――まだ4時間以上もある

苛々する。いっそのこと24時間ルールなんて無視してやろうか
鳴海は天瀬 美恵の写真を眺めながら、ジッとE地区を見詰めた。
こんな無駄な時間をすごしている間に佐伯に横取りでもされたら冗談じゃない。
佐伯は女嫌いで通っていたが、性格が捻くれて女にモテるタイプは自分に反抗する女に興味を持つことがある。
鳴海はそれを知っていた。
そして自分に対して過剰なまでに自信のある奴は一度欲しいと思ったもの手に入れなければ気がすまないということも。
どんなに汚い手段を使ってでもだ。


――自分が、そうであるように。




キツネ狩り―62―




「ねえ見て。あのひと、かっこいいよね」
「うん、でも、ちょっと変わってるよね」

それは、今から三ヶ月ほど前の出来事だった。
鳴海は城岩町に来ていた。任務の為にだ。
任務とは政府にとって邪魔な人間を殺すことに他ならない。
鳴海は早々とプログラム参加を決めていたが、その相手となる中学生のことは、その時点では何も知らなかった。
何しろ、まだ学校名すら発表されてなかったのだ。
城岩町にきたのは、本当に偶然に過ぎない。
いや、今思えば運命の皮肉という奴かもしれないが。
とにかく鳴海は仕事を終えた。相手は政府の悪法に対し反対運動をしていた弁護士の団体だ。
次の日には城岩町に配られる朝刊に掲載されるだろう。
弁護士団体交通事故で4人死亡――と。


鳴海は、そのハデな金髪フラッパーパーマを除いても目立つ男だった。
その容姿、そして学ランが着崩れしているのにもかかわらず、様になるモデル体型。
そして、何より全身から溢れるくらいの独特のオーラ。
それが他人を近づかせない理由だろう。
鳴海と同じ殺戮を生業とする女でさえ、その雰囲気には圧倒されるのだから、一般の女子が近づけるはずがない。
先ほども、二人連れの女子高校生が鳴海を見て少々赤面していたが、勿論傍にはこなかった。
他人を拒む、その独特のオーラもだが、鳴海は一口で言えば変わっているのだ。
今も制服のズボンのポケットに両手を突っ込んだ状態で公園のベンチに座っている。
そして、その鳴海を遠くから眺めている女子高校生たちは傘をさしている。
そう、激しくはないが今雨が降っているのだ。
それなのに鳴海は、雨宿りもせずに、ただベンチに座っているのだ。
梅が咲き始めているとはいえ、まだ肌寒いこの季節。
雨で濡れているにもかかわらず、ただ座っている。


どのくらい時間がたっただろう?

鳴海は顔をあげた。薄暗くなってきている、そろそろ帰るか……。

そう思って立ち上がった。この時間、もう自分以外誰一人いないようだ。
雨は、いつの間にか止んでいた。




……ニャ…~ン……

どこかで弱弱しい声が聞こえる。しかし鳴海は振り向くことは無かった。
猫には興味がない。まして死にかけているような猫には。
そのまま無視して去っていくはずだった。


「よかった、無事だったのね」


その澄んだ優しげな声が聞こえなければ。
チラッと振り向いた。女が猫に駆け寄っている。
猫――遠めにも子猫とわかったが――雨に濡れて弱っているようだ。
女は子猫に駆け寄ると、自分の制服が汚れるのもかまわずに子猫を抱き上げた。


「あなたの飼い主が見つかったのよ。貴子のお隣さんが猫好きでね。
あなたを飼ってくれるっていうの。よかったわね」


「……………」
距離があったし、女は子猫に夢中だったので鳴海には、まるで気付いてなかった。
しかし、鳴海は、その女から目を離さなかった。
その女の子猫に向ける視線が、何といったらいいのか、とにかく今まで自分が見たことがないものだった。
女の笑った顔はよく見る。仕事仲間の女たちは鳴海に気があるのか、度々、ほくそ笑んで近づいてくる。
しかし、その女の笑顔は、そんなものとは全く違った。
さらに鳴海が、その女に興味を持ったのは、その後だ。
女は子猫を抱き上げると近くにあった梅の木に目をやった。


「見て、一週間前は莟だったのに咲いてるわ。そう言えば、その頃だったわよね。
この公園に捨てられてたあなたを見つけたのは」

そう言って子猫に優しく微笑むと、再び梅に視線を注いだ。




――魅入られるなんて、鳴海は生まれて初めてだった。




なぜかはわからないが、その女から目を離すことが出来なかったのだ。
綺麗に咲いている梅などより、その女の笑みの方がずっと鮮烈に見えた。
鳴海が普通の男子高校生なら、それが『女に見とれた』と自覚するだろう。
しかし鳴海には、それすらわからなかった。
とにかく、その日は帰ってからも、その女の事ばかり考えていた。
だが、それはまだ興味をもっただけに過ぎなかった。

次の日、用もないのに、その公園に行かなければ。














何をするでもなく鳴海はベンチに座っていた。
実はかれこれもう五時間も座っている。

――あの女、今日は来ないのか?

