
異常な状況においての男女の口論は夏生には簡単に見過ごせないものだった。




「おまえなんか信用できるかよ!武器もねえし、何の役にもたたねえじゃねえかよ!
足手まといはいらねえんだよ。どっかに行っちまえよ!
でないと殺すぞ。あの化け物がくるまえに殺されたいのかよ!」

男の方は感情的になっている。
こんな状況だから仕方ないが、それを差し引いても男の台詞はとんでもないものだった。
相手の女から洋ちゃんと呼ばれていることから、倉元洋二だということはわかる。
自動的に女の正体もわかった。矢作好美、夏生がぞっこんになっている光子のパシリではないか。
光子から二人は恋人同士だと夏生は聞いていた。
もっとも、その時の光子の口調や表情から察するに、倉元は遊びだとわかった。


「洋ちゃん、お願いだからそんな事いわないで。一緒にいようよ」
「おまえがいたんじゃあいつらに見つかるじゃねえか!
足は遅いし足音はたてるし、どっかに行けよ!!
第一、てめえは俺を見殺しにしようとしたじゃねえか。 そんな奴とはいたくねえって言ってんだよ!!」
「その事ならごめん。本当にごめん。 あの時は怖くて、どうしようもなかったの。
もう逃げないから、洋ちゃんを見捨てないから、だから……」
「うるせえよ。てめえなんか知るか!」




夏生は白けた。完全に呆れていた。
おいおい、裏切りは女の特権だぜ。
それを許してこそ男の勲章は増えるんじゃないか、と。
まして、こんな状況だ。
自分の女一人くらい守ってやるって甲斐性もないなら今すぐ男を廃業しろよ、と。




倉元は小石を拾うやいなや好美に投げつけた。
「どっかに行けっていってんだろ!」
「痛いっ……!」
好美は涙声で「だったら、どうして今まで一緒いてくれたの?」と尋ねた。
「そんなの、あの化け物が出たとき、おまえを餌にして逃げる為に決まってんだろ!
それなのに、さっき追いかけられた時に、おまえ俺にぴったりついて走りやがって!
おかげで俺は命からがら逃げる羽目になったんだぞ!
全部、おまえのせいだ。このあばずれ!ふざけてるんじゃねえよ!!」
「あ、あたしの事、最初から利用するつもりだったの?
そんなの嘘でしょ? ねえ洋ちゃん、嘘だって言ってよ!
だって、あたし達、恋人じゃない。洋ちゃん、あたしの事かわいいって言ってくれたじゃない!!」


「おまえみたいな女を本気に好きになるわけねえだろ!
知ってるんだぞ。俺の親父と変わらない年齢の男に体売ってるんだろ!!」
「……あたし」
好美は嗚咽しながら、ようやく言葉を紡ぎだしていた。
「あたし……今はそんな事、してないよ。洋ちゃんに、ふさわしい女の子になりたくて……だから」
「しおらしいこと言ってんじぇねえよ!!
おまえなんかと付き合ったのもやれると思ったからに決まってるじゃねえか。
じゃなきゃ、おまえみたいなアバズレと付き合うわけねえだろ!!」
好美は耐えきれなくなって泣きながら走り去っていった。
それを見届けると倉元はぺっと唾を吐き出した。


「やっと行ったか、本当にうっとおしかったぜ」
「おい」


倉元は先ほどの威勢が嘘のように凍り付いた。
無様にも全身のバランスを崩し、それでも逃げようとしたのか四つん這いの体勢だ。
夏生が「おい、俺だ。こっち向け」と襟首をつかみ強引に立たせると小さな悲鳴すら上げた。


「……ケツの穴の小せえ野郎だな」

夏生の顔を見て、ようやく倉元は恐怖から解放された。

「恩人の顔くらいは覚えてたみたいだな」
「お、覚えてますよ。は、離して下さい」

お望み通り手を離してやると、倉元は地面に抱きつくように倒れ込んだ。
「び、びっくりさせないで下さいよ。敵かと思ったじゃないですか」
倉元は少しばかりの文句を言いながらも、その表情には安堵の色がみえる。
おそらくは助けてもらえるという甘い期待だろう。
夏生は心の中で、本当におめでたい奴だとますます呆れた。




