佐伯がドアを閉めると同時に美恵 は鏡を手に取った。
この部屋の勉強机の上に置いてあったものだ。
その鏡を窓に向けた。

――お願い、気付いて!!




キツネ狩り―39―




桐山は、じっと前方を見ていた。
何もない空間、そう蛾が群れているだけの漆黒の闇。
山本とさくらは何がなんだか理解できず桐山の背中を見詰めた。
最初は桐山が自分達には気付かない何か(転校生の可能性大だが)の気配に気付き立ち止まったと思った。
だが転校生どころか、猫の仔一匹いない。少なくても山本とさくらはそう思った。


ふいに桐山が向きを変えた。と、思うと今歩いた場所を引き返している。
何があったのか?
キョトンとしている山本とさくらの横を素通りして、尚歩いている。
山本とさくらは呆気に取られながらも、桐山の後について行った。
しばらく歩くと岩壁の傾斜が現れた。地図が正確なら、ここを登ればもう一本の山道に出る。
桐山はデイパッグをかけ直すと岩壁に足をかけた。


「桐山さん」
さっきのこともあってか、山本が、小声で話し掛けた。
「どうしたんですか?あのまま行った方が近道なのに……」
「和くんの言うとおりだわ。どうしたの?」














部屋の明かりに反射して鏡が光を放つ。
ほんの数秒間、美恵 は鏡を机に置いた。佐伯に気取られるわけにはいかない。
今頃は階段を下りて玄関に辿り着いた頃だろうから。


ガラッ!!またしても、ふいにドアが開く

――え?


天瀬さん。ああ、もうそんな他人行儀な呼び方はしないほうがいいよね。
美恵さん、悪いけど、やっぱり君を、このままにして出かけるのは不安なんだ。
言っておくけど、君を信じてないわけじゃないから機嫌を悪くしないでくれ。
他の連中が君を見つけたら、強引に、ここから連れ出す事だってありうるだろ?
なにしろ君は、このクラスのマドンナだからね 」

また縛る気なのかしら?

しかし、それは違った。
ふいに近づくと佐伯は、前触れもなく持っていたハンカチを美恵 の口に押し当てた。
「――!……んッ……」
美恵の視界がフッと閉ざされる。そのまま崩れるように倒れた。
もちろん床に倒れこむ前に佐伯が抱きかかえてはいたが。
「診療所でクロロホルムを手に入れておいて正解だったな」
佐伯は美恵 を抱き上げると、そのまま1階に降りた。
この家を選んだ理由がそこにあったのだ。
絨毯をめくると地下室への入り口が姿を現した。














「――あの光」

不規則に輝いていた。誰かが故意に作り出した反射光だろう。
「転校生……じゃないわよね。わざわざ自分の位置を教えるわけないもの」
「きっとクラスの誰かだよ。すぐに行こう、向こうも仲間を探しているんだ」
「ちょっと待って滝口くん、少しおかしいわ。
あんなことをすれば転校生に居場所を教えるようなものなのに」
幸枝の言うとおりだ。確かに妙だ。
転校生にバレることに気付いてないのか?
いや、どんなバカでも、それはないだろう。滝口は発想を変えてみた。


「ね、ねえ、あれって自分の居場所を教えてるんじゃなくて、その逆じゃないのかな?」
「逆?」
「うん、オレが愛読してるマンガにも似たようなシーンがあったんだ。
合図を送るんだけど、それは仲間を呼んでるんじゃなくて、その逆、近づくなっていう警告なんだ。
ここは危険だから……ってね」

危険……つまり転校生がいるということ。

「……大変じゃない。つまり、あの人は今、転校生の近くにいるって事でしょ。
合図を送ってきたってことは、今は生きてるけど転校生に見つかったら、ひとたまりも無いわ」
幸枝は持っていた銃を握り締めた。
脳裏に旗上の無惨な死に様が浮ぶ。もう見殺しにはしたくない。


