漆黒の闇の中、美恵
を守る為に、ひたすらE地区を目指す者
「………9時32分……ふざけるな」
美恵
を捕らえる為だけに、じっと待っている者
そして、美恵
を救い出す為に戦っている者
それを阻止する為に、戦いを受けてたった者
そして時間だけは平等に過ぎてゆく――。
キツネ狩り―46―
佐伯が微笑した。正直言って手負いの男に傷を負わされたことは、許しがたい屈辱だった。
はらわたが煮えくり返っている。
(もちろん、その代償として屈辱ある死で償ってもらうつもりだ)
それでも、それを表情に表すなんてことはしない。
あくまでも余裕ある表情を崩しはしない。
『どうやらおまえは…今まで、どうでもいい女しか見てこなかったみたいだな!!』
それは当たっていた。自分を生んだ女に始まり、佐伯はろくな女を見ていない。
自分の華やかな外見に対し、まるでバラの花を投げつけるような熱狂振りを見せた学校の女生徒たち。
露骨に関係を迫ってくる上官や、上級士官の娘たち。
挙句の果てに敵でありながら、自分の美貌に一目惚れして縋ってくるバカな女。
どれも、これも、くだらないとしか言い様がない。
もっとも佐伯に言わせれば、女なんて生き物自体が、くだらない存在だった。
確かに、天瀬美恵は今まで見てきた女とは、まるで違った。
正直言って最初に平手打ちを食らった時はムカついたし、血祭りに上げてやろうとも思った。
生かしておいたのは利用価値があったからだ。
それが済めば用無し、殺して終わりだった。
しかし一緒にいるうちに佐伯は気づいてしまった。
天瀬美恵は、 女なんてバカで脆弱で下らないものだという、佐伯の価値観に全く当てはならない人間だということに。
連れて帰ろうと思ったのは、そう――単に物珍しさに興味が湧いただけだ。
まして、この男――三村信史――のように、命を捨てても惜しくないなどと思えるはずがない。
なぜなら、天瀬
美恵も女である以上、所詮はくだらない生き物であることに変わりはない。
そう、変わりはないはずだ――。
幼少時、学校生活、そして軍の中でさえ、佐伯の価値観を変えるような女はいなかった。
むしろ再確認させたただけだ。
それは、ほんの二ヶ月前の出来事だった。
佐伯はパソコンのデスクトップと向かい合ってキーを打ち込んでいた。
任務の報告書を作成していたのだ。
ふいに気配を感じたかと思うと背後から抱き締められていた。
――またか
鼻につく香水の臭いに佐伯は眉を寄せた。
「何か御用でしょうか?中尉殿」
もっともそんな事は、おくびにも出さずにやんわりと切り出したが。
「中尉殿だなんて……2人きりの時は名前で呼んで。
今夜どう?お願いだから、今度こそ、いい返事をして頂戴。」
佐伯が微笑んだ。相手の女は、それを好意と受け取ったのか微笑み返す。
しかし、次の瞬間、それは無様な形で裏切られた。
バシャッ!!
佐伯は不敵な笑みを浮かべていた。
ほんの数秒前まで、ジュースで満たされていたはずのコップを持ったまま。
女はというと最初は何が起ったのかわけがわからないというように目をまるくしていた。
しかし状況を把握するに連れて、その顔は般若のように変化して言った。
もしも鏡があれば、バッチリ決めた髪とメイクをジュースで台無しにされた憐れな女の姿が拝めたことだろう。
もっとも女には、自分の無様な姿を想像するほどの精神的余裕はなかったに違いない。
あるのは業火の様な怒りだけだ。
それに油を注ぐように、佐伯は冷たい声で言い放った。
「消えろブス」
ワナワナと震えが止まらないまま、女は崩壊したダムのように怒鳴った。
「な、なんてコなの!あんなに目を掛けてあげたのに覚えてらっしゃい!!」
可愛さ余って憎さ百倍とは、まさにこの事だろう。
凄まじい形相そのままに、女は足早に立去っていった。
「覚えてらっしゃい……か。二度と言えない様にしてやる」
そして、その後の佐伯の行動も決っていた。
くだらない女だが、上官である以上ほかっておくのは賢明ではない。
悪い芽は、早々に摘み取るのが鉄則だ。
佐伯は、いつものように海軍の司令官室に足を運んだ。
「それじゃあ、お願いしますよ。二度と中央に戻れないような部署に飛ばしてください」
「……ああ、わかった」
九条時貞――佐伯の実父――は溜息をつきながら承諾した。
「それにしても何度目だ?もう少し、どうにかならないのか?」
そう思うのも無理は無かった。
なぜなら佐伯が女の上官の左遷を依頼するのは、これが4度目なのだ。
「仕方ないでしょう。向こうが勝手に寄ってくるんですから。
毒虫は追い払わないと後々面倒ですからね」
「しかし君……こう何度もあるのは。こう言ってはなんだが、君の方に問題があるんじゃないのか?」
その言葉に佐伯の目の色が僅かに変わったが、愚かにも『父』は、それに気付かずに話を続けた。
「もしかして色目でも使ってるんじゃないのか?
