『そうだな、気が強くて口が悪くて、お節介な奴だったよ』
『……なんか五月蝿い女だったみたいだな』
『その通りだ。だけど、オレにとっては最高の女だった』
『叔父さん…にとっては……?』
『あいつじゃなきゃダメなんだ。そんな簡単なことがわからなかった。
あいつの死と引き換えに気付いたんだ。オレもバカな男だよ』
『……オレには、きっと一生わからないだろうな。叔父さんの気持ち』
『オレはわかってほしいと思うぞ信史。そして願ってるんだ』
『いつか、おまえに命がけで守りたいと思う女が現れるのを』
キツネ狩り―41―
地下室の階段を降りると、佐伯は美恵をソファに降ろした。
その頬に、そっと触れる。
「……んっ…」
もちろん目覚めることはない。クロロホルムの威力は絶大だ。
五月とはいえ夜は寒い。風邪でもひかれては困るな。
佐伯は学ランを脱ぐと美恵に掛け、また頬に手を添えた。
――この女は大事な駒だ
「それじゃあ出掛けて来るよ。なるべく早く帰ってくるから」
数時間は目覚めないだろうが、佐伯は念には念を入れて地下室の入り口に鍵を掛けた。
――時間が無い。後、7時間で24時間ルールが終わる
時間は21時を少しまわっていた。
限定区域が解除されれば、当然他の3人は担当地区から出るだろう。
特に鳴海雅信は間違いなく、このE地区に来る。
いや、すでにE地区とB地区の境界線辺りで待ち構えていることだって十分考えられる。
それまでに桐山を片付けなければ全ては水疱に帰すのだ。
鳴海雅信の自分に対する数々の非礼を赦すわけにはいかない。
だが幸いにも、鳴海がご執心の天瀬美恵は自分の手の中だ。
もちろん、あの殺戮マニアに、今さら、くれてやるなんて気なんてさらさらない。
――安心しろ雅信。天瀬美恵はオレが可愛がってやるよ。おまえの分まで
取り敢えず、足を踏み外して崖から転落死したということにでもしておくか。
背格好の似た女生徒の死体を落として天瀬美恵という事にしておけばいい。
(もちろん顔は判別できないようにしておく必要があるが)
桐山和雄へのエサだけでなく、鳴海雅信へ最も手痛い形で仕返しできるのだ。
天瀬美恵は佐伯徹にとって、功名心と復讐心を同時に満たしてくれる最高の駒に過ぎない。
そう、それだけだ。後は、生まれて初めて自分を激しく非難し抵抗した女に対する好奇心と征服欲。
そう――それだけの存在に過ぎない。それだけだ。
家を出ると佐伯は、もう一度集落に向かうことにして歩き出した。
しかし、ほんの数十メートル歩くとチラッと振り返った。
美恵を監禁した家、じっと見詰めた。なんとなく胸騒ぎがした。
何を焦っているんだ。あの女は、後、数時間は目覚めない。
まして地下室には外から鍵がかかっているんだ。逃げ出せるはずがない。
安心して狩りをすればいい。――いいはずだ。
なぜか落ち着かない。こんなことは初めてだ。理由もわからない。
佐伯は苦笑した。
「……オレらしくもない」
「転校生かしら?」
「ああ、もう!!七原くんを信用したアタシがバカだったわ」
「……悪かったよ。でも、どうする?もし…もしも転校生だったら?」
「アタシに提案があるわ」
光子と七原は同時に月岡を見詰めた。
「ズバリ囮よ。こうなったら犠牲は最小限におさえるしかないわ。
誰かが囮になって、その間に他の二人が逃げるのよ」
「そうね、この際、それが一番よ。問題は、その囮ね」
七原の心の奥、まるで氷原に吹く突風のように、嫌な予感が一気に身体全体に走った。
「そうよ。囮役を決めないと。『足が速くない』と、この役はつとまらないわ。
アタシ達から、うんと引き離してもらわないと困るもの」
「そうよね。それに足が早ければ逃げきる可能性もあるし。
少なくても女のあたしには無理だわ」
……しょうがないよな。オレのミスなんだから
「……オレが囮になるよ」
リリリーン
「はいはい、こちらプログラム執行部、坂持でーす」
『久しぶりだね。坂持くん』
その声を聞いたとたん、坂持は直立不動の姿勢をとった。
「お、お久しぶりです中将閣下!!」
先ほどのふざけた態度はどこへやらだ。しかし、それも無理はない。
何しろ相手は自分など滅多に口もきけない階級の人間なのだから。
「自分に何の御用でしょうか?」
『いや、今年のプログラムはレベルが高いと聞いて少し興味があるだけだ。
聞くところによると、菊地春臣の息子が倒されたそうじゃないか』
「はい、思いのほか手強い奴がいまして。
しかし、佐伯君はご無事ですので、ご安心を……」
『何を言っているんだ貴様は!!』
突然の怒声。間髪いれずに、再度、坂持の耳に怒鳴り声がこだまする。
『なぜ、この私が、たかが将官候補生一人の安否を聞かされるんだ!?
私は少し話を聞こうと思ったまでだ!!
それなのに貴様は、私が、その将官候補生の為に、わざわざ連絡をしてきたと思っているのか!
まさか、貴様は、私と、その将官候補生が特別な関係にあるとでも言いたいのか!!』
しまったー!