「……何とか合流できないかしら?」
「そうだよね。早くクラスメイト全員集めて団結しなきゃ。
何より、ほかっておくわけにはいかないよ」

幸枝と滝口の人道的意見に織田はピクピクと青筋を立てた。
口の端を少々持ち上げ、お世辞にも、いいとは言えない顔をさらに歪ませている。


こ、こ、この……下品で、お人好しな偽善者どもがぁ!!
転校生がいるかもしれないって言うのに、ほかっておくに決ってるだろうが!!
これだから、生れつきIQの低い下品なバカは嫌いなんだ。


本当なら怒鳴りまくって異を唱えたいところを織田はグッと堪えた。
そう、高貴なものは、たとえどんな時でも感情を抑え優雅に振舞うものなのだ。




「待ってくれ二人とも。君たちの言うとおり、あれはクラスの誰かの警告かもしれない。
でも確証はないんだよ。もしも転校生の罠だったら、どうするんだい?
わざわざ殺されに行く様なものじゃないか」

完璧だ!この高貴なオレの、高貴な意見に耳を傾けるがいい、愚民どもよ!!

「それは……そうかもしれないけど」
「で、でも、やっぱり、ほかってはおけないよ。万が一ってこともあるし」
滝口は必死に訴えた。
「せめて…少しでも近くにいけば、確かめることくらい出来るかもしれないよ。
今1番大事なことは転校生から逃げることじゃなくて、仲間を集めることなんだ」


こ、こ、この……下品なオタクがぁ!!
高貴なオレに逆らいやがって、おまえが死ぬのは勝手だが、オレを巻き込むつもりか?
下品な平民の分際で、高貴な、このオレを!!


「そうね……早く仲間を集めて対策を練るのが最優先だわ。
こんな少人数じゃあ、転校生には太刀打ちできないし。
それなら、一か八か思い切った行動を取るほうがいいもの」
男のようにサバサバしたところのある幸枝は、こういう時とても頼りになる。
しかし、この男にはムカツク要素にしか過ぎなかった。


B組の下品なメス豚どもの下品なリーダーの分際で!!
井戸端会議をせっせとやるしか能の無い下品な女が、よくも高貴なオレの意見を無視したな!!
だが、高貴なオレは感情的になるなんて下品な行動は起さない


なぜなら、幸枝が手にしている銃。
それは織田にとって、今1番魅力的な存在だったからだ。
武器一つ持っていない身で、幸枝から離れるわけには行かない。


「2人とも、どうしてわかってくれないんだ!!
僕は転校生が恐いから行きたくないわけじゃあないんだ!!」
織田はブワッと涙を溢れさせた。光子にせまる演技力だ。
「僕一人ならともかく君たちまで危険が及ぶんだ。
せっかく会えた大事な仲間を死なせたくない僕の気持ちがどうしてわからないんだ!!」
「お…織田くん…」
織田のアカデミー賞ものの演技に、ひとのいい滝口は胸が痛くなった。
「僕は…僕は…君たちを死なせたくないだけなんだ」
「織田くん……ご、ごめんよ。そんなに心配してくれる君の意見を無視して」


懐柔完了。フン、やはり高貴なオレの演技に平伏したな


「でも、そんな君ならわかってくれるだろう?仲間を見捨てちゃいけないって」
織田の顔がさらに引き攣った。もっとも俯いているせいか、気付かれてはいなかったが


こ、こ、この……童顔野郎が!!粘りやがって!!
下品で愚かなオタクが、オレに対等に意見を言うことすらおこがましいのに!!


「わかったよ」
「あ、ありがとう織田くん」
「でも3人一緒に行くのは反対だよ。もしも転校生に見つかったら3人とも死ぬんだ」
織田は2人の反応を注意深く見ながら、そっと左肩に手をやった。
「……だから2人は、ここで待っててくれ。僕一人で行ってくるから」
「えっ?だ、ダメだよ織田くん」
「いいんだ、いざとなったら僕一人の犠牲で済むんだからね」
滝口の愛らしい顔が暗く沈んだ。


