「なんだ、騒々しい」
桐山広春――桐山和雄の父――は眉をひそめた。
「か、和雄様が!!」
「帰ってきたのか?全く、世話を焼かせおって」
30億の出費は広春には、さほど痛くはなかった。
今まで『息子』の特殊教育につぎ込んだ時間と労力。
そして、桐山家の将来を考えれば、仕方のない数字だろう。
第一、たかが数十億の金を捨てる程度で傾くような家ではない。
その分、今まで以上に仕込めばいいだけだ。桐山家の家門と財産を守る為に。
「どうした?早く和雄を連れて来い」
「そ、それが……」
キツネ狩り―28―
桐山の左胸から赤い液体が噴出するのを見て菊地は、ゆっくりと銃口を下げた。
狙った急所は外さない。確実に心臓を貫いたのだ。
銃弾を受けた勢いで、桐山が数メートル背後に吹っ飛ぶ。再び川底に沈んだ。
桐山は、いや桐山の遺体は数秒後には浮かんでくるだろう。
そう――終わったのだ。
オレは勝った。菊地は戦いの終結を自分の中で宣言した。
運命の神は一度も手を差し伸べてくれたことはなかった。
運命ではない――人生は自分で切り開くものだ。
そして、自分は、その証明を仕損じたことは、ただの一度も無い。
今回の戦いでも、それを証明できた。
手強い相手だった。温室育ちの中にも、こんな男がいるなんて思わなかった。
だが温室育ちなんてものは、所詮は井戸の中しかしらない。
常に大海で揉まれ、何度も溺れかけた自分とはレベルが違う。
とにかく、これで1000点、いや奴は銃を持っていたから1200点追加で、一気にトップに立つ。
後は死体を確認するだけだ。
「……桐山くん!」
美恵の胸に、さらに悪い予感が込み上げてきた。
まるで吐く一歩手前のような、そんな感じだ。
美恵はドアに向かって走っていた。理性など残っていない。
A地区へ、とにかくA地区へ行かなければ、今すぐに!!
「……!」
ドスっと、ドアにナイフが突き刺さった。
今しがた、美恵の顔の真横を通り過ぎたものだ。
すぐにツカツカと背後に迫ってくる足音。ふいに背後から抱きしめられた。
「……痛い!」
強すぎるくらいの腕に力が込められている。
華奢な外見とは違い、かなりの腕力だ。
それ以上に冷たいオーラを感じる。この佐伯徹という男には。
「言ったはずだよ。君は逃げられないって。それともオレを甘く見てるのかい?」
「お願い放して!!A地区に行かせて!!」
「A地区?何言ってるんだよ。死にたいのかい?
周藤晶と菊地直人はオレと違って優しさのカケラもない連中なんだ。すぐに殺されるよ」
「お願い行かせて!!」
「我が侭なお姫様だな……こんなにオレが優しくしてやってるのに。
いい加減にしないと、いくら温厚なオレでも我慢の限界……」
と、いいかけて佐伯は、携帯を取り出した。
「……またかっ!」
画面に表示された相手を確認するや、美恵をベットに押し倒し、口を塞いだ。美恵は苦しそうにもがいている。
「もしもし」
『……天瀬美恵は見つかったか?』
「まだだよ。こんな雨だろ?オレも今は雨宿りでね。しばらく動くつもりはないんだ」
『あの女には手を出すな。あれはオレのものだ。……オレ以外の奴が壊すのは許さない』
「……自分の手で殺さないと気が済まないのかい?実に君らしいね」
『あの女は連れて帰る』
その言葉を聞いた瞬間、佐伯の表情が一変した。
水面に降り注ぐ雨が、いくつも波紋を作り出している。
こんな所で勝利の余韻に浸っている暇は無い。
(とにかく桐山の死体を引き上げ、その死を確認して、奴の銃を手に入れ、それから……)
ザザァ…!!背後に水音!!
瞬間、菊地は振り向いた。そして目を見開いた。
ほんの数十秒前に片付けた。そう始末したはず。
「……バカな!」
桐山和雄が立っていた。
全身から水が滴り、オールバックも崩れ前髪がおりている。
そして、右手には銃。
その銃口は、一直線に菊地に向かって伸びている。
しかし、菊地には銃口など問題ではなかった。
「……そんな、バカな!!」
殺したはずの人間が生きている。それも菊地が驚愕した理由ではない。
桐山和雄が、自分の後ろを取っている、その一点が重要だった――。
バカな!!そんなバカな!!
オレが後ろを取られるなんて、そんなバカな事あるはずがない!!
幾度となく生死の境をくぐり抜けてきた、このオレが!!
奴は何だ?!
絹の上等な服を着て、型どおりの学歴を身に付け、贅沢な日常を、親の庇護の元送っている
そして、その親から与えられた保証された人生を、ただ生きていくだけの男だ!!
その男が……!
そんな奴がなぜ?!
「オレの後ろをとっているんだ!!」
そう思う前に、身体を反転させていた。
それは戦闘だけの人生によって培われた菊地の、人間としては悲しい習性だった。
考えるよりも先に身体が反応していた。
答えなど、後で出せばいい。
今は奴を撃つ――今度は頭部だ。
振り向きざま、グッとトリガーに力を込めた――。
ズキューン!!
