佐伯の髪が微かに頬に当たっている。
困惑する美恵
を余所に佐伯は気持ち良さそうに目を閉じている。
こうしていると、普通の男の子なのに
その綺麗な寝顔は佐伯が殺戮者であることを記憶の片隅から消し去りそうなくらい無邪気なものだった。
しかしもちろん佐伯は天使などではない。
天使の顔をした悪魔か?それとも堕天使か?
キツネ狩り―67―
「……クソ」
何て事だ。この場所は山道から離れているし、茂みに囲まれ外から見ただけではわかりづらい。
だからこそ、この場所を選んだのだ。
それなのに、こんなに簡単に居場所がばれてしまうなんて。
しかも相手は銃を持っている。
杉村が支給された探知機は便利ではあるが、もちろん戦闘には全く役に立たない。
貴子のアイスピックでは到底銃には歯が立たない。
杉村はモップから取り外した柄の棒を握り締めた。
こんなもので太刀打ちできるとは思えないが、今はこれにすがるしかない。
とにかく貴子だけは何とか逃がさないと。
「貴子、オレが奴を引き付ける。その間に逃げるんだ」
「何言ってるのよ!あたしは一緒に戦うわよ」
これは随分麗しい話だな、周藤は少しばかり感心した。
何しろ、彼の母親は控え目でつつましく優しい女性ではあったが、決して強い人間ではなかった。
だからこそ幼い子供たちを残して自ら命をたったのだ。
女は基本的に弱い生き物だ。それが周藤の基礎知識だったが、どうやら貴子は例外らしい。
「ところで君が育てた周藤晶だが」
チェスの駒を片手にプログラム総本部長は切り出した。
「君が自慢するだけの奴かね」
「本部長、うちの晶は普段はヤル気があるのかないのか、全くわからない奴ですが」
鬼龍院はナイトの駒を持ち上げた。
「あいつの精神は鋼ですよ。あいつは父親に似たんでしょうね。
何しろ、とんでもない奴でしたから」
「そうだったな。政府にとっても恐ろしい相手だった」
「晶には弟がいましてね。こっちも私が引取ったんですが、年も一つしか違わないのに兄と比べると歴然たる差がある。
生まれも育ちも同じなのに差がでるということは持って生まれた素質が違うということです。
晶は必ず優勝しますよ。今のあいつに勝てる奴はいません。例え高尾晃司でも」
周藤が一歩前に出た、すかさず杉村が棒を構え戦闘態勢の姿勢をとる。
今、自分と周藤の距離は10メートル程だ。
銃を撃たれたら、それこそひとたまりもない。
しかし、周藤が銃を構える、その僅かな瞬間に一気に攻撃に出れば、少なくても懐に飛び込むことが出来る。
そうすれば、貴子が逃げる時間くらいは稼げるかもしれない。
杉村は、そう考えた。
貴子は、貴子だけは死なせるわけにはいかない。
新井田は姿も見せなかったが、杉村の脳裏には周藤を倒すこと、貴子を守ること、この2点のみ。
とにかく今は、それしか考えることが出来なかった。
周藤の右手、そう銃を持っている手だ。それが僅かに動いた。
撃つ気だ!!
その瞬間、杉村がダッシュしていた。
弧を描くように棒が大きく空中を切り裂く。
しかし、棒は周藤の顔面の手前でピタッと制止していた。
周藤の左手が棒の先を掴んでいる。そして間髪いれずに周藤が棒をグイッと引き寄せた。
杉村の体勢が僅かに傾く、瞬間、周藤の身体が反転したかと見るや、杉村のボディ狙って回し蹴りが炸裂した。
「……クッ!」
反射的に杉村が身体を沈める、なんとか除けた、しかし髪の毛が数本、宙を舞っている。
次の瞬間、杉村にかわされた周藤の右足が今度は高く上がってる。
と、次に一気に振り落とされた。踵落としだ!
