――夢を見ていた
クラスメイト全員で楽しい修学旅行
中学生活最大のイベント

でも現実は悲しいくらい残酷だった




キツネ狩り―44―




「鍵がかかってなきゃいいけど」
滝口は、玄関のドアのノブを回した。
何の抵抗も無くカチャっと音をたてドアが開いた。
そっと中を覗く。と、いっても今は夜。
灯りはおろか懐中電灯さえもつけるわけにはいかない状況では、月明かりに照らされた玄関口くらいしか見えない。
家の中は静寂そのものだ。猫の子一匹いない。
それでも滝口は高鳴る心臓を抑え、そっと家の中に入った。
静かにドアを閉める。


まず廊下を壁つたいに歩いた。すぐに階段を発見した。
抜き足差し足忍び足、それでも微かにギイギイと階段が鳴る。
その度に、口から心臓が飛び出しそうな感覚に襲われながらも、滝口は二階に上がった。
順に部屋を調べる。 まず一番近くの部屋のドアを開けた。
おそらく夫婦の寝室だろう。ダブルベッドが月明かりに照らされている。
次は子供部屋。小学生くらいの男の子だろうか?
数体のプラモデルと一緒に、子供向けの漫画が数冊床に散らばっている。
最後の部屋、可愛いカーテンとクッション。どうやら年頃の女の子の部屋らしい。
そして、もちろん人の気配はゼロだ。


この家は違うのかな?


部屋のドアを閉めようとした滝口の目に、キラリと黒光りするものが入った。
鏡だ。咄嗟に駆け寄り手にとった。割と大きい。もしかして!
部屋から海の方を見た。そうだ、確かに、この部屋なら、あの光の方角と一致する。
そっと鏡を机に置き戻し、一歩後ずさりした時だ。何か踏んづけた。
それは、ただの縫いぐるみだったのだが、滝口はその可愛らしい縫いぐるみのせいで背後に倒れた。
ベッドが無ければ、頭を床にぶつけていたことだろう。


「……ベットか……こんなゲームがなければ、きっとホテルのベッドで寝てただろうな。
あったかい布団の中で……あれっ?」


ベッド……温かい。


「……誰かが、この上に座ってたんだ」














「もちろん、愛しているよ。心の底から」
「ふざけるな!!」

普段の三村なら、いや天瀬美恵が関係してなかったら取り乱さなかっただろう。
何てキザでふざけた野郎だと、自分のことは棚に上げて、そう思っただろう。
しかし、今の三村に、そんな精神的余裕はない。

――何も無い
――何も考えられなかった














「……つまらない」

着崩れた学ラン、微かな月明かりを受けて神秘的に輝く金色のフラッパーパーマ。
どこか、ふてくされたような表情。
にも、かかわらず立っているだけで、なんとなく様になる。
スラリとした長身のモデル体型のおかげだろう。
それとも人間離れした独特のオーラのせいなのかは定かではない。


彼――鳴海雅信――は佐伯徹の予想通り、E地区とB地区の境界線近くまで来ていた。
B地区に飛ばされた生徒達を、その圧倒的な殺人術であっと言う間に血祭りにあげた。
それは彼に窮屈極まりない暇な時間を与える結果となった。
もう何時間も人影すら見ない。
当然だ。B地区に飛ばされた生徒で生き残っている生徒は二人。
内海幸枝と琴弾加代子だが、幸枝はゲーム開始から早々とE地区に移動した。
琴弾はE地区に歩を進めていた鳴海とは全く反対の進路を進み、3時間ほど前にA地区に入っている。
つまり今のB地区には狩るべき獲物が一人もいないのだ。


大木を背に左足を放り出し右足の膝を立て、それに腕をかけた姿勢で地面に腰を降ろした。

苛々する。24時間ルールなんてものを作った奴を殺してやりたい。

しかし鳴海が苛立っている一番の理由は獲物がいないことではなかった。
学ランの内ポケットから写真を取り出した。天瀬美恵の写真だ。
こんな事は初めてだった。
自分以外の、いや殺し以外のことに興味を持つなんて。