何といっても君の母親は、そういう下卑たことが得意だったからな。
息子の君が、そういう事をしていても不思議じゃない。
第一、こんな事をしなくても君の心一つで、いくらでも丸く収まるだろう?
相手の女は何も君を一生縛ると言っているわけでは無いし、2.3回寝てやれば済むことだろう。
何しろ、君は、あの女の息子だし……」
「お父さん」
冷たく威圧感に満ちた声。先ほどまで発していた穏やかなものとはまるで違う。
その響きに、佐伯の父は思わず息を飲んだ。
「お父さんには感謝していますよ。
オレがここまで来れたのも、お父さんのお力添えがあったからだと。
これからも、お父さんとは持ちつ持たれつ、いい関係を続けていきたい。
そう願っているんです。だから――」
そこで、佐伯の声が、さらに零度を増した。
「言葉には気をつけろよ。あんまりふざけたことを言われると、どうでもよくなる事だってあるんだ」
冷たい瞳、まるで氷の剣のような視線――。
佐伯の父は将官だ。それなりに輝かしい軍歴は持っている。
それでも、全身の血が逆流するほどの戦慄だった。
「……すまない。つい口が滑ってしまった」
佐伯は、相変わらず冷たい瞳だが、全身から漂う殺気だけは消えていた。
父の謝罪を大人しく受け入れたのだ。何しろ、この父には、まだまだ利用価値がある。
今、感情的になって縁を切るほどバカじゃない。
「……いえ、こちらこそ生意気なことを言ってすみませんでした。
では、あの女の処分だけは迅速にお願いしますよ」
そう言って、ドアのほうに歩いていく。
やっと帰ってくれるのか、佐伯の父は安堵の溜息をついた。
「ああ、もう一つだけ言っておきますが」
「もう二度と、オレの前では、あの女のことは口にしないでください。
オレは、あいつと違って自分を安売りするつもりはありませんから」
それだけ言うと、さっさとドアを開け、バンッ!と、やや乱暴にドアを閉め行ってしまった。
「……全く、何て可愛げの無い奴だ!!本当に、あれが私の息子なのか!?
誇り高い九条家の血筋も、汚らわしい娼婦の血が混じってはお終いだな!!」
それから、呼吸を整え心を落ち着かすと受話器を手にとった。
左手にはデスクに飾っておいた写真立てだ。
その写真立ての中には、先日、士官学校を卒業したばかりの跡取息子の写真が収められている。
「もしもし、ああ私だ。卒業おめでとう公彦。主席で卒業だそうじゃないか。
さすがは私の息子だ。これからも期待しているぞ。
何と言っても、おまえは私のたった一人の大事な息子だからな。そうだ卒業祝いは何が欲しい?」
佐伯の父は家庭では御立派な父親を演じ切っている。
もちろん彼の嫡出の子供たちは、佐伯の存在は全く知らない。
ちなみに、この男には籍に入れてない子供が佐伯の他に2人いる。
受話器を置くと、佐伯の父は溜息をついた。
「……どうして世の中こうも上手くいかないんだ」
可愛げのない奴だ。おまけに生意気で傲慢で身勝手で、父親に対する敬意の払い方すら知らない。
だが――。
「あいつが嫡出子だったら、間違いなく後継にしたんだが……」
自慢の跡取息子より優秀なのだ。本妻腹なら、どれだけ頼もしい存在だったか測り知れない。
そう思うと、あまりにも勿体無い。勿体無さ過ぎる。
だが、よりにもよって娼婦の息子では認知どころか、はっきり言って存在自体が問題だ。
平凡な人間ならともかく、あれだけ才能も野心もあれば、間違いなく近い将来、軍の中で頭角を現すだろう。
当然、公然の秘密となっている出自が表沙汰になる可能性も出てくる。
九条家の体面を考えるとゾッとする。
「……こんな事になるのなら、あの時どんな手を使ってでも堕ろさせておくんだった」
(……全く理解できないな。女の為に戦うなんて思考は)
どれだけ痛めつけても、なおも立ち上がる三村に、佐伯は半ばあきれていた。
気力の上では三村はまだ勝負を捨ててない。しかし現実は厳しい。
ここにきて三村の体力はガクッと落ちている。それだけではない。
佐伯から何度も受けたダメージ。
それが時間がたつにつれて直撃された箇所から、身体全身に向けてジワジワと痛みが拡がっていたのだ。
外見こそ華奢だが佐伯は攻撃を仕掛ける時は、確実に急所を狙っていた。それも体重を乗せて。
怪力を持つ大男が繰り出す大雑把なパンチなどより、はるかに相手の身体を蝕むのだ。
――そろそろ限界だな
左腕に受けた傷、いや屈辱を思えば、まだ足りないが、いつまでも三村にかまっている暇もない。
――お姫様のことも気になるし、そろそろ戻るか
佐伯が近づいて来た。もちろん、止めを刺すためだ。
三村は――両膝と右手を地面についたまま微動だにしない。
しかし佐伯は気付いていなかった。
俯いている三村の目が、まだ光りを失っていないことに。
【B組:残り23人】
【敵:残り4人】
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