「あの子、おまえの彼女だろ?」
「あの子?あ、ああ好美の事ですか。」

倉元は自分の命はもう大丈夫だという安心感だけで、好美の心配などまるでしていない。
「こんな異常な状況じゃ精神的にまいるのはしょうがないだろな。
素人にはきつすぎる。 でも、おまえ今は少しはまともになっただろ?」
「そ、そりゃあ宗方さんがついてたら鬼に金棒ですよ」
「そうか、そうか、落ち着いたか?」
「はい、すぐにここから出してくれるんでしょう?」
「ところで、さっきの子、どうすんだよ?」
「え?あ、ああ、あんなの、もう彼女じゃないですよ、別れたんですから」
「向こうはそう思ってなかったみたいだぜ。 ここで待っててやるから探して連れて来いよ」
夏生はニッコリと笑顔で言った。


「ええ、俺一人で!じょ、冗談じゃないですよ!!」
「それが本音か、よーくわかった」


夏生は懐から銃を取り出し倉元に銃口を向けた。
最初は状況が飲み込めなかった倉元だったが、その黒光りする怪しい筒に再び恐怖で固まった。

「な、じょ、冗談ですよね宗方さん?俺を助けてくれるんでしょう……?」
「甘えた戯言いってんじゃねえっての。俺は光子を助けに来ただけだ。
おまえが彼女の一人や二人守ってやろうって男なら情けかけてやってもよかったが」


倉元はもはや言葉も出なかった。
夏生の目つきは陽気なプレイボーイのものではない。
冷酷な殺し屋のようなものだった。




「最低だよ、おまえ。産業廃棄物以下だ」




倉元はゆっくりとその場に倒れ両膝をついた。

「クズは死ぬしかないな」

その瞬間、倉元は「そ、そんなあ!!」と号泣した。


「バン!!」
「びぎぃ!!」


倉元は白目を剥いて、その場に仰向けに倒れた。


「本当にケツの穴の小せえ野郎だぜ……マジで気絶しやがった」


こんな男に構ってはいられない。夏生は光子を求めて再び歩きだした。
「ん?」
だが、すぐに妙な違和感を感じて立ち止まった。


(何かいる)


はっきりした気配ではない。しかも、その気配すら消えた。


(間違いない。何か、いや何者かがいる)


Fシリーズなら気配を消すなんて事はしない。
城岩3Bの面々ならば、その必要はない。 第一、桐山以外で、そんな芸当ができる者などいない。

(おいおい、まさか特選兵士がワールドの中にいるのかよ?
情報と違うじゃないか。 奴らはワールドの外で見張りをしているはずだろ?)


夏生は渋々と戦闘態勢をとった。特選兵士ならば襲ってくるはずだ。
だが数分たっても動きは全くない。
いくら特選兵士でも自分に気づかれないほど長い間、完全に気配を絶つなんて無理だ。
もう、この場にはいないと考えた方がいい。 夏生は戦闘態勢を解いた。

(特選兵士じゃなかったみたいだが、何かがいたことは確かだ。
やばいぜ。俺より強いなんて事はないだろうけど要注意だ)

夏生は珍しくシリアスに考え込んだが、深く考えたところで疲れるだけなのでやめた。
とにかく今は光子を捜そう。考えるのは、その後だ。
楽天家の夏生は、あっさりと気分を変え、さっさとその場を後にした。
気を失ったままの倉元を無情にもそのまま残して。














美恵は直弥に連れられ崖下の岩陰にいた。
伊吹はどこかに行ってしまい、今は直弥と二人きり。
雪子を見殺しにされかけた。それがショックで美恵は彼らを信用できない。
助けてやると言われても、その理由さえも知らないのでは返って怖かった。


(草薙潤ってひとは理由は知らないって言ってたわ。 ただリーダーの命令だと。
でも私は反政府組織なんかに知り合いなんていない。
助けてもらう理由なんて、どう考えてもわからないわ)


美恵は彼らの動機は後回しにして、別の事を考えるする事にした。
彼らは自分を含めて三人の人間に用があると言っていた。

他の二人は誰だろう?

