「――天瀬」

菊地との死闘は思った以上に体力を消耗していた。
身体が重い。痛みもある。
それでも立ち止まっている暇は無かった。

『E地区担当は佐伯徹だ。あの女に恨みを持っている佐伯徹のな!!』

菊地の残した言葉が深く胸に突き刺さっていた。




キツネ狩り―35―




「……桐山くん…を?」

悪魔の囁きなんてものではない。美恵は耳を疑った。

「バカな事言わないで!!誰が、協力なんか!!!」


「君の辛さは理解するよ。桐山くんの事、嫌いじゃないんだろ?
そんな彼を殺す協力なんて。 その分、君の今後は保証するよ。
桐山くんの分まで、オレが大事にしてあげる。悪い取引じゃないだろ?」
「……今ほど、あなたを恐ろしいと思ったことはないわ。……悪魔よ!」
「悪魔とは、随分なお言葉だな。このゲームはもともと国会で決ったことなんだ。仕方ないだろ?」
「だからって、平気で人殺しをするなんて」


天瀬さん、真実は必ずしも一つじゃないんだよ。
表があれば、裏もある。君の言い分だと、オレたちは100%悪で君たちは、その反対だ。でも……」


佐伯は政府から渡されたB組生徒資料から、一枚の写真を取り出すと、放り投げた。
ニュートンの法則に従い、ひらひらと床に向かって落ちている。
その写真に向かって、佐伯はナイフを一直線に投げた。
ナイフは写真に命中し、そのまま壁に突き刺ささった。小川さくらの写真だ。




「例えば、あの女だ。あの女の母親は夫の死後、女手一つで必死に娘を育ててきた。
ところが、まともに育てたつもりの娘は、そんな母親の苦労を踏みにじっている。
でも、あの女が非業の死を遂げれば、母親は娘の本性を知らずに済むんだ。
こんなゲームに、たまたま巻き込まれただけで、心の優しい、いい子なんだと死ぬまで信じることができる。
娘の為に、朝から晩まで死に物狂いで働いてる母親。
母親を欺いて男を家に連れ込み性の快楽に溺れる、ふしだらな娘。
そんな娘なら、潔く殺された方が母親の為だろう?」
「……………」
「はっきりいうよ。あの女が生きて帰ったところで、いつかは母親にばれるんだ。
母親だって娘が自分を裏切っていたことをしれば、殺されてくれてた方がマシだったと思うに決ってる」
「あなた、本気でいってるの!?
仮にあなたの言うとおりだったとしても、我が子に死んでほしいなんて思う親はいないわ!!」
「そうかな?」
「どんな子だって、親は自分より先に死んでほしくないと思うものよ。
どうして、そんな事がわからないの?あなただって……」


そう言い掛けて美恵は口をつぐんだ。
『あなただって、ひとの子でしょう?親の気持ちがわからないの?』そう言い掛けた。
言う前に気付いたのだ。佐伯は親のいない孤児だと。
どんな相手でも言うべき言葉じゃない。
急に黙り込んだ美恵を見て、佐伯は美恵の言い掛けた言葉をすぐに察した。
なぜ、言葉にしなかったのか、その理由も。


「どうして急に黙ったのかな?」
「……………」
「もしかして、オレに気をつかってくれてるの?
天瀬さんは優しい人なんだね。でも、それは無用だよ」


「確かにオレを生んだ女は、とっくに死んでいる。
だけど父親は生きてるよ。さっき言っただろう、軍にコネがあるって」














「なんで、このオレが、こんな下品なゲームに巻き込まれなくちゃならないんだ?」

織田敏憲は、茂みの中、身を屈めゆっくりと移動していた。
お世辞にも上品な体勢とはいえない。


県東部トップクラスの会社社長の息子。そして優雅なバイオリンの調べ。
自分は、このクラスの他の連中のように死んでいいクズどもとはわけが違うんだ。
まして、どこの馬の骨ともわからない、孤児院育ちの有象無象なんかに殺されるなんて。
到底許されることじゃない。


あの5人――織田は、名前はもう忘れていたが、顔はしっかり覚えていた――。
あいつらは、そもそも自分のように恵まれた環境にある者の、お情けによって生かされている奴等なんだ。
金持ちの寄付のおかげで。それなのに、恩を仇で返すことしか知らない。
だから生まれの卑しい下品な連中は大嫌いだ。
しかも、揃いもそろって反吐が出るくらいに嫌いなタイプだ。
(なぜなら、全員、範疇1顔のいい男だからだ)


特に天童――ああ、あの女も、どうでもいい下品な女だったな――を殺した男。
あのアイドル顔と、それに要注意人物と言われていた長髪野郎は、特別に下品な匂いがした。


本当に心の底から最低最悪だ。


佐伯徹の美少年ぶりと高尾晃司の端麗な容姿は、ことさら織田の気に障ったらしい。
支給武器は防弾チョッキ。防御に関しては最高だが攻撃力は皆無だ。
だからこそ、こそこそと移動してはいる。
しかし、このまま逃げるだけでは勝てないことは織田もわかっていた。




「……くん」

んっ?何だ?声が聞こえたが、気のせいかな?

「織田くん、こっち、こっち」


後ろ、10メートル程の距離。2人いる。
1人は、B組の下品なメスどものリーダー気取りの内海幸枝。
もう1人は、下品なアニメおたくの滝口優一郎だった。














「お父さん、生きてるの?」
それは意外な事実だった。
しかも、その父親は佐伯の話し方から察するに、それなりの地位と権力を持った人間のようだ。
そんな父親がいる佐伯が孤児院育ちで、しかも、こんな危険なゲームに参加とは。
つじつまがあわないのではないか?
いや、それ以上に、美恵は佐伯の母親のことが気になった。
佐伯は、こう言った。

『オレを生んだ女』と。

実の母親に対して、こんな冷たい形容詞があるだろうか?


「九条時貞、オレの父親の名前だ」


「九条…?」
「海軍の戦隊司令官、現在の地位は中将だけど、いずれは元帥になる。
九条孝一郎なら、知ってるだろう」
「軍務大臣の九条氏のこと?」
「ああ、そうだよ。オレの父親の父、つまりオレの祖父だ」
「……そんな、信じられない。それが本当なら、どうして、こんなゲームに。
いえ、それ以前に孤児院育ちなんて」
「苗字が違うだろ?」
それが、どういうことか美恵にもわかった。つまり妾腹ということだろう。
「でも、だからって……」
いくら嫡出子ではないとはいえ、それ程の家の息子なら何不自由ない生活が送れるはず。


天瀬さん、君は言ったよね。どんな子だろうと死んで欲しいと思う親はいないって」
「ええ、そうよ」
「それはどうかな?」


「オレの父親は、オレが、このゲームで死んでくれることを願っているかもしれないんだ」




【B組:残り23人】
【敵:残り4人】




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