そんなことを考えるのも生まれて初めてだった。


「やめて下さい……!!」
女の声が聞こえた。続けざまに今度は下卑た男たちの声が聞こえた。
「うるせぇ!!ぶつかってきたのはそっちだろ?」
「ああ、肩が痛えなぁ……ひとに怪我させておいて被害者ヅラすんじゃねぇ!!」
鳴海は振り向きもしなかった。


……あの女の声じゃない


「……そんな、ぶつかってきたのは…そ、そっちじゃないですか……」
「そ、そうよ……け、警察……呼びますよ」
どうやら二人連れのようだ。しかし、二人目の女も違う。


……あの女は、もっと澄んだ声だった


相手は見なくてもわかる。相当、性質の悪い不良だろう。
ほかっておけば、相手が女だろうと何をするかわからない。
しかし鳴海にはどうでもよかった。
押し殺したような女のすすり泣きまで聞こえ出した。
しかし鳴海が考えていた事はただ一つ


……あの女、来ないらしいな。もう帰るか


立ち上がった時だった。


「文世……泉!!」


――瞬間、鳴海は振り向いた。




学校帰りなのだろう、学生鞄を持ったまま駆け寄ってくる少女。
「……美恵 !!」
不良にからまれている女(額が広く色白な方だ)が叫んだ。


……美恵 ?それが、あの女の名前なのか?


その、美恵と呼ばれた少女は2人をかばうように不良の前に出た。
「2人をどうする気なの?」
「どうって?オレたちは払うもん払えって言ってるだけだよ」
「そうそう、ひとに迷惑かけたら慰謝料払うのは当然だろ?」
「それとも、ねえちゃんが払ってくれるのかよ?」
相手は5人いた。もちろん全員ただのチンピラだ。


――片付けないと、あの女やばいな


鳴海は立ち上がった。あの程度の奴等なら瞬殺だ。
……訂正、殺しはやばい。思いっきり手を抜かないと。


……面倒くさいな


「つまり2人からお金を巻き上げようっていうの?ただのカツアゲじゃない。
2人とも相手にすること無いわ。さあ、帰りましょ」
美恵 が2人を伴って背を向けた、背後から肩を掴まれた。
「……おい待てよ。オレたちをなめてるのか?」
ニヤッと下卑た形に口が歪んだ。その厭らしい表情に美恵 は顔をしかめる。
「……放して」
その男(目つきが厭らしかった)は美恵 の手首を強引に握ってきた。
「おまえ……いい女だなぁ…。なあ、今からオレと遊びに行……」




パアァーンッ!!

男のセリフが終わる前に、その音は轟いていた。
その男の醜い顔がさらに歪んでいた。
「……こ、このぉ…ひとが大人しくしてりゃあ、つけあがりやがって!!」
今度は男が美恵 の頬に平手打ちを食らわした。そう女相手にだ。
もちろん、そのチンピラの平手打ちは女子中学生のそれとは比較にならない威力があり、美恵 は地面に倒れこんだ。


「……美恵 !!」
「……だ、大丈夫?!」
2人――名前は泉と文世といったが、鳴海は美恵 以外の女の名前など覚えてなかった――が美恵 に駆け寄った。
「……ッ」
美恵 が痛そうに足首に触れた。どうやら倒れた瞬間、足を捻ったらしい。
美恵 …!!…ち、血が……」
泉が悲鳴のような声を上げた。
美恵 の口の端から僅かだが血がでている。そう、口内を切ったのだ。
「……美恵 、これ」
文世がハンカチを差し出した。


「おまえが悪いんだよ。大人しくしてりゃあよかったんだ。
ちょっと美人だからって調子に乗ってんじゃねえよ!!」
こういうタイプはカッとなるとさらに暴力をエスカレートさせる。
美恵 を気遣いながらも泉も文世も、それを肌で感じ、震え上がっていた。
桐山ファミリーのように一般女生徒には決して手を出さない硬派な不良とはわけが違う。
間違いなく根性の腐りきったワルなのだ、女だからって容赦はない。
しかも向こうは5人もいる。
震え上がっている泉と文世。しかし、一番被害をこうむっている美恵 は違った。
手の甲で血を拭うと立ち上がり、相手の男を睨みつけた。


――鳴海は目を見張った。


昨日の、あの表情とはまるで違う。
まるで降りたての雪のような何にも汚れていない笑顔がそこにはあった。
でも、今の、あの表情はまるで違う。
その瞳の奥に激しく強い何かを感じた。
鳴海の仕事仲間の女たちも、こういう場合一歩も引かないが、それは相手が弱いとわかっているからだ。
しかし、あの女は違う。あきらかに相手の方が力はある、それなのに、あの目は怯えた弱者のものではない。
すぐ傍で震えている女たちとは違う。


怖くないのか?


