桜が咲き誇り新しい季節の幕開けを告げる
もう冷たい風などではない
暖かいそよ風が吹いている
だが――それは悪夢の序章に過ぎなかった


そう、それは僅か一年前――。




キツネ狩り―92―




「直人!おい待てよ」

後ろから聞きなれた声が聞こえる。
ここ数ヶ月同じ任務で一緒だった瀬名俊彦だ。
どちらかといえば無口で愛想の無い自分とは違い、明るくしかもよく喋る。
およそ正反対の性格なのだが、なぜか不思議なことに気が合うのだ。

「どこにお出掛けだよ?」

そう言って、肩に腕をまわしてくる。
思えば、こんな一般の学生の友人なら、ごくごく普通の行為も菊地には珍しい経験だった。
とにかく瀬名はフレンドリーな性格なのだ。
勿論、一般の学生などとは同じわけではない。
なぜなら、この一見愛想のいい男も、特選兵士の1人なのだから。
「なあ聞きたいことがあるんだ、おまえなら知ってると思って……」
そう、言いかけた瀬名の表情が一変した。


ドンッ……ッ!!


次の瞬間、瀬名は菊地を突き飛ばしていた。
菊地の腰の辺りに何か異質なものを感じたのだ。
そして、それは今瀬名の手に握られている。




「……危ないなぁ直人」

スッと、『それ』が菊地に向けられた。
「こんな物騒な物持って、どこにお出掛けだよ?」
キラリと黒光りする銃口が菊地を見詰めてる。


「……おまえの目は節穴か?」
「ん?」


銃を改めて見て瀬名は悟った。
微かだが硝煙の匂い。そして、この重さ……すでに弾も無い。


「ふぅん……もう、お仕事は済ませてきたってわけかよ」
「そうだ。それより何だ?」
「ん?」
「聞きたいことがあるんだろう?」
「ああ、そうだった。おまえなら情報に詳しいからな。例の3人組だよ」




3人組。それは菊地も気になっていた。
6年に一度選ばれる特選兵士。軍の中でもエリート中のエリート。
選ばれた12人は、この特別な施設に移り、さらに過酷な訓練を課せられる。
菊地や瀬名を含む9人は一週間前に入所している。
しかし科学省から選ばれた3人(Xシリーズと呼ばれる科学省ご自慢の人間兵器)は今だに姿を見せない。


「……だいたいXシリーズってのは何なんだ?
オレも名前くらいは聞いたことあるけど、他の情報が全く入らない」
「当然だな。あいつらは科学省の最重要機密だ。
世間からは完全隔離された施設で外界を一切知らずに育てられた完璧な人間兵器らしい。
もっとも、オレもそれしかしらない。親父でさえ奴等の情報はほとんど手に入れることが出来なかった。
それが半年前デビューしたと思ったら将校顔負けの軍功を上げまくるんだ。
どういう特殊訓練を積んだか知らないが、ついこの間まで実戦を知らなかったはずの奴等がだぞ。
科学省は余程奴等の情報をひた隠しにしてきたようだな」
「それにしても何だって姿現さないんだよ?」
「さあな、もったいぶってるんじゃないのか?」
「科学省の奴等、出し渋ってるってことか?
でも人間兵器ってくらいだ。多分10代とは思えないくらいゴツイ顔した筋肉男だな」

瀬名はアーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスタ・スタローンをイメージした。


「……あれ、誰だあいつ?」


この特別施設の正門の傍には桜があった。見事な八重桜だ。
1人の少年。どう見ても自分達と同世代の少年だ。
それがジッと桜を見ている。
少し離れた場所にもう一人いる。こちらは、少し年上のようだ。
2人とも優男で、どう見てもこの軍施設と関係があるとは思えないような繊細な風貌だ。
一体、何の用でこんな場所にいるんだ?
それは瀬名だけでなく菊地も同じ思いだった。