それさえわかれば、彼らの目的もわかるかもしれない。




「……あの」
「何?」

直弥はお世辞にも愛想がいいとはいえない淡々とした口調で応えた。

「聞きたい事があるの」
「君を助ける理由なら聞いても無駄だよ。僕だって知らない。
リーダーから、必ず守れと厳命されてるだけなんだ。 知りたいならリーダーに直接聞いてよ」


やはり直弥も潤と同じだ。
理由を言えないのか、それとも彼らの言うとおり本当に知らないのか。
どっちにしても、知っていようがいまいが教えてはくれないだろう。
だから美恵は、もう一つの疑問を口にした。


「私の他に二人助けたいひとがいるんでしょう? 誰なの、教えて。
あなた達だって探し出すのに、私の情報があった方がいいはずだわ」
「別にいいよ」

直弥の返事はつれなかった。

「どうして?」
「君が知っているはずないからさ。わかっているのは、最初に降ろされた場所程度だろ?
君の仲間はそれぞれ動き回っている。 君の情報はもう役に立たないんだよ」


確かにそうだ。だったら彼らはどうやって探し出すつもりだろう?
自分を連れて、この広いワールドの中を歩き回るつもりなのだろうか?
女連れでは自然と歩くスピードも遅くなる。足手まといになるはずだ。
まして隠しカメラが至る所に仕掛けられているのでは尚更の事。




「どうやって探し出すつもりなの?」
「僕の仲間も何人かすでに侵入している。 探すのは僕じゃない。
僕の当面の仕事は君を連れて脱出する事だ」
「仲間って何人くらい?」
「君は知らなくていいよ。もう話すのも面倒だから、話かけないでよ」
どうやら直弥は無口な性質らしい。 もう、これ以上は何も聞き出せないだろう。

(でも、ここからどうやって私を出すつもりなの?)

高い壁に囲まれて、さらに高圧電流まで流れている。
その上、特選兵士と呼ばれる化け物達が見張りにたっていると言うではないか。
侵入はできても、自分を連れて外に出るなんてできそうに思えない。
それに美恵自身、仲間を見捨てて自分一人だけ逃げる気はなかった。
自分を守ってくれた桐山、大切な親友の貴子や光子、月岡。それに三村達も。

(私がいなくなって皆心配してるでしょうね。ごめんなさい)

微かな足音が聞こえてきた。
直弥が平然と構えている処を見ると、どうやら伊吹が戻ってきたようだ。
美恵の推測は当たっていたが、姿を現したのは伊吹一人ではなかった。
見知らぬ少年が一人増えている。




「何だ、戻ってきたのか。君なんかいらなかったのに」
直弥のつれない言葉に、その少年はあからさまに不愉快そうにぷいっと顔を背けた。
「べーつに。僕だって戻ってきたくて戻ってきたわけじゃあないさ」
それから彼は美恵を見ると、「わお、目的ゲット?」と笑顔で手をふってきた。
直弥とは随分と対照的な性格の持ち主のようだ。


「僕の名前?ああ、僕はブラッド・ピット。なんちゃって」
美恵は思わず口をぽかんと開けてしまった。
「何て冗談だよ。本気にした?」
まさか真に受けると思っていたのだろうか?
「あはは、信じちゃったようだね」
どうやら真に受けたと思いこんでるらしい。


直弥が何か言いたそうな目で伊吹を睨みつけた。
「と、途中で会って。仕方ないから、その、つ、連れてきた」
直弥が投げた小石が伊吹の額に命中。 伊吹は両手で顔を覆い、それ以上は何も言わなかった。
「じゃあ改めて自己紹介。僕の名前は何でしょう、当ててみる?みるみる~?」
美恵は言葉が出なかった。自分から自己紹介を切り出して、クイズだなんて。
しかも美恵が答えるのを待っているのか、肩を左右にゆらしワクワクしている。


「さあ、何だ?」
「えっと、鈴木一郎?」
呆れながらも相手のペースに飲まれ、思わず無難な名前を言ってしまった。
「あはははー、残念。惜しかったよ!」
美恵が答えを外した事に尋常ではない喜び方をしている。

(もしかして危ないひとなのかしら?)

