「な…何って……」
いけない!顔にだしてはダメ、気付かれてしまう。
「何でもないわ。外を見るのもダメなの?」
平静さを装わなければ……。
佐伯が立ち上がった。
その瞬間、まるで心臓が止まったかと思うくらいの衝撃が身体中を駆け巡った。
キツネ狩り―70―
「あんたなんかに弘樹を殺させてたまるものですか!!
さっさと弘樹から離れなさいよ!!」
「……た、貴子!バカッ、なんで戻ったんだ!?」
「うるさいわ、あんたは黙ってなさいよ!!
あたしは、そいつに言ってるのよ!!」
握り締めているアイスピック。こんなもので、どうにかなる相手ではない。
それは貴子にもわかっていた。 しかし、貴子にはアイスピック以上の武器がある。
それは貴子にとって最大の自慢であり誇りでもあった。
キツイが整った顔立ちや学年トップクラスの成績以上の貴子の宝。
そう、県大会歴代2位の記録を持つ脚だ。
相手は戦闘のプロ。到底自分などかなうわけがない。
しかし自分に注意をそらす事さえ出来れば。
転校生が杉村から自分に的を移すように挑発すればいい。
とにかく今は杉村から目をそらせることが最重要なのだ。
自分なら追われても逃げ切ることが出来るかもしれない。
何しろ、相手と自分とは今数十メートルの距離がある。
追ってくれさえすればいい。そうすれば少なくても杉村は助かる。
今は、それに賭けるしかない。
「……心が痛むな」
周藤が楽しそうに口を開いた。
「オレはバカで弱い女は大嫌いだが気丈な女は好きなんだ。
特に気が強いくせに男をたてるような女はな。だから――」
周藤の視線が完全に杉村から貴子へと移行した。
「心が痛むな。そういう相手を殺すのは……!」
周藤がターゲットを貴子に変えた。走り出していた。
貴子はクルリと背を向けるやいなや全力疾走だ。
(追いつけるものなら追いついてみなさいよ!!)
貴子は走った。
県大会で見事優勝を手にした時よりも速かったに違いない。
(陸上部エースの看板はだてじゃない、追いつかれてたまるものですか!!)
「美恵
さん、オレはずっと思ってたんだよ」
「……な、何を?」
「あいつが地下室の君を探し当てたのは偶然だろう。でも……」
「……あいつ?」
滝口に一度は救い出された事を美恵
はまだ知らなかった。
「でも、あの場所で、あの集落の中で、なぜ君がいる家を正確に発見できたんだろうか?――と」
佐伯が一歩出た。
まるで絶対零度のように空気が凍りつくのを 美恵
は肌で感じた。
「答えは一つだ。あいつが、あの家を探し当てたんじゃない。
君があいつを呼び寄せたんだ」
「………………」
「君を信じたかった。だから、ずっとその可能性を口に出さずいた。
そして君を観察してたんだ。君が本当にオレに心を許しているのかどうかを」
「……………」
「残念だよ。君はオレを裏切ったんだ」
貴子は走った。ただ走った。
背後に迫る足音。しかし、まだ自分を捕獲する距離ではない。
とにかく今は走るしかない。それしか考えられない。
いや、一つだけ他のことを考えた。
(弘樹、ちゃんと逃げたんでしょうね?あたしの努力を無駄にするんじゃないわよ)
杉村のことだけが心配だった。
随分と痛めつけられていたようだし、大丈夫だろうか?
(……え?)
ふいに貴子が立ち止まった。さっきまで背後に聞こえていた足音が消えたのだ。
反射的に振り向く。誰もいない。 まさか、振り切ったのだろうか?
それとも、自分に追いつけないと思ってあきらめたのか?
「……どうして?」
ザッ……!!
「……え?」
音がした。背後ではない。前からだ。
前を見た。目を見張った。
「……そんな!」
「残念だったな」
……そんな!そんなバカな!!
「……違うわ。あなたの誤解よ」
美恵は必死に答えた。
しかし、その声は震えている。
佐伯が手の届くところまで来た。
美恵の手から鏡がスルリと抜け落ちた。
佐伯はスッと屈むと、それを手にして美恵の顔に向けた。
青白くなった自分の顔がそこにある。
「これで何をしようとしてたんだい?」
「……………」
何か言わなければ、何か……でも、言葉が出ない。
ガシャァァーン!!