「そんなに珍しいのか?」

少し大人びた感じの男が問い掛けた。


「……あそこには無かった。初めて見た」
「それは桜というんだ。バラ科サクラ属の落葉高木または低木で北半球の温帯と暖帯に分布している植物だ」
「……ふぅん」


瀬名は訝しげに思った。
自分も普通の人間らしい感覚とはズレたところはあるが、この2人はその瀬名から見ても何か不自然だ。
桜をまるで情報と知識でしか判断できない。そんな感じだ。
それにしたって、どうやってこの施設に入ってきたんだ?
この施設は周囲に何重も防壁に囲まれている。
さらに大勢の兵士やセキュリティーシステムによって、ネズミ一匹入れないくらい厳重に守られているのだ。
やはり関係者だろうか?この施設で働く軍人の家族とか?


「なあ、おまえたち」
最初に言葉をかけたのは瀬名の方だった。
「この施設に従事する軍人の関係者か?面会だったら場所が違うぞ」
「違う」
返答したのは少し大人っぽい男の方だった。
「オレたちはここに用があってきた。
だが、ここに入るには許可証が必要だと番兵に言われた。だから」
次の瞬間、瀬名は自分の耳を疑った。




「不法侵入したんだ」
「はぁ?」




何だ、こいつ?何のジョークだ?
第一、不法侵入だと?
そんなマネが素人に出来るはずが無い


「おいおい冗談きついぜ。ここをどこだと思っているんだ?
軍の施設の中でも最上級の警備なんだぜ。 笑い取るつもりなら、もっと面白いジョーク言ってくれよ。
それより、さっきも言ったとおり、ここは特別許可された者以外は立入禁止なんだ。
こんな所を警備兵に見つかったら説教だけじゃすまないぜ。
早くここから出て行けよ。面会室なら、第一エリアだ。
この第三エリアはおまえたちみたいな一般人の来るところじゃ……」


―――!!!


その瞬間、瀬名は視線が凍りつくような感覚を味わった。
自分、その男、そして菊地。
この3人の時間がスローモーション化されたような感覚。
いや……反対だ。
1人だけ、そう先ほどからジッと桜を見詰め、こちらを振り向きもしなかった少年。
その少年の動きだけが、まるで早送りされたかのように一瞬に事は起こった。


「……なッ!?」


その少年が振り向いた瞬間など覚えていない。
次の瞬間、網膜に映ったのは、自分のすぐ前、パンチを繰り出せば即顔面を強打できる位置まで迫っていた姿だった。
スタートダッシュを切るように動いたかと思うと同時に胸元に手を入れていた。
普通の人間ならとらえることの出来ないスピード。
だが、瀬名は普通の人間ではない。




(――銃!!)


間違いない!!奴は銃を持っている!!!
反射的に自分の銃のグリップに手を伸ばす瀬名。

「……俊彦!!」

それは菊地も同じだった。
瀬名とほぼ同時に菊地も銃を手にした。


だが――!




「動くな!!」




3人の動きが止まった。
瀬名も菊地も、その言葉に従わざるを得なかった。
なぜなら、2人が銃を取り出した瞬間、すでに相手の少年の銃口は瀬名の顔の前に突き出されていたのだ。


「……おまえ、何者だ?」

数秒後、瀬名が言った。


「オレが引き金を引いていたら、おまえ死んでるぞ」


まるで何事も無かったかのように少年はスッと銃口を下げた。

「オレの勝ちだな」

そう言うと、クルリと向きを変えて歩き出した。
瀬名や菊地には目もくれず。
呆気に取られる瀬名を無視してスタスタとこの場から立去ろうとしている。




「……おい。おまえ何なんだよ!?」
「気にするな。いつものことだ」

答えたのは少年ではなく傍観してただけの男の方だった。


「あいつは悪気はないんだ。おまえも実害受けたわけじゃないし問題はないだろう?」
「……あのなぁ。そういう問題じゃないだろ?」
「そうなのか?……わかった。おい志郎」

その謎の少年の名前だけはわかった、志郎というらしい。

「なんだ?」
「この男がおまえに文句があるらしい」
「……?」
「とりあえず、謝っておけ」

すると志郎少年はまた向きを変えてスタスタと瀬名の前まで来た。

「悪かったな」
(……何なんだ、こいつは?)