「僕の名前は財前真澄だよ。うふふふ」
(全然、惜しくないじゃない)
「じゃあ第二問いくね。僕の――」
小石が真澄の後頭部に命中。真澄は両手で頭を押さえた。




「何するんだよ。最低だ、最悪だよ、野蛮人!」
「僕はうるさいのは大嫌いなんだ。僕を怒らせたいの?
死にたいのならそうしてやってもいいけど」
真澄は激しく頭を左右にふった。
「僕に近づくなよ」
真澄は、すぐに後ずさりした。

(仲間なのに仲はあまり良くないんだ。まるで嫌いあってるみたい)

これだけ性格が違うならしょうがないかもしれないが、ふと疑問も湧いてきた。


(どうして、こんなに性格不一致なのに行動を共にしてるんだろう?
Kー11は少数の組織って聞いたけど、数が少ないと思想や性格の似た人達が集まるのではないのかしら?)


この三人は性格も思考も共通するところがあるとは思えない。
勿論、こんな短時間で彼らの事を全てわかるわけではないけれど。


(リーダーって誰なのかしら。私を知っている人、なのよね。どんな人なのかしら)


会えば全ての謎が解けるだろうが、大人しくここを出るわけにはいかない。
(どうしたらいいの?)
美恵を無視して三人は妙な会話を始めた。


「それで北斗達の方はどうなんだい?」
「例の場所には何もなかったよ。北斗達は収穫なしなのさ。
いつも威張っている割には、なーにもできない、できないんだー」
「ど、どうする?彼女の捜索は北斗に、ぜ、全面的にまかせるのか?」


(彼女……つまり一人は女生徒なのね。
もしかして光子かしら。光子って裏の大物にコネあったりもするもの)


美恵は静かに頭をふった。

(ううん。光子は怪しい人間とは縁を切ったはずよ。 私と約束してくれたもの)














鈴原をさらわれたと言うのかな?」
「きゃああ!ごめんなさい、桐山くーん!! アタシが悪いんじゃないの。
全部、七原君のせいなのよぉ!!」
「月岡君の言う通りよ。責めるなら、七原君を焼くなり煮るなり好きにして。
ちょうど武器の中に毒も合ったことだし。ほら一口飲ませば始末できるわよ」

月岡と光子は桐山の前に七原を突き出した。

「ちょ、ちょっと待てよ!おまえら、俺には期待してないから責任も問わないって言ったじゃないか!!」
「うるさいわね。それとこれとは話は別よ」
「そうそう昔からか弱い女の子を守る為に男が犠牲になるのは当然じゃない」
「月岡、おまえのどこがか弱い女の子なんだよ!!」

桐山はじっと林の奥を見つめた。 その瞳には感情というものがない。
何を考えているのかは、大人の汚い世界すら垣間見てきた経験豊富な光子や月岡でさえわからなかった。




「では俺は鈴原を探しに行こう。彰、おまえ達とはここで別れる。それでいいかな?」
「うーん、仕方ないわ。アタシ達も頑張って美恵ちゃんを探すわ
だから武器は少し残しておいてね。ね、桐山君」
「そうか」

きちんと断っておかないと桐山は全部持っていかねない。
仮にも二年間、付き合ってきただけあって月岡はそれなりに桐山の行動を把握していた。


「三村君も単独で探しに行ったわ。三手に分かれて探せば、きっと早く見つかるわよ」
「そうか」

桐山は淡々としていたが、二人の間にはそれなりに会話が成立している。
月岡はなんだかんだいって、桐山の扱い方を、よく心得ていたのだ。
「では俺はもう行こう」
桐山は銃火器を持ち上げた。