次の瞬間、その高級そうな手鏡は壁に投げつけられていた。
もちろん、後は粉々に砕けた鏡の破片が床に散らばっている。
「………美恵さん」
佐伯が抱き締めてた。痛いくらいに。
「どうしたんだい?」
『オレを裏切ったら許さない』
「随分と震えているじゃないか」
『オレを裏切ったら許さない』
「やましいことが無ければ恐くないはずだろ?」
「……痛い!」
抱き締めている腕にさらに力が加わった。
骨が軋む音が聞こえてきそうなほどだ。
「……オレを裏切った奴は絶対に許さない」
佐伯がベルトに差し込んだ銃を取った。
その銃口は――美恵の胸に、心臓に当てられていた。
「……そんな!」
いつの間に!そんな、さっきまで、後ろを走ってたのに!!
貴子はプライドこそ高いが、決して自信過剰な女ではない。
だからこそ過信ではなく、確信として自分の脚を信じていた。
確かに相手は軍のエリートだ。それだけに身体能力は、女の自分など比較にならないものがあるだろう。
しかし、こんな一瞬で先回りするなんて誰が考えるだろうか?
貴子の考えが甘かったのではない。
確実に、この男の能力が常識から大きく超えていたのだ。
「……こんな所で」
普通の女なら泣きわめくか、正気を失うか……だ。
しかし貴子は違った。
「……こんな所で、あんたなんかに」
父の顔が浮かんだ。 母の顔が浮かんだ。
妹の顔も。おまけに愛犬ハナコまで。
「殺されてたまるもんですか!!」
そうだ、自分には家族がいる。自分の帰りを待っている家族が!
その家族の為にも、こんな所で死ぬわけにはいかない。
絶対に死ぬわけにはいかない!!
貴子はアイスピックで切り裂くように攻撃した。
しかし……ズキッと手首に痛みが走った。
「……痛ゥ!」
貴子の攻撃を軽々と除けた周藤が、その右手首を握り上げていた。
原宿辺りを颯爽と歩いていそうな、その外見とは裏腹にすごい腕力だ。
貴子の手からアイスピックが落ちた。
(……殺される…!)
あたし、こんな所で死ぬの?
冗談じゃないわ。まだ15年も生きてないのよ
――静かだった。
何の音も無い。
体内から聞こえてきていたはずの心臓の鼓動すらも少しずつ音が小さくなってきている。
ああ、そうか
美恵は理解した。
天童真弓、北野雪子、清水比呂乃、元渕恭一……今度は自分だ。
自分の順番が回ってきた。頭ではなく心の奥から理解した。
死ぬのは勿論初体験だ。
泣きわめくものだとばかり思ったのに、自分でも信じられないくらい静かな気持ちだった。
この男からは決して逃げられないと、はっきり理解したから。
震えすら止まっている。美恵は目を閉じた。
数秒後には銃撃音が聞こえるだろう。
何秒たっただろうか?
相変わらず銃口は美恵の胸に当てられたままだ。
後は引き金を引けばいい。
そうだ、この女はオレを裏切った。
許すわけにはいかない。
今までオレを裏切って、この世で後悔した奴は一人もいない。
この女も例外ではない。
グッと指に力を入れた。僅かに引き金が動く。
『きつくない?』
その時――左手に巻かれたハンカチが瞳に映った。
『……そんな目に合って、どうして軍を抜けなかったの?』
こんな事を言う女は他にはいなかった。
「……………」
なぜだ?なぜ引き金を引けない?
ほんの一瞬で全てが終わる。簡単な事だ
オレは今まで、そうして生きてきた
何人も殺してきた。女も例外じゃない
オレにとっては最も簡単な事だ
いつものように引き金を引けばいい
それだけでいいはずなんだ
(……私生きてる…の?)
どのくらい時間がたっただろうか?
美恵は目を開けた。
「……なぜだ?」
「なぜオレを裏切った。自分の命よりも大事なのか?」
「そんなに桐山がいいのか?!」
【B組:残り23人】
【敵:残り4人】
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