ふふん、後一押しだ。


織田は、ここぞとばかりに、少々大袈裟に左肩をなでた。2人に見せ付けるように。
「織田くん、さっきからどうしたの?もしかして肩が痛いの?」
「何でもないよ」
そう、それは本当だ。
「ただ君たちと会う前に傾斜で転んでね。軽い打撲だと思うから……心配なんて無用だよ」
織田はわざとらしく最後の言葉を強調していった。


(織田くん……怪我までしてるのにオレたちのこと心配して。それに比べてオレは……。
織田くんの言うとおりだよ。3人が犠牲になることはない。誰か一人が行くべきなんだ。
委員長を、女のひとを行かせるわけには行かないよ。もちろん怪我人の織田くんも)


「2人とも、ここで待ってて。オレが見てくるから」














「桐山さん、どうして、わざわざ回り道を?もしかして……転校生が?」
恐る恐る山本が質問した。
「いや、この近くにはいない」
桐山が抑制の無い声で答えた。
「だが、あの場所を通れば、すぐに気付かれる」
山本とさくらはお互いの顔をみた。どちらもキョトンとしている。
「気付かれるって……だって、近くにはいないんでしょう?」
「赤外線があっただろう。だからだ」
「「え?」」
ますます理解不能な2人は、さらに質問を投げかけようとした。
しかし桐山は必要最低限のことを言った以上、2人と話す気は全くないらしい。
そのまま傾斜を登っていった。
そうなると、もう質問するどころではない。山本とさくらは必死になって後を追った。














「……気のせいか?」

いや、確かに気配がした。はっきり言って敵じゃない。
気配を消すどころか、物音さえ消せない連中だ。
周藤晶は、傍にあった手ごろな岩に腰掛けた。ディパッグの中には赤外線装置だ。
先ほど、人が通り易そうな場所に三ヶ所ほど仕掛けておいた。
誰かが、その赤外線に掛かれば、すぐに手元の装置に信号が送られる仕組みになっている。
随分、遠くから微かに足音が聞こえた。神経を集中させて気配を探った。


気配は……二つ。こちらに向かっている。
装置に頼る必要もないな……。


そう思って銃を手にした。ところがだ。
その二つの気配が、仕掛けておいた赤外線センサーの、ほんの十数メートルの地点で止まった。
そして遠ざかっていった。
いくら特殊部隊のエリートでも限度がある。遠く離れてしまえば、気配も感じない。
それにしても、なぜ突然引き返したのか?
どう考えても二人とも戦闘能力皆無の人間だ。
赤外線センサーに気付いたとは思えない。

「……それとも、頭のきれる奴が、もう一人いたのか?」

確かに気配は二つしかなかったが、赤外線に気付くような奴なら気配を消すことも可能だろう。


そんな奴がいるとすれば……。

「……桐山和雄か」

今すぐ追いかけるか?
いや、今、奴とやりあうのは賢明ではない。
何しろ直人を倒している以上、少なくても奴は銃を二つ持っている。
第一、赤外線センサーに気付き避けたということは、戦うのを避けているということだ。
無理もない、直人とやりあったばかりだからな。
あせることはない。後、数時間で24時間ルールは終了だ。


その時、装置が点滅した。仕掛けておいた他のセンサーに掛かったらしい。
周藤は銃を握ると立ち上がった。














山道に出ると桐山は月明かりで地図を確認。
二つに分かれている道の右側に歩を進めた。
そして今やっと傾斜を這い上がってきた山本とさくらは必死になって、桐山の後を追ってきた。
「き、桐山さん……赤外線って…何も見えなかったけど」
「何言ってるの和くん。赤外線って不可視光線だから見えなくて当たり前だわ」
桐山は静かに言った。
「一目瞭然だ。蛾が群れていたからな」
「「???」」
「もうオレに話し掛けるな」
語尾が少し強くなっている。山本もさくらも、それ以上は聞き出せなかった。


何もない暗闇に蛾が群れて飛んでいた。それも横一線に。
虫は光に集まる習性がある。
そして、虫の目は人間の目にはとらえられないものまで見えるのだ。
例えば、紫外線……そして赤外線も。


桐山は時計に視線を送った。
針は9時に近づいていることを静かに告げていた。




【B組:残り23人】
【敵:残り4人】




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