「まだ逆らうつもりかよ!!」
「……美恵……」
「お、お願い……お金ならあげるから許して……」
泉は財布から数千円取り出した。
「泉、こんな奴等にあげることないわ」
「何だとぉ!!」
男が美恵 の襟を両手で掴み持ち上げた。
普通の女なら、ここで目を瞑ってしまうだろうが美恵 は決して目をそらさなかった。


――あの女


あんな咲き始めた花のような可憐な表情をしていた女が、あんな強さを秘めた表情を出来るのか?
鳴海は全身に何かが走るのを感じた。
「このアマ!!」
男が手を上げた。


「やめなさい!!」


なんというタイミングか?とにかく、その声に男の手はストップした。
まさに天の助けだった。
しかし、天の使いとは天使をイメージするところだろうが、その野太い声はエンジェルなどとは懸け離れている。
「「……月岡くん!!」」
泉と文世が同時に叫んだ。
「全く、あきれてものが言えないわね。女の子相手に」
男は思わず手を放した。名前を聞かずとも誰だか知っている。
それもそうだろう、桐山ファミリーを知らない不良はいない。


美恵 ちゃん大丈夫?ああ、可哀相に。可愛いお顔に傷がついたじゃない」
それから月岡は男たちに視線を移した。
「……な、何だよ。文句あるのかよ」
少々びびってはいるが虚勢はとかれてないらしい。
何しろ5人いるのだ、いくら天下の桐山ファミリーのメンバーといっても一人ではたかが知れている。
「文句があるっていうなら、おまえも同じ目に合わせてやるぞ!!
もちろん、その女たちも一緒になぁ!!」
「あら、やりたければ勝手にどうぞ。でも、いいのかしら?」
月岡は少々憐れみを込めた瞳で、その5人組を見詰めた。
「言わなかったかしら?アタシと張り合う美人のこのコの正体知らないの?」
月岡は美恵 の肩にポンと手をおいた。




「桐山くんの彼女なのよ。それでもかわまないっていうのならどうぞ」




「「「え?」」」
おもわず目が点になる3人娘
「「「「「え”」」」」」
おもわず目が引きつる5人組


……シーン……


「そ、そのアマ……い、いや女性は……き、桐山さんの?」
「そうよぉ……ああ見えて桐山くん情熱家なのよ。
愛する恋人を傷つけれたら、きっと怒り爆発すると思うわぁ」
その後の説明はいらないだろう。
5人組は顔面蒼白、全力疾走で逃げ去っていった。




「月岡くん、助けてくれてありがとう」
「でもいいの?美恵 が桐山くんの恋人だなんて嘘ついて」
「いいのよ、気にしないで。それより美恵 ちゃん大丈夫?」
……ガクッ……、美恵 が体勢を崩した。月岡が支えなかったら、地面に膝をついていただろう。
「……った」
美恵 ちゃん?」
「……怖かった」
美恵 は月岡の制服を握り微かに震えていた。


本当は怖かった。 でも、それ以上に、あんな奴等に負けたくは無かった。
あいつらが立去ったせいで、押えていたものが一気に弾けたのだ。
無理もないだろう。
光子達女子不良グループのようにケンカ慣れなどしていない普通の女子中学生なのだ。


「もう、大丈夫よ。たてる?」
「……うん。それと……ありがとう月岡くん」

そう言って顔をあげた美恵 には昨日と同じ笑顔があった。
4人が帰った後も鳴海は、しばらく立っていた。


あの目、あの瞳、あの表情――決定的だった。


恐怖を感じていたはずなのに一歩も引かなかった。
あんな強い目をした女は初めて見た。
そして――初めて手に入れたいと思った。

名前は美恵 、それしかわからなかったのに。




それから3日後だった。
プログラム対象クラスが発表されたのは。

そのクラス資料の中に――


「……天瀬 美恵 」


――あの女がいた。




【B組:残り23人】
【敵:残り4人】




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