菊地の銃ではなかった。菊地が振り向くより先に桐山の銃が火を噴いていた。
ズキューン!!
再び銃声が轟いた――。
菊地の左胸――心臓――が一気に鮮血を噴出した。
「……バカ…な……」
グラッとバランスが崩れた、まるでスローモーションのように、ゆっくりと身体全体が崩れる。
左胸を押さえながら、それでも尚、銃口をあげた。
負けるわけがない!!
オレが、このオレが、あんな金持ちの温室育ちなんかに!!
負けるわけがない、負けるはずがないんだ!!
負けるはずが――。
「負けて……」
「……負けてたまるかー!!」
崩れ落ちながらも、利き腕だけは最後の力を振り絞ってあげた。
銃口は完璧に、桐山を射程内に捉えていた。
「―――!!」
その瞬間、菊地の脳が完全に停止した。
桐山が撃った銃弾、その二発目が正確に眉間を貫いていた。
…バカな……なぜ、なぜだ?
なぜ、オレが敗れるんだ?
そんなバカなことあるはずはない
なぜだ?なぜ――
それでも菊地の疑問は止まらなかった
すでに思考能力は完全停止しているはずなのに
おそらく、肉体的なものではない
魂のレベルで彼は考えていたのだろう
なぜだ――?
なぜ……
答えは出なかった
なぜ……オレは……
絶対に勝てると思ったんだ?
――その時、初めて答えがでた
奴が大金持ちの温室育ちだから――か?
挫折を知らないエリートだから――か?
不良の頭をやっているような、くだらない奴だから――か?
だから――勝てる、と
『貴様らの物差しでオレを計るな』
今まで、自分を15にも満たないガキと甘く見てきた連中に何度言った事か
そして、自分の定義でしか相手を計れなかった奴等は、誰一人として、この世に残ってはいない――。
自分が常識など全く当てはまらない人間だというを命と引き換えに教えてやった
『くだらない常識にとらわれている奴が勝てるものか』
常に、そう思っていた。それなのに――。
金持ちの御曹司だから――。
くだらない連中の頭だから――。
だから――自分より下だと定義の範囲においていた。
常識的な範囲で計っていい相手じゃなかった。
それなのに、自分が捨て去っていたと思い込んでいた常識で見ていた。
――甘いのはオレの方だったのか?
――奴は、桐山和雄は……
そこで、今度こそ完全に菊地の思考は止まった――。
水しぶきを上げながら倒れこんだ菊地を見て、桐山はスッと銃口を下げた。
そして、左の胸ポケットから、銃弾が食込んだ金属製品(おそらくブローチだろう)と血のり袋を取り出し川に捨てた。
ごくまれに、こういう人間が存在する。
類まれな才能を持った人間が数年かけて築き上げたものを一瞬で飛び越える特殊な人間が――。
『天才』と呼ばれる、社会通念など全く通用しない人間が。
桐山和雄は間違いなく『天才』だった
菊池直人が20年に1人の才能の持ち主なら、桐山和雄は100年に1人の才能の持ち主だった。
ただ、それだけの違いだった。
しかし、菊地は、その違いに気付かなかった。気付こうとしなかった。
菊地の壮絶すぎるプライド。
菊地を生かし続け、数々の死闘を勝利に導いたもの。
そのプライドのせいで、気付かなかった――。
桐山和雄は間違いなく『天才』だった。
菊地直人の3年間を一瞬で飛び越えるほどの。
そして、菊地は、そのことを命の終わりに知ったのだった――。
桐山は歩き出した。
もはや、ただの肉隗と化した菊地に近づくとスッとかがみ、菊地の銃を手にした。
それからチラッと菊地をみた。確認するまでもない。完全に死んでいる。
その肉隗に桐山は何も感じなかった。
先程まで自分を追い詰めたことに対する怒りもない。
自分を殺そうとしたことへの憎しみもない。
クラスメイトや仲間を殺された恨みも、まるでなかった。
『いいか和雄、何が何でもトップにたて!!』
何も感じなかった。
菊地が自分に対して、なぜ異常ともいえる反感を抱いたのかという疑問も。
『桐山家に敗北は存在しない!!おまえは、桐山の跡取だ。
おまえに敗北など決して許されないんだ!!』
菊地の敗因――桐山を定義に、あてはめ甘く見たこと。
そして、もはやどうでもいいことだもう一つ理由がある。
桐山は菊地が想像しているような温室育ちなどでは決してなかった。
『おまえは桐山家の為に勝ち続けるんだ。
それ以外に、おまえに生きる理由など一切無い!!』
桐山はこめかみを押さえた。無意識に。
それは理由さえもわからない桐山のクセだった。
『それが、おまえの唯一の存在理由だ!!』
なぜ、今、父を思い出したのか、その理由もわからなかった――。
桐山は立ち上がると歩き出した。二度と振り返らなかった。
「――後4人」
【B組:残り25人】
【敵:残り4人】
BACK TOP NEXT