杉村は背後に飛んだ。
「……ふーん、思ったとおりだ。接近戦だと侮れないな」
……ポタ……ポタ……。
杉村が左顔面を押えている。
「……弘樹!!」
杉村の様子がおかしい。貴子は瞬時に悟った。
……ポタ。
杉村の運動靴。山の中を移動したせいか、すっかり土に汚れている。
その靴に、赤い点ができている。
(……除けるタイミングが、あと少し遅かったら)
杉村は拳法の達人だ。何度も大会で優勝した経験がある。
もちろん、純粋なスポーツの大会であって、実戦ではない。
(……失明していた)
杉村の左目ギリギリの箇所から出血している。
周藤の蹴りは凄まじく、掠っただけでダメージを与えたのだ。
周藤が肩に掛けていたディバッグを放り出した。
「おまえは拳法の有段者だったな」
周藤が戦闘態勢をとった。
「オレの専門は空手とテコンドーだ」
「とにかく早く仲間を集めることが肝心よね」
それは月岡だけではない。ここにいる4人全員の一致した意見だった。
「特に桐山くんよ。ずっと一緒にいたからわかるわ。
彼、間違いなく戦闘指揮官の才能あるわ」
それは確かだ。単にケンカに強いだけではない。桐山の頭の良さは誰もが認めていた。
しかし……光子と七原は複雑そうに見詰め合った。
「あ、あのさ月岡。実は今まで言い出しにくかったんだけど」
「何よ」
「……桐山は、その……」
「もしかしたら死んでるかも知れないわよ」
言葉に詰まっている七原に代わって、光子がきっぱり言い切った。
国信が、その大きな目をさらに大きくさせている。
それ以上に月岡は驚愕の眼差しだ。
「何ですって!?」
「転校生の一人に呼び出しくらったらしいんだ」
そうだ。幸いにも桐山の勝利で幕を閉じたが、七原と光子は戦いの結末を知らない。
とにかく七原と光子は、その経緯を話した。
最初は絶望感に近い顔色を見せていた月岡だったが、話を聞き終わると冷静さを取り戻し落ち着いた声で言った。
「それじゃあ2人とも結果は知らないのね」
「ああ、第一オレは気絶してたし」
「それに桐山くんが、転校生の挑戦に乗ったかどうかもわからないわ」
「そう、だったら信じるしかないわね。彼は相手が誰だろうと簡単に殺されるような男じゃないわ。
他のコの情報は無いの?」
「……オレ、さくらさんに会ったよ。もっとも、すぐに離れたし、その後どうなったかわからないけど」
「あたしは、あなたたち以外には誰にも会ってないわ」
「オレも……転校生には会ったけど、何とか逃げてきたんだ」
「転校生に会ったですって?!それを早く言いなさいよ!!」
「ごめん」
「でも、よく逃げてこれたわね」
「うん、自分でも、よく逃げれたと思うよ」
「とにかく、他の皆がどうなったかなんてわからないわね。情報が少なすぎるわ。
今の時点で、はっきりわかっている事と言えばクラスメイトが2人死亡って事くらいよね」
「「「2人?」」」
「そうよ、真弓ちゃんと……文世ちゃんよ。アタシ見たのよ、彼女の死体」
七原は言葉を失った。天童真弓の死は目前で見た。
しかし、藤吉文世も、すでに死んでいたとは……。
保健委員で面倒見のいい優しい子だった。
いや、彼女だけではない。もう、すでに何人も殺されているかもしれない。
美恵さんは大丈夫だろうか?
「……怖い。お父さん……お母さん……」
中川典子(女子15番)は茂みの中で震えていた。
典子は元々D地区にいた。しかしD地区は銃の音はおろか爆発音まで響いた。
当然、逃げるように走っているうちにE地区に入ってしまったというわけだ。
ところが、E地区に入って、しばらく後にD地区で聞いた爆発など比較にならないくらいの爆音が轟いた。
おまけに業火だ。典子の恐怖は爆発寸前まで来ていた。
幸い転校生には出会わなかったが、その代わりにクラスメイトとも会えないでいる。
本当は好意を抱いている七原や、一番信頼している友人の幸枝と合流したかった。
しかし2人は全く別の区域にいるはずだ。
だが、E地区には仲良しグループの野田聡美と谷沢はるかがいた。
北野雪子と天瀬美恵とは、特別仲がいいわけでは無いが今はそんな事を言っている場合ではない。
この際、不良グループ所属の矢作好美や、いつもクラスメイトを見下している織田敏憲でもいい。
誰かと合流して協力しなければ生きて帰れないのだ。
優しい両親、それに普段は生意気だと思っていた弟にも、たまらなく会いたい。
とにかく誰かを探そう。典子は勇気を出して立ち上がった。
そして当ても無く歩き出した。 東の方向に。
そう、佐伯徹と天瀬美恵がいる東の集落に
【B組:残り23人】
【敵:残り4人】
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