「彰、一つだけ言っておこう」
「なあに、桐山君?」
「もうすぐ、厄介な奴がここに来る。おまえ達は離れた方がいいんじゃないかな?」
「え”?」


桐山の冷静かつ淡々な口調はまるで危機感がない。
だからこそ七原や滝口、豊は意味がわからずきょとんとなった。
しかし、言葉の真意を素早く理解した月岡と光子は愕然となった。
そして桐山はあっさりかつ素早く走り去っていった。 残された月岡と光子は大騒ぎだ。




「ちょっとやばいじゃない。どこに逃げる!?」
「そ、そうね。ああ、桐山君たら、本当にいけない子!」

七原は首を傾げながら月岡の肩をそっと叩いた。

「なあ月岡」
「何よ、こんな時に!」
「厄介な奴って何だよ?」
「わかんないの?ああ、もう鈍い男ね! もうすぐ、ここに来るのよ。今まで以上に強い化け物が!!」

滝口と豊は一瞬で顔面蒼白になった。

「そ、そんな!え、だって桐山さんは『逃げた方がいいんじゃないか?』って軽く言ってたよ」
「だからぁ!あの子はそういう言い方しかできないのよ!!
直訳してあげるわ。『凶暴な奴が来るから、さっさと逃げろ』よ!!」


しかし逃げると言っても闇雲に逃げては行けない。
パニックになったら最後、最悪の場合、逃げ道を失ってしまう。 月岡は素早く地図を広げた。




「えっと、敵はこっちから来るのよね。でもってこっちは断崖絶壁、こっちはフェンス。
ああ、このルートしか逃げ道がないわ!」

月岡は「いざとなったら、あなた達男性陣が体を張ってアタシ達を守ってちょうだい!」と怒鳴りつけた。
「う、うん、わかったよ月岡さん」
滝口と豊はその迫力に思わず同意してしまう。
とは言ったものの脳内で「あれ?」と疑問符を浮かべたりもした。
もっとも、疑問など抱く余裕もすぐになくなった。
全力疾走しているにも関わらず、背後からザワザワと妙な音がぴったりついて来たからだ。


「豊、遅れてるぞ。俺が荷物持ってやるから頑張るんだ!」
「ご、ごめん、シューヤ」

一番足が遅い豊が遅れだした。七原がフォローしてやったが、ほとんど改善はみられない。
月岡と光子は武器以外の荷物を一切持ってない事もあってか、先頭を走っている。
次に七原、滝口、ラストの豊は少しずつ確実に遅れていった。
おまけに石に躓き盛大に転倒。膝小僧を打撲したらしく、痛みに顔を歪めている。


「豊……!ちょっと待ってくれ、豊がもう限界だ!」
「シューヤ、俺に構わず逃げてよ……俺、もう駄目だ」
「何言ってるんだ、仲間じゃないか。頑張れよ、頑張ってくれよ!」


七原は滝口に荷物を任せ、豊の腕を自分の肩に回した。
仲間は見捨てないという七原の麗しい執念はすぐに悲劇的な形となって現れた。
恐ろしい唸り声と共に、ついに奴が姿を現したのだ。
最初に悲鳴をあげたのは滝口だった。
七原も愕然とした。今まで見てきた奴らとはまた違うグロテスクな姿!
それが三匹もいる。とてもじゃないが勝てるわけがない。




「こ、この化け物……!」

七原は憎々しげに叫んだが、相手にとっては威嚇にすらなからない。
「あんた達、何してるのよ。荷物なんかほかって早く走るのよ!!」
月岡がスピードアップしながら怒鳴っていた。
そうだ、もう荷物どころじゃない。

「滝口、荷物なんか捨てて逃げよう。今ならまだ逃げ切れるかもしれな――」

不気味な猛獣が七原の頭上を飛び越えていた。
まるで大空を飛ぶ鳥のような壮大なジャンプだった。


まずい!こいつ俺達の逃げ道を塞ぐつもりなんだ!!