坂持は心の中で叫んだ。
佐伯徹が九条家の御落胤というのは禁句中の禁句。最大級のタブーだ。
それをつい口にしてしまうとは。
『もういい!だが、来年の昇進人事に貴様の名前は無いと思え!!』
ガッチャン!!……ツーツーツー……
「……菊地局長だけならともかく、九条閣下の逆鱗に触れるなんて。
……これで完全に出世コースから外れてしまった……」
「災難だったな。坂持先生」
その余裕綽々の声に、坂持は恐ろしいくらいの形相で振り向いた。
「……周藤…よくも、おめおめと先生の前に顔を出せたな」
「口を滑らせたのは、あんただろ?オレにあたるなよ」
「うるさい!うるさい!!うるさーい!!」
坂持の怒りが爆発した。
「元はといえば、おまえたちがてこずってるのが全ての原因だろうが!!
おまえたちが不甲斐無いばっかりに、先生がどれだけ辛い目にあったかわかってるのか!?
おまえら、それでも男かぁ!?悔しくないのか!?
……先生は、先生は……おまえたちを、こんな甲斐性無しに育てた覚えはないぞ」
「いつ育てたんだ?全く覚えはないな」
「と、とにかくだ!さっさと奴等を片付けろ!!」
「そう、あせるなよ。ヤル気が失せる」
「第一、何で、おまえがここにいるんだ?まだプログラムは終わってないぞ」
「もう眠い」
「はぁ?」
「そろそろ寝ようと思ったんだ。でも、野宿なんて、する気にならないから戻ったんだよ」
「……す、周藤……。おまえ…おまえって奴は……」
「どうせ、オレ達には働かせておいて、自分はソファでごろ寝してたんだろ?
とにかく疲れたから寝る。ああ、言っておくが、勝手に起きるから絶対に起すなよ。
オレは睡眠を邪魔されるのが大嫌いなんだ」
「どの口から、そんな事言えるんだ!!おまえは腐ったミカンかぁー!!」
怒り狂う坂持を完全無視して周藤はソファに横になった。
そして考えた。E地区担当の佐伯徹の事を。
E地区に向かっているであろう桐山和雄の事を。
桐山和雄は恐ろしく頭が切れる奴だ。
自分達のように軍で戦闘訓練を受けたわけでもないのに菊地直人を倒した。
さらに、つい先ほども自分が仕掛けた赤外線装置の存在に気付いた。
他の生徒では、そうはいかない。
現に、ここに戻る前に赤外線に掛かった生徒が一人いた。
桐山和雄……恐ろしい奴だ
だが、徹も一筋縄ではいかない奴だからな
あいつは表面こそ愛想はいいが善とか悪とかいう感情が生れつき無い
だから中身は冷血人間だ
そして普段、冷淡で感情の起伏がない分、逆上するとやたら切れる
はっきり言って休火山より性質が悪い
おまけに目的の為なら手段を選ばない、何をするか、わからない奴だ
さて、どちらが勝つか……
まあいい。最後に笑うのは、このオレだ。
「……天瀬、無事でいろよ」
三村は祈った。
祈る?誰に?
そうだ、自分は神様なんて信じちゃいない。
それなのに、今はただ祈っている。
随分と、むしのいい話かもしれないが、美恵の為なら宗派を超えて世界中のあらゆる神に祈ってもいい。
勝てるだろうか?転校生に――
三村は教室での天童真弓殺害を思い浮かべた。
まるで、射撃場の標的を撃つように、何のためらいも無く引き金を引いた。
そう、あの男は人殺しなんて、何とも思っていない。
そして、聡美とはるかが銃声を聞いている以上、間違いなく佐伯は銃を所持している。
ひきかえ自分は――
三村は、手にしている木刀(民家から失敬した物だ)をチラッとみた。
そしてベルトの後ろ部分にはシーナイフだ(これも、同じ民家から仕入れた物だ)
とにかく、やるしかない。最悪、彼女だけでも助けなければ。
彼女を、天瀬美恵を――
三村の足が止まった。いや動けなかった。
息を飲み込み、改めて見た。見間違えなどではない
この林の中、差し込む月光は微かだったがが間違いない
三村の顔が悔しそうに歪んだ
『これ』を見るのは初めてではない。それでも嫌なものだ
――クラスメイトの死体というものは
「……北野」
傍にきて、屈みこんで確認した。死体は間違いなく北野雪子のものだった。
日下友美子と仲が良く、目立たないけれど大人しくて真面目な生徒。
三村自身、会話を交わしたことはないし何の関心も無かった。
それでも心の奥底から沸々とやりきれない怒りが込み上げてくる。
こんな……抵抗も出来ない女を。まるで虫けらでも殺すように。
「……天瀬」
グズグズしてはいられない。
今立ち止まっていては、美恵がこうなるのは時間の問題だ。
「悪い北野、何もしてやれない。だけど、おまえの仇は討つつもりだ」
「不可能だね」
「なっ!!」
三村の背後から確かに聞こえた。空耳なんかじゃない。
「まさか、本気でオレに勝てるなんて思ってないだろうね。
悪いけど、君の希望をかなえてやるつもりは全く無いんだ」
三村スローモーションのように、ゆっくり振り返った。
ほんの数メートル先に、奴はいた。
際立った美貌、天使のような微笑。
ただ立っているだけなら、生きた芸術品そのものだろう。
だが、奴は天使などではない。
悪魔、いや堕天使といったほうがいいだろうか?
そして、もちろん、ただ立ったままなどでいるはずがない。
その堕天使――佐伯徹――が一歩前に出た。
反射的に立ち上がる三村。
覚悟はしていた。だが、あの光が見えた家は、もっと先だ。
これほど早く対峙する事になるとは思わなかった。
「嬉しいよ。まさかD地区に飛ばされた君を片付けることが出来るとは思わなかった」
「……!」
「500ポイントだ」
「………」
「君は、桐山くん、川田くんの次に得点が高いんだよ」
「さあ、ゲームを始めようか?」
【B組:残り23人】
【敵:残り4人】
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