それは、この戦いを、さらに悪夢へといざなう序曲でもあった――
キツネ狩り―25―
桐山は無傷だった。
まるで飛び込み台からプールへダイビングするように繁みの向こう側に飛んでいたのだ。
そのまま1回転して起き上がる。立ち止まっている暇などない。
菊地はさらにナイフを取り出した。そして投げた。
この森の中、桐山の為に用意しておいた、いくつものトラップ。
そのトラップは糸に触れることで発動する。
糸と連動している菊地お手製の爆弾が爆発するという仕組みだ。
チュドォーンッ!!
桐山の俊足に迫る勢いで後方から激しい爆発音と、それによって生じた爆風。
菊地は、さらにナイフを取り出した。そして投げた。
まるで吸い込まれるような正確さで次々にトラップの糸を切断していく。
当然、菊地が爆弾作りに手抜きでもしない限り、その爆弾は確実に爆発するのだ。
そして、菊地は、自分が仕掛けたトラップの位置を全て正確に把握している。
言うまでもないが、手加減してやるつもりなど毛頭ない。
チュドォーンッ!
チュドォーンッ!!
今度は立て続けに爆発音が鳴り響いた。
そして、爆風を追い風に、鋭利な角を持つ小石が、まるで銃弾のように飛んできた。
「……クッ…!」
桐山が、僅かに表情を変えた、右腕にかすったのだ。
それ以上に、体力が削られている。
菊地は持久戦に持ち込むつもりはない。
ここで、この場所で一気に決着をつけるつもりなのだ。
これは戦争だ。戦争なんてものは長引けば長引くほど、やっかいになる。
時間が勝負、それは菊地の常勝パターンでもあった。
「直人さん、ご苦労様です」
「お疲れでしょう?何か飲み物でも」
「いやー、さすがですね。あの警備の中、政府の役人を片付けるなんて」
(うんざりだ。どいつも、こいつも。
この間まで、生意気なガキだと罵ってきた連中が、揃ってくだらないお世辞をいうようになった。
中四国諜報局局長・菊地春臣の養子になってから、聞き飽きるくらいだぜ)
「……親父は?」
「局長はお部屋でお待ちですよ」
「きっと、お褒めの言葉を頂けますよ」
……お褒めの言葉か。どいつもこいつも、まるでわかってない。あの男のことを。
ドアをノックした。すぐに「入れ」という声がした。
父は、デスクに背を向ける形で窓と向き合って、座っていた。
「報告しろ」
「……ターゲットの軍務省政務次官・深田健二抹殺任務成功、目撃した警備を4人抹殺。証拠は残してない」
「……何分かかった?」
……やっぱりな、そう言うと思った。
「21分だ」
次の瞬間、父は立ち上がるとツカツカと歩み寄ってきた。
左頬に強烈な痛みが走り、同時に菊地は今しがた入ってきたドアに叩きつけられていた。
口の端から血が滲み出ている。
「言った筈だ、15分でかたをつけろと!!」
手の甲で血を拭いながら、菊地は悔しそうに唇を噛んだ。
「15分で決着をつければ何も問題はなかった!!」
そうだ、15分で決着をつけることはできた。
しかし、事前に渡されていたディスク(屋敷の見取り図や警備状況を記録したものだ)は間違いだらけ。
そして、菊地にはわかっていた。
その出来損ないの資料を渡せと命令したのは、おそらく、いや間違いなく、この父だろう。
「私が裏で手を回して警察の出動を遅らせなければ、おまえは警官と銃撃戦をしていたんだぞ!!」
「…………」
「何だ、その目は?」
激しいくらいの赤い色付きの瞳。だが、菊地はグッとこらえた。
例のディスクのことを追求したところで、この男は悪びれずに言い放つだろう。
『文句を言いたかったら、一人前の仕事が出来るようになってから言え』……と。
「何度も言ったはずだな直人?戦いは時間が重要だと」
「……ああ、わかってる。……オレのミスだ」
「そうだ自分の非を認め矯正しろ。でなければ『次』はないぞ」
「局長、少し厳しすぎるのでは?」
菊地が退室すると、局長秘書が意見してきた。
「何がだ?」
「あんなディスクを渡されて、完璧な任務をしろだなんて無茶ですよ」
「無茶なものか、あれは私の後継者に選んだ人間だぞ。
どれだけ無謀な訓練を課したところで、過ぎることはない。
第一、この程度のことで死ぬような機転のきかない奴なら、この先待っているのは確実な死だ。
生死の狭間で得た教訓こそ、今後の戦いの中で、一番役に立つものだ」
菊地は部屋に戻ると着替えもせずにベッドに上向けに倒れこんだ。
そして、右腕で顔を覆った。
「……クソッ」
泣いた。これ以上無いほど悔しかった。
(だが、泣くのはこれが最後だ。そして……親父、あんたの教えは正しい。
これからは、その教えを忠実に守ってやる)
――二度と悔しい思いをしない為に。
桐山、貴様に休ませる時間など与えない!!
戦いは時間との勝負だ、それを死ぬ前に教えてやる!!
菊地は再びナイフを構えた。
その時だ、桐山が銃を構えていた、その照準は、もちろん自分だ。
すかさず木の幹に身を隠す。
ズギューンッ!!
(バカがっ!!オレは身を隠してるんだぞ、当たるわけがない!!)
しかし、弾は菊地目掛けて飛んでこなかった。その、はるか頭上だ。
何かが、きしむ音がした。数メートル真上から。
今度はズザッと嫌な音がした。
枝が落ちてくる、他の枝との摩擦で、耳障りな音を発しながら。
「クッ!!」
咄嗟に身をかわす菊地。暗殺業で培った反射神経はだてではない。
よけると同時に、体勢を戻す。そして目を見開いた。
桐山がいない――。
(――しまった!!)
そう思う前に走った。十数メートル先の岩陰だ。
そして、銃に弾を詰めた。
(どこだ……どこにいる?)
先ほどの桐山同様、目を閉じ神経を集中させた。
だが、まるで気配がない。
(持久戦に持ち込むつもりなのか?)
それは避けたかった。桐山の体力を削ったことが無駄になる。
体力の回復だけはさせるわけにはいかない。
――どうする?
数秒考えた後――菊地は立ち上がっていた。
そして、岩陰から姿を現した。
もちろん、銃弾の標的になることを極力避ける為に、岩や大木が盾となるよう道筋を選んではいた。
それでも危険には違いない。それでも菊地は歩き出したのだ。
一歩、二歩……十メートル程、歩いた時だった。
カツンッ……左側方から微かな物音がした。
持っていた銃の引き金に力が掛かる。
瞬間的に菊地は右側方に反転した。
左側方で聞こえた微かな音……あれは小石だ。
投げられて地面に落ちた時、生じた音。
つまり――囮だ!!奴は、桐山は反対方向にいる!!
菊地の瞳の中、映った桐山の姿が一気に拡大された。
菊地が向けた銃、その引き金にグッと力を入れた――。
ズギューンッ!!
「天瀬さん、少しは食べなよ。お腹すいてるんだろ?
」
美恵は何も言わず、ただ窓からA地区の方角を見詰めていた
【B組:残り25人】
【敵:残り5人】
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