鳴海は誰からも愛された記憶が無い。それ以上に愛した記憶も無い。
そんなものは誰も教えてくれなかったし、知ろうとも思わなかった。
教えてもらったのは殺しの術だけ。罪悪感が芽生えることも無かった。
この世に価値のある命なんて存在しないというのが彼の価値観だったのだ。


彼は雪が降る季節、まだへその緒も取れていない赤ん坊の時に捨てられていた。
薄汚いタオルでくるまれただけの状態でだ。
そのかそぼい泣き声に駅員が気付かなければ、間違いなくコインロッカーの中で凍死していただろう。
だから家族なんて最初からいなかったし、そのことで顔も知らない親を怨んでもいない。
本当にどうでも、よかったのだ。
ただ親にとって自分は価値の無い命だったように、自分にとって、この世に価値のある命なんて存在しない。
そう思っていただけだ。
それなのに写真の中の女だけは、どうでもいい存在とは思えなかった。


女を知らないわけじゃない。
暗殺術を教え込んだ上官の命令で、初めて女を抱いたのは2年も前だ。
理由は簡単、女がらみの仕事をするときに役に立つから覚えておけ――だそうだ。
相手はベッドの上で何人もターゲットを片付けてきたその道のプロで、十も年上の女だった。
顔は覚えていない。どうでも、よかった。
二人目は、暗殺の仕事で組んだ相手だった。
やたらと迫ってきて正直どうでもよかったのだが、自分は上官にあてがわれた女しか知らない。
もしかしたら他の女は違うのかも知れないと、ふと興味が湧いた。
たったそれだけの理由で一度だけ相手をしてやった。
そして、思った。
女なんて、どれも同じだな――と。


――オレは何を期待していたんだ……?


自分たちのような男にとって女を抱くなんてことは、仕事を有利に進める手段でしかないのだろう。
それ以外は、単なる生理現象に過ぎない。
しかし自分はどうやらそれさえも興味が持てなかったようだ。
仕事をしている時だけしか何かを感じない。
だから、それからはどんな女に言い寄られても全く相手にしなかった。
全員無視してやった。
女なんて、うっとおしいだけだ。
そう思っていたのだが、この女は連れて帰ろうと思っている。

理由はわからない。
わからないが、自分のものにしなければ気が済まない。




鳴海は携帯を取り出した。苛立ちの原因はそれだ。
何度もかけているのに、さっきから佐伯に全く通じない。
電源を切っているのだ。面白くない。
佐伯徹は天瀬美恵には手を出さないと約束した。
約束したが、はっきり言って鳴海は、その言葉を全く信用していなかった。
危害を加えられていないか気になって仕方ない。


殺害はもちろんだが、もう一つ気になることがある。
鳴海と同じ暗殺専門の工作員の中には、ターゲットの女を殺す前に暴行するような腐った奴も少なくない。
そんな軍の中で最も腐敗した場所で鳴海は育った。
もちろん士官候補生で、お上品を気取っている佐伯徹は、そんな連中とは違うだろう。
第一、佐伯の女嫌いは少年兵士の間では有名な話だ。
(なぜなら佐伯に関係を迫った女の上官が何人も左遷しているからだ)
だが常日頃、ろくでもない連中の蛮行を当たり前のように見てきた鳴海の辞書に例外なんて無い。


……指一本でも触れていたら、八つ裂きにしてやる


もう1度、写真を見た。不思議と心が落ち着く。

「……嫌な予感がする」

鳴海はボソッと呟いた。














「……あの…滝口だけど……誰かいますか?」
滝口は、囁くように呼びかけた。
まだ、この家の中にいるなんて保証は無い。
でも、もしかしたら、どこかに隠れているかも知れない。そんな甘い考えを持っていたのだ。
人の気配なんてまるでない。もしいるとしたら自縛霊だけかもしれない。
それでも、転校生よりはマシだろう。


