『またかよ。それにしても、モテるよな。これで何人目だ?』
『もったいないよな。あの中尉、いい女だったのに』
『オレなら、喜んで相手してやるのにな』
『それにしても、どうして、あんな生意気なガキがいいんだよ』
『おい、言葉に気をつけろ』
『そのガキの後ろには名門軍閥がひかえてるんだ』
キツネ狩り―45―
「……クソ…!」
三村は焦っていた。戦闘開始から、たった数分。
だが三村に精神的疲労をもたらすのに十分だった。
数時間前、高尾から受けた左腕の傷など問題ではない。
利き腕を使っていないという点では佐伯も同じなのだ。
それなのに自分が繰り出した攻撃は、ことごとく紙一重でよけられ反対に強いダメージを与えられている。
それ以上に、精神的に限界なのだろうか?
肉体の痛みなど、どうでもいい。つまらない問題だ。
――天瀬……!!
佐伯が美恵の名前を出した瞬間から、美恵の顔
しか脳裏に浮かばない。
そして佐伯が放った一言しか。
『彼女とは一夜を共にした仲だから』
「……まったく、もう少し楽しめると思ったのに」
やれやれ、と言った感じで佐伯は溜息をついた。
思ったより、つまらない相手だったな。
それなら、こんな茶番に付き合っている暇はない。
佐伯は、チラッと背後に目をやった。その視線の方角に、
美恵を監禁した家がある。
三村に対して嫌味なぐらいの余裕を見せ付けた佐伯だが、何か胸騒ぎがして落ち着かなかった。
――さっさと片付けて帰るか
佐伯は人一倍あきやすい性格だった。そんな彼にとって三村はクリアしたTVゲームのようなものだ。
そして、佐伯は一度クリアしたものには二度と興味を持つことがない男なのだ。
佐伯が近づいて来た。先ほどのゲームを楽しもうというものとは全く違う、完全に冷たい目だった。
三村は、己の死をリアルなまでに実感した。
――クソッ、オレは結局、こいつに負けたのか
――天瀬……おまえを守ってやれなかったな
『いいか信史。クールにだ。どんな時にも冷静さを忘れるな』
ふいに叔父が生前、よく言っていた言葉が聞こえた。
「よーし、いいぞ信史。だが最後の詰めを誤ったな。見ろ、ラストに三箇所もミスがある」
三村は叔父から(大きな声では言えないが)ハッキングを教えてもらっていた。
「残念、上手くいきそうだったのにな」
「時間を気にしただろ?いいか信史、おまえは、そんなつもりじゃないかもしれない。
だが今ハッキング以外のことを気に掛けたら、それは負けを認めたと同じなんだ」
「負けたと同じ?」
「そうだ。例えばバスケの試合を思い出してみろ。
バスケは時間終了までは、どんな結末が待っているかわからないスポーツだ。
いや、バスケに限らずスポーツは全部そうかもしれないがな。
残りの試合時間が30秒、そして相手チームがリードしている。
本来なら選手はボールの事だけを考えるべきだろう?
だが人間って奴は、そう単純には出来ていない。 試合より時間が気になってしまうんだ。
そして、それは焦りを生み出し、本来の力を発揮できないまま試合終了だ。
まさに本末転倒ってやつだな。
だから信史。最後まで自分を見失わない為にも決して冷静さを失うな。
結果なんて最後についてくるものだ。勝負が終わるまでは結果なんて考えるな。
自分が今していることだけに集中するんだ」
「おまえには、それが出来る。いいな信史」
――叔父さん!!
三村が再度立ち上がった。佐伯は僅かに眉を寄せた。
それは、三村の目の色が変わったからだ。
先ほどまでは完全に勝負をあきらめたような敗北者の目をしていたくせに今は強い光を放っている。
最初に対峙した、あの時のように。
そうだ。今は余計な事を考えてる時じゃない。
今は、この男を倒すことだけを考えるべきなんだ。
それが出来なければ天瀬も救えない!!
三村が一気に攻撃を仕掛けてきた。
佐伯の顔面、胸部、腹部に向かって連続して蹴りを繰り出す。
もちろん、それを大人しく受けるような奴ではない。全て、左腕だけで、完全にブロックだ。
しかし、その威力に押され、思わずバックステップを踏んでいた。
(……こいつ!)
佐伯の顔色が僅かに変わった。
全ての攻撃を防がれたにもかかわらず、三村の攻撃は止まらない。
バックステップした佐伯に、さらにキックと、右ストレートだ。
綺麗に除ける佐伯だったが、場所が悪かった。背後は木々だ。しかし三村の攻撃は衰えない。
三村が渾身の力を込め右ストレートを放った。佐伯の背後は木に囲まれている。逃げ場はない。
「もう逃げ場はないぞ!!」
その時だった。佐伯の口の端が僅かに上がっていた。
次の瞬間、三村の右ストレートが空を切っていた。
「……な…!」
いない!佐伯が、その場にいなかった!!
三村は、咄嗟に目線を上に向けた。 佐伯は飛んでいた。
そして自分の真上にあった枝を掴むと、まるでオリンピックの体操選手さながら大車輪。
一気に自分の身体を持ち上げ、三村の攻撃をよけていたのだ。
呆気にとられる三村を余所に、佐伯は1回転すると左腕を放した。
遠心力を利して空中で、さらに1回転すると綺麗に着地を決めていた。
しかも、その間、使わないと宣言した右手は終始ズボンのポケットに入ったままだ。
「……!!」
三村は言葉が出なかった。
佐伯徹が長年かけて築き上げてきた戦闘能力に劣るのは仕方のないことだろう。
しかし、持って生まれて身体能力なら、決して引けを取らないという根拠のない確信すら頂いていたのだ。
そんな三村にとって、それはあまりにも強い衝撃だった。
……こいつ!
