幸枝は心配そうに、あの光があった場所を見詰めていた。
今は僅かに炎が燃え盛っているが、雨が降っているせいか消えるのも時間の問題だろう。
滝口は見た目といい性格といい、頼りになるというタイプの男ではなかった。
だが幸枝はそれほど過小評価はしていなかった。
優しく、何より芯は強いひとだと思っている。
楽観的希望を持つのはどうかとも思ったが、もしかして仲間を見つけてくる可能性だってあるかもしれない。
幸枝にとって一番の親友のはるかはもちろん、聡美や美恵だったら、どんなに嬉しいだろう。
きっと、何事も無かったように帰ってきてくれる。
そう――何も無ければ
キツネ狩り―59―
どのくらい時間がたっただろうか?
数十分かもしれない。
ほんの数秒かもしれない。
その間、滝口はまるで睨まれたカエルのように、ただ鏡を見詰めていた。
まるで電池の切れたロボットのように。
しかし、ふいにロボットは人間に戻る。
佐伯が組んでいた腕をとくと、一歩前に出たのだ。
「うわぁー!!」
恐怖で固まっていた滝口の身体が、さらなる恐怖で凍結が解かれた。
瞬間、振り向き、尻を床についた状態で背後に下がった。
途端に、鏡にぶつかる。
鏡には、ガクガクと振るえる滝口の後姿と、佐伯が映し出されていた。
「……く、来るなぁー!!」
勿論、そんな言葉で佐伯は止まらない。
ほんの数歩歩いただけで、佐伯は手を伸ばせば滝口を捉えられる距離まで来た。
滝口は――立ち上がることすら出来ない。
「うわぁぁー!!」
再び、滝口の悲鳴が轟く。
佐伯が滝口の襟首を掴んだと思うと持ち上げたのだ。
右手だけで滝口の小柄な身体が宙に浮いた。
すでに足先は床についていない。 そのまま、佐伯は一気に滝口の身体を投げた。
壁に激しく叩きつけられ、そのまま落下。
全身に強い衝撃を受け、滝口は一瞬、呼吸することさえ忘れた。
勿論それで終わるはずがない。
滝口が顔を上げると、すでに目の前に佐伯の足がある。
再び身体が持ち上げられた。今度は後ろ襟を掴まれたのだ。
「……意外だったよ。まさか、オレの計画を邪魔したのが君だなんて」
その上品で澄んだ声。
しかし比例して冷たさを秘めた声に滝口は全身の血が引くのを感じた。
……殺される!!
愛読している漫画では、心優しい少年はあわやという時に主人公に救い出されハッピーエンド。
だが、現実は違う。 正義の味方なんて決して登場しない。
「どこにいる?」
滝口には何の事かわからなかった。
恐怖と絶望のみで満たされた脳に佐伯の言葉をインプットする余裕などない。
しかし佐伯には、そんなこと知ったことではない。
「どこにいるんだ彼女は、天瀬
美恵は
」
その名を聞いた途端、滝口の心に恐怖と絶望以外の感情が一気に蘇った。
美恵は、彼女だけは守らなければ。
自分は決して優れた人間ではない。 ましてや強い男などでは到底ない。
それでも守らなくてはならないものくらいはわかっている。
自分は男だから、男だから……美恵
を守ってやれなければいけないんだ。
「……し、知らない」
佐伯の瞳が冷たさを増した。
佐伯がベルトに差し込んでいた何かをスッと取り出した。
銃だと滝口が認知した瞬間には、銃口が滝口の口を塞いでいた。
「……う、うぅ……」
口内に広がる鉄の感触、何より絶対的恐怖に滝口は縮み上がった。
「死にたいのかい?」
滝口の頭がフルフルと横に動く。
「だったら――早く彼女の居場所を言うことだね」
滝口の頭が、速度を増してフルフルと動いた。
「……居場所は言わない。死にたくも無い……か」
激しく壁に叩きつけられた。今度は顔面だ。
「……う…ッ…ぁ……」
反射的に目を瞑った。何が起きたかわからない。
ボタボタと何か生温かい液体が手の上に落ちた。
数秒後に痛みが感覚となって全身を走る。
見開いた目に映ったのは血、鼻血だ。
しかし本当の恐怖は、すぐに来た。
ズギュゥゥーンッ!!
……あの音は?
美恵
は、ゆっくりと瞼を開けた。
頭がぼんやりとする。身体も痺れた様に自由にならない。
「……ここ…は…?」
どこ?
佐伯に監禁されていた、あの可愛らしい部屋ではない。
いや、それよりも意識の彼方で聞こえた、あの音
あれは――間違いない銃声だ。
美恵
は、そっと片足をソファから床におろした。
もう片方の足も同じようにおろす。
立ち上がった途端に腰から倒れるようにガクッとバランスを失った。
反射的にカーテンに掴まったおかげで床と抱擁することはなかったが。
頭がズキズキする。何より眠い、目を開けるのが辛い。
でも――あの音、何度も聞いた、あの音が眠気をかろうじて止めていた。
美恵 は、一歩、また一歩と壁にもたれながら歩き出した。
「……ひ…あ、ぁ……」
滝口の顔、そのほんの数センチ真横にポッカリと空いた穴。
そこから焦げた臭いと硝煙が立ち昇っていた。
「これでも彼女の居所を知らないっていうのかい?」
「………し…知らない!!本当に知らないよ……!!」
それは悲しい悲鳴だった。
今さら、そんな嘘が通じるような甘い相手ではない。
教室での一件、そう天童真弓の死に様が、それを物語っている。
「そうか、しらないのか……こんな所で女の服漁っておきながら知らない?
ふーん、君もしかして変態なのかい?それとも――」
「オレをバカにしてるのか?」
滝口の襟を掴んだまま佐伯が歩き出した。
引きずられるように(実際、引きずられていたに違いないが)滝口は強引に歩かされた。
ついた場所は風呂場だ。 残り湯が、湯船の半分ほどの位置まである。
佐伯は蛇口をひねった。
「もう一度聞くよ。彼女を、どこにやった?」
「………」
そのタイルに包まれた空間に、佐伯の綺麗な声は、綺麗に反響した。
「早く答えてくれないか?オレも暇じゃないんだよ」
佐伯は多くは言わなかった。
滝口は答えることすら出来なかった。
沈黙が続く静寂の空間に、蛇口から注がれる水の音だけが、やけに大きく滝口の鼓膜に響いた。
――本当に静かだった。
「早く答えてくれと言ってるんだ」
水の音だけが、やけに大きく聞こえていた
「…ほ、本当に……知らない……知らない」
水の音だけが大きかった
「いつまで嘘を言えば済むのかな?」
水量が増す。湯船一杯になっていく
「う、嘘じゃ……ない…よ」
水位が湯船一杯になった
「最後のチャンスだ。彼女は、どこにいる?」
「し、知らない」
水が溢れ出した
「このオタク野郎が! オレをなめてるのか!?
ひとの女連れ出して知らないで済むと思っているのか!?
このッ……アニメオタクがぁ!!」
【B組:残り23人】
【敵:残り4人】
BACK TOP NEXT