そして2人は何事もなかったかのように行ってしまった。


「秀明」
「なんだ?」
「ところで、あいつは何を怒ってたんだ?」
「……春だからだろ」




「……何だ、あれは?二度と係わり合いになりたくないタイプだよな」
「……Ⅹシリーズ」
「!」
「あいつらⅩシリーズだ。間違いない」
「……あいつらが?」

イメージしてた外見こそ違うが、あのスピード、あの動き……完璧なくらい洗練されていた。
いくら油断してたとは言え、あの一瞬に自分の間合いにまで飛び込んでくるなんんて。
こんな屈辱的経験は生まれて初めてだ。


「親父が言っていた。Ⅹシリーズには高尾晃司という、とんでもない怪物がいると」
「高尾晃司?」
「Ⅹ5だ。おまえも知ってるだろう、先月テロリストの過激派を、たった一人で一掃した奴だ」

瀬名は思った。あの志郎という奴でさえ従わせていた男。


「……もしかして、さっきの奴が?」
「さあな、いずれわかるさ」














「よーし全員集まったな」
教官の声が室内に響き渡る。
「遅れていた者たちがやっと到着した」
やはり、あの2人はⅩシリーズだった。
瀬名と菊地以外の少年たちは物珍しそうに2人を見詰めている。


「まずは、おまえたちがこれから生活する部屋だが、集団生活の一環として二人で同じ部屋を使ってもらう。
瀬名俊彦!!」
「はーい」
「何だ!!その気の抜けたような声は!貴様、それでも軍人か!!
まあいい、おまえの部屋は1号室だ。速水志郎、おまえも1号室だ」
「……今何て言った?」
「速水志郎と同室だと言ったんだ」

瀬名は目眩を感じた。
これも運命というやつかもしれないが、運命というより貧乏くじじゃないのか?

「……直人」
「何だ?」
「部屋代わらないか?」














全員、屋内運動場に集まっていた。
やっと12人が全員集合するというので、コミュニケーションも兼ねて親善試合をするらしい。
「AブロックとBブロックに分かれてくじ引きで決った相手と戦ってもらう。
何か質問あるか?」
1人、手を上げていた、この中では最年長の和田勇二だ。
「1人まだ来てない奴がいるがどうした?まさか怖くなって逃げたんじゃないだろうな?」
「高尾晃司は任務の為遅れているんだ。30分ほど前に任務終了との報告を受けている。
今、こちらに向かっているはずだ」
瀬名はチラッと堀川に視線を送った。


(……あいつじゃないのか)

野生の勘というものだろうか、それとも長年の訓練で研ぎ澄まされたものだろうか。
どっちにしろ、あいつは普通じゃない。
普通じゃないという点では速水志郎も同じ。
だが単純に強いか弱いかというだけなら、間違いなく奴の方が速水よりヤバイ気がする。
ならば今だに姿を現さない高尾晃司は、あいつの上をいっているという事なのか?