今まで生きてきた中で、自分より優れた身体能力を持った人間を三村は一人しか知らない。
自分よりスポーツの出来る人間を知らなかった三村。
だが二年生になって2人例外が現れた。
その一人、七原秋也とは贔屓目に見なくても同等だろうと思っている。
しかし、もう一人は……バスケ以外のもので勝てるかどうかわからない。
そう、桐山和雄だ。
欠席が多く体育の授業もサボってばかりいたが、その脅威の身体能力には戦慄さえ覚えた。
佐伯は三村に、桐山以外で劣等感持たせた初めての人間となったのだ。
プライドを刺激され、三村はさらに激しい視線で佐伯を見据えた。
正確には佐伯の背中を。
「正直言って驚いたよ。死んだ魚が生き返るとは思わなかった」
相変わらず無礼な言葉を振り向きもせずに言い放つ佐伯。
「天瀬を守りきるまでは死ねるか! ふざけるのは勝負がついてからにしろ!!」
間髪いれずに三村は佐伯の後頭部目掛けて、再度拳を繰り出した。
佐伯がチラッと、顔だけ振り向いた。
と!!次の瞬間、身体全体を反転させていた。
その勢いで反動をつけた左フックだと三村が気づいたときには、頭に強い衝撃が走っていた。
口内に血の味が広がる。
「……クッ!」
口の端から一筋の血。それを手の甲で拭う。
「なぜだ?」
疑問文を投げかけながら、今度は、佐伯が蹴りを繰り出してきた。
咄嗟のバックステップで直撃は避けるも、かすっただけで腹部にきしむ様な痛みが走った。
それでも、佐伯は攻撃の手を緩めない。
三村がバックステップを踏むと同時に前に出る。決して距離は取らせない。
「君は異性関係は派手だが、女に執着するタイプじゃない、むしろ反対だろう!?
だからこそ、不特定多数の女を渡り歩いている。
それなのに、なぜ今さら、天瀬
美恵の、たった一人の女の為に必死になっている?!
君にとって、女なんて、どうでもいい存在だろう!?」
「……グッ!」
三村が苦しそうに顔を歪ませた。
佐伯が繰り出した蹴りが完全に腹部に食い込んだのだ。
三村の身体がガクッと沈んだ。地面に膝がつく。
「女の為に必死になるなんてくだらないことだ。まして君みたいなプレイボーイには愚の骨頂だね」
「……!」
喉まで出掛かった悲鳴を押さえ込んだ。それでも腹部に走る痛みは治まらない。
まるで電流を食らったみたいだ。
「もう、言葉もでないのか?」
このまま倒れたほうが楽かもしれない
そうだ地面に身体を投げ出せば全ては終る
そして、ここまで戦った自分を臆病者と非難する者などいないだろう
そう、たった1人を除いて
それは三村自身だった
このまま倒れたら、死んでも未来永劫自分を恥じ呪うだろう
たとえ、どんな相手だろうと負けられない戦いがある
そう、それが今なのだ
この男を倒し、そして天瀬
美恵を救い出す
それまでは負けられない!
たとえ、相手が、どんな敵だろうとも!!
「……おまえもオレと同じ……女に愛着持たないタイプらしいな」
痛みをこらえ、立ち上がりながら言った。
「……もっとも、おまえはオレと違って女癖悪くはないみたいだけどな」
まだ痛みが治まらない。
「おまえの言いたい事……以前のオレだったら誰よりも賛同してたぜ……でも今は違う!!」
佐伯は珍しく黙って聞いていた。虫けらでも見るような冷たい瞳だったが。
「理由は簡単だ……天瀬は、オレが惚れた女は……!!
……今までの女とは違う!どうでもいい女じゃなかったんだよ!!」
佐伯の瞳の冷たい光がいっそう増した。
「……でも、どうやらおまえは…今まで、どうでもいい女しか見てこなかったみたいだな。
オレは……オレは、天瀬のおかげで目が覚めた……おまえと違ってな!!」
――瞬間、三村は言葉を失った
「……!!」
今までとは比較にならない威力だった。
「……言いたいことは、それだけか?」
佐伯の左拳が、まるで杭を打ち込んだように三村の腹にのめり込んでいた。
「……まったく負け犬の遠吠えほど五月蝿いというのは本当だな」
三村の身体が再び沈んだ。
これで終わりだ。お遊びも――
……キラリ。何かが光った。
「……!!」
佐伯が反射的に身を引いた。
が、三村の左腕、いや左手だ(正確には、握られているもの)
月明かりに反射しながら、佐伯に襲い掛かってくる。
身を引くより、三村の手の動きの方が早い。
腹をやられる!!
「……言ったはずだぜ。ふざけるのは勝負が終わってからにしろ……って、な」
ズボンの後ろに隠していたシーナイフ。
その刃先から、鮮血がポタポタと地面に向かって落ちていた。
「……貴様」
佐伯の腹部は無事だった。しかし、その左手の掌には、横一直線に紅い筋ができている。
除け切れないと一瞬のうちに判断した佐伯は、ダメージを最小限に抑える為に左手でシーナイフを防いだのだ。
「……覚悟は出来ているだろうな?」
「ふざけたこと聞くなよ……最初から、とっくに出来ている」
【B組:残り23人】
【敵:残り4人】
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