「……やっぱり誰もいないのかな?」
でも、ここまで来たんだ。せめて、手掛かりだけでも掴みたい。
数十秒、躊躇した後、滝口は懐中電灯をつけた。
幸いこの家の一階の部屋は全てカーテンが閉められ、手にした懐中電灯の小さな光りを幾分かは遮ってくれる。
まずはリビングルームだ。
広々とした空間、壁には高そうな絵画が飾られていた。
「綺麗な絵だな」
こんな時にもかかわらず滝口は傍に近寄ってでマジマジと見詰めた。
ブルーの色使いがいい。 もっと、よく見ようと額縁を持った、その時だ。
しっかり設置されてなかったのか、絵画が勢いをつけて落下した。


ガシャーンッ!!


「……!!」
思わず、懐中電灯を落とし後ずさり。
今度はサイドラックにぶつかり、その勢いでサイドラックの天板に置かれていた花瓶が落下。
またしても耳障りな破壊音が滝口の鼓膜に響いた。
それ以上に心臓は高鳴っている。




「……………」
何分たっただろう?辺りは再び静寂の闇。
今だに速い心臓の鼓動を感じながら滝口はゆっくりと立ち上がった。
あれだけの物音にもかかわらず転校生が現れる気配は全く無い。
どうやら本日の運勢は大吉のようだ。
しかし大変なことにも気付いた。懐中電灯が見当たらないのだ。
落とした勢いで電源スイッチがオフになったのだろう。
そして、そのまま転がってどこかにいってしまったのだ。
ソファの下か?それとも食器棚と壁の隙間か?


「ど……どうしよう……」
滝口は、手探りでリビングルームにある家具の引き出しを開け始めた。
もしかしたら懐中電灯があるかもしれない。
しかし、あったのはロウソクとマッチだ。滝口は、取り合えず、それを使わせてもらうことにした。
懐中電灯は絶対に見つけなくてはならない。
悪いと思いながらもテーブルの上に、直にロウソクをたて火をともした。
部屋の様子がわかる。悲惨な有様だ。
まずは絵画。額縁の隅が壊れている。そして花瓶。もちろんコナゴナだ。
おまけに花瓶の水で、高級そうな絨毯はびしょ濡れだ。
「……どうしよう、ひとの家なのに」
滝口は申し訳無さそうに絨毯をめくった。やっぱり裏側まで濡れている。

……あれ?














天瀬、天瀬に指一本触れてみろ!!生まれてきたことを後悔させてやる!!」
「三村信史、第一級労働者の父、専業主婦の母、小学六年生の妹の4人家族」

なんだ?三村は怪訝そうな顔で、佐伯を睨みつけた。

「得意科目は英語と数学。成績は優良では無いが、頭脳、身体能力は間違いなく城岩中学トップクラス。
桐山和雄、川田章吾を除けば、3年B組一の要注意人物。政府の資料にはそう書かれていたよ」
「……何が言いたい?」
「そして、こうも書かれていた。異性関係に問題あり。
過去、3人の女性と肉体関係を持ち、現在も複数の女性と交際中。
……あきれたね。言いたくないけど、君、少し問題あるんじゃないのか?」
「……ふざけるなよ。関係ないことベラベラ喋りやがって」


「そんな君が、彼女を命がけで守りたいなんて、随分と馬鹿げているじゃないか。
彼女は君の大勢の恋人の一人じゃない。ただのクラスメイトだろ?
それとも、まさか君、ドン・ファンのくせに、彼女が初恋なのかい?」

「……初恋で悪いか」


佐伯は少しだけ眉を持ち上げた。

「……驚いた。プレイボーイのくせに結構、可愛い所があるじゃないか。
本気の相手には意外と純情なんだ。そうだ、一つ教えておいてやるよ」

佐伯はニッコリと笑った。恐ろしいくらい綺麗な笑顔だ。


「初恋は実らないんだよ」














「……これ、地下室の入り口だ」

絨毯の下から現れた小さな扉……。
何かが変わろうとしていた。




【B組:残り23人】
【敵:残り4人】




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