「俊彦」
「ん?何だ?」
「余計なことは考えない方がいいぞ」
「そうは言っても……秘密にされると余計に知りたくなるのが人間のサガって奴なんだよ」
「……いずれ、わかるさ」

菊地はいつになく神妙な面持ちだった。少し緊張しているようにも見える。
その理由を瀬名は知っていた。
ギャラリーの面々、たかが練習試合に軍の各部署のお偉方が招かれている。
彼らは将来軍を背負ってたつことになるだろうエリートなので、その実力を見ておこうというのだろう。
瀬名はチラッと高官席に目をやった。菊地の義父が偉そうに座っている。
そう、あいつがいるということは、菊地にとって、この試合はお遊びではない。
ここで無様な負け方をするわけにはいかない。
相手を殺してでも勝て、例え試合でも一切手加減するな、それが菊地の父親の無言の命令だった。




「では第一試合、周藤晶」

周藤が立ち上がった。

「同じく、第一試合は……氷室隼人」


「何だとぉぉー!!」


その瞬間、意味も無く燃え出した1人の男がいた。
それは周藤の上官・鬼龍院だった。


「晶!柳沢のところのクソガキなど八つ裂きにしてしまえ!!」

が、燃えていたのはもう一人いた。

「隼人!鬼龍院の腰巾着を血祭りに上げろ!!」


そう、周藤と氷室の上官たちは士官学校時代から犬猿の仲で、その敵対関係を2人にまで押し付けていたのだ。


「……オヤジ、気付いてないみたいだから教えておいてやるけどな」

周藤はヤレヤレと言った感じだ。


「なんだ?」
「オレと隼人はブロックが違うんだよ」














「おい貴様止まれ!!」
施設の正門。1人の少年が立っていた。
「ここは、おまえのような小僧の来るところではない。さっさと帰れ!」
「……………」
「聞こえなかったのか!?帰れ……ゲボォッ!!」
番兵は声を出すことが出来なかった。腹に衝撃が走ったのだ。
そのまま腹を押さえ込むと倒れこんだままもがいている。
そう、その年端のゆかない少年のたった一発のパンチによって。
少年は何事も無かったかのようにゲートを開くと、地面にうずくまっている番兵には目もくれずに中に入っていった。














「…………」
「いやー、惜しかったですね。ですが、さすがに局長が手塩にかけて育てただけのことはあって……」
「おい貴様」
「はい?」
「……命が惜しかったら、それ以上口をきくな」

菊地の父は、これ以上ないくらい不機嫌な表情だった。
そう、あからさまなくらいに。
反対に、氷室隼人の上司・柳沢はかなりご機嫌だ。
ここまで言えばおわかりだろう。氷室隼人の相手は菊地直人だった。
そして氷室の勝利で幕を閉じたのだ。


「……以前より強くなってるな。まあ、オレには劣るが」
「当たり前だ。いいか、今回はおまえと当たらずに命拾いしたようだが、次に対戦する機会があったら容赦するな。
殺しても一切かまわんからな」
「ああ、わかってる。オヤジに言われるまでもない」


パァァーンッ!!


その音に、その場にいる全員が視線を一点に集中させた。
菊地と、その父親だった。 何と公衆の面前で平手打ちだ。


「……何だ、今の試合は?私は恥をかく為におまえを育てた覚えはないぞ」


「……何だ、あいつ。公衆の面前で仮にも息子を殴るなんて」
オレと父とは大違いだな。オレなら殴られる前に殴っている。
佐伯は、そう思った。つまり父親をなめているのだ。
「ふーん、随分キツイ父君だな。かわいそうに」
同情めいた言葉とは裏腹に立花は愉快なものを見たような目だ。
そう、内心楽しんでさえいたのだ。




「……あいつ!」

だが瀬名は違った。思わず立ち上がっている。
隣にいた奴が腕を掴んでいなければ、相手が局長だろうが間違いなく殴りかかっていただろう。
「よせよ」
蝦名攻介だった。
「……何だよ」
「バカか、おまえは?直人の立場がヤバくなるだけだぞ」
「……………」
「少しは考えろよ」
確かにそれは正論だ。瀬名は悔しそうに、その場に座り込んだ。
何とか怒りをこらえた瀬名だったが、会場は今だにざわついている。


その時だった。
扉が開き、そして少年が立っていた。


特選兵士最後の一人、高尾晃司だった。




【B組:残り22人】
【敵:残り4人】




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