七原は戦う覚悟を決めた。
豊と滝口は――駄目だ、二人とも顔面蒼白で意識を保っているのが精いっぱい。
とてもじゃないが戦闘の頭数には入らない。
前後を挟まれ絶体絶命。万事休すだ。


「畜生、畜生!もう終わりなのかよ、何なんだ、こいつら何なんだ!!」


七原は悔しそうに叫んだ。
今までだって悪夢のような危機は何度もあった。
あのバス事故以降、思えば生きているのが不思議なくらいかもしれない。
それでも尚、今ほど最悪ではなかった。
今度こそ正真正銘、最高に最悪だ。
相手は憐みなんか欠片もない、取引ができる相手でもない。
ただ、目の前の人間を殺すだけの獣なのだ。


「殺すなら殺せよ。けど、一方的にだけはやられないからな!!」


殺されるなら、せめて一匹だけでも、いや傷を負わせるだけでもいい。
自分達の命と引き換えに、形ある抵抗をしてやる!
それが七原の悲壮な決意だった。
ナイフ一本、それが七原に許された唯一の武器(銃は光子と月岡が占有)
七原を構えると立ち向かっていった。




「あのバカ!」
「もう、本当に融通のきかない男ね!」

光子と月岡は少しだけ立ち止った。さすがに見殺しは気分が悪くないこともない。
まして三村もいない今、七原は貴重な体力担当。

「どうする?」
「仕方ないわね。ちょっとだけよ、ちょっとだけ!」

月岡は空中に向かって銃を発砲した。
いくら強いといっても所詮は動物。銃に恐れをなして逃げるだろう。
実際に銃声に奴らは七原を襲うのを一斉に止めたではないか。
「やった、怖がってるのよ!」
「そうね。人間大の大きさからしてF2よね」
二人は懐中電灯で照らした。と、同時にギョッとなった。


「……あ、あれって……F2じゃないわよね?」
「……えっと……確かF3とかいう、好戦的な?」


二人はF3に関する情報を脳の記憶装置から引っ張り出した。
好戦的で、そのあまり火すら恐れず襲ってくる。
つまり、弱い奴ではなく強い奴を優先する性質の獣。
でもって、今、この場で強いのは――。




「銃を持ってるアタシ達……よね?」




F3達がいっせいに此方に向かって走ってきた。
もう七原達など奴らの眼中にない。


「きゃぁぁ!!やっぱり来た、来ちゃったわぁー!!」
「逃げるのよ、早く!!」


月岡は素早いし、光子も体力がある。
だが所詮は人間のレベル。相手は凶暴な肉食動物。
とてもじゃないが脚力ではかなわない。
その証拠に徐々に差が縮まっていく。
そして、その距離はついに数メートルという所まできた。


「み、光子ちゃん……あ、あれは……川、いえ、湖だわ……!」


何て事、何て事!
これ以上逃げるのは不可能、もう戦うしかない。


「撃つのよ、さあ光子ちゃん!!」
「わかってるわよ!!」


二人は銃を構えながら、ほぼ同時に振り向いた。
そして発砲。おぞましい断末魔をあげながら、F3が盛大に出血した。
いくら化け物でも至近距離で胸に二発の被弾は致命傷だったらしい。
その場でもがき苦しむ。何とか一匹は倒した。
だが、一匹だけ。敵は、まだ二匹いる。
仲間の死が奴らを怒らせた。しかし逆上はしない、すぐに木の陰にはいったのだ。


「……まずいわよ。光子ちゃん、あいつら姿を隠したわ」
「……どこから襲ってくるかわからないわね」


二人はお互い背中合わせとなり神経を集中させた。
間違いなく奴らはいる。だが木々の間を巧妙に移動しており、どこにいるのかわからない。
銃を構え、ただじっとしているだけなのに、二人の額からは大量の汗が流れていた。
たった数分しか過ぎてないのだが、数時間、いや数十時間にも感じる。
神経が磨り減らされ、今にも倒れそうなくらいだ。


「……あいつら、一体どこに……え?」


月岡の肩に一枚の葉が落ちてきた。
何気ないその出来事に月岡は恐怖の戦慄を感じた。
葉が落ちてきたのだ。風が吹いていないのに!

月岡は素早く顔を上げた。そして、見た!


「きゃああああ!!」